2015年03月19日

【「保護者の心をつかむ「言葉」のルール」栗田正行】先生だけが読むのはもったいない!

 

「保護者の心をつかむ「言葉」のルール」

栗田正行:著

東洋館出版社

この本は一般のビジネスパーソン向けの本ではなく、学校の先生に向けて書かれたものです。でも、「私、先生じゃないから関係ないけんね」とスルーにはあまりに勿体ない!私も先生じゃありませんけど、この本を読んでいくつもの気付きがありました!

Amazonの内容紹介

本書は、保護者との関係を築く鍵となる「PARENTSの法則」、保護者をファンにする話し方、保護者が思わず読みたくなる書き方など、「言葉」にまつわる技術が満載! また、保護者会、三者面談などの機会における「記憶に残る場のつくり方」についても余すことなく紹介。これを読めば絶対に保護者から信頼される!

この本は著者のマロン先生こと栗田正行氏からプレゼントしていただきました。ありがとうございます m(_ _)m

■保護者は遠距離恋愛の恋人

保護者は遠距離恋愛の恋人と同じです。(中略)年に数回しかない保護者と対面するシーンにおいて、私たち先生は記憶に残る「場」を提供すべきだというのが私の考えです(P114)

この本を学校の先生じゃなくても参考になる!って上の方で書きましたが、例えばこの「保護者は遠距離恋愛の恋人」という文章。

私はこれを読みながら『保護者』を「取引先様」または「お客さま」って置き換えて読んだのです。

ビジネスパーソンとして仕事をしている中で、年に数回しかお会いしない方っていますよね?そういう人とお会いする時って、今までどれくらい気を遣ってお迎えしていたかなぁ?って、すごく反省させられたんですね、私。

たぶん・・・それなりには気を遣ってはいたと思うのですが、『記憶に残る』ようなことまでは考えていなかったのではないかと。。

話しが少しそれますが・・・

「人の振り見て、我が振り直せ」っていう言葉があるじゃないですか。

私が思うに、人間って自分のことよりも他人の言動の方が色々なことに気づくんじゃないかって、思うんですよ。(自分がやっていることって、案外と人からどう見られているか気づかない)

この本を読んでいて私が一番感じたのは、自分とは全く縁が無い世界の話しだからこそ、気づくことが多い!ってことなんですよ。

先生向けの本なのだけれども、だからこそ客観的に見たり考えたりできる!書かれている内容を自分に引き寄せて読むことで、多くの気付きを得ることができたんです。

今まで自分とは直接関係ないから・・・という理由で異業種、異業界の本って殆どスルーしてましたけど、この本を読んで、違う世界の本を読むことも勉強になるなぁって改めて思いました。

■「考えること」と「書くこと」

「アナログで思考を引き出す、まとめる」という作業をしてからパソコン(デジタル)で書くと、スピードも内容も格段に向上します。これは手を動かし、実際に紙に書く方が考えやすいことをある本で学んだことがきっかけです。(中略)ある意味、パソコンに入力、つまり書くのは作業です。ですから「考えること」(思考)と「書くこと」(作業)は分けるというのが私なりの考え方です。

学校の先生も「学級通信」とかで「書く」という仕事があることからこの本の中でも、いわゆる「書く技術」みたいなことが書かれています。一般的な(という言い方でいいのかな?)ビジネスパーソンも「企画書」や「報告書」を書くことがあると思うので、そういう面でも役に立つかなぁ、と。

私が一番、「そうや!」って思ったのが上の引用部分。「考えること」(思考)と「書くこと」(作業)は分ける!というやり方です。

私もちょうどこの本を読むのと前後して、ブログを書く前にノートに手書きで骨子というか、書きたい内容を手書きで書くようにしたんですね。

手書きで自分の思考を書き出す効果というのは、けっこう、色々な本で触れられていたりはするのですが、実際に自分でやってみると、その破壊力は凄まじいです!

文字を綴りながら、あれこれ書いていると「おぉ〜!自分はこんなことを考えていたんだ!天才じゃなかろうか?!」という場面が何度も起こるのです!(私が天才かどうかはともかく・・・というか天才じゃないけどね)

これってたぶん・・・実際に手を動かして紙に字を書くことで脳が刺激されているんじゃないかって(勝手に)思ってます。

「考えること」(思考)と「書くこと」(作業)は分ける

これって、マジでおすすめですよ。

■苦手な相手は・・・

いつだって苦手な相手は、自分がこれから成長するために欠かせないものを運んできてくれるということです。神様の悪戯としか思えないかもしれませんが、これは紛れもない事実です。(中略)「この方は、今の自分に足りないものを教えてくれているのだ」と思えば、苦手なのではなく、まだ対処したことがないだけど思えます。(P171)

先生と保護者というと、最近よく耳にする「モンスターペアレント」とかを思い浮かべてしまいます。

けれど、この本の中でマロン先生は「モンスターペアレントはいない」と繰り返し書かれています。

最初は「またまた、そんなキレイゴトを」って思うかもしれませんが、この本を読んでいると、「モンスターペアレントはいない」という言葉の真意が分かってくるのです。

私の場合だと、小売りの店頭やホテルフロントや飲食店で仕事をしている時に何度か、いわゆる「クレーマー」というようなお客さまと遭遇してしまった経験があります。

中には最初から「クレーム」をつけること、そして何かオイシイ思いをしようと企んでいる正真正銘のクレーマーもいましたが、でも、大半は相手の真意をつかまないまま、お店の都合で対処してしまってクレーマー「化」させてしまっていることが殆どのような気がします。

また、そういうクレーム絡みじゃないにしても、仕事や日常の人づきあいの中で、何となく苦手!っていう人はいたりしますよね。

私なんて基本的に「ヘタレ」なので、苦手な人からは逃げる!避ける!というのを自分の行動方針にしてます!(苦笑)

でも、仕事の場に於いては「あの人はちょっと苦手だから・・・」なんて言ってられないじゃないですか。

その時に、どう考えるか?

いつだって苦手な相手は、自分がこれから成長するために欠かせないものを運んできてくれる

よく言われることではありますが・・・どんな相手、それが苦手な相手であっても学ぶべきところはあるワケで、そこで逃げたり、避けたりせずに学ぶことができれば自分の成長の機会にもなる・・・ということですよね。

結局、人は人によって磨かれるのかもしれませんね。

心に留め置きたいと思いました。

◇最後に・・・

この本の著者、マロン先生こと、栗田正行氏はビジネス書もたくさん読まれているし、ビジネスパーソン向けの講演会やセミナーなどへも参加されているそう。

で、そこで学んだことを教育の現場に応用してきちんと成果をあげられているんですね。

本を読んだら、読みっぱなし。講演会で話しを聞いて感動しても、それで終わり。

まぁ、割とよくある話しで、私は確実にこのパターン!(^^;;

だから、この本を読みながら、なるほど、こうやって現場で実践してるんだ!とか、この法則は、こうやって使うのねとか、随分と勉強させてもらいました。

一部で「意識高い系」とかって揶揄されたりもしてますが、ビジネス書を読んだり、セミナーに参加して一生懸命に勉強するけど勉強すること自体が目的化してしまって、実際の仕事の場で、きちんと成果に結びつけている人って(たぶん)そんなに多くはない・・・って思うんですね。

学んだら、実践しないと意味がない!

あっちこっちで言われていることですけれど、この本の内容から、改めてその大切なことを教えられたような気がしました。

おしまい。

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2015年03月12日

「人に強くなる極意」佐藤優:著 人生の難所を乗り切るための指南書

「人に強くなる極意」佐藤優:著青春新書

凡そ人生の悩みの大半は人間関係についてのもの・・・何かに書いてあった言葉だけど、確かにその通りかなぁと思う。実社会においても、家族の間であっても、人間関係の悩みは尽きない。。

この本、タイトルを見るとそういう人間関係の問題解決について書かれたように思うけど、実際に読んで見ると書かれている範囲はもう少し広くて、変化の激しい世界の中でこれからどのように生きていくべきか・・・そんな人生論がまとめられているように感じました。

著者の佐藤優氏はご存知の方も多いと思いますが、元外務省主任分析官で、いわゆるインテリジェンスの世界で活躍されていた方です。鈴木宗男事件(という言い方でいいのかな?)で背任と偽計業務妨害で逮捕、起訴された後に作家へと転身された方です。

逮捕、起訴といっても決して悪いコトをしたワケじゃないんですけどね。詳しくは佐藤氏の著書「国家の罠」に詳しく書かれているので、興味のある方は併せてそちらもどうぞ。

Amazonの内容紹介

どんな相手にも「ぶれない」「びびらない」「怒らない」――。ビジネスでも人生でも、人と相対したときにどう振る舞えるかが結果を大きく左右する。いつでも最高のパフォーマンスをするには、どんな心持ちでいることが重要なのか。外国の要人、日本国首相、そして特捜検察などに対してギリギリの交渉力を発揮してきた著者が、現代を“図太く"生き残るための処世術を伝授する。

■「怒り」と上手に付き合う

感情的な怒り、ドッと湧き出してくる怒りを完全になくすことはまずできません。(中略)ただし、感情が湧き出ることは抑えられなくても、それを別な方に向ける回路を組み込むことはできます。(P35)

物事を引いた目線で俯瞰してみる。すると怒っている自分を、もう一人の自分が客観的に見ているという構図が生まれます。この構図ができると、怒りで我を忘れるという神がかり的な状態にはまず陥らずにすむでしょう。(P36)

喜怒哀楽っていう人間の感情って、自然に湧き上がってくるものだから「よしっ、私はもう怒らない」とか、「もう悲しむのはよそう」って思ってもその感情を自分の思いのままにコントロールすることって、まず出来ないんですよね。ムリ!

大切なのは感情の発生をコントロールすることではなく、その感情に突き動かされるままに行動してしまうのではなく、自分を客観視することで冷静になり、行動をコントロールすること、・・・なんですよね。

ただ・・・

「怒り」とかって、ものすごく強いエネルギーを持ってるじゃないですか。だって、場合によっては人の命さえ奪ってしまうくらいですから。

これは、経営コンサルタントでビジネス書作家の神田昌典さんの本に書いてあったことなんだけど・・・

怒りが持っているパワーをマイナスの方向に使うのではなくて、プラス方向に使うと、すごく大きな力を得ることも出来る。。

例えば、私の経験談ですけど。。

社会人になりたての頃、当時の上司っていうのが、社内で一番怖い!と評判の人だったんですよ。

だからか、そりゃもう毎日のように怒られていました>私。朝、出社すると先ず「おい」と呼ばれ、上司の机の前に長い時で1時間くらい立たされてすげー勢いで怒られる!

ある時は「お前さんは大学を出たのに、コピーひとつ満足にとれないのか!」と、怒鳴られて・・・悔しくて情けなくて・・・会社の中で不覚にも涙を流して泣いてしまった・・・なんてこともありました(遠い目)

で、思いました。

絶対に仕事が出来るようになって、いつかアイツ(その上司)を見返してやる!って。

よく「悔しさをバネに・・・」って言いますけど、当時の私のモチベーションの源泉は、その上司に対する怒りというか、悔しさでした。

まぁ、おかげさまでその後、何とか人前に出ても(あまり)恥ずかしくないイッパシの社会人になれたのですが。。

えっと、何が言いたかったかというと、「怒り」も上手に使えば自分の成長のパワーに変えられる、ってことですね。

■「幽霊の正体見たり枯れ尾花」

もし皆さんの周りにびびってしまう相手がいたら、そんな時ほど相手をよく見ることです。怖がって目をそらしたり無視することが一番いけない。そうすると相手が見えなくなり、見えなくなるからこそますます恐怖感が大きくなる。(P57)

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という有名な故事がありますね。幽霊かと思ってよくよく見てみたら、ただの枯れたススキだった・・・それから転じて、怖い怖いと思っていると何でもないものまで、怖く感じる。(正体を知れば、なぁんだ、ということになる)

人って、よく分からないもの、見えていないものに対して恐怖とか不安を感じるものなんですね。

で、よくよく考えると、相手の正体をよく調べもせずに盲目的に怖がったり不安に思っていることって自分の身の周りでもよくあるなぁ、って思いました。

例えば・・・

テレビの情報番組などを見ていると、「健康」とか「病気」について特集していることってよくあるじゃないですか。

お医者さんや医学生でもない限り、自分の身体の仕組なんてそんなに詳しくはないじゃないですか。

だから、「こんな生活をしていると」「こんなものばかり食べていると」病気になっちゃいますよ。と言われると、ちょっと不安になる。

そして

「だから、こういう生活習慣を心掛けて下さい」とか、「こういう食べ物が身体に良いから食べてみて下さいね」と言われると、ついつい信じてしまって翌日スーパーに買いに行ってしまう(笑)

一見、すごく有益な情報を教えてくれているように見えるけど、これって、よくよく考えると

相手がよく知らないであろうところを狙って不安を煽る  ↓↓↓解決策を提示する  ↓↓↓購買意欲を煽る

という、実に良く出来たマーケティングの手法であったりもするんですよね。

この本の中でも

相手を不安にさせて購買意欲を煽る現在の消費社会では、つねに自分が何に対してびびっているのか意識するとともにそれが仕掛けられたものでないかどうかを検証することが肝要です(P61)

と、あります。

マスコミの情報を鵜呑みにして盲目的に不安になるのではなく、きちんと自分で「本を読む」「ネットで情報を集める」「詳しい人に話しを聞く」などすることで、もしかしたら、スーパーに買いに走らなくても済むようになるかもしれませんよね。

■断らない力

同世代や同僚とは上手くコミュニケーションがとれるが、自分より上の世代や上司とは上手く会話できない。昔のような”飲みニケーション”の時代は終わったにしても、時には自分と全く話しがかみ合わないような異質な人たちと話してみる。これも大事な「断らない力」だと思います(P134)

上司って食事やお酒の席に部下を誘うのも、けっこう気を遣うんですよ。(少なくとも私はそうでした!)なのに!断るヤツがいるんですよ(プンプン)

まぁ、そんな私の話しはどーでも良いとして、

自分の世界に閉じこもって、異質の人とあまりコミュニケーションをとらない人って確かにいますよね。

そりゃ、自分と同じ趣味、同じ価値観の人とお付き合いしている方が楽しいし、気持ちもラク。

だけど

それだと、自分の世界が拡がらないんじゃないんですかねぇ〜?って、よく思う。

時には敢えて「アウェイ」の場に出て行くのも楽しい!って思うんですよ。もしも、いきなりは恥ずかしい〜というのであれば、ツイッターで違う世界の人たちをフォローしてみるのもひとつの手ですよ。

例えば・・・

昨年の夏。お友達から一本の万年筆をプレゼントして貰ったことでそこからドップリと万年筆の世界にハマったのですが、その時に、ツイッターで万年筆とかインクのことを呟いている人を探し出して、フォローしまっくったんですよ。

で、その人たちのツイートを追いかけてみると、なるほど、こーいう楽しみ方があるのか!とかっていう新たな発見があってますますハマるという(笑)

で、面白そうな人や何となく気が合いそうな人がいたらリプを送ってみる。それで、お友達になる。(いつかオフ会できたらいいなぁ)

あるいは、万年筆関係のイベントに行ってみたら、そこから新たなお付き合いが始まったなんてコトもありました。

ちょっと前の私って、読書好きな人、その中でも特にビジネス書とか自己啓発書をよく読む人とのお付き合いが主だったんですが、別の世界の人のツイッターを読むと、まるで違う価値観があってすごく面白いです!

「チャンスは人が連れてくる」っていう言葉もありますが、自分で壁を作らないで、色々な人と話しをしてみる、付き合ってみるというのは大切だと思うのです。

◇最後に・・・

この本、200ページちょっとの新書なんですけど、そこに・怒らない・びびらない・飾らない・侮らない・断らない・お金に振り回されない・あきらめない・先送りしないという8つのテーマが押し込まれているので、読んでみるとちょっと物足りない・・・と感じる部分もある。

だけど、裏を返せば著者、佐藤優氏の考え方や行動規範などの言ってみれば「核」となるものが書かれていると思うので、とても分かりやすいし、読みやすかったと感じました。

それに加えて、随所に外交官時代の要人との交渉や拘置所に留置されている時の体験談も書かれているので、ある意味「読み物」としても楽しめました^^おしまい。

posted by penguin-oyaji at 22:40 | Comment(0) | 自己啓発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月05日

【「なぜ、はたらくのか 94歳・女性理容師の遺言】幸せな人生をおくる秘訣がいっぱい!

なぜ はたらくのか

「なぜ、はたらくのか 94歳・女性理容師の遺言」

加藤 寿賀:著

主婦の友社(Kindle版)

この本の著者は94歳で亡くなられるまで働き続けた女性の理容師。有名人でもなく新橋のガード下の理容店で働いていた市井の人。

だけど、本書の中で語られている言葉はどれも人生に根ざした深く示唆に富む言葉ばかりでした。

タイトルに「なぜ、はたらくのか」とあるけど、内容は仕事論だけでなく、いかに生きるべきかという人生論。長い人生をどのように生きれば幸せでいられるのか、そんな生きる智恵が詰まった一冊でした。

Amazonの内容紹介

東京・新橋駅のガード下、わずか6坪の理髪店がある。「バーバーホマレ」。1953年の開店以来、ずっとハサミを握り続けた一人の女性・理容師がいた。加藤寿賀、享年94歳。15歳で理容師修行を始めてから94歳で亡くなるまでハサミを置くことはなく、関東大震災、第2次世界大戦を生き抜き、はたらき続けた彼女の残した、魂の言葉。「自分のために働くとか、夢のために働くなんて、とんでもない。人さまのために働くのです。端を楽させるために働くから、『はたらく』なのです」

■「はたらく」は「端を楽にさせる」こと

人間はなぜ、はたらかなくてはいけないか?  それは「端を楽させる」ためなんです。  つまり、「はたをらく」に、で「はたらく」。  周りの人たちを楽させる、楽しませるためにはたらくということ。  自分のためではなく、人のため。人間として、はたらかないと、人生何の意味もないのです。

私は最初に就職した会社の社長から「仕事っていうのは、人さまのお役にたつことだ」と言われて育ってきました。

その社長の言葉、当時は何となく頭では理解しても心に落ちてこなかったんですね(まだ若かったからね)

でも、今は何となく言葉の意味が理解できるような気がしてます。

「なぜ働くのか」その質問に対して「生きていくため(生活していくため)にお金が必要だから」と答える人が多いと思う。

確かにその通りだし、否定もしない。

だけど、お金のためだけじゃないとも思うんですよ。

お金のためだけに働いていると、何処かで行き詰まってしまうような気がしてならないんです。

人の役に立っている。ありがとうと言って貰えて嬉しい。そういう自分以外の誰かのためになっている、そう実感できる瞬間が必要なんじゃないかという気がするんです。

「はたらく」は「端を楽にする」。自分以外の誰かを楽にする、つまり自分以外の誰かの役に立つこと。

■イライラしたら心の中で十かぞえる

相手の言葉にイライラしたら、頭に浮かんできた言葉は呑み込んで、十数えること。最初より、きつくない言葉が出てくるはずです。

すぐに思いついた言葉を出さない、「売り言葉に買い言葉」をしないということを学びました。  とにかく十数えてごらんなさい。  何かが変わるはずです。

誰かの言葉や態度にイライラすること、よくありますよね。ついカッとなってしまって、汚い言葉で返してしまいその後「あ〜」となって落ち込む。。私なんてしょっちゅうです。。

あるいは、言葉に出さないまでも心の中に怒りの感情を溜め込んでしまうことも。

そんな時にどーするか?

この本を読んでから私がやっているのは、イライラ、ムカムカでネガティブな言葉を吐きそうになったら、先ずは心の中で「1、2、3・・・・10」と数えて、最後に「まっ、いいか」と言って悪い感情を手放す。

そうすることで冷静さを取り戻し、ネガティブな感情をコントロールできるようになります。

割とよく効くので、オススメです!

本当は何を言われても動じない、そんな強い心があればいいのでしょうが、私はそんなにデキタ人ではないので、悪い感情が出てきてしまうのは仕方がないと諦めました。

その代わり、その悪い感情をいかに早く手放すか、そっちの方が大事かなぁと、最近は思うんです。

■愚痴

愚痴をこぼしている本人は、持っている徳を愚痴と一緒にぽろぽろこぼしてるんだから、もったいない話です。

言ってもしょうがないことは、黙って我慢すること。またはその状態を受け入れられるように、自分の心を変える努力をすること。

よく自己啓発系の本を読んだりすると、「愚痴るな!」って書いてあるじゃないですか。

でも、私は「別に愚痴ったっていいじゃん!」って思うんですよ。ちゃんとルールさえ守れば・・・

そう、愚痴るにもルールがあると思うんです。

辛い時に親しい人を相手に言っても仕方ないことだと分かっていても話しを聞いて貰いたい時ってありますよね。

こういう時、たいていの場合は「ちょっと話しを聞いて貰いたいんだけど・・・」と言った時点で話しをする側もされる側も「さぁ、これから愚痴を言うぞ(言われるぞ)」という了解が相互に成り立っていることが多いと思うんですね。

だから、よほど非常識に度を越さなければ、そして、愚痴った後は気持ちを切り替えて前向きになれれば、たまには愚痴をこぼしても良いと思うんですよ。

心に溜め込んでしまって、爆発させちゃうよりもほんの少し誰かの力を借りて、吐き出ししまった方が良い場合だってある。

いけないのは・・・!

「いつでも」「何処でも」「誰にでも」愚痴を言うこと。時と場所と相手を選ばない愚痴は、無差別テロと同じで迷惑この上ない!

だから、これは絶対にNG!・・・だと私は思います。

◇最後に・・・幸せな人生を過ごすためのヒント

この本に書かれているコトって、その殆どが自己啓発本によく書かれているコトと同じだと思うのです。

当たり前のことが書いてある。

だけど、新橋のガード下でコツコツと働き続けてきたお婆さんが自分の実体験と重ね合わせて、自分の言葉で語っているからこそ心に響く。

関東大震災、あるいは第二次世界大戦。そんな人生の修羅場での実体験も綴られています。だけど、「時代が悪かった」なんて弱音はどこにもない。

今の世の中悪い悪いって言いますけど、戦争に比べたら小さいこと。だって、不景気だからって、弾は飛んできませんから。

これを読むと、今の私たちが「時代がぁ」「政治がぁ」「会社がぁ」とか言ってるのが何だか恥ずかしくなりますよね。

人生って、本当に色々なことが起きるじゃないですか。一筋縄ではいかない。。

そんな人生を前向きに明るく生きるためにはどうすればいいのか?どう生きればいいのか?この本にはそういうヒントがいっぱい詰まっているように感じました。

逆に考えれば、そういう生き方、考え方がちゃんと出来ていたからこそ、著者の加藤 寿賀さんは94歳で亡くなるまで現役で元気に働き続けることができたんじゃないかなぁって思うんですよ。

私、この本を読み終えてこんなふうに思いました。

この本で語られているお婆ちゃんの言葉から一つでも二つでもいいから自分で出来るようになって、少しでもいいから、次の世代に語り継いでいきたいな、って。

そうすることが、この素晴らしい本を私たちに遺してくれたお婆ちゃんへの恩返しになるような気がするのです。

おしまい。

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2015年02月20日

【「会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから」】会社が消えても、人生は終わらない

「会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから」

大西康之:著

日経BP社

どういう経緯だったのか分からないのだけど、私が小学生の頃、我が家の家電製品はその殆どが三洋製品でよく近所の三洋ショップのおじさんが我が家にやって来たりもしていた。

しかし、ご存知のように既にSANYOというブランド商品は存在しない・・・この本は大きくは三洋電機が無くなるまでの物語と、三洋電機が消滅したその後の元・社員たちの物語の二部構成になっている。

実はこの本、昨年の夏くらいに買ったのだけど、なかなか読むことが出来なかったのだ。

というのも、

私自身も数年前に「会社が消えてなくなる」という三洋電機と同じような体験をしてきているので、この本を読んでいると、その当時のあまり思い出したくないようなことまでいちいち思い出してしまうから。。

でも、読後感としては「暗い気持ち」になるどころか、よしっ!俺も頑張らねば!と前向きな気持ちにさせられるものだった。

三洋電機という”会社”は確かに競争社会の中で消滅してしまったが、そこで働いていた元・社員たちは「敗れざる者たち」であったことがこの本の後半部分で描かれているのだけど、それが私に勇気を与えてくれたのだと思う。

Amazonの内容紹介

たとえ今の職場がなくなっても、人生が終わるわけではない。では、どこに向かって次の一歩を踏み出すか。かつて三洋電機に在籍した人々のその後の歩みは、貴重な示唆に富んでいる。重苦しいテーマを扱いながら、本書が「希望の物語」となっているのは、そこに会社を失ったビジネスパーソンの明るくたくましい生き様が垣間見えるからだ。

■それでも会社を、仕事を、愛す

トップの突拍子もない思い付きを、現場が脂汗を流して何とか形にすると、それがトップの武勇伝になる。会社の「成功物語」というのは、えてしてこんな風に作られる。(P199)

多くの「元三洋電機社員」に取材してみてわかったことがある。彼らはよく、敏のことを「あほな親父」「しょうもない親父」と罵るが、その時、たいていの人は楽しそうに笑っている。「うちの親父は、ほんまにあほで。困ったもんですわ」という時の息子の顔である。あほな親父を愛しているからだ。(中略)「井植敏は有能な経営者だったか」と問われれば答えは「否」である。だが、社員に愛され、社員の馬力を引き出したという意味では「立派な経営者」である。敏は極めて日本的な「担がれるタイプ」のトップだったのだ。(P241)

※井植敏(いうえ さとし)三洋電機株式会社の元社長、会長で 創業者、井植歳男の長男

この本の特に後半部分を読んでいると、三洋電機という会社を、そして井植敏という元経営者のことを本当に愛していたんだなぁ、と感じられる元社員が何人も登場する。

トップの経営判断のミスで会社は切り売りされ、自分たちは愛していた会社から放りだされた・・・にもかかわらずだ。

親父(社長)に恥をかかせたらいかん!そう言って孝行息子たち(社員)が一致団結して会社を支える。

まぁ今は少なくなってしまったのかも知れないけれど、これがよくある日本企業の姿だったのではないかと思う。

それだけ自分たちの親分(経営者、社長)に魅力があったということだと思うし、いわば家族にも似たような繋がりが社内にはあったということだとも思う。

詳細は省くけれど、三洋電機の経営が傾き、金融会社に切り売りされ、パナソニックという大企業に飲み込まれていくというストーリーを読んでいると、「(あほな)親父と孝行息子たち」という日本型経営がグローバリズムだとか新自由主義だとかの新しい経営に敗れ去っていく・・・そんな姿が目に見えるような印象を受けた。

そう、三洋電機という会社が特別なわけではなく、これと同じようなストーリーを辿り、憂き目を見た日本企業はあっちこっちにある筈だと思うし、今もそのストーリーは日本の何処かで展開されているのかも知れない。

社会環境が変わってしまった今、そういう新しい経営を受け入れざるを得ないのかも知れない・・・

しかし、「だけど・・・」とも思う。

三洋電機だけではない。あらゆる電機メーカーが、投資家に背中を押されて採算の悪い事業を切り捨てた。主力製品の生産拠点は続々と海外に移り、国内の雇用はどんどん減っていく。残った仕事もコスト削減のため、正社員ではなく派遣や請負の社員に任せていった。利益の多くは海外現法が稼ぐようになり、日本ではろくに税金も納めていない。経営者の顔は投資家の方ばかりを向き、雇用や納税といった企業の義務を忘れているように見えた。「わしらは投資家に魂を売っとるんと違うか」(P231)

この言葉を負け犬の遠吠えととるか?それとも、会社とは本来どんなものであるべきなのか?と問い直すか?

そして・・・

新しい社会環境の中で自分はそれでも会社を、仕事を愛せるか?

そんな問いをぶつけられたような気がする。

■逆境、苦悩、対立、修羅場

昨日まで仲間だと思っていた人々が敵に変わっていた。誰もが「パナソニックの傘下」という新しい環境で生き残るために必死で、ぎすぎすしていた。(P254)

会社がなくなる会社が買収されてしまう

買収先の会社に(運良く?)転籍できるとしても、「あぁ、そうですか」とカンタンに割り切れるわけもなく、いったい自分はどうなってしまうのか?そんな不安に苛まれ、昨日までの仲間が敵になってしまう・・・それまでの人間関係があっという間に壊れていく・・・

会社が売却される時、その内部ではある意味ドロドロの人間模様が繰り広げられているわけですよ(私も経験しました)。

この本の中でセクハラ疑惑をかけられ、会社を辞めさせられた元営業幹部のことが書かれているのだけど、本当に無念だったろうと思う。。

映画「タイタニック」をご覧になられた方は思い出して欲しいのだけど、沈没シーンでは我先にと救助船に乗り込もうとする人々の姿が描かれていましたよね。まさしく修羅場でしたね。

会社がなくなる(売られてしまう)時もあれと同じだと思うんですよ。

誰もが自分の次の居場所を確保するために必死にならざるを得ない。。だから、昨日までの仲間が敵になってしまうようなことも起こってしまう。

でも、だからと言ってそれを責めたり、嗤うことは誰にも出来ないと思うんですよね。。

もちろん!

最後まで演奏をやめなかった楽団員のような人もいると思うけど。

人事部長を務めた5年間は岡本にとって悪夢の時間だった。仕事の9割がリストラ、平たく言えば「首切り」だったからである。(中略)もちろん経営陣の指示でやったことだ。サラリーマンの岡本に逆らう術はなかった。それでも、当時の記憶は岡本の心の中で深い傷になっている。ネットの掲示板には実名で誹謗中傷を書かれた。自宅には家族に見せられないような手紙が来た。駅のホームでは背後が気になり、最前列に立てなくなった。(P258)

リストラでクビを切られる方も必死だけど、クビを切る方も必死なのだ。

実は私も数年前には、クビを切る側で仕事をしていた。もちろん、三洋電機と比べれば全然規模は違うのだけど、それでも、人の職を奪ったことに変わりはない。

だから、この元人事部長の気持ちは痛いほど分かった(ように思う)

気持ちが分かるというのは、クビを切る痛みのことだけではない。。例えば、こんなことも・・・

本社の人事部長をしている時、岡本はリストラの絵を描く傍ら、中途採用に力を注いでいた。「現実逃避ですよ。何か少しでも前向きなことをやっていないと、心のバランスが崩れてしまう。人事の人間はみんなそうでした」(P263)

そう、私も自分の会社というか事業部の売却が決まる寸前まで採用活動をしていたのだ。

当時、一緒に役員をしていた先輩からは片一方で人を切りながら、もう片一方で採用するってどう考えても矛盾してるじゃないか!と何度も指摘された。

今から思えば、その時に私が採用したせいで人生計画が狂ってしまったり、思わぬ買収劇に付き合わされてしまった人がたちが何人かでもいることに心が痛むのだけど、その当時の私はやはり元人事部長と同じ。

何か前向きなことを考えたりやったりしないことには自分自身が圧し潰されてしまいそうだったのだ。

■会社が消えても人生は終わらない

三洋電機という船から放りだされた約9万人の人々も、どこかで働いている。会社は消えても、人生は終わらない。そこから始まる新しい人生があるのだ。(P5)

「会社が消える」という絶望的な状況から立ち上がった人々の物語は、現在進行形で困難な状況と闘っているすべてのビジネスマンに勇気と希望を与えるだろう。彼らの「再生」は、かつての強さを取り戻す「復活」ではない。しかし、厳しい現実と折り合いをつけながら、彼らは「新しい人生」をつかみ取った。(P6)

最初にも書いたように、この本の後半部分では三洋電機という大型船から放りだされてしまった人たちがその後、どのような人生を送っているのかが描かれている。

読んで頂ければ分かる通り、それぞれがそれぞれに希望を持ちながら新たな一歩を踏み出している姿が描かれていて、それが読んでいて、自分も頑張ろう!と勇気を与えてくれている。

さて。

ここからは私の個人的な話を少し書いてみたいと思う。

少し前のこと。数年前まで一緒に働いていた後輩から連絡が来た。今度、昔の仲間が集まって一杯やることになったので、良かったら来ませんか?と。

正直、最初は「どのツラさげて会いに行けばいいのか?!」と思った。・・・というのも、その集まりというのは数年前に会社の事業売却によってバラバラになってしまった仲間たちの集まりであり、私はその当時の彼らの上司であり、リストラを進めた張本人だったからだ。

今さら、合わせる顔なんてない

そう思った。

そう思ったけど・・・今会っておかないともう二度と会うことはないのかも知れない。。今さら「すまなかった」もないのだろうけど、あれから数年たった彼らの姿をひと目見ておくのもかつての上司の役割なのかも知れない。。

そんな勝手な理屈をこしらえて、教えられた会場へと足を運んだ。

当日は十数名がやって来た。あの頃の笑い話や、今だから言える当時のオフレコ話しなどで大いに盛り上がった。

それぞれが、それぞれの新しい人生を歩んでいた。多少、見た目がオジさん化している人もいたけど、みんな元気にやっているようだった。

そんな姿を見て、私はほんの少しだけどこの数年間、ずっと心の片隅に会ったわだかまりみたいなものが軽くなったような気がした。

もちろん、

バラバラになった後、人には言えないような苦しい思いをした人もいたはずだし、その苦しみが今も現在進行形で続いていて会場に来られなかった人もいるのだろうと思う。

だけど

会社は消えても、人生は終わらない。

それならば、やはり何処かで過去を断ち切って前を向いて進まなければならない。

前を向いて進めば、いつか笑い合える日もやって来る。

そんなコトを思ったその日の集まりでした。

おしまい。

※相変わらず読んでくれる人のことを全く考えない長文エントリーで 失礼しました。最後まで読んでくれて、ありがとう。

タグ:経営
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2015年02月13日

【椎名誠「アイスランド 絶景と幸福の国へ」】大切なものを何処かに置き忘れ気が付くと僕は今何をしているんだろう?

 

「アイスランド 絶景と幸福の国へ」

椎名誠:著

日経ナショナルジオグラフィック社

学生の頃、重度のシーナ中毒者だった私。新刊が出ると片っ端から読みあさってました。(けっこう多作だったので、追いかけるのがタイヘンでしたけど)

でも、「アドバード」あたりを最後に椎名さんの著書を読むこともなくなって・・・と言うよりは社会人になって本自体をあまり読まなくなってしまってた。。

そして今回、数十年ぶりに椎名さんの新作を手にして読んでみたら・・・

Amazonの内容紹介

南米パタゴニアから北極圏まで、世界を旅した作家が“最後のでっかい旅"に選んだ行き先はアイスランドだった。その理由は、独特の絶景や大自然、そして、敬愛する作家ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』の舞台であると同時に、幸福度、安全度、女性の社会進出度などさまざまなランキングの上位国だから。著者が実際に見て聞いて書いた「幸せの国の現実」とあわせ、でっかい旅の総括ともいえる長い「おわりに」では、これまでに訪れた世界各国の幸せについても振りかえる。また、著者の撮り下ろしに加え、ナショジオの絶景写真を31点収録。絶景と幸福の国を写真でも楽しめます。 美しい国とは―、幸せな国とは―。いまだからこそ読みたいアイスランド紀行。

■幸せって・・・?

ぼくの今度のアイスランドの旅には、いくつかテーマを持ってきていたが、そのうちのひとつが、この国の国民の「幸福度」の現実だった。何年か前に「幸福度指数」が世界九位になったことがあるという。その実態や理由を知りたかった。(P72)

幸福とは何か?と問えば、個人の価値観が多種多様であるのと同じように幸福について人の数だけ違う答えがあるに違いない。

だけど、「幸福な国」あるいは「幸福な社会」とは何かと問えば、答えはもう少し絞られるのかも知れない。

椎名さんによれば、このアイスランドという国は

軍隊はなく、原発もない。しかし税金は高く、物価も高いが、政府によるその高い税金の還元が目で見えるかたちでなされているからなのだろう、多くの国民は、おだやかでシアワセそうな顔をしている。みんな「この国は安全で、犯罪などない」という。警察はあるが銃を保持せず、殺人事件なども殆どない。滞在中にパトカーはついに見かけなかった。(P9)

そんな国なんだそうだ。

この本は椎名さんによるアイスランドの旅行記なので、行く先々での人々の暮らしぶりや自然の情景が綴られている。

そして、文章だけでなくナショナルジオグラフィックの美しい写真と椎名さんによるモノクロ写真が数多く収録されているので、視覚的にもアイスランドがどういうところなのかを理解し、楽しむことができるようになっている。

話しを戻すけれど・・・

この本の文章と写真で感じるアイスランドという国(社会)が果たして「幸福」なのかどうかという判断はやはり人それぞれなんだろうと思う。。

だけど、

旅っていうのは、単に行く先々の風景や人々の暮らしぶりを見て感じて楽しむだけでなく、その場所から、自分が暮らしているところを振り返って見直してみる、そんな新しい視点を手に入れる機会でもあると思うのだ。

軍隊も原発もなく、殺人を含めて犯罪が殆どなくだけど、税金や物価も高い幸福度ランキング9位のアイスランドという国を通して私たちが住む日本という国(社会)を省みた時にそこにあるのは果たして「幸福」なのか、それとも・・・

この本はそんな「幸福な国」「幸福な社会」について考えてみる良い機会を与えてくれる本だと思った。

■大切なモノを何処かに置き忘れ、気がつくと僕は今、何をしているんだろう?

子供の頃に抱いた”夢”は、愚直ながらもとにかくずっと追求していたら結構実現してしまうものなのだ、「夢」はかなうものなのだ、ということをぼくはぼんやししながらも確信したのだった(P131)

今回この本を読みながら思い出したことがある。

自分が若い頃(つまり、重度のシーナ中毒者だった頃)、椎名さんの「パタゴニア あるいは風とタンポポの物語り」という旅行記を読み、いつか自分もその地を旅してみたいものだと思った。

そして同時に、今のような人生を送っていたら、きっとほぼ間違いなく私はパタゴニアに行くことなく人生を終えてしまうだろう、と思ったのだ。

このアイスランドの旅で椎名さんは敬愛する作家、ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』の舞台となった場所に立っている。

「夢はかなうものだ」と椎名さんは書いている。だけど・・・その昔、サラリーマンをしていた椎名さんが、もしもそんまま会社勤めを続けていたら、作家になっていなかったら、果たして椎名さんの「夢」はかなっていたのだろうか?

抽象的な書き方で申し訳ないのだけど、夢をかなえるためには、その夢に近づくような人生を選択しないといけないのではないか・・・と思う。

子供の頃、あるいは青春時代に小説でもいい、映画でもいいあんなふうに生きたい!こんなことをしたい!そんな憧れの人生を夢見た経験は私だけでなく、多くの人にあるのではないかと思う。

だけど、

オトナになって、仕事をして生活に追われているうちにいつしかそんな子供の頃の夢は何処かに置き忘れてしまい夢見たのとはほど遠い人生を送ってしまっていた。。。

この本を読んで私は、そんなちょっとほろ苦い現実も一緒に突き付けられたような気がした。

大切なものを 何処かに置き忘れ気が付くと僕は今 何をしてるんだろう夜空を見上げると 多くの夢が星になり風になり 踊って見える

吉田拓郎「若い人」

◆最後に・・・

椎名さんは昔から極寒のシベリア、タクラマカン砂漠やパタゴニアなどなど辺境と言われるようなところを何度も旅してきた作家さんである。

だからというワケでもないのだろうけれど、椎名さんの本を読むと異国の地と比べて我が日本の社会がどれだけオカシなことになっているか、というようなことがよく書かれている。

若い頃、そんな椎名さんの作品を読む度にそーだ!そーだ!と激しく同意したことも数知れず。。

上の方でも書いたけど、「旅」っていうのは、異国や見知らぬ場所に立ち肌で感じるものから新しい視点を得る機会でもあると思うんですよね。

自分で実際にそんな辺境を旅する機会のなかった私にとって数多くの椎名さんの旅行記を読むことでバーチャルな世界旅行を楽しんだり、改めて日本の社会というものを考えてみる教科書でもあったのです。

北米大陸とヨーロッパ大陸(ユーラシア大陸)の中間、北極圏近くに浮かぶ島国「アイスランド」

「幸福」というテーマを持ってそのアイスランドを旅した椎名さんが出した一つの結論。それが最後の方に書かれているのだけど、読んでいて深く考えさせられるものでした。※詳細はネタバレ自重ということで・・・ 是非とも本書を手に取って読んでそして考えて貰いたいと思う。。

それから、これも既に上の方で書いたけれどこの本にはナショナルジオグラフィックの美しい写真や椎名さんが現地で撮ったモノクロの写真が数多く掲載されているので、読まずとも見るだけでもアイスランドという国を楽しめるようになっている。本屋さんで見かけたら、先ずはその写真を楽しんでみるのも良いのではないかと思うのでした。

おしまい。

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2015年02月08日

親孝行のススメ【みうらじゅん「親孝行プレイ」】

「親孝行プレイ」

みうらじゅん:著

角川文庫

今年の年明けぐらいだったか、Facebookを眺めていたらお友達がこの本のレビューを書いていて何となく今の自分に必要な本かなぁ?と思って手にした次第。

作者はイラストレータ、漫画家などとして活躍しているみうらじゅんさん。私、実はあまり詳しいコトは知らなくて時々タモリ倶楽部に出てくる面白いロン毛のオジさんくらいに思ってました(^^;;

でも、「ゆるキャラ」って実はみうらじゅんさんが考案したネーミングだったんですね〜 (知らなかった・・・)

Amazonの内容紹介

親孝行したいとか親は大切だとか、“思っている”だけでは気持ちは相手に伝わりません。親孝行は、具体的に行動しないと意味がないのです。どうせなら徹底的に親を喜ばせてあげたい。そこで忘れてはならないのは、相手が親だからこそ「誰よりも気を遣い、誰よりもサービス精神を持ち、誰よりも接待感覚を忘れてはならない」こと。とにかく行動。初めはぎこちなくてもいいじゃないですか。著者が実際にやっている親孝行の数々。

■会社では出来るのに、なぜ家出は出来ない? 〜親コーラーになろう!〜

「親孝行とはプレイである」これがたえず親孝行と向き合い、親孝行学を探求し、親コーラー(親孝行実践者の意)として私が導きだした結論である (P5)

「親だからこそ」「子だからこそ」「親子だからこそ」誰よりも気を遣い、誰よりもサービス精神を持ち、誰よりも接待感覚を忘れてはならないのだ。そう、親を喜ばせるという行為は、もはや「心の問題」ではなく、実際にどう行動するかつまり「プレイ」の一環なのである。心に行動が伴うのではなく行動の後に心が伴うのが現代の親孝行なのだ。(P6)

職場ではフツーに出来るのに何故か家庭では出来ないコトってないですか?私はあります。例えば「掃除」とか。。

職場ではあんなに一生懸命に日々、掃除をするのに何故か自分の部屋はいつまでも散らかったまま・・・そんな感じです(^^;;

どーして、そんなことになるのか?って考えてみるとやっぱり「仕事だから」って割り切ってる部分があると思うんですよね。

仕事なら、ちょっとくらい嫌なことでも我慢して出来てしまう。

仕事での接待、あるいは上司と一緒の職場の飲み会。相手が少々嫌なヤツでも「これも仕事のうち」と割り切ってしまえば満面の笑みを浮かべて相手をすることが出来る。

それと一緒かなぁ、と。

で・・・

本書のメインテーマである「親孝行」

これもなかなか実践するのが難しい。この場合、相手が嫌なヤツというよりも「親子だから」なんとなく照れくさい。そんなふうに思ってテキトーにあしらっているうちに手遅れになってしまった。。

・・・なんて、コトにならないように親孝行を「放置プレイ」や「S○プレイ」と同じような『プレイ』と割り切って先ずは楽しみながら実践しよう!行動しよう!というのが本書の主旨なんだと思う。

つまり先の例でいえば、親を接待の相手だと思ってサービスすれば良い。そうすれば「親だから」なんていう照れなど気にならずに親孝行が出来るっていうことなんだろうと思うのです。

■年をとった親はなぜかワガママになる?

親というのはそもそも理不尽な人種なのである。登山家はそこに山があるから登り、親孝行家はそこに親がいるから親孝行をする。山に向かって「高すぎる」などと文句を言う登山家はいないわけで、親に向かって「理不尽だ」と文句を言うことほど意味のないことはないのだ。(中略)親孝行プレイは諸君が親に対して行う奉仕プレイなのだということを忘れてはならない。(P28)

何故かは知らないけれど、人は年をとると「ワガママ」になることが多いような気がする。

「ワガママ」と「理不尽」はイコールではないけれど、とても近い関係にあるような気がする。(従兄弟くらいだろうか?)

親から「ワガママ」や「理不尽」なコトを言われたら当然おもしろくない。だからキレる!私も今まで何度キレたか分からない。

しかし!

職場では上司やお客からもっと酷い理不尽でワガママな仕打ちを何度も受けてきたじゃないか!そして、その度に歯を食いしばって耐えてきたじゃないか!

そう思えば親の理不尽、ワガママなんて大したことない。

親がワガママを言ってきても職場の上司やお客に接する時みたいに明るい笑顔でその要求を受けとめれば良いのだ。

つまり、そーいうコトっすね。

■親へのプレゼントという重大問題

ここでは「父親に何をプレゼントするば喜ぶか」のテクニックを考察していく。それにはまず諸君には父親孝行プレイの基本姿勢から学んでいただきたい。それはすなわち「年をとったことを父親に実感させるな」ということだ。プレイのひとつひとつは父親にはいつまでも若い気分でいてもらうためのものでなくてはならない、というのが絶対条件なのである(P113)

プレゼントというものは、相手にとって必要なものを贈る行為ではない。そのようなものは本人が自分の意思で購入すればいいのである。プレゼントとは本人では絶対に買わないもの、しかしもらうと意外に嬉しいものをチョイスすべきなのだ。(P115)

親の誕生日や父の日、母の日に何をプレゼントすればいいのか?これは子供にとってけっこう重大な問題なのではないかと思う。

何が喜ばれるか見当もつかないまま取りあえず何かテキトーなものを選んでプレゼントする。

が・・・!

それから何年か経って、こっちがそんなものをプレゼントしたことすら忘れてしまっていても親は「これは○○の時にあんたからプレゼントして貰ったものよ」と、結構しつこく覚えていてくれたりするので、油断がならない。

この本を読んでいて「そうであった!」と膝を打ったのが、『年をとったことを喜ぶ人は(滅多に)いない』という真実なのであった。

親が年をってくると、プレゼントを選ぶ時にも何となく親の年に合わせて「渋いもの」「地味なもの」「枯れたもの」を選んでしまいがちになる。

だけど、本書によれば盆栽、モモヒキ、あんかなど年寄りが好むものを贈ってどーする?!逆に「これ、若すぎるかも?」と思うようなものをプレゼントすべし!と書かれていて、なるほど〜!と思った次第。

ちなみに・・・

先日のこと。うちの母と一緒に某ユニクロに買い物に行った時のこと。母はカーディガンが欲しかったらしくて、どの色がいいか?と訊ねられたので、私は何の躊躇もなく「赤!もしくはピンク!」と答えたのだけど、「そんな派手なのは嫌だ」と無下もなく却下されたのだった。。orz

◆最後に・・・

『親孝行とはプレイである』この一見ちょっとふざけたように思えるこのフレーズ。でも、この本の最後のページを読むとまさに名言!というふうに思えるのではないかと思う。(ネタバレ自重で引用しませんが。。)

親孝行をテーマにした著作って割と色々あると思うけど、なんとなく「涙」とか「感動」という言葉と結びついているものが多いように思うんですね。

でも、この本はむしろ逆で明るい笑いの中に感動が隠れているそんな内容だと感じました。

それと・・・

親孝行とは・・・っていう概念だけを語っているのではなくこの本では実家に帰省した時、親孝行旅行に連れ出した時、父親と一緒に寿司屋に行った時など、どのように振る舞えば良いのか図入りで解説してあるまさに実用書!

ただ、著者がみうらじゅんさん、その人なので、完全に男目線だし、ところどころにエッチな表現も出てくるし、女性が読むとまたちょっと違う読後感になるかも?

でも、一つ言えるのは一見ふざけたりネタにしか思えない話しにも端々に親を喜ばせようとするみうらじゅんさんの優しさがちゃんと隠れているということ。

もしも、この本を手にする機会があればそんな優しさに是非とも触れて欲しいと思うのです。

おしまい。

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2014年12月07日

「ワセダ三畳青春記」人生の中の「彼岸」と「此岸」あるいは青春の終わりということ

「ワセダ三畳青春記」

高野秀行:著

集英社

「彼岸」と「此岸」という言葉があります。簡単に言えば「此岸(しがん)」というのは今、自分たちが生きているこの世界。そして「彼岸(ひがん)」とは、あの世のこと。

それと「彼岸」にはもう一つ、川の向こう岸にある世界、という意味合いがある。

彼岸と此岸を分けている川といえば、それはもう「三途の川」である。

人は死ぬと自動的に三途の川を渡って彼岸へと行ける(らしい)。

ここまでは仏教とか民間信仰の話しなのだけど、私が思うに、私たちの人生の中でも川を渡る瞬間ってあるんじゃないかと思うのです。

Amazonの内容紹介

畳一間、家賃月12000円。ワセダのぼろアパート野々村荘に入居した私はケッタイ極まる住人たちと、アイドル性豊かな大家のおばちゃんに翻弄される。一方、私も探検部の仲間と幻覚植物の人体実験をしたり、三味線屋台でひと儲けを企んだり。金と欲のバブル時代も、不況と失望の九〇年代にも気づかず、能天気な日々を過ごしたバカ者たちのおかしくて、ちょっと切ない青春物語。

■人生の中の「彼岸」と「此岸」

この本は上の「内容紹介」を読んで貰えれば分かる通り、ワセダのぼろアパート野々村荘を舞台にした面白オカシイ青春期です。

こうしたぼろアパートを舞台にした青春期っていうのは既に何冊も出版されていて、私の記憶の中を探ってみても椎名誠:「哀愁の街に霧が降るのだ」東海林さだお:「ショージくんの青春記」などは、むかしハマって何度も読み返したりしていた。

この「ワセダ三畳青春記」もそうだけど、これらの作品って著者が20代の頃、ぼろアパートを舞台にしておくっていたハチャメチャな生活を面白オカシく描いているんですよね。

だけど・・・

そのぼろアパートにずっと住みつづけていることはなく、何かをきっかけにしてアパートを後にするワケですよ。

たいていの場合

もうオレもいい年になるし、マットウな生活をしなきゃという気になり、実社会へと巣立っていく。そんな展開が多い。

◇◆◇◆◇◆

人生の中にも「彼岸」と「此岸」がある。そんなことを書きました。

たぶん・・・

「此岸」っていうのは、こうした20代の頃にハチャメチャな生活を送っているモラトリアムの世界で、「彼岸」っていうのは、マットウな実社会のことを指す。

私には何かそんなふうに思えるんですよね。

そして、全員ではないかも知れないけど多くの人が、青春時代の終わりにある人は意識的に、ある人は無意識のうちに、川を越えて「此岸」から「彼岸」へと渡っていったんじゃないかと。

この本でも前半のハチャメチャな面白オカシイ話しとは対照的に後半というか最後の数章がとても切なく感じられるのはそういうある種の「青春の終わり」を描いてるからだと思う。

◇◆◇◆◇◆

書評にも感想にもなってないし、この本を読んだからといって、コレから先の人生で大きな夢が叶ったり、あるいはお金がウハウハ儲かるというコトもない・・・と思う。

だけど

きっと誰もが通り過ぎたであろう『青春』というものを今一度、手許に引き寄せて「青春のバカさ加減」と「青春の終わりの切なさ」を思い出してもみるのもそんなに悪いコトじゃないだろう。

タグ:高野秀行
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2014年09月17日

【自己啓発】「全盲の僕が弁護士になった理由」大胡田誠:著 前を向いて未来に進むすべての人へオススメしたい!

全盲の僕が弁護士になった理由

「全盲の僕が弁護士になった理由」
あきらめない心の鍛え方

大胡田誠:著
日経BP社

この本を読み終えた後、何だかとても爽やか!というか勇気が湧いてくる感じがしました。

タイトルから分かるように、全盲になってしまった著者が頑張って弁護士になったという実話なのですが、障がい者が苦労を重ねて・・・

という読み方はしない方が良いと思うのです。

何故なら、誰だって身体的な障がいはなかったとしても心の「弱さ」は持っているし壁にぶつかることはありますよね(たぶん・・・)

困難を乗り越えて前に進むのに、健常者も障がい者もない!と思うのです。

この本が語りかけてくれるのは、その弱さや壁を「どのようにして」乗り越えるかという誰にでも必要な『勇気』だと感じました。

Amazonの内容紹介 

全盲でどう司法試験を突破したのか?証拠写真をいかに読み解くのか?顔を見ずに依頼人の心を読むテクニックとは?

ネットやパソコンをどう使うのか?苦難をエネルギーに変える思考法とは?

「あきらめない心」を育んだ両親の教えとは?

「だから無理」より「じゃあどうする」のほうが面白い。

この本は日経BP社様より頂きました。ありがとうございました。

■本当の限界は少し先にある 

思えばいつも、「もう無理かもしれない」と思った、その少し先にゴールがあったような気がする。山では泣き言は通らない。

途中でどんなに疲れても、結局は自分の足で進まなければ、山を越えることも下りることもできない。

しんどいけれど、でもそこを乗り切ったときに、次はもう少しだけやれそうな気がした。そんな小さな自信をいくつも積み重ねた。

(中略)

人は無意識のうちに、「自分にできるのはここまで」と限界を線引きしている。でも大概は本当の限界はその先にある。(P91)

逃げ場がないくらいに追い込まれた時に、人は限界を超えて自分の本当の力が発揮できる!のではないかと思うんですよね。

私も学生時代にチャリでツーリングをしている時に、峠を越えるために山道を走っていて、ギブアップしそうになったことがあるんですよ。

あたりは木がうっそうと茂っていて、車も走ってなければ他に人もいない。。

だんだんと陽は沈んでいき、あたりは暗くなってきて本当、マジで泣きそうになりました(苦笑)

でもね、本当に無理かというと、そうじゃなくてちゃんと走れるんですよ。

だって、誰も助けてはくれないんだから

(そもそも周りに人なんていなかったし)

自分の足を動かして進むしかないんですよ。

そう、追い込まれると人って「火事場の馬鹿力」みたいにとんでもないパワーを発揮したりできるものなんですよね。

背水の陣をひくとか、退路を断つって言い方よくしますけど、あれも同じですよね。

自らを追い込んで、自分を奮い立たせる!

まぁ、気を付けないと自滅することもありますがァ。。。(経験アリ!)

■「弱さ」は逃げるものではなく、認め向かい合うためのもの 

勝負に勝つために何より大切なのは、自分の弱さを見せつけられた時、

逃げずにそれときちんと向き合う心の強さを持つことだ(P151)

例えば、話しがヘタで人とのコミュニケーションが苦手だったとしますよね。

どうしますか?

なるべく人と会わないようにする?

会っても話さないで済むように隅の方に逃げ隠れる?

なんか、ちっと情けないですよね。

・・・まぁ、これがかつての私の姿だったんですけど(^^::

そんな情けない自分を何とかしたい!

そう思って、自分の「弱さ」と向かい合った時に気付いたんですね。

話しがヘタなら、聞き上手になればいいんだ!って。

自力じゃムリだったんで「話し方教室」みたいなところにも行きました。

おかげさまで今では知らない人とも普通に話せるようになったし、コソコソと隅の方に逃げることもなくなってきたかな(たぶんね)

自分の「弱さ」って、気付いても出来れば見なかったとコトにしたいけど、一生それから逃げ回っているのも、格好悪いじゃないですか。

ちょっと視点を変えれば、弱さが強さに変わることだってある。

「弱さ」は逃げるものではなく、認めて向かい合うためのもの・・・

■明日の夢をかなえるのは今日の自分 

逃げずに、弱さを一度は受け止めて、そして自分を信じることだ。

自分を信じる力は、それまで積み上げてきた努力の量に比例する。

だから、最後の最後で自分に負けないための努力を日々しなければ、と思う。(P155)

高校受験とか大学受験のように、ちょっと大袈裟かもしれないけど、自分の人生を懸けた大一番みたいな場面って人生の中で時々あったりしますよね。

やけに昔の話しで恐縮なのですが・・・

高校受験の時のこと。

その頃、好きだった女の子と同じ高校に行きたい!という一心で猛勉強をして半年くらいの間に確か偏差値を10か15くらいアップさせたんですね、私。

それで何とか彼女と同じ高校の合格圏内に滑り込んだワケですが

いざ、最終的な受験校を決める時になって親や先生から「もしかしたら、この前の模試はたまたま良い成績がとれただけかもしれないから」という理由で、絶対安全圏の高校を勧められたんですよ。

で、私も私でその当時からヘタレでしたから、最終的には周りの言う通りにワンランク下の彼女とは別の高校を受験することにしたんですよ。

結局、15歳の私は自分で自分を信じられなかったわけです。

(あんだけ勉強したのに!)

まぁ、高校受験でそんな体験をしたせいなのか、「いくら努力したって、報われないことだってあるよ〜!」とかなりスレたものの見方をしている私ですが、

それでも!

自分を信じる力は、それまで積み上げてきた努力の量に比例する。

と言うこの一文には、ものすごく共感します!

大事な受験や試験前に、「自分はこれだけやって来たのだから絶対に大丈夫!」そう思えるだけの努力の積み重ねってやっぱり大切だと思うんですよ。

努力の積み重ねって、自分の自信を育てるからね。

■「だから無理だ」よりも「じゃあどうするか」 

娘も将来、人生を左右するような試練に直面するときがくるだろう。

でもそこで諦めずに、勇気をもって前に進んでいくと、まったく別の地平が目の前に開けてくる。

「だから無理だ」と逃げるよりも「じゃあどうするか」と考えるほうが、人生はがぜん面白くなる。そのことを僕たちは、これまでの、そしてこれからの生き方を通じて見せてあげたい。(P183)

何かの本で読んだんですけど、人間の脳って「どのようにすればよいか?」っていうような疑問形で問われると、自然とその答えを探そうと考えはじめるそうです。

だから、会社で上司や先輩からムチャ振りされた時でも即座に「んなこと、出来るわけない!無理だ!」と思うよりも、先ずはそのムチャ振りに対して「どのようにすれば出来るだろうか?」と考えたほうが良いのだとか・・・

まぁ、確かに即座に「無理だ!」と思うよりも出来る、出来ない、やる、やらないはともかく

「どのようにすれば?」と考える方が『できる人』に近づけるような気がしますよね。

著者が書かれているように確かに人生には時々、どう考えても乗り越えることができないような壁が出現します。

そういう壁を前にした時に、先ずはぶつかる!よじ登ってみる!それでもダメならどうやれば乗り越えられるかを考えてみる。

もしかしたら、それはムチャで無謀な挑戦なのかもしれないけれど、壁によじ登りもしないで「無理だよ〜」と言っているよりは遥かに価値のある挑戦なんだろうと思う。

◇◆◇◆◇◆

本当はもっと書きたいコト、紹介したい本文があるのだけれど、さすがに長くなるので、この辺で。

最初の方で

「障がい者が苦労を重ねて・・・という読み方はしない方が良い」と書きましたが、私が何故そう感じたのかは、ここまで読んで頂ければだいたい分かって頂けたのではないかと。

確かに全盲の障がいをもっている人ならではの苦労話も書かれてますが、自分の人生の夢を叶えるために弱さに立ち向かう勇気とか決断、立ちはだかる壁をどうやって乗り越えるのか?

そういう部分って、きっと障がい者、健常者とか関係なく誰にでも必要なものですよね。

自分の弱さに立ち止まってしまっとき、

目の前の壁に押しつぶされそうになってしまっとき、

この本を開けば、きっと「勇気」が貰えると思うのです。

それから・・・

この本のドラマ化も決定したそうです。

どんなドラマになるのか楽しみですね^^

posted by penguin-oyaji at 20:48 | Comment(0) | ルポルタージュ・ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月10日

【民話】笠地蔵 おばあさんの「ネ申」対応にスゲー感動した!

笠地蔵

【民話】笠地蔵

数日前にイラスト付きでSNSにも書いてアップしたのだけど、

今更ながら民話の「笠地蔵」に感動しました!

なぜ今、笠地蔵なのかというと・・・

気持ちがすごくイラついていた時に、突然なんの脈絡もなく

頭の中に「笠地蔵」ってワードが浮かんできたんですよ。

まぁ、お話し自体は昔から知っているのだけど、

ちょっと気になったので、ネットで検索して改めて読んで

みたんですね。

そしたら、ものスゲー感動したんですよ!

■この昔話のあらすじ(知ってると思うけど・・・)

・おじいさんとおばあさんは正月を迎えるのに、おモチも

 買えないような貧しい暮らしをしていた

・おじいさんは自分で編んだ笠を売って、おモチを買おうと

 思い町へ出掛けていった

・だけど・・・笠は一つも売れなかった

・帰り路、おじいさんは吹雪の中で七体のお地蔵さまを見つけた

・吹雪の中で寒かろう、とおじいさんは売れ残りの笠を

 お地蔵さまにかぶせてあげた

・家に帰ってきて、そのことを話すとおばあさんは

 「まぁ、それは善いことをしましたね。おモチがなくても

  年は越せますよ」

 と、ニコニコしながら言った

・その夜、寝ていると家の外で何か重たいものが落ちるような

 音がした

・外を見てみると、米俵、野菜、魚、小判などの財宝が山と積まれ

 お地蔵さまたちが帰っていく姿が見えた

・そのおかげで、おじいさんとおばあさんは良い正月を迎えられた

□感想

たぶん、この話しってフツーは「善いことをすれば報われる」みたいな

教訓と一緒に語られると思うんですね。

でも、今回改めてこの昔話を読んで気付いたんですけど、

このおばあさんってスゴくないですか?!

たぶん・・・おじいさんは売れ残った笠をそのまま家に持ち帰るよりも

お地蔵さまにプレゼントしてあげた方がいいだろう、と素直に思ったか、

もしくは!単にヤケになっていたのかも知れないわけですよ。

でも、おばあさんは家でおじいさんがお正月のおモチを買って帰ってくるのを

楽しみにしていたと思うんです。

なのに!

おじいさんは手ぶらで帰ってきた!

フツーなら、ここで夫婦喧嘩が勃発してもおかしくないわけで・・・

それなのに、おばあさんはガッカリしたり、おじいさんを怒ったり

責めたりすることもなく、

『それは善いことをしましたね』とニコニコしながら言ったんですよ!

すごくないですか?

まさに「ネ申」対応じゃないですか!

おじいさんの気持ちに寄り添う、共感力

今のままでもいいじゃない、という現状肯定力

全てを許す包容力、心の広さ

もう、素晴らしすぎます!

思うんですけど・・・

物語の最後、お地蔵さまたちが二人にプレゼントを持ってきて

そのおかげで、良い正月を迎えられた・・・っていうのは

割とどーでもよくて・・・

『それは善いことをしましたね』とニコニコしながらおばあさんが

言った瞬間に、この二人はとてつもない心の平安を感じていたと

思うんですよね。

そして、もしかしたら

このおばあさんの「ネ申」対応こそが、お地蔵さんたちが二人に

贈った宝物だったのではないかって。

・・・なんだか、ちょっとあれだけど

そんなふうに思ったら、自分が感じていたイライラもスウッと消えて

気持ちがずいぶんとラクになったんですよ。

◇おバカさん

遠藤周作さんの小説に「おバカさん」っていうのがあるんですけど、

その主人公は臆病でお人好しで、妙な行動で珍事件を巻き起こしたり

するんだけど、なぜか周りの人の心を明るく温かくするんですね。

笠地蔵の話しをあれこれ考えていたら、その「おバカさん」のことも

思い出して、このおじいさんも、おばあさんも「おバカさん」なのかもなぁ?

って思ったんです。

「損」か「得」か、

「善」か「悪」か、

とか色々な判断基準があると思うのだけど、

おバカさんって、そういう判断基準ではなくて、

もっと純粋な気持ちで余計な計算なんかしないで、

行動するんですよ。

だから、時にはその行動が滑稽に見えたりもするから

周りからは「あついバカだなぁ」って笑われることもあるんだけど、

でも、それは本当に馬鹿にしているんじゃなくて

愛すべき「おバカさん」なんですよね。

吹雪の中のお地蔵さまに笠をかぶせてあげたおじいさん、
手ぶらで帰ってきたおじいさんに優しい言葉をかけたおばあさん、
やっぱり、この二人も

とびっきりの愛すべき「おバカさん」だと思ったのでした。 

やっぱり昔から伝わるお話しって、色々と人生の含蓄があるんですね〜

タグ:民話
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2014年09月04日

美文字に憧れて・・・「悪筆セラピー 字が変わると人生も変わる」

悪筆セラピー

「悪筆セラピー 字が変わると人生も変わる」

高宮暉峰:著

幻冬舎

万年筆にハマって以来、ひたすら上手な字が書けるようになりたい!と、願って止まない私ですが、そんな時に手に取った一冊です。

普通、書店の実用書コーナーに行くとペン字だとか美文字練習帳みたいな書き方練習帳はよく売っていますけど、(実際、私も買いました。。)この本はそういう練習帳ではありません!そもそも副題が「字が変わると人生も変わる」ですからね〜

どちらかというと、デジタル全盛の今、手書きで文字を書く意味や、なぜ字が上手に書けるようになると人生が変わるのか?という心構え的な話しから始まり、書く時の姿勢、そしてもちろん書き方のコツなど手で文字を書くこと全般について言及している一冊です。

本格手にペン字を練習してみよう!・・・と、そこまでは思わないけど、でも上手な字が書けるようになりたい、そんな人にピッタリな一冊ではないかと思われます。

Amazonの内容紹介

ペン字練習帳で「技」をいくら磨いても、字は絶対うまくなりません。それ以前に大事な秘訣がじつはあるのです。それは「心」と「体」を整えること。書道の世界では当然のこのコツが、字の上達はもちろん、人生でいい運をつかむといったことにまで、面白いほど影響してくるのです。自信のない字と自分にさよなら。

■字を書くことの原点は「伝えたい」という気持ち

字を書くことの原点は「伝えたい」という気持ちです。「字を書く=誰かにこの想いを伝えたい」ということなのです。

私たちが文字を手書きにする理由、それは、書き手の感情や心理を伝えられるからです。(中略)手書きの文字は、否応なしに書き手の心情を表します。そして、それを受け取った読み手も、直感的にそれを察するものなのです。

以前、和田裕美さんの本を読んでいたら「あなたが話す言葉や声は、話す相手の人のためのもの」みたいなコトが書いてあって、なるほど〜!とボロボロと目からウロコが落ちたことがあるのですが、「字を書くことの原点は伝えたい気持ち」というのも、それと同じくらいに、私にとっては目ウロコでした。

結局、誰かに何かを伝えるための手段として、話し言葉だったり書き言葉があるワケですから、それは全て相手のためのもの、ということですよね。

だからこそ、クセ字や(自己流に)崩した字などを書いて独りよがりになってはいけない、ということも素直に納得できます。

伝える相手にちゃんと届くように、最低限、丁寧に読みやすい字を書かないと、手書きの意味がありませんよね。(大いに反省!)

心がない字はただの作業。手書きの意味がありません。

■初めて書いたラブレターを思い出せ!

丁寧に、ゆっくり、相手のことを想いながら字を書く。まずそれができれば、第一段階はクリアです。

字を書くことの原点は・・・という話しに通じるのですが、初めて好きな人にラブレターを書いた時のことを覚えてますか?

最近では、メールとかケータイで告白しちゃうからそもそもラブレターなんて書いたことない!っていう(若い)人もいっぱいいるかもですが、オジさんの頃はそういう便利なものがなかったので、一生懸命に手紙を書いたものです(遠い目)

あるいは、ラブレターは照れくさくて書けなかったけど、年賀状なら書いたことある!っていう人もいるでしょう。

小中学生が好きな人に出す年賀状って、究極のツンデレだと思うんですよね(ちょっと違うかな?)

だって、表面上は単なる年賀状。味も素っ気もない定型文を書くワケですが、でもその実、内心では少しでも良い印象を持って貰おうと、スゲー丁寧に書くじゃないですか?!(笑)※少なくとも私はそうでした ^^;;

えっと、なんの話しだったっけ?そうだ、そうだ!

要は手書きで字を書こうとする時に大切なのはあの初めてのラブレターを書く時のような、相手を想い、少しでも自分の想いが届くように丁寧に書くこと、それが一番大事なんですよね。

■字を上達させるコツは、「心」「技」「体」

字を上達させるコツがあるのです。それは「心・技・体」の三点を常に意識する、ということです。難しいことではありません。でも、このことを知っているのといないのでは、字の上達に差が出るのはもちろん、人生でいい運をつかむといったことにまで本当に差が出てくるのです。

字を上手に書くためには、どのようにして書けばいいのか?というテクニックみたいなものが、どーしても優先してしまうと想うのですが、著者は、やみくもに練習をしてテクニックだけを身につけても決して字は上手にならない、と言います。

「心」というのは、いつでも心を乱さず字を書ける精神力「技」は、一定以上のレベルで字を書く技術を身につける「体」は、イメージ通りの字が書けるように筆記用具を動かす身体能力や 書く時の姿勢のこと

これが、著者がこの本に書いている「心・技・体」の概略です。

ここから先は私の体験談みたいなものですが・・・

この本を読んでから、字を書く時には先ず深呼吸をしたりして心を落ち着かせる。そして、この本に書いてある正しい姿勢を保って字を書く。つまり「心」と「体」の二点を意識するだけでも書く字が変わってくるのを感じました。

そう、多少技術が未熟であっても心と体を意識するだけでも自分の書く字が変わるのです!美文字になるかどうかは微妙ですけど、少なくとも汚文字、悪筆からは脱することができると思います!

まぁ、裏を返せば普段どんだけテキトーに字を書いてんだ!って話しですが(汗)

■いい線を書けることが、綺麗な字の条件

きれいな字の基本は、「いい線」が書けるかどうかにかかっています。きちんとまっすぐに引かれた「いい線」で書かれた文字は、とても清々しく、見る人にとってもさわやかな、よい気持ちのするものです。

自分が書いた文字を見返しながら、何て素晴らしく惚れ惚れするくらいに字が乱れているんだろう・・・とよく溜め息をつきます。

なんで、こんなに字が下手なのか?!まぁ、形が整っていない!というのが一番の理由だと思っているのですが、それと同じくらいに、線がダメなんですよね。

真っ直ぐ縦に書かなければいけない線が、右や左に傾いていたり横棒が変に右肩上がりになっていたり・・・それが全体の印象をとても悪くしていると思うのですよ。全体的に字がガタガタしている感じになるのです。。

著者は、まっすぐきれいな線が書けるようになると字がとても綺麗になる、と言います。

じゃあ、どうやったら真っ直ぐな綺麗な線が書けるようになるのか、身体の何処の部分を意識したら良いのか?!その辺は、是非ともこの本を読んで確認してみて下さい(ネタバレ自重)

■なぜ、今、手書き文字なのか?(まとめに代えて)

デジタル全盛の昨今、手書きで字を書くなんて、ちょっとしたメモを書く時だけであとは全部パソコンのキーボードやスマホで入力!なんていう人が多いと思います。実際、私だって万年筆にハマるまでは日常の中で手で文字を書くなんて殆どしてなかったですからね。

でも、今はとにかくヒマさえあれば万年筆で字を書いてばかりいます。

それで、思うんですよ。やっぱり手書きがいいなぁ〜って。

なぜ、手書きがいいと思うのか?理由は二つあります。

一つ目は「心が落ち着く」からです。

この本の中で、書いている時の自分の感情がそのまま文字に表れるという一文があるのですが、私はその逆も真なりだと思うのです。手書きで文字を書くことで自分の心が落ち着いてくるのを感じるのです。

それは、文字を書くことに集中するので、それ以外の感情がどこかに消えてしまうからだと思うんですよね。

「写経」ってあるじゃないですか?やったことあります?

別に信心があるわけではなく、ただ単に字を書きたい!という理由で何度か万年筆で般若心経を書き写したことがあるんですよ。

丁寧に書くとだいたい40分前後かかります。でも、その書いている間はひたすら書く文字に集中しているので、(意味はさっぱり理解していないんですけどね・・・)書き終わる頃には、かなり心が穏やか、というか落ち着いた気分になるのです。

まぁ、別に般若心経を書き写せ!ということではなく、自分の好きな歌のフレーズ(歌詞)でもいいと思うし、お気に入りの本のフレーズでもいいと思うんですよ。

なんか、書くことに集中していると心が落ち着いてくることが実感できるのではないかと。

そして二つ目の理由。それは、自分の心との対話ができる、ということでしょうか。

自分が頭の中で考えていることを、紙に書きだせ!というのは、思考術や自己啓発本の定番テクニックですが、それをパソコンやタブレットじゃなくて敢えて、手で書いてみて下さい。

文字にして書き出すために、自分の心とお話ししますよね。それがいいんです!

頭のいい人だと、手書きでは思考のスピードに追いつかない!っていう人もいるかと思います。

でも、自分の心と話すときくらい、そんなに急がなくてもいいじゃないですか。

じっくりと自分の心に向き合いながら、想いを文字にして書いてみると、思わぬ自分を発見することだってあると思いますよ。

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