2014年02月19日

ボクは何で本を読むのだろう?(中編)

前回からの続きです。

私が今のように本を読むようになったのは2008年頃だから
6年くらい前のことです。

なんで本を読もう!と思ったかというと・・・
それまでは全くと言って良いくらいに本を読んでいなくて
「このままではバカになる!」と何故か突然に危機感を覚えたんですよ。

だから、私にとっての読書って「バカにならない=頭が良くなりたい」が
そもそもの目的だったんですよね。。

◆頭が良くなる読書

普段の自分が実は「考えている」のではなく、単に「感じている」
のだというのがわかります。
(中略)
私たちは感じているだけで、実は考えていない場合が多い。
考えを言語化していません。

「あなたを天才にするスマートノート」岡田斗司夫:著

普段、自分が本を読んだときにどのような反応をしているのか?
ということを振り返って考えてみると・・・

「へ〜、知らなかった!」=新たな知識の吸収
「なるほどね〜」=書かれていることを理解、納得
「そう!そう!そうだよね!」=内容に共感

そして・・・
「よしっ、ブログのネタにしよう!」・・・(^^;;

まぁ、だいたいこんな感じです。

本を読んで「感じる」ことはあっても、
あまり「考える」ということはしていないような気がします。

情報を得ることだけが目的ではない。ロジックを追えるように
なることが、論理思考力のアップ=頭がよくなるということです。

「「読書力」養成講座」

色々なコトを知っている、物知りの人を指して
「あの人は頭がいい」と言うことってありますよね。

確かに知識があるコトも頭が良いってことなんでしょうけど、
それだけじゃない!
ロジック(論理)を『理解』して、
自分の頭で『思考』出来るようになることも大切だと思うのです。

◇◆◇◆◇◆◇◆

ここ数年、本を読んできたことで多少なりとも知識は増えたと
思うのだけど、自分で考える力が身に付いたという実感が
全然ないんですよね〜

やっぱり・・・頭がよくなりたいなぁ〜♡

◆先ずは入門書を読んで基礎知識を身につけるべし!

基礎知識があるからこそ、該当分野の本を大量に読みこなすことが
できるのだ。

読書の要諦は、この基礎知識をいかに身につけるかにある。

「読書の技法」

いきなり難しい専門書を読むことは大変だと思うので、
先ずは基礎知識を得るために入門書を読むのがセオリーですよね。
そうそう、「サルでも分かる」ってやつです・・・ちょっと違うか(笑)

まず、よき入門書を手に入れるのが肝要である。

「「知」のソフトウェア」

立花隆さんは”よき入門書”の条件として以下の4つを挙げています。

・読みやすくわかりやすいこと
・その世界の全体像が適確に伝えられていること
・基礎概念、基礎的方法論などがきちんと整理されて提示されていること
・さらに中級、上級に進むためには、どう学んでいけばよいか、
 何を読めばよいかが示されていること

入門書選びということに関しては「読書の技法」の中で佐藤優さんが
以下のようなことを指摘されています。

読者が知りたいと思う分野の基本書は、3冊もしくは5冊購入すべきである。
1冊の基本書だけに頼ると、学説が偏っていた場合、後でそれに気づいて
知識を矯正するのには時間と手間がかかる。

「読書の技法」

本の中では鳥は玉子から孵って最初に見たものを親鳥と思い込む
と「刷り込み」を例えにして書かれていましたが、
人間でも「最初」に見聞きしたものから受ける影響って大きいですからね。

そう言えば、勝間和代さんも本の中でこんなことを書かれています。

1つのことを知ろうとした場合には、できれば立場が違う人の話しや
関連書籍をもとに、最低3つの視点から眺める「知の3点測量法」を
お薦めします。

「新・知的生産術」勝間和代:著

佐藤さん、勝間さんともに言ってることは同じで、
1冊の本に書かれているコトをそのまま鵜呑みにするのではなく、
複数の本を読んで、より多方面から物事を理解することが大切だ

ということですね。 

◆時間を掛けてでも読むべし!

きわめつきに難解な文章の意味をいくら時間がかかってもよいから
徹底的に考え抜きながら読むことである。一節の文章を読み解くのに
一時間も二時間もかけてよい。わからなければ、脂汗が流れ出てくる
までとにかく考えてみることである。

「「知」のソフトウェア」

線を引きながら、ゆっくりと、ときには気づいたことなどを本に
書き込んだりしながら読みます。
自分より頭のよい方が書かれた本をじっくり読むことによって、
著者ほどのレベルにはなれないにしても、ゆっくりとなら追いつける
ようになる。

引用文献を参照し、あっちへ行ったりこっちへ行ったりして読む
その過程こそが、さまざまなものを関連づけ、広く深い論理を
組み立てていく訓練、つまり論理的思考力を身につける訓練となるのです。

「「読書力」養成講座」

学生の頃、何か分からない問題などにぶつかった時に、
先ずは教科書を読み、それで分からない時には参考書にあたり、
尚かつ分からなければ別の参考書を開いたり、
先生や友人に聞いたりしながら、何とか理解してやろうと
あがいていたコトを思い出しました。
(・・・理解しないとテストで点が取れないからね〜)

なのに!

今では本を読んでいて、ちょっと難しかったり分からなかったりすると
「この本は分かりにくい!」と文句を言ってみたり、
「自分には理解できないところがある」と自虐に走ってみたり
なんちゅー自堕落ぶり!

わからなければ、脂汗が流れ出てくるまでとにかく考えてみることである
そうなんですよね〜
分からなければ、何としても分かってやる!っていう学生の頃のような
気迫みたいな心構えがないといけないんですよね、きっと。。

ここで一句

分からねば 分かってみせよう ホトトギス

おそまつ・・・m(_ _)m

速読にはそれをこなせるだけのベースとなる知識、つまり、ある一定量の
インプットの蓄積が必要です。

「「読書力」養成講座」

もっとも速読する場合も、その本に書かれている内容についての基礎知識が
なければ、そもそも読書にならず、指で本のページをめくっているにすぎない。
そういう指の運動を速読とは言わない。

「読書の技法」

速く、たくさんの本を読みたい!と思うのは読書家の共通の願いなのかも
しれないけど、でも難しい本や未知の分野の本を読むのに時間が掛かるのは
当たり前のことなんですよね。

前回、「本は、何冊読んだかではなくて、そこから何をどれだけ学んだか、
自分のものとなったかが重要です」という小宮一慶さんの言葉を引用しましたが、
やはりどれだけ読んだかという冊数にこだわるよりも、
線を引き、関連書も参照し、自分の頭で考えたりしながら
時間が掛かっても、とにかく丁寧に読み込んでいくことが大切なんだなぁ
と思った次第。

◆まとめ 
・先ずは基礎知識を身につけるために基本書(入門書)を読む
・入門書は1冊だけを読むのではなく3冊から5冊くらいを読み、
 複数の視点から学ぶ
・線を引いたり、気付いたコトをメモしながら論理を追い丁寧に読む
・ 関連図書や参考文献などと関連付けをしながら読む
・ 基礎知識のない分野の本では速読できない

----------------

今日、ココに書いたことって「○○学」とか「●●力」みたいに
理屈で学ぶべきことについて書かれた本を読むためのものだと思います。

でも・・・!

私たちが読む本ってそれだけじゃないですよね。
小説を読んで感性を磨いたり、
啓発本を読んで意識を高めたりもします。

そういう本の読み方についてはまた次回ということで・・・
まだまだ「つづく」のだ!これでイイのだ!(by バカボンのパパ)

ーーーー
【Facebook経由で読んで下さった方へ】
申し訳ありませんが、Facebookはほぼチェックしなくなってしまったので、
コメントを頂ける時は、このブログのコメント欄かTwitter経由でお願いします。
(わがまま言って、ごめんなさい)

  

  

 

 

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2014年02月18日

ボクは何で本を読むのだろう?(前編)

昨年の11月のこと。

 

毎年、100冊くらいは本を読もうと目標を立てるのだけど、

年初から何冊くらい読んだかなと集計してみたら

何と!50冊弱。。

「あ〜、これじゃ100冊はムリだなぁ」と思ったと同時に

『なんで本を読むんだろう?』という根源的な疑問が浮かんできたのです。

 

何故、本を読むのか・・・?

そんなコトをつらつらと考えながら、

それまでの読書体験を振り返ってみると次のような反省点が思いつきました。

 

1)読んだ本からの学びが身についてない 

   せっかく読んだのに本の内容を覚えてないことが多い

 

2)そもそも本を読む目的が曖昧 

   「なんとなく面白そう」とか「話題になってるから・・・」という感じで

   その本を読む目的が明確でないことが多い   

 

3)つまみ読み

   その場、その場の興味の赴くままに本を読んできたので、

   体系的な知識が身に付いていないし、

   基本書が押さえられていないことも多い。

   例えば、マーケティングについての本は色々と読んできましたけど、

   基本中の基本、コトラーの「マーケティングマネジメント」を

   読んでないんですよ、私。

 

4)ブログ更新が主目的になっていた

   本を読んで学んだこと、気付いたことをアウトプットする目的で

   始めたこのブログですが、いつのまにかブログを更新するために

   本を選んだり読むことが増えていたような気がします。

 

5読書ノートが継続できない

   色々な方の書き方を参考にしながら読書ノートを作成したりしたのですが、

   デジタルか手書きで悩み結局は一元化できず、継続もできていない。

   それに加えて、読書ノートを作ることが目的化してしまい、

   書いただけで満足してしまって、読み返すなどノートの活用ができてない

 

・・・と、まぁひどい有り様です(恥)

 

とにかく少し軌道修正をしなければなるまい!と思い、原点に立ち返って

読書について書かれた本を何冊か読み返してみました。

 

チョイスしたのはこちらの3冊。

ビジネスマンのための「読書力」養成講座 (ディスカヴァー携書)

ビジネスマンのための「読書力」養成講座

小宮一慶:著

ディスカヴァー携書


読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

読書の技法

佐藤 優:著

東洋経済新報社

「知」のソフトウェア (講談社現代新書 (722))

 「知」のソフトウェア

立花 隆:著

講談社現代新書


読書の目的 

本は、何冊読んだかではなくて、そこから何をどれだけ学んだか、

自分のものとなったかが重要です。

 

「「読書力」養成講座」 

10冊の本を読み飛ばして不正確な知識をなんとなく身につけるより、

1冊の本を読み込み、正確な知識を身につけたほうが、将来的に

応用が利く。

 

「読書の技法」

 

つまり・・・私の場合、「年間に100冊の本を読む」という目標の立て方に

問題があったような。。

思えば、自分は何を知りたいのか?という本を読む前の目的意識が

少し薄かったようにも思います。

 

表面的に理解するだけでは不充分 

書いてあることに納得するということ、きっちり理解するという

ことです。表面的に分かった、というのではなく、自分自身のものと

なるまで理解することです。

 

「「読書力」養成講座」

字面を追うことと読書は、まったく異なる。(中略)日本語でも

とりあえず言葉の意味がなんとなくわかる(この「なんとなく」が

くせものだ)ということと、テキストの内容を理解することは、

本質的に別の事柄だ。

 

「読書の技法」

 

単純に言葉の表面をなぞって分かった気になってはいけない、

ということですよね。

自分の言葉で言い換えてちゃんと説明できるかどうかで、

理解できたかどうかが分かるような気がします。

 

現象(WHAT)を知って、その理由(WHY)を考え、それを

自分の仕事や人生にどのように生かすか(HOW)を、本を読んで

身につけるのです

 

「「読書力」養成講座」

重要なことは、知識の断片ではなく、自分の中にある知識を

用いて、現実の出来事を説明できるようになることだ。

そうでなくては、本物の知識が身についたとは言えない。

 

「読書の技法」

 

特にビジネス書の場合は、読んで理解してそれで終わりじゃ意味ないですよね。

ブログで「共感した!」と書くのもなんか違う気がする。

本で得た知識やノウハウを使って、自分の仕事に応用したり、

問題解決ができて初めて本を読んだ意味が生まれるような気がします。

 

まとめると・・・

自分の言葉に置き換えて説明できるくらいにきちんと理解をして、

なおかつ、その知識などを応用して現実問題に対処できるようになって

はじめて「本を理解して読んだ」ということになるわけですね。


読書について当たり前と言えば、当たり前のことなのですが、

私の場合は、ちょっとこういう基本が疎かになっていたように思いました。


さて、例によってまた長文になってきているので、

今日のところは取りあえずココまで。


次回以降は

・どういう本を読めば良いのか?

・読書から得られるもの

・読書ノートのまとめ方

・良質なアウトプットのためのインプット

・・・こういったところについて、まとめてみたいと思ってます。


では、「つづく」ということで。。

ーーーー
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2013年11月09日

宅急便で日本を変えた男の物語【「経営学」小倉昌男】

小倉昌男 経営学 

「経営学」

小倉昌男:著

日経BP

 

今更ながら・・・名著「経営学」を読みました。

あまりに有名な本ですから既にご存知の方も多いと思いますが、

クロネコヤマトの宅急便を創り上げたヤマト運輸の元社長・小倉昌男氏が

その立ち上げから成功までの苦闘を赤裸々に語った一冊です。

 

Mac、iPod、iPhoneによって世界中の人々の生活を変えたのが

スティーブ・ジョブズであるなら、

宅急便によって日本人の生活を変えたのが著者、小倉昌男氏だと思うんですね。

 

今、当たり前のようにある宅急便という生活インフラ、

それがどのように築かれてきたのか、その考え方、決断、行動力、周囲の反応、

そういう経営の根幹の部分にまで言及されていて

まるで上質のドキュメンタリー番組を見ているかのように

わくわく、ドキドキしながら読むことが出来ました。

 

Amazonの内容紹介 

「儲からない」といわれた個人宅配の市場を切り開き、「宅急便」

によって人々の生活の常識を変えた男、小倉昌男。

本書は、ヤマト運輸の元社長である小倉が書き下ろした、

経営のケーススタディーである。

 

   全体を通して読み取れるのは、「学習する経営者」小倉の謙虚さ

と、そこからは想像もできないほど強い決断力である。成功した人物に

ありがちな自慢話ではない。何から発想のヒントを得たか、

誰からもらったアイデアか、などがこと細かに記されている。講演会や

セミナー、書籍、マンハッタンで見た光景、海外の業者に聞いた話、

クロネコマークの由来

豊富なエピソードから伝わってくるのは、まさに学習し続ける男の

偉大さである。

 

■経営とは論理の積み重ねである 

経営とは自分の頭で考えるもの、その考えるという姿勢が大切である

ということだった。 

経営とは論理の積み重ねである。

(中略)

なぜ他社が成功したのか、自社の経営に生かすにはどこを変えるか、

論理的に考える必要がある。考える力がなければ経営者とはいえない。

当時、運輸業会の誰もが「儲からない」と思い込んでいた個人宅配市場に着眼し、

どのようにしたら儲けが出て事業として成り立つのか?

この命題に対して、論理を積み重ねて「解」を導き出す様子を読んでいて、

私は思わず「なるほどなぁ〜」と感嘆してしまいました。

 

『論理的思考(ロジカルシンキング)』という言葉は知っていましたが、

なるほど!ビジネスの現場でこうやって使うものなんだ!と

目からウロコがボロボロと剥がれ落ちたような思いです。

(知っているコトと、使いこなせるというコトは違うんですよね)

 

それから・・・

 

全国ネットワークを構築するにあたり、どれだけの物流拠点(センター)を

作れば良いのか?その答えを導くにあたり全国の郵便局や公立中学校、

警察署の数を調べて検討するシーンが書かれているのですが、

これなんて仮説思考とかフェルミ推定のケーススタディだと思うんですよね。

 

『経営とは自分の頭で考えるもの』

儲からないと思われていた宅急便が成功したのを見ると、同業他社が

それこそ雨後の筍のように個人宅配市場に参入してきたそうだが、

所詮、猿真似はサルマネである。

 

自分自身も、ともすると成功事例を丸パクリすることがなきにしもあらずだが、

自分の頭で考えるコトの大切さと、考えるとはどう云うコトなのかということを

この本で改めて教えられた思いがしました。

 

もっとも・・・

 

最初にこの宅急便の事業化を役員会に諮った時には全員から反対されたそうだが、

その反対を押し切って納得させるだけの胆力や行動力がなければ、

いくら良いことを考えても、絵餅になってしまうと思うだが。

 

■社長の仕事

「サービスが先、利益は後」という言葉を、社長が言わずに課長が

言うと、そこの社長に、「お前は利益はなくても構わないと言うのか」

とこっぴどく叱られるおそれがある。「サービスが先、利益は後」

というのは、社長だから言える言葉である。だからこそ、逆に社長が

言わなければならない言葉なのである。

 今は昔。

私が当時、勤めていた会社が経営危機に陥り役員でもあった私もご多分に漏れず

いくつもの新規事業を検討したりしていたことがあります。

 

でも・・・そう簡単にウハウハ儲かるビジネスなんてそうは無いですよね。。

初期投資を回収して利益が出るようになるまでは、数年は掛かるものばかり。

 

そんな時に、「最初は利益が出ませんが、こういうサービスを提供すれば

必ず利益が出るようになる筈です!」なんて、そう簡単には言えないし、

「それじゃ、利益が出るまでどれくらい掛かるんだ?」と聞かれて

「はい。。恐らく3から5年くらい・・・」などと言おうものなら

「何を暢気なコトを!」と一蹴されておしまいです。

 

小倉氏が宅急便の事業化を役員会に諮った当時、ヤマト運輸も

商業貨物の市場で他社に破れ、経営的にジリ貧に陥っていたそうです。

 

そんな危機的な状態の時に「利益は後」と言えるのはやはり社長だけだと

思うんですよね。。

 

経営者・・・と言うよりは、社長だからこそ言える、

社長だからこそ決断できる

そういう仕事があると思うんですよ。

 

よく経営者、社長は孤独だ、と言われることがありますよね。

「サービスが先、利益は後」

この言葉、一介の社員が言うのと、社長が言うのとでは

やはり重みが違うんですよ。

 

この本を読みながら、社長だからこそ出来る、しなければならない仕事が

あることを再認識するとともに、稀代の名経営者、小倉昌男氏と言えども

一人の人間としてやはり孤独と闘っていたのだろうか・・・?

そんなことを思ったりもしました。

 

■「ありがとう」のプレゼント 

当初は文句を言っていたヤマト運輸の古株社員ドライバーたちも、

宅急便の配達に行って、お客様からありがとうとお礼を言われるように

なってから、様子が変わった。商業貨物を運んでいた彼らは、

それまで貨物を配達に行ってお礼など言われた経験がなかった。

そのため、びっくりするとともに感激してしまった。そして段々やる気が

起ってきたのである。

 宅急便サービスを始めるにあたり、ヤマト運輸ではそれまでトラックの

運転手をしていた社員たちに、これからは「サービスドライバー(SD)」として

運転だけではなく集金や伝票書き、コンピューターへの入力、問い合せへの対応

など一人で何役もやって欲しいと行ったところ、

「俺たちは運転手だ。そんなこと出来ない!」と拒否されたそうです。

 

でも、そんなドライバーたちもお客さまから言われる「ありがとう」の言葉に

心が動き、積極的にセールスドライバーとしての仕事をするようになったのだとか。

 

このお客さまからの「ありがとう」の話しは本書の中でも何度か繰り返し

書かれているのですが、それを読む度に私、不覚にも(?)ジーンと熱いものを

感じてしまいました。

 

よく「何のために働くの?」ということが言われますが、

仕事って基本的には自分以外の誰かのお役に立つためのものだ、というのが

私の考えです。

 

でも、日常の仕事の中で誰かの役に立っているというコトを

感じにくい仕事があるのも事実。

でも、そのような仕事であっても「ありがとう」というたった一言が

自分の仕事の意味を教えてくれたりするんですよね。

 

「ありがとうで返事をしよう」と言ったのは我が師匠、和田裕美さんですが、

その「ありがとう」のプレゼントの意味を改めて本書を読みながら

再確認できたように思います。

 

■最後に■

この本の冒頭。宅急便を始める前からヤマト運輸が永年、取引をしていた

三越百貨店との取引から撤退(契約解消)するシーンが書かれています。

 

なぜ永年取引をしていた三越百貨店との取引を停止したのか・・・?!

 

えっ、そんなことまで書いちゃっていいの?と思うくらいに

赤裸々な事実が書かれていて、小倉昌男氏の生々しい感情と

悔しさみたいなものが滲み出ているのには、驚きました。

 

ビジネス書でありながら、理論や経営問題だけでなく

生身の人間としての感情までもが綴られているところにも

この本の面白さがあると思います。

 

「名作とは再読に耐えうるものだ」と言った人がいますが、

この本は読み返してみたら、きっとまた新たな発見があるんだろうな、と

思うくらいに宅急便という一つのビジネス、引いては小倉昌男氏という

一人の人としての生き様を描いた名作だと思うのです。

 

なぜ、もっと早くにこの本を手にしなかったのか?!

個人的には、そんな後悔の念も感じながら読了しました。

 

もしも・・・!まだ読んでないという人は直ぐに本屋さんへGO!なのだ。

posted by penguin-oyaji at 16:05 | Comment(0) | 読書(経営者) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月26日

自分の生き方を貫く姿に心が痺れた!傑作ハードボイルド「深夜プラス1」

深夜プラス1 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 18‐1)) 

「深夜プラス1

ギャビン・ライアル:著

菊池光:訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 

「おら、ハードボイルドだどぉ」

・・・と言っても、クレヨンしんちゃんではない!

 

トリオ・ザ・パンチのコメディアンでもあり、

新宿ゴールデン街にその名も「深夜プラスワン」というバーを

経営していた内藤陳さんのギャグの名台詞である。

 

内藤陳 

↑このお方ね

 

その内藤さんが生前にモーレツにプッシュしていた

ハードボイルド小説の傑作がこの本。

なんたって自分の経営するバーの店名にするほど

惚れ込んでいたのだから。

 

版元・早川書房の内容紹介 

ルイス・ケインの引き受けた仕事は、男をひとり車で

リヒテンシュタインへ送り届けること、タイムリミットは

深夜プラス1。だが、フランス警察が男を追っているし、

男の敵は名うてのガンマンを差し向けてきた! 

執拗な攻撃をかいくぐり、ケインの車は闇の中を疾駆する! 

英国推理作家協会賞受賞の名作冒険小説

 

■本をエンリピする

名作だけあってネットを検索してみると、この本を一度ならず

二度、三度・・・と何度も繰り返し読んでいる人が

けっこう見受けられる。

 

よくお気に入りの音楽を何度も繰り返し聴くことを

「エンリピ」(エンドレスリピート)と言うコトがあるけど、

まさにこの本をエンリピしている人がいっぱいいるのだ。

 

この本の解説を書かれた作家の田中光二さんが、

優れたエンターテイメント作品は再読、再々読に耐えられるものである

ということを書かれている。

 

単なるストーリ展開の面白さだけを味わうなら初読だけで充分だが、

作中の随所にはられた伏線、罠、会話の妙などを味わうためには、

繰り返し読む必要がある・・・というか、

そういうストーリ展開以外のところまで実にしっかりと

描かれているからこそ再読、再々読にも耐えられるということだろう。

 

斯く言う私は・・・三度目くらいかな。それも今回は10数年ぶりだったので、

ストーリー自体も忘れてしまっていたので、

まるで初めて読むような感覚で読みました(汗)

 

■自分が自分であるために!

というわけで、超・久しぶりにこの本を読み返したわけだが、

いや〜、やっぱり痺れました!

 

ストーリ自体は上の「内容紹介」にもあるように、

主人公のルイス・ケインが一人の実業家を定刻までにリヒテンシュタインへ

送り届ける。ただし、その実業家は警察からもそして殺し屋に追われている

という設定なのでドンパチもありますが、至極単純なもの。

(まぁ、最後には「えっ?!」という展開があるのだけど)

 

で、何に痺れたかというと物語の終盤。

ケインがヨーロッパ最強のガンマンと対峙する場面があるんだけど、

そこでの彼の台詞。 

〈あるいは、自分がカントンだからか?〉

 

〈(報酬の)一万二千フランというのは計算することができる。

これでは少なすぎると言って断れば受け取らなくてすむ。

だが、カントンであるということは計算できない。

計算ずくで後へ退けない。そのために、わずか一万二千フランの

ためとはとうてい考えられないようなことをする・・・・〉

カントンというのは、主人公、ルイス・ケインの別名で、

昔、レジスタンスの地下活動をしていた頃にそう呼ばれていた。

 

ヨーロッパ最強のガンマンと戦っている時にケインが最もこだわっていたのは、

報酬金ではなく、自分がカントンであり続けること。

つまり、『自分が自分であること』だったと思うんですよ。

自分の誇りのため、と言っても良いかも知れない。

だから自らの命を懸けて戦えた。

 

ルポライター・沢木耕太郎はエッセイの中で優れたハードボイルドに

必要なものとして「魅力的な悪女の存在」と「了解し合える男の存在」という

二つの要素を挙げた。

 

確かにその通りだと思う。

 

だが!

敢えてそこにもう一つ付け加えるなら、

自分の生き方を曲げずに貫く(ある意味、不器用な)生き様

が描かれていることだろうと思う。

 

不器用な生き様・・・といえば、ケインの相棒、ハーヴェイ・ロベルも

同じように器用には生きられないナイーブな心の持ち主と言えるだろう。

 

ロベルはアル中のガンマンなのだけど、なぜ彼がアル中になったのか、

その理由が本当に泣かせる。。

ナイーブな優しい心を固い殻で包んだ・・・そんな表現が似合う男なのだ。

 

■そしてラブストーリーも・・・ 

「ほんとうはあなたと結婚して、あなたの戦争をとめてあげなければ

いけなかったんだわ」彼女は私の顔を直視した。

(中略)

自分が心にかけた唯一人の女から、他の男と結婚したのは間違いだった、

と言われるようなことはめったにないことだ。それも、今からでも遅く

ないのだ、と訴えている。

 物語の中盤に登場するジネット・マリスという女性はケインのかつての恋人。

その彼女から思いがけず飛び出た愛の言葉。

 

思春期に経験する淡い憧れのような初恋もあれば、

人生の酸いも甘いも経験した後に気付く恋もあるというわけですね。

 

あなたと一緒になってやり直したい

くぅ〜〜〜、そんなこと言われてみたいぜ!

 

【最後に】

久しぶりに「深夜プラス1」を読み返したついでに、

内藤陳さんが書かれたオモシロ本ガイド「読まずに死ねるか!」や

「読まずば二度死ね!」もパラパラと読み返してみた。

 

『コーヒー1杯のむ金があるなら本を読め!』と豪語していた内藤さんだけ

あって、本に対する愛情が溢れていたし、思わず読みたい!と思わせる

文章力はさすがだと感じた。

 

昔、ネットの書評ブログなんてなかった頃は、こういうガイド本なんかを

頼りにして本を読みあさっていたんですよね〜

 

「ジャッカルの日」

「初秋」

「長いお別れ」

どれも、内藤さんに導かれて20代の頃に読んだ冒険小説の傑作たち。

 

ビジネス書もいいけど、こういう冒険小説もやっぱりいいよなぁ〜

と改めて思いました。また読み返してみようかな。


posted by penguin-oyaji at 17:07 | Comment(0) | 読書(小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月15日

翌檜(あすなろ)の哀しみ【百田尚樹:「モンスター」】

モンスター (幻冬舎文庫) 

「モンスター」

百田尚樹:著

幻冬舎文庫

 

このブログで久々の「小説」記事です!

 

こちらのブログでこの本を紹介しているのを読み、

「おっ、面白そうじゃん!」と思い手にとりました。

でも、本屋さんで帯を見たら既に80万部突破のベストセラーで

映画も製作されて公開されたとか・・・

全然、知りませんでした!!(^^;;

「産業カウンセラー」を学ぶお話好き 外見ゆえのヒエラルヒー〜「モンスター」


 文庫版で487ページとけっこう分厚いのですが、

読み始めたら面白くて一気読み!

久々のジェットコースター本でした。

 

Amazonの内容紹介 

田舎町で瀟洒なレストランを経営する絶世の美女・未帆。

彼女の顔はかつて畸形的なまでに醜かった。

周囲からバケモノ扱いされる悲惨な日々。思い悩んだ末に

ある事件を起こし、町を追われた 未帆は、整形手術に目覚め、

莫大な金額をかけ完璧な美人に変身を遂げる。

そのとき亡霊のように甦ってきたのは、ひとりの男への、

狂おしいまでの情念だった。

 

■ひたすらモテない日々 

私はブスだった。

いや、ブスという言葉は軽過ぎるーーーそう、私の顔は畸形的とも

いえる醜さだった。(P37)

 物語の前半、畸形的とも言えるほどに醜く生まれてきた少女が

親や周囲の子どもたちから「ブス」「バケモノ」と呼ばれながらも

男の子に恋をして、でも結局は報われない・・・

そんな話しが続きます。 

醜い少女が愛された話はどこにもない。

美しくない女はヒロインになれないと、多くの物語は教えてくれる。

映画のヒロインは皆美人で、少女漫画のヒロインはみんな可愛い。

(中略)

私のようなブタでブスは女でもないのだ。

私には恋なんて縁のないものだと思っていた。(P52)

 自分が異性にモテないのは、外見がブスだからだ。

しかし、外見がどうであれ思春期と呼ばれる時期になると

人は恋をする。

こんなブスな自分でももしかしたら・・・!

外見よりも性格で選ぶ人だっているかも知れない。

そんな淡い期待を抱きつつも、結局は報われずに散っていく。。

 

15・16・17と私の青春、暗かった・・・

そんな人生でしたからね、私も。

読みながら、「そうそう、その気持ち分かるわぁ!」と妙に

納得しつつ共感しながら読みましたよ。

 

この本の中に「美人は得をする」みたいなことも書いてありますが、

それは男も同じこと。

 

格好よくて、スポーツもできて、頭もいい!

そういう男(私の敵じゃ!)は、早い時期から女の子にモテるから、

女性との付き合い方も磨かれていき、ますますモテるようになる

という好循環が生まれますが、私のようにモテないと、

デートするにもオドオドして女性から呆れられ、

「モテないスパイラル」からなかなか脱却できないんですよ。。

 

おっと、私のモテない自虐ネタは横に置いておかないと、

いつまでも話が進まない。。

 

■変身願望

 主人公が社会人になったある日、たまたま雑誌に掲載されていた

美容整形の広告に目がとまり、二重瞼になるための整形手術を受けます。 

ーーーあの日、私が欲しかったのはこの目だ。

ついに手に入れた。たったの八万四千円で。ずっと欲しくて永久に

手に入らないと諦めていたものは、こんなわずかな金で手に入る

ものだったのだ。なぜ誰も教えてくれなかったのだ。(P157)

 整形により美しくなる手段を知った主人公は同時に、

見た目が変わることにより周囲の反応が変わることも知ります。

物語の中で初めて街でナンパされたシーンは象徴的。

 

二重瞼になる整形を皮切りにして、鼻、口元などなど

次々に整形を繰り返していき、その度ごとに周囲の反応もどんどんと

変わっていきます。そして最後には「絶世の美女」へと

変貌を遂げるのです。

 

もちろん、整形を受けるための費用を稼ぐための生活の苦労も

描かれていて、「そこまでしても、綺麗になりたいのか?」と

思わずにはいられませんでしたが・・・

 

整形を受ける度に「美のヒエラルキー」の中での自分のポジションが

上がっていく。最下層にいた頃は「ブス」「バケモノ」と呼ばれていたのが

整形を受けて綺麗になっていくごとに街でナンパされたり、

「愛している」と囁く男性が現れたりして確実に自分のポジションが

あがっていくのを実感するわけですね。

 

整形を受けるかどうかは別として、「変身願望」を持っている人は

割と多いのではないかと思う。

 

例えば髪型を変えてみたり、女性だったらメイクを変えてみる。

眼鏡を変えてみるだけでも印象って変わる。

コスプレなんかも変身願望の表れですよね。

 

何故、人は変身してみたいと思うのか・・・?

 

理由は人それぞれだと思うけど、

私は変身することによって、今の自分とは違う人生を味わってみたい!

そんな願望が心のどこかにあるのではないかと思う。

 

もしかしたら、歩んでいたかも知れない別の人生。

 

「人は見た目が9割」とかっていう本もありますが、

外見を変えることで、周囲の人の反応も変わるというのは

やっぱり事実だと思うのです。

 

周囲の人から「ブス」「バケモノ」と言われる人生と

「綺麗だね」「素敵だ」と言われる人生。

そのどちらを選びたいですか?

 

もしも、今の自分が「人並み」「十人並み」であったとしても、

ほんの少し勇気を出して、変身することで綺麗と言われる人生を

味わうことが出来るとしたら・・・

 

主人公はある意味、病的とも言えるほど何かに憑かれたように

整形を繰り返すという極端な行動に出ますが、

多くの人が心のどこかに抱いている変身願望を描いているとも

考えられるのではないかと思うのです。

 

■翌檜(あすなろ)

 整形によって、見た目が変わり、周囲の反応も変わると

書きましたが、変わるのはそれだけではなく、

自分の心の在り方も変わっていくんですね。

 

そして・・・

 

絶世の美女へと変身できたからこそ、

「もしかしたら、今なら・・・」と断ち切った筈の昔の恋へと

向かっていき、物語は結末に向けて走り出します。

 

実は物語の中で主人公の女性は同一人物であるにもかかわらず、

田淵和子と鈴原未帆という二つの名前を持っています。

(なぜか?については読んでみて下さいね)

 

「田淵和子」が畸形的とも言われるほど醜い少女時代の名前で、

「鈴原未帆」はその醜い外見から整形を繰り返し絶世の美女へと

変身を遂げた名前、そんな感じです。

 

鈴原未帆は絶世の美女へ生まれ変わったわけですから

世の男性どもが放ってはおかない。

だけど・・・最後、田淵和子として愛されることを欲するのです。

 

それが、映画化された時のコピー

「私はバケモノ。それでも愛してくれる?」につながるのですが・・・

 


ネタバレ自重で詳しくは書きませんが、

この物語の最後をどう意味付けするかは、きっと読む人によって

違ってくるんだろうなぁ、って思います。

私はエピローグの最後の1行を読んだ時に、鳥肌が立ちましたが。

 

話が少しそれますが・・・

 

「翌檜(あすなろ)」という樹をご存知ですか?

見た目は檜(ひのき)のようなんだけど、やはり別種なので、

当然、翌檜が檜の樹になることはないんですね。

 

翌檜という名前については「明日は檜のように立派な樹になろう」

→「明日はなろう」→「あすなろ」という謂れがあり、

叶わぬ願いを表すとも言われてます。

(※さだまさしの「明日檜」はそんな歌です)

 

この物語を最後まで読み終えた時、

「これは田淵和子にとってのあすなろ物語」だと思いました。

 

整形を繰り返し、絶世の美女へと変身し、

手に入れたかったものに手を伸ばす。だけど・・・

 

翌檜がヒノキになれないように、田淵和子もまた。。

 

■最後に・・・

読みながら思ったもう一つのこと。

 

男が女心を描くのはとても難しい・・・ということです。

 

うまく言葉にできないのだけど、読んでいても主人公の心理描写に

なんだか分からない違和感を感じたんですよね。。

 

確かに女性の心理を描こうとしているんだけど、

どこか男目線というか、男が理解している女心とでもいうのでしょうか。。

それは読んでいる私が男だからなのかも知れないけど・・・

 

女心ってもっとどこか男が理解し得ないミステリアスな部分が

あると思うんだけどなぁ・・・

女性がこの物語を読むと主人公の女心はどんなふうに感じるのでしょう?

posted by penguin-oyaji at 18:18 | Comment(0) | 読書(小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月14日

ビジネスマンが学校の先生から学ぶべき大切なこと『わかる「板書」伝わる「話し方」』

わかる「板書」 伝わる「話し方」 

 

『わかる「板書」伝わる「話し方」』

栗田正行:著

東洋館出版社

 

現役高校教師にしてビジネス書作家、栗田先生の待望の新刊です!

 

この本は学校の先生やあるいは学習塾の講師など教育の現場に

携わっている先生向けに授業をするうえでの必須スキル、

「板書」と「話し方」についてまとめられている本です。

 

な〜んだ、それじゃわしは先生じゃなかけん、

関係ないたいね〜(何故か博多弁!)と思うのは早計!

 

ビジネスの現場でも充分に役立つスキルそして考え方が書かれてますよ!

 

Amazonの内容紹介 

先生のための教育実用書は数多くありますが、本書は「先生のための

ビジネス書」として、生まれました。

著者が独自に編み出した「板書」で大切な「CHALK(チョーク)の法則」

や、わかりやすい「話し方」のエッセンスを図書館のお話会や

セミナー講師などから、より実践的にまとめています。

子どもたちの心をつかむ授業を行うための1冊!

 なお、この本は著者である栗田先生から頂戴しました。

ありがとうございました!

 

■素晴らしき板書テクニック 

【矢印だけでも4つの効果がある】

(1)時間の関係を表す

(2)因果関係を表す

(3)順序関係を表す

(4)位置関係を表す

 

ここで重要なのは、たくさんの言葉で説明しなければならない内容を

視覚に訴えて、ひと目で見せることなのです。(P22) 

【箇条書きを活用する】

「KISSの原則」というものがあります。

これは、「Keep It Short & Simple」の頭文字を取ったもので、

とにかく「短く」「単純に」まとめることがわかりやすくするための

原則であるというものです。

ですから、授業においても短く単純にまとめられる箇条書きは

活用すべきなのです(P33)

【「見出し」という名のフックをかける】

私が考える「見出し」としては、次の三種類があります。

1・・・学習内容、学習している箇所を提示する役割をもつもの

2・・・学習内容の重要度を表すもの

3・・・学習内容の理解を補填するもの

(中略)

チェックポイントを書く一番の目的は、授業内容にいかに付加価値を

つけるかということに尽きます。(P47)

 

学校で授業を受ける時に「板書」って大切だと思うんですよね〜

 

私が小学校高学年の時の担任、M先生はとても板書がうまかった!

上に本書に書かれている板書スキルをいくつか書き出しましたが、

M先生はまさに、そのスキルを実践されていたと思うのです。

 

箇条書き、キーワードを矢印で結んだりしながら「流れ」や因果関係を図解して

その中で重要なポイントは何なのかを板書で示してくれていたのです。

 

手前味噌な話しですが・・・

私はそのM先生の板書のおかげで、物事をビジュアルで理解するという

クセがつき、それは中学、高校・・・そして社会人になっても忘れることはなく、

いまだに、何か企画書などを考えたり書いたりする時には、

頭の中で先ず最初に絵というかチャートを思い描くんですよ。

 

言い換えれば、私の思考のクセはM先生の板書によって形づくられたのです。

それくらい、板書って生徒さんに影響を与えるものだと思うのです。

 

そんなわけで、いまだにM先生の板書テクニックの呪縛(?)から

逃れられない私は会社で会議のファシリをやったりする時には

ホワイボードなしではうまく進行できないくらい!なのです。

 

実際、この本の中でも赤・青・黒のホワイトボードマーカーの色を

どのように使い分けると良いかという実践的な解説とかも書かれています。

 

■ビジネス現場でも使いたい!伝えるテクニック 

私がこのように発問回数を多く設ける理由は次の三つです。

・発問に答えることで、授業に参加している気持ちになる

・授業に対する緊張感を維持させる

・「発問」→「答える」というサイクルによってコミュニケーションになる

(P146)

 

「発問」というのは、授業中に先生が生徒を指して質問するというアレです(笑)

「指されたらどーしよう?!」と焦りまくっていた学生時代の思い出がww

 

前職で学生さん相手に会社説明会をやる時や、研修の講師などをしていた時に

私もけっこう聞き手の皆さんに質問してたなぁ〜と

ちょっと懐かしく思い出しながら読んだのですが、

私の場合は場当たり的にやっていたのに対して、

この本では発問することによる効果や、「間違っても良いんだよ」という

場の雰囲気づくりなどが詳しく書かれていて、今さらながら、

「お〜、そうかそうか!」と頷いてしまいました(って、遅過ぎ!)

 

私は保護者に電話するときには、少し高めの明るい声で話すように

しています。(もちろん、話す内容にもよりますが)。電話の場合は、

対面で話すよりも声で与える印象が強いため、低い声だと暗い印象を

与えてしまうこともあるためです。(P125)

 こういう電話で話す時のトーンって、案外と教えられていないことが

多いような気がします。

電話では機械を通す分、普通の話し声よりも低くなってしまうから、

いつもより少し声のトーンを上げて話すと良い」ということを私が知ったのは、

社会人を10年以上も経験してからでした。

(ちなみに和田裕美さんの「人に好かれる話し方教室」で教えて貰いました)

 

「オノマトペ」とは擬音語、擬態語、擬声語の総称です。

(中略)

「チャッチャッと片付けよう」

「パクパク食べよう」

「問題をドンドンやってみよう」

 

この「オノマトペ」はメールでいえば、絵文字や顔文字のようなもの。

なんだか分からないけど伝わるのです。(P160)

 よくTwitterを眺めてると時々、絶妙なオノマトペ使いがいたりして、

その度に「面白いなぁ」って思うんですよね。

 

この本にも書かれていますが、有名なのが巨人の長嶋監督が打撃テクニックを

コーチする時に「ビューと振ってバーンと打つ」という指導方法。

ビューとかバーンじゃ分からん!という声もあるかと思いますが、

私は個人的に、こういうオノマトペってうまく使えば、

人にものを伝えるのにとても有効なテクニックじゃないかなぁって思うのです。

 

例えば・・・

「積極的に攻める」

「がしがし攻める」

何となく後者の方が迫力が伝わるんじゃないかなぁって思うのですが、

いかがでしょうか?

 

■行間から伝わる大切なこと

私は教育者でもないし、学校の先生でもないので、

こういう先生向けの実用書を読んだのはこの本が初めてでした。

 

他の教育書にどういうコトが書かれているのか知らないのですが、

少なくともこの本は実用テクニックとか教育のためのスキルだけが

書かれている底の浅い本ではないと感じました。 

「黄色は一番目立つ色なので、授業で重要な部分に使う」ということを

あからじめ説明することが大切なのです。これは、子どもに「言わなく

てもわかる」ではなく、「言っておくからこそわかる」ことです。

(P43)

 教育というと、つい「上から」になったり、教える側の先生(講師)が

主体となった考えや行動になりがちだったりする場合もあると思うのですが、

本当は教えられる側(生徒さん)がちゃんと理解することが

一番大切なんですよね。

 

だから、そのためには生徒目線に立って、

どういう点に気を遣う必要があるのか、

この本に書かれているテクニック、スキルは全てその目線で書かれています。

 

でも、だからと言って最近、流行の友だちみたいな先生になれ!

というワケではない。 

私の場合、子どもが「先生、宿題忘れた〜」と言ってきたら、言葉遣いが

悪いことを厳しく諭すのではなく、「『先生、宿題忘れました』だよね」と

伝えて、言い直させるようにしています。(P106)

 ちゃんとスジを通すべきところは、スジを通す!

こういうちょっとしたコトを叱る(怒るではない)オトナが少なくなってきた

今だからこそ、こういう指導も大切なんでしょうね。

 

○○○

 

「行間を読む」という言い方がありますね。

言葉としては書かれていないけど、言外に込めた作者の思いを読み取る、

という意味ですが、栗田先生の文章は「行間から優しい愛が感じられる」文章だと

私は思うのです。

 

その行間に込められた優しさは栗田先生の処女作のこちらを読んだ時にも

感じたものでした。

仕事も家事も育児もうまくいく!  「働くパパ」の時間術 

ペンギンオヤジのB読書!: 仕事も家庭も将来への自己投資も全てをあきらめない!「働くパパ」の時間術

 私は栗田先生の授業を受けたことも見たこともありませんが、

この本を読むと、きっと、とても丁寧で優しく分かりやすい授業をしている

栗田先生の姿が目に浮かんできます。

 

その優しさは上の方でも書いた通り、一本スジを通しながらも、

生徒さんへの気遣いとか心配り、そして何よりも以下の言葉に込められた

栗田先生の信念があればこそ、優しさだと思うのです。 

あなたが変われば授業が変わる。授業が変われば子どもが変わる。

 

この言葉を本気で信じているからこそ、この本が誕生したのです。(P171)

ビジネスマンであれば、栗田先生のこの言葉を

 

私が変われば後輩(部下)が変わる。後輩が変われば会社の未来が変わる。

 

こんなふうに言い換えても良いかもしれませんね。

学校であれ会社であれ、人を教え育てるというコトは、未来を創ることに通じる

と、私は思うのです。

「餅は餅屋」という言葉がありますが、

教育の現場には人を教え育てるために長年、先人たちが遺してくれた

多くのものが蓄積されていると思うのです。

最近は「即戦力!即戦力!」とまるで人を育成することを放棄するかのような

風潮がなきにしもあらずですが、それでもビジネスの現場に於いて

人を教え育てるコトは大切なことだと思うのです。

そんな育成の場面において、ビジネスマンが我流で教え育てようと

するのではなく、学校教育の現場から学ぶべき大切なことがある!

ということを教えてくれた一冊でした。

 

【2013/10/24追記

こちらの本のAmazonレビューも書きました。

もし、よかったらお読みくださいませ。

Amazon.co.jp: わかる「板書」 伝わる「話し方」の penguinoyajiさんのレビュー

 

 

タグ:栗田正行
posted by penguin-oyaji at 19:17 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月10日

笑顔と元気は人を惹きつける磁石【ももクロとiMac】

昨日(109日)、幕張で行われたIT関連のイベントに

ももクロがトークショーのゲストとして出場し、

(司会はジャーナリストの津田大介氏)

その時の様子がネットでも報じられていますね。

 

その中で、ちょっと気になったというか、

共感したのがこちらの記事。

IT EXPO「ももいろクローバーZイベント」、IT業界がアイドルに学ぶことはやっぱりある!(いしたにまさき) - 個人 - Yahoo!ニュース

 

トークイベントが終わって、私が思ったことは「いやいやIT業界こそ、アイドルに学ばないといけないんだな」ということでした。

 

正直、ももクロとITとか、いかにも企画ものです。でもね、会場内にいた幸運なみなさんは、みんなとにかく顔をニコニコさせて話を聞いていたんですよね。イベント前半をクイズ形式にしたのもよかったと思うのですが、ももクロのメンバーは終始楽しそうで、会場を飽きさせないためのホスピタリティにあふれていました。彼女たちは、現場を楽しくさえしていれば、自然とそこに人は集まってくるということを、心技体で知り尽くしているんだなあと。

この日のイベント、会場はスーツのおじさんでいっぱいです。でも、ももクロのメンバーは会場の反応が悪くても自己紹介をやり、イベントが終わる頃には、会場の空気はももクロメンバーの一言一言に反応するようになっていましたからねえ。ホントお見事でした。

 

またFacebookにもこんな書き込みがありました。

 

そもそも、ここでももクロちゃんたちが津田さんに教えてもらっているSNSってなに?といった内容は、聞いている人たちはたぶんほぼ全員知っているに違いないのに、すこぶる楽しそう。なんだかよくわからないけど、これはすごいというか何かの大きなヒントではないのか

 

■笑顔は人を惹きつける磁石

昨日のイベントはITについて、ももクロちゃんたちが司会の津田氏から

・「 IT 」という言葉の意味(もちろん、インフォメーション・テクノロジーの略ですね)

・最近何かと話題の「ビッグデータ」とコンビニスイーツとの関係

などについて教えて貰うという授業形式で行われたそう。

 

モノノフ(ももクロのファンの人)の皆さんならご承知の通り

これは毎年、ももクロが春先にやっている「試練の七番勝負」という

7日間連続のトークショーとほぼ同じ形式のイベントなので、

ももクロちゃん5人にとっては、

割と慣れた感じでイベントに臨めたのではないかと。


▼2013年の「試練の七番勝負」この日の講師は教育評論家の尾木ママ

News large 3 01

 

ただ、「試練の七番勝負」と違うのは会場を埋めているのが

モノノフではなく、スーツ姿のおじさまたちだったという点でしょうか。

 

それでも!

 

今まで「アウェイ上等!」と、数々の対バンを経験してきている

彼女たちにとってはこれまた、たいした問題ではなかったようで・・・

それは、以下の会場レポートにも表れていますね。

 

会場はスーツのおじさんでいっぱいです。

でも、ももクロのメンバーは会場の反応が悪くても自己紹介をやり、

イベントが終わる頃には、会場の空気はももクロメンバーの一言一言に

反応するようになっていました

 

SNSってなに?といった内容は、聞いている人たちはたぶんほぼ全員知っているに

違いないのに、すこぶる楽しそう。なんだかよくわからないけど、これはすごい

 

それにしても・・・!と思う。

 

ももクロちゃんたちがアウェイの会場に出て行った時に

最初はお客さんの反応が薄かったのに、終わる頃には会場が笑顔で溢れている

・・・そういう話しは今までにもたくさんあったことだと思うのだけど、

いったい、彼女たちの何がそれほど多くの人を惹きつけるのだろうか?

 

私のその疑問に対する一つの答えが、

会場レポートに書かれているコレではないかと。 

ももクロのメンバーは終始楽しそうで、会場を飽きさせないための

ホスピタリティにあふれていました。

彼女たちは、現場を楽しくさえしていれば、自然とそこに人は

集まってくるということを、心技体で知り尽くしているんだなあと。

 

『楽しさ』それが彼女たちが人を惹きつける一つのキーワードだと思うのです。

 

話しが少しそれますが・・・

以前、笑福亭鶴瓶さんのラジオ番組にももクロちゃんたちが出演した時のこと。

 

鶴瓶「やらされてる感がないというか、自分らでやってる感じがする」

百田(赤)「楽しんでるんですよ」

 

そう!ももクロちゃんたちはお客さんに楽しんで貰うためには

先ず自分たちが楽しまなきゃ!って考えているんですよね。

だから、彼女たちはいつも笑顔だし、楽しい空気があふれてる。

そして、「楽しさ」は確実に人に伝染しますから、

自ずと彼女たちの周りにいる人も笑顔になるのではないかと。

 

現場を楽しくさえしていれば、自然とそこに人は集まってくる

 

■ももクロとiMac 

IT系のサービス、特に展示会では、機能説明やサービス内容を理解してもらおうということに必死になりがちです。でも、それだけでは、人は集まってくれません。

 私、この会場レポートを読んだ時に、

ふと脈絡もなく初代iMacを思い出したんですよ。

初代iMac、これね▼

Imac 

 

それまでのパソコンがスペック至上主義というか、

機能性を「売り」にしていたのに対してiMacは機能性とかスペックではなく

見た目の「可愛らしさ」で売った初めてのパソコンではないかと。

 

そして、初代に続いて発売された5色のカラフルなiMac。

そのCMが象徴的だと思うんですよねぇ

 

初代iMacのCMって、インターネットに簡単な3ステップで接続できる、

というように、まだ機能の説明をしていた。

だけど、5色のiMacのCMはカラフルなiMacが、くるくる回りながら踊っていて

見ていてもすごく楽しさとか、可愛らしさが伝わってくる。

 

【初代iMac・CM】

 

【2代目iMac・CM】

 

 

よく「人は理屈では動かない、感情で動く」みたいなコトが言われますが、

iMacは完全に「楽しさ」「可愛さ」が多くの人を惹き付けて大成功したのだと思うのです。

 

IT業界こそ、アイドルに学ばないといけない

というのは、つまりそういうコトではないのかと。

機能とかスペックとか理屈で訴えかけるのではなく、

もっと楽しさ、可愛さというわくわくさせる何かで感情面に訴えかける事が必要。

 

それじゃ、IT業界はももクロから学んで具体的に何をどうすればいいのか?

散々エラソーなことを書いておきながら・・・

すみません。。ノープランです(^^;;(場外に逃げるのだ!)

 

■付け足し・・・賛否両論

思い起こしてみると、iMacが発表された当時って

それまで当たり前のように搭載されていたフロッピードライブが無かったり、

ADBポートが廃止されて代わりにUSB端子が付いたりして、

けっこう不満の声とかも聞かれたんですよね。

 

そういう賛否両論があるのも、ももクロと似てるかもなぁ、と。

 

ももクロって、何かやると必ずと言っていいほど賛否両論が沸き起こる。

それもアンチから言われるなら分かるけど、身内のモノノフからも言われる。

例えば・・・

今年の春先に物議を醸したドリアン衣装。

ドリアン

 

そして11月に発売になる新曲の衣装。

Gounn

 

「ももクロは何処を目指してるんだ?!」とか「もう付いてけない・・・」

そんな声がけっこうネットに書き込まれる。

 

「アイドルらしからぬ」というのは、ももクロを語る上での常套句みたいに

なっているけど、世間一般に思われているアイドルの枠を破ろうとするんですよね。

「アイドル=かわいい」をぶち壊すんだそうだ。

 

IT業界とか関係なく、普段の自分たちもややもすると、

「これで良かんべぇ」とか「取りあえずOK」とかって予定調和の線を狙って

行動してしまう事があると思うんですね。

 

だけど、ももクロもAppleも賛否両論になる事が分かっている筈なのに、

それを承知で敢えて新しいものを仕掛けてくるという面がある。

 

現状の延長線上に新しいものは生まれない、とはよく聞くセリフだけど、

それを実際に形にしてみせて「さぁ、どーだ!」とアグレッシブに

チャレンジする姿をみせてくれるところも、

私たちがももクロから学ぶべき点だと思うのだが、どーだろうか?

posted by penguin-oyaji at 20:01 | Comment(0) | ももクロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月01日

ペンを持ったまま名刺を差し出す若者を指差す前にオヤジ世代はもう一度、我が身を振り返ってみた方が良いと思う

まったくイマドキの若い者は・・・という話しは

よくココそこで耳にしたりしますよね〜

 

なんでもエジプトの古代遺跡にも「イマドキの若い者は」と

書かれていたとかで、(大)昔も今も変わらないんだなぁ、

って思ったりもします。

 

で・・・

 

今日、日経ビジネスオンラインで、こんな記事を読みました。

「えっ、ペンを持って名刺を出した?!」 奇怪な言動を繰り返す若手の“事情”:日経ビジネスオンライン

 

 「1年間、我慢したんですけど……、とうとう言ってしまいました。

『まずは、ちゃんとした社会人になることを目標にしてくれないかな』

って。電話は取らない、名刺の出し方を知らない、言われたことだけしか

やらないの、ナイナイ尽くしで。揚げ句の果てに、面談で泣き出した。

『これじゃ成長できません』って。訳が分からないです。

ホント、もう訳が分からない」

 

 今回は冒頭から、上司の嘆きです。ある大企業に勤める課長職の男性で

年齢は48歳。昨年、彼の課に配属になった男性が、面談で泣き出したそうだ。

 最初は有りがちな「イマドキの若者論」なのかな?と思い読み始めたのですが、

ちょっと色々と言いたい!という思いが沸々と湧き出てきて、

ブログを書き始めた次第。

 

■上司よ、1年間もガマンするな!

このコラムで最初に語られているダメな(?)若者の言動を

要約すると、こんな感じ。

 

・誤字脱字は当たり前 職歴→食歴 提言→低減

・電話が鳴っても絶対に出ない 目の前で鳴っていても完全無視

・名刺を出すときに、ボールペンを握ったまま出した。

 その言い訳は「誰も教えてくれなかった。これじゃ、ボクは成長できない」

 と言って泣き出した。

・上司は1年間、ガマンした挙げ句にとうとう半年ごとの面談の場で

 ガマンできずに「お願いだから、まずはちゃんとした社会人になることを

 目標にしてくれないか?」と若者に言った。

 

文中に「ここ数年、若手の教育には社内でもずいぶんと手をかけています。

私の時代には考えられないくらい、上司たちも気を使っています」とあるけど、

誤字脱字を繰り返し、電話は完全無視で、ボールペンを握ったまま名刺を

差し出すような若者を1年間も放置していたわけですよね、その上司は・・・

 

何だかおかしくないですか?

 

穿った見方をすれば、「若手の教育には社内でもずいぶんと手をかけています

という言葉の裏には若手の教育は社内の教育担当者の仕事で、

自分(上司)がわざわざ教えるようなことではない、という言い訳が

見え隠れしているようにも感じるのですが、私には。

 

■ちゃんとした社会人になれ・・・と言われても

ワタクシゴトで申し訳ないのだけど、

以前、採用の仕事をしていた時にインターンシップとかで

学生さんとお付き合いする機会もあって、

そんな時によく言っていたがコトが2つあります。

 

・どんなコトがあっても学校を卒業したらフリーターではなく、

 正社員として会社に入れ

・入社する会社の見極めは、自分に対して教育という投資をしてくれるか

 どうかで判断しろ

 

学生の常識は社会人の非常識と言ったりもしますが、

学生としての意識や言動から「ちゃんとした」社会人に変わる唯一の機会が

新卒で入社した会社での新人教育だと思うのです。

 

中途採用で採った人に対して期待するのは即戦力ですから企業側は

わざわざ電話の受け応えや、名刺交換のやり方なんて教えませんよね。

 

だからフリーターとして社会に出てしまうと、

そういう「ちゃんとした」社会人になるための唯一の機会を逃してしまうと

思うんですよ。

 

昔、お世話になった上司が「学生を社会人として一人前になるように

教育するのは新卒で採用した企業の社会責任の一つだ」と

言っていたのですが、本当にその通りだと思うのです。

 

■教えるのは箸の上げ下げレベルから

このコラムに対するコメント欄に

ビジネスマナーくらいなら、本一冊与えて読ませれば良いんじゃないか、

という書き込みがあったのですが、私はそれも間違ってると思うのです。

 

何故なら「知っているコトと実際に出来るコトは違う」からです。

だって知識としては知っていても自分で実践できないことって

たくさんありますよね。

 

またまたワタクシゴトですが、新人研修期間中に店舗見学のために

新人と一緒に外出することがあったんですよ。

その時、新人があまりにチンタラ歩いている姿に頭にきて!、

戻ってから研修プログラムを変更して「歩き方」の訓練をしたことがあります。

 

何が言いたいかというと、「歩く」という簡単な動作一つとっても

学生と社会人では動作が異なり、それを指摘して徹底的に直す機会が

必要だということです。

 

よく「箸の上げ下げを注意する」という言い方をすることもあるかと

思うのですが、新人研修期間中にやることってまさにそういうコトだと

思うんですよね。

 

■親の顔が見てみたい

悪ガキがイタズラをした時に「親の顔が見てみたい」って言うじゃないですか。

もしくは「子を見れば親が分かる」という慣用句もありますよね。

それと同じだと思うんですよね・・・冒頭の1年間もガマンした上司って。

 

職場に入ってきた新人(若者)を、ちゃんとした社会人に育てる責任は

職場の先輩であり上司だと私は思います。

 

確かに・・・

それなりの教育を受けてきた、20才前後とは言えオトナである若者に対して

歩き方とか、話し言葉とか、当たり前すぎることをイチイチ注意したり

教え込むのは面倒くさいですよ。イライラすることだってあります。

 

でも!

 

誰かが教えないとダメなんです。

放っておいても「ちゃんとした」社会人になれる人なんて、ごく一部でしょ。

こうしてエラソーなことを書いている私も、社会人1年目に

みっちりと怒られました。

 

その時は怒られながら上司に対して反発する気持ちもありましたが、

今になって振り返ってみれば、こんな私が一応それなりの社会人に

なることが出来たのは、あの1年間があったからだと思ってるし、

その時の上司には本当に感謝してます。

 

いい悪いはともかく、大学で四年間遊んだ人も会社は

正社員として採用し、それなりに飯を食えるようにするというのは、

この社会の暗黙の約束事だったはずです。 

その約束事を中高年世代は守らなかった。

バブルが崩壊して景気が悪くなると、 新卒の一括採用を

あっさりやめてしまいました

 

「この国を作り変えよう」松本 大・冨山 和彦 著  P15より引用

この国を作り変えよう 日本を再生させる10の提言 (講談社BIZ) 

超ww面倒くさい新人教育(社会人教育)だけど、それでもやっぱり、 それなりに飯が食えるように、 社外に出しても恥ずかしくないくらいに 「ちゃんとした」社会人にするための教育の義務を  オジサン世代は放棄してはいけないのだと思う。 

■一人の人間として・・・ 

どの時代の若者も、上司が「もっとどうにかせいよ!」と

叱責したくなるほど未熟だったんじゃないだろうか。

ただ、一昔前までは、日常のあらゆるところに、

1人の“人間”としてふっと寄り添える、機会があったのだと思う。

 

 上司になると、ついつい立場で、部下と接してしまいがちだ。

1日のうち、いや、1週間のうち、ほんの一瞬でもいいので、

“1人の人間”として接する機会を作ることが、上司には必要。

 冒頭に紹介したコラムは、こんな言葉で結ばれています。

 

振り返ってみると、私は上司に恵まれていたと思う。

厳しいことも言われたし、泣かされるようなこともあったけど、

でも、それだけではなかった。

酒場の片隅で愚痴を聞いてくれたり、フォローしてくれたり

そういう人としての優しさみたいなものを感じさせてくれたりもした。

 

だから、この人に付いていこう!と思えたし、

自分が上司になったら、あのようになりたい!とも思った。

 

もしかしたら・・・

 

未熟で理解不能なイマドキの若者が増えているとしたら、

それは一人の人間として寄り添えるような上司(オヤジ世代)が

少なくなってきたということの裏返しなのかも知れませんね。

タグ:河合薫
posted by penguin-oyaji at 21:05 | Comment(0) | ネット記事・コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月20日

何回目かの記念日が・・・

何度目かの記念日はフルムーンだったけど、

特に何の感慨もなく過ぎていったなぁ

・・・って、思う。

 

そう思うのは多分・・・この1年間のせいだろう。

 

それよりも自分の人生の節目になるであろう

1年後の記念日に向けてスタート!

という方に気持ちが向いていたように思う。

 

でも、何はともあれ

こうして1年に1度やってくる自分にとっての記念日を

迎えられたのは家族を始め、多くの人たちの支えがあってこそ。

 

感謝の気持ちをこめて、ありがとう!

 

posted by penguin-oyaji at 00:09 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月17日

2020年・東京オリンピックが生み出す「希望」とは

7年後の2010年、オリンピックが東京で開催されることが決まり、

色々なところで

・希望がもてた

・希望を届けられた

などと「希望」という文字を見聞きしますね。

 

そんな中、ネットでこんなコラムを読み

ちょっと考えさせられました。

「希望を持てた?」 五輪開催に浮かれる人に感じた“距離”:日経ビジネスオンライン

要旨をざっくりまとめると、こんな感じ。

 

・オリンピック開催に伴い聞かれる「希望」という言葉に違和感を感じる

・その違和感は、オリンピック開催=明るい未来がやって来ると単純には

 考えられないから。

・そもそも「希望」とは何か?誰かが届けてくれるものなのか?

・佐藤真海選手が教えてくれた本当の希望の意味

・希望とはしんどい中にあるもので、浮かれた中にあるものではない。

 

■希望は誰かが与えてくれるものなのか?

「この国には何でもある。希望だけがない」という有名な村上龍氏の言葉が

あるけど、希望が見いだせないということは、明るい未来が描けない

ということと同じ意味ですよね、きっと。

 

では、なぜ希望が見いだせないのか?

「希望がない」と天を仰ぎ、「今の社会には希望を持てない」とか、

「希望のない時代」などと悲劇のヒロインになった自分に酔いしれ、

どこまでも周りのせいにしてきた。

あたかも、希望は誰かが与えてくれるものと言わんばかりだ。

 

コラムの筆者、河合薫さんは「希望」について、このように書かれてます。

 

確かに「社会」というものに対峙するには個人の力はあまりに非力だ。

だから、自ずと「誰かが」と考えてしまうのもある意味では

仕方の無いことかと・・・

 

話しが少しそれるけど・・・

勝間和代さんがアメリカのヒーローは、スーパーマンのように市民が

変身して活躍するのに、日本のヒーローは遠山の金さん、暴れん坊将軍、

水戸黄門のように「お上」任せのものが多いと語っていました。

 

社会を変えるのは自分ではない、お上という第三者・・・

そんなふうに考える人が多いというコトでしょうか。。

社会を変えてくれる英雄の登場を皆んなで待っているようなものかもね。

 

■希望って「夢を見る力」だと思う

コラムの中ではオリンピック招致のプレゼンに登壇された

佐藤真海選手について書かれています。 

佐藤真海さんのプレゼンに、多くの人たちが感動したのはなぜか?

 

それは彼女が足を失い、故郷が津波の被害に遭いながらも、

笑顔でいるからではない。どんなに苦しい状況の中でも、

足を止めることなく前を向いて歩き続け、再び足が止まりそうになっても、

「ありのまま」を否定しないで、ちゃんと受け止め、

前を向いて歩き続けるのをやめなかった勇気に、

心を揺さぶれたんじゃないだろうか。

 

そう言えば、テレビ番組の中で佐藤選手のお父さまがインタビューに

こたえて語っていた言葉がとても印象的でした。

 

99.9%の絶望があるけど、対極に光を、希望をね、0.1%持っていた

 

私の個人的な考えですが・・・

希望という言葉には多分に「夢を見る力」という意味が

含まれているように思うのです。

 

病気で右足を失い、故郷が津波に襲われて・・・

確かに普通だったら絶望してしまうような状況。

でも、そんな中にあっても明日を信じて希望を抱くには

夢を見る力が必要なんだと思う。例えそれが0.1%の希望であっても。

 

そしてそこに「力」という言葉がくっ付いているからには、

自ら動き、他のものを動かすことができる能力も必要なのだ。

 

ここで私が改めて、あーだ、こーだと言う必要もないのだが、

佐藤選手は夢を夢として終わらせるのではなく、

努力を重ね、少しずつでも前に進んでいったんですよね。

そこには「社会が」とか「周りが」というような甘えは無かった筈。

 

そんな佐藤選手の姿から、筆者・河合薫さんは希望について

このように書かれています。 

そう。希望は自分で、手に入れるもの。

とてつもなく厳しいかもしれないし、想像もしないような試練に

遭遇することもある。それでも踏ん張って前を見る。

止まりそうな足を、わずか1ミリでもいいから、前に踏み出し続ける。

その勇気と謙虚な気持ちを持つことが、希望をもたらす。

無限大の可能性の中に、希望は存在するのだ。

 

■それでも、オリンピックは希望だと思う

前回(昭和39年)の東京オリンピックの時、私は生後20日目くらい

だったので、何も覚えてはいないのだが・・・

東海道新幹線や東京モノレールが開業し、首都高速が整備され

東京の街並も大きく変わったのだと思う。

 

そして2020年に向けて、やはり東京、あるいは日本各地で

数々のインフラ整備が行われ、また街並も生まれ変わるだろう。

その過程で雇用が生まれ、経済も少しは活性化すると思う。。

 

長らく閉塞感に包まれていた日本にとって、

オリンピックはやはり明るい未来なのだと思う。

 

だが!

 

祭りはやがて終わる。

希望が与えられるものだと思っている限り、

祭りが終わればその希望とやらも、何処かへ消え去り

残るのは祭りの後のさびしさだけなのかも知れない。

 

「パラリンピックで世界のトップ選手を間近で見て、

その輝いている姿に圧倒されました。

『この人たちのように、私も義足のことをちゃんと受け止めて、

限界をつくらずに前へ進む人生にしたい』と思ったんです。

日本に帰国後、それまでの自分とは気持ちの部分で

まったく違っていました」

 佐藤真海選手がアテネでのパラリンピックに出場した際に

世界のトップアスリートの輝きによって、

自らの気持ちと未来を変えていったように、、

 

東京オリンピックに集うアスリートたちの輝きを感じて

未来を変えようと、自ら希望を生み出し前に進もうとする人が

現れることこそが、東京のオリンピックが生み出す本当の希望なのではないか

と、このコラムを読みながら思ったのでした。

タグ:河合薫
posted by penguin-oyaji at 18:30 | Comment(0) | ネット記事・コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする