2014年03月15日

余生の「余」【「人生計画の立て方」本多静六】

人生計画の立て方 (実業之日本社文庫) 

「人生計画の立て方」
本多静六:著
実業之日本社


何ちゅーか、今年はいわゆる自己啓発本を買って読むのは
もうやめようと思っていたんですよね〜

大筋においてどの本も書いてあるコトは似たり寄ったりだし、
そもそも私のようにいつまで経っても
玄関で履物を揃えられなかったり、
部屋の掃除もまともにやらないような、
そんな人間が自己啓発本を読んでも意味が無いというか・・・

それよりも今まで読んだ本を再読したり、
本に書いてあるコトを一つでも二つでも実行できるようにした方が
良いんじゃないかって、そんなふうに思っていたんですよね〜

・・・が!

ある日、Kindleの日替わりセールでこの本が「99円」で
売られているのを見て、ついポチッとしてしまったのです。。
(Kindleって怖い!)

でも、この本は読んで大正解でした!

著者の本多静六氏は東京の日比谷公園や福岡の大濠公園などなど
それこそ日本全国の多くの公園を手掛け、「公園の父」と呼ばれる
林学博士にして、造園家として活躍された方だそうです。

そして、この本が最初に刊行されたのは昭和27年(1952年)というから、
今から60年以上も前の本なんですね。

確かに、一部の内容は今の時代にはそぐわないのではないか?と
思われるようなところもありますが、
人生に於ける大切なことについて書かれている内容は
60年の時を経ても色褪せず、光り輝くものがあるように感じました。

Amazonの内容紹介

設計図なくしては、いかに老練な建築家も立派な家造りが
できないと同様に、まず「人生計画」を樹てることなくして、
完全な意義ある人生を築き上げることは難しい―
偉大な先人が後世に生きる私たちに贈った処世訓。

◆余生の「余」って・・・?

七十歳で一応任務をつとめ果たしたように考えるのは僭越でもあり、
また軽率でもある。まさしく人生への冒涜である。ああ、われ大いに
誤りての感が、ここでむくむくと沸き起こったのである。

 

人生は、生ある限り、これすべて、向上への過程でなくてはならない。
社会奉仕への努力でなくてはならない。もし老人のゆえをもって、
安穏怠情な生活を送ろうとするならば、それは取りも直さず人生の退歩を
意味するものでなければならない。

「余生」っていう言葉があるじゃないですか。
辞書によると・・・

盛りの時期を過ぎた残りの生涯。残された人生。(デジタル大辞泉)

って、書いてあります。

サラリーマンなら60歳とか65歳で定年を迎えた、その後の人生、
まぁ、そんな意味合いで使われる言葉ですよね。

ただ・・・余生の「余」ってなんだろう?って最近すごく思うんですよ。

仮に80歳までの人生だったとして、
65歳からは15年の「余生」があるわけですよね。

働き盛りと言われる35歳から50歳までも15年。

同じ人生の15年なのに、「余」りの人生って何かおかしくない?って
いうふうに思っていたんですよ、最近なんとなく・・・

そんな私のモヤモヤした思いに、一つの答えをくれたのが、
この本だったというワケです。

著者が最初に立てた人生計画では70歳を過ぎたら、
いわゆる隠居生活を送ることになっていて、
実際、静岡県の伊東に隠遁して自給自足の生活をされていたのですが、
そこで、自分に対してこんな問いをたてるんです。

ただ老人たるのゆえをもって、世間にかまわず自分だけが安楽生活を
営むことがゆるされるかどうか

で・・・

再び120歳までの人生計画を立てなおすんですよ!

人生の後半に於いてもなお、目標を掲げ努力を絶やさないようにした
著者の姿に私はなんか「グサっ!」と刺さるものを感じました。

そして、この本を読んで改めて余生の「余」について考えてみたんですね、私。

たぶん・・・人が亡くなった時に「あの人の余生は・・・」と
語られるべきもので、自分が生きている間に「私の余生は・・・」と
自らが語るべき言葉ではないのではないかと・・・
そんなふうに思うんですよね。

『人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、何事かをなすにはあまりにも短い』

「山月記」を書いた中島敦さんの言葉ですが、
何事かをなそうと思う人にとっては、きっと「余生」なんていうものは
無いのだろうと思うのです。

◆本当に恐れなければいけないもの

百二十を目標に樹てた人生計画は、百二十まで生きなければ未完成と
いうものではない。八十でも九十でも、いや六十、七十までしか
生きないのでも、立派にこれを生かし遺憾なく充実を期することが
できる。いつどこで打ち切りになっても悔いるものがない。
人生即努力、努力即幸福、これは人寿の長短にかかわりなく絶対だ。

「いつどこで打ち切りになっても悔いるものがない」
これを読んだ時に、松下幸之助さんのこの言葉を思い出しました。

「死ぬことよりも、死の準備がないことを恐れたほうがいい」

死の準備というのは、毎日を一生懸命に精一杯に生きる、ということ
なのでしょうが、その前提として自分の人生の目標があった方が
良いと思うんですよね。

いつもこのブログを読んで下さっている友人が
よくブログやツイッターに「毎日を笑顔で幸せに」って
書き込んでいるのですが、
それも人生の計画であり、目標だよなぁ〜って思うんです。

そう。「人生計画」なんて堅苦しく考えるが苦手なら
自分はどう生きたいのか?それだけでも決めておけば
日々の行動は、自分が望む方向へと進んで行くような気がするんですよ。

それと・・・

「いつどこで打ち切りになっても悔いるものがない」
この言葉は、人生は目標達成ではなく、そこに至るプロセスこそが大切だ
ということを教えてくれているように思うのです。

どんなに精緻な計画を立てても、夢や目標が大きければ大きいほど
それが達成できるかどうかは人力が及ばない「運」に左右されて
しまうことがある。

けれど、目標や夢に向かって日々の努力を精一杯に積んでいけば、
「いつどこで打ち切りになっても悔いる」ことなく、旅立っていける。
そんなことを著者は私たちに伝えてくれたのではないかと感じました。

◆◇◆◇◆◇

いや〜、本当はもっとたくさん書きたいコトがあるのですが、
調子に乗って書いているとまたムダに長い超大作になって
しまいそうなので、このへんで。。(^^;;

本の中には、学校選びとか結婚とかについても書かれているのですが、
私としては、やはり年老いた後の生き方について書かれているところが
妙に心に刺さりまくりました。

それは・・・もう私がオヤジで若くないからなのかもしれんが、
これを読んで下さっている若い世代に一言申し述べておく。

老後なんて、まだまだ先のコトと思っているかも知れんが
あっちゅーまだからね!(ヒヒヒ)

〆の言葉がこれかい?!と思われるかも知れないが、
これでいいのだ!

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2014年03月12日

思考の入口(最終回)

あなたを天才にするスマートノート

「あなたを天才にする スマートノート」 岡田斗司夫:著 文藝春秋

ゼロ秒思考  頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング

「ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング」 赤羽雄二:著 ダイヤモンド社 

さて、さて、「前編」「後編」でも書き切れずに

とーとー3回目です。今回こそは「最終回」となりますよーに!

 

過去2回のエントリーでは、面白いことを自分の頭で考えられるように

なるためには、先ずは自分の感じたこと、閃いたことを

とにかく紙に書きだせ!・・・というようなことを書いてきました。

 

では、なんで「考える」ために「書く」ことが必要なのか・・・?

 

◆考える→書く→話す

昔、新人研修を担当していた時のこと。

「考える」→「書く」→「話す」という話しをよくしていました。

どーいうことかというと。。

 

普段の日常会話のほとんどは、頭に浮かんだことを

そのまま口に出して話していますよね。

つまり、「考える」→「話す」です。

 

でも、これだと話し手によってうまく話しが整理されないままに

言葉に出してしまうことになるので、

話しがあっちこっちに飛んでしまい、

聞いている方は「何が言いたいんだろう?」ということに

なってしまうことも少なくないような気がします。

 

昔、お世話になった上司がまさに!そういう人でした。

朝礼で訓話を話すのを聞いていると、

Aの話しをしていたかと思うと、脈絡なくBの話しが始まり、

そのうちCに話題が移って、またAに戻る。

で、最終的に何が言いたかったのか全く分からず!!

 

おまけに、話しが長いんですよね〜

だから、話しを聞いているのがツラくて、ツラくて(^^;

 

でも!

 

「考える」と「話す」の間に「書く」というワンクッションを

挟むことで、

・自分の思考や感情が整理できる

・問題や論点を客観的に捉えることが出来るようになる

・頭の中のジャグリング(堂々巡り)が解消される

こんなような効果があり、結果として分かりやすく話すことができますよ、

ということを新人研修で話していたのです。

 

つまり!

 

「書く」ということは、自分の感じたことや考えを

人に伝えるためには、必須のワンステップというコトです。

 

◆言語化をめぐる冒険 

思考と言語の関係について、強く意識してもらいたい。

「思考は言葉によってなされる」ということ。

そして「感情も言葉にできる」ということだ。そのうえで、頭に浮かぶ

イメージ、感覚を言葉にしてみよう。

 

「ゼロ秒思考」 

まず「感じる」、次に「感じた理由を考える。私たちは感じているだけで

実は考えていない場合が多い。考えを言語化していません。

そのためにも自分の感覚や感情を日本語にする訓練をしてみてください。

 

「スマートノート」

 よく私もこのブログなどで「うまく言葉にできないのだけど・・・」と

書いたりもしますが、自分の思いをうまく言葉にのせられないというコトは

きっと誰にでもあるのではないかと。

 

言葉にできない、というのは、

好きな人に対する自分の思いを言葉にして、その人に伝えたい。

でも、何といったらいいのか分からない。

・・・それと似てる感じでしょうか。あるいは小田和正!

 

それでも!

 

自分の感情、思い、考えを人に伝えるためには

何とかして「言葉」にしないといけない。

 

好きな人に対する言いようのない切ない思いを抱えながらも

「好きです!」と言い切る。

それがつまり、言語化だと思うんですよね〜(違うかな?)

 

えっと・・・告白の話しではなく思考の話しでしたね。。

 

 

思考は言葉によってなされる」という言葉を引用しましたが、

まさにその通りだと思うんですよ。

 

考えるためには言葉を使わなきゃいけない。

でも、頭の中にあるあいだは言葉にならないモヤモヤした気分や感情のままで

あることが多い。だから「書く」ことによって強制的に言葉にする。

 

そうやって言語化することが、考えることの第一歩だと思うのです。

つまり、言語化こそが思考の入口だということです。

 

◆思考は肉体訓練である 

イメージや感覚を言葉にしようとする回数を重ねていくと、それほど

抵抗なく形にできるようになる。言葉にすることへの躊躇がなくなって

くる。すっと書けるようになる。

 

「ゼロ秒思考」 

論理を身につけたり、論理的に話したり考えたりするのに「入門書を

読む」ほど的外れなことはない。

論理は肉体訓練です。スポーツと同じ。

(中略)

毎日、書く。

これ以上の論理入門はありません。

 

「スマートノート」

 「思考」というと何やら知的な雰囲気が漂ってきますなぁ。

でも、思考というのは頭の中だけで完結するものではなく、

結局は、ペンを握って紙に書く、あるいはキーボードを叩いて、

文字を入力する。そういう筋肉を動かす作業が必要であり、

それを何回も何回も繰り返すことが必要!ということですよね。

 

ワタクシゴトですが、このブログ。

何だかんだで6年くらい続けていますが、

最初、勢いだけでブログを開設してしまったものの、

何をどうやって書いたら分からないし、

言葉にするのもしどろもどろでした。

 

まぁ、しどろもどろというのは今も変わりませんが、

それでも最初の頃に比べれば、だいぶ書くことに慣れてきたかと。

(慣れ過ぎて、ムダな長文ブログを連発してますが・・・)

 

そういう意味ではブログは言語化のための良い練習だと思うし、

あるいは、ブログでなくても日記や読書ノートなどを書くことも

思考の肉体訓練になりますよね。

 

とにかく、書く!

 

・・・本当にそう思うなら、もっとブログの更新を増やせ!

というツッコミは要りません!(キリッ!

 

◆まとめ

「ゼロ秒思考」と「スマートノート」

方向性も書いている内容も違う本ですが、

少なくとも「思考の入口」について書かれているコトは

面白いくらいに同じことが書かれています。

 

つまり、頭の中を紙に書きだし言語化すること。

そして、それを何度も何度も繰り返すことで、

だんだんと言語化がスムーズにできるようになるというコト。

 

まぁ、その後どうやって思考を進めるかというと

深掘りしたり、他のことと関連付けをしてみたりすることが

必要なのですが、そのコトについては長くなるので、

今回はスルーということで。

 

ただね。一つだけ思うんですよ。

 

自分で考えたつもりでも、実は常識にのっかったものだったり、

何処かの誰かの言ったことをなぞっていることが多いのじゃないかと。

 

なぜか・・・?

 

それは多分、心のどこかで「正解」を求めているから。。

 

取りあえず、こう言っておけばOK

こう書いておけば文句もあるまい。

 

もっとイヤらしいシタゴコロがあると、

こういう言葉を使えば、共感して貰えるのではないかとか。

 

他の人は分からないけど、

少なくとも自分に限って言えば、

そんなふうに無意識のうちに安全圏に逃げ込んでいたんじゃないか?

って思うんですよね〜

 

「思考の入口」ということで、あれこれ(ムダに長く)書いてきましたが、

ある意味では、そういう安全圏に逃げ込まない勇気を持つことも

入口において必要なことではないかと思う次第。

 

最後に、そんな自分に自戒を込めてこの言葉を引用して終わりたいと思います。 

考える、ということは「間違っててもかまわないから、自分なりの

結論を持つ」ということです。

間違うことを恐れて、頭のいい人の意見ばかり聞いては、 頭は良くなりません。

 

「スマートノート」

 

ペンギンオヤジのB読書!: 思考の入口(前編)

◆どうやって考えたらいいの?

◆脳は勝手に考える

◆思考のジャグリング

 

ペンギンオヤジのB読書!: 思考の入口(後編)

◆とにかく書き出せ!

◆どうやって頭の中の全てを記録するか?

 (1)常にメモできるものを携帯せよ!

 (2)迷わずに書く

 (3)カッコウつけずに書く

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タグ:岡田斗司夫
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2014年03月07日

思考の入口(後編)

あなたを天才にするスマートノート
「あなたを天才にするスマートノート」

岡田斗司夫:著
文藝春秋

ゼロ秒思考  頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング
「ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング」
赤羽雄二:著
ダイヤモンド社

 

さて、「前編」からのつづきです。

 

前回は・・・

 

・どうしたらちゃんと自分の頭で面白いことが考えられるようになるのか?

 

・人は考えているのではなく、感じているだけのことが多い

 

・そもそも深く考える方法が分かっていない

 

・しかし、脳は[勝手に]いろいろなコトを感じたり考えている

 

・その結果、頭の中で思考がジャグリングしてワケが分からなくなる

 

・だったら、感じたり考えていることを紙に書きだせばいいじゃん!

 

と、こんなようなことを書きました。

 

それでは、「後編」のはじまり、はじまり〜

 

とにかく書き出せ! 

考えてること全て書き留めたい

 

「スマートノート・電子版プラス」

そこで、お勧めなのは考えをすべて書き留めることだ。

考えのステップ、頭に浮かんだことを書き留めると、

堂々巡りがほぼなくなる

 

「ゼロ秒思考」

 「前編」でも書いたけど、人って割と絶えず色々なコトを感じたり、

考えたりしていると思うんですよね。

 

まぁ、たいていは取るに足らないどーでもいいコトが多いのだけど、

でも時々、自分でも「はっ!」とするような良いコトを思いついたりもする。

 

・・・でも、そういうアイデアや閃きって泡みたいなもので、

浮かんできても、すぐにはじけて消えてしまうんですよね。。

おまけに、後から思い出そうとしても

「さて、何だったっけ?」となることが多いのだ。やれやれ・・・

 

で、どーするかというと2冊の中で共通して書かれいるコトが

 

『考えていることを全て書き留めよ!』

 

いやいや、これってハードル高いですよね〜

 

どうやって頭の中の全てを記録するか? 

古来、三上(馬上、枕上、厠上)は文章を書くとき、アイデアを

練る時としてよいと言われているが、まさにそのとおりなのだ

 

「ゼロ秒思考」

 この『三上』の話しはけっこう色々な本に書かれているので、

ご存知の方も多いかと。

 

要は思いつき、アイデアがうまれやすい場所として次の3箇所を挙げているのだ。

(ちなみに、宗の時代の学者、欧陽修が言ったといわれてます)

・馬上馬の背の上、つまり乗り物に乗っている時

・枕上(ちんじょう)枕に頭を乗せている時、つまり寝ている時

・厠上(しじょう)厠、つまりトイレに入っている時

 

1)常にメモできるものを携帯せよ!

トイレや寝ている時に浮かんでくるアイデアや閃きを書き留めるためには、

やはりメモ帳を常に肌身離さず持ち歩け!ってことになると思うのですが・・・

 

手許にメモがなければ、最近ではスマートフォンのボイスレコーダー・アプリを

使って、直接、声で録音してしまうという手もあるかと。

 

ちなみに私はiPhoneのメモ帳アプリ・Evernoteに記録するようにしてます。

 

・・・が!

 

考えていることや思い付きをメモするのに「壁」となるのは、

メモ帳を持ち歩く、というような道具の問題ではなく、

むしろ次のような心理的な問題の方が大きいのではないかと思うのです。

 

(2)迷わずに書く 

メモには具体的に何を書くのか。

思いついたこと、気になること、疑問点、次にやるべきこと、

自分の成長課題、腹が立って許せないことなど、頭に浮かんだことは

何でも書く。頭に浮かんだそのまま、フレーズを書き留める。

 

「ゼロ秒思考」

 前に脳は自分の意思とは関係なく[勝手に]色々なコトを考える。と書きました。

だから「あ〜腹へった〜」とか、「眠いなぁ〜、少しサボっちゃおうかなぁ」などと

まぁ、割とどーでもいいコトも考えるわけで、

だから、いくら心で思ったこと全部を書き留めろ!と言ったって

こんなコトまでメモする必要ないよなぁ〜って思いますよね。

 

確かに!私もメモする必要ないじゃん!って思ってました。

 

だけどね・・・

 

これはメモしなくてもいいや

こんなことメモするのはバカらしい

 

そんなふうに流し続けていると、

「おっ!これは!」という閃きが浮かんできても、

「メモするの後でいいや」とか、

「わ、わ、いいこと思いついたけどどーすればいいんだ!(汗)」

なんてコトになってしまうのではないかと思うようになったんですよ。

 

たぶん・・・ですけど、

メモって「習慣」だと思うんですよね。

 

よく「メモ魔」と言われるような人っているじゃないですか。

何でもかんでもメモしちゃう人。

 

そういう人って、何か気付いたり、思いついたらメモをするという習慣が

身に付いていると思うんです。

 

「習慣」を身に付けるには・・・そうです。

ひたすら反復するしかないですよね。

 

だから最初のうちは、メモをする、しないという判断を入れずに

とにかく思いついたら何でもメモする!って決めてしまった方が良いのではないかと。

 

それでも、こんなのメモするに値しない!って思うなら

ツイッターでつぶやいちゃえば良いんですよ(笑)

 

3)カッコウつけずに書く 

書き留める際に言葉を選ぼうとしすぎると、思考が止まってしまう。

それよりは、浮かんだ言葉をあまり深く考えず、次々に書き留めて

いくほうがずっといい。

 

「ゼロ秒思考」

メモやノートを書く時に、誰に見せるわけでもないのに、

なぜか言葉を選んで、カッコウつけようとしたりしてませんか?

 

私はかなりカッコウつけてます (^^;

つーか、頭が固いんでしょうね、きっと。>私

 

Aさんは、●●すべきである」なんて書いてしまうのですが、

頭の中に浮かんだ時には、「Aさんが、やりゃいいんだよ!」とかって

思っているわけです。

 

だったら、そのまま「やりゃいいんだよ!」って書けばいいし、

それに、そういう言葉で残しておいた方が、後で見返した時に

その時の自分の感情まで再現できるような気がします。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

また、ムダに長い長編になってきましたね・・・(汗)

本当は今回の「後編」できれいにまとまる筈だったんですけどね〜

おかしいなぁ〜

 

でも!

 

「グラスの底に顔があってもいいじゃないか!」と言ったのは岡本太郎ですが、

グラスの底に 

 

「後編」の後に最終回があってもいいじゃないか!と思うわけですよ。

・・・というわけで、まだまだ続くのじゃ!

 

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2014年03月06日

思考の入口(前編)

Don't think ,Feel !(考えるな、感じろ!)
と、言ったのはブルース・リーだったか。。

Feel

映画とかを観ていないので、この言葉がどういうシーンで使われ、
真意は何なのか?とか知らないのだけど、
先日、久しぶりに読み返した本の中にこんなコトが書いてあった。

私たちは感じているだけで、実は考えていない場合が多い

「あなたを天才にするスマートノート」(岡田斗司夫:著)

考えているのではなく、感じているだけ・・・
なんか、そうかもなぁ〜と妙に共感してしまいました。

自分が以前に書いたブログを読み返すと、
(1)本に書いてあるコトに対して、ただ反射的に思ったことを書いている
(2)何処かの誰かが書いたり言ったりした借りモノの言葉で書いている
   →つまり、自分の言葉で書いていない!
・・・なんか、そんな記事が多いんですよね〜

そして致命的なのが、(3)正しいコトを書いてまとめてる。。
正しいコトというのはですね、
・前向きに元気に生きる
・人には優しく親切にする
・目標を持って生きる
・ご飯は残さない(←ちょっと違うか。。)
こういう当たり前のことですね。

同じく岡田斗司夫さんの「スマートノート」の中にこんな言葉が!

人は面白くなければ、正しい意見でも聞いてくれないのです。

そうなのだ!
当たり前のことを言って面白いのはCOWCOWだけだ!

あたりまえ体操

フツーの人(つまり、私)が当たり前のことを言ったり書いたりしても
「だからどうした?」ってなるのがオチ。。

では、どうしたらちゃんと自分の頭で面白いことが
考えられるようになるのか?!
以下の2冊の中からその答えを探って、まとめてみました。
(長い長い前フリじゃ!)

あなたを天才にするスマートノート
「あなたを天才にするスマートノート」
岡田斗司夫:著
文藝春秋

ゼロ秒思考  頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング

「ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング」
赤羽雄二:著
ダイヤモンド社

◆どうやって考えたらいいの?

そもそも、大半の人は、どうすれば「深く考える」ことが
できるのかがよくわかっていない。

「0秒思考」

よく職場で先輩や上司から
「もっと、よく考えろ」とかって言われたりしませんか?
私はよく言われました。

「もっとよく考えろ!」「深く考えろ!」とか言われたって、
どうしたらいいのさ!(逆ギレ)という人が大半というのは納得。

だって書店に行くと、「論理思考の技術」とか
「アイデアはこうやって出せ!」みたいな思考術の本が
それこそ山のように売られているのが何よりの証拠かと(笑)

◆脳は勝手に考える
瞑想の経験がある人は分かると思うのですが、
目を閉じている時に頭の中で何も考えない・・・ということに
なっていますが、実際はさまざまな雑念が湧いてきます。

「考えない!考えない!」と思えば思うほど、
心配事であったり、何かのアイデアだったり、
時にはネガティブな感情だったり・・・
そういう雑念が次から次へと浮かんでくるんですよね。

私、思うのですが・・・

人の脳って自分の意思とは関係なく色々なコトを
勝手に考えたりするんですよね。
脳が暴走するというか。。(Oh!No!)

ここで、(Oh!No!)と書いたのも脳が暴走したからです!(キリッ!

えっと、話しを元に戻すと・・・
「深く考える」方法は分からないにしても、
少なくとも脳は勝手に色々なコトを考えだしているのではないか?
ということです。

◆思考のジャグリング

「沈思黙考」という言葉があるが、ひたすら考えを巡らせ、
ああでもないこうでもないと考えるだけで思考が進むことは
あまりない。多くの場合、時間の浪費になる。

「ゼロ秒思考」

人間の悩みの最大ポイントは「同じ悩みをぐるぐる繰り返す」
ことです。この繰り返し、つまりジャグリングさえやめれば
実はかなり楽になります。

「スマートノート」

ジャグリングって、これのことです。

ジャグリング
大道芸人さんがモノをぐるぐるまわす芸のこと。

 

私が思うに・・・

人の脳は[勝手に]次から次へと考えを巡らせるから、
放っておくと頭の中が色々な考えでジャグリング状態に
なってしまうのではないかと。

で・・・

ジャグリングを繰り返しているうちに
自分でも何がなんだか分からなくなってきて、
「もう考えるの止めた!」ってなるんですよね〜

じゃぁ、どーするか?

そうです!正解です!

とにかく頭の中を紙に書きだせ!
ということになるんですね。

でも、その話しは次回「後編」につづくのだ!

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2014年03月01日

「ココロノート」で描く5年後の未来(番外編)

寝る前10分 人生を変える ココロノート: 5年後、必要とされる人材になる!

「人生を変えるココロノート」 河合薫:著 東洋経済新報社

前編」「後編」と書き続けてきて、今日は「番外編」なのだ。

 

実は・・・

 

この本を読み終えてから、ずっとモヤモヤと心の中で

気になっていたことがありました。

 

それは、一言でいえば「心のダークサイドと向き合う」ということです。

 

最低な自分、最悪な出来事 

昨日書いた「バイオリズムライン」を見直して、

「最低だった」ときと、

「最高だった」ときの、

具体的なエピソードを1ページまるまる使ってできるだけ具体的に

書き出してください。

そのときのあなたの素直な感情も、できる限り書き加えましょう。

P90

 「ココロノート」の課題の中で、こんな問いかけがあります。

過去の最低だった時のことを思い出せ!と。

 

正直、心がヒリヒリしましたよ。

 

だって、誰にだって「封印」した過去ってあるでしょ。

 

でも、頑張ってノート2ページも使って書きました。

 

その時に、一緒にノートに書いたメモ書き。

 

・無理やりフタをして閉じ込めていた感情が一気にあふれ出てきた

 

・当時のことを客観的に捉えることができた

 

それが例え何年も前のコトでも、当時の心の痛みみたいなものが

まだちゃんと残っていて、ノートを書きながらヒリヒリした痛みも感じました。

 

でもね。

 

ノートに書き終えて、読み返してみた時に

(本当は、読み返すのもイヤだったけど、一応、頑張って読み返してみた)、

ふと心が軽くなって、当時のことを客観的に見ることができたのです。

 

私の不都合な真実 

潜在意識には、あなた自身が驚くような気持ちや自分でも認めたくない

ような感情が潜んでいることがしばしばあります。

でも、そんな自分も、自分です。否定せず、ありのままを受け入れて

ください。P54

日常生活の中で、ふとした瞬間に心に湧き上がってくる「黒い感情」

家族のことであったり、

友人や知り合いのことであったり、

あるいは、社会に向けてであったり・・・

 

とてもブログには書けない!

そんな「黒い感情」に自分でも、ハッとして慌てて打ち消そうとする。。

 

そんなこと、考えちゃいけない!って。

 

こんなこと誰にでもあるんですかねぇ〜?

まぁ、人のことはともかく、

自分にはそういう「黒い感情」が心のどこかにあるっていうのは、

確かなこと。。

 

(注!街であっても石を投げたりしないで下さいね〜)

 

そんな自分も、自分です。否定せず、ありのままを受け入れてください

 

この本を読んで、

この文章を読んで、

どうやって、そんな自分にって不都合な真実と向き合えばいいのか、

それがとても気になっていました。

 

 「許す」ということ 

自己受容とは、自分の良いところも悪いところも

しっかりと見つめ、普通であれば目をつむりたくなるような

情けなく不甲斐ない自分を受け入れる行為です。

 

自己受容は人間のポジティブな心理的機能の一つです。

逆境を乗り越えるために必要な心の動きです。

自分と向き合えて初めて、人は前に進む真の強さを持てます

(P34)

 黒い感情が湧き上がってきた時に、慌ててそれを打ち消す。

これって、自分と向き合えてないですよね、たぶん・・

 

でね・・・

 

どうやって、そんな自分と向き合えばいいのか?ということを

何日も何日も考えていたんですよ、私。

 

で・・・こう思いました。

 

「私は聖人君子じゃない!」

 

何日も何日も考えて出した結論が、これです。。

でも、いいんです!

だって、聖人君子じゃないんだから、私は。

(ある意味、開き直りですよね、これって)

 

ブログにも書けないような黒いことを思う自分。

もう何年も前のことにヒリヒリした痛みを感じる情けない自分。

逃げ出したくなるようなことが目の前にたくさんある。。

 

そんな自分を「許そう」と思いました。

だって、聖人君子じゃないんだから。

 

うまく言葉にできないのですが・・・

この場合の「許す」って、たぶん「認める」ということですよね。

 

そうして、もう一つ思いました。

 

最悪な出来事に登場する過去に私の心に傷をつけていった人たち、

今も私の心にチクチクと痛みを与える人たち・・・

 

そういう人も、「許そう」って。

いや、カッコウつけ過ぎですね。

正確には「許す」努力をしてみようと。

 

だって、そんな相手も聖人君子じゃないのだから。

 

なんか、そんなふうに考えたら、

心が少し軽くなったように感じました。

 

これが「自己受容」ということなのでしょうか?

 

最後に・・・

 

「前編」の中で、こんなコトを書きました。

 

ココロノートを書いたことで、自分が(ほんの少し)変わった

 

変わった、というのは、この本から色々な気づきが得られた、

というのはもちろんなのですが、

何より、ノートを書くことが楽しくなりました

 

「ココロノート」を書くようになってから

突発的に日記を書くようになり、奇跡的にもう1ヶ月以上も

継続できています。

それに、ずっとサボっていた読書ノートも手書きで復活させました。

 

やはり「前編」の中で引用しましたが、 

新たな考えや価値観が呼び覚まされます。

 

書くことで、ココロの声が深化する。P44 

これが、本当に実感できてるんですよ。

 

ノートに文字を書き連ねていると、

ふと全く別の記憶と結びついて新たな考えが浮かんだり

思わぬアイデアが浮かんできたり、

「あぁ、俺ってこんなことを思っていたんだ」とか、

 

そんなことが次々とおきるので、楽しくて仕方ない!

 

◇◆◇◆◇◆

 

「ココロノート」を書いたからといって、

夢のような5年後が待っているわけでも、

保証されるわけではない。

 

けれど・・・

 

これから先、

何か迷ったとき、逆境に苦しんだとき、

「ココロノート」を見返したり、

ノートに自分の気持ちを書き込んでみたりすれば、

そこにまた、新たな気づきやアイデアが生まれて、

必ずノートが自分の見方になってくれると思う。

 

「ココロノート」は一度書いて終わりではなく、

未来に向けて育てながら一緒に旅する相棒だから。

 

おしまい。

 

「前編」「後編」「番外編」と長々とお付き合いくださって、

ありがとうございました!

【前編】 

ペンギンオヤジのB読書!: 「ココロノート」で描く5年後の未来(前編) 

良い意味で「未完成の本」

「手書き」でノートを書く

夢の達成率

ノートに日記を書いたら、原因不明の腰痛が治った!

【後編】 

ペンギンオヤジのB読書!: 「ココロノート」で描く5年後の未来(後編)

「何を書いたか」ではなく「何を感じたか」

人は他者によって生かされている

ココロノートで5年後に必要とされる人材になれるのか?!

 

ーーーー

Facebook経由で読んで下さった方へ】

申し訳ありませんが、Facebookはほぼチェックしなくなってしまったので、

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(わがまま言って、ごめんなさい)

単行本

kindle版

タグ:河合薫
posted by penguin-oyaji at 20:47 | Comment(2) | 読書(自己啓発) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月27日

「ココロノート」で描く5年後の未来(後編)

寝る前10分 人生を変える ココロノート: 5年後、必要とされる人材になる!

「人生を変えるココロノート」

河合薫:著

東洋経済新報社

 

さて、前回は前頭葉とか認知行動療法の話しまで引っ張り出してきて

「書く」ことによって得られる効果の話しを延々と書き綴りました。

 

で・・・

 

今回は私が「ココロノート」を書きながら、

どんな気づきがあったのか?

そんな話しから始めてみたいと思います。

 

「何を書いたか」ではなく「何を感じたか」

生まれてから現在までのあなたの人生で起こった出来事を振り返り、

あなたのココロのバイオリズムの波を書き出して下さいP87

 バイオリズム

失敗したり病気になったり凹むことも色々あったけど、

そういうマイナスの期間は決して長くはなかったこと、

そしてマイナスの後には必ず良いことがあった事を改めて思い出した。』

 

 「禍福は糾える縄の如し」という故事がありますが、

人生って、良いコトと悪いコト、その両方がかわるがわるやってくるもの

・・・ということは、何となく経験としても分かっていました。

 

でも、

実際にバイオリズムを書いてみて、

 

例えどんなに落ち込んだり、悲しんだりしたとしても

それは人生の中の一瞬の出来事で、

長い人生という時間軸で測ってみれば、それは一瞬のことで

長く続くワケじゃない。

 

そのことに気付いたときに、私なんだか「はっ!」としたんですよね。

あまりの驚きに、もう一つのブログにフライングして

こんな記事を速攻でアップしてしまいました。

人生のバイオリズム : ペンギンオヤジのDブログ

そして、その日を境にココロノートを書いていて感じたことや

気付いたコトをノートにメモするのはもちろん、

ツイッターでもつぶやくようにしたのです。

 

「ココロノート」を書いていて気付いたこと、感じたことを

 投稿したつぶやきをtogetterでまとめてみました。

 お時間があれば、ご覧下さいませ。

「ココロノート」の気付き - Togetterまとめ

あなたが「自分の存在意義」を感じるのは、どんなときですか?P112

『私の場合、結局は自分以外の誰かの役に立ったり、

人から頼られたりした時に自分の存在に意味がある=自己肯定できる瞬間だなぁ』

  

あなたは、どうしたら幸せなキャリアを歩めると思いますか?

どんな働き方をしたら、どんな生き方をしたら、

5年後の自分に納得できると思いますか?(P136) 

『夢をかなえるための具体的な行動を書き出してみる。

頑張って行動してみても夢が叶うかどうかは分からない。

でも、夢に向かって少しずつでも行動を積みかせねて進んでいくしかない。

そうすれば少なくても「なれる最高の自分」にはなれるような気がする。』

 

『目標達成のための具体的な行動をあれこれ書き出してみて気付いたのは、

未来に向けて今できる一歩目があること。

そして、その一歩一歩をきちんと積み重ねていくこと。

近道ではなく、王道を歩くこと。そんな当たり前の事実だった。』

 

 

こんなふうに、自分の気づきを書き残したり、

つぶやいたりしているうちに、こんなコトを思うようになりました。

 

「ココロノート」は筆者の質問にただ答えるだけでなく、

その時に何に気付いたのか?

何を感じたのか?

それがすごく大事なことなのではないかと。

 

人は他者によって生かされている

境界内に、身近な人間関係、社会的活動など他者との関わりが

必要な要因を含めることができない限り、生きる力や回復力が

発揮されることはありません。P62

 「境界内」・・・自分が心の中で思う大切なこと、絶対に守るべきもの

 そんな意味合いです。

ホープ、すなわち「光」は、「逆境やストレスフルな状況にあっても、

明るくたくましく生きていくことを可能にする内的な力」です。

 

そして、その「光=ホープ」は他者との関係性---大切な家族、友人、

恋人といった自分を大切に思ってくれる人、自分自身が大切に思う人など

他者の存在とのかかわりの中で見いだされます。P162

この文章って、5年後の自分を考える時にとても示唆的だと思うんですよね。

 

「他者との関わり」

「他者との関係性」

つまり、人は他者によって生かされている。

と、いうことを筆者は私たち読者に訴えかけたいのではないかと。。

 

これは、ある人から聞いた言葉なのですが、

「絶望の中で、人は自分のためには頑張れないが、

他人のためになら頑張れる」

 

蓋し名言だと思います。

 

5年後の未来へ向かって踏み出した先に何が待ち構えているのか?

もちろん、嬉しいこともあると思うけど、

やっぱりツラいことや逆境に陥ることだってあると思うのです。

 

「もうダメだ!」と思った時に、それでも前に進む力を与えてくれるのは

自分のことを応援してくれたり、見守ってくれる自分ではない誰か、ですよね。

 

5年後の未来は自分だけでつくるものじゃない。

他者との関わり、関係性の中で見いだしていくもの。

 

私の勝手な想像ですが、

きっと、筆者はそんなことを私たちに伝えたかったのではないかと。

そんなふうに思うのです。

 

ココロノートで5年後に必要とされる人材になれるのか?!

さて、あれこれ書いてきましたが、原点に戻りたいと思います。

この本は、「5年後に必要とされる人材」を目指すためのものでした。

 

ひと通り「ココロノート」を書き終えて、私も改めて

「ココロノートで5年後に必要とされる人材になれるのか?!」って、

考えてみたんですね。

 

1)たぶん、ムリかなぁ〜

2YesWe can!(by オバマ大統領)

 

さて、どちらでしょう? 

「希望」が環境で作ることができるものであるとするならば、

「光」は自分で見いだすしかありません。「光」を見いだす努力を

しない限り、明るくたくましく前に進むことはできない。そして

そこにかかわる「大切な」人がいて初めて、光がともります。P163

 上の方で「人は自分のためには頑張れないが、他人のためになら頑張れる」

と、書きました。

 

でもね。

 

頑張る、その一歩目は自力で踏み出すしかないと思うんですよ。

待っていれば誰かがやって来て、自分の背中を押して

「よいっしょ」と自分の足を前に出してくれるわけじゃない。

 

「光」は自分で見いだすしかありません」って、そういう意味だと思うのです。

 

でも・・・!

 

「ココロノート」を書きながら自分と向かい合い、

心に思っていることをノートに吐き出していくと、

不思議と「よしっ、頑張ろう!」っていう気持ちになるんですね。

(少なくとも私はそう思いました)

 

それから・・・ 

ココロノートを何度でも、何度でも、見直して、あなたの価値観を

明らかにしてください。P172

私が社会人になったばかりの頃、当時の上司から

「新人のうちに自分のバックボーンをつくれ!」

と、何度も言われました。

 

その上司が言う「バックボーン」とは、

将来、何か迷いがあった時に戻ってくる場所、

つまり、自分の価値の判断基準、そんな意味合いを持っていました。

 

自分が書いた「ココロノート」を改めて見直して思うのは、

「紛れもなく、今の自分がノートの中に詰まっている」ということ。

 

これから先、もしかしたら、自分が考えていることは

変わっていくかも知れない。

だけど、このノート見れば「よしっ、頑張ろう!」という

今の気持ちを思い返すことはできると思うのです。

 

そういう意味では、ココロノートは5年後の未来に向けての

私のバックボーンだと思う。

 

最後に・・・

ぶっちゃけ話しを書くと・・・

 

自分の「ココロノート」を書き終わった時に、

これで5年後に必要な人材になれるのかなぁ?って思いました。

 

7つの習慣」のように、目標をブレークダウンするとか

夢に期限をつけるとか、しなくていいの?

 

でもね、気付いたんですよ。

 

ココロノートは5年後の未来に連れて行ってくれる

自動エレベーターじゃない!って。

 

もっとも、そんな便利なエレベーターなんて

そもそも存在しないと思いますが(笑)

 

「光」は自分で見いだすしかない。

でも、ココロノートで自分と向き合えば、

その第一歩を踏み出す力を与えてくれる。

 

そして、これからの5年の間にあるであろう逆境を

乗り越える時に、自分のバックボーンとして

きっと力を貸してくれる。

 

この「ココロノート」で筆者、河合薫さんが伝えたかったこと、

それは、きっと

 

自分を見つめ、

あるがままの自分を受け入れ、

そして主体的に自分の未来を生きて下さい

 

そんな、とてもシンプルな、でも力強いメッセージなんだと思う。

 

◇◆◇◆◇◆

 

さて、きれいにまとまったところで

これで終わり・・・かと思いきや、

まだまだ、この本について語りたい!のです。

 

そんなワケで、次回は『番外編』として、

自己受容の話しや、心のダークサイドの話しを書くのだ!

 

これで、いいのだ!

 

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posted by penguin-oyaji at 15:59 | Comment(0) | 読書(自己啓発) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月25日

「ココロノート」で描く5年後の未来(前編)

寝る前10分 人生を変える ココロノート: 5年後、必要とされる人材になる!

「人生を変えるココロノート」

河合薫:著

東洋経済新報社

この本の冒頭に「あなたは5年後に必要とされる人材であることに

自信がありますか?」と書かれています。

 

たぶん・・・私が社会人になりたてだった230年前なら

成り立たない問いかけだと思うんですよね。

 

昔だったら学校を卒業して、社会に出て働き始めたら

5年後の私は?」なんて考えなくても

エスカレーターが自動的に未来まで運んでいってくれたから

心配する必要なんて無かった。。

 

だけど、バブルが崩壊し、出口の見えないデフレ経済と不況が続き

日本の風景は変わってしまった。。

 

5年後はおろか、3年先、下手したら1年後に自分が何処で何をして

働いているかすら分からなくなってしまった。

 

この「ココロノート」は、そんな漠然とした未来に対する不安を

取り除き、5年後にも必要と言われる人材であることを目指すための1冊です。

 

Amazonの内容紹介 

未来の記憶をつくる

5年後に必要な人材になるために、いま私たちがすべきことは、

5年後の未来を記憶すること」と著者は言います。生物学的に、

人は、本能的に未来への行動計画を想像し、作り上げ、

それを前頭葉に記憶させる。その未来への記憶に合致する行動をに対し、

積極的に取り組み、努力する、そうです。

その「未来への記憶」を書き留め、素早く行動に落とし込むための

ツールが「ココロノート」なのです。

 なお、この本は著者、河合薫さまからプレゼントして頂きました。

この場を借りて、改めて「ありがとうございました!」

 

良い意味で「未完成の本」

この本には5年後の未来の自分を創るための16個の質問が書かれています。

例えば・・・

・あなたが学校を卒業してから、今日にいたるまでのキャリアについて

 教えてください。

・生まれから現在までのあなたの人生で起こった出来事を振り返り、

 あなたのココロのバイオリズムの波を書き出して下さい。

・あなたが幸せを感じるのは、どんなときですか?

 

これらの質問に対する自分の答えを約3週間かけてノートに書き出すのです。

 

もちろん!私もノートに書き出してみました。

 

で・・・・!思ったのですが、

この本は実際にノートを書いてみなければ読んだことにならない!

良い意味で「未完成」の本だと思うのです。

 

というのも、

 

一通り16個の質問についての答えをノートに書き終わった後で

この本を再読したんですね。

 

私、本を読む時はたいてい、重要と思われるポイントや

ブログで引用したいと思う文書のところにポストイットを貼るのです。

こんな感じ。

 ココロノート

 

自分でも驚いたのですが、

「青」が最初に読んだ時に貼ったポストイットで、

「黄色」が再読しながら貼ったものです。

 

写真だと分かりにくいかもしれませんが、

黄色が青の3倍近く貼ってあります。

 

つまり・・・質問の答をノートに書き出した後に再読すると、

ココロに響く箇所がものすご〜く増えた!ということです。

 

『いやいや、ちょっと待て!

本を読み返したら、印象が変わるなんてよくあることだろ?』

そう、思った人いますよね、きっと。

 

でも、最初に読んでからまだ1ヶ月ですよ。

そんな短期間で印象が変わる本なんて、そうそう無いでしょ。

 

それに、本に書いてあるコトの理解度、納得度が

1回目よりとは全然違うんですよ!

 

たぶんですけど・・・

 

ココロノートを書いたことで、自分が(ほんの少し)変わったんだ

と思うんですよ。

 

とにかく、この本を手にしたら、16個の質問の答をノートに書く、

そして、その後にもう一度最初から読み返すことをして欲しいなぁと

思います。

 

ぶっちゃけ・・・ここだけの話し。

この本は読むだけなら、1時間前後でサクッと読めてしまいます。

私も最初は、ショージキ「ずいぶんとお手軽な本だなぁ」って思いました(汗)

 

でも、ですね。

 

ノートを書き終わった後で読み返すと、印象がガラリと変わりました!!

 

「手書き」でノートを書く

ノートやメモを書くのに「手書き」か?「デジタル」か?

どちらがいいのか?という問題は、ネットや書籍の中で繰り返し

多くの方々が議論されてきたところ。 

鉛筆で線を引いたり、気になったところに書き込みをしたりするうちに

パソコンに打ち込んでいたときには思いつかなかったようなことが

ひらめいたり、自分の考えが整理されたり、「あ〜じゃない、こーじゃない」と、

新たな考えや価値観が呼び覚まされます。

打つときには運動神経しか必要としなかった文字が、確実に前頭葉を

刺激する。書くことで、ココロの声が深化する。P44

 前頭葉ですよ!前頭葉!

がんばれ、ボクの前頭葉です!

 

「前頭葉」が脳の部位だというのは、分かりますよね。

では、具体的にどんな働きをしているのかというと・・・

(他の本からですけど、ちょっと引用します) 

前頭葉は(目や耳から入力された)その情報を処理する。

入力された情報を記憶として蓄えられている情報と組み合わせ、

思考や行動の組み立てをつくり、運動野を介して体に指令を出す。

脳の司令塔のような役割を果たします。

 

「脳が冴える15の習慣」(築山節:著)

 つまり、手で書いたり、目で見たりしたインプットされた情報を

過去に記憶した情報と組み合わせたりすることで、

新たなアイデアや閃きを生み出しているんですね。

 

「入力された情報」+「記憶情報」=アイデア、ひらめき

・・・ということが前頭葉で行われているのだと思うのです。

 

でも、アイデアやひらめきって泡のようなものだと思うんですね。

浮かんできたと思ったら、あっという間に弾けて消えてしまう。。

そんな儚いアイデア、ひらめきを忘れないようにメモするにも

キーボードを叩いていたのでは遅過ぎる!

やっぱり、手で書いた方が速い!

 

そういう意味でも「手書き」の方が良いのかなぁ、と私は思います。

 

それとね・・・

 

詳しくは後の方で(後編で)書きますけど、

ココロノートに質問に対する答えをペンで書いていると、

色々な気づきがあったんですよ、私。

(もちろん、それもココロノートに書き込みました!)

 

新たな考えや価値観が呼び覚まされます

そういう気づきって自分では意図してないものなんですけど、

やっぱり、これも「手書き」だったから生まれたものではないかと

思うのです。

 

夢の達成率 

書くことは、打つことより、自分を冷静に見ることが可能になります。

ある調査では、目標を立てるだけだと達成率が68%であるのに対し、

紙に書くと達成率は2530%まで高まるという結果が出ました。

書かれた文字を目にすると、客観的になり、より効果的な目標達成に

向けた行動が換気されるのです。P47)

 「紙に書くと夢が叶う」というのは、多くの自己啓発本が教えるところですね。

 

でも、これも前頭葉の働きで説明できると思うんですよね〜

(あくまでも、ペンギンオヤジ説ですけど・・・)

 

前記の引用文の中で「運動野を介して体に指令を出す」とありますね。

 

夢を叶えるためには、思っているだけじゃダメ。

実際に体を動かして行動しないといけませんよね。

 

前頭葉は情報処理だけではなくて、体に対して指令を出す働きも

あるわけですから、紙に書いた夢をどうやったら実現可能か、

過去の情報や経験と結びつけながら考え(情報処理)、

それを具体的な形にするために「動け!行動しろ!」と

体に前頭葉が指令を出している。

 

こう考えると、私はやっぱり

「がんばれ、ボクの前頭葉!」と叫びたくなるわけです(笑)

 

ノートに日記を書いたら、原因不明の腰痛が治った! 

この「書く」という行為が、古くから認知行動療法などに用いられた

ライティングメソッドと似ていると知ったのは、大学院でストレス

研究を始めてからでした。ライティングメソッドは心理療法の一つで、

自分の気持ちを言葉にして書き出すことで、人間の前向きな力を

引き出す方法です。(P53)

 この文章を読んだときに、「あぁ、そう言えば・・・」と

思い出したことがあります。

 

数日前にテレビで見た話し。

 

立って歩くにも激痛がはしるような腰痛に襲われた人の体験なのですが、

何軒もの病院で診察を受けても、まったくの原因不明だったのが、

ある病院で「毎日、日記を書くように!」という診療を受けたら、

あら不思議!

何年間も悩まされてきた腰痛が治ったというのです。

 

そのお医者さまから指示された日記の内容というのが・・・

・その日にあった不快な出来事、イヤな思いをした出来事を書く

・その時に自分がどう感じたのか、何を考えたのかを書く

基本的には、この2つだけです。

 

そして、後日そのノートをお医者さまと一緒に見ながら、

「その時、こういうふうに考えれば良いのではないか?」と、

ストレスを軽減するようなアドバイスを貰い、

考え方の歪みを直していくのです。

 

たぶん、これが「認知行動療法」だと思うのですが、

テレビを見ていて、私が驚いたのは、

そんなストレスが激痛を伴うような腰痛を引き起こすことと、

それが日記を「書く」ことによって、客観的にココロの動きを捉え、

修正することで病気(腰痛)が治るということでした。

 

まさに!「書く」ということには驚くような効果があるんですね。

 

認知行動療法については、こちらのページが参考になるかも。

認知行動療法とは | 認知行動療法センター

◇◆◇◆◇◆

 

さて、例によってまたもやムダに長いブログになってきましたが(^^;;

 

「書く」ことの効果について、本書の中でも繰り返し書かれていますが、

でも、実際に自分で「ココロノート」を書いてみると、

今日、私がブログに書いたことも「実感として」分かるようになると思います。

 

 

さて・・・

 

まだまだ書きたい!伝えたい!ことがいっぱいあるのですが、

読むのも疲れてきた頃だと思いますので、

今日はこのへんで・・・

次回に続くのだ!

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2014年02月23日

ボクは何で本を読むのだろう?(感動の最終回?)

さて、ムダに長い超大作も今回で完結です!

 

最後は今まで書いたきたコトを総括してまとまるのと、

私が読書について最近思っていることを駄文的に

まとめてみたいと思います。

 

じゃぁ、いってみようか!

スタンド・アリーナ、盛り上がってるか〜い!(←勘違い!)

 

読書について知っておきたい10のこと

 

1)読書では何冊読んだかではなく、何をどれだけ学んだかが大切

 

2)書いてあることを表面的に理解するだけではなく、自分自身のものに

 なるくらいまで、きっちりと理解する。

   自分の言葉で説明できる

   本に書いてあることを用いて、他の事例についても説明できる

   自分の仕事や生き方に活かせる

 

3)情報を得るだけでなく、筆者のロジックを追って読めるようになる

 

4)読書によって基礎知識を身につける。そのためにも良い入門書を読む

   知識や考え方の偏りを防ぐために入門書などは3冊(複数)読む

 

5)難解な文章も諦めずに、線を引いたり関連書を参照しながら丁寧に読む

 

6)速読が出来るのは、自分に基礎知識があるから

 (基礎知識がなければ速読も出来ない)

 

7)意識を高めるための本は何度も同じ本を読み、自分の心に染み込ませる

   意識を高めるのに向いた本:人生の深みを知っている人が書いた本

    あるいは、「論語」のように長く読み継がれてきた本。そこには

    時代に流されない人としての普遍的なことが書かれている

 

8)小説を読むことで感性を高めたり、表現力を養ったりできる

 

9)読書ノートで記憶を定着させたり、理解を深めることが出来る

   自分の気づきや意見などをメモするようにする

 

10)良いアウトプットのためには、良質のインプットを出来るだけ多量に行う

   普段どのような情報に触れているかによってアウトプットの質が決まる

 

自分のレベルをあげるためのチャレンジ

本が売れない。特にむずかしい本でよい本がなかなか売れない

というのは、日本の国にとっては、非常に残念なことだと

思っています。

 

「「読書力」養成講座」

 最近、よく思うのですが・・・

08年頃からビジネス書を中心に本を読むようになってからの6年間。

読みやすい本、分かりやすい本ばかり読んできたなぁ、と。

 

先日、ネットで「ビジネス書も食傷気味なんですよね〜」と

書き込まれているのを見掛けたのですが、

私もまったく同じ気持ちなんですよね。

 

これは、私自身の感性が鈍ってきたのか?

それとも、最近のビジネス書が面白くないのか?

まぁ、どちらでも良いんですけど・・・

 

でも!

 

一つだけ思うのは、分かりやすい本、読み慣れているジャンルの本ばかり

読んでいても自分のレベルとか上がらないんじゃないか?と。 

ドイツ観念論の主要著作というのは、一般の人がひもといた場合、

「一行も理解できない」ということがあり得るのです。

 

1日で学び直す哲学」(甲田純生:著)

 「一行も理解できない」!!そんな本がこの世に存在する意味があるのか?

とも思ったりもするのですが(笑)、そこまで難解ではないにしろ

読んでいてイマイチ理解できないコトが書かれている本にぶつかることって

ありますよね。

 

分からないから敬遠するのではなく、

「分からねば 分かってみせよう ホトトギス」の精神で

チャレンジすることも必要かなぁっと。

 

それから・・・

 

ご無沙汰気味だった小説も、これからはもっと読みたいなぁと思う。

歴史物とか、この年になるまで殆ど手つかずの海外文学とか。 

失敗にはいろいろなパターンがありますが、成功はワンパターンです。

トルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭の「幸福な家庭は

みな同じように似ているが、不幸な家庭は不幸なさまもそれぞれに

違うものだ」(原卓也訳)という有名な一節と同じです。

 

「「読書力」養成講座」

 こんなふうに小説も感性を磨くだけじゃなくて、人生について

学ぶべきことがあると思うんですよね〜

 

それに、友達とTwitterのリプでやり取りをしていて

教えられのですが、

仕事に直接は役に立たなくても、

「教養」って身に着けておいた方が良いんですよね〜

 

きっと本当は正しい読書法なんてない・・・

さて・・・

 

最後の最後に身も蓋もないないコトを書いて終わりたいと思います。

 

冴えないオッサンが、

たかだか本を数冊読んだだけで

あーでもない、こーでもない、と、

エラソーに読書論みたいなものを

ここまで語ってきたわけですが・・・

 

でも!

 

きっと本当は正しい読書法なんて無い

と、そう思っています。

 

例えば、ビジネス書を読んでも仕事が出来るようになるワケじゃない、

ということが一時、ネットでも話題になっていましたが、

その時に私はブログでこんなコトを書きました。 

例え、著者や編集者がどのような意図をもっていようが、

その本をどう読むかは、読者の自由なんだと思う。

 

正しい読み方なんて無い!

 

ビジネス書・自己啓発書を読んで、

それを実践して、成長するもよし。

気分を味わうだけであっても、それもまたよし。

 ビジネス書の著書が「是非、この本を読んであなたも成功して欲しい!」

と思って書いた本であっても、それをどう読むかは読者の自由!

 

時々、人が書いた小説の書評に対して

「それは、筆者の意図を理解してない!読み違えている」

などと反論をしている人がいますが、

それも私に言わせれば、余計なお世話。

 

どんなにスジが違っていても、

小説を読んで、どう感じたかは個々の読者の自由でしょ。

読み違えもなにもない。

 

それと・・・

 

最初に自分で書いたことと矛盾しますが、

読んだ本の内容って、覚えていないようで

案外、覚えていると思うんですよ。

 

でも、ふだんはいわゆる無意識層に眠っているから、

「忘れた」と思っているだけ。

何かの拍子に「そう言えば、あの本にこんなコトが書いてあった」と

思い出すことってあるでしょ。

 

脳科学のことは詳しくないので、よく分からないけど、

きっと、本を読んで得た知識がどんどん無意識層に蓄積されていって

ある臨界点を超えると、急に色々なことが繋がりだして

「あぁ、そう言えば、あの本で・・・」

というコトになるんじゃないでしょうか?

 

だから、本を読んで得たものが今すぐに活かされなくても

インプットを続けていると、ある日突然に「あぁ、そうか!」となり、

仕事や自分の人生に変化を及ぼすことがあるかも知れない。 

「自分で自分の方法論を早く発見しなさい」ということである。

本書を含めて、人の方法論に惑わされてはならない。

 

「「知」のソフトウェア」 

あーだ、こーだと書いてきて、こういうコトを最後に述べるのは

実に気が退けるのだが、

 

きっと本当は正しい読書法なんて無い

 

読書法とか、どんな本を読むかとか、

色々と試行錯誤するのもまた、読書の楽しみだと思うのです。

 

以上、ムダに長い超大作はこれで完結なのだ!これでいいのだ!

 

長々とお付き合い下さった方、本当にありがとうございました!


ーーーー
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2014年02月22日

ボクは何で本を読むのだろう?(下の下篇)

ムダに長い超大作も今回で4回目のエントリーです。

前編、中編、下篇ときたのですから

3回で終わる予定だったんですけどね〜 (^^;;

 

今回は「読書ノート」と「本を読んだ後のアウトプット」の話しです。

さて、無事に書き終えることが出来るのか・・・?!

 

読書ノートは「記憶の定着」と「理解の深化」 

線を引きながら、ゆっくりと、ときには気づいたことなどを

本に書き込んだりしながら読みます。

 

「「読書力」養成講座」

線で囲んだ部分をノートに書き写し、その下に簡単なコメントを

走り書きするのだ。これだけで記憶の定着がまったく変わってくる。

 

読者自身の評価をノートに記すことが記憶を定着させ、理解を

深めるコツである。

 

「読書の技法」

 「前編」でも書いた通り、私も本を読みっ放しにしないためにも

読書ノートを作ろうと思ったのですが、


・アナログかデジタルかで迷い、結局は試行錯誤の繰り返しばかりしていて、

 一本化も出来ていないし、継続も出来ていない

・ノートをつくるコトが目的化してしまい、読み返したりすることが

 殆ど無い=本で読んだことが身に付かない


・・・というような有り様でした。。

 

さて、これからどーっすか?と考えてみたわけですが、

アナログかデジタルか、については手書きにすることに決めました。

たぶんですが、私の場合はキーボードを叩くよりも

手で書いた方が記憶に残りやすい気がするんですよね。

 

それから、今までは本を読んでいて気になるところには

ポストイットを貼るだけだったのですが、

これだけだと、後で見返した時に、何に興味を持ったのか、

どんな気づきがあったのかが分からなくなることも多かったんですよ。

 

「ときには気づいたことなどを本に書き込んだりしながら読みます」

「ノートに書き写し、その下に簡単なコメントを走り書きするのだ」

 

気付いたコトや自分の評価などを本やノートに書き込め!と・・・

今まで私は読書ノートを作る時には本に書いてある文章を、

ただそのまま書き写していただけでした。

 

今回、気付いたコトなのですが、本当に大切なのは本に書いてあることを

覚えることよりも、その時に自分がどんなコトを感じたり考えたか、

なんですよね。

 

本の文章を書き写すのは単なるコピーでしかないけど、

自分の気づきや感想は自分のオリジナルのものだから。

 

では、コメントとしてどんなことを書けばよいのか?

「読書の技法」の中で佐藤優さんがそのことについて触れているので、

ちょっと長いですけど、引用しておきますね。

「コメントに書くことが思い浮かばない」という相談も受けるが、

最初は、「筆者の意見に賛成、反対」「この考えには違和感がある」

「理解できる、理解できない」など自分の「判断」を示すもので

十分である。

「わからない」「そのとおり」「おかしい」の一言でもいい。

何らかの「判断」を下すことが重要だ。

 

次のステップとしては、自分の「判断」に加えて、「意見」を

書き込むようにする。

「私はこう思わない」「この部分はあの本のパクリだ」「同じデータに

関して、あの専門家は別の評価をしている」など自分の「意見」も

書き込めるようになれば、十分理解して自分で運用できる水準に

なっている

 

「読書の技法」

 あまり格好いいコトを書こう!などと思わず、一言でもいいから

自分なりの「判断」や「意見」を書き残していけばいい、ということですね。

 

本を読んでいる時って、色々な感想や気づきがあると思うのですが、

読み進めているうちに忘れてしまうことも多い。

だから、本に書き込むなりメモをとるなりして、自分オリジナルの

気づきを逃さないようにするべきなんだろうと思うのです。

 

で、私が始めた読書ノートの書き方はこんな感じです。
(ちょっと分かりにくいかもですが・・・ごめんなさい) 

読書ノート 

 

岡田斗司夫さんが推奨されている「スマートノート」の書き方を

パクりました。

右ページに本からの抜き書き。

左ページには自分の気づきや意見、あるいは他書からの抜き書きを書いてます。


岡田斗司夫さん流に言えば、本文に対してのツッコミを

左ページに書いている感じです。

 

取りあえずは先ずノート1冊をこの形で書いてみて、

また何かあれば改善していこうかと。

 

アウトプットしろ!とは言うけれど・・・ 

当初は本稿も、知的情報の「インプットとアウトプットの間」

というタイトルにして、もっぱら、「の間」について語ろうかとも

構想してみた。しかし、実はこの「の間」について語ることは

大変むずかしい。「の間」においては、頭の中で無意識のうちに

すすめられる作業が主たる役割を果たしているが、その作業過程を

意識化して記述し、分析することは、ほとんど不可能に近いからである。

 

頭の中の発酵過程、頭の中で考えがまとまっていく過程そのものに

ついては何も方法論がない。

 

「「知」のソフトウェア」

 本を読んでインプットしたら、アウトプットせよ!というのは、

よく聞く話しですが、どうやったら良質なアウトプットができるのか?

そのことがずっと気になってました。

 

でも、上記の通り立花隆さんが書かれているように、

こうすれば!というような絶対的な方法なんてないんですよね、きっと。

 

「インプット」「アウトプット」

この矢印にあたる「の間」については、きっと人それぞれだと思うし、

言い換えれば「の間」こそが、その人自身だと思うんですよ。

 

そういう意味でも「「知」のソフトウェア」の巻末の一文が

とても示唆的だと思うんですよね。 

本書の内容を一言で要約すれば、「自分で自分の方法論を

早く発見しなさい」ということである。本書を含めて、

人の方法論に惑わされてはならない。

 

「「知」のソフトウェア」

 しかし、まったく方法がないワケでない。

 

では、いかにすれば、無意識の能力を高めることができるのか。

できるだけ良質のインプットをできるだけ多量に行うことである。

それ以外に手段は何もない。

 

「「知」のソフトウェア」

 システム用語で

Garbage InGarbage Out」(ゴミを入れても、ゴミが出てくるだけ)

という言葉があります。

 

この言葉について勝間和代さんが著書の中でこんなことを書いています。 

どのように大量の情報を入手しても、ゴミの情報を入れれば、

ゴミしか出てきません。

 

「新・知的生産術」(勝間和代:著)

 これって、つまり普段どのような情報に触れているかによって

アウトプットの質が決まる、ということですよね。

 

前回のエントリーで「読む価値のある本を吟味して読むべし」という

ことを書きました。

 

インプットの質が、アウトプットの質を決めるのであれば、

やはり、「良書」を選んで読むことが本当に大切なんですね。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

いや〜、ムダに長い超大作もやっと全部書き終わりました。。

最後までお付き合いくださって、ありがとうございましたm(_ _)m

 

が・・・!

 

これで終わらないのがペンギンオヤジ!

次回は最終回として総集編・・・じゃなくて、「まとめ」を

書きたいと思います。

(あっ、まだ引っ張るか?!・・・って思ったでしょ)


ーーーー

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posted by penguin-oyaji at 22:47 | Comment(0) | 読書(読書法) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月21日

ボクは何で本を読むのだろう?(下篇)

「前編」「中編」と書き続けてきて今回が「下篇」です。

例によってムダに長い超大作になっていますが・・・(^^;;

今回もよろしければ、お付き合い下さい。

 

意識を高める読書 

同じ本を繰り返し読む読書法が重読です。

重読の目的は、自分の考えを高めることです。

つまり、自分の哲学を持つことです。

哲学とは是非善悪の判断基準です。

 

重読は「意味」を得るだけの読書ではなく、

「意識」を高めるための読書です。

そういう読書をしていない人は、人間が薄っぺらいのです。

 

重読に向いた本は、論理的な本というより、

ほんとうに人生を知った人が書いた本です。

たとえば、『論語』のような古典や松下幸之助さんのような

一流の経営者の教えです。

 

「「読書力」養成講座」

 

本を読むことでモチベーションが上がることってありますよね。

特に自己啓発系の本にそういう効果があるように思います。

 

が・・・!

 

あっちこっちで色々な方が指摘されているように

自己啓発本を読んで瞬間的にモチベーションがあがっても、

それが長続きせず、また違う本を読み漁る。そういうコトを

繰り返してしまう人が多い。

もちろん!私もその一人ですがぁ・・・(恥)

 

なぜ、モチベーションや行動が継続できないのか?!

 

やっぱり一度読んだくらいでは本に書かれているコトが

身体に染み込んでないからでしょうね〜

いわゆる「血肉化」できてないからだと思うんですよ。

 

だから、良いと思った本は何度も何度も繰り返し読んで

自分の身体に染み込ませる。そして実行していく。

こういう「繰り返し」が大切なのではないかと・・・

 

ちなみに小宮一慶さんは、「菜根譚」や

「道をひらく」(松下幸之助:著)を

今までに100回以上も繰り返し読まれたそうです。 

『自助論』『7つの習慣』『「原因」と「結果」の法則』の3冊を

読めば、もうお腹いっぱいじゃないですか。自己啓発書に

書かれていることはだいたい共通していて、この3冊に

書かれていないことなんて、そんなにありません。

 

10年後 あなたの本棚に残るビジネス書100

神田昌典、勝間和代:著

 勝間さんによれば自己啓発書は上記の3冊で充分だとか。。

 

要はあれこれ手を出すよりも、自分が良いと思った本とか

長く読み継がれてきた定番本を何度も繰り返し読むことが

大切ということですね。

 

感性を高める読書 

感性を高めるためには、こうした良質な文学を読むことも

必要じゃないかと、わたしは思います。

 

読書をすることで、実体験とまではいきませんが、本の中で

疑似体験をすることができます。直接、わたしが関われない

多くの方の経験を、自分のものにすることもできます。

 

「「読書力」養成講座」 

小説はね、感情表現や景色の描写が細かいし、読んだ人それぞれが

各自のイメージをつくって読むことができる、これがまぁ、

面白いんだよ。言葉にもっと表現力を身に着けたかったら、

和田さん、ね、小説読みなさいよ、小説ね」

 

「和田裕美の人に好かれる話し方」(和田裕美:著)

 私も20代の頃はけっこう小説を読んでいたのですが、

オッサンになってからはビジネス書中心の読書に変わってしまい

すっかりご無沙汰だったんですよ。。

 

でも昨年、ふとしたきっかけで夏目漱石の長編を「猫」から

遺作となった「明暗」まで全て発表順に読んでみたら、

これが結構面白い!

 

それから吉川英治さんの三国志(文庫で全8巻)も読みました。

長編の歴史小説を読んだのは10代の頃に読んだ「竜馬がゆく」以来でしたが、

長さを感じないくらいグイグイと引き込まれて、あっという間に

読み終えてしまいました。

 

小説の魅力って、物語の中で疑似体験ができたり、

感情表現や心理描写を通して「人」を知ることが出来たり、

自分のイメージや感性を刺激されるところにあると思います。

 

ビジネス書でも起業家や経営者の方が書かれた自伝的なものを

読むと感情が刺激されることがありますが、

やはり!描写力では小説に敵わないと思うのです。

 

それに・・・

 

ビジネスって、よくよく考えると人(お客さま)の心を動かすことを

求められますよね。

よく言われるように人の心は決して理屈だけでは動きません。

人は感情や感性によって動くのですから

やはり、小説を読んで感性を磨くことが必要ではないかと。

 

良書を読むべし 

本を読もうとするときに、それが自分が死ぬまでに読める

残り何冊の一冊たるに値する本であるかどうかを

頭の中で吟味してから読むべきである。

 

最近はお粗末な著者、お粗末な著書があまりに多いのである。

 

「「知」のソフトウェア」  

どうせ読むのだったら、できるだけよい本、人がきちんと

評価しているよい本を丁寧に読むことです。

 

「「読書力」養成講座」

 読むべき本を吟味して、良書を読むべし

・・・って、当たり前と言えば当たり前ですよね。

当たり前田のクラッカーです(若い人には分からないかなぁ〜?)

 

誰が「この本は駄本に違いない!」と言いながら

本を買ったり読んだりするでしょう・・・?

 

ただ一つだけ思うのは、

気を付けていても、つまらない本を買ったりしてしまうんですよね。

 

そういう時、ついつい「きっと、そのうち良いコトが

書かれているんじゃないか?」と淡い期待を抱きながら

最後まで読んでしまうし、

「せっかくお金を払って買ったのだから、

最後まで読まないと勿体ない」って思ってしまうんですよね。

時間が人間にとって最大の制約条件になる

 

「読書の技法」

 そう!惜しまなければいけないのは、

お金じゃなくて時間なんですよね。

 

読んでいて、もうこれ以上は期待できない!

と、思ったらさっさと読むのを止めてしまったほうが

貴重な時間をムダにしないで済む!

これからは、そう考えようと思いました。

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

さて・・・

書きたかった「読書ノート」の話しと本を読んだ後のアウトプットの話しが

やはり今回も書き切れなかった・・・

本当にいつまで続くんだろう・・・?(汗)

 

そんなわけで、まだまだつづくのだ!

(「下篇」の後はなんていうのだ?)

ーーーー

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