2014年02月23日

ボクは何で本を読むのだろう?(感動の最終回?)

さて、ムダに長い超大作も今回で完結です!

最後は今まで書いたきたコトを総括してまとまるのと、私が読書について最近思っていることを駄文的にまとめてみたいと思います。

読書について知っておきたい10のこと

(1)読書では何冊読んだかではなく、何をどれだけ学んだかが大切

(2)書いてあることを表面的に理解するだけではなく、自分自身のものに

 なるくらいまで、きっちりと理解する。

  → 自分の言葉で説明できる

  → 本に書いてあることを用いて、他の事例についても説明できる

  → 自分の仕事や生き方に活かせる

(3)情報を得るだけでなく、筆者のロジックを追って読めるようになる

(4)読書によって基礎知識を身につける。そのためにも良い入門書を読む

  → 知識や考え方の偏りを防ぐために入門書などは3冊(複数)読む

(5)難解な文章も諦めずに、線を引いたり関連書を参照しながら丁寧に読む

(6)速読が出来るのは、自分に基礎知識があるから

 (基礎知識がなければ速読も出来ない)

(7)意識を高めるための本は何度も同じ本を読み、自分の心に染み込ませる

  → 意識を高めるのに向いた本:人生の深みを知っている人が書いた本

    あるいは、「論語」のように長く読み継がれてきた本。そこには時代に流されない人としての普遍的なことが書かれている

(8)小説を読むことで感性を高めたり、表現力を養ったりできる

(9)読書ノートで記憶を定着させたり、理解を深めることが出来る

  → 自分の気づきや意見などをメモするようにする

(10)良いアウトプットのためには、良質のインプットを出来るだけ多量に行う

  → 普段どのような情報に触れているかによってアウトプットの質が決まる

自分のレベルをあげるためのチャレンジ

本が売れない。特にむずかしい本でよい本がなかなか売れないというのは、日本の国にとっては、非常に残念なことだと思っています。

「「読書力」養成講座」

最近、よく思うのですが・・・

08年頃からビジネス書を中心に本を読むようになってからの6年間。

読みやすい本、分かりやすい本ばかり読んできたなぁ、と。

先日、ネットで「ビジネス書も食傷気味なんですよね〜」と書き込まれているのを見掛けたのですが、私もまったく同じ気持ちなんですよね。

これは、私自身の感性が鈍ってきたのか?

それとも、最近のビジネス書が面白くないのか?

まぁ、どちらでも良いんですけど・・・

でも!

一つだけ思うのは、分かりやすい本、読み慣れているジャンルの本ばかり読んでいても自分のレベルとか上がらないんじゃないか?と。

ドイツ観念論の主要著作というのは、一般の人がひもといた場合、

「一行も理解できない」ということがあり得るのです。

「1日で学び直す哲学」(甲田純生:著)

「一行も理解できない」!!そんな本がこの世に存在する意味があるのか?とも思ったりもするのですが(笑)、そこまで難解ではないにしろ読んでいてイマイチ理解できないコトが書かれている本にぶつかることってありますよね。

分からないから敬遠するのではなく、「分からねば 分かってみせよう ホトトギス」の精神でチャレンジすることも必要かなぁっと。

それから・・・

ご無沙汰気味だった小説も、これからはもっと読みたいなぁと思う。

歴史物とか、この年になるまで殆ど手つかずの海外文学とか。

失敗にはいろいろなパターンがありますが、成功はワンパターンです。

トルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭の「幸福な家庭はみな同じように似ているが、不幸な家庭は不幸なさまもそれぞれに違うものだ」(原卓也訳)という有名な一節と同じです。

「「読書力」養成講座」

こんなふうに小説も感性を磨くだけじゃなくて、人生について学ぶべきことがあると思うんですよね〜

それに、友達とTwitterのリプでやり取りをしていて教えられのですが、仕事に直接は役に立たなくても、「教養」って身に着けておいた方が良いんですよね〜

きっと本当は正しい読書法なんてない・・・

さて・・・

最後の最後に身も蓋もないないコトを書いて終わりたいと思います。

冴えないオッサンが、たかだか本を数冊読んだだけで「あーでもない」「こーでもない」と、エラソーに読書論みたいなものをここまで語ってきたわけですが・・・

でも!

きっと本当は正しい読書法なんて無い

と、そう思っています。

例えば、ビジネス書を読んでも仕事が出来るようになるワケじゃない、ということが一時、ネットでも話題になっていましたが、その時に私はブログでこんなコトを書きました。

例え、著者や編集者がどのような意図をもっていようが、

その本をどう読むかは、読者の自由なんだと思う。

正しい読み方なんて無い!

ビジネス書・自己啓発書を読んで、それを実践して、成長するもよし。

気分を味わうだけであっても、それもまたよし。

ビジネス書の著書が「是非、この本を読んであなたも成功して欲しい!」と思って書いた本であっても、それをどう読むかは読者の自由!

時々、人が書いた小説の書評に対して「それは、筆者の意図を理解してない!読み違えている」などと反論をしている人がいますが、それも私に言わせれば、余計なお世話。

どんなにスジが違っていても、小説を読んで、どう感じたかは個々の読者の自由でしょ。

読み違えもなにもない。

それと・・・

最初に自分で書いたことと矛盾しますが、読んだ本の内容って、覚えていないようで案外、覚えていると思うんですよ。

でも、ふだんはいわゆる無意識層に眠っているから、「忘れた」と思っているだけ。

何かの拍子に「そう言えば、あの本にこんなコトが書いてあった」と思い出すことってあるでしょ。

脳科学のことは詳しくないので、よく分からないけど、きっと、本を読んで得た知識がどんどん無意識層に蓄積されていってある臨界点を超えると、急に色々なことが繋がりだして「あぁ、そう言えば、あの本で・・・」というコトになるんじゃないでしょうか?

だから、本を読んで得たものが今すぐに活かされなくてもインプットを続けていると、ある日突然に「あぁ、そうか!」となり、仕事や自分の人生に変化を及ぼすことがあるかも知れない。

「自分で自分の方法論を早く発見しなさい」ということである。

本書を含めて、人の方法論に惑わされてはならない。

「「知」のソフトウェア」

あーだ、こーだと書いてきて、こういうコトを最後に述べるのは実に気が退けるのだが、きっと本当は正しい読書法なんて無い

読書法とか、どんな本を読むかとか、色々と試行錯誤するのもまた、読書の楽しみだと思うのです。

以上、ムダに長い超大作はこれで完結なのだ!これでいいのだ!

長々とお付き合い下さった方、本当にありがとうございました!



posted by penguin-oyaji at 20:52 | Comment(0) | 知的生産・思考力・読書術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月22日

ボクは何で本を読むのだろう?(下の下篇)

ムダに長い超大作も今回で4回目のエントリーです。

前編、中編、下篇ときたのですから3回で終わる予定だったんですけどね〜 (^^;;

今回は「読書ノート」と「本を読んだ後のアウトプット」の話しです。

読書ノートは「記憶の定着」と「理解の深化」

線を引きながら、ゆっくりと、ときには気づいたことなどを本に書き込んだりしながら読みます。

「「読書力」養成講座」

線で囲んだ部分をノートに書き写し、その下に簡単なコメントを走り書きするのだ。

これだけで記憶の定着がまったく変わってくる。

読者自身の評価をノートに記すことが記憶を定着させ、理解を深めるコツである。

「読書の技法」

「前編」でも書いた通り、私も本を読みっ放しにしないためにも読書ノートを作ろうと思ったのですが、アナログかデジタルかで迷い、結局は試行錯誤の繰り返しばかりしていて、一本化も出来ていないし、継続も出来ていない

・ノートをつくるコトが目的化してしまい、読み返したりすることが殆ど無い=本で読んだことが身に付かない

・・・というような有り様でした。。

さて、これからどーっすか?と考えてみたわけですが、アナログかデジタルか、については手書きにすることに決めました。

たぶんですが、私の場合はキーボードを叩くよりも手で書いた方が記憶に残りやすい気がするんですよね。

それから、今までは本を読んでいて気になるところにはポストイットを貼るだけだったのですが、これだけだと、後で見返した時に、何に興味を持ったのか、どんな気づきがあったのかが分からなくなることも多かったんですよ。

「ときには気づいたことなどを本に書き込んだりしながら読みます」

「ノートに書き写し、その下に簡単なコメントを走り書きするのだ」

気付いたコトや自分の評価などを本やノートに書き込め!と・・・

今まで私は読書ノートを作る時には本に書いてある文章を、ただそのまま書き写していただけでした。

今回、気付いたコトなのですが、本当に大切なのは本に書いてあることを覚えることよりも、その時に自分がどんなコトを感じたり考えたか、なんですよね。

本の文章を書き写すのは単なるコピーでしかないけど、自分の気づきや感想は自分のオリジナルのものだから。

では、コメントとしてどんなことを書けばよいのか?

「読書の技法」の中で佐藤優さんがそのことについて触れているので、ちょっと長いですけど、引用しておきますね。

「コメントに書くことが思い浮かばない」という相談も受けるが、最初は、「筆者の意見に賛成、反対」「この考えには違和感がある」「理解できる、理解できない」など自分の「判断」を示すもので十分である。

「わからない」「そのとおり」「おかしい」の一言でもいい。

何らかの「判断」を下すことが重要だ。

次のステップとしては、自分の「判断」に加えて、「意見」を書き込むようにする。

「私はこう思わない」「この部分はあの本のパクリだ」「同じデータに関して、あの専門家は別の評価をしている」など自分の「意見」も書き込めるようになれば、十分理解して自分で運用できる水準になっている

「読書の技法」

あまり格好いいコトを書こう!などと思わず、一言でもいいから自分なりの「判断」や「意見」を書き残していけばいい、ということですね。

本を読んでいる時って、色々な感想や気づきがあると思うのですが、読み進めているうちに忘れてしまうことも多い。

だから、本に書き込むなりメモをとるなりして、自分オリジナルの気づきを逃さないようにするべきなんだろうと思うのです。

で、私が始めた読書ノートの書き方はこんな感じです。
(ちょっと分かりにくいかもですが・・・ごめんなさい) 

読書ノート

岡田斗司夫さんが推奨されている「スマートノート」の書き方をパクりました。

右ページに本からの抜き書き。

左ページには自分の気づきや意見、あるいは他書からの抜き書きを書いてます。

岡田斗司夫さん流に言えば、本文に対してのツッコミを左ページに書いている感じです。

取りあえずは先ずノート1冊をこの形で書いてみて、また何かあれば改善していこうかと。

アウトプットしろ!とは言うけれど・・・

当初は本稿も、知的情報の「インプットとアウトプットの間」というタイトルにして、もっぱら、「の間」について語ろうかとも構想してみた。

しかし、実はこの「の間」について語ることは大変むずかしい。「の間」においては、頭の中で無意識のうちにすすめられる作業が主たる役割を果たしているが、その作業過程を意識化して記述し、分析することは、ほとんど不可能に近いからである。

頭の中の発酵過程、頭の中で考えがまとまっていく過程そのものについては何も方法論がない。

「「知」のソフトウェア」

本を読んでインプットしたら、アウトプットせよ!というのは、よく聞く話しですが、どうやったら良質なアウトプットができるのか?

そのことがずっと気になってました。

でも、上記の通り立花隆さんが書かれているように、こうすれば!というような絶対的な方法なんてないんですよね、きっと。

「インプット」→「アウトプット」

この矢印にあたる「の間」については、きっと人それぞれだと思うし、言い換えれば「の間」こそが、その人自身だと思うんですよ。

そういう意味でも「「知」のソフトウェア」の巻末の一文がとても示唆的だと思うんですよね。

本書の内容を一言で要約すれば、「自分で自分の方法論を早く発見しなさい」ということである。本書を含めて、人の方法論に惑わされてはならない。

「「知」のソフトウェア」

しかし、まったく方法がないワケでない。

では、いかにすれば、無意識の能力を高めることができるのか。

できるだけ良質のインプットをできるだけ多量に行うことである。

それ以外に手段は何もない。

「「知」のソフトウェア」

システム用語で

「Garbage In、Garbage Out」(ゴミを入れても、ゴミが出てくるだけ)という言葉があります。

この言葉について勝間和代さんが著書の中でこんなことを書いています。

どのように大量の情報を入手しても、ゴミの情報を入れれば、ゴミしか出てきません。

「新・知的生産術」(勝間和代:著)

これって、つまり普段どのような情報に触れているかによってアウトプットの質が決まる、ということですよね。

前回のエントリーで「読む価値のある本を吟味して読むべし」ということを書きました。

インプットの質が、アウトプットの質を決めるのであれば、やはり、「良書」を選んで読むことが本当に大切なんですね。

◇◆◇◆◇◆◇◆

いや〜、ムダに長い超大作もやっと全部書き終わりました。。

最後までお付き合いくださって、ありがとうございましたm(_ _)m

が・・・!

これで終わらないのがペンギンオヤジ!

次回は最終回として総集編・・・じゃなくて、「まとめ」を書きたいと思います。

posted by penguin-oyaji at 22:47 | Comment(0) | 知的生産・思考力・読書術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月21日

ボクは何で本を読むのだろう?(下篇)

「前編」「中編」と書き続けてきて今回が「下篇」です。

例によってムダに長い超大作になっていますが・・・(^^;;

今回もよろしければ、お付き合い下さい。

意識を高める読書

同じ本を繰り返し読む読書法が重読です。

重読の目的は、自分の考えを高めることです。

つまり、自分の哲学を持つことです。

哲学とは是非善悪の判断基準です。

重読は「意味」を得るだけの読書ではなく、「意識」を高めるための読書です。

そういう読書をしていない人は、人間が薄っぺらいのです。

重読に向いた本は、論理的な本というより、ほんとうに人生を知った人が書いた本です。

たとえば、『論語』のような古典や松下幸之助さんのような一流の経営者の教えです。

「「読書力」養成講座」

本を読むことでモチベーションが上がることってありますよね。

特に自己啓発系の本にそういう効果があるように思います。

が・・・!

あっちこっちで色々な方が指摘されているように自己啓発本を読んで瞬間的にモチベーションがあがっても、それが長続きせず、また違う本を読み漁る。そういうコトを繰り返してしまう人が多い。

もちろん!私もその一人ですがぁ・・・(恥)

なぜ、モチベーションや行動が継続できないのか?!

やっぱり一度読んだくらいでは本に書かれているコトが身体に染み込んでないからでしょうね〜

いわゆる「血肉化」できてないからだと思うんですよ。

だから、良いと思った本は何度も何度も繰り返し読んで自分の身体に染み込ませる。そして実行していく。

こういう「繰り返し」が大切なのではないかと・・・

ちなみに小宮一慶さんは、「菜根譚」や「道をひらく」(松下幸之助:著)を今までに100回以上も繰り返し読まれたそうです。

『自助論』『7つの習慣』『「原因」と「結果」の法則』の3冊を読めば、もうお腹いっぱいじゃないですか。自己啓発書に書かれていることはだいたい共通していて、この3冊に書かれていないことなんて、そんなにありません。

「10年後 あなたの本棚に残るビジネス書100」

神田昌典、勝間和代:著

勝間さんによれば自己啓発書は上記の3冊で充分だとか。。

要はあれこれ手を出すよりも、自分が良いと思った本とか長く読み継がれてきた定番本を何度も繰り返し読むことが大切ということですね。

感性を高める読書

感性を高めるためには、こうした良質な文学を読むことも必要じゃないかと、わたしは思います。

読書をすることで、実体験とまではいきませんが、本の中で疑似体験をすることができます。直接、わたしが関われない多くの方の経験を、自分のものにすることもできます。

「「読書力」養成講座」

小説はね、感情表現や景色の描写が細かいし、読んだ人それぞれが各自のイメージをつくって読むことができる、これがまぁ、面白いんだよ。

言葉にもっと表現力を身に着けたかったら、和田さん、ね、小説読みなさいよ、小説ね」

「和田裕美の人に好かれる話し方」(和田裕美:著)

私も20代の頃はけっこう小説を読んでいたのですが、オッサンになってからはビジネス書中心の読書に変わってしまいすっかりご無沙汰だったんですよ。。

でも昨年、ふとしたきっかけで夏目漱石の長編を「猫」から遺作となった「明暗」まで全て発表順に読んでみたら、これが結構面白い!

それから吉川英治さんの三国志(文庫で全8巻)も読みました。

長編の歴史小説を読んだのは10代の頃に読んだ「竜馬がゆく」以来でしたが、長さを感じないくらいグイグイと引き込まれて、あっという間に読み終えてしまいました。

小説の魅力って、物語の中で疑似体験ができたり、感情表現や心理描写を通して「人」を知ることが出来たり、自分のイメージや感性を刺激されるところにあると思います。

ビジネス書でも起業家や経営者の方が書かれた自伝的なものを読むと感情が刺激されることがありますが、やはり!描写力では小説に敵わないと思うのです。

それに・・・

ビジネスって、よくよく考えると人(お客さま)の心を動かすことを求められますよね。

よく言われるように人の心は決して理屈だけでは動きません。

人は感情や感性によって動くのですからやはり、小説を読んで感性を磨くことが必要ではないかと。

◆良書を読むべし

本を読もうとするときに、それが自分が死ぬまでに読める残り何冊の一冊たるに値する本であるかどうかを頭の中で吟味してから読むべきである。

最近はお粗末な著者、お粗末な著書があまりに多いのである。

「「知」のソフトウェア」

どうせ読むのだったら、できるだけよい本、人がきちんと評価しているよい本を丁寧に読むことです。

「「読書力」養成講座」

読むべき本を吟味して、良書を読むべし

・・・って、当たり前と言えば当たり前ですよね。

誰が「この本は駄本に違いない!」と言いながら本を買ったり読んだりするでしょう・・・?

ただ一つだけ思うのは、気を付けていても、つまらない本を買ったりしてしまうんですよね。

そういう時、ついつい「きっと、そのうち良いコトが書かれているんじゃないか?」と淡い期待を抱きながら最後まで読んでしまうし、「せっかくお金を払って買ったのだから、最後まで読まないと勿体ない」って思ってしまうんですよね。

時間が人間にとって最大の制約条件になる

「読書の技法」

そう!惜しまなければいけないのは、お金じゃなくて時間なんですよね。

読んでいて、もうこれ以上は期待できない!と、思ったらさっさと読むのを止めてしまったほうが貴重な時間をムダにしないで済む!

これからは、そう考えようと思いました。

◇◆◇◆◇◆◇◆

さて・・・

書きたかった「読書ノート」の話しと本を読んだ後のアウトプットの話しがやはり今回も書き切れなかった・・・

本当にいつまで続くんだろう・・・?(汗)

そんなわけで、まだまだつづくのだ!

(「下篇」の後はなんていうのだ?)

 

  

posted by penguin-oyaji at 21:24 | Comment(0) | 知的生産・思考力・読書術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月19日

ボクは何で本を読むのだろう?(中編)

前回からの続きです。

私が今のように本を読むようになったのは2008年頃だから6年くらい前のことです。

なんで本を読もう!と思ったかというと・・・それまでは全くと言って良いくらいに本を読んでいなくて「このままではバカになる!」と何故か突然に危機感を覚えたんですよ。

だから、私にとっての読書って「バカにならない=頭が良くなりたい」がそもそもの目的だったんですよね。。

◆頭が良くなる読書

普段の自分が実は「考えている」のではなく、単に「感じている」のだというのがわかります。(中略)私たちは感じているだけで、実は考えていない場合が多い。考えを言語化していません。

「あなたを天才にするスマートノート」岡田斗司夫:著

普段、自分が本を読んだときにどのような反応をしているのか?ということを振り返って考えてみると・・・

「へ〜、知らなかった!」=新たな知識の吸収「なるほどね〜」=書かれていることを理解、納得「そう!そう!そうだよね!」=内容に共感

そして・・・「よしっ、ブログのネタにしよう!」・・・(^^;;

まぁ、だいたいこんな感じです。

本を読んで「感じる」ことはあっても、あまり「考える」ということはしていないような気がします。

情報を得ることだけが目的ではない。ロジックを追えるようになることが、論理思考力のアップ=頭がよくなるということです。

「「読書力」養成講座」

色々なコトを知っている、物知りの人を指して「あの人は頭がいい」と言うことってありますよね。

確かに知識があるコトも頭が良いってことなんでしょうけど、それだけじゃない!ロジック(論理)を『理解』して、自分の頭で『思考』出来るようになることも大切だと思うのです。

◇◆◇◆◇◆◇◆

ここ数年、本を読んできたことで多少なりとも知識は増えたと思うのだけど、自分で考える力が身に付いたという実感が全然ないんですよね〜

やっぱり・・・頭がよくなりたいなぁ〜♡

◆先ずは入門書を読んで基礎知識を身につけるべし!

基礎知識があるからこそ、該当分野の本を大量に読みこなすことができるのだ。

読書の要諦は、この基礎知識をいかに身につけるかにある。

「読書の技法」

いきなり難しい専門書を読むことは大変だと思うので、先ずは基礎知識を得るために入門書を読むのがセオリーですよね。そうそう、「サルでも分かる」ってやつです・・・ちょっと違うか(笑)

まず、よき入門書を手に入れるのが肝要である。

「「知」のソフトウェア」

立花隆さんは”よき入門書”の条件として以下の4つを挙げています。

・読みやすくわかりやすいこと・その世界の全体像が適確に伝えられていること・基礎概念、基礎的方法論などがきちんと整理されて提示されていること・さらに中級、上級に進むためには、どう学んでいけばよいか、 何を読めばよいかが示されていること

入門書選びということに関しては「読書の技法」の中で佐藤優さんが以下のようなことを指摘されています。

読者が知りたいと思う分野の基本書は、3冊もしくは5冊購入すべきである。1冊の基本書だけに頼ると、学説が偏っていた場合、後でそれに気づいて知識を矯正するのには時間と手間がかかる。

「読書の技法」

本の中では鳥は玉子から孵って最初に見たものを親鳥と思い込むと「刷り込み」を例えにして書かれていましたが、人間でも「最初」に見聞きしたものから受ける影響って大きいですからね。

そう言えば、勝間和代さんも本の中でこんなことを書かれています。

1つのことを知ろうとした場合には、できれば立場が違う人の話しや関連書籍をもとに、最低3つの視点から眺める「知の3点測量法」をお薦めします。

「新・知的生産術」勝間和代:著

佐藤さん、勝間さんともに言ってることは同じで、1冊の本に書かれているコトをそのまま鵜呑みにするのではなく、複数の本を読んで、より多方面から物事を理解することが大切だということですね。 

◆時間を掛けてでも読むべし!

きわめつきに難解な文章の意味をいくら時間がかかってもよいから徹底的に考え抜きながら読むことである。一節の文章を読み解くのに一時間も二時間もかけてよい。わからなければ、脂汗が流れ出てくるまでとにかく考えてみることである。

「「知」のソフトウェア」

線を引きながら、ゆっくりと、ときには気づいたことなどを本に書き込んだりしながら読みます。自分より頭のよい方が書かれた本をじっくり読むことによって、著者ほどのレベルにはなれないにしても、ゆっくりとなら追いつけるようになる。

引用文献を参照し、あっちへ行ったりこっちへ行ったりして読むその過程こそが、さまざまなものを関連づけ、広く深い論理を組み立てていく訓練、つまり論理的思考力を身につける訓練となるのです。

「「読書力」養成講座」

学生の頃、何か分からない問題などにぶつかった時に、先ずは教科書を読み、それで分からない時には参考書にあたり、尚かつ分からなければ別の参考書を開いたり、先生や友人に聞いたりしながら、何とか理解してやろうとあがいていたコトを思い出しました。(・・・理解しないとテストで点が取れないからね〜)

なのに!

今では本を読んでいて、ちょっと難しかったり分からなかったりすると「この本は分かりにくい!」と文句を言ってみたり、「自分には理解できないところがある」と自虐に走ってみたりなんちゅー自堕落ぶり!

「わからなければ、脂汗が流れ出てくるまでとにかく考えてみることである」そうなんですよね〜分からなければ、何としても分かってやる!っていう学生の頃のような気迫みたいな心構えがないといけないんですよね、きっと。。

ここで一句

分からねば 分かってみせよう ホトトギス

おそまつ・・・m(_ _)m

速読にはそれをこなせるだけのベースとなる知識、つまり、ある一定量のインプットの蓄積が必要です。

「「読書力」養成講座」

もっとも速読する場合も、その本に書かれている内容についての基礎知識がなければ、そもそも読書にならず、指で本のページをめくっているにすぎない。そういう指の運動を速読とは言わない。

「読書の技法」

速く、たくさんの本を読みたい!と思うのは読書家の共通の願いなのかもしれないけど、でも難しい本や未知の分野の本を読むのに時間が掛かるのは当たり前のことなんですよね。

前回、「本は、何冊読んだかではなくて、そこから何をどれだけ学んだか、自分のものとなったかが重要です」という小宮一慶さんの言葉を引用しましたが、やはりどれだけ読んだかという冊数にこだわるよりも、線を引き、関連書も参照し、自分の頭で考えたりしながら時間が掛かっても、とにかく丁寧に読み込んでいくことが大切なんだなぁと思った次第。

◆まとめ ・先ずは基礎知識を身につけるために基本書(入門書)を読む・入門書は1冊だけを読むのではなく3冊から5冊くらいを読み、 複数の視点から学ぶ・線を引いたり、気付いたコトをメモしながら論理を追い丁寧に読む・ 関連図書や参考文献などと関連付けをしながら読む・ 基礎知識のない分野の本では速読できない

----------------

今日、ココに書いたことって「○○学」とか「●●力」みたいに理屈で学ぶべきことについて書かれた本を読むためのものだと思います。

でも・・・!

私たちが読む本ってそれだけじゃないですよね。小説を読んで感性を磨いたり、啓発本を読んで意識を高めたりもします。

そういう本の読み方についてはまた次回ということで・・・まだまだ「つづく」のだ!これでイイのだ!(by バカボンのパパ)

  

  

posted by penguin-oyaji at 21:36 | Comment(0) | 知的生産・思考力・読書術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月18日

ボクは何で本を読むのだろう?(前編)

昨年の11月のこと。

毎年、100冊くらいは本を読もうと目標を立てるのだけど、

年初から何冊くらい読んだかなと集計してみたら

何と!50冊弱。。

「あ〜、これじゃ100冊はムリだなぁ」と思ったと同時に

『なんで本を読むんだろう?』という根源的な疑問が浮かんできたのです。

何故、本を読むのか・・・?

そんなコトをつらつらと考えながら、

それまでの読書体験を振り返ってみると次のような反省点が思いつきました。

1)読んだ本からの学びが身についてない

   せっかく読んだのに本の内容を覚えてないことが多い

2)そもそも本を読む目的が曖昧

   「なんとなく面白そう」とか「話題になってるから・・・」という感じで

   その本を読む目的が明確でないことが多い   

3)つまみ読み

   その場、その場の興味の赴くままに本を読んできたので、

   体系的な知識が身に付いていないし、

   基本書が押さえられていないことも多い。

   例えば、マーケティングについての本は色々と読んできましたけど、

   基本中の基本、コトラーの「マーケティングマネジメント」を

   読んでないんですよ、私。

4)ブログ更新が主目的になっていた

   本を読んで学んだこと、気付いたことをアウトプットする目的で

   始めたこのブログですが、いつのまにかブログを更新するために

   本を選んだり読むことが増えていたような気がします。

(5)読書ノートが継続できない

   色々な方の書き方を参考にしながら読書ノートを作成したりしたのですが、

   デジタルか手書きで悩み結局は一元化できず、継続もできていない。

   それに加えて、読書ノートを作ることが目的化してしまい、

   書いただけで満足してしまって、読み返すなどノートの活用ができてない

・・・と、まぁひどい有り様です(恥)

とにかく少し軌道修正をしなければなるまい!と思い、原点に立ち返って

読書について書かれた本を何冊か読み返してみました。

チョイスしたのはこちらの3冊。

ビジネスマンのための「読書力」養成講座 (ディスカヴァー携書)

ビジネスマンのための「読書力」養成講座

小宮一慶:著

ディスカヴァー携書

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

読書の技法

佐藤 優:著

東洋経済新報社

「知」のソフトウェア (講談社現代新書 (722))

「知」のソフトウェア

立花 隆:著

講談社現代新書

読書の目的

本は、何冊読んだかではなくて、そこから何をどれだけ学んだか、

自分のものとなったかが重要です。

「「読書力」養成講座」

10冊の本を読み飛ばして不正確な知識をなんとなく身につけるより、

1冊の本を読み込み、正確な知識を身につけたほうが、将来的に

応用が利く。

「読書の技法」

つまり・・・私の場合、「年間に100冊の本を読む」という目標の立て方に

問題があったような。。

思えば、自分は何を知りたいのか?という本を読む前の目的意識が

少し薄かったようにも思います。

表面的に理解するだけでは不充分

書いてあることに納得するということ、きっちり理解するという

ことです。表面的に分かった、というのではなく、自分自身のものと

なるまで理解することです。

「「読書力」養成講座」

字面を追うことと読書は、まったく異なる。(中略)日本語でも

とりあえず言葉の意味がなんとなくわかる(この「なんとなく」が

くせものだ)ということと、テキストの内容を理解することは、

本質的に別の事柄だ。

「読書の技法」

単純に言葉の表面をなぞって分かった気になってはいけない、

ということですよね。

自分の言葉で言い換えてちゃんと説明できるかどうかで、

理解できたかどうかが分かるような気がします。

現象(WHAT)を知って、その理由(WHY)を考え、それを

自分の仕事や人生にどのように生かすか(HOW)を、本を読んで

身につけるのです

「「読書力」養成講座」

重要なことは、知識の断片ではなく、自分の中にある知識を

用いて、現実の出来事を説明できるようになることだ。

そうでなくては、本物の知識が身についたとは言えない。

「読書の技法」

特にビジネス書の場合は、読んで理解してそれで終わりじゃ意味ないですよね。

ブログで「共感した!」と書くのもなんか違う気がする。

本で得た知識やノウハウを使って、自分の仕事に応用したり、

問題解決ができて初めて本を読んだ意味が生まれるような気がします。

まとめると・・・

自分の言葉に置き換えて説明できるくらいにきちんと理解をして、

なおかつ、その知識などを応用して現実問題に対処できるようになって

はじめて「本を理解して読んだ」ということになるわけですね。

読書について当たり前と言えば、当たり前のことなのですが、

私の場合は、ちょっとこういう基本が疎かになっていたように思いました。

さて、例によってまた長文になってきているので、

今日のところは取りあえずココまで。

次回以降は

・どういう本を読めば良いのか?

・読書から得られるもの

・読書ノートのまとめ方

・良質なアウトプットのためのインプット

・・・こういったところについて、まとめてみたいと思ってます。

では、「つづく」ということで。。

  

posted by penguin-oyaji at 15:21 | Comment(0) | 知的生産・思考力・読書術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月09日

宅急便で日本を変えた男の物語【「経営学」小倉昌男】

小倉昌男 経営学 

「経営学」

小倉昌男:著

日経BP社

今更ながら・・・名著「経営学」を読みました。

あまりに有名な本ですから既にご存知の方も多いと思いますが、クロネコヤマトの宅急便を創り上げたヤマト運輸の元社長・小倉昌男氏がその立ち上げから成功までの苦闘を赤裸々に語った一冊です。

Mac、iPod、iPhoneによって世界中の人々の生活を変えたのがスティーブ・ジョブズでなら、宅急便によって日本人の生活を変えたのが著者、小倉昌男氏だと思うんですね。

今、当たり前のようにある宅急便という生活インフラ、それがどのように築かれてきたのか、その考え方、決断、行動力、周囲の反応、そういう経営の根幹の部分にまで言及されていてまるで上質のドキュメンタリー番組を見ているかのようにわくわく、ドキドキしながら読むことが出来ました。

Amazonの内容紹介

「儲からない」といわれた個人宅配の市場を切り開き、「宅急便」によって人々の生活の常識を変えた男、小倉昌男。

本書は、ヤマト運輸の元社長である小倉が書き下ろした、経営のケーススタディーである。

   全体を通して読み取れるのは、「学習する経営者」小倉の謙虚さと、そこからは想像もできないほど強い決断力である。成功した人物にありがちな自慢話ではない。

何から発想のヒントを得たか、誰からもらったアイデアか、などがこと細かに記されている。講演会やセミナー、書籍、マンハッタンで見た光景、海外の業者に聞いた話、クロネコマークの由来…。

豊富なエピソードから伝わってくるのは、まさに学習し続ける男の偉大さである。

■経営とは論理の積み重ねである 

経営とは自分の頭で考えるもの、その考えるという姿勢が大切であるということだった。 

経営とは論理の積み重ねである。

(中略)

なぜ他社が成功したのか、自社の経営に生かすにはどこを変えるか、論理的に考える必要がある。考える力がなければ経営者とはいえない。

当時、運輸業会の誰もが「儲からない」と思い込んでいた個人宅配市場に着眼し、どのようにしたら儲けが出て事業として成り立つのか?

この命題に対して、論理を積み重ねて「解」を導き出す様子を読んでいて、私は思わず「なるほどなぁ〜」と感嘆してしまいました。

『論理的思考(ロジカルシンキング)』という言葉は知っていましたが、なるほど!ビジネスの現場でこうやって使うものなんだ!と目からウロコがボロボロと剥がれ落ちたような思いです。

(知っているコトと、使いこなせるというコトは違うんですよね)

それから・・・

全国ネットワークを構築するにあたり、どれだけの物流拠点(センター)を作れば良いのか?その答えを導くにあたり全国の郵便局や公立中学校、警察署の数を調べて検討するシーンが書かれているのですが、これなんて仮説思考とかフェルミ推定のケーススタディだと思うんですよね。

『経営とは自分の頭で考えるもの』

儲からないと思われていた宅急便が成功したのを見ると、同業他社がそれこそ雨後の筍のように個人宅配市場に参入してきたそうだが、所詮、猿真似はサルマネである。

自分自身も、ともすると成功事例を丸パクリすることがなきにしもあらずだが、自分の頭で考えるコトの大切さと、考えるとはどう云うコトなのかということをこの本で改めて教えられた思いがしました。

もっとも・・・

最初にこの宅急便の事業化を役員会に諮った時には全員から反対されたそうだが、その反対を押し切って納得させるだけの胆力や行動力がなければ、いくら良いことを考えても、絵餅になってしまうと思うだが。

■社長の仕事

「サービスが先、利益は後」という言葉を、社長が言わずに課長が言うと、そこの社長に、「お前は利益はなくても構わないと言うのか」とこっぴどく叱られるおそれがある。

「サービスが先、利益は後」というのは、社長だから言える言葉である。だからこそ、逆に社長が言わなければならない言葉なのある。

今は昔。

私が当時、勤めていた会社が経営危機に陥り役員でもあった私もご多分に漏れず、いくつもの新規事業を検討したりしていたことがあります。

でも・・・そう簡単にウハウハ儲かるビジネスなんてそうは無いですよね。。

初期投資を回収して利益が出るようになるまでは、数年は掛かるものばかり。

そんな時に、「最初は利益が出ませんが、こういうサービスを提供すれば必ず利益が出るようになる筈です!」なんて、そう簡単には言えないし、「それじゃ、利益が出るまでどれくらい掛かるんだ?」と聞かれて「はい。。恐らく3から5年くらい・・・」などと言おうものなら「何を暢気なコトを!」と一蹴されておしまいです。

小倉氏が宅急便の事業化を役員会に諮った当時、ヤマト運輸も商業貨物の市場で他社に破れ、経営的にジリ貧に陥っていたそうです。

そんな危機的な状態の時に「利益は後」と言えるのはやはり社長だけだと思うんですよね。。

経営者・・・と言うよりは、社長だからこそ言える、

社長だからこそ決断できる

そういう仕事があると思うんですよ。

よく経営者、社長は孤独だ、と言われることがありますよね。

「サービスが先、利益は後」

この言葉、一介の社員が言うのと、社長が言うのとではやはり重みが違うんですよ。

この本を読みながら、社長だからこそ出来る、しなければならない仕事があることを再認識するとともに、稀代の名経営者、小倉昌男氏と言えども一人の人間としてやはり孤独と闘っていたのだろうか・・・?

そんなことを思ったりもしました。

■「ありがとう」のプレゼント 

当初は文句を言っていたヤマト運輸の古株社員ドライバーたちも、宅急便の配達に行って、お客様からありがとうとお礼を言われるようになってから、様子が変わった。

商業貨物を運んでいた彼らは、それまで貨物を配達に行ってお礼など言われた経験がなかった。

そのため、びっくりするとともに感激してしまった。そして段々やる気が起ってきたのである。

宅急便サービスを始めるにあたり、ヤマト運輸ではそれまでトラックの運転手をしていた社員たちに、これからは「サービスドライバー(SD)」として運転だけではなく集金や伝票書き、コンピューターへの入力、問い合せへの対応など一人で何役もやって欲しいと行ったところ、「俺たちは運転手だ。そんなこと出来ない!」と拒否されたそうです。

でも、そんなドライバーたちもお客さまから言われる「ありがとう」の言葉に心が動き、積極的にセールスドライバーとしての仕事をするようになったのだとか。

このお客さまからの「ありがとう」の話しは本書の中でも何度か繰り返し書かれているのですが、それを読む度に私、不覚にも(?)ジーンと熱いものを感じてしまいました。

よく「何のために働くの?」ということが言われますが、仕事って基本的には自分以外の誰かのお役に立つためのものだ、というのが私の考えです。

でも、日常の仕事の中で誰かの役に立っているというコトを感じにくい仕事があるのも事実。

でも、そのような仕事であっても「ありがとう」というたった一言が自分の仕事の意味を教えてくれたりするんですよね。

「ありがとうで返事をしよう」と言ったのは我が師匠、和田裕美さんですが、その「ありがとう」のプレゼントの意味を改めて本書を読みながら再確認できたように思います。

■最後に■

この本の冒頭。宅急便を始める前からヤマト運輸が永年、取引をしていた三越百貨店との取引から撤退(契約解消)するシーンが書かれています。

なぜ永年取引をしていた三越百貨店との取引を停止したのか・・・?!

えっ、そんなことまで書いちゃっていいの?と思うくらいに赤裸々な事実が書かれていて、小倉昌男氏の生々しい感情と悔しさみたいなものが滲み出ているのには、驚きました。

ビジネス書でありながら、理論や経営問題だけでなく生身の人間としての感情までもが綴られているところにもこの本の面白さがあると思います。

「名作とは再読に耐えうるものだ」と言った人がいますが、この本は読み返してみたら、きっとまた新たな発見があるんだろうな、と思うくらいに宅急便という一つのビジネス、引いては小倉昌男氏という一人の人としての生き様を描いた名作だと思うのです。

なぜ、もっと早くにこの本を手にしなかったのか?!

個人的には、そんな後悔の念も感じながら読了しました。

もしも・・・!まだ読んでないという人は直ぐに本屋さんへGO!なのだ。

posted by penguin-oyaji at 16:05 | Comment(0) | ビジネス書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月26日

自分の生き方を貫く姿に心が痺れた!傑作ハードボイルド「深夜プラス1」

深夜プラス1 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 18‐1)) 

「深夜プラス1」

ギャビン・ライアル:著

菊池光:訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

「おら、ハードボイルドだどぉ」

・・・と言っても、クレヨンしんちゃんではない!

トリオ・ザ・パンチのコメディアンでもあり、新宿ゴールデン街にその名も「深夜プラスワン」というバーを経営していた内藤陳さんのギャグの名台詞である。

その内藤さんが生前にモーレツにプッシュしていたハードボイルド小説の傑作がこの本。

なんたって自分の経営するバーの店名にするほど惚れ込んでいたのだから。

版元・早川書房の内容紹介

ルイス・ケインの引き受けた仕事は、男をひとり車で

リヒテンシュタインへ送り届けること、タイムリミットは

深夜プラス1。だが、フランス警察が男を追っているし、

男の敵は名うてのガンマンを差し向けてきた! 

執拗な攻撃をかいくぐり、ケインの車は闇の中を疾駆する! 

英国推理作家協会賞受賞の名作冒険小説

本をエンリピする

名作だけあってネットを検索してみると、この本を一度ならず二度、三度・・・と何度も繰り返し読んでいる人がけっこう見受けられる。

よくお気に入りの音楽を何度も繰り返し聴くことを「エンリピ」(エンドレスリピート)と言うコトがあるけど、まさにこの本をエンリピしている人がいっぱいいるのだ。

この本の解説を書かれた作家の田中光二さんが、優れたエンターテイメント作品は再読、再々読に耐えられるものであるということを書かれている。

単なるストーリ展開の面白さだけを味わうなら初読だけで充分だが、作中の随所にはられた伏線、罠、会話の妙などを味わうためには、繰り返し読む必要がある・・・というか、そういうストーリ展開以外のところまで実にしっかりと描かれているからこそ再読、再々読にも耐えられるということだろう。

斯く言う私は・・・三度目くらいかな。それも今回は10数年ぶりだったので、ストーリー自体も忘れてしまっていたので、まるで初めて読むような感覚で読みました(汗)

自分が自分であるために!

というわけで、超・久しぶりにこの本を読み返したわけだが、いや〜、やっぱり痺れました!

ストーリ自体は上の「内容紹介」にもあるように、主人公のルイス・ケインが一人の実業家を定刻までにリヒテンシュタインへ送り届ける。

ただし、その実業家は警察からもそして殺し屋に追われているという設定なのでドンパチもありますが、至極単純なもの。

(まぁ、最後には「えっ?!」という展開があるのだけど)

で、何に痺れたかというと物語の終盤。

ケインがヨーロッパ最強のガンマンと対峙する場面があるんだけど、そこでの彼の台詞。

〈あるいは、自分がカントンだからか?〉

〈(報酬の)一万二千フランというのは計算することができる。

これでは少なすぎると言って断れば受け取らなくてすむ。

だが、カントンであるということは計算できない。

計算ずくで後へ退けない。そのために、わずか一万二千フランのためとはとうてい考えられないようなことをする・・・・〉

カントンというのは、主人公、ルイス・ケインの別名で、昔、レジスタンスの地下活動をしていた頃にそう呼ばれていた。

ヨーロッパ最強のガンマンと戦っている時にケインが最もこだわっていたのは、報酬金ではなく、自分がカントンであり続けること。

つまり、『自分が自分であること』だったと思うんですよ。

自分の誇りのため、と言っても良いかも知れない。

だから自らの命を懸けて戦えた。

ルポライター・沢木耕太郎はエッセイの中で優れたハードボイルドに必要なものとして「魅力的な悪女の存在」と「了解し合える男の存在」という二つの要素を挙げた。

確かにその通りだと思う。

だが!

敢えてそこにもう一つ付け加えるなら、

自分の生き方を曲げずに貫く(ある意味、不器用な)生き様

が描かれていることだろうと思う。

不器用な生き様・・・といえば、ケインの相棒、ハーヴェイ・ロベルも同じように器用には生きられないナイーブな心の持ち主と言えるだろう。

ロベルはアル中のガンマンなのだけど、なぜ彼がアル中になったのか、その理由が本当に泣かせる。。

ナイーブな優しい心を固い殻で包んだ・・・そんな表現が似合う男なのだ。

そしてラブストーリーも・・・

「ほんとうはあなたと結婚して、あなたの戦争をとめてあげなければ

いけなかったんだわ」彼女は私の顔を直視した。

(中略)

自分が心にかけた唯一人の女から、他の男と結婚したのは間違いだった、

と言われるようなことはめったにないことだ。それも、今からでも遅く

ないのだ、と訴えている。

物語の中盤に登場するジネット・マリスという女性はケインのかつての恋人。

その彼女から思いがけず飛び出た愛の言葉。

思春期に経験する淡い憧れのような初恋もあれば、人生の酸いも甘いも経験した後に気付く恋もあるというわけですね。

あなたと一緒になってやり直したい

くぅ〜〜〜、そんなこと言われてみたいぜ!

【最後に】

久しぶりに「深夜プラス1」を読み返したついでに、

内藤陳さんが書かれたオモシロ本ガイド「読まずに死ねるか!」や

「読まずば二度死ね!」もパラパラと読み返してみた。

『コーヒー1杯のむ金があるなら本を読め!』と豪語していた内藤さんだけあって、本に対する愛情が溢れていたし、思わず読みたい!と思わせる文章力はさすがだと感じた。

昔、ネットの書評ブログなんてなかった頃は、こういうガイド本なんかを頼りにして本を読みあさっていたんですよね〜

「ジャッカルの日」

「初秋」

「長いお別れ」

どれも、内藤さんに導かれて20代の頃に読んだ冒険小説の傑作たち。

ビジネス書もいいけど、こういう冒険小説もやっぱりいいよなぁ〜と改めて思いました。

また読み返してみようかな。

posted by penguin-oyaji at 17:07 | Comment(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月15日

翌檜(あすなろ)の哀しみ【百田尚樹:「モンスター」】

モンスター (幻冬舎文庫) 

「モンスター」

百田尚樹:著

幻冬舎文庫

このブログで久々の「小説」記事です!

こちらのブログでこの本を紹介しているのを読み、「おっ、面白そうじゃん!」と思い手にとりました。

でも、本屋さんで帯を見たら既に80万部突破のベストセラーで映画も製作されて公開されたとか・・・

全然、知りませんでした!!(^^;;

「産業カウンセラー」を学ぶお話好き 外見ゆえのヒエラルヒー〜「モンスター」

文庫版で487ページとけっこう分厚いのですが、読み始めたら面白くて一気読み!

久々のジェットコースター本でした。

Amazonの内容紹介 

田舎町で瀟洒なレストランを経営する絶世の美女・未帆。

彼女の顔はかつて畸形的なまでに醜かった。

周囲からバケモノ扱いされる悲惨な日々。思い悩んだ末に

ある事件を起こし、町を追われた 未帆は、整形手術に目覚め、

莫大な金額をかけ完璧な美人に変身を遂げる。

そのとき亡霊のように甦ってきたのは、ひとりの男への、

狂おしいまでの情念だった。

ひたすらモテない日々

私はブスだった。

いや、ブスという言葉は軽過ぎるーーーそう、私の顔は畸形的とも

いえる醜さだった。(P37)

物語の前半、畸形的とも言えるほどに醜く生まれてきた少女が親や周囲の子どもたちから「ブス」「バケモノ」と呼ばれながらも男の子に恋をして、でも結局は報われない・・・

そんな話しが続きます。 

醜い少女が愛された話はどこにもない。

美しくない女はヒロインになれないと、多くの物語は教えてくれる。

映画のヒロインは皆美人で、少女漫画のヒロインはみんな可愛い。

(中略)

私のようなブタでブスは女でもないのだ。

私には恋なんて縁のないものだと思っていた。(P52)

自分が異性にモテないのは、外見がブスだからだ。

しかし、外見がどうであれ思春期と呼ばれる時期になると人は恋をする。

こんなブスな自分でももしかしたら・・・!

外見よりも性格で選ぶ人だっているかも知れない。

そんな淡い期待を抱きつつも、結局は報われずに散っていく。。

15・16・17と私の青春、暗かった・・・

そんな人生でしたからね、私も。

読みながら、「そうそう、その気持ち分かるわぁ!」と妙に納得しつつ共感しながら読みましたよ。

この本の中に「美人は得をする」みたいなことも書いてありますが、それは男も同じこと。

格好よくて、スポーツもできて、頭もいい!

そういう男(私の敵じゃ!)は、早い時期から女の子にモテるから、女性との付き合い方も磨かれていき、ますますモテるようになるという好循環が生まれます。

私のようにモテないと、デートするにもオドオドして女性から呆れられ、「モテないスパイラル」からなかなか脱却できないんですよ。。

おっと、私のモテない自虐ネタは横に置いておかないと、

いつまでも話が進まない。。

変身願望

主人公が社会人になったある日、たまたま雑誌に掲載されていた美容整形の広告に目がとまり、二重瞼になるための整形手術を受けます。 

ーーーあの日、私が欲しかったのはこの目だ。

ついに手に入れた。たったの八万四千円で。ずっと欲しくて永久に

手に入らないと諦めていたものは、こんなわずかな金で手に入る

ものだったのだ。なぜ誰も教えてくれなかったのだ。(P157)

整形により美しくなる手段を知った主人公は同時に、見た目が変わることにより周囲の反応が変わることも知ります。

物語の中で初めて街でナンパされたシーンは象徴的。

二重瞼になる整形を皮切りにして、鼻、口元などなど次々に整形を繰り返していき、その度ごとに周囲の反応もどんどんと変わっていきます。

そして最後には「絶世の美女」へと変貌を遂げるのです。

もちろん、整形を受けるための費用を稼ぐための生活の苦労も描かれていて、「そこまでしても、綺麗になりたいのか?」と思わずにはいられませんでしたが・・・

整形を受ける度に「美のヒエラルキー」の中での自分のポジションが上がっていく。

最下層にいた頃は「ブス」「バケモノ」と呼ばれていたのが整形を受けて綺麗になっていくごとに街でナンパされたり、「愛している」と囁く男性が現れたりして確実に自分のポジションがあがっていくのを実感するわけですね。

整形を受けるかどうかは別として、「変身願望」を持っている人は割と多いのではないかと思う。

例えば髪型を変えてみたり、女性だったらメイクを変えてみる。

眼鏡を変えてみるだけでも印象って変わる。

コスプレなんかも変身願望の表れですよね。

何故、人は変身してみたいと思うのか・・・?

理由は人それぞれだと思うけど、私は変身することによって、今の自分とは違う人生を味わってみたい!

そんな願望が心のどこかにあるのではないかと思う。

もしかしたら、歩んでいたかも知れない別の人生。

「人は見た目が9割」とかっていう本もありますが、外見を変えることで、周囲の人の反応も変わるというのはやっぱり事実だと思うのです。

周囲の人から「ブス」「バケモノ」と言われる人生と「綺麗だね」「素敵だ」と言われる人生。

そのどちらを選びたいですか?

もしも、今の自分が「人並み」「十人並み」であったとしても、ほんの少し勇気を出して、変身することで綺麗と言われる人生を味わうことが出来るとしたら・・・

主人公はある意味、病的とも言えるほど何かに憑かれたように整形を繰り返すという極端な行動に出ますが、多くの人が心のどこかに抱いている変身願望を描いているとも考えられるのではないかと思うのです。

翌檜(あすなろ)

整形によって、見た目が変わり、周囲の反応も変わると書きましたが、変わるのはそれだけではなく、自分の心の在り方も変わっていくんですね。

そして・・・

絶世の美女へと変身できたからこそ、「もしかしたら、今なら・・・」と断ち切った筈の昔の恋へと向かっていき、物語は結末に向けて走り出します。

実は物語の中で主人公の女性は同一人物であるにもかかわらず、田淵和子と鈴原未帆という二つの名前を持っています。

(なぜか?については読んでみて下さいね)

「田淵和子」が畸形的とも言われるほど醜い少女時代の名前で、「鈴原未帆」はその醜い外見から整形を繰り返し絶世の美女へと変身を遂げた名前、そんな感じです。

鈴原未帆は絶世の美女へ生まれ変わったわけですから世の男性どもが放ってはおかない。

だけど・・・最後、田淵和子として愛されることを欲するのです。

それが、映画化された時のコピー

「私はバケモノ。それでも愛してくれる?」につながるのですが・・・

ネタバレ自重で詳しくは書きませんが、この物語の最後をどう意味付けするかは、きっと読む人によって違ってくるんだろうなぁ、って思います。

私はエピローグの最後の1行を読んだ時に、鳥肌が立ちましたが。

話が少しそれますが・・・

「翌檜(あすなろ)」という樹をご存知ですか?

見た目は檜(ひのき)のようなんだけど、やはり別種なので、当然、翌檜が檜の樹になることはないんですね。

翌檜という名前については「明日は檜のように立派な樹になろう」→「明日はなろう」→「あすなろ」という謂れがあり、叶わぬ願いを表すとも言われてます。

(※さだまさしの「明日檜」はそんな歌です)

この物語を最後まで読み終えた時、「これは田淵和子にとってのあすなろ物語」だと思いました。

整形を繰り返し、絶世の美女へと変身し、手に入れたかったものに手を伸ばす。

だけど・・・

翌檜がヒノキになれないように、田淵和子もまた。。

最後に・・・

読みながら思ったもう一つのこと。

男が女心を描くのはとても難しい・・・ということです。

うまく言葉にできないのだけど、読んでいても主人公の心理描写になんだか分からない違和感を感じたんですよね。。

確かに女性の心理を描こうとしているんだけど、どこか男目線というか、男が理解している女心とでもいうのでしょうか。。

それは読んでいる私が男だからなのかも知れないけど・・・

女心ってもっとどこか男が理解し得ないミステリアスな部分があると思うんだけどなぁ・・・

女性がこの物語を読むと主人公の女心はどんなふうに感じるのでしょう?

posted by penguin-oyaji at 18:18 | Comment(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月14日

ビジネスマンが学校の先生から学ぶべき大切なこと『わかる「板書」伝わる「話し方」』

わかる「板書」 伝わる「話し方」 

『わかる「板書」伝わる「話し方」』

栗田正行:著

東洋館出版社

現役高校教師にしてビジネス書作家、栗田先生の待望の新刊です!

 

この本は学校の先生やあるいは学習塾の講師など教育の現場に携わっている先生向けに授業をするうえでの必須スキル、「板書」と「話し方」についてまとめられている本です。

 

な〜んだ、それじゃわしは先生じゃなかけん、関係ないたいね〜(何故か博多弁!)と思うのは早計!

 

ビジネスの現場でも充分に役立つスキルそして考え方が書かれてますよ!

 

Amazonの内容紹介 

先生のための教育実用書は数多くありますが、本書は「先生のための

ビジネス書」として、生まれました。

著者が独自に編み出した「板書」で大切な「CHALK(チョーク)の法則」

や、わかりやすい「話し方」のエッセンスを図書館のお話会や

セミナー講師などから、より実践的にまとめています。

子どもたちの心をつかむ授業を行うための1冊!

なお、この本は著者である栗田先生から頂戴しました。

 

ありがとうございました!

 

素晴らしき板書テクニック

【矢印だけでも4つの効果がある】

(1)時間の関係を表す

(2)因果関係を表す

(3)順序関係を表す

(4)位置関係を表す

ここで重要なのは、たくさんの言葉で説明しなければならない内容を

視覚に訴えて、ひと目で見せることなのです。(P22) 

【箇条書きを活用する】

「KISSの原則」というものがあります。

これは、「Keep It Short & Simple」の頭文字を取ったもので、

とにかく「短く」「単純に」まとめることがわかりやすくするための

原則であるというものです。

ですから、授業においても短く単純にまとめられる箇条書きは

活用すべきなのです(P33)

【「見出し」という名のフックをかける】

私が考える「見出し」としては、次の三種類があります。

1・・・学習内容、学習している箇所を提示する役割をもつもの

2・・・学習内容の重要度を表すもの

3・・・学習内容の理解を補填するもの

(中略)

チェックポイントを書く一番の目的は、授業内容にいかに付加価値を

つけるかということに尽きます。(P47)

学校で授業を受ける時に「板書」って大切だと思うんですよね〜

 

私が小学校高学年の時の担任、M先生はとても板書がうまかった!

 

上に本書に書かれている板書スキルをいくつか書き出しましたが、M先生はまさに、そのスキルを実践されていたと思うのです。

 

箇条書き、キーワードを矢印で結んだりしながら「流れ」や因果関係を図解してその中で重要なポイントは何なのかを板書で示してくれていたのです。

 

手前味噌な話しですが・・・

 

私はそのM先生の板書のおかげで、物事をビジュアルで理解するというクセがつきました。

 

それは中学、高校・・・そして社会人になっても忘れることはなく、いまだに、何か企画書などを考えたり書いたりする時には、頭の中で先ず最初に絵というかチャートを思い描くんですよ。

 

言い換えれば、私の思考のクセはM先生の板書によって形づくられたのです。

 

それくらい、板書って生徒さんに影響を与えるものだと思うのです。

 

そんなわけで、いまだにM先生の板書テクニックの呪縛(?)から逃れられない私は会社で会議のファシリをやったりする時にはホワイボードなしではうまく進行できないくらい!なのです。

 

実際、この本の中でも赤・青・黒のホワイトボードマーカーの色をどのように使い分けると良いかという実践的な解説とかも書かれています。

 

ビジネス現場でも使いたい!伝えるテクニック

私がこのように発問回数を多く設ける理由は次の三つです。

・発問に答えることで、授業に参加している気持ちになる

・授業に対する緊張感を維持させる

・「発問」→「答える」というサイクルによってコミュニケーションになる

(P146)

「発問」というのは、授業中に先生が生徒を指して質問するというアレです(笑)

 

「指されたらどーしよう?!」と焦りまくっていた学生時代の思い出がww

 

前職で学生さん相手に会社説明会をやる時や、研修の講師などをしていた時に私もけっこう聞き手の皆さんに質問してたなぁ〜とちょっと懐かしく思い出しながら読みました。

 

もっとも私の場合は場当たり的にやっていたのに対して、この本では発問することによる効果や、「間違っても良いんだよ」という場の雰囲気づくりなどが詳しく書かれていて、今さらながら「お〜、そうかそうか!」と頷いてしまいました(って、遅過ぎ!)

 

私は保護者に電話するときには、少し高めの明るい声で話すように

しています。(もちろん、話す内容にもよりますが)。電話の場合は、

対面で話すよりも声で与える印象が強いため、低い声だと暗い印象を

与えてしまうこともあるためです。(P125)

 

こういう電話で話す時のトーンって、案外と教えられていないことが多いような気がします。

 

「電話では機械を通す分、普通の話し声よりも低くなってしまうから、いつもより少し声のトーンを上げて話すと良い」ということを私が知ったのは、社会人を10年以上も経験してからでした。

 

(ちなみに和田裕美さんの「人に好かれる話し方教室」で教えて貰いました)

 

「オノマトペ」とは擬音語、擬態語、擬声語の総称です。

(中略)

「チャッチャッと片付けよう」

「パクパク食べよう」

「問題をドンドンやってみよう」

この「オノマトペ」はメールでいえば、絵文字や顔文字のようなもの。

なんだか分からないけど伝わるのです。(P160)

 

よくTwitterを眺めてると時々、絶妙なオノマトペ使いがいたりして、その度に「面白いなぁ」って思うんですよね。

 

この本にも書かれていますが、有名なのが巨人の長嶋監督が打撃テクニックをコーチする時に「ビューと振ってバーンと打つ」という指導方法。

 

ビューとかバーンじゃ分からん!という声もあるかと思いますが、私は個人的に、こういうオノマトペってうまく使えば、人にものを伝えるのにとても有効なテクニックじゃないかなぁって思うのです。

 

例えば・・・

 

「積極的に攻める」

 

「がしがし攻める」

 

何となく後者の方が迫力が伝わるんじゃないかなぁって思うのですが、いかがでしょうか?

 

行間から伝わる大切なこと

私は教育者でもないし、学校の先生でもないので、こういう先生向けの実用書を読んだのはこの本が初めてでした。

 

他の教育書にどういうコトが書かれているのか知らないのですが、少なくともこの本は実用テクニックとか教育のためのスキルだけが書かれている底の浅い本ではないと感じました。 

 

「黄色は一番目立つ色なので、授業で重要な部分に使う」ということを

あからじめ説明することが大切なのです。これは、子どもに「言わなく

てもわかる」ではなく、「言っておくからこそわかる」ことです。

(P43)

教育というと、つい「上から」になったり、教える側の先生(講師)が主体となった考えや行動になりがちだったりする場合もあると思うのですが、本当は教えられる側(生徒さん)がちゃんと理解することが一番大切なんですよね。

 

だから、そのためには生徒目線に立って、どういう点に気を遣う必要があるのか、この本に書かれているテクニック、スキルは全てその目線で書かれています。

 

でも、だからと言って最近、流行の友だちみたいな先生になれ!というワケではない。 

 

私の場合、子どもが「先生、宿題忘れた〜」と言ってきたら、言葉遣いが

悪いことを厳しく諭すのではなく、「『先生、宿題忘れました』だよね」と

伝えて、言い直させるようにしています。(P106)

 

ちゃんとスジを通すべきところは、スジを通す!

 

こういうちょっとしたコトを叱る(怒るではない)オトナが少なくなってきた今だからこそ、こういう指導も大切なんでしょうね。

 

○○○

 

「行間を読む」という言い方がありますね。

 

言葉としては書かれていないけど、言外に込めた作者の思いを読み取る、という意味ですが、栗田先生の文章は「行間から優しい愛が感じられる」文章だと私は思うのです。

 

その行間に込められた優しさは栗田先生の処女作のこちらを読んだ時にも感じたものでした。

 

仕事も家事も育児もうまくいく!  「働くパパ」の時間術 

ペンギンオヤジのB読書!: 仕事も家庭も将来への自己投資も全てをあきらめない!「働くパパ」の時間術

私は栗田先生の授業を受けたことも見たこともありませんが、この本を読むと、きっと、とても丁寧で優しく分かりやすい授業をしている栗田先生の姿が目に浮かんできます。

 

その優しさは上の方でも書いた通り、一本スジを通しながらも、生徒さんへの気遣いとか心配り、そして何よりも以下の言葉に込められた栗田先生の信念があればこそ、優しさだと思うのです。 

 

あなたが変われば授業が変わる。授業が変われば子どもが変わる。

この言葉を本気で信じているからこそ、この本が誕生したのです。(P171)

 

ビジネスマンであれば、栗田先生のこの言葉を「私が変われば後輩(部下)が変わる。後輩が変われば会社の未来が変わる。」こんなふうに言い換えても良いかもしれませんね。

 

学校であれ会社であれ、人を教え育てるというコトは、未来を創ることに通じると、私は思うのです。

 

「餅は餅屋」という言葉がありますが、教育の現場には人を教え育てるために長年、先人たちが遺してくれた多くのものが蓄積されていると思うのです。

 

最近は「即戦力!即戦力!」とまるで人を育成することを放棄するかのような風潮がなきにしもあらずですが、それでもビジネスの現場に於いて人を教え育てるコトは大切なことだと思うのです。

 

そんな育成の場面において、ビジネスマンが我流で教え育てようとするのではなく、学校教育の現場から学ぶべき大切なことがある!

 

ということを教えてくれた一冊でした。

 

【2013/10/24追記】

こちらの本のAmazonレビューも書きました。

もし、よかったらお読みくださいませ。

Amazon.co.jp: わかる「板書」 伝わる「話し方」の penguinoyajiさんのレビュー

 

posted by penguin-oyaji at 19:17 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月27日

厳しくも優しい言葉たち『部下を育てるリーダーのレトリック』

部下を育てる リーダーのレトリック 

「部下を育てるリーダーのレトリック」

中竹竜二:著

日経BP社

 

先日、イチロー選手が4000本安打を記録し、その時のインタビューで「4000本のヒットを打つには、8000回以上は悔しい思いをしてきた」といった彼の言葉が話題なりましたね。

 

スポーツの世界で鍛えられたアスリートやコーチの言葉は時に示唆的で、ビジネスの世界にも応用できるものがあったりします。

 

しかし・・・ともすると異質の世界の話しだけあって、どのように現場に落とし込めば良いのかが分からなかったり、言葉(名言)だけが一人歩きしてしまうこともあったりすると思います。

 

この本の著者、中竹竜二氏は早稲田大学のラグビー部で主将として活躍した後、留学を経て一般企業に就職。

 

その後、母校の早大のラグビー部監督に就任という経歴があるだけに、ラグビーの現場の話しだけではなく、一般企業の中でのケーススタディも随所に盛り込まれているので、ビジネスマンが読んでも分かりやすく実践しやすいように書かれていると感じました。

 

Amazonの内容紹介 

あなたは何気ない一言で若手を潰していませんか――。

「リーダーは言葉を熟慮し、駆使すべき」の信念で、ラグビー選手の

指導・育成に当たり、早稲田大学、U20日本代表で成果を上げてきた

筆者が、若手のやる気を引き出す言葉のかけ方を具体的に指南する。

 

なお、この本は日経BP社様より頂戴しました。ありがとうございました。

 

言葉が人を動かす

先ずこの本のタイトルの一部にもなっている「レトリック」という言葉の意味ですが・・・ 

 

「レトリック(rhetoric)」とは、古代ギリシアに始まった効果的な言語表現の技術であり、日本では「修辞学」と呼ばれる。

 

歴史を振り返れば、皇帝、武将などが必ず学ぶ教養科目の1つだった。

 

側近の部下はもちろん、時に民衆や一兵卒にもわかりやすく物事を伝え、納得させ、人を動かすことが重要だった彼らにとって、必須のスキルだったのである。(P4)

 

つまり、組織や人を動かすのに大切な言葉の選び方、使い方という意味合いでしょうか。

 

昔は上司の背中を見て人は育つとか、ワザは盗むものとかって言ったりしてましたが、イマドキそんなこと言ってたら誰も付いてきません。。

 

(もちろん上司がチャランポランな態度だったら、尚更ですが)

 

リーダーが口にする「言葉」は重要である。

言葉によって、人や組織を成長に導くことが出来る(P3)

 

我が身を振り返ってみれば、苦しんでいる時や困っている場面で自分を救ってくれたのは上司や周りの人たちの「言葉」だったと思う。

 

また、モチベーションが上がるも下がるも、どういう言葉を投げ掛けられたかだったように思います。

 

だからこそ、リーダーは言葉というものを大切に扱わないといけませんね。

 

「それくらい、言葉にしなくても分かるだろう・・・」な〜んて言っても女性の心が動かないのと同じかも(笑)

 

俺に期待するな

著者の中竹氏は大学卒業後に留学し、会社勤めをして早大に監督として復帰した時にはラグビーに関しては10年のブランクがあり、なおかつ、指導経験は皆無だったので、就任当初は相当に苦労されたそうです。

 

で、出て来た言葉が選手である学生を前にして「俺に期待するな!」

 

捉えようによっては監督としての責任放棄!みたいな言葉ですが、もちろん、そんなワケはありません。 

 

上司は、本当は万能ではない。それでも、なんとか答えをひねり出し、

それを部下に与え続けると部下は自ら考えなくなる(P41)

 

この本を読んで感じたことなのですが、中竹氏のリーダーシップは終始一貫して、「選手自らが考えて行動できる自律性のあるチームづくり」に目が向けられています。

 

「レトリック」といってもむやみやたらに美辞麗句を並び立てるのではなく、基本的に選手一人ひとりに考えさせ、自ら気づかせることを重視しているのです。

 

例えば本文中にこんなことが書かれています。

 

「どう思いますか?」「どうしたらいいですか?」という質問の向こう側に透けて見えるのは、私に対して「正解」を求める態度だ。

誰かが正解を与えてくれると期待していると、いつまで経っても自ら考える態度は生まれ得ない。(P152)

 

「どうしたらいいですか」と学生が相談に来たら、「選択肢を持ってきて」と追い返し、次に「AとBのどちらにしますか」とやって来たら、「なぜ、その選択肢を挙げたの?」と聞き、次に「君はどちらが良いと思うの?」と 、とことん考えさせるのだそうだ。

 

そういえば・・・

 

昔、私の上司で皆んなから影で「なぜなぜおじさん」とあだ名を付けられていた上司がいて、会議で何か発言をすると、「なんで?どうしてそう思うの?」と、とことん追求されたコトを思い出しました。

 

思えば、その上司も私たち部下に対して「自ら考えるクセ」を付けさせようとしていたのかもなぁと、今頃になって気づいたのでした。(気づくのが遅過ぎ!)

 

話しを戻すと・・・

 

最近、「部下や後輩にいちいち仕事を教え込むよりも自分でやった方が速い」と言っている人がいたりします。

 

まぁ、その気持ちも分からないではないのですが、それではいつまで経っても成長しませんよね、自分も部下も。

 

上司、先輩の役割を仕事を回して、成果を出すという狭い範囲で捉えるのではなく、少し手間が掛かっても、中竹氏のように人を育てるという観点も必要だと思うのです。

 

厳しくも、優しい言葉たち

中竹氏の指導の中で、「自律的な人を育てる」と並んで、もう1つ重要視されているのが、「その人らしさ」を大切にするということです。

 

例えば、自分とはかけ離れたスタープレヤーのようになりたいと言ってきた選手に対して、「完全に自分を見誤ってるな」と判断し、その選手に「今、君じゃないやつの話しを聞いた気がする」と諭し、最後には選手自身の口から「すみません、僕は僕じゃない人間になろうとしていたみたいです」と気づかせるのです。

 

生まれながらにして、一流と三流がいる。そう言い切ってしまうのは残酷に聞こえるかもしれないが、努力だけではどうにも越えられない壁が現実に存在する(P141)

三流の人も確実に輝くことができる。一流の人のようなピカピカの才能ではないけれど、他の人にはない個性を確実に持っているからだ。

その個性を生かすゴール設定をすれば、どんどん磨かれていく(P145)

 

早大のラグビー部には百数十名の部員がいるそうです。

 

その中でレギュラーになれるのは15名。

 

つまり、殆どの選手が試合には出られない。

 

でも、だからと言って二流、三流の選手を切り捨てたりはしない。

 

冒頭にイチロー選手のことを書かせて貰いましたが、誰もが彼のように努力をしたからといって、(残念ながら)一流の選手になれるわけではないと思う。

 

だけど、人にはそれぞれ個性があり、その個性を大切にして磨いていくことで、ナニモノかにはなることが出来ると思うし、そう信じたいのです。

 

「レトリック」・・・確かに人を動かすのに、言葉は大切だと思います。

 

しかし、言葉にはそれを話す人の心が自然と宿ってしまうし、心無い言葉には、それが例えどんなに含蓄があるものでも人を動かす力は無いと思うのです。

 

この本を読むと中竹氏の言葉の隅々からは、それが厳しい言葉であっても一人ひとりを大切にする「心」を感じることが出来ました。

 

常識のウソ?

私がこの本を読んで猛省したことがあります。

 

というのは・・・

 ●「夢」はいらない

 ●「森」よりも「木」を見よう

 ●チームワークを捨てよう

 

といった自己啓発本にありがちな内容とは真逆のことが書かれていて、それが奇をてらったものではなく読めば「なるほど!」と納得するものばかり!

 

例えば・・・

スポーツ(ラグビー)チームでは、何よりも『チームワーク』が大切で、みんなで協力し合って、勝利をつかむ。。と、普通は考えてしまいますよね。

 

でも!著者は「チームワークは本来的には、チームビルディングの一手法でしかない」といい、ケースによってはチームメイト全員をライバルとして厳しい競争環境の中で切磋琢磨した方が良い場合もあり、それによって勝利したこともあるとか。 

 

私たちは安易にステレオタイプに当てはめがちだ。

これは人間の脳のクセらしい。(P203)

 

まさに常識にとらわれて何の疑いも持たずに信じ切ってしまっていることがなんと多いことか!

 

結局、自分の目で見て、自分の頭で考えることを放棄し、安易に常識にもたれ掛かっていただけなのだ!

 

私が思うに・・・

 

「夢を持とう!」「森全体を俯瞰してみよう」「チームワークを尊重しよう」

 

こういうある意味、真っ当なことを言っておけば余計な反論を受けることも少ないだろうし、多くの人が納得してくれる。

 

だから、ステレオタイプ的なことを言っておけば「とりあえずOK」と安易に流されているんじゃないかなぁ、って思ったんですよね。

 

この本を読んで、もっと本質的なことに目を向けること、常識を疑って、自分の頭で考えることの大切さを改めて思い知らされました。

 

最後に・・・

監督とかリーダーというと強くて、厳しい姿を想像してしまいますが、この本の中で中竹氏は自身について「オーラがなく、カリスマでもない素人監督」と書かれています。

 

確かにこの本を読んでみると、いわゆる昔ながらの監督やリーダーのイメージとはちょっと違う。

 

もちろん厳しさや強さはあるのだけど、チームの先頭に立ってみんなを引っ張っていくというよりは、選手一人ひとりと一緒に考え、背中を押してあげる、そんなリーダー像が目に浮かんできました。

 

今、企業の現場では「上司・管理職に就きたがらない」人が増えているというようなことを時々、見聞きします。

 

その原因として、リスクを取りたくない!とか、必要以上の激務に耐えられない!とか色々いわれています。

 

そして、きっとその中に「自分はリーダータイプではないから」という理由もあるのではないかと思うのですが、そう考えている人にこそこの本を是非とも読んでほしいなぁって思いました。

 

「リーダーとは、斯くあるべきだ」というのは、単なるステレオタイプのイメージでしかなく、色々なやり方があるんだ、ということに気づかせてくれる1冊だと思います。

 

そして何より・・・

 

お金を残すは「下」

仕事を残すは「並」

人を残すは「上」

 

という言葉がありますが、「自分で考えて行動できる人」を育てるという中竹氏の理念は、まさしく人を残すことに通じるものがあると思うし、自分が親や先輩、上司から育ててもらった恩を次の世代に返していくことが、何よりも大切なことだとこの本を読んで改めて教えられた気がしました。

 

以上、長々と失礼しました。

 

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

 

【▼単行本】

【▼kindle版】

posted by penguin-oyaji at 22:15 | Comment(0) | 自己啓発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。