2015年02月13日

【椎名誠「アイスランド 絶景と幸福の国へ」】大切なものを何処かに置き忘れ気が付くと僕は今何をしているんだろう?

 

「アイスランド 絶景と幸福の国へ」
椎名誠:著
日経ナショナルジオグラフィック社

学生の頃、重度のシーナ中毒者だった私。
新刊が出ると片っ端から読みあさってました。
(けっこう多作だったので、追いかけるのがタイヘンでしたけど)

でも、「アドバード」あたりを最後に
椎名さんの著書を読むこともなくなって・・・
と言うよりは社会人になって本自体を
あまり読まなくなってしまってた。。

そして今回、数十年ぶりに椎名さんの新作を手にして
読んでみたら・・・

Amazonの内容紹介

南米パタゴニアから北極圏まで、世界を旅した作家が
“最後のでっかい旅"に選んだ行き先はアイスランドだった。
その理由は、独特の絶景や大自然、そして、敬愛する作家
ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』の舞台であると同時に、
幸福度、安全度、女性の社会進出度などさまざまなランキングの
上位国だから。著者が実際に見て聞いて書いた「幸せの国の現実」
とあわせ、でっかい旅の総括ともいえる長い「おわりに」では、
これまでに訪れた世界各国の幸せについても振りかえる。
また、著者の撮り下ろしに加え、ナショジオの絶景写真を31点収録。
絶景と幸福の国を写真でも楽しめます。
美しい国とは―、幸せな国とは―。いまだからこそ読みたいアイスランド紀行。

■幸せって・・・?

ぼくの今度のアイスランドの旅には、いくつかテーマを持って
きていたが、
そのうちのひとつが、この国の国民の「幸福度」の
現実だった。何年か前に
「幸福度指数」が世界九位になったことが
あるという。その実態や理由を
知りたかった。(P72)

幸福とは何か?と問えば、個人の価値観が多種多様であるのと同じように
幸福について人の数だけ違う答えがあるに違いない。

だけど、「幸福な国」あるいは「幸福な社会」とは何かと問えば、
答えはもう少し絞られるのかも知れない。

椎名さんによれば、このアイスランドという国は

軍隊はなく、原発もない。しかし税金は高く、物価も高いが、
政府による
その高い税金の還元が目で見えるかたちでなされて
いるからなのだろう、
多くの国民は、おだやかでシアワセそう
な顔をしている。みんな「この国は
安全で、犯罪などない」という。
警察はあるが銃を保持せず、殺人事件なども
殆どない。滞在中に
パトカーはついに見かけなかった。(P9)

そんな国なんだそうだ。

この本は椎名さんによるアイスランドの旅行記なので、
行く先々での人々の暮らしぶりや自然の情景が綴られている。

そして、文章だけでなくナショナルジオグラフィックの美しい写真と
椎名さんによるモノクロ写真が数多く収録されているので、
視覚的にもアイスランドがどういうところなのかを理解し、
楽しむことができるようになっている。

話しを戻すけれど・・・

この本の文章と写真で感じるアイスランドという国(社会)が
果たして「幸福」なのかどうかという判断は
やはり人それぞれなんだろうと思う。。

だけど、

旅っていうのは、単に行く先々の風景や人々の暮らしぶりを
見て感じて楽しむだけでなく、
その場所から、自分が暮らしているところを振り返って見直してみる、
そんな新しい視点を手に入れる機会でもあると思うのだ。

軍隊も原発もなく、
殺人を含めて犯罪が殆どなく
だけど、税金や物価も高い
幸福度ランキング9位のアイスランドという国を通して
私たちが住む日本という国(社会)を省みた時に
そこにあるのは果たして「幸福」なのか、
それとも・・・

この本はそんな「幸福な国」「幸福な社会」について
考えてみる良い機会を与えてくれる本だと思った。

■大切なモノを何処かに置き忘れ、気がつくと僕は今、何をしているんだろう?

子供の頃に抱いた”夢”は、愚直ながらもとにかくずっと追求して
いたら結構実現してしまうものなのだ、「夢」はかなうものなのだ、
ということをぼくはぼんやししながらも確信したのだった(P131)

今回この本を読みながら思い出したことがある。

自分が若い頃(つまり、重度のシーナ中毒者だった頃)、
椎名さんの「パタゴニア あるいは風とタンポポの物語り」という旅行記を
読み、いつか自分もその地を旅してみたいものだと思った。

そして同時に、今のような人生を送っていたら、
きっとほぼ間違いなく私はパタゴニアに行くことなく
人生を終えてしまうだろう、と思ったのだ。

このアイスランドの旅で椎名さんは敬愛する作家、
ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』の舞台となった場所に立っている。

「夢はかなうものだ」と椎名さんは書いている。
だけど・・・その昔、サラリーマンをしていた椎名さんが、
もしもそんまま会社勤めを続けていたら、作家になっていなかったら、
果たして椎名さんの「夢」はかなっていたのだろうか?

抽象的な書き方で申し訳ないのだけど、
夢をかなえるためには、その夢に近づくような人生を選択しないと
いけないのではないか・・・と思う。

子供の頃、あるいは青春時代に小説でもいい、映画でもいい
あんなふうに生きたい!
こんなことをしたい!
そんな憧れの人生を夢見た経験は私だけでなく、
多くの人にあるのではないかと思う。

だけど、

オトナになって、仕事をして生活に追われているうちに
いつしかそんな子供の頃の夢は何処かに置き忘れてしまい
夢見たのとはほど遠い人生を送ってしまっていた。。。

この本を読んで私は、そんなちょっとほろ苦い現実も一緒に
突き付けられたような気がした。

大切なものを 何処かに置き忘れ
気が付くと僕は今 何をしてるんだろう
夜空を見上げると 多くの夢が
星になり風になり 踊って見える

吉田拓郎「若い人」

◆最後に・・・

椎名さんは昔から極寒のシベリア、タクラマカン砂漠や
パタゴニアなどなど辺境と言われるようなところを
何度も旅してきた作家さんである。

だからというワケでもないのだろうけれど、
椎名さんの本を読むと異国の地と比べて
我が日本の社会がどれだけオカシなことになっているか、
というようなことがよく書かれている。

若い頃、そんな椎名さんの作品を読む度に
そーだ!そーだ!と激しく同意したことも数知れず。。

上の方でも書いたけど、
「旅」っていうのは、異国や見知らぬ場所に立ち肌で感じるものから
新しい視点を得る機会でもあると思うんですよね。

自分で実際にそんな辺境を旅する機会のなかった私にとって
数多くの椎名さんの旅行記を読むことで
バーチャルな世界旅行を楽しんだり、
改めて日本の社会というものを考えてみる教科書でもあったのです。

北米大陸とヨーロッパ大陸(ユーラシア大陸)の中間、
北極圏近くに浮かぶ島国「アイスランド」

「幸福」というテーマを持ってそのアイスランドを旅した
椎名さんが出した一つの結論。
それが最後の方に書かれているのだけど、
読んでいて深く考えさせられるものでした。
※詳細はネタバレ自重ということで・・・
 是非とも本書を手に取って読んでそして考えて貰いたいと思う。。

それから、これも既に上の方で書いたけれど
この本にはナショナルジオグラフィックの美しい写真や
椎名さんが現地で撮ったモノクロの写真が
数多く掲載されているので、読まずとも見るだけでも
アイスランドという国を楽しめるようになっている。
本屋さんで見かけたら、先ずはその写真を楽しんでみるのも
良いのではないかと思うのでした。

おしまい。

  

posted by penguin-oyaji at 22:58 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月08日

親孝行のススメ【みうらじゅん「親孝行プレイ」】


「親孝行プレイ」
みうらじゅん:著
角川文庫

今年の年明けぐらいだったか、Facebookを眺めていたら
お友達がこの本のレビューを書いていて
何となく今の自分に必要な本かなぁ?と思って手にした次第。

作者はイラストレータ、漫画家などとして活躍している
みうらじゅんさん。
私、実はあまり詳しいコトは知らなくて
時々タモリ倶楽部に出てくる面白いロン毛のオジさん
くらいに思ってました(^^;;

でも、「ゆるキャラ」って実はみうらじゅんさんが考案した
ネーミングだったんですね〜 (知らなかった・・・)

Amazonの内容紹介

親孝行したいとか親は大切だとか、“思っている”だけでは気持ちは相手に
伝わりません。親孝行は、具体的に行動しないと意味がないのです。
どうせなら徹底的に親を喜ばせてあげたい。そこで忘れてはならないのは、
相手が親だからこそ「誰よりも気を遣い、誰よりもサービス精神を持ち、
誰よりも接待感覚を忘れてはならない」こと。とにかく行動。
初めはぎこちなくてもいいじゃないですか。
著者が実際にやっている親孝行の数々。

 

■会社では出来るのに、なぜ家出は出来ない?
 〜親コーラーになろう!〜

「親孝行とはプレイである」
これがたえず親孝行と向き合い、親孝行学を探求し、
親コーラー(親孝行実践者の意)として私が導きだした
結論である (P5)

「親だからこそ」
「子だからこそ」
「親子だからこそ」
誰よりも気を遣い、誰よりもサービス精神を持ち、誰よりも
接待感覚を忘れてはならないのだ。そう、親を喜ばせるという
行為は、もはや「心の問題」ではなく、実際にどう行動するか
つまり「プレイ」の一環なのである。心に行動が伴うのではなく
行動の後に心が伴うのが現代の親孝行なのだ。(P6)

職場ではフツーに出来るのに何故か家庭では出来ないコトってないですか?
私はあります。例えば「掃除」とか。。

職場ではあんなに一生懸命に日々、掃除をするのに
何故か自分の部屋はいつまでも散らかったまま・・・そんな感じです(^^;;

どーして、そんなことになるのか?って考えてみると
やっぱり「仕事だから」って割り切ってる部分があると思うんですよね。

仕事なら、ちょっとくらい嫌なことでも我慢して出来てしまう。

仕事での接待、あるいは上司と一緒の職場の飲み会。
相手が少々嫌なヤツでも「これも仕事のうち」と割り切ってしまえば
満面の笑みを浮かべて相手をすることが出来る。

それと一緒かなぁ、と。

で・・・

本書のメインテーマである「親孝行」

これもなかなか実践するのが難しい。
この場合、相手が嫌なヤツというよりも「親子だから」なんとなく照れくさい。
そんなふうに思ってテキトーにあしらっているうちに手遅れになってしまった。。

・・・なんて、コトにならないように
親孝行を「放置プレイ」や「S○プレイ」と同じような『プレイ』と割り切って
先ずは楽しみながら実践しよう!行動しよう!というのが
本書の主旨なんだと思う。

つまり先の例でいえば、親を接待の相手だと思ってサービスすれば良い。
そうすれば「親だから」なんていう照れなど気にならずに
親孝行が出来るっていうことなんだろうと思うのです。

■年をとった親はなぜかワガママになる?

親というのはそもそも理不尽な人種なのである。登山家はそこに山が
あるから
登り、親孝行家はそこに親がいるから親孝行をする。
山に向かって「高すぎる」などと文句を言う登山家はいないわけで、
親に向かって「理不尽だ」と文句を
言うことほど意味のないことは
ないのだ。
(中略)
親孝行プレイは諸君が親に対して行う奉仕プレイなのだということを
忘れては
ならない。(P28)

何故かは知らないけれど、人は年をとると「ワガママ」になることが
多いような気がする。

「ワガママ」と「理不尽」はイコールではないけれど、
とても近い関係にあるような気がする。
(従兄弟くらいだろうか?)

親から「ワガママ」や「理不尽」なコトを言われたら当然おもしろくない。
だからキレる!私も今まで何度キレたか分からない。

しかし!

職場では上司やお客からもっと酷い理不尽でワガママな仕打ちを
何度も受けてきたじゃないか!
そして、その度に歯を食いしばって耐えてきたじゃないか!

そう思えば親の理不尽、ワガママなんて大したことない。

親がワガママを言ってきても職場の上司やお客に接する時みたいに
明るい笑顔でその要求を受けとめれば良いのだ。

つまり、そーいうコトっすね。

■親へのプレゼントという重大問題

ここでは「父親に何をプレゼントするば喜ぶか」のテクニックを
考察していく。
それにはまず諸君には父親孝行プレイの基本姿勢から学んで
いただきたい。

それはすなわち「年をとったことを父親に実感させるな」という
ことだ。
プレイのひとつひとつは父親にはいつまでも若い気分で
いてもらうための
ものでなくてはならない、というのが絶対条件
なのである(P113)

プレゼントというものは、相手にとって必要なものを贈る行為では
ない。
そのようなものは本人が自分の意思で購入すればいいのである。
プレゼントとは
本人では絶対に買わないもの、しかしもらうと意外に
嬉しいものをチョイスすべき
なのだ。(P115)

親の誕生日や父の日、母の日に何をプレゼントすればいいのか?
これは子供にとってけっこう重大な問題なのではないかと思う。

何が喜ばれるか見当もつかないまま
取りあえず何かテキトーなものを選んでプレゼントする。

が・・・!

それから何年か経って、こっちがそんなものをプレゼントしたことすら
忘れてしまっていても親は
「これは○○の時にあんたからプレゼントして貰ったものよ」
と、結構しつこく覚えていてくれたりするので、油断がならない。

この本を読んでいて「そうであった!」と膝を打ったのが、
『年をとったことを喜ぶ人は(滅多に)いない』
という真実なのであった。

親が年をってくると、プレゼントを選ぶ時にも何となく親の年に合わせて
「渋いもの」「地味なもの」「枯れたもの」を選んでしまいがちになる。

だけど、本書によれば
盆栽、モモヒキ、あんかなど年寄りが好むものを贈ってどーする?!
逆に「これ、若すぎるかも?」と思うようなものをプレゼントすべし!と
書かれていて、なるほど〜!と思った次第。

ちなみに・・・

先日のこと。
うちの母と一緒に某ユニクロに買い物に行った時のこと。
母はカーディガンが欲しかったらしくて、
どの色がいいか?と訊ねられたので、
私は何の躊躇もなく「赤!もしくはピンク!」と答えたのだけど、
「そんな派手なのは嫌だ」と無下もなく却下されたのだった。。orz

◆最後に・・・

『親孝行とはプレイである』
この一見ちょっとふざけたように思えるこのフレーズ。
でも、この本の最後のページを読むと
まさに名言!というふうに思えるのではないかと思う。
(ネタバレ自重で引用しませんが。。)

親孝行をテーマにした著作って割と色々あると思うけど、
なんとなく「涙」とか「感動」という言葉と結びついているものが
多いように思うんですね。

でも、この本はむしろ逆で明るい笑いの中に感動が隠れている
そんな内容だと感じました。

それと・・・

親孝行とは・・・っていう概念だけを語っているのではなく
この本では実家に帰省した時、親孝行旅行に連れ出した時、
父親と一緒に寿司屋に行った時など、どのように振る舞えば良いのか
図入りで解説してあるまさに実用書!

ただ、著者がみうらじゅんさん、その人なので、
完全に男目線だし、ところどころにエッチな表現も出てくるし、
女性が読むとまたちょっと違う読後感になるかも?

でも、一つ言えるのは
一見ふざけたりネタにしか思えない話しにも
端々に親を喜ばせようとするみうらじゅんさんの優しさが
ちゃんと隠れているということ。

もしも、この本を手にする機会があれば
そんな優しさに是非とも触れて欲しいと思うのです。

おしまい。

 

posted by penguin-oyaji at 20:48 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月07日

「ワセダ三畳青春記」人生の中の「彼岸」と「此岸」あるいは青春の終わりということ

「ワセダ三畳青春記」
高野秀行:著
集英社

「彼岸」と「此岸」という言葉があります。
簡単に言えば「此岸(しがん)」というのは
今、自分たちが生きているこの世界。
そして「彼岸(ひがん)」とは、あの世のこと。

それと「彼岸」にはもう一つ、
川の向こう岸にある世界、という意味合いがある。

彼岸と此岸を分けている川といえば、
それはもう「三途の川」である。

人は死ぬと自動的に三途の川を渡って彼岸へと行ける(らしい)。

ここまでは仏教とか民間信仰の話しなのだけど、
私が思うに、私たちの人生の中でも
川を渡る瞬間ってあるんじゃないかと思うのです。

Amazonの内容紹介

畳一間、家賃月12000円。ワセダのぼろアパート野々村荘に
入居した私はケッタイ極まる住人たちと、アイドル性豊かな
大家のおばちゃんに翻弄される。
一方、私も探検部の仲間と幻覚植物の人体実験をしたり、
三味線屋台でひと儲けを企んだり。金と欲のバブル時代も、
不況と失望の九〇年代にも気づかず、能天気な日々を過ごした
バカ者たちのおかしくて、ちょっと切ない青春物語。

■人生の中の「彼岸」と「此岸」

この本は上の「内容紹介」を読んで貰えれば分かる通り、
ワセダのぼろアパート野々村荘を舞台にした
面白オカシイ青春期です。

こうしたぼろアパートを舞台にした青春期っていうのは既に
何冊も出版されていて、私の記憶の中を探ってみても
椎名誠:「哀愁の街に霧が降るのだ」
東海林さだお:「ショージくんの青春記」
などは、むかしハマって何度も読み返したりしていた。

この「ワセダ三畳青春記」もそうだけど、これらの作品って
著者が20代の頃、ぼろアパートを舞台にしておくっていた
ハチャメチャな生活を面白オカシく描いているんですよね。

だけど・・・

そのぼろアパートにずっと住みつづけていることはなく、
何かをきっかけにしてアパートを後にするワケですよ。

たいていの場合

もうオレもいい年になるし、マットウな生活をしなきゃ
という気になり、実社会へと巣立っていく。
そんな展開が多い。

◇◆◇◆◇◆

人生の中にも「彼岸」と「此岸」がある。
そんなことを書きました。

たぶん・・・

「此岸」っていうのは、こうした20代の頃にハチャメチャな
生活を送っているモラトリアムの世界で、
「彼岸」っていうのは、マットウな実社会のことを指す。

私には何かそんなふうに思えるんですよね。

そして、全員ではないかも知れないけど
多くの人が、青春時代の終わりに
ある人は意識的に、
ある人は無意識のうちに、
川を越えて「此岸」から「彼岸」へと渡っていったんじゃないかと。

この本でも前半のハチャメチャな面白オカシイ話しとは対照的に
後半というか最後の数章がとても切なく感じられるのは
そういうある種の「青春の終わり」を描いてるからだと思う。

▲この歌も「青春の終わり」を歌った名曲ですよね。

就職が決まって 髪を切ってきた時
もう若くないさと 君に言い訳したね

◇◆◇◆◇◆

書評にも感想にもなってないし、この本を読んだからといって、
コレから先の人生で大きな夢が叶ったり、
あるいはお金がウハウハ儲かるというコトもない
・・・と思う。

だけど

きっと誰もが通り過ぎたであろう『青春』というものを
今一度、手許に引き寄せて「青春のバカさ加減」と
「青春の終わりの切なさ」を思い出してもみるのも
そんなに悪いコトじゃないだろう。

 

posted by penguin-oyaji at 20:26 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月17日

前を向いて未来に進むすべての人へオススメしたい!「全盲の僕が弁護士になった理由」

全盲の僕が弁護士になった理由

「全盲の僕が弁護士になった理由」
あきらめない心の鍛え方

大胡田誠:著
日経BP社

 

この本を読み終えた後、何だかとても爽やか!というか

勇気が湧いてくる感じがしました。

 

タイトルから分かるように、全盲になってしまった著者が

頑張って弁護士になったという実話なのですが、

障がい者が苦労を重ねて・・・

という読み方はしない方が良いと思うのです。

 

何故なら、誰だって身体的な障がいはなかったとしても

心の「弱さ」は持っているし壁にぶつかることは

ありますよね(たぶん・・・)

 

困難を乗り越えて前に進むのに、健常者も障がい者もない!

と思うのです。

 

この本が語りかけてくれるのは、その弱さや壁を

「どのようにして」乗り越えるかという

誰にでも必要な『勇気』だと感じました。

 

Amazonの内容紹介 

全盲でどう司法試験を突破したのか?証拠写真をいかに

読み解くのか?顔を見ずに依頼人の心を読むテクニックとは?

ネットやパソコンをどう使うのか?苦難をエネルギーに

変える思考法とは?「あきらめない心」を育んだ両親の教えとは?

「だから無理」より「じゃあどうする」のほうが面白い。

 この本は日経BP社様より頂きました。ありがとうございました。

 

■本当の限界は少し先にある 

思えばいつも、「もう無理かもしれない」と思った、その少し先に

ゴールがあったような気がする。山では泣き言は通らない。途中で

どんなに疲れても、結局は自分の足で進まなければ、山を越えることも

下りることもできない。しんどいけれど、でもそこを乗り切ったときに、

次はもう少しだけやれそうな気がした。そんな小さな自信をいくつも

積み重ねた。

(中略)

人は無意識のうちに、「自分にできるのはここまで」と限界を線引き

している。でも大概は本当の限界はその先にある。(P91)

 逃げ場がないくらいに追い込まれた時に、

人は限界を超えて自分の本当の力が発揮できる!

のではないかと思うんですよね。

 

私も学生時代にチャリでツーリングをしている時に、峠を越えるために

山道を走っていて、ギブアップしそうになったことがあるんですよ。

 

あたりは木がうっそうと茂っていて、車も走ってなければ

他に人もいない。。

だんだんと陽は沈んでいき、あたりは暗くなってきて

本当、マジで泣きそうになりました(苦笑)

 

でもね、本当に無理かというと、そうじゃなくて

ちゃんと走れるんですよ。

 

だって、誰も助けてはくれないんだから

(そもそも周りに人なんていなかったし)

自分の足を動かして進むしかないんですよ。

 

そう、追い込まれると人って「火事場の馬鹿力」みたいに

とんでもないパワーを発揮したりできるものなんですよね。

 

背水の陣をひくとか、退路を断つって言い方よくしますけど、

あれも同じですよね。

自らを追い込んで、自分を奮い立たせる!

 

まぁ、気を付けないと自滅することもありますがァ。。。(経験アリ!)

 

■「弱さ」は逃げるものではなく、認め向かい合うためのもの 

勝負に勝つために何より大切なのは、自分の弱さを見せつけられた時、

逃げずにそれときちんと向き合う心の強さを持つことだ(P151)

 例えば、話しがヘタで人とのコミュニケーションが

苦手だったとしますよね。

 

どうしますか?

なるべく人と会わないようにする?

会っても話さないで済むように隅の方に逃げ隠れる?

 

なんか、ちっと情けないですよね。

・・・まぁ、これがかつての私の姿だったんですけど(^^::

 

そんな情けない自分を何とかしたい!

そう思って、自分の「弱さ」と向かい合った時に

気付いたんですね。

 

話しがヘタなら、聞き上手になればいいんだ!って。

 

自力じゃムリだったんで「話し方教室」みたいなところにも

行きましたが、おかげさまで今では知らない人とも

普通に話せるようになったし、

コソコソと隅の方に逃げることもなくなってきたかな(たぶんね)

 

自分の「弱さ」って、気付いても出来れば見なかったとコトにしたいけど、

一生それから逃げ回っているのも、格好悪いじゃないですか。

 

ちょっと視点を変えれば、弱さが強さに変わることだってある。

 

「弱さ」は逃げるものではなく、認めて向かい合うためのもの・・・

 

■明日の夢をかなえるのは今日の自分 

逃げずに、弱さを一度は受け止めて、そして自分を信じることだ。

自分を信じる力は、それまで積み上げてきた努力の量に比例する。

だから、最後の最後で自分に負けないための努力を日々しなければ、

と思う。(P155)

 高校受験とか大学受験のように、ちょっと大袈裟かもしれないけど、

自分の人生を懸けた大一番みたいな場面って人生の中で

時々あったりしますよね。

 

やけに昔の話しで恐縮なのですが・・・

高校受験の時のこと。

その頃、好きだった女の子と同じ高校に行きたい!という一心で

猛勉強をして半年くらいの間に確か偏差値を10か15くらい

アップさせたんですね、私。

 

それで何とか彼女と同じ高校の合格圏内に滑り込んだワケですが

いざ、最終的な受験校を決める時になって親や先生から

「もしかしたら、この前の模試はたまたま良い成績がとれただけ

かもしれないから」という理由で、絶対安全圏の高校を勧められたんですよ。

 

で、私も私でその当時からヘタレでしたから、最終的には

周りの言う通りにワンランク下の彼女とは別の高校を受験することに

したんですよ。

 

結局、15歳の私は自分で自分を信じられなかったわけです。

(あんだけ勉強したのに!)

 

まぁ、高校受験でそんな体験をしたせいなのか、

「いくら努力したって、報われないことだってあるよ〜!」と

かなりスレたものの見方をしている私ですが、

それでも!

自分を信じる力は、それまで積み上げてきた努力の量に比例する。

と言うこの一文には、ものすごく共感します!

 

大事な受験や試験前に、「自分はこれだけやって来たのだから

絶対に大丈夫!」そう思えるだけの努力の積み重ねって

やっぱり大切だと思うんですよ。

 

努力の積み重ねって、自分の自信を育てるからね。

 

■「だから無理だ」よりも「じゃあどうするか」 

娘も将来、人生を左右するような試練に直面するときがくる

だろう。でもそこで諦めずに、勇気をもって前に進んでいくと、

まったく別の地平が目の前に開けてくる。「だから無理だ」と

逃げるよりも「じゃあどうするか」と考えるほうが、人生は

がぜん面白くなる。そのことを僕たちは、これまでの、

そしてこれからの生き方を通じて見せてあげたい。(P183)

 何かの本で読んだんですけど、人間の脳って「どのようにすれば

よいか?」っていうような疑問形で問われると、自然とその答えを

探そうと考えはじめるそうです。

 

だから、会社で上司や先輩からムチャ振りされた時でも

即座に「んなこと、出来るわけない!無理だ!」と思うよりも

先ずはそのムチャ振りに対して「どのようにすれば出来るだろうか?」と

考えたほうが良いのだとか・・・

 

まぁ、確かに即座に「無理だ!」と思うよりも

出来る、出来ない、やる、やらないはともかく

「どのようにすれば?」と考える方が

『できる人』に近づけるような気がしますよね。

 

著者が書かれているように確かに人生には時々、どう考えても

乗り越えることができないような壁が出現します。

 

そういう壁を前にした時に、

先ずはぶつかる!よじ登ってみる!それでもダメなら

どうやれば乗り越えられるかを考えてみる。

 

もしかしたら、それはムチャで無謀な挑戦なのかもしれないけれど、

壁によじ登りもしないで「無理だよ〜」と言っているよりは

遥かに価値のある挑戦なんだろうと思う。

 

◇◆◇◆◇◆

 

本当はもっと書きたいコト、紹介したい本文があるのだけれど、

さすがに長くなるので、この辺で。

 

最初の方で

「障がい者が苦労を重ねて・・・

という読み方はしない方が良い」

と書きましたが、私が何故そう感じたのかは、

ここまで読んで頂ければ

だいたい分かって頂けたのではないかと。

 

確かに全盲の障がいをもっている人ならではの苦労話も書かれてますが、

自分の人生の夢を叶えるために弱さに立ち向かう勇気とか決断、

立ちはだかる壁をどうやって乗り越えるのか?

そういう部分って、きっと障がい者、健常者とか関係なく

誰にでも必要なものですよね。

 

自分の弱さに立ち止まってしまっとき、

目の前の壁に押しつぶされそうになってしまっとき、

この本を開けば、きっと「勇気」が貰えると思うのです。

 

それから・・・

この本のドラマ化も決定したそうです。

どんなドラマになるのか楽しみですね^^

 

 

posted by penguin-oyaji at 20:48 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月10日

【民話】笠地蔵 おばあさんの「ネ申」対応にスゲー感動した!

笠地蔵

 【民話】笠地蔵

 

数日前にイラスト付きでSNSにも書いてアップしたのだけど、

今更ながら民話の「笠地蔵」に感動しました!

 

なぜ今、笠地蔵なのかというと・・・

気持ちがすごくイラついていた時に、突然なんの脈絡もなく

頭の中に「笠地蔵」ってワードが浮かんできたんですよ。

 

まぁ、お話し自体は昔から知っているのだけど、

ちょっと気になったので、ネットで検索して改めて読んで

みたんですね。

 

そしたら、ものスゲー感動したんですよ!

 

■この昔話のあらすじ(知ってると思うけど・・・)

 

・おじいさんとおばあさんは正月を迎えるのに、おモチも

 買えないような貧しい暮らしをしていた

 

・おじいさんは自分で編んだ笠を売って、おモチを買おうと

 思い町へ出掛けていった

 

・だけど・・・笠は一つも売れなかった

 

・帰り路、おじいさんは吹雪の中で七体のお地蔵さまを見つけた

 

・吹雪の中で寒かろう、とおじいさんは売れ残りの笠を

 お地蔵さまにかぶせてあげた

 

・家に帰ってきて、そのことを話すとおばあさんは

 「まぁ、それは善いことをしましたね。おモチがなくても

  年は越せますよ」

 と、ニコニコしながら言った

 

・その夜、寝ていると家の外で何か重たいものが落ちるような

 音がした

 

・外を見てみると、米俵、野菜、魚、小判などの財宝が山と積まれ

 お地蔵さまたちが帰っていく姿が見えた

 

・そのおかげで、おじいさんとおばあさんは良い正月を迎えられた

 

□感想

 

たぶん、この話しってフツーは「善いことをすれば報われる」みたいな

教訓と一緒に語られると思うんですね。

 

でも、今回改めてこの昔話を読んで気付いたんですけど、

このおばあさんってスゴくないですか?!

 

たぶん・・・おじいさんは売れ残った笠をそのまま家に持ち帰るよりも

お地蔵さまにプレゼントしてあげた方がいいだろう、と素直に思ったか、

もしくは!単にヤケになっていたのかも知れないわけですよ。

 

でも、おばあさんは家でおじいさんがお正月のおモチを買って帰ってくるのを

楽しみにしていたと思うんです。

 

なのに!

 

おじいさんは手ぶらで帰ってきた!

 

フツーなら、ここで夫婦喧嘩が勃発してもおかしくないわけで・・・

 

それなのに、おばあさんはガッカリしたり、おじいさんを怒ったり

責めたりすることもなく、

『それは善いことをしましたね』とニコニコしながら言ったんですよ!

 

すごくないですか?

まさに「ネ申」対応じゃないですか!

 

おじいさんの気持ちに寄り添う、共感力

今のままでもいいじゃない、という現状肯定力

全てを許す包容力、心の広さ

 

もう、素晴らしすぎます!

 

思うんですけど・・・

物語の最後、お地蔵さまたちが二人にプレゼントを持ってきて

そのおかげで、良い正月を迎えられた・・・っていうのは

割とどーでもよくて・・・

 

『それは善いことをしましたね』とニコニコしながらおばあさんが

言った瞬間に、この二人はとてつもない心の平安を感じていたと

思うんですよね。

 

そして、もしかしたら

このおばあさんの「ネ申」対応こそが、お地蔵さんたちが二人に

贈った宝物だったのではないかって。

 

・・・なんだか、ちょっとあれだけど

そんなふうに思ったら、自分が感じていたイライラもスウッと消えて

気持ちがずいぶんとラクになったんですよ。

 

◇おバカさん

 

遠藤周作さんの小説に「おバカさん」っていうのがあるんですけど、

その主人公は臆病でお人好しで、妙な行動で珍事件を巻き起こしたり

するんだけど、なぜか周りの人の心を明るく温かくするんですね。

 

笠地蔵の話しをあれこれ考えていたら、その「おバカさん」のことも

思い出して、このおじいさんも、おばあさんも「おバカさん」なのかもなぁ?

って思ったんです。

 

「損」か「得」か、

「善」か「悪」か、

とか色々な判断基準があると思うのだけど、

おバカさんって、そういう判断基準ではなくて、

もっと純粋な気持ちで余計な計算なんかしないで、

行動するんですよ。

 

だから、時にはその行動が滑稽に見えたりもするから

周りからは「あついバカだなぁ」って笑われることもあるんだけど、

でも、それは本当に馬鹿にしているんじゃなくて

愛すべき「おバカさん」なんですよね。


吹雪の中のお地蔵さまに笠をかぶせてあげたおじいさん、
手ぶらで帰ってきたおじいさんに優しい言葉をかけたおばあさん、
やっぱり、この二人も

とびっきりの愛すべき「おバカさん」だと思ったのでした。 

 

やっぱり昔から伝わるお話しって、色々と人生の含蓄があるんですね〜

posted by penguin-oyaji at 21:58 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月04日

自分の書く字が気になるすべての人へ「悪筆セラピー」

悪筆セラピー

「悪筆セラピー 字が変わると人生も変わる」
高宮暉峰:著
幻冬舎

万年筆にハマって以来、ひたすら上手な字が書けるようになりたい!
と、願って止まない私ですが、そんな時に手に取った一冊です。

普通、書店の実用書コーナーに行くとペン字だとか
美文字練習帳みたいな書き方練習帳はよく売っていますけど、
(実際、私も買いました。。)
この本はそういう練習帳ではありません!
そもそも副題が「字が変わると人生も変わる」ですからね〜

どちらかというと、デジタル全盛の今、手書きで文字を書く意味や、
なぜ字が上手に書けるようになると人生が変わるのか?という
心構え的な話しから始まり、書く時の姿勢、そしてもちろん書き方のコツなど
手で文字を書くこと全般について言及している一冊です。

本格手にペン字を練習してみよう!・・・と、そこまでは思わないけど、
でも上手な字が書けるようになりたい、そんな人にピッタリな一冊では
ないかと思われます。

Amazonの内容紹介

ペン字練習帳で「技」をいくら磨いても、字は絶対うまくなりません。
それ以前に大事な秘訣がじつはあるのです。
それは「心」と「体」を整えること。書道の世界では当然のこのコツが、
字の上達はもちろん、人生でいい運をつかむといったことにまで、
面白いほど影響してくるのです。自信のない字と自分にさよなら。


■字を書くことの原点は「伝えたい」という気持ち

字を書くことの原点は「伝えたい」という気持ちです。
「字を書く=誰かにこの想いを伝えたい」ということなのです。

私たちが文字を手書きにする理由、それは、書き手の感情や
心理を伝えられるからです。
(中略)
手書きの文字は、否応なしに書き手の心情を表します。
そして、それを受け取った読み手も、直感的にそれを察するもの
なのです。

以前、和田裕美さんの本を読んでいたら「あなたが話す言葉や
声は、話す相手の人のためのもの」みたいなコトが書いてあって、
なるほど〜!とボロボロと目からウロコが落ちたことがあるのですが、
「字を書くことの原点は伝えたい気持ち」というのも、
それと同じくらいに、私にとっては目ウロコでした。

結局、誰かに何かを伝えるための手段として、話し言葉だったり
書き言葉があるワケですから、それは全て相手のためのもの、
ということですよね。

だからこそ、クセ字や(自己流に)崩した字などを書いて
独りよがりになってはいけない、ということも素直に納得できます。

伝える相手にちゃんと届くように、最低限、丁寧に読みやすい字を
書かないと、手書きの意味がありませんよね。(大いに反省!)

心がない字はただの作業。手書きの意味がありません。


■初めて書いたラブレターを思い出せ!

丁寧に、ゆっくり、相手のことを想いながら字を書く。
まずそれができれば、第一段階はクリアです。

字を書くことの原点は・・・という話しに通じるのですが、
初めて好きな人にラブレターを書いた時のことを覚えてますか?

最近では、メールとかケータイで告白しちゃうから
そもそもラブレターなんて書いたことない!っていう(若い)人も
いっぱいいるかもですが、オジさんの頃はそういう便利なものが
なかったので、一生懸命に手紙を書いたものです(遠い目)

あるいは、ラブレターは照れくさくて書けなかったけど、
年賀状なら書いたことある!っていう人もいるでしょう。

小中学生が好きな人に出す年賀状って、究極のツンデレだと
思うんですよね(ちょっと違うかな?)

だって、表面上は単なる年賀状。味も素っ気もない定型文を
書くワケですが、でもその実、内心では少しでも良い印象を
持って貰おうと、スゲー丁寧に書くじゃないですか?!(笑)
※少なくとも私はそうでした ^^;;

えっと、なんの話しだったっけ?
そうだ、そうだ!

要は手書きで字を書こうとする時に大切なのは
あの初めてのラブレターを書く時のような、
相手を想い、少しでも自分の想いが届くように丁寧に書くこと、
それが一番大事なんですよね。

■字を上達させるコツは、「心」「技」「体」

字を上達させるコツがあるのです。それは「心・技・体」の三点を
常に意識する、ということです。難しいことではありません。
でも、このことを知っているのといないのでは、字の上達に差が
出るのはもちろん、人生でいい運をつかむといったことにまで
本当に差が出てくるのです。

字を上手に書くためには、どのようにして書けばいいのか?という
テクニックみたいなものが、どーしても優先してしまうと想うのですが、
著者は、やみくもに練習をしてテクニックだけを身につけても
決して字は上手にならない、と言います。

「心」というのは、いつでも心を乱さず字を書ける精神力
「技」は、一定以上のレベルで字を書く技術を身につける
「体」は、イメージ通りの字が書けるように筆記用具を動かす身体能力や
 書く時の姿勢のこと

これが、著者がこの本に書いている「心・技・体」の概略です。

ここから先は私の体験談みたいなものですが・・・

この本を読んでから、字を書く時には先ず深呼吸をしたりして心を
落ち着かせる。そして、この本に書いてある正しい姿勢を保って
字を書く。つまり「心」と「体」の二点を意識するだけでも
書く字が変わってくるのを感じました。

そう、多少技術が未熟であっても心と体を意識するだけでも
自分の書く字が変わるのです!
美文字になるかどうかは微妙ですけど、少なくとも汚文字、悪筆からは
脱することができると思います!

まぁ、裏を返せば普段どんだけテキトーに字を書いてんだ!って話しですが(汗)

■いい線を書けることが、綺麗な字の条件

きれいな字の基本は、「いい線」が書けるかどうかにかかっています。
きちんとまっすぐに引かれた「いい線」で書かれた文字は、
とても清々しく、見る人にとってもさわやかな、よい気持ちのするものです。

自分が書いた文字を見返しながら、何て素晴らしく惚れ惚れするくらいに
字が乱れているんだろう・・・とよく溜め息をつきます。

なんで、こんなに字が下手なのか?!
まぁ、形が整っていない!というのが一番の理由だと思っているのですが、
それと同じくらいに、線がダメなんですよね。

真っ直ぐ縦に書かなければいけない線が、右や左に傾いていたり
横棒が変に右肩上がりになっていたり・・・
それが全体の印象をとても悪くしていると思うのですよ。
全体的に字がガタガタしている感じになるのです。。

著者は、まっすぐきれいな線が書けるようになると
字がとても綺麗になる、と言います。

じゃあ、どうやったら真っ直ぐな綺麗な線が書けるようになるのか、
身体の何処の部分を意識したら良いのか?!
その辺は、是非ともこの本を読んで確認してみて下さい(ネタバレ自重)

■なぜ、今、手書き文字なのか?(まとめに代えて)

デジタル全盛の昨今、手書きで字を書くなんて、ちょっとしたメモを書く時だけで
あとは全部パソコンのキーボードやスマホで入力!なんていう人が多いと思います。
実際、私だって万年筆にハマるまでは日常の中で手で文字を書くなんて
殆どしてなかったですからね。

でも、今はとにかくヒマさえあれば万年筆で字を書いてばかりいます。

それで、思うんですよ。
やっぱり手書きがいいなぁ〜って。

なぜ、手書きがいいと思うのか?理由は二つあります。

一つ目は「心が落ち着く」からです。

この本の中で、書いている時の自分の感情がそのまま文字に表れるという
一文があるのですが、私はその逆も真なりだと思うのです。
手書きで文字を書くことで自分の心が落ち着いてくるのを感じるのです。

それは、文字を書くことに集中するので、それ以外の感情がどこかに
消えてしまうからだと思うんですよね。

「写経」ってあるじゃないですか?やったことあります?

別に信心があるわけではなく、ただ単に字を書きたい!という理由で
何度か万年筆で般若心経を書き写したことがあるんですよ。

丁寧に書くとだいたい40分前後かかります。
でも、その書いている間はひたすら書く文字に集中しているので、
(意味はさっぱり理解していないんですけどね・・・)
書き終わる頃には、かなり心が穏やか、というか落ち着いた気分に
なるのです。

まぁ、別に般若心経を書き写せ!ということではなく、
自分の好きな歌のフレーズ(歌詞)でもいいと思うし、
お気に入りの本のフレーズでもいいと思うんですよ。

なんか、書くことに集中していると心が落ち着いてくることが
実感できるのではないかと。

そして二つ目の理由。
それは、自分の心との対話ができる、ということでしょうか。

自分が頭の中で考えていることを、紙に書きだせ!
というのは、思考術や自己啓発本の定番テクニックですが、
それをパソコンやタブレットじゃなくて
敢えて、手で書いてみて下さい。

文字にして書き出すために、自分の心とお話ししますよね。
それがいいんです!

頭のいい人だと、手書きでは思考のスピードに追いつかない!
っていう人もいるかと思います。

でも、自分の心と話すときくらい、そんなに急がなくても
いいじゃないですか。

じっくりと自分の心に向き合いながら、想いを文字にして
書いてみると、思わぬ自分を発見することだってあると思いますよ。

 

posted by penguin-oyaji at 22:17 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月31日

「ももクロ流」第1回「100のレッスンより1の現場」

 ももクロ流 5人へ伝えたこと 5人から教わったこと

 

「ももクロ流 5人へ伝えたこと 5人から教わったこと」

川上アキラ:著

日経BP

 

世間から1周どころ3周遅れくらいですが、

ももクロのマネージャー、川上アキラ氏の初の著書、

「ももクロ流」を読みました。

 

まぁ、モノノフ(ももクロのファンのこと)でもない限り

手に取らない本だと思うのですが、

何と言うか・・・・

この本ってビジネス書や自己啓発本としても読めるというか、

下手なビジネス書よりも学ぶことが多いと思います!

 

超絶、オススメ!

 

Amazonの内容紹介 

スタートの代々木公園ライブの観客は数十人。

しかし、6年後の14年3月には、国立競技場公演に2日で

11万人を動員した「ももいろクローバーZ」。

このグループを育てたマネージャーの川上アキラ氏が、

結成からこれまでの歩みを明かす。

 

■100のレッスンより1の現場 

タレントにとってレッスンを何十回繰り返すより、仕事の現場を

1回経験した方が学ぶことが多いと考えています。だから彼女たちに

1つでも多く、現場を経験させてあげたかった。(P29)

「100のレッスンより1の現場」人前で何かを披露することは、

レッスンの何倍も学ぶことがある。(P36)

 昔、テレビで野球中継を見ていた時に誰だったか忘れましたが、

解説者の方がこんなことを話されていました。

 

プロ野球選手もオールスターや日本シリーズなどの大舞台を

経験することで大きく成長する

 

野球選手や他の競技のアスリートにとっても練習は大事だと思うし

それこそ私なんか想像もつかないくらい日々、過酷な練習を

積んでいると思うのです。

 

でも、その練習よりも大舞台を経験することの方が成長が大きい。

 

何故なのか・・・?

 

絶対に負けられない戦いの最中にあっては、

選手は自分の全身全霊を傾けて闘っている筈ですよね。

 

本気度、集中力、緊張感・・・

そうした中ではきっと、普段は眠っている自分の力までもが覚醒し

いつも以上に大きな力を出すことができると思うのです。

 

そうした経験がきっと人を大きく成長させるのでしょうね。

 

さて、ももクロちゃんの話しに戻ると・・・

 

ももクロ結成当初、常設の劇場があるワケでもない

そして事務所からの予算もない彼女たちは

お客さんの前に立つ機会を求めて、代々木公園の路上に立ちます。

 

そして代々木公園でライブが出来なくなった後も

マネージャーの川上さんは苦労しながら会場を探し、

多くの「現場」を彼女たちに経験させていくのです。

 

後にメンバーは語ります。

あの時があったから、今の自分たちがいる。

 

詳細は書きませんが、初期の頃のももクロって本当に

めちゃくちゃ!と思うようなことをやっている(やらされてる)んですよ。

 

でも、そうした「現場」経験が彼女たちを成長させ、

強くしていったのは間違いないと思うのです。

 

プーの私が言うのもなんですが・・・

私たちの仕事も同じですよね。

緊張感もなく日々のルーティンを、ただ何となくこなしている

それでは自分の成長も無い(少ない)。

 

それと・・・この本の中にも登場する川上さんの上司である

藤下リョージさん(通称:理事長)のツイートが印象的だと思うのです。

 「あとはこちら次第。攻めの仕事ができます」

ただ待っているだけじゃ、そうそう大舞台に立つチャンスなんか

やって来ません。自分で攻めていく、そういう気構えも大切ですね。

 

◇◆◇◆◇◆

 

上の方でも書きましたが、この本ってももクロにあまり興味の無い人は

手に取らないと思うんですよ。

 

きっと、今このブログを読みながら

「またももクロのこと書いてるよ、ペンギンオヤジも好きだねぇ」と

呆れている人もいるのではないかと(^^;;

 

でも、それはあまりに勿体ない!

 

「これは面白そう!」と手に取ってもらえるまで、

私、この本については何度も何度もしつこく記事を書く所存でございます。

(だからといって、見捨てないですね〜)

 

そんなワケで、10回シリーズくらいにしようかなぁ、と。

だから、まだまだ続くのだ!これでいいのだ!

 

▼結成当時の代々木公園でのパフォーマンス

 


 

posted by penguin-oyaji at 22:07 | Comment(0) | ももクロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月25日

なぜ教養を学ぶ必要があるのか?について目からウロコが落ちた!

 おとなの教養―私たちはどこから来て、どこへ行くのか? (NHK出版新書 431)

 

「おとなの教養私たちはどこから来て、どこへ行くのか?」

池上 彰:著

NHK出版新書

 

 

最近、めっきりビジネス書を読まなくなりました。

読まなくなった理由はいくつかあるのだけど、

自分がここ数年、読む本といえばビジネス書ばかりで

ものすごく偏っていたんですよね。

 

だから、今は小説を読んだり、

何をトチ狂ったか哲学書なんかも読んだりしてます。

 

何と言うか・・・ビジネス書の話ししか出来ないというのも

なんかやっぱり寂しいじゃないですか。。

 

それに、いい年こいてモノを知らないというのは恥ずかしい。

いわゆる「教養」というのをちゃんと身に付けたいと思うんですよ。

 

そんなコトを思っていた時に出会ったのが、この本。

 

Amazonの内容紹介 

現代の教養とは「自分を知ること」です。

いま、学ぶべき教養とは何か? 現代人必須の7科目とは、

「宗教」「宇宙」「人類の旅路」「人間と病気」「経済学」

「歴史」「日本と日本人」。

この7つを貫くのは、「自分がどういう存在なのか」を

考えようとする問題意識だ。7科目のエッセンスを講義形式で

明快に説く決定版。

現代人の「生きる力」=教養の本質が一気に身につく! 

 

■リベラルアーツってなに? 

リベラルアーツの「リベラル(liberal)」は自由、「アーツ(arts)」は

技術、学問、芸術を意味します。だからリベラルアーツの意味は

『人を自由にする学問』ということです。

こういう教養を身につけていれば、人間はさまざまな偏見から

あるいは束縛から逃れ、自由は発想や思考を展開していくことができる。

 最近ちょくちょく「リベラルアーツ」という言葉を耳にしたり

していたのだけで、お恥ずかしながらそれが何なのかを

知りませんでした(恥)

 

で、調べてみたらヨーロッパの大学で学問の基本とされた

七科目のことらしいです。

具体的には、文法、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽

の計7科目。

 

この序章では著者の池上さんが、リベラルアーツのことや

そもそも何故、教養が必要なのかということについて書かれています。

 

教養人=(単なる)物知り・・・・じゃないんですよね。

よく女性相手にあーだ、こーだとウンチクを垂れているおっさんが

いるじゃないですか。

 

ああいう人は、確かに物知りかも知れないけど、

教養人って感じはしないですよね。

 

■魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える 

すぐに役に立つことは、世の中に出て、すぐに役に立たなくなる。

すぐには役に立たないことが、実は長い目で見ると、役に立つ。

(中略)

「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」。

だから本当の教養というのは、すぐには役に立たないかも

知れないけど、長い人生を生きていく上で、自分を支える基盤に

なるのです。その基盤がしっかりしていれば、世の中の動きが

速くてもブレることなく自分の頭で物事を深く考えることが

できるようになるわけです

 この部分を読みながら、思い出した言葉があります。

以前にビジネス書作家の和田裕美さんの講演会を聞きに行った時に

和田さんが、こんなコトを話されていました。

 

3日で咲いた花が3日で枯れてしまうこともあれば、

10年掛けて咲いた花が、10年間ずっと咲き続けることもある。

 

この時、和田さんはビジネス書などを読んですぐに結果を

欲しがる人が多いけど、もっと上辺の知識だけを詰め込むのではなく、

もっと自分の根っこになる部分を育てた方が良いのではないか、

 

そんな話しの流れの中で、上記の言葉を話されていました。

 

自分の根っこを育てるのに必要なものの一つが

教養なのかもしれませんね。

 

で・・・

 

私、自分のバカな頭をフル回転させながら教養とはなんぞや?

ということを自分なりに考えてみたんですよ。

 

上の方でウンチクを垂れているオッサンの話しを書きましたよね。

あれが何で「単なる物知り」にしか見えないのか?

なぜ、教養のある人と思えないのか?

 

たぶんですね、ああいうウンチクおじさんは、どこかで誰かに

聞いた話しや何かで読んだ話しを単純に「受け売り」しているだけ

だと思うんですよ。

 

右で聞いた話しを、左へ受け流しているだけで、

自分の考えや見解、意見というものが無い!

または、あったとしても非常に薄っぺらい!

だから、単なる「物知り」で止まってしまっているように

感じちゃうんですよ。

 

少し話しがそれますが・・・中国の古典の中の話しで、

魚を与えるのではなく魚の釣り方を教えなさい

・・・っていうのがありますよね。

 

魚を与えればその日の飢えはしのげるが、魚の釣り方を教えれば

一生の食を満たすことが出来る。

・・・そんな意味です。

 

教養を身につけるというのは、つまり魚の釣り方を覚えるのと

同じじゃないかっていう気がします。

 

覚えた知識や技術を使って、自分が生きていく力に変える

ということです。そのためには、単に知識を覚えるだけでなく

それを使って自分の頭で考えて判断して、行動できるように

ならなければならない。

 

良く言われる「知識」を使って「智恵」を生み出せるように

なることが大切なんだと思うのです。

 

■自分自身を知る 

「自分自身を知る」ことこそが現代の教養だろうと私は思います。

どこから来て、どこへ行こうとしているのか。この場合の「自分」

とは、文字通りの自分のことでもあるし、日本人あるいは人類の

ことでもあります。

 この本の中で池上さんは「私たちはどこから来て、どこへ行くのか?」

という問いを立て、自分を知ることが現代の教養だと位置づけています。

 

そして、その問いを解くために現代のリベラルアーツとして

「宗教」「宇宙」「人類の旅路」「人間と病気」「経済学」

「歴史」「日本と日本人」

という、7つのテーマを設定して、それについて解説されています。

 

自分自身を知る・・・そのためには、教養を「学ぶ」という

スタンスではなく、もっと自分に引きつけて考えながら理解することが

必要ですよね。

 

先日、ある哲学書(といっても入門書)を読んでいたら、

こんなコトが書かれていました。

 

哲学者が何と言ったかを覚えることよりも、

何故その哲学者が、そういう考えに至ったのかの思考のプロセスを

学んで欲しい。

 

教養を「学ぶ」ということも、これと同じだと思うんですよね。

 

例えば、この本の中でダーウィンの進化論の話しが出てくるのですが、

進化論で語られていることは自分とはどういう関係があるのか、

その上で、人類(生物)の進化の中で自分はどういう位置付けになるのか?

そんなコトを考えながら読むと、池上さんがこの本で読者に問うている

「自分自身を知る」ということが、つまりどういうコトなのかが

よく分かるようになると思うのです。

 

そして、あぁ教養を身につけるというのは、こういうコトなのかと

体感できると思います。

 

◇まとめ

 

今回抜き書きしたのは全て「序章」からです。

その後に本編として、宗教史や宇宙の話し、歴史の話しなどが

書かれているのですが、私にとっては「序章」で書かれている

教養とは何か?という部分がものすごく腹落ちして、

なんというか、ちょっと勇気をもらったような感じです。

 

もちろん、本編の方も安心の池上クオリティーです(分かりやすい!)

 

「宗教」「宇宙」「人類の旅路」・・・・それぞれ深みは

あまりありませんが、ひとつのきっかけ、入門書として読むには

充分な内容だと思います。

 

▼新書

 

▼Kindle版

posted by penguin-oyaji at 22:22 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月27日

出口治明さんの講演会に参加してきました

出口治明講演会

 

『ビジネスに効く最強の「読書」』刊行記念

出口治明さん講演会

 

2014年6月26日(木)19:00〜

丸善 日本橋店 ワールドアンティークブックプラザ

 

ども、お久しぶりです!

数ヶ月ぶりの更新です (^^;;

 

まぁ、勝手気ままなブログですので、ご容赦を・・・!

 

さて、6月26日にライフネット生命の会長兼CEOを務めてらっしゃる

出口治明さんの出版記念講演会に参加してきました。

 

実はですね・・・

私、ライフネット生命という会社も出口さんのお名前も

聞いたことあるなぁ〜、くらいで詳しいコトはあまり良く知らなかったんですよ。

 

でも、お友達が度々ブログで出口さんのことを書かれているので、

これはきっと魅力的な方に違いない!

一度、お話しを聞いてみよう!

そんなふうに思って、今回の講演会に参加した次第。

 

■本のおすすめ屋さん

 

今回、出口さんが出版された本がこちら。

ビジネスに効く最強の「読書」 本当の教養が身につく108冊 

 『ビジネスに効く最強の「読書」』

 

今回の講演会でも本、読書のコトについて楽しくも貴重はお話しを

たくさん聞かせていただけました。

 

講演会が始まるまでは、出口さんは会長兼CEOというエグゼクティブだし、

そもそも本のタイトルに”仕事に効く”ってありますから、

てっきりビジネス頭を磨くための読書法みたいな感じの話しになるのかなぁ

と、一人勝手に思っていたのですが、さにあらず!

 

私は本が好きで、面白いから本を読むんです。

 

そう言って始まった今回の講演会では、

徹頭徹尾、出口さんの本や読書に対する優しい思いが

詰まったお話しでいっぱいでした。

 

そんな出口さんのお話を聞きながら、

私はこの人のことを思い出していました。

 

内藤陳 

内藤陳さん

もう亡くなられて久しいですが、

コメディアンであると同時に無類の読書家!

 

特にハードボイルドや冒険小説がお好きで、

たくさんの書評を書いたりしていましたが、

ご本人は「俺は面白本のおすすめ屋なんだ」とよく言ってました。

 

そんな内藤さんが書かれた本を読むと、

随所に「本が好きで好きでたまらない!」

そんな気持ちが溢れているように感じました。

 

たぶん・・・

 

出口さんと内藤陳さんって似てる部分があると思うんですよね〜

(まぁ、私の勝手な思い込みですが)

 

約1時間、出口さんのお話を聞きながら私が一番感じたのは

好きで好きでたまらない本の話しを伝えたい!

そんなとても純粋で溢れるような出口さんの気持ちでした。

 

◇◆◇◆

 

知識を得たい

スキルを学びたい

物語を楽しみたい

 

本を読む動機は色々とあると思います。

 

でも、好きこそ物の上手なれ、面白くなければ身に付かない

そんなふうに出口さんも話されていましたが、

その根底には「本が好き」「面白い」「楽しい」という純粋な気持ちも

必要なんですよね。

 

■料理と読書の共通点とは? 

料理を作るためには良い材料を揃えなければならない。

本を読むことで人生を豊かに生きるための情報・知識を

得ることができる。

それがつまり、料理で言うところの材料集め。

 

しかし、材料があっても料理の仕方を知らなければ

美味しいものは作れない。

本を読むということは、思考の鍛錬である。

超一流の人が書いた本を読むことで、その人の思考プロセスを

追体験できる。

それがつまり、料理の仕方を覚えるというコトなのです。

 なんか、この例え話しって分かりやすくないですか?

私なんて、このお話を聞きながら思わずポンと膝を打ってしまいましたよ^^

 

本を読んで情報や知識を得る。

これは、まぁ割とカンタンですよね。

 

本を読みながら共感したり、なるほど!と思ったところに線を引いたり

ノートに書き出したりして、なんかそれだけで本を読んで良かった!と

思ってしまいます。

 

でも、それで終わりにしてしまったら

単にその著者の言葉の受け売りで終わってしまうし、

そもそも、そこには『自分』というものが無いですよね。

 

もう一歩踏み込んで、なぜそういう言葉が生まれたのか?

その背景を考えてみる。

あるいは、他の知識や情報と繋げてみたり、比べてみたりしながら

自分なりの見解を考えてみる。

 

そうすると、そこに『自分』が出来あがってくると思うんですよ。

 

実は・・・

 

私もそれなりに昔から多くの本を読んできているのに、

ちっとも頭がよくならなくて、

もしかして私ってバカなのか?と思っていたんですよ。

(まぁ、バカなんでしょうけど・・・)

 

でもね。

 

たぶん、今までの私の本の読み方って

ほとんど材料集めばかりしていたんだと思うんですよ。

料理の仕方を知らない・・・

 

今回、出口さんのお話を聞きながら、

材料集めだけではなく、もっと料理の仕方を学ばなければ!と思ったのでした。

 

■温故知新 

人が考えることは昔からそんなに変わっていない

 

歴史を学ぶということは、過去のケーススタディを学ぶのと同じ。

だから古典から学ぶことで、未来を予測する力が身に付く

 個人的な話しですが・・・

 

昨年くらいから私、読む本をビジネス本、新刊本から

古典や名作と言われるものに変えていっているんですね。

 

それは、一つには最近のビジネス本や啓発本に食傷気味というのもありますが、

やはり何百年も昔から読み継がれてきている本には

何かとても大切な、普遍的なことが書いてあることに気付いたから。

 

『人が考えることは昔からそんなに変わっていない』

 

私も「菜根譚」や「論語」といった中国の古典を読んだ時に

昔の人も私たちと同じことで悩んだり悲しんだりしていたんだなぁと、

つまり、人の根っこの部分って昔も今もあまり変わっていないんだなぁ、

と思いました。

 

◇最後に・・・

 

今回、初めて出口さんのお話しを直接お聞きしたわけですが

何と言うか・・・聞いている人を包み込むような包容力があるだけでなく、

数々の経験や知識に裏打ちされた深みみたいなものを感じることができ、

出口さんのお人柄が伝わってきました。

 

講演会の最後に出口さんが私はtwitterもFacebookも実名でやっているので・・・

と言われていたので、私さっそくtwitterでフォローして

講演会のお礼を呟いたら、なんとリプが返ってきました!!

 

出口さんのタイムラインを覗かせて貰ったら、

本当にお忙しい筈なのに、きちんと一人ひとりにリプを返されていて、

なんか・・・そういうところにもお人柄を感じてしまいました。

 

今回の新刊『ビジネスに効く最強の「読書」』

実は講演会直前に購入したので、私はまだ読んでいないのですが、

さっそく読み始めてみようと思います。

(感想はまた改めてアップしますね〜)

 

 

Kindle版はこちら↓

タグ:出口治明
posted by penguin-oyaji at 23:35 | Comment(0) | 講演会・セミナー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月20日

心のない世界【「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」村上春樹】

 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」
村上春樹:著
新潮文庫(上・下)


20代の頃、熱心に村上春樹さんの作品を読んでいたのだけど、
「ダンス・ダンス・ダンス」を最後にまるで憑き物が落ちたかのように
手に取ることがなくなってしまった。

だから、「海辺のカフカ」も「1Q84」も最新刊の「色彩を持たない〜」も
読んでない。。

そんなワケで、久しぶりに「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を
読み返してみたのも、単なる気まぐれでしかないのだけど、
でも、やっぱりこの作品は良い!

少なくとも、初期の傑作であるのは間違いないと思う。

(注意:以下、ネタバレあります!)

Amazonの内容紹介

高い壁に囲まれ、外界との接触がまるでない街で、そこに住む
一角獣たちの頭骨から夢を読んで暮らす〈僕〉の物語、〔世界の終り〕。
老科学者により意識の核に或る思考回路を組み込まれた〈私〉が、
その回路に隠された秘密を巡って活躍する〔ハードボイルド・ワンダーランド〕。
静寂な幻想世界と波瀾万丈の冒険活劇の二つの物語が同時進行して織りなす、
村上春樹の不思議の国。

◆パラレルワールド?仮想現実?
上記のAmazonの内容紹介にもあるように、
この物語の舞台は2つ。

計算士という架空の職業で働く『私』が
自分の意識の核に埋め込まれてしまった謎を巡って、
ナニモノかに追われながらも、謎が解き明かされるまでを描いた
【ハードボイルド・ワンダーランド】と呼ばれる世界。

自分の影を持たず、心もない人たちが住む街にやって来た『僕』が
一角獣の頭骨から古い夢を読んで暮らす【世界の終わり】と呼ばれる世界。

【ハードボイルド・ワンダーランド】が現代の東京を舞台にした
冒険活劇的な物語であるのに対して、【世界の終わり】は、
何処にあるのかも分からない幻想的な街で静謐とした寓話的な物語。

このように二つの世界はまったく対照的な物語なのですが、
それが交互に描かれていて、やがて一つに結びつくというストーリー展開は、
読んでいて引き込まれてしまいます。

ネタバレですが・・・

ここは僕自身の世界なんだ。壁は僕自身を囲む壁で、川は僕自身の中を
流れる川で、煙は僕自身を焼く煙なんだ

【世界の終わり】という幻想的な世界は、
実は【ハードボイルド・ワンダーランド】の『私』が
自分の頭の中に創り出したものなのです。

つまり、現実世界の『私』と仮想世界の『僕』は同一人物というわけです。

◆心のない世界

戦いや憎しみや欲望がないということはつまりその逆のものがない
ということでもある。それは喜びであり、至福であり、愛情だ。
絶望があり幻滅があり哀しみがあればこそ、そこに喜びが生まれるんだ。
絶望のない至福なんてものはどこにもない。

現実世界の『私』が創り出した仮想現実、【世界の終わり】とは、
どういう世界かというと・・・

自身の影を切り離されてしまうことで、
記憶も心も失ってしまった人たちが住んでいる
(ただし、切り離された影が生きている間は
心は残っているし、記憶も影の中に在りつづける)

心がないから、戦いも憎しみも欲望もなく街の人々は
安穏とした日々を過ごしている

街は高い壁に囲まれていて、その街からは抜け出すことが出来ず、
何処へも行けない

・・・かなり端折ってますが、だいたいこんな感じの世界なのです。

実は・・・!

私もちょっと前までは、心のない世界というものに憧れていました。
心があるから、苦しんだり悲しんだりするわけですから
それだったら、いっそうのこと心なんて消えてしまえばいい!
なんか、そんなふうに思っていたんですよね。。

でもね。

いくら頑張っても無私にも無欲にもなれないんですよ。。
否応なく心は付いてまわってくる。

話しがそれましたが・・・

物語の最後で『僕』は自分の影だけを街から脱出させて、
自分はそのまま街に残ることを選択します。

それは、心を持ち続けたまま(影は生きているからね)、
苦しみながらも、何処にも通じてない行き場のない、
自分が創り出した街で生きていく決意をした、
ということです。

やっぱり『僕』も、無私無欲にはなれなかったんだなぁ、と。

◆自分が創り出した世界の中で生きる

僕は自分の勝手に作り出した人々や世界をあとに放りだして
行ってしまうわけにはいかないんだ。

何と言うか・・・
【世界の終わり】は現実世界の『私』が頭の中に作り出した
仮想世界だと書きましたが、
実は私たちも同じように仮想世界の中で生きているのと
同じではないかと。。

例えば・・・

私の友人のAさん。
確かに、Aさんは私が勝手に作り出したワケではありません。

だけど・・・私の知っているAさんと、
別の友人B君が知っているAさんでは、
同じAさんだけど、きっと違う人物なんですよ。

同じものを食べたり、同じ景色を見ても
人によってその印象が違うのと同じで、
付き合う人も、人によってその人物像って同じじゃないですよね。

人は自分の主観という眼鏡を通して
モノや人を見ますから、
同じ世界に生きていても、自分が見ている世界は
自分の心が作り出した世界・・・なのではないかと思うのです。

だから、この特殊でちょっと変わった【世界の終わり】は
実は誰の心の中にも多かれ少なかれ存在するんじゃないんですかね?

でも、そんな自分が作り出した世界の中で
自分だけが心をなくして、安穏と生きていくことなんて出来ない。

だったら、苦しみや哀しみから逃げ出さずに、
自分の心と向き合えよ!

・・・そんなメッセージが聞こえたような気がしたのです。

◇◆◇◆◇◆

社会学部なのに、卒論で村上春樹の文芸評論を書いて卒業した
私の友人が昔、この作品のことを「哀しい物語だね」と言っていたのを
今でも覚えています。

「なんで、そう思うの?」と私が聞くと、
「だって、現実世界から切り離されて自分の意識の中に
閉じ込められちゃうんだよ!」と。

確かに自分の意思とは関係なく、現実世界から切り離されて
おまけに過去の記憶もなくして自分の頭の中の仮想世界に
閉じ込められてしまうのは哀しいことだろう。

だけど!20年以上の月日が経ち再読してみて思うのは、

何処へも通じてない、何処へも行けない
この世の果てのような世界の終わりの街で
心を残したまま生きていく決意の方がもっと哀しいのではないかと。

哀しみも、苦しみも、争いもない代わりに
喜びや希望、愛のない世界は、
やっぱり哀しい世界なのだ。

    

タグ:村上春樹
posted by penguin-oyaji at 20:40 | Comment(0) | 読書(小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする