2014年07月25日

【リベラルアーツ】「おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?」池上 彰:著

 おとなの教養―私たちはどこから来て、どこへ行くのか? (NHK出版新書 431)

「おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?」

池上 彰:著

NHK出版新書

最近、めっきりビジネス書を読まなくなりました。

読まなくなった理由はいくつかあるのだけど、自分がここ数年、読む本といえばビジネス書ばかりでものすごく偏っていたんですよね。

だから、今は小説を読んだり、何をトチ狂ったか哲学書なんかも読んだりしてます。

何と言うか・・・ビジネス書の話ししか出来ないというのも、なんかやっぱり寂しいじゃないですか。。

それに、いい年こいてモノを知らないというのは恥ずかしい。

いわゆる「教養」というのをちゃんと身に付けたいと思うんですよ。

そんなコトを思っていた時に出会ったのが、この本。

Amazonの内容紹介 

現代の教養とは「自分を知ること」です。

いま、学ぶべき教養とは何か? 現代人必須の7科目とは、「宗教」「宇宙」「人類の旅路」「人間と病気」「経済学」「歴史」「日本と日本人」。

この7つを貫くのは、「自分がどういう存在なのか」を考えようとする問題意識だ。

7科目のエッセンスを講義形式で明快に説く決定版。

現代人の「生きる力」=教養の本質が一気に身につく! 

■リベラルアーツってなに? 

リベラルアーツの「リベラル(liberal)」は自由、「アーツ(arts)」は技術、学問、芸術を意味します。だからリベラルアーツの意味は『人を自由にする学問』ということです。

こういう教養を身につけていれば、人間はさまざまな偏見からあるいは束縛から逃れ、自由は発想や思考を展開していくことができる。

最近ちょくちょく「リベラルアーツ」という言葉を耳にしたりしていたのだけで、お恥ずかしながらそれが何なのかを知りませんでした(恥)

で、調べてみたらヨーロッパの大学で学問の基本とされた七科目のことらしいです。

具体的には、文法、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽の計7科目。

この序章では著者の池上さんが、リベラルアーツのことや、そもそも何故、教養が必要なのかということについて書かれています。

教養人=(単なる)物知り・・・・じゃないんですよね。

よく女性相手にあーだ、こーだとウンチクを垂れているおっさんがいるじゃないですか。

ああいう人は、確かに物知りかも知れないけど、教養人って感じはしないですよね。

■魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える 

すぐに役に立つことは、世の中に出て、すぐに役に立たなくなる。

すぐには役に立たないことが、実は長い目で見ると、役に立つ。

(中略)

「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」。

だから本当の教養というのは、すぐには役に立たないかも知れないけど、長い人生を生きていく上で、自分を支える基盤になるのです。その基盤がしっかりしていれば、世の中の動きが速くてもブレることなく自分の頭で物事を深く考えることができるようになるわけです。

この部分を読みながら、思い出した言葉があります。

以前にビジネス書作家の和田裕美さんの講演会を聞きに行った時に和田さんが、こんなコトを話されていました。

3日で咲いた花が3日で枯れてしまうこともあれば、

10年掛けて咲いた花が、10年間ずっと咲き続けることもある。

この時、和田さんはビジネス書などを読んですぐに結果を欲しがる人が多いけど、もっと上辺の知識だけを詰め込むのではなく、もっと自分の根っこになる部分を育てた方が良いのではないか、

そんな話しの流れの中で、上記の言葉を話されていました。

自分の根っこを育てるのに必要なものの一つが教養なのかもしれませんね。

そして私、自分のバカな頭をフル回転させながら教養とはなんぞや?ということを自分なりに考えてみたんですよ。

上の方でウンチクを垂れているオッサンの話しを書きましたよね。

あれが何で「単なる物知り」にしか見えないのか?

なぜ、教養のある人と思えないのか?

たぶんですね、ああいうウンチクおじさんは、どこかで誰かに聞いた話しや何かで読んだ話しを単純に「受け売り」しているだけだと思うんですよ。

右で聞いた話しを、左へ受け流しているだけで、自分の考えや見解、意見というものが無い!

または、あったとしても非常に薄っぺらい!

だから、単なる「物知り」で止まってしまっているように感じちゃうんですよ。

少し話しがそれますが・・・中国の古典の中の話しで「魚を与えるのではなく魚の釣り方を教えなさい」・・・っていうのがありますよね。

魚を与えればその日の飢えはしのげるが、魚の釣り方を教えれば、一生の食を満たすことが出来る。

・・・そんな意味です。

教養を身につけるというのは、つまり魚の釣り方を覚えるのと同じじゃないかっていう気がします。

覚えた知識や技術を使って、自分が生きていく力に変えるということです。

そのためには、単に知識を覚えるだけでなくそれを使って自分の頭で考えて判断して、行動できるようにならなければならない。

良く言われる「知識」を使って「智恵」を生み出せるようになることが大切なんだと思うのです。

■自分自身を知る 

「自分自身を知る」ことこそが現代の教養だろうと私は思います。

どこから来て、どこへ行こうとしているのか。この場合の「自分」とは、文字通りの自分のことでもあるし、日本人あるいは人類のことでもあります。

この本の中で池上さんは「私たちはどこから来て、どこへ行くのか?」という問いを立て、自分を知ることが現代の教養だと位置づけています。

そして、その問いを解くために現代のリベラルアーツとして「宗教」「宇宙」「人類の旅路」「人間と病気」「経済学」「歴史」「日本と日本人」という、7つのテーマを設定して、それについて解説されています。

自分自身を知る・・・そのためには、教養を「学ぶ」というスタンスではなく、もっと自分に引きつけて考えながら理解することが必要ですよね。

先日、ある哲学書(といっても入門書)を読んでいたら、こんなコトが書かれていました。

哲学者が何と言ったかを覚えることよりも、

何故その哲学者が、そういう考えに至ったのかの思考のプロセスを

学んで欲しい。

教養を「学ぶ」ということも、これと同じだと思うんですよね。

例えば、この本の中でダーウィンの進化論の話しが出てくるのですが、進化論で語られていることは自分とはどういう関係があるのか、その上で、人類(生物)の進化の中で自分はどういう位置付けになるのか?

そんなコトを考えながら読むと、池上さんがこの本で読者に問うている「自分自身を知る」ということが、つまりどういうコトなのかがよく分かるようになると思うのです。

そして、あぁ教養を身につけるというのは、こういうコトなのかと体感できると思います。

◇まとめ

今回抜き書きしたのは全て「序章」からです。

その後に本編として、宗教史や宇宙の話し、歴史の話しなどが書かれているのですが、私にとっては「序章」で書かれている教養とは何か?という部分がものすごく腹落ちして、なんというか、ちょっと勇気をもらったような感じです。

もちろん、本編の方も安心の池上クオリティーです(分かりやすい!)

「宗教」「宇宙」「人類の旅路」・・・・それぞれ深みはあまりありませんが、ひとつのきっかけ、入門書として読むには充分な内容だと思います。

posted by penguin-oyaji at 22:22 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月27日

出口治明さんの講演会に参加してきました

出口治明講演会

『ビジネスに効く最強の「読書」』刊行記念

出口治明さん講演会

2014年6月26日(木)19:00〜

丸善 日本橋店 ワールドアンティークブックプラザ

ども、お久しぶりです!

数ヶ月ぶりの更新です (^^;;

まぁ、勝手気ままなブログですので、ご容赦を・・・!

さて、6月26日にライフネット生命の会長兼CEOを務めてらっしゃる

出口治明さんの出版記念講演会に参加してきました。

実はですね・・・

私、ライフネット生命という会社も出口さんのお名前も

聞いたことあるなぁ〜、くらいで詳しいコトはあまり良く知らなかったんですよ。

でも、お友達が度々ブログで出口さんのことを書かれているので、

これはきっと魅力的な方に違いない!

一度、お話しを聞いてみよう!

そんなふうに思って、今回の講演会に参加した次第。

■本のおすすめ屋さん

今回、出口さんが出版された本がこちら。

ビジネスに効く最強の「読書」 本当の教養が身につく108冊 

『ビジネスに効く最強の「読書」』

今回の講演会でも本、読書のコトについて楽しくも貴重はお話しを

たくさん聞かせていただけました。

講演会が始まるまでは、出口さんは会長兼CEOというエグゼクティブだし、

そもそも本のタイトルに”仕事に効く”ってありますから、

てっきりビジネス頭を磨くための読書法みたいな感じの話しになるのかなぁ

と、一人勝手に思っていたのですが、さにあらず!

私は本が好きで、面白いから本を読むんです。

そう言って始まった今回の講演会では、

徹頭徹尾、出口さんの本や読書に対する優しい思いが

詰まったお話しでいっぱいでした。

約1時間、出口さんのお話を聞きながら私が一番感じたのは

好きで好きでたまらない本の話しを伝えたい!

そんなとても純粋で溢れるような出口さんの気持ちでした。

◇◆◇◆

知識を得たい

スキルを学びたい

物語を楽しみたい

本を読む動機は色々とあると思います。

でも、好きこそ物の上手なれ、面白くなければ身に付かない

そんなふうに出口さんも話されていましたが、

その根底には「本が好き」「面白い」「楽しい」という純粋な気持ちも

必要なんですよね。

■料理と読書の共通点とは? 

料理を作るためには良い材料を揃えなければならない。

本を読むことで人生を豊かに生きるための情報・知識を

得ることができる。

それがつまり、料理で言うところの材料集め。

しかし、材料があっても料理の仕方を知らなければ

美味しいものは作れない。

本を読むということは、思考の鍛錬である。

超一流の人が書いた本を読むことで、その人の思考プロセスを

追体験できる。

それがつまり、料理の仕方を覚えるというコトなのです。

なんか、この例え話しって分かりやすくないですか?

私なんて、このお話を聞きながら思わずポンと膝を打ってしまいましたよ^^

本を読んで情報や知識を得る。

これは、まぁ割とカンタンですよね。

本を読みながら共感したり、なるほど!と思ったところに線を引いたり

ノートに書き出したりして、なんかそれだけで本を読んで良かった!と

思ってしまいます。

でも、それで終わりにしてしまったら

単にその著者の言葉の受け売りで終わってしまうし、

そもそも、そこには『自分』というものが無いですよね。

もう一歩踏み込んで、なぜそういう言葉が生まれたのか?

その背景を考えてみる。

あるいは、他の知識や情報と繋げてみたり、比べてみたりしながら

自分なりの見解を考えてみる。

そうすると、そこに『自分』が出来あがってくると思うんですよ。

実は・・・

私もそれなりに昔から多くの本を読んできているのに、

ちっとも頭がよくならなくて、

もしかして私ってバカなのか?と思っていたんですよ。

(まぁ、バカなんでしょうけど・・・)

でもね。

たぶん、今までの私の本の読み方って

ほとんど材料集めばかりしていたんだと思うんですよ。

料理の仕方を知らない・・・

今回、出口さんのお話を聞きながら、

材料集めだけではなく、もっと料理の仕方を学ばなければ!と思ったのでした。

■温故知新 

人が考えることは昔からそんなに変わっていない

歴史を学ぶということは、過去のケーススタディを学ぶのと同じ。

だから古典から学ぶことで、未来を予測する力が身に付く

個人的な話しですが・・・

昨年くらいから私、読む本をビジネス本、新刊本から

古典や名作と言われるものに変えていっているんですね。

それは、一つには最近のビジネス本や啓発本に食傷気味というのもありますが、

やはり何百年も昔から読み継がれてきている本には

何かとても大切な、普遍的なことが書いてあることに気付いたから。

『人が考えることは昔からそんなに変わっていない』

私も「菜根譚」や「論語」といった中国の古典を読んだ時に

昔の人も私たちと同じことで悩んだり悲しんだりしていたんだなぁと、

つまり、人の根っこの部分って昔も今もあまり変わっていないんだなぁ、

と思いました。

◇最後に・・・

今回、初めて出口さんのお話しを直接お聞きしたわけですが

何と言うか・・・聞いている人を包み込むような包容力があるだけでなく、

数々の経験や知識に裏打ちされた深みみたいなものを感じることができ、

出口さんのお人柄が伝わってきました。

講演会の最後に出口さんが私はtwitterもFacebookも実名でやっているので・・・

と言われていたので、私さっそくtwitterでフォローして

講演会のお礼を呟いたら、なんとリプが返ってきました!!

出口さんのタイムラインを覗かせて貰ったら、

本当にお忙しい筈なのに、きちんと一人ひとりにリプを返されていて、

なんか・・・そういうところにもお人柄を感じてしまいました。

今回の新刊『ビジネスに効く最強の「読書」』

実は講演会直前に購入したので、私はまだ読んでいないのですが、

さっそく読み始めてみようと思います。

(感想はまた改めてアップしますね〜)

posted by penguin-oyaji at 23:35 | Comment(0) | 講演会・セミナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月20日

【小説】「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」村上春樹:著(注意:ネタバレあり!)

 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」村上春樹:著新潮文庫(上・下)

20代の頃、熱心に村上春樹さんの作品を読んでいたのだけど、「ダンス・ダンス・ダンス」を最後にまるで憑き物が落ちたかのように手に取ることがなくなってしまった。

だから、「海辺のカフカ」も「1Q84」も最新刊の「色彩を持たない〜」も読んでない。。

そんなワケで、久しぶりに「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読み返してみたのも、単なる気まぐれでしかないのだけど、でも、やっぱりこの作品は良い!

少なくとも、初期の傑作であるのは間違いないと思う。

(注意:以下、ネタバレあります!)

Amazonの内容紹介

高い壁に囲まれ、外界との接触がまるでない街で、そこに住む一角獣たちの頭骨から夢を読んで暮らす〈僕〉の物語、〔世界の終り〕。老科学者により意識の核に或る思考回路を組み込まれた〈私〉が、その回路に隠された秘密を巡って活躍する〔ハードボイルド・ワンダーランド〕。静寂な幻想世界と波瀾万丈の冒険活劇の二つの物語が同時進行して織りなす、村上春樹の不思議の国。

◆パラレルワールド?仮想現実?

上記のAmazonの内容紹介にもあるように、この物語の舞台は2つ。

計算士という架空の職業で働く『私』が自分の意識の核に埋め込まれてしまった謎を巡って、ナニモノかに追われながらも、謎が解き明かされるまでを描いた【ハードボイルド・ワンダーランド】と呼ばれる世界。

自分の影を持たず、心もない人たちが住む街にやって来た『僕』が一角獣の頭骨から古い夢を読んで暮らす【世界の終わり】と呼ばれる世界。

【ハードボイルド・ワンダーランド】が現代の東京を舞台にした冒険活劇的な物語であるのに対して、【世界の終わり】は、何処にあるのかも分からない幻想的な街で静謐とした寓話的な物語。

このように二つの世界はまったく対照的な物語なのですが、それが交互に描かれていて、やがて一つに結びつくというストーリー展開は、読んでいて引き込まれてしまいます。

ネタバレですが・・・

ここは僕自身の世界なんだ。壁は僕自身を囲む壁で、川は僕自身の中を流れる川で、煙は僕自身を焼く煙なんだ

【世界の終わり】という幻想的な世界は、実は【ハードボイルド・ワンダーランド】の『私』が自分の頭の中に創り出したものなのです。

つまり、現実世界の『私』と仮想世界の『僕』は同一人物というわけです。

◆心のない世界

戦いや憎しみや欲望がないということはつまりその逆のものがないということでもある。それは喜びであり、至福であり、愛情だ。絶望があり幻滅があり哀しみがあればこそ、そこに喜びが生まれるんだ。絶望のない至福なんてものはどこにもない。

現実世界の『私』が創り出した仮想現実、【世界の終わり】とは、どういう世界かというと・・・

自身の影を切り離されてしまうことで、記憶も心も失ってしまった人たちが住んでいる(ただし、切り離された影が生きている間は心は残っているし、記憶も影の中に在りつづける)

心がないから、戦いも憎しみも欲望もなく街の人々は安穏とした日々を過ごしている。

街は高い壁に囲まれていて、その街からは抜け出すことが出来ず、何処へも行けない。

・・・かなり端折ってますが、だいたいこんな感じの世界なのです。

実は・・・!

私もちょっと前までは、心のない世界というものに憧れていました。心があるから、苦しんだり悲しんだりするわけですからそれだったら、いっそうのこと心なんて消えてしまえばいい!なんか、そんなふうに思っていたんですよね。。

でもね。

いくら頑張っても無私にも無欲にもなれないんですよ。。否応なく心は付いてまわってくる。

話しがそれましたが・・・

物語の最後で『僕』は自分の影だけを街から脱出させて、自分はそのまま街に残ることを選択します。

それは、心を持ち続けたまま(影は生きているからね)、苦しみながらも、何処にも通じてない行き場のない、自分が創り出した街で生きていく決意をした、ということです。

やっぱり『僕』も、無私無欲にはなれなかったんだなぁ、と。

◆自分が創り出した世界の中で生きる

僕は自分の勝手に作り出した人々や世界をあとに放りだして行ってしまうわけにはいかないんだ。

何と言うか・・・【世界の終わり】は現実世界の『私』が頭の中に作り出した仮想世界だと書きましたが、実は私たちも同じように仮想世界の中で生きているのと同じではないかと。。

例えば・・・

私の友人のAさん。確かに、Aさんは私が勝手に作り出したワケではありません。

だけど・・・私の知っているAさんと、別の友人B君が知っているAさんでは、同じAさんだけど、きっと違う人物なんですよ。

同じものを食べたり、同じ景色を見ても人によってその印象が違うのと同じで、付き合う人も、人によってその人物像って同じじゃないですよね。

人は自分の主観という眼鏡を通してモノや人を見ますから、同じ世界に生きていても、自分が見ている世界は自分の心が作り出した世界・・・なのではないかと思うのです。

だから、この特殊でちょっと変わった【世界の終わり】は実は誰の心の中にも多かれ少なかれ存在するんじゃないんですかね?

でも、そんな自分が作り出した世界の中で自分だけが心をなくして、安穏と生きていくことなんて出来ない。

だったら、苦しみや哀しみから逃げ出さずに、自分の心と向き合えよ!

・・・そんなメッセージが聞こえたような気がしたのです。

◇◆◇◆◇◆

社会学部なのに、卒論で村上春樹の文芸評論を書いて卒業した私の友人が昔、この作品のことを「哀しい物語だね」と言っていたのを今でも覚えています。

「なんで、そう思うの?」と私が聞くと、「だって、現実世界から切り離されて自分の意識の中に閉じ込められちゃうんだよ!」と。

確かに自分の意思とは関係なく、現実世界から切り離されておまけに過去の記憶もなくして自分の頭の中の仮想世界に閉じ込められてしまうのは哀しいことだろう。

だけど!20年以上の月日が経ち再読してみて思うのは、

何処へも通じてない、何処へも行けないこの世の果てのような世界の終わりの街で心を残したまま生きていく決意の方がもっと哀しいのではないかと。

哀しみも、苦しみも、争いもない代わりに喜びや希望、愛のない世界は、やっぱり哀しい世界なのだ。

    

posted by penguin-oyaji at 20:40 | Comment(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月15日

【自己啓発】「人生計画の立て方」本多静六:著・・・余生の「余」とは

人生計画の立て方 (実業之日本社文庫) 

「人生計画の立て方」

本多静六:著

実業之日本社

今年はいわゆる自己啓発本を買って読むのはもうやめようと思っていたんですよね〜

大筋においてどの本も書いてあるコトは似たり寄ったりだし、そもそも私のようにいつまで経っても玄関で履物を揃えられなかったり、部屋の掃除もまともにやらないような、そんな人間が自己啓発本を読んでも意味が無いというか・・・

それよりも今まで読んだ本を再読したり、本に書いてあるコトを一つでも二つでも実行できるようにした方が良いんじゃないかって、そんなふうに思っていたんです。

・・・が!

ある日、Kindleの日替わりセールでこの本が「99円」で売られているのを見て、ついポチッとしてしまったのです。。(Kindleって怖い!)

でも、この本は読んで大正解でした!

著者の本多静六氏は東京の日比谷公園や福岡の大濠公園などなどそれこそ日本全国の多くの公園を手掛け、「公園の父」と呼ばれる林学博士にして、造園家として活躍された方だそうです。

そして、この本が最初に刊行されたのは昭和27年(1952年)というから、今から60年以上も前の本なんですね。

確かに、一部の内容は今の時代にはそぐわないのではないか?と思われるようなところもありますが、人生に於ける大切なことについて書かれている内容は60年の時を経ても色褪せず、光り輝くものがあるように感じました。

Amazonの内容紹介

設計図なくしては、いかに老練な建築家も立派な家造りができないと同様に、まず「人生計画」を樹てることなくして、完全な意義ある人生を築き上げることは難しい―偉大な先人が後世に生きる私たちに贈った処世訓。

◆余生の「余」って・・・?

七十歳で一応任務をつとめ果たしたように考えるのは僭越でもあり、また軽率でもある。まさしく人生への冒涜である。ああ、われ大いに誤りての感が、ここでむくむくと沸き起こったのである。

人生は、生ある限り、これすべて、向上への過程でなくてはならない。社会奉仕への努力でなくてはならない。もし老人のゆえをもって、安穏怠情な生活を送ろうとするならば、それは取りも直さず人生の退歩を意味するものでなければならない。

「余生」っていう言葉があるじゃないですか。辞書によると次のように書いてあります。

盛りの時期を過ぎた残りの生涯。残された人生。(デジタル大辞泉)

サラリーマンなら60歳とか65歳で定年を迎えた、その後の人生、まぁ、そんな意味合いで使われる言葉ですよね。

ただ・・・余生の「余」ってなんだろう?って最近すごく思うんですよ。

仮に80歳までの人生だったとして、65歳からは15年の「余生」があるわけですよね。

働き盛りと言われる35歳から50歳までも15年。

同じ人生の15年なのに、「余」りの人生って何かおかしくない?っていうふうに思っていたんですよ、最近なんとなく・・・

そんな私のモヤモヤした思いに、一つの答えをくれたのが、この本だったというワケです。

著者が最初に立てた人生計画では70歳を過ぎたら、いわゆる隠居生活を送ることになっていて、実際、静岡県の伊東に隠遁して自給自足の生活をされていたのですが、そこで、自分に対してこんな問いをたてるんです。

「ただ老人たるのゆえをもって、世間にかまわず自分だけが安楽生活を営むことがゆるされるかどうか」

で・・・

再び120歳までの人生計画を立てなおすんですよ!

人生の後半に於いてもなお、目標を掲げ努力を絶やさないようにした著者の姿に私はなんか「グサっ!」と刺さるものを感じました。

そして、この本を読んで改めて余生の「余」について考えてみたんですね、私。

たぶん・・・人が亡くなった時に「あの人の余生は・・・」と語られるべきもので、自分が生きている間に「私の余生は・・・」と自らが語るべき言葉ではないのではないかと・・・そんなふうに思うんですよね。

『人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、何事かをなすにはあまりにも短い』

「山月記」を書いた中島敦さんの言葉ですが、何事かをなそうと思う人にとっては、きっと「余生」なんていうものは無いのだろうと思うのです。

◆本当に恐れなければいけないもの

百二十を目標に樹てた人生計画は、百二十まで生きなければ未完成というものではない。八十でも九十でも、いや六十、七十までしか生きないのでも、立派にこれを生かし遺憾なく充実を期することができる。いつどこで打ち切りになっても悔いるものがない。人生即努力、努力即幸福、これは人寿の長短にかかわりなく絶対だ。

「いつどこで打ち切りになっても悔いるものがない」これを読んだ時に、松下幸之助さんのこの言葉を思い出しました。

「死ぬことよりも、死の準備がないことを恐れたほうがいい」

死の準備というのは、毎日を一生懸命に精一杯に生きる、ということなのでしょうが、その前提として自分の人生の目標があった方が良いと思うんですよね。

いつもこのブログを読んで下さっている友人がよくブログやツイッターに「毎日を笑顔で幸せに」って書き込んでいるのですが、それも人生の計画であり、目標だよなぁ〜って思うんです。

そう。「人生計画」なんて堅苦しく考えるが苦手なら自分はどう生きたいのか?それだけでも決めておけば日々の行動は、自分が望む方向へと進んで行くような気がするんですよ。

それと・・・

「いつどこで打ち切りになっても悔いるものがない」この言葉は、人生は目標達成ではなく、そこに至るプロセスこそが大切だということを教えてくれているように思うのです。

どんなに精緻な計画を立てても、夢や目標が大きければ大きいほどそれが達成できるかどうかは人力が及ばない「運」に左右されてしまうことがある。

けれど、目標や夢に向かって日々の努力を精一杯に積んでいけば、「いつどこで打ち切りになっても悔いる」ことなく、旅立っていける。そんなことを著者は私たちに伝えてくれたのではないかと感じました。

◆◇◆◇◆◇

いや〜、本当はもっとたくさん書きたいコトがあるのですが、調子に乗って書いているとまたムダに長い超大作になってしまいそうなので、このへんで。。(^^;;

本の中には、学校選びとか結婚とかについても書かれているのですが、私としては、やはり年老いた後の生き方について書かれているところが妙に心に刺さりまくりました。

それは・・・もう私がオヤジで若くないからなのかもしれんが、これを読んで下さっている若い世代に一言申し述べておく。

老後なんて、まだまだ先のコトと思っているかも知れんがあっちゅーまだからね!(ヒヒヒ)

〆の言葉がこれかい?!と思われるかも知れないが、これでいいのだ!

posted by penguin-oyaji at 23:05 | Comment(0) | 自己啓発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月12日

【読み比べ】思考の入口について(最終回)

あなたを天才にするスマートノート

「あなたを天才にする スマートノート」

岡田斗司夫:著

文藝春秋

ゼロ秒思考  頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング

「ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング」

赤羽雄二:著

ダイヤモンド社 

さて、さて、「前編」「後編」でも書き切れず、ついに3回目です。今回こそは「最終回」となりますよーに!

過去2回のエントリーでは、面白いことを自分の頭で考えられるようになるためには、先ずは自分の感じたこと、閃いたことをとにかく紙に書きだせ!・・・というようなことを書いてきました。

では、なんで「考える」ために「書く」ことが必要なのか・・・?

◆考える→書く→話す

昔、新人研修を担当していた時のこと。

「考える」→「書く」→「話す」という話しをよくしていました。

どーいうことかというと。。

普段の日常会話のほとんどは、頭に浮かんだことをそのまま口に出して話していますよね。

つまり、「考える」→「話す」です。

でも、これだと話し手によってうまく話しが整理されないままに言葉に出してしまうことになります。

そのため話しがあっちこっちに飛んでしまい、聞いている方は「何が言いたいんだろう?」と思ってしまうことも少なくないような気がします。

昔、お世話になった上司がまさに!そういう人でした。

朝礼で訓話を話すのを聞いていると、Aの話しをしていたかと思うと、脈絡なくBの話しが始まり、そのうちCに話題が移って、またAに戻る。

で、最終的に何が言いたかったのか全く分からず!!

おまけに、話しが長いんですよね〜

だから、話しを聞いているのがツラくて、ツラくて(^^;

でも!

「考える」と「話す」の間に「書く」というワンクッションを挟むことで、

  • 自分の思考や感情が整理できる
  • 問題や論点を客観的に捉えることが出来るようになる
  • 頭の中のジャグリング(堂々巡り)が解消される

このような効果があり、結果として分かりやすく話すことができますよ、ということを新人研修で話していたのです。

つまり!

「書く」ということは、自分の感じたことや考えを人に伝えるためには、必須のワンステップというコトです。

◆言語化をめぐる冒険

思考と言語の関係について、強く意識してもらいたい。

「思考は言葉によってなされる」ということ。

そして「感情も言葉にできる」ということだ。そのうえで、頭に浮かぶイメージ、感覚を言葉にしてみよう。

「ゼロ秒思考」

まず「感じる」、次に「感じた理由を考える。私たちは感じているだけで実は考えていない場合が多い。考えを言語化していません。

そのためにも自分の感覚や感情を日本語にする訓練をしてみてください。

「スマートノート」

よく私もこのブログなどで「うまく言葉にできないのだけど・・・」と書いたりもしますが、自分の思いをうまく言葉にのせられないというコトはきっと誰にでもあるのではないかと。

言葉にできない、というのは、好きな人に対する自分の思いを言葉にして、その人に伝えたい。

でも、何といったらいいのか分からない。

・・・それと似てる感じでしょうか。

それでも!

自分の感情、思い、考えを人に伝えるためには何とかして「言葉」にしないといけない。

好きな人に対する言いようのない切ない思いを抱えながらも「好きです!」と言い切る。

それがつまり、言語化だと思うんですよね〜(違うかな?)

えっと・・・告白の話しではなく思考の話しでしたね。。

「思考は言葉によってなされる」という言葉を引用しましたが、まさにその通りだと思うんですよ。

考えるためには言葉を使わなきゃいけない。

でも、頭の中にあるあいだは言葉にならないモヤモヤした気分や感情のままであることが多い。

だから「書く」ことによって強制的に言葉にする。

そうやって言語化することが、考えることの第一歩だと思うのです。

つまり、言語化こそが思考の入口だということです。

◆思考は肉体訓練である

イメージや感覚を言葉にしようとする回数を重ねていくと、それほど抵抗なく形にできるようになる。

言葉にすることへの躊躇がなくなってくる。すっと書けるようになる。

「ゼロ秒思考」

論理を身につけたり、論理的に話したり考えたりするのに「入門書を読む」ほど的外れなことはない。

論理は肉体訓練です。スポーツと同じ。

(中略)

毎日、書く。

これ以上の論理入門はありません。

「スマートノート」

「思考」というと何やら知的な雰囲気が漂ってきますなぁ。

でも、思考というのは頭の中だけで完結するものではなく、結局は、ペンを握って紙に書く、あるいはキーボードを叩いて、文字を入力する。

そういう筋肉を動かす作業が必要であり、それを何回も何回も繰り返すことが必要!ということですよね。

ワタクシゴトですが、このブログ。

何だかんだで6年くらい続けていますが、最初、勢いだけでブログを開設してしまったものの、何をどうやって書いたら分からないし、言葉にするのもしどろもどろでした。

まぁ、しどろもどろというのは今も変わりませんが・・・

それでも最初の頃に比べれば、だいぶ書くことに慣れてきたかと。

(慣れ過ぎて、ムダな長文ブログを連発してますが・・・)

そういう意味ではブログは言語化のための良い練習だと思うし、あるいは、ブログでなくても日記や読書ノートなどを書くことも思考の肉体訓練になりますよね。

とにかく、書く!

・・・本当にそう思うなら、もっとブログの更新を増やせ!

というツッコミは要りません!(キリッ!

◆まとめ

「ゼロ秒思考」と「スマートノート」

方向性も書いている内容も違う本ですが、少なくとも「思考の入口」について書かれているコトは面白いくらいに同じことが書かれています。

つまり、頭の中を紙に書きだし言語化すること。

そして、それを何度も何度も繰り返すことで、だんだんと言語化がスムーズにできるようになるというコト。

まぁ、その後どうやって思考を進めるかというと深掘りしたり、他のことと関連付けをしてみたりすることが必要なのですが、そのコトについては長くなるので、今回はスルーということで。

ただね。一つだけ思うんですよ。

自分で考えたつもりでも、実は常識にのっかったものだったり、何処かの誰かの言ったことをなぞっていることが多いのじゃないかと。

なぜか・・・?

それは多分、心のどこかで「正解」を求めているから。。

取りあえず、こう言っておけばOK

こう書いておけば文句もあるまい。

もっとイヤらしいシタゴコロがあると、こういう言葉を使えば、共感して貰えるのではないかとか。

他の人は分からないけど、少なくとも自分に限って言えば、そんなふうに無意識のうちに安全圏に逃げ込んでいたんじゃないか?って思うんですよね〜

「思考の入口」ということで、あれこれ(ムダに長く)書いてきましたが、ある意味では、そういう安全圏に逃げ込まない勇気を持つことも

入口において必要なことではないかと思う次第。

最後に、そんな自分に自戒を込めてこの言葉を引用して終わりたいと思います。

考える、ということは「間違っててもかまわないから、自分なりの結論を持つ」ということです。

間違うことを恐れて、頭のいい人の意見ばかり聞いては、

頭は良くなりません。

「スマートノート」

ペンギンオヤジのB読書!: 思考の入口(前編)

◆どうやって考えたらいいの?

◆脳は勝手に考える

◆思考のジャグリング

ペンギンオヤジのB読書!: 思考の入口(後編)

◆とにかく書き出せ!

◆どうやって頭の中の全てを記録するか?

 (1)常にメモできるものを携帯せよ!

 (2)迷わずに書く

 (3)カッコウつけずに書く

タグ:岡田斗司夫
posted by penguin-oyaji at 16:39 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月07日

【読み比べ】思考の入口について(後編)

あなたを天才にするスマートノート
「あなたを天才にするスマートノート」
岡田斗司夫:著
文藝春秋

ゼロ秒思考  頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング
「ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング」
赤羽雄二:著
ダイヤモンド社

さて、「前編」からのつづきです。

前回は・・・

・どうしたらちゃんと自分の頭で面白いことが考えられるようになるのか?

・人は考えているのではなく、感じているだけのことが多い

・そもそも深く考える方法が分かっていない

・しかし、脳は[勝手に]いろいろなコトを感じたり考えている

・その結果、頭の中で思考がジャグリングしてワケが分からなくなる

・だったら、感じたり考えていることを紙に書きだせばいいじゃん!

と、こんなようなことを書きました。

とにかく書き出せ!

考えてること全て書き留めたい

「スマートノート・電子版プラス」

そこで、お勧めなのは考えをすべて書き留めることだ。

考えのステップ、頭に浮かんだことを書き留めると、

堂々巡りがほぼなくなる。

「ゼロ秒思考」

「前編」でも書いたけど、人って割と絶えず色々なコトを感じたり、考えたりしていると思うんですよね。

まぁ、たいていは取るに足らないどーでもいいコトが多いのだけど、でも時々、自分でも「はっ!」とするような良いコトを思いついたりもする。

・・・でも、そういうアイデアや閃きって泡みたいなもので、浮かんできても、すぐにはじけて消えてしまうんですよね。。

おまけに、後から思い出そうとしても「さて、何だったっけ?」となることが多いのだ。

で、どーするかというと2冊の中で共通して書かれいるのは『考えていることを全て書き留めよ!』という点。

いやいや、これってハードル高いですよね〜

どうやって頭の中の全てを記録するか?

古来、三上(馬上、枕上、厠上)は文章を書くとき、アイデアを練る時としてよいと言われているが、まさにそのとおりなのだ。

「ゼロ秒思考」

この『三上』の話しはけっこう色々な本に書かれているので、ご存知の方も多いかと。

要は思いつき、アイデアがうまれやすい場所として次の3箇所を挙げているのです。

(ちなみに、宗の時代の学者、欧陽修が言ったといわれてます)

・馬上→馬の背の上、つまり乗り物に乗っている時

・枕上(ちんじょう)→枕に頭を乗せている時、つまり寝ている時

・厠上(しじょう)→厠、つまりトイレに入っている時

1)常にメモできるものを携帯せよ!

トイレや寝ている時に浮かんでくるアイデアや閃きを書き留めるためには、やはりメモ帳を常に肌身離さず持ち歩け!ってことになると思うのですが・・・

手許にメモがなければ、最近ではスマートフォンのボイスレコーダー・アプリを使って、直接、声で録音してしまうという手もありますね。

ちなみに私はiPhoneのメモ帳アプリ・Evernoteに記録するようにしてます。

・・・が!

考えていることや思い付きをメモするのに「壁」となるのは、メモ帳を持ち歩く、というような道具の問題ではなく、むしろ次のような心理的な問題の方が大きいのではないかと思うのです。

(2)迷わずに書く

メモには具体的に何を書くのか。

思いついたこと、気になること、疑問点、次にやるべきこと、自分の成長課題、腹が立って許せないことなど、頭に浮かんだことは何でも書く。頭に浮かんだそのまま、フレーズを書き留める。

「ゼロ秒思考」

前に脳は自分の意思とは関係なく[勝手に]色々なコトを考える。と書きました。

だから「あ〜腹へった〜」とか、「眠いなぁ〜、少しサボっちゃおうかなぁ」などと、まぁ、割とどーでもいいコトも考えるわけで、

だから、いくら心で思ったこと全部を書き留めろ!と言ったってこんなコトまでメモする必要ないよなぁ〜って思いますよね。

確かに!私もメモする必要ないじゃん!って思ってました。

だけどね・・・

これはメモしなくてもいいや

こんなことメモするのはバカらしい

そんなふうに流し続けていると、「おっ!これは!」という閃きが浮かんできても、「メモするの後でいいや」とか、「わ、わ、いいこと思いついたけどどーすればいいんだ!(汗)」なんてコトになってしまうのではないかと思うようになったんですよ。

たぶん・・・ですけど、メモって「習慣」だと思うんですよね。

よく「メモ魔」と言われるような人っているじゃないですか。

何でもかんでもメモしちゃう人。

そういう人って、何か気付いたり、思いついたらメモをするという習慣が身に付いていると思うんです。

「習慣」を身に付けるには・・・そうです。

ひたすら反復するしかないですよね。

だから最初のうちは、メモをする、しないという判断を入れずに、とにかく思いついたら何でもメモする!って決めてしまった方が良いのではないかと。

それでも、こんなのメモするに値しない!って思うならツイッターでつぶやいちゃえば良いんですよ(笑)

3)カッコウつけずに書く

書き留める際に言葉を選ぼうとしすぎると、思考が止まってしまう。

それよりは、浮かんだ言葉をあまり深く考えず、次々に書き留めていくほうがずっといい。

「ゼロ秒思考」

メモやノートを書く時に、誰に見せるわけでもないのに、なぜか言葉を選んで、カッコウつけようとしたりしてませんか?

私はかなりカッコウつけてます (^^;

つーか、頭が固いんでしょうね、きっと。>私

「Aさんは、●●すべきである」なんて書いてしまうのですが、頭の中に浮かんだ時には、「Aさんが、やりゃいいんだよ!」とかって思っているわけです。

だったら、そのまま「やりゃいいんだよ!」って書けばいいし、それに、そういう言葉で残しておいた方が、後で見返した時にその時の自分の感情まで再現できるような気がします。

◇◆◇◆◇◆◇◆

また、ムダに長い長編になってきましたね・・・(汗)

本当は今回の「後編」できれいにまとまる筈だったんですけどね〜

おかしいなぁ〜

でも!

「グラスの底に顔があってもいいじゃないか!」と言ったのは岡本太郎氏ですが、

「後編」の後に最終回があってもいいじゃないか!と思うわけですよ。

・・・というわけで、まだまだ続くのじゃ!

posted by penguin-oyaji at 21:28 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月06日

【読み比べ】思考の入口について(前編)

Don't think ,Feel !(考えるな、感じろ!)
と、言ったのはブルース・リーだったか。。

映画とかを観ていないので、この言葉がどういうシーンで使われ、真意は何なのか?とか知らないのだけど、先日、久しぶりに読み返した本の中にこんなコトが書いてあった。

私たちは感じているだけで、実は考えていない場合が多い

「あなたを天才にするスマートノート」(岡田斗司夫:著)

考えているのではなく、感じているだけ・・・
なんか、そうかもなぁ〜と妙に共感してしまいました。

自分が以前に書いたブログを読み返すと、
(1)本に書いてあるコトに対して、ただ反射的に思ったことを書いている
(2)何処かの誰かが書いたり言ったりした借りモノの言葉で書いている
   →つまり、自分の言葉で書いていない!
・・・なんか、そんな記事が多いんですよね〜

そして致命的なのが、(3)正しいコトを書いてまとめてる。。
正しいコトというのはですね、
・前向きに元気に生きる
・人には優しく親切にする
・目標を持って生きる
・ご飯は残さない(←ちょっと違うか。。)
こういう当たり前のことですね。

同じく岡田斗司夫さんの「スマートノート」の中にこんな言葉が!

人は面白くなければ、正しい意見でも聞いてくれないのです。

そうなのだ!
フツーの人(つまり、私)が当たり前のことを言ったり書いたりしても「だからどうした?」ってなるのがオチ。。

では、どうしたらちゃんと自分の頭で面白いことが
考えられるようになるのか?!
以下の2冊の中からその答えを探って、まとめてみました。
(長い長い前フリじゃ!)

あなたを天才にするスマートノート
「あなたを天才にするスマートノート」
岡田斗司夫:著
文藝春秋

ゼロ秒思考  頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング

「ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング」
赤羽雄二:著
ダイヤモンド社

◆どうやって考えたらいいの?

そもそも、大半の人は、どうすれば「深く考える」ことが
できるのかがよくわかっていない。

「0秒思考」

よく職場で先輩や上司から「もっと、よく考えろ」とかって言われたりしませんか?
私はよく言われました。

「もっとよく考えろ!」「深く考えろ!」とか言われたって、どうしたらいいのさ!(逆ギレ)という人が大半というのは納得。

だって書店に行くと、「論理思考の技術」とか「アイデアはこうやって出せ!」みたいな思考術の本がそれこそ山のように売られているのが何よりの証拠かと(笑)

◆脳は勝手に考える
瞑想の経験がある人は分かると思うのですが、目を閉じている時に頭の中で何も考えない・・・ということになっていますが、実際はさまざまな雑念が湧いてきます。

「考えない!考えない!」と思えば思うほど、心配事であったり、何かのアイデアだったり、時にはネガティブな感情だったり・・・
そういう雑念が次から次へと浮かんでくるんですよね。

私、思うのですが・・・

人の脳って自分の意思とは関係なく色々なコトを勝手に考えたりするんですよね。
脳が暴走するというか。。

「深く考える」方法は分からないにしても、少なくとも脳は勝手に色々なコトを考えだしているのではないか?ということです。

◆思考のジャグリング

「沈思黙考」という言葉があるが、ひたすら考えを巡らせ、ああでもないこうでもないと考えるだけで思考が進むことはあまりない。多くの場合、時間の浪費になる。

「ゼロ秒思考」

人間の悩みの最大ポイントは「同じ悩みをぐるぐる繰り返す」ことです。この繰り返し、つまりジャグリングさえやめれば実はかなり楽になります。

「スマートノート」

ジャグリングって、これのことです。

ジャグリング
大道芸人さんがモノをぐるぐるまわす芸のこと。

私が思うに・・・

人の脳は[勝手に]次から次へと考えを巡らせるから、放っておくと頭の中が色々な考えでジャグリング状態になってしまうのではないかと。

で・・・

ジャグリングを繰り返しているうちに自分でも何がなんだか分からなくなってきて、「もう考えるの止めた!」ってなるんですよね〜

じゃぁ、どーするか?

そうです!正解です!

とにかく頭の中を紙に書きだせ!
ということになるんですね。

でも、その話しは次回「後編」につづくのだ!

タグ:岡田斗司夫
posted by penguin-oyaji at 22:26 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月01日

「ココロノート」で描く5年後の未来(番外編)

寝る前10分 人生を変える ココロノート: 5年後、必要とされる人材になる!

「人生を変えるココロノート」

河合薫:著

東洋経済新報社

前編」「後編」と書き続けてきて、今日は「番外編」なのだ。

実は・・・

この本を読み終えてから、ずっとモヤモヤと心の中で気になっていたことがありました。

それは、一言でいえば「心のダークサイドと向き合う」ということです。

最低な自分、最悪な出来事

昨日書いた「バイオリズムライン」を見直して、

「最低だった」ときと、

「最高だった」ときの、

具体的なエピソードを1ページまるまる使ってできるだけ具体的に書き出してください。

そのときのあなたの素直な感情も、できる限り書き加えましょう。

(P90)

「ココロノート」の課題の中で、こんな問いかけがあります。

過去の最低だった時のことを思い出せ!と。

正直、心がヒリヒリしましたよ。

だって、誰にだって「封印」した過去ってあるでしょ。

でも、頑張ってノート2ページも使って書きました。

その時に、一緒にノートに書いたメモ書き。

・無理やりフタをして閉じ込めていた感情が一気にあふれ出てきた

・当時のことを客観的に捉えることができた

それが例え何年も前のコトでも、当時の心の痛みみたいなものがまだちゃんと残っていて、ノートを書きながらヒリヒリした痛みも感じました。

でもね。

ノートに書き終えて、読み返してみた時に

(本当は、読み返すのもイヤだったけど、一応、頑張って読み返してみた)、

ふと心が軽くなって、当時のことを客観的に見ることができたのです。

私の不都合な真実

潜在意識には、あなた自身が驚くような気持ちや自分でも認めたくないような感情が潜んでいることがしばしばあります。

でも、そんな自分も、自分です。否定せず、ありのままを受け入れてください。(P54)

日常生活の中で、ふとした瞬間に心に湧き上がってくる「黒い感情」。

家族のことであったり、友人や知り合いのことであったり、あるいは、社会に向けてであったり・・・

とてもブログには書けない!

そんな「黒い感情」に自分でも、ハッとして慌てて打ち消そうとする。。

そんなこと、考えちゃいけない!って。

こんなこと誰にでもあるんですかねぇ〜?

まぁ、人のことはともかく、

自分にはそういう「黒い感情」が心のどこかにあるっていうのは、確かなこと。。

「そんな自分も、自分です。否定せず、ありのままを受け入れてください」

この本を読んで、

この文章を読んで、

どうやって、そんな自分にって不都合な真実と向き合えばいいのか、それがとても気になっていました。

「許す」ということ

自己受容とは、自分の良いところも悪いところもしっかりと見つめ、普通であれば目をつむりたくなるような情けなく不甲斐ない自分を受け入れる行為です。

自己受容は人間のポジティブな心理的機能の一つです。

逆境を乗り越えるために必要な心の動きです。

自分と向き合えて初めて、人は前に進む”真の強さ”を持てます

(P34)

黒い感情が湧き上がってきた時に、慌ててそれを打ち消す。

これって、自分と向き合えてないですよね、たぶん・・

でね・・・

どうやって、そんな自分と向き合えばいいのか?ということを何日も何日も考えていたんですよ、私。

で・・・こう思いました。

「私は聖人君子じゃない!」

何日も何日も考えて出した結論が、これです。。

でも、いいんです!

だって、聖人君子じゃないんだから、私は。

(ある意味、開き直りですよね、これって)

ブログにも書けないような黒いことを思う自分。

もう何年も前のことにヒリヒリした痛みを感じる情けない自分。

逃げ出したくなるようなことが目の前にたくさんある。。

そんな自分を「許そう」と思いました。

だって、聖人君子じゃないんだから。

うまく言葉にできないのですが・・・

この場合の「許す」って、たぶん「認める」ということですよね。

そうして、もう一つ思いました。

最悪な出来事に登場する過去に私の心に傷をつけていった人たち、今も私の心にチクチクと痛みを与える人たち・・・

そういう人も、「許そう」って。

いや、カッコウつけ過ぎですね。

正確には「許す」努力をしてみようと。

だって、そんな相手も聖人君子じゃないのだから。

なんか、そんなふうに考えたら、心が少し軽くなったように感じました。

これが「自己受容」ということなのでしょうか?

◆最後に・・・

「前編」の中で、こんなコトを書きました。

ココロノートを書いたことで、自分が(ほんの少し)変わった

変わった、というのは、この本から色々な気づきが得られた、というのはもちろんなのですが、何より、ノートを書くことが楽しくなりました♪

「ココロノート」を書くようになってから突発的に日記を書くようになり、奇跡的にもう1ヶ月以上も継続できています。

それに、ずっとサボっていた読書ノートも手書きで復活させました。

やはり「前編」の中で引用しましたが、

新たな考えや価値観が呼び覚まされます。書くことで、ココロの声が深化する。(P44)

これが、本当に実感できてるんですよ。

ノートに文字を書き連ねていると、ふと全く別の記憶と結びついて新たな考えが浮かんだり思わぬアイデアが浮かんできたり、「あぁ、俺ってこんなことを思っていたんだ」とか、そんなことが次々とおきるので、楽しくて仕方ない!

◇◆◇◆◇◆

「ココロノート」を書いたからといって、夢のような5年後が待っているわけでも、保証されるわけではない。

けれど・・・

これから先、何か迷ったとき、逆境に苦しんだとき、「ココロノート」を見返したり、ノートに自分の気持ちを書き込んでみたりすれば、そこにまた、新たな気づきやアイデアが生まれて、必ずノートが自分の見方になってくれると思う。

「ココロノート」は一度書いて終わりではなく、未来に向けて育てながら一緒に旅する相棒だから。

おしまい。

「前編」「後編」「番外編」と長々とお付き合いくださって、ありがとうございました!

【前編】 

ペンギンオヤジのB読書!: 「ココロノート」で描く5年後の未来(前編)

◆良い意味で「未完成の本」

◆「手書き」でノートを書く

◆夢の達成率

◆ノートに日記を書いたら、原因不明の腰痛が治った!

【後編】 

ペンギンオヤジのB読書!: 「ココロノート」で描く5年後の未来(後編)

◆「何を書いたか」ではなく「何を感じたか」

◆人は他者によって生かされている

◆ココロノートで5年後に必要とされる人材になれるのか?!

posted by penguin-oyaji at 20:47 | Comment(2) | 自己啓発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月27日

「ココロノート」で描く5年後の未来(後編)

寝る前10分 人生を変える ココロノート: 5年後、必要とされる人材になる!

「人生を変えるココロノート」

河合薫:著

東洋経済新報社

さて、前回は前頭葉とか認知行動療法の話しまで引っ張り出してきて

「書く」ことによって得られる効果の話しを延々と書き綴りました。

で・・・

今回は私が「ココロノート」を書きながら、

どんな気づきがあったのか?

そんな話しから始めてみたいと思います。

「何を書いたか」ではなく「何を感じたか」

生まれてから現在までのあなたの人生で起こった出来事を振り返り、

あなたのココロのバイオリズムの波を書き出して下さい(P87)

バイオリズム

『失敗したり病気になったり凹むことも色々あったけど、

そういうマイナスの期間は決して長くはなかったこと、

そしてマイナスの後には必ず良いことがあった事を改めて思い出した。』

「禍福は糾える縄の如し」という故事がありますが、

人生って、良いコトと悪いコト、その両方がかわるがわるやってくるもの

・・・ということは、何となく経験としても分かっていました。

でも、

実際にバイオリズムを書いてみて、

例えどんなに落ち込んだり、悲しんだりしたとしても

それは人生の中の一瞬の出来事で、

長い人生という時間軸で測ってみれば、それは一瞬のことで

長く続くワケじゃない。

そのことに気付いたときに、私なんだか「はっ!」としたんですよね。

あまりの驚きに、もう一つのブログにフライングして

こんな記事を速攻でアップしてしまいました。

人生のバイオリズム : ペンギンオヤジのDブログ

そして、その日を境にココロノートを書いていて感じたことや

気付いたコトをノートにメモするのはもちろん、

ツイッターでもつぶやくようにしたのです。

※「ココロノート」を書いていて気付いたこと、感じたことを

 投稿したつぶやきをtogetterでまとめてみました。

 お時間があれば、ご覧下さいませ。

「ココロノート」の気付き - Togetterまとめ

あなたが「自分の存在意義」を感じるのは、どんなときですか?(P112)

『私の場合、結局は自分以外の誰かの役に立ったり、

人から頼られたりした時に自分の存在に意味がある=自己肯定できる瞬間だなぁ』

あなたは、どうしたら幸せなキャリアを歩めると思いますか?

どんな働き方をしたら、どんな生き方をしたら、

5年後の自分に納得できると思いますか?(P136)

『夢をかなえるための具体的な行動を書き出してみる。

頑張って行動してみても夢が叶うかどうかは分からない。

でも、夢に向かって少しずつでも行動を積みかせねて進んでいくしかない。

そうすれば少なくても「なれる最高の自分」にはなれるような気がする。』

『目標達成のための具体的な行動をあれこれ書き出してみて気付いたのは、

未来に向けて今できる一歩目があること。

そして、その一歩一歩をきちんと積み重ねていくこと。

近道ではなく、王道を歩くこと。そんな当たり前の事実だった。』

こんなふうに、自分の気づきを書き残したり、

つぶやいたりしているうちに、こんなコトを思うようになりました。

「ココロノート」は筆者の質問にただ答えるだけでなく、

その時に何に気付いたのか?

何を感じたのか?

それがすごく大事なことなのではないかと。

人は他者によって生かされている

境界内に、身近な人間関係、社会的活動など他者との関わりが

必要な要因を含めることができない限り、生きる力や回復力が

発揮されることはありません。(P62)

※「境界内」・・・自分が心の中で思う大切なこと、絶対に守るべきもの

 そんな意味合いです。

ホープ、すなわち「光」は、「逆境やストレスフルな状況にあっても、

明るくたくましく生きていくことを可能にする内的な力」です。

そして、その「光=ホープ」は他者との関係性---大切な家族、友人、

恋人といった自分を大切に思ってくれる人、自分自身が大切に思う人など

他者の存在とのかかわりの中で見いだされます。(P162)

この文章って、5年後の自分を考える時にとても示唆的だと思うんですよね。

「他者との関わり」

「他者との関係性」

つまり、人は他者によって生かされている。

と、いうことを筆者は私たち読者に訴えかけたいのではないかと。。

これは、ある人から聞いた言葉なのですが、

「絶望の中で、人は自分のためには頑張れないが、

他人のためになら頑張れる」

蓋し名言だと思います。

5年後の未来へ向かって踏み出した先に何が待ち構えているのか?

もちろん、嬉しいこともあると思うけど、

やっぱりツラいことや逆境に陥ることだってあると思うのです。

「もうダメだ!」と思った時に、それでも前に進む力を与えてくれるのは

自分のことを応援してくれたり、見守ってくれる自分ではない誰か、ですよね。

5年後の未来は自分だけでつくるものじゃない。

他者との関わり、関係性の中で見いだしていくもの。

私の勝手な想像ですが、

きっと、筆者はそんなことを私たちに伝えたかったのではないかと。

そんなふうに思うのです。

ココロノートで5年後に必要とされる人材になれるのか?!

さて、あれこれ書いてきましたが、原点に戻りたいと思います。

この本は、「5年後に必要とされる人材」を目指すためのものでした。

ひと通り「ココロノート」を書き終えて、私も改めて

「ココロノートで5年後に必要とされる人材になれるのか?!」って、

考えてみたんですね。

(1)たぶん、ムリかなぁ〜

(2)Yes!We can!(by オバマ大統領)

さて、どちらでしょう?

「希望」が環境で作ることができるものであるとするならば、

「光」は自分で見いだすしかありません。「光」を見いだす努力を

しない限り、明るくたくましく前に進むことはできない。そして

そこにかかわる「大切な」人がいて初めて、光がともります。(P163)

上の方で「人は自分のためには頑張れないが、他人のためになら頑張れる」

と、書きました。

でもね。

頑張る、その一歩目は自力で踏み出すしかないと思うんですよ。

待っていれば誰かがやって来て、自分の背中を押して

「よいっしょ」と自分の足を前に出してくれるわけじゃない。

「「光」は自分で見いだすしかありません」って、そういう意味だと思うのです。

でも・・・!

「ココロノート」を書きながら自分と向かい合い、

心に思っていることをノートに吐き出していくと、

不思議と「よしっ、頑張ろう!」っていう気持ちになるんですね。

(少なくとも私はそう思いました)

それから・・・

ココロノートを何度でも、何度でも、見直して、あなたの価値観を

明らかにしてください。(P172)

私が社会人になったばかりの頃、当時の上司から

「新人のうちに自分のバックボーンをつくれ!」

と、何度も言われました。

その上司が言う「バックボーン」とは、

将来、何か迷いがあった時に戻ってくる場所、

つまり、自分の価値の判断基準、そんな意味合いを持っていました。

自分が書いた「ココロノート」を改めて見直して思うのは、

「紛れもなく、今の自分がノートの中に詰まっている」ということ。

これから先、もしかしたら、自分が考えていることは

変わっていくかも知れない。

だけど、このノート見れば「よしっ、頑張ろう!」という

今の気持ちを思い返すことはできると思うのです。

そういう意味では、ココロノートは5年後の未来に向けての

私のバックボーンだと思う。

最後に・・・

ぶっちゃけ話しを書くと・・・

自分の「ココロノート」を書き終わった時に、

これで5年後に必要な人材になれるのかなぁ?って思いました。

「7つの習慣」のように、目標をブレークダウンするとか

夢に期限をつけるとか、しなくていいの?

でもね、気付いたんですよ。

ココロノートは5年後の未来に連れて行ってくれる

自動エレベーターじゃない!って。

もっとも、そんな便利なエレベーターなんて

そもそも存在しないと思いますが(笑)

「光」は自分で見いだすしかない。

でも、ココロノートで自分と向き合えば、

その第一歩を踏み出す力を与えてくれる。

そして、これからの5年の間にあるであろう逆境を

乗り越える時に、自分のバックボーンとして

きっと力を貸してくれる。

この「ココロノート」で筆者、河合薫さんが伝えたかったこと、

それは、きっと

自分を見つめ、

あるがままの自分を受け入れ、

そして主体的に自分の未来を生きて下さい

そんな、とてもシンプルな、でも力強いメッセージなんだと思う。

◇◆◇◆◇◆

さて、きれいにまとまったところで

これで終わり・・・かと思いきや、

まだまだ、この本について語りたい!のです。

そんなワケで、次回は『番外編』として、

自己受容の話しや、心のダークサイドの話しを書くのだ!

これで、いいのだ!

ーーーー

【Facebook経由で読んで下さった方へ】

申し訳ありませんが、Facebookはほぼチェックしなくなってしまったので、

コメントを頂ける時は、このブログのコメント欄かTwitter経由でお願いします。

(わがまま言って、ごめんなさい)

posted by penguin-oyaji at 15:59 | Comment(0) | 自己啓発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月25日

「ココロノート」で描く5年後の未来(前編)

寝る前10分 人生を変える ココロノート: 5年後、必要とされる人材になる!

「人生を変えるココロノート」

河合薫:著

東洋経済新報社

この本の冒頭に「あなたは5年後に必要とされる人材であることに自信がありますか?」と書かれています。

たぶん・・・私が社会人になりたてだった2、30年前なら成り立たない問いかけだと思うんですよね。

昔だったら学校を卒業して、社会に出て働き始めたら「5年後の私は?」なんて考えなくてもエスカレーターが自動的に未来まで運んでいってくれたから心配する必要なんて無かった。。

だけど、バブルが崩壊し、出口の見えないデフレ経済と不況が続き日本の風景は変わってしまった。。

5年後はおろか、3年先、下手したら1年後に自分が何処で何をして働いているかすら分からなくなってしまった。

この「ココロノート」は、そんな漠然とした未来に対する不安を取り除き、5年後にも必要と言われる人材であることを目指すための1冊です。

Amazonの内容紹介 

▼未来の記憶をつくる

5年後に必要な人材になるために、いま私たちがすべきことは、「5年後の未来を記憶すること」と著者は言います。

生物学的に、人は、本能的に未来への行動計画を想像し、作り上げ、それを前頭葉に記憶させる。

その未来への記憶に合致する行動をに対し、積極的に取り組み、努力する、そうです。

その「未来への記憶」を書き留め、素早く行動に落とし込むためのツールが「ココロノート」なのです。

なお、この本は著者、河合薫さまからプレゼントして頂きました。

この場を借りて、改めて「ありがとうございました!」

◆良い意味で「未完成の本」

この本には5年後の未来の自分を創るための16個の質問が書かれています。

例えば・・・

・あなたが学校を卒業してから、今日にいたるまでのキャリアについて

 教えてください。

・生まれから現在までのあなたの人生で起こった出来事を振り返り、あなたのココロのバイオリズムの波を書き出して下さい。

・あなたが幸せを感じるのは、どんなときですか?

これらの質問に対する自分の答えを約3週間かけてノートに書き出すのです。

もちろん!私もノートに書き出してみました。

で・・・・!思ったのですが、

この本は実際にノートを書いてみなければ読んだことにならない!

良い意味で「未完成」の本だと思うのです。

というのも、

一通り16個の質問についての答えをノートに書き終わった後でこの本を再読したんですね。

私、本を読む時はたいてい、重要と思われるポイントやブログで引用したいと思う文書のところにポストイットを貼るのです。

こんな感じ。

ココロノート

自分でも驚いたのですが、「青」が最初に読んだ時に貼ったポストイットで、「黄色」が再読しながら貼ったものです。

写真だと分かりにくいかもしれませんが、黄色が青の3倍近く貼ってあります。

つまり・・・質問の答をノートに書き出した後に再読すると、ココロに響く箇所がものすご〜く増えた!ということです。

『いやいや、ちょっと待て!本を読み返したら、印象が変わるなんてよくあることだろ?』

そう、思った人いますよね、きっと。

でも、最初に読んでからまだ1ヶ月ですよ。

そんな短期間で印象が変わる本なんて、そうそう無いでしょ。

それに、本に書いてあるコトの理解度、納得度が1回目よりとは全然違うんですよ!

たぶんですけど・・・

ココロノートを書いたことで、自分が(ほんの少し)変わったんだ

と思うんですよ。

とにかく、この本を手にしたら、16個の質問の答をノートに書く、

そして、その後にもう一度最初から読み返すことをして欲しいなぁと思います。

ぶっちゃけ・・・ここだけの話し。

この本は読むだけなら、1時間前後でサクッと読めてしまいます。

私も最初は、ショージキ「ずいぶんとお手軽な本だなぁ」って思いました(汗)

でも、ですね。

ノートを書き終わった後で読み返すと、印象がガラリと変わりました!!

◆「手書き」でノートを書く

ノートやメモを書くのに「手書き」か?「デジタル」か?

どちらがいいのか?という問題は、ネットや書籍の中で繰り返し多くの方々が議論されてきたところ。

鉛筆で線を引いたり、気になったところに書き込みをしたりするうちに

パソコンに打ち込んでいたときには思いつかなかったようなことが

ひらめいたり、自分の考えが整理されたり、「あ〜じゃない、こーじゃない」と、

新たな考えや価値観が呼び覚まされます。

打つときには運動神経しか必要としなかった文字が、確実に前頭葉を

刺激する。書くことで、ココロの声が深化する。(P44)

前頭葉ですよ!前頭葉!

がんばれ、ボクの前頭葉です!

「前頭葉」が脳の部位だというのは、分かりますよね。

では、具体的にどんな働きをしているのかというと・・・

(他の本からですけど、ちょっと引用します)

前頭葉は(目や耳から入力された)その情報を処理する。

入力された情報を記憶として蓄えられている情報と組み合わせ、

思考や行動の組み立てをつくり、運動野を介して体に指令を出す。

脳の司令塔のような役割を果たします。

「脳が冴える15の習慣」(築山節:著)

つまり、手で書いたり、目で見たりしたインプットされた情報を過去に記憶した情報と組み合わせたりすることで、新たなアイデアや閃きを生み出しているんですね。

「入力された情報」+「記憶情報」=アイデア、ひらめき

・・・ということが前頭葉で行われているのだと思うのです。

でも、アイデアやひらめきって泡のようなものだと思うんですね。

浮かんできたと思ったら、あっという間に弾けて消えてしまう。。

そんな儚いアイデア、ひらめきを忘れないようにメモするにもキーボードを叩いていたのでは遅過ぎる!

やっぱり、手で書いた方が速い!

そういう意味でも「手書き」の方が良いのかなぁ、と私は思います。

それとね・・・

詳しくは後の方で(後編で)書きますけど、ココロノートに質問に対する答えをペンで書いていると、色々な気づきがあったんですよ、私。

(もちろん、それもココロノートに書き込みました!)

「新たな考えや価値観が呼び覚まされます」

そういう気づきって自分では意図してないものなんですけど、やっぱり、これも「手書き」だったから生まれたものではないかと思うのです。

◆夢の達成率

書くことは、打つことより、自分を冷静に見ることが可能になります。

ある調査では、目標を立てるだけだと達成率が6〜8%であるのに対し、

紙に書くと達成率は25〜30%まで高まるという結果が出ました。

書かれた文字を目にすると、客観的になり、より効果的な目標達成に

向けた行動が換気されるのです。(P47)

「紙に書くと夢が叶う」というのは、多くの自己啓発本が教えるところですね。

でも、これも前頭葉の働きで説明できると思うんですよね〜

(あくまでも、ペンギンオヤジ説ですけど・・・)

前記の引用文の中で「運動野を介して体に指令を出す」とありますね。

夢を叶えるためには、思っているだけじゃダメ。

実際に体を動かして行動しないといけませんよね。

前頭葉は情報処理だけではなくて、体に対して指令を出す働きもあるわけですから、紙に書いた夢をどうやったら実現可能か、過去の情報や経験と結びつけながら考え(情報処理)、それを具体的な形にするために「動け!行動しろ!」と体に前頭葉が指令を出している。

こう考えると、私はやっぱり「がんばれ、ボクの前頭葉!」と叫びたくなるわけです(笑)

◆ノートに日記を書いたら、原因不明の腰痛が治った!

この「書く」という行為が、古くから認知行動療法などに用いられた

ライティングメソッドと似ていると知ったのは、大学院でストレス

研究を始めてからでした。ライティングメソッドは心理療法の一つで、

自分の気持ちを言葉にして書き出すことで、人間の前向きな力を

引き出す方法です。(P53)

この文章を読んだときに、「あぁ、そう言えば・・・」と思い出したことがあります。

数日前にテレビで見た話し。

立って歩くにも激痛がはしるような腰痛に襲われた人の体験なのですが、何軒もの病院で診察を受けても、まったくの原因不明だったのが、ある病院で「毎日、日記を書くように!」という診療を受けたら、あら不思議!

何年間も悩まされてきた腰痛が治ったというのです。

そのお医者さまから指示された日記の内容というのが・・・

・その日にあった不快な出来事、イヤな思いをした出来事を書く

・その時に自分がどう感じたのか、何を考えたのかを書く

基本的には、この2つだけです。

そして、後日そのノートをお医者さまと一緒に見ながら、「その時、こういうふうに考えれば良いのではないか?」と、ストレスを軽減するようなアドバイスを貰い、考え方の歪みを直していくのです。

たぶん、これが「認知行動療法」だと思うのですが、テレビを見ていて、私が驚いたのは、そんなストレスが激痛を伴うような腰痛を引き起こすことと、それが日記を「書く」ことによって、客観的にココロの動きを捉え、修正することで病気(腰痛)が治るということでした。

まさに!「書く」ということには驚くような効果があるんですね。

認知行動療法については、こちらのページが参考になるかも。

認知行動療法とは | 認知行動療法センター

◇◆◇◆◇◆

さて、例によってまたもやムダに長いブログになってきましたが(^^;;

「書く」ことの効果について、本書の中でも繰り返し書かれていますが、でも、実際に自分で「ココロノート」を書いてみると、今日、私がブログに書いたことも「実感として」分かるようになると思います。

さて・・・

まだまだ書きたい!伝えたい!ことがいっぱいあるのですが、読むのも疲れてきた頃だと思いますので、今日はこのへんで・・・

次回に続くのだ!

 

posted by penguin-oyaji at 22:45 | Comment(0) | 自己啓発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする