2016年02月14日

「日記は自分に対する経験報告書」にスゴく納得!【「知的生産の技術」】

「知的生産の技術」

梅棹忠夫:著

岩波新書

 

梅棹忠夫氏によって書かれたこの本は情報カード(京大式カード)や「こざね法」という文章術などを紹介したことでも有名で、知的生産術に関する古典的名著です。

 

今から50年近く前の1969年に出版され、長く読み継がれているロングセラーでもありますね。

 

そんな名著に対して今さら私ごときが、あーだ、こーだというコトもないのだけど、この本の中に書かれている日記についての件がすごく納得できたので、ちょっと思うところを書いてみようと思います。

 

なぜ日記は長続きしないのか?

日記といえば三日坊主!・・・ですよね〜?日記を書き始めたのはいいけど、途中で放りだしてしまった経験がある方も多いのではないでしょうか?

 

なぜ日記は長続きしないのか?

 

どういうわけか、日記には心のなかのことをかくものだという、とほうもない迷信が、ひろくゆきわたっているようにおもわれる。

 

平安時代の「紫式部日記」や「更級日記」など、日本には有名な文学的な日記が残されていて、それが日記というのは文学的なもの!というふうに誤解されているのではないか?と、著者の梅棹氏が書かれているのを読んだ時に思わず「その通り!」と膝を打ってしまいました。

 

昔、昔のそのまた昔。私がまだ小学校高学年か中学生だった頃に何を思ったのか、(自主的に)日記を書き始めたことがありました。

 

ノートに向かって一生懸命に自分は何を考えているのか、何を感じているのか?そういう心の奥底・・・といっても私のことですから相当に底は浅いですが、を書き綴っていたのですが、当然のことながら長続きするわけもなく確か数週間で放りだした記憶があります。

 

だいたい、自分の心に向き合うだけでもシンドイのに、さらに心の中の中の曖昧模糊とした感情を(ムリヤリ)言語化するのだから文学者ならともかく、一般の人がそれを日々続けるなんて苦行以外のナニモノでもない!と思うのですよ。

 

日記が長続きしない原因って、意志が強いとか弱いとかの話しじゃなくて、『心の中を言語化する、そしてそれを長期間続ける』というハードルの高さにあるんじゃないかな?って思うのです。

 

日記は、自分自身のための、業務報告なのである

日記は長続きしないもの、面倒くさいもの、だという世間の常識(?)に対する一つのアンサーとして一時期、「4行日記」っていうものがちょくちょくネットで話題になったことがありましたね。

 

「4行日記」を始めてみる | シゴタノ!

 

どういうものかというと、

  1. その日の仕事からトピックを1つ取り上げ【事実】
  2. その中で気づいたことを記し【気づき】
  3. その気づきを活かすとしたら今後どう行動すべきかを明文化し【教訓】
  4. その教訓を実践している「ありたい自分」の姿を描く【宣言】

 

この4行を日々、記録していくのです。フォーマットというか書くべきことが決まっていて、それがしかも、たった4行でいいのだから、かなりハードルは低い!・・・って思ってしまうんですよね。

 

私、この「4行日記」も数週間で放りだしました。。(^^;;

 

どんな気付きがあったのか?そして今後はどう行動すべきか?そんなことを一々考えるのがしんどかったのですよ。

 

断言しますが、私のように意志薄弱で、頭も悪い人が心の中を言語化するとか、出来事に対して意味付けを考えるなんてことを最初からやろうとするのはムリです!

 

で・・・

 

「知的生産の技術」の話しに戻りますが、その中に、こんなコトが書かれています。

 

日記というのは、要するに日づけ順の経験の記録のことであって、その経験が内的なものであろうと外的なものであろうと、それは問題ではない。

 

梅棹氏がいうには、日記というのは日付け順の自分の経験の記録であって言ってみれば、『日記は、自分自身のための、業務報告』なのだと。

 

その日の出来事を淡々と記録する。何か心に思うことがあればそれはそれで簡潔に記録しておく。

 

私、これを読んでなんか・・・心がスキっとしましたよ。

 

実は私・・・(これから、ちょっと自慢話を書きますよっと・笑)2014年6月からほぼ毎日、日記を書き続けているんですね。(もう足掛け3年目です!)

 

Mr.三日坊主と異名を取ったこの私が何故、2年以上も日記を続けられたかというととにかく自分の感情とか思考とかいったものを排除してただひたすらに、その日にあったコト(だけ)を書いてたからだと思うんです。

 

何が書いてあったか、だけを書くわけですから余計な頭を使わなくても書けるんですよ(笑)

 

で、

 

時々、嬉しかった!とか、ムカついた!っていう強めの感情が湧き上がった時には、ちょこっとそれも書いておく。

 

だから、この本で「(日記は)日づけ順の経験の記録」だと書いてあるのを読んであ〜、私のようなやり方でも良いんだぁ〜!って何か安心(?)したんです。

 

日記は時間を異にした「自分」という「他人」との文通である

「自分」というものは、時間とともに、たちまち「他人」になってしまうものである。

日記というものは、時間を異にした「自分」という「他人」との文通である、とかんがえておいたほうがよい。

 

自分が書いた日記って誰が読むのかというと・・・

 

まぁ、たいていの場合は書いた本人が「後で」読み返すわけですよね。

 

でも、梅棹氏が書かれているように「後で」読み返す自分は、書いた時の自分とはちょっと違う他人でもあるんですよね。

 

私も時々、以前の日記を読み返すことがあるのですが、「な〜にやってんだよ」とか、「おぉ、頑張ってるじゃん」とかって思う。過去の自分に対してまるで他人を見てるかのように客観的に自分を見ることができるのです。

 

そして、過去の自分を振り返りながら、もっと楽しいコト、嬉しいコトがいっぱい日記に書けるようにがんばれ!今の自分!って感じになるんですよ。

 

で、

 

私は今年から「5年連用日記」に日記を書き綴っていて、途中で挫折しない限り、5年後の自分がまたこの日の日記を読み返すことになります。

 

毎日、日記を書きながら5年後に自分はどんな思いでこの日記を読み返すのか?

 

「あの頃は頑張ってたなぁ」としょぼくれた自分になってしまっていないか?

 

「あの時があったから今の自分があるんだ!」と言える自分になっているのか?

 

ちょっとキザな言い方ですけど、5年後の自分に向けてエールを送るような気持ちで日々、日記を書き綴っているのです。

 

(おしまい)

 

↓新書

 

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タグ:知的生産
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2016年01月27日

【「もういちど読む山川世界史」】このろくでもない、素晴らしき世界

いきなりですが、私、世界史が苦手です!(キリッ!☆

 

高校に入ると勉強するじゃないですか、「日本史」とか「世界史」を。そん時にどーしてもカタカナの人名が覚えられなかったんですね。

 

アレクサンダー、ディオクレティアヌス、ピョートル、イヴァン4世・・・

 

こーいうのが超!苦手でした。。。だから当然、世界史のテストも玉砕状態だったし、大学入試の時も「日本史」を選択しましたよ。

 

でも、最近になって出口治明さんの「仕事に効く 教養としての「世界史」」とか佐藤優さんの「世界史の極意」なんていう本を読むと本当に、改めて、徹底的に、自分の世界史に関する知識の無さを思い知らされたんですね。

 

で・・・

 

ここは一発、もう一度ちゃんと勉強してやろうじゃん「世界史」を!って急激に鼻息を荒くして本屋さんの参考書売場に行ったんっすよ。

 

ハッキリ言って50過ぎのおっさんが高校生の参考書売場でウロウロしてるのは超〜恥ずかしかったです。。

 

でも、「違う、オレが読むんじゃないんだ!子供に頼まれて参考書を買いにきたんだ!」って顔をしながら(本当は息子も娘もいないけど・・・)取りあえず1冊の本を手にして帰ってきました。

 

 写真 のコピー

 
それがこの本。

 

例によって人類の出現(猿人とか原人)から始まって21世紀初頭の世界情勢までずーーーーと読みました。

 

で、思いました。誰かが『人類の歴史は戦争の歴史だ』って言ってたけど、本当にその通りなんだな、って。

 

古くはペルシアとギリシャが戦ったペルシア戦争から第二次世界大戦後も中東戦争があったり、最近では戦争の形も変わってテロとの戦いになったり・・・

 

もう、呆れちゃうくらいに戦争しまくってきたんですね。

 

うまく言えないけど

 

戦争して、領地をぶん捕って(捕られて)、そこに新しい交易が始まったり、文化の融合とかが起こってそうやって人類は進歩してきてんじゃないかなぁって気がするんです。

 

本当に、ろくでもない!だけど、綿々と進歩を続けてきた素晴らしい歴史でもあるんだなぁと思った次第。

 

◇◆◇◆◇◆

 

それから・・・

 

昨年の暮れ頃だったかトルコがロシアの空軍機を撃墜して国際問題になったことがありましたよね。

 

トルコのエルドアン大統領も、ロシアのプーチン大統領も双方、一歩も引く様子はなくこれからトルコとロシアはどーなるんだろう?と世界が注目しましたよね。

 

でも、そもそもこの両国、昔から何度も戦争を繰り返しているんですね。有名なのは1877年に勃発したロシア・トルコ戦争(露土戦争)だと思うんですが、それ以外にも小競り合いというか局地的な戦争を何度も繰り返してきた歴史がある。

 

まぁ、地政学的にいってもロシアが南下しようとすれば必然的に(地理的に)トルコとぶつかるわけで、トルコとロシアの戦争はいわば宿命の対決だったりするのかなと思ったりもするわけです。

 

こういう歴史的な流れを知っていると昨年のような空軍機撃墜の事件があったときでも、あぁ、また伝統の一戦が始まるのかぁ、と思えたりするわけで、やっぱ歴史を知ってると、ほんの少し今の世界の見え方が違ってくることを実感しました。

 

◇◆◇◆◇◆

 

この本のおかげで、殆ど忘れ掛けていた世界史の大まかな流れも思い出したので、今年は少し中国王朝の興亡とか、イスラム世界の歴史などちょっと興味あるところを深掘りしてみようかと思ってます。

 

もっとも、今一番おもしろ!と思っているのは源平の戦いあたりから南北朝時代あたりまでの日本の中世の歴史なんですけどね(^^;;

 

タグ:歴史 世界史
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2015年05月17日

【「生きて行く私」宇野千代:著】カラスが空を翔ぶような(元祖・肉食女子の)人生

「生きて行く私」

宇野千代:著

角川文庫

 

宇野千代さん。お名前だけは随分と前から知っていたのだけど、彼女の代表作の一つ「おはん」はもちろん、彼女の作品についても何も読んだことはなかった。

 

ただ・・・

 

以前に仕事で山口県岩国へ行った時に駅の待合室に彼女の大きな写真が飾ってあり、それで岩国が彼女の生まれ故郷だということを知った。

 

それと、テレビで一度だけ彼女の映像を見たことがあり、その時に、もう一つのブログにこんなエントリーをアップした。

83才のスーパー乙女! : ペンギンオヤジのDブログ

 

そして、そのエントリーを読んでくれたお友達が、この本をオススメしてくれて、(だいぶ長い間、積ん読してたのだけれど・・・)読んでみたら、驚いたというか、とにかく面白かった!

 

この本は彼女の生い立ちから85歳までの人生を綴った自伝なのだけどその生き様が破天荒というか、天衣無縫というか、よく「事実は小説よりも奇なり」というけれど、彼女の波瀾万丈の人生は、間違いなくそのへんのツマラナイ小説よりも格段に面白い!

 

Amazonの内容紹介

明治、大正、昭和、平成と生き抜いてきた女流作家が、波乱の人生行路を率直に綴る。山口県岩国の生家と父母の記憶から書き起こし、小学校代用教員の時の恋と初体験、いとことのはじめての結婚、新聞懸賞小説の入選、尾崎士郎との出会いと同棲、東郷青児、北原武夫とつづく愛の遍歴。「スタイル」社の束の間の隆盛と倒産のように時代の波にも揉まれながら、たゆみなく創作をつづけ、ひたむきの前を向いて歩いてきた姿が心を打つ。

 

元祖肉食系女子?吃驚仰天の愛の遍歴

この最初の夜、私には北海道で待っている悟と言う良人(おっと)のあることを、改めて言うべきである、と思っただろうか。しかし、私はそのことを言わなかった。やがてのことに、私は最早や、北海道へは帰らないものだ、と言うことが、誰の眼にも分かるような時機が来た。(P98)

 

宇野千代さんは生涯で4度の結婚をされているのだけど、(恋多き女性だったんですね)それぞれの結婚の馴れ初めがスゴいんです!

 

二人目の旦那さんと北海道で暮らしていた時のこと。彼女が書いた小説が出版されるにあたり上京。原稿料を受け取った後、なぜか東京に家を借り、そして出版社で紹介された小説家・尾崎士郎に一目惚れをして北海道の旦那さまを放りだして、そのまま同棲を始める・・・!

 

( ゜Д゜)ポカーン

 

さらに!!

 

夜が更けて、さあ寝よう、と言うときになって、「こんな蒲団しかないが」と言って、押し入れから出してきた蒲団には、血痕がこびりついて、がりがりになっていた。二人の男女の頸から流れ出してきた夥しい血のかたまったものだと分かったとき、私はそれを気味が悪いと思っただろうか。そうは思わなかった、と言ったら、人は信じるだろうか。(P124)

 

小説の中でガスで情死する一組の男女のことを書くために、当時、愛人と心中未遂事件を起こしたばかりの画家・東郷青児に(面識もないのに)こういう差し迫った時に男はどう行動するものか教えて欲しい、って電話するんですね、宇野さんが。

 

で、電話じゃなんだから・・・ということで実際に会うことになりそのまま一目惚れ!そして東郷の家に行き情死を図った血の付いた蒲団でそのまま一緒に寝た・・・・と。

 

( ゜Д゜)ポカーン

 

いやはや、なんというか・・・

 

後日、テレビ番組「徹子の部屋」に宇野さんが出演された時に「あの男とも寝た」「その人とも寝た」と話す宇野の話しに黒柳が「あたし、あんなに、寝た寝たと、まるで昼寝でもしたように、お話しになる方と、初めてお会いしましたわ」と言わしめたというエピソードが残っているとか。

 

ある意味、とっても「業」が深い人だったんでしょうね。

 

幸福のカケラ

幸福のかけらは、幾つでもある。ただ、それを見つけ出すことが上手な人と、下手な人とがある。幸福とは、人が生きて行く力のもとになることだ、と私は思っているけれど、世の中には、幸福になるのが嫌いな人がいる。不幸でないと落ち着かない人がいる。(P285)

幸福も不幸も、ひょっとしたら、その人自身が作るものではないのか。そして、その上に、人の心に忽ち伝染するものではないのか。とすると、自分にも他人にも、幸福だけを伝染させて、生きて行こう、と私は思う。(P286)

 

この宇野さんの自伝を読んでいて、彼女は幸福というものに対する感度がとても強く、反対に不仕合わせに対する感度がある意味とても鈍かったのではないかと思いました。

 

自分がやっていた会社が倒産したりして、けっこうタイヘンな時期もあったらしいのだけど、不思議とそういう時のエピソードを読んでいても悲壮感みたいなものはあまり伝わって来ないんですよね。

 

幸福のかけらは、幾つでもある。ただ、それを見つけ出すことが上手な人と、下手な人とがある。

 

例え周りから見たら不幸のどん底のような時であってもそこには宇野さん本人しか見えない「幸せのカケラ」があったんでしょうね。

 

鴉が空を翔ぶように

私は好んで、自分の生きている生き方を「鴉が空を翔ぶように」と形容する癖がある。鴉が空を翔んでいるのを見て吃驚仰天する人はいない。ああ、翔んでいると思うだけである。何だ、あの鴉は翔んでいる。何と横着な鳥だろう、と思う人もいない。ただ、翔んでいる、と思うだけである。鴉の翔ぶのは生まれつきなのである。翔ぶのが性分なのである。知らぬ間に翔んでいるのである。(P357)

 

昔、「カラスなぜ鳴くの?カラスの勝手でしょう」という童謡の替え歌が流行ったことあるけど(これ分かる人は私と同年代ですね・笑)、カラスが空を翔ぶのが自然であるように、宇野千代さんは、この本に綴られたある意味とても破天荒な人生を生きるのが自然な姿だったんだなぁ、と思うのです。

 

とっても、レリゴーな人だったと思うんですよね、宇野千代さんって・・・もしも、自分の周りに同じタイプの人がいたらさぞや面食らうだろうと思うのだけど、

 

◇◆◇◆◇◆

 

「おもしろき こともなく世を おもしろく」幕末の志士、高杉晋作が遺した辞世の句ですけど、きっと宇野千代さんにとっては、生きていること自体がおもしろくて仕方なかったんじゃないかなぁ、ってそんなふうに思うんですよ。

 

溢れるほどの好奇心と、どんな時であっても現実をそのまま受け入れ人の目を気にせず、幸せのカケラを探し出すことが上手であれば、人生はこんなにもおもしろく生きられる!そんなことを宇野千代さんに教えて貰ったような気がします。

 

私は人一倍好奇心の強い人間だからである。あと四年ほど生きれば二十一世紀になる。新しい世紀に入った世界をこの目で見たいと思っているのである。(中略)私はこのごろなんだか死なないような気がしているのである。(文庫版あとがき より)

 

残念ながら、この「あとがき」を書いた半年後には98歳の人生を終えて天国へ召されてしまったのですが、空の上から見える21世紀の世界は宇野千代さんにはどんなふうに映っているのだろうか?

 

おしまい

 

【▼文庫本】

【▼キンドル版】

タグ:宇野千代
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2015年05月07日

【「脳には妙なクセがある」池谷裕二:著】ネガティブ気分になったら笑ってみよう!

「脳には妙なクセがある」

池谷裕二:著

扶桑社BOOKS

 

一時期、「脳科学」関連本にハマってこのブログでも、その手の本のエントリーを連発していた時期があります。

 

脳科学は実験、検証の結果からあくまでも科学的に人の心や行動について解明、説明をしてくれるので、心理学や哲学的な観点からのアプローチとはまたちょっと違った知見があったりして、読んでいて面白いんですよね〜♪

 

著者の池谷裕二さん、この本の他にもたくさんの脳科学の著書を出版されていますが、本職は大学教授!(しかも、東大!)

 

そんなバリバリの大学教授にして科学者が書いた本ですが、軽い読み口で脳の仕組や人の行動についてちょっとエッセイ風に書かれているので、とても読みやすかったです。

 

・・・とはいっても、数々の実験結果を紹介しながらあくまでも科学的アプローチで話しが進むので、「納得性」も高いかと。

 

ちなみに、この本は出口治明さんの「ビジネスに効く最強の「読書」」という本の中でも紹介されてます。超スーパー読書家の出口さんのお墨付きですよ♪面白くないわけがない!

 

Amazonの内容紹介

不可思議さに思わず驚嘆!あまりにも人間的な脳の本性!恋に必須の「シュードネグレクト効果」。

「オーラ」「ムード」「カリスマ」…見えざる力に弱い理由。

「他人の不幸」はなぜ蜜の味?「損する」でも「宝くじ」を買う理由。

就寝前が「記憶」のゴールデンアワー。最新の知見をたっぷり解説!

 

ネガティブな気分になったら笑おう!

ミュンテ博士らは、笑顔に似た表情をつくると、ドーパミン系の神経活動が変化することを見いだしています。

「ドーパミン」は脳の報酬系、つまり「快楽」に関係した神経伝達物質であることを考えると、楽しいから笑顔を作るというより、笑顔を作ると楽しくなるという逆因果が、私たちの脳にはあることがわかります。

 

楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなる時々、見かけるフレーズですけど、脳科学の立場からもちゃんとそれが立証されているんですね。

 

で・・・

 

先日、ちょっと私、気分的にイラッというか、グシャッというかそういう気分になったんですよ。

 

その時にこの本のことを思い出して、試しに笑顔を作ってみたんですね。完全に作り笑いでしたけど・・・そしたら・・・あら不思議。ムカッとしていた気分が、スッと落ち着いたんですよ!

 

まぁ、ムカムカしている時にそんなに簡単に笑えないとは思うのですが、是非、一度お試しあれ!

 

ついでに書くと、

 

朝、鏡に向かって笑顔をつくるのもオススメ!気分よく一日を始められますよ♪

 

自分という「他人」

自由意志とは本人の錯覚にすぎず、実際の行動の大部分は環境や刺激によって、あるいは普段の習慣によって決まっているということです。

私たちは自分の心がどう作動しているかを直接的に知ることはできません。ヒトは自分自身に対して他人なのです。

 

自分の行動や判断って、自分の意思で決めている。。。そんなふうに(何となく)思ってますよね。

 

でも、脳科学の見地からはそーじゃないらしいです。いわゆる「無意識」とか「潜在意識」の話しになるのですが、私たちの行動や思考は外部の環境や刺激に対して単に反射(反応)しているだけのものらしいですよ。

 

自分がどう行動したり、判断するかは当の本人が自覚するよりも前に潜在意識の中で既に決まっていると・・・

 

私ごとですが・・・

 

私、よく瞑想なるものをやっているんですね。で、瞑想って基本的には何も考えない、もしくは一つのこと例えば呼吸とか、に集中するものなんです。

 

だけど、やったことある人は分かると思うのですが、次から次へと自分の意思とは関係なく雑念が湧いてくるんですね。そう!自分の意思とは関係なく・・・・なのです。

 

ヒトは自分自身に対して他人なのです。

 

よく他人の心や行動はコントロールすることが出来ないって言いますけれど、実は自分自身の心も100%自分自身でコントロールすることは出来ないんですね。

 

そういう意味では、自分自身も他人なのかも知れません。。

 

寝るが勝ち!

睡眠の役割の少なくとも一つは「記憶の整序と固定化」にあると言ってよいでしょう。実際、記憶が睡眠によって強固になることを示す実験データは数多くあります。「レミニセンス現象」と呼ばれているものです。

睡眠の効果を最大限に利用するためには、起床後の朝ではなく、睡眠直前の夜に習得したほうがよい

 

睡眠って、単に身体の疲れを癒すだけではなくて眠っている間に脳が昼間の記憶を色々と整理したり記憶してくれる作業をしているというのは、割とよく知られている事実ではないかと。

 

朝、目が覚めた時に頭がスッキリしているのって眠っている間に脳が忘れるべき記憶は消去し、必要な記憶はちゃんとインプットして、頭のなかを綺麗に掃除してくれているからなんですよね(たぶん)

 

で、上の引用でも引いたように、そういう脳の機能を活かすためには寝る直前に学習したり覚えたことがより強く記憶に残るということ。

 

寝る前に何を考えてますか?

 

その日あった嫌なことを牛のように反芻していたりすると、それがバッチリ脳の中にインプットされちゃうってことですよね。こわい、こわい!

 

よく自己啓発系の本の中に、寝る前は楽しいことを思い浮かべたり自分の将来の夢を思い描くようにしましょう!なんて書いてあるものもありますが、あれにもちゃんとした脳科学的な根拠があるってことじゃないですかぁ!

 

実は・・・・わたし・・・その手の話しは・・・あまり・・・信用していなかった・・・というよりも・・・正直・・・・ちょっと・・・バ○にしていました・・・スミマセン。。

 

最後に・・・

珈琲豆の焙煎したあのいい匂いをかぐとヒトは優しい気持ちになるとか、人は年を重ねるごとに悪しき感情が減り、より幸せを感じるようになるとか、面白くも興味深い話しがいっぱい書いてあります!

 

上の方でも書きましたが、心理学や哲学、あるいは自己啓発系の本に当たり前のように書いてあるコトが、脳科学の見地からはこういうふうに解釈されるのかっていうこともたくさん書いてあります。

 

例えば

 

本を読んだらそれで終わりにしないで、一つでも二つでも自分で実際に行動すべし!というのもよく見聞きするフレーズですよね。

 

これも脳科学の見地からは・・・

 

私たちの脳は、情報を何度も入れ込む(学習する)よりも、その情報を何度も使ってみる(想起する)ことで、長期間安定して情報を保存することができるのです。

 

という解釈になるんですね。

 

こんなふうに、単に知的好奇心を満足させるだけじゃなくて、自分の脳の性質を理解して、それをうまく利用して生きていけるようになりたいものです。

 

posted by penguin-oyaji at 22:04 | Comment(0) | 科学・脳科学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月02日

【「ビジネスマンのための「人物力」養成講座 」小宮一慶:著】ちゃんとしたオトナになろう!

ビジネスマンのための「人物力」養成講座

小宮一慶:著

ディスカヴァー携書

 

 

「ちゃんとしたオトナになろう」昨年、(とうとう)50歳になった時に、なんか、そー思ったんですね、私。

 

ちゃんとしたオトナってなんだ?!400字詰め原稿用紙5枚以内できちんと説明しろ!と言われても困るんですけど・・・

 

強いて言えば、50歳といえば世間からみれば「いい年こいたオッサン」です。いい年こいてしまったのですから、それなりに、ちゃんとしなきゃダメじゃん!まぁ、そんな感じのことです。

 

で、

 

私が(勝手に)人生の師匠と仰いでいる小宮先生が書かれたこの『人物力』養成講座。

 

この本でいう「人物力」というのは、”長期間にわたって尊敬される人”ってことなんだけど、まぁ、カンタンにいえば「人格者」って感じでしょうか。

 

まぁ、私の場合は何も聖人君主になろうというワケではなく、単に、世間から後ろ指さされて笑われない程度でいいんですけど、とにかく何か参考になるんではないかと思って読んでみた次第。

 

Amazonの内容紹介

「長期間にわたって尊敬される人」を著者は<人物>と呼びます。

本当の生き方を知り、人物力を身につけることによって、ビジネスの成功もあると。

特に、経営者をめざす人は、人とは何か? 

正しい生き方とは?

自分はどういう人物になりたいのか? 

ならないといけないのか? 

そうしたことを、ビジネス戦略、お金儲けの戦略より大切に考えることが、結局は成功の近道なのです。

そして、それは、行動を変えることによって身につきます。

意識を変えることは難しくても、日常の行動を変えることによって、意識は自然に変わっていく。

1か月から半年でそれは可能です。経営コンサルタントとして多くの経営者、経営幹部と接してきた著者ならではの実践の書です。

 

履物を揃えていますか?

わたしの師匠である藤本幸邦先生は、「履き物を揃えると心が揃う。心が揃うと履き物が揃う」とおっしゃっていました。

「脱ぐときに揃えておくと、履くときに心が乱れない。

だれかが乱して脱いでいたら、そっと揃えておいてあげましょう。

そうすれば、世界の人の心が揃うでしょう」、とも。

 

実は・・・私も以前、玄関で脱ぎっぱなしになっている家族の靴を見つけるたびに、きちんと揃え直す・・・ということをやっていた時期がありました。

 

が・・・!

 

家族がそのコトに気づいていないのかどうか分からないけど、私が靴を揃えておいたところで別に何の反応もないし、何を言われるわけでもないので、気づけば、いつしか揃えることをしなくなってしまったんですね。。

 

ちっちゃいなぁ自分! orz

 

この本にも書かれているのだけど、『脚下照顧(きゃっかしょうこ)』という言葉があります。禅の言葉です。

 

他に向かって理屈を言う前に、まず自分の足元を見て自分のことを反省すべき・・・そんな意味合いです。

 

なんというか・・・

 

いくら口でエラソーなことを言っていても、自分が脱いだ靴さえ揃えられないオッサンってやっぱダメですよね。。

 

こーいう小さなところにその人の「人格」みたなものが滲み出ちゃうのかなぁ、って思うのです。

 

自虐ネタは許されるのか・・・?!(たぶんダメ)

「人物」と呼ばれる人には、たいていおもしろい面があります。

なんかおもしろいことを言ってやろう、楽しませてやろうとしているからです。

自分はおもしろみに欠けると思う人は、おやじギャグと言われようが、下手な冗談でも言ってみる訓練も必要でしょう。

 

これを読んだときに思い浮かんだのが高倉健さんなんですよ。

あれだけの大スターでありながら、周りの人に対しての気遣いがスゴくて、それに撮影現場では冗談を言ってみんなを笑わせたりしていたっていうエピソードがいくつも残ってますからね。

 

それに比べて(・・・って、比べること自体ナンセンスですが)、私は・・・最近は少しはマシになってきたようにも(勝手に)思ってるのですが、やっぱり、おもしろみに欠けているかなぁ、と。

 

なんせ子供の頃、自分の親から「あんたは本当におもしろみのない子だねぇ」って言われましたからね(^^;;

 

30を過ぎたあたりから、さすがに自分でもこれは、どげんかせんといかん!と思って、努力した結果・・・

 

オヤジギャグと自虐ネタばかりのザンネンなおっさんへの道をひたすら走り続けているという・・・ orz

 

小さな約束を守る

言ったことは守る、これはふつうに思っている以上に大事です。

大きな約束なら忘れる人はいないでしょうが、軽く口にした小さな約束を守れるかどうかで、自然に、その人に対する信頼が増したり、失われたりします。

言ったほうは忘れていても、言われたほうは覚えているものですから。

約束したことは、小さなことでも必ずメモする習慣をつけることです。

言われた相手も忘れているようなことを即座に実行するだけで、相手は感動します。

言われなくても、たとえば、知人のセレモニーや誕生日などをメモしておいて花を贈るなど、「人物」は、そうした小さな行動を大切にします。

 

以前、もう一つのブログでこんな記事を書きました。

 

【雑記】小さな約束と社交辞令 : ペンギンオヤジのDブログ

 

「また今度、飲みにでも行こうよ」

 

だけど、たいていの場合「また今度」という日はやって来ない。。そんな話しです。

 

まぁ、それは社交辞令だから、オトナなら分かってるでしょ?って済まされてしまうような話し。

 

私も今までに、たぶん数限りなくそんな社交辞令を口にしてきたと思うんですよね。

 

でも、軽い気持ちで口に出しているものだから、その殆どは忘れてしまっているのですが・・・m(_ _)m

 

ただ・・・「言ったほうは忘れていても、言われたほうは覚えているものです」と小宮先生も書かれているように、言われた方は覚えていたりするんですよね。。

 

取りあえず私も最近は肌身離さずメモ帳を持ち歩くようにしました!先ずは、そういう小さな一歩から。。

 

最後に・・・「散歩のついでに富士山に登った人はいない」

こういう自己啓発系の本は読んでみると割と『当たり前」のことが書いてあるんだけど・・・

 

  • 履物をちゃんと揃える
  • 机を毎日磨く
  • 借りた本はちゃんと返す
  • 人の話しをちゃんと聞く

 

エトセトラ、エトセトラ・・・

 

それじゃ、自分はちゃんと出来ているのか?と言われると、まぁ、たいていのことはちゃんと出来ていない。。(^^;;

 

小宮先生がよく話したり書いたりする言葉の一つに「散歩のついでに富士山に登った人はいない」というのがあるんですよ。

 

富士山に登るためには、ちゃんと計画を立てて準備をして登らないとダメですよね。

 

近所を散歩しているついでに登れるようなところじゃない。

 

それが転じて、自分が何かをしたい!こういうふうになりたい!そう思ったら、ちゃんと計画を立てたり、準備をしてその目標に向かわないといけない。

 

「できたらいいなぁ」とか「なれたらいいなぁ」という近所を散歩するような気軽な気持ちではダメだと、そんな意味合いでしょうか。

 

最初に「ちゃんとしたオトナになろう」って書きましたよね、私。

 

そう思ったのなら、散歩気分ではなくて、きちんとやるべきコト、守るべきコトを決めて山道を登るように、一つ一つ手抜きをせずに行動する(考えているだけでは富士山には登れない!)それしかないんだなぁって、この本を読んで改めて思いました。

 

先ずは挫折した(?)、「靴を揃える」あたりからやっていこうかな。

 

おしまい 

 

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2015年04月23日

【「ビジネス「論語」活用法」小宮一慶:著】自分の生き方の原点を考える

「論語を知らなくても使えるビジネス「論語」活用法

小宮一慶:著

三笠書房

 

 

今は昔。私が前に務めていた会社で新人研修の講師をしていた時、よくこんな話しをしていました。

 

何か迷ったときに戻る場所、原点を新人のうちに身につけることが大切です。

 

研修の中ではその立ち戻る場所、原点のことを「自分のバックボーン」というふうに言ってましたが、これは仕事に限らず、自分の人生というか生き方においても大切だと思うんですよ。

 

道に迷ったときは原点に戻れ!と、よく言われますが、そもそも戻るべき原点が無ければ話しにならないわけで・・・

 

私も既に半世紀の人生を生きてきてしまったわけですが、今更ながら、自分の人生のバックボーンをちゃんとしておきたい!と殊勝なことを考えるようになり、最近はよく「論語」に関する本を読んだりしております。

 

Amazonの内容紹介

ビジネスで「成功するためのノウハウ」は2500年前に、すでに書かれていた。「知者」は惑わず、「仁者」は憂えず、「勇者」は恐れず、をモノにする本。

 

Amazonの内容紹介がアレなんで(笑)、ちょいと付け足し。

 

経営コンサルタントであり、100冊以上のビジネス書の著者でもある小宮一慶さんが、ご自身の経験、エピソードなどを織り交ぜながらビジネスシーンで活かせる論語のエッセンスを紹介、解説してくれているような1冊です。

 

学びて時にこれを習う、亦説ばしからずや

不遇な時代、うまくいかないときにこそ、どう過ごせばいいのか。その答えは、『論語』の冒頭に出てきます。

学びて時にこれを習う、亦説ばしからずや

(中略)

「学びて時にこれを習う」というのは、過去を振り返るのではなく、生き方や人生観、会社なら経営方針といった「原理原則」を思い出すことです。

そして実践することです。うまくいかなくなったら、まず、その原点に戻るという教えなのです。(P59〜P63)

 

ご存知の方も多いと思いますが、『論語』は今から2500年も前に書かれた(編集された)ものです。

 

そんな昔のものが21世紀の現代まで延々と読み継がれているわけです。

 

この本の「はじめに」で、小宮さんはこんなことを書かれています。

 

『論語』は2500年以上前に書かれたものです。

これだけの長い年月、多くの人に読み継がれているのは、そこに書かれている「原理原則」に、それだけ風雪に耐えるだけのものー人生を強く生き抜くうえでの心理ーが多く含まれているからです。

この「原理原則」をできるだけ早く身につけることが、人生やビジネスを成功させるためには必須だと私は考えています。

 

『論語』の中には人生を生き抜くうえでの大切な真理が詰まっている!だからこそ、時空を超えて読み継がれているわけですね。

 

で、私の話しですが・・・

 

かれこれ4、5年くらい前から「論語」に興味を持ち、今までに何冊か、色々な方が書かれた論語の解説本を読んだりしてきました。

 

実は、この小宮先生の本もたぶん3回くらいは読み返したと思います。

 

なのに!

 

全然、身になっていない!(ナンテコッタ、パンナコッタ!)

 

だからこそ、「学びて時にこれを習う」が必要なんですね。

 

この場合の「時に」っていうのは、必要な時に・・・とか、折に触れて・・・みたいな意味らしいです。

 

だから、論語っていうのは(論語に限らず)、一度学んでおしまい、ということではなく、折に触れて、復習する(学びなおす)ことが大切だ思うのです。

 

これを知るを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり

これを知るを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり

(中略)

文字どおりに訳せば、「知っていることを知っている、知らないことは知らないとする、これが知るということだ」となります。(P194)

 

・・・なんだかソクラテスの「無知の知」みたいな話しですね。

 

これをどう解釈するか?

 

小宮さんは、こんなふうに書かれています。

 

一所懸命に勉強し、知識を深め、学べば学ぶほど、分からないことは増えてくるものです。(P195)

 

分かっていると思っていたのに、勉強を深めたり人生経験を積むと本当に分かっていたのかな?

 

表面的に理解していただけじゃないのかな?ふと、そんなふうに思って立ち止まることがありますよね。

 

読書会などに参加していると、「読むたびに新しい発見がある!」という言葉をよく耳にします。

 

たぶん・・・

 

表面的な理解だけでなく、言葉の裏に込められた作者の真意まで読み取るには、読む側にもそれ相応の力量が求められます。

 

だから、読んだ時期や自分の成長度合いによって解釈は変わるものだと思うし、以前に読んだ時と読後感が変わらないのであれば、それは自分が成長していないか、底の浅い本であったかのどちらかなんだろう。。

 

「論語」の中にも一見、当たり前じゃん!ちょっと、孔子ちゃん大丈夫?(←失礼だろ!)と思うようなことも書いてあったりしますが、もしかすると、もっと自分が成長していけば「あぁ、裏では実はこういうことを言っているのかぁ!」と思うようになるのかもしれませんね。

 

人は馬ではない

まるでニンジンを目の前にぶら下げて馬を走らせるように、昇給やボーナスを餌に人を働かせるのは、誤りだと思います。

(中略)

人は馬ではないのです。(P99)

 

頑張って働いて、成果を出したならそりゃ、やっぱり報酬が欲しくなるのが人情ですよね、たぶん。

 

だけど

 

人はお金のためだけに働いていたら、どこかでおかしくなる。。そう思うんですよ。

 

なのに、「成果主義」だかなんだか分からないけど、成功報酬をエサにして社員を煽ることをしている企業って多いらしいですね。

 

「利によって行えば、怨み多し」

 

論語の中の一節ですが、私利私欲で行動すればそれだけ人から怨まれるということです。

 

誰だって、自分の利益のために行動している人なんて嫌いですよね。

 

「利の元は義」

 

これまた論語の一節ですけど、小宮さんは著書の中でよく「お金を追うな、仕事を追え」ということを書かれます。(この言葉は小宮さんが師匠である住職さんから教えられたものです)

 

仕事として正しいコトをしていれば、お金は後から付いてくる。そういう意味合いの言葉です。

 

では、仕事として正しいコトは何か?

 

お客さまに喜んでいただける商品やサービスを提供すること。つまり、お客さま第一主義。

 

これが仕事の目的であると小宮さんは書かれています。

 

お客さまに喜んでいただいたり、お役に立つことが「目的」で、その結果として「利益」が生まれる。

 

なのに、売上や利益をあげることが「目的」で、お客さま第一主義が「手段」と考えている人や企業がまだまだ多いみたいですね。

 

最後に・・・

 

論語の有名な一節に「過ぎたるはなお及ばざるが如し」というのがあります。多分、一度くらいは耳にしたことがあるかと。

 

 

徳川家康が、これをモジって遺訓の中で「及ばざるは過ぎたるよりまされり」って書いているんですね。

 

この本の中にも、そのことが触れられていて小宮さんなりの解説が書かれているのですが、残念ながらそれを読んでも正直、あまりピンとこないのです、私。

 

上の方で「読んだ時期や自分の成長度合いによって解釈は変わるものだと思う」と書きましたけど、この家康の言葉の真意が自分なりに解釈できるようになるのはいつなのかなぁ?と思っています。

 

こんなふうに、何度読んでも発見があったり、新たな疑問がわいてくるというのも、読書の楽しみの一つですよね。

 

多くの著者が論語の解説本を出版されてます。

 

そういう本を何冊か読むと気づくのですが、解釈の仕方が違う場合もあるし、論語の一節と関連づけて何を語っているかも違う。

 

これって、人によって論語がどういうふうに読まれているか?ってことが分かってとても面白いというか興味深い。

 

それから、もう一つ思うのはこういう論語の本を読んで、勝手に人生を悟ってはダメだということですね。

 

「君子は義に喩り、小人は利に喩る」なんて書いてあるのを読むと、思わずそーか、そーか!ってコトになるんだけど、それじゃ、今の自分にとっての「義」とはなにか?って感じで、自分に引き寄せて考えてみないと意味が無い。

 

もしかしたら、いくら考えても答えなんて出てこないかも知れないし、考える度に答えが変わってしまうかも知れない。

 

それでも、自分の頭で考え、自分の心に問い続けることが一番大切なんじゃないかと思うのでした。

 

おしまい

 

 

posted by penguin-oyaji at 22:29 | Comment(0) | 読書(小宮一慶) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月16日

【人間はみなチョボチョボ】「「働き方」の教科書」出口治明:著

「働き方」の教科書

「無敵の50代」になるための仕事と人生の基本

出口治明:著

新潮社

 

 

この本、私の万年筆の師匠、ぷぅコッコさんがブログで激プッシュしていて面白そうだったので手に取って読んでみました。

 

で、読んでみたらさすが我が師匠!

 

間違いなく読んで損なし!・・・というよりも、得ることの多い一冊でした。

 

タイトルに「働き方」の教科書とありますが、内容的には、もっと深い人生論が詰まってる。

 

そんな感じでした。

 

私も激プッシュです!

 

※師匠のブログはこちら

【読書】「働き方」の教科書 | ぷぅコッコの一期一会

 

Amazonの内容紹介 

49歳での突然の左遷、55歳での子会社出向を平然と受け入れ、59歳でライフネット生命を起業したビジネス界の革命児が語る、

悔いなく全力で仕事をするためのルール。

「仕事は人生の3割」「人生は99パーセント失敗する」「部下はみんな変な人である」――。

人間社会のリアルが分かれば、仕事も人生も、もっと楽しくなる。

 

人間はチョボチョボ

「人間はみなチョボチョボや」僕が橋和巳や辻邦生と並んで学生時代に愛読した、作家の小田実の言葉です。人間はたいして賢いヤツもアホな奴もいない。人間の能力にたいした差はない。

(中略)

たしかに、人間の正規分布図を描いてみると、極端に優れた人や極端に劣った人はほとんどいないことがよくわかります。

 

人間はチョボチョボ・・・

人間はチョボチョボ・・・

人間はチョボチョボ・・・

 

いや〜、この本を読んでいて一番衝撃を受けた言葉かも知れません(笑)

 

例えば優秀な経営者や本を出版しているビジネスパーソンを指して、よく「あの人は優秀だから」とか、「あの人は頭がいいから」って言い方をしたりすることありませんか?

 

私はよくそんなふうに思います。

 

勝○和代さんの本なんかを読むと、これは勝○さんは頭がいいから・・・って思うんですよ。

 

でも、

 

よくよく考えると、「あの人は頭がいいから」って言葉の裏には「自分は(そんなに頭がよくないから)できっこない」っていう『言い訳』が隠れていたりするんですよね。

 

人間はチョボチョボ

人間の能力にたいした差はない

 

それならば、自分と優秀な人って何が違うのか・・・?

そんなことをつらつらと考えてみたんですけど、結局、やろうと思ってそれを実践し続けてきたかどうか?の差ではないかと。。

 

勉強し続ける

 

行動を起こす

 

失敗しても凹まずに次の一手を考えて、

 

また挑戦する

 

愚直とも言えるような陰の努力を続けてきてそれが、他の人との差を生む・・・・のではないかと。

 

人間はチョボチョボ

 

あの人は特別だから・・・を「出来ない」「やらない」ための言い訳にしないで、あの人に出来て、自分に出来ないわけないって、単純に明るく考えた方がいいのかも知れませんね。

 

国語と算数で考える人生の重さ

仕事と人生の関係を算数で考えると、日本人にとって仕事の時間が占める割合はたった三割であるというファクト(事実)が導き出されます。

三割という数字は、要するにたいしたことはないということです。

しかし、世の中には「仕事は人生のすべてである」と考えている人がかなりの割合で存在しています。その人たちは仕事と人生の関係を国語(感情や理念)で考えているのです。 

 

日本人の年間労働時間は約2,000時間(サービス残業含む・笑)、

 

一年間を時間で表すと、8,760時間(24時間×365日)。

 

これを割り算すると22.8%

 

そして1日の睡眠時間を7時間と仮定すると、8,760時間 - (7時間×365日)=6,205時間

 

つまり、一年間で起きて活動している時間は約6,200時間ということです。

 

これを先ほどの年間総労働時間の比率で計算すると、

 

2,000 ÷ 6,205 = 32.2%

 

なんか・・・

 

感覚的には、もっと長時間働いているような気がしますけど、実際は3割くらいなんですね。

 

もっとも、これは平均値ですから実際はもっと長時間労働をされている人もいると思いますが・・・

(それでも、たぶん4割前後だと思います) 

 

「仕事とは、人生の七割を占める最も大切な時間の兵糧を確保するための手段である」

 

ここまで書かれると、いっそ潔いというか気持ち良いですね(笑)

 

でも、だからといって著者の出口さんは「仕事はいい加減でいい」なんてコトを主張しているワケではないんですよ。

 

少し話しは逸れますが・・・

 

私が人生の師匠と(勝手に)呼んでいる経営コンサルタントでビジネス書を100冊も書かれている小宮一慶さんがよく「人生は串団子」ということを話されます。 

 

「人生は串団子」では、最初の団子は、「自分」になります。

二つ目の団子が「家族」や「恋人」。

三つ目の団子が「会社」など自分が所属する「組織」。

四つ目の団子が「社会」とか「国」とか「世界」になります。

藤本先生は、「その四つの団子の真ん中を、すべて串刺しするように生きないとダメです」と言われます。

 

「ビジネス「論語」活用法」小宮一慶:著 P28より抜粋

たぶん・・・

 

この本で出口さんが書かれている「三割という数字は、要するにたいしたことはない」っていう話しは、この『人生は串団子』の話しに通じるものがあるんじゃないかと思うのです。

 

「仕事は人生のすべてである」という考え方はいかにも極端だし、だからといって、仕事はいい加減でいいというワケでもない。

 

自分の人生には、仕事もあれば家族もあって、友人だっている。

 

そのうちの何かを犠牲にするのではなく、すべてを串刺しにするように、どれも大切にして生きていくことが大切なんだ・・・

 

つまり、そういうコトなんじゃないかと思うのです。

 

人生の楽しさと挑戦する人生

「あのことをやっておけばよかったな」などという「悔い」をできるだけ減らすことが、人間にとって最良の生き方ではないかと思うようになりました。 

人生の楽しさが喜怒哀楽の総量だとすれば、いろいろなことに挑戦したほうが人生はより楽しくなります。

 

よく「やった後悔よりも、やらなかった後悔の方が大きい」って言いますよね。

 

なのに!普段の生活の中で、やろうかどうしようか迷いまくっていたり(優柔不断だからね)、

何かに逃げん込んだり(ヘタレだからね)、

腰が重くてノロノロしたり(デブだからね)、

私、もう後悔すること確実の人生を歩んでおります (^^;;

 

たぶん・・・

 

「やりたい!」と「どうしよう・・・」の間にあるものって、『挑戦する勇気』なんだと思う。

 

挑戦には失敗というリスクがありますね。

 

「どうしよう」というのは、失敗したらどうしようという迷いであり、恐れ。

 

でも、この本の中で出口さんはこんなふうに書いています。 

 

99パーセントは失敗する。失敗するとわかっていても、1パーセントの可能性をめざしてチャレンジした人がいたからこそ、今の世界がある。

世界を変えるためには、失敗を恐れずにチャレンジすべし。

 

そう、チャレンジの多くは失敗する。

 

出口さんは「失敗しても多数派になるだけ」とも書いてます。

 

私、思うんですけど・・・

 

チャレンジして例え結果的に失敗におわったとしても、それは別に「敗者」になったということではないと思うんですよね。

 

きっと、敗者というのはチャレンジしなかった人のこと。

 

確かに、チャレンジをしなければ失敗もないワケで、安定した変化の少ない人生を送ることもできる(かもしれない)。

 

それに対して、チャレンジをすれば挫折したり、あるいはすごい成功をおさめるかもしれない。

 

安定した変化の少ない人生と、波瀾万丈の起伏のある人生、そのどちらを選択するのか?

 

今一度、立ち止まって考えてみてもいいですよね。

 

どちらが悔いのない人生をおくれるのか・・・

 

最後に・・・

 

今までに出口さんの本は何冊かは読ませて貰っていたのですが、なんというか、この本は色々な意味でスゴイ本だなぁ、って思いました。

 

出口さんのモノの見方とか考え方が詰まっているし、何よりも「人間はチョボチョボ」とか「人はみな変な人間で、まともな人はいない」なんていう具合にビックリするようなコトが書いてあるんだけど、よくよく考えると「確かにその通り」って頷いてしまう。

 

サブタイトルに「無敵の50代」なんてあるけど、若い人が読んでも充分に色々なことを考えさせられるんじゃないかなぁ?

 

そんなふうに思いました。

 

とにかく、激プッシュです!

 

機会があれば是非とも読んでみて下さい!

 

例によって、こんな長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

おしまい。

タグ:出口治明
posted by penguin-oyaji at 21:28 | Comment(0) | 自己啓発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月09日

「幕が上がる」私たちは舞台の上でならどこまででも行ける・・・だけど、何処にもたどり着けない

「幕が上がる」

平田オリザ:著

講談社文庫

「読んでから見るか、見てから読むか?」このコピーが分かる人、たぶん私と同世代です!(笑)

5人組アイドル、ももいろクローバーZのメンバー主演で映画化された作品の原作小説であり、日本を代表する劇作家、平田オリザ氏の処女小説でもあります。

私がモノノフでなかったら、もしかしたら手に取ることもなかったかも知れない小説ですけど、読んで良かったぁ〜!

ピュアな青春が詰まった作品です!

ちなみに、私は「見てから読みました」

Amazonの内容紹介

地方の高校演劇部を指導することになった教師が部員たちに全国大会を意識させる。高い目標を得た部員たちは恋や勉強よりも演劇ひとすじの日々に。演劇強豪校からの転入生に戸惑い、一つの台詞に葛藤する役者と演出家。彼女たちが到達した最終幕はどんな色模様になるのか。涙と爽快感を呼ぶ青春小説の決定版!

あらすじは上記の内容紹介に書いてある通りで、地方の弱小高校演劇部がひとりの教師との出会いをきっかけに全国大会を目指すという割とよくありそうな青春ストーリー。

先輩から部長を引き継いだ新部長・橋さおりの独り語りで物語は描かれていて、読み進めていくうちに一人の女子高生の内面の変化や成長がよく伝わってきます。

最初、さおりはすごくイライラしてる感じ。演劇部をこれからどうしていったらいいのか、それが分からない。

だけど、

「学生演劇の女王」と呼ばれた新任の美術教師、吉岡先生。彼女が橋さおりや演劇部員たちの前に現れたことでこんがらがっていた糸がほぐれていくように色々なことがうまくまわり始め、地区大会すら突破できなかった弱小演劇部が全国大会を目指すようになる。。

■私たちは舞台の上でならどこまででも行ける

私たちは、舞台の上でなら、どこまででも行ける。どこまででも行ける切符をもっている。私たちの頭のなかは、銀河と同じ大きさだ。でも、私たちは、それでもやっぱり、宇宙の端にはたどり着けない。私たちは、どこまでも、どこまでも行けるけど、宇宙の端にはたどり着けない。どこまでも行けるから、だから私たちは不安なんだ。(P329)

物語の中でさおりが「銀河鉄道の夜」の脚本に悩むシーンがある。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読んだことのある方ならピンとくるかもしれませんね。ジョバンニが(知らずに)持っていた何処へでも行ける切符。

何処までも行ける切符を持っている。だけど、宇宙はどんどん膨張しているから決して宇宙の果てにはたどり着くことが出来ない。

だから、何処へ行けばいいのか?何処まで行けばいいのか分からない。だから不安になる。

これって、青春時代の不安定な気持ちをよく表していると思うんですよね。

自分は何者にでもなれる!っていう壮大な気持ちにもなるし、もしかしたら、自分は何者にもなれないんじゃないかって不安にもなる。

自分には無限の可能性がある。青春時代、人はそんなふうに思うことがある。だけど・・・人って成長するにつれて知らず知らずのうちに可能性を限定していくんですよね。

「限定」という言葉が悪ければ、「絞り込む」でもいい。

確かに・・・

例え何歳になっても、人は変わることができる。だけど、「年齢」という不可逆な要素に縛られてけっして取り返すことが出来ない「可能性」があるのも事実じゃないですか。

『どこまでも行けるから、だから私たちは不安なんだ』そんなふうに思えるのは、もしかしたら青春時代の特権なのかも?って感じるのです。

■やっぱり私は、教師ではなく女優でした

本当にごめんなさい。やっぱり私は、教師ではなく女優でした。(P279)

この弱小演劇部の青春ストーリーに厚みをもたせているのは、やっぱりかつての学生演劇の女王、吉岡先生だと思うんですよね。

ところで!

自分が小さい頃、あるいは青春時代にどんな夢を持っていたか覚えていますか?そして、それは今、叶えられていますか?

上の方で、「人は知らず知らずのうちに自分の可能性を限定してく」って書きました。それと矛盾するかもしれないけれど、一度あきらめた「夢」でも、それが埋み火のように心に残っていればやり直すことだってできる・・・だけど・・・一度あきらめた分、犠牲にするものは多いのだけど。。それを吉岡先生は読む人に教えてくれます。

あまり書くとネタバレになってしまうのだけど・・・

この小説って(映画でもそうだったけど)、群像劇のようだけど、基本的には、橋さおりの成長物語だと思うんですよ。

さおりは、吉岡先生に出会ったことで成長の階段を昇り始め、そして吉岡先生と分かれることで自立し、大きく成長する。

「守破離」という言葉がありますが、形はさまざまだけど、師匠といえるような人と出会い、そして、その師匠の元から旅立つことで一人前になっていく。。

旅立つ時には、痛みも感じるし、高い壁を乗り越えることも必要だからけっしてラクではないのだけど、そうした「困難」こそが人を成長させていくのですよね。

※ネタバレ気にしなきゃ、もっと書きたいコトがあるのに(涙)

■どれだけ馬鹿になれたか、どれだけ一途になれたか

昨日だったかな?SNSのタイムラインにこんな言葉が流れてきました。

青春というのは意味のあることを成し遂げるのではない。どれだけ馬鹿になれたかどれだけ純粋に一途になれたかです

北方謙三(作家)

青春時代というのは、後先考えずに自分の情熱のまかせるままに、ひたすら突っ走ることができる、そんな時代なのかも知れません。

後先考えずに・・・というのは、現実と折り合いなんかつけない!というふうに言い換えることもできると思います。

現実と折り合いなんかつけないだから、弱小演劇部がいきなり「行こうよ、全国!」なんて言えてしまう。

若い分、人生経験が少ないから、悩んだり、道に迷ったり失敗したりすることもある。

だけど、

現実と折り合いなんかつけない(端から見たら)無謀とも思えるような夢に向かって馬鹿みたいに突っ走った経験はナニモノにも代え難いし、人を大きく成長させるものだと思う。

若いうちから「意味のある」ことを考えて、計算高く、小利口にふるまっていては小さくまとまってしまうような気がするし、何よりも人生、面白くないよね。

◆最後に・・・

感動で涙を流す

よく使われるフレーズだけど、涙を流すといっても堰を切ったように感情が溢れだして号泣して流す涙もあれば、

心の奥底にあった何だか柔らかいものを握りしめられてじんわり流す涙もある。

この小説を読みながら、不覚にも(!)泣いてしまったのだけど、それは後者の涙でした。

とっくの昔に過ぎ去ってしまって、忘れ掛けていた青春時代。この小説を読みながら、そんな忘れ掛けていた(今となってはちょっと気恥ずかしい)何処までも真っ直ぐだった頃の自分に再び出会えたような気がしたのでした。

そして・・・

最後に思ったのは、橋さおりではなく、吉岡先生は何処まで行けたのかなぁ?というのは私が既にある程度の「オトナ」になってしまったからなのかも知れません。

posted by penguin-oyaji at 22:57 | Comment(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月02日

「逆境を乗り越える技術」逆境こそがチャンスだぜ!・・・なんて言ってられない人へ

 

「逆境を乗り越える技術」

佐藤 優 , 石川 知裕 :著

ワニブックスPLUS新書

人生に於ける「逆境」って、どんな時のことなのか?今までの人生で一番の逆境はどんな時だったか?

ある人にとっては「逆境」だとしても、別の人から見たら「な〜んだ、そんなこと・・・」という場合もあると思う。

たぶん

持っているストレス耐性のレベルや人生経験の違いから人によって「逆境」の捉え方は違うのだと思う。

だけど

ある日、突然いわれの無い罪で『逮捕』されてしまったとしたらそれは間違いなく「人生の逆境」になると思う。

この本の著者、佐藤優(元・外交官)と石川知裕(元・国会議員)二人とも東京地検特捜部によって「逮捕」された経験を持つ。それがいかに不条理な逮捕であったかということはこの本にも書かれていて、国家権力の狡猾さ恐ろしさというものを思い知らされる。

しかし、

何よりも、そんな逮捕・拘留という逆境の中で二人の著者が何を考え、どう行動したのか?

そこには私を含めて人生の逆境を乗り越えるためのヒントがたくさん詰まっていると思う。

Amazonの内容紹介

ともに東京地検特捜部に逮捕され、有罪判決を受けた外交官と衆議院議員。長期間の検察の取り調べに毅然として臨み、佐藤氏はその後、作家として大活躍。石川氏は議員辞職し最高裁へ上告中である。

順風満帆だった二人の目の前に突然現れたとてつもない逆境。今まさにその真っただ中にいる石川氏が、その逆境を乗り越えてきた佐藤氏に生き残るために何が必要なのかを問いかける。

今、苦境に陥っている人へのリアルなアドバイスが満載。弱肉強食が進む現代、いつ訪れるわからない逆境に備えるための貴重な一冊が誕生した。

これはまさに、サバイバル人生論である。

■問題を紙に書きだしてみる

まず人に相談する前に紙を持ってきて、ノートがいいと思いますが、何が問題かということを書き出してみることです。問題を書き出すと、意外にその段階で半分くらい解決がつきますから。(P58)

書くという行為によって、問題を対象化ー自分から距離を置いて見直すことーできるから、問題の位相ー位置や状況ーか変わります。頭のなかでなんとなく思っているというのはダメです。やはり書かないと問題を深く理解できません(P59)

悩んだり、問題に突き当たって身動きが取れなくなったら、まずは自分は何に悩んでいるのか、何が問題なのか、ということを紙に書きだしてみる

これって、割と色々な人が色々な本で書かれていますよね。

これで一番有名なエピソードといえば、やっぱり鉄鋼王・カーネギーの話しかと。

仕事やプライベートでたくさんの悩みを抱えて、自分はもうダメだ。死ぬしかない。カーネギーは自殺を決意し、遺書を書き残そうとします。

その時、自分はどれだけの悩みを抱えているのか死ぬ前に紙に書きだしてみたら、70個かそこらしかないということに気が付きます。

悩み抜いて死のうとしているくらいなのだから、もっとたくさんの悩みがあるのかと思っていたのに、紙に書きだしてみたら70個くらい。。

その後、カーネギーはその悩みを解決するために・明日できること・来週できること・来月できること・解決できないことに仕分けしたら、すっかり気持ちが落ち着いて自殺するどころか、奥さんと一緒に食事に出掛けた

・・・というエピソード。

私もよくあるのですが、頭のなかだけで考えていると、堂々巡りで同じコトを何度も考えたり、悩んだりしたりするんですよね。で・・・パンクすると(^^;;

少し話しは逸れますが・・・

昨年の夏にお友達から万年筆をプレゼントして貰ったことがきっかけで、それからすっかり万年筆にハマったんですね、私。

随分と散財もしましたが(笑)、万年筆にハマって何が良かったかといったらノートや紙に手書きで文字を書くことが楽しくなった、ということです!

以前は何でもかんでもキーボドを叩いてパソコンやタブレットなどに文字を入力していたのが、今は先ず、ノートに手書きです。

実際に手で文字を書いていると、この本にも書かれているように問題などが客観視できるようになるし、不思議と文字を書いている時に何やらインスピレーションが湧くことが多いんですよ。

デジタル全盛の昨今ですが、手書きの効用というのはたくさんあると思うので、最近なんか手書きで字を書いてないなぁ、という人は是非ぜひ試してみて下さい!オススメ!

■天の時を知る

やはり時の流れがあるのです。運命の巡り合わせが悪いときは、その巡り合わせの悪さが解消されるまで、じっと我慢する。これはけっこう重要なことなのです。(P68)

不思議と何をやってもうまくいかない時って、確かにありますよね。逆に何をやっても、すいすいとコトが運ぶときもある。

昔の人もモノゴトを成功させるためには「天の時、地の利、人の和」が大切、みたいな言葉を遺していますが、やっぱり「天の時」ってあるんですよね。

私ごとで恐縮ですが・・・

以前、勤め先の社長に嫌われて左遷されたことがあるんですよ。その時は頭に来て「こんな会社、辞めてやる」と思ったのですが、当時の直属の上司から「まぁ、まぁ」となだめられて「ここは一度、野に下れ。そうすればいつか返り咲く時もあるから」と言われたのです。

実際、それから1年半後に社長自ら私のところへやって来て「戻ってきてくれ」と言われたのです。

私が言うまでもなく、人生は山あり谷ありですから、「時」が悪いと思ったら、じっと我慢して次の機会を待つ。そんな生き方もアリかなぁって思うのです。

■最後は「友達力」!

危機的な状況を抜け出すのは結局、何人友達を持っているかということにかかっています。繰り返しになりますが、それはフェイスブックの”友達”1000人ではなくて、本当に信頼できる友達です。例えば、黙って金を出してくれて痛みを伴う支援をしてくれる友達です。でも裏返して言うと、その人に何かあったとき、こちら側も痛みが伴う支援ができるかどうかということです。(中略)ホントに最後は友達力によって逆境を切り抜けるしかありません。(P241)

古今東西、逆境時の友情について語った言葉ってたくさんありますよね。

例えば・・・

『黄金は熱い炉の中で試され、友情は逆境の中で試される』by メナンドロス(古代ギリシアの喜劇作家)

『困難な情勢になってはじめて誰が敵か、誰が味方顔をしていたか、そして誰が本当の味方だったかわかるものだ』by 小林多喜二(日本の小説家)

などなど・・・

我が身を振り返って考えてみても、自分が本当にどん底の時に手を差し伸べてくれた人のことって、絶対に忘れないし、それまで友達面していたのに、知らん顔して去っていった人のことも絶対に忘れない。。

『真の友情』なんて言葉を使うとこそばゆいですけど、そういうものって、まさに逆境の時に分かるし、生まれるような気がします。

それから・・・

佐藤氏は「フェイスブックの”友達”1000人」は役に立たない。。って書かれてますが、私が思うにフェイスブックの”友達”999人は役に立たないかもしれないけど、もしかしたら1人くらいはすごい助けてくれる友達かもしれない・・・と思うのです。

ネットで繋がっている人であっても、自分を助けるために走り回ってくれる人はいる!私の経験ですけど。。

要はバーチャル(ネット)でもリアルでも、日頃の信頼関係が大切だということですよね。

もちろん、

自分が助けて貰うことだけを考えるのではなく、相手(友達)に何かあった時に自分が痛みを伴うようなことであっても助けてあげるだけの覚悟があるか・・・ということも大切。

まさに自分も相手の友達も「友情は逆境の中で試される」・・・のだと思うのです。

おしまい。

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2015年03月26日

「論語と算盤」渋沢栄一:著 成功や失敗なんてカスみたいなものだ!

「現代語訳 論語と算盤」

渋沢栄一:著

守屋 淳 :翻訳

筑摩新書

言わずと知れた古典的名著。久しぶりに読み返してみたけど、やっぱり良い!

著者の渋沢栄一は「日本の実業界の父」と言われ、生涯に500以上の企業や団体の設立に関わったというすごい人です!

第一国立銀行(現:みずほ銀行)、東京証券取引所、東京瓦斯、帝国ホテル、サッポロビールなどなど

これら全て、渋沢栄一が設立に関わった企業というのだから、まさに、現在まで続く近代日本の礎を創り上げたといっても決して過言ではないですよね。

その功績が認められたのか、今度2024年度に発行が予定されている新1万円札の肖像に選ばれましたね。

この本の中では「論語」の思想をベースに生きてきた渋沢栄一の人生哲学が語られていて、よくある論語の解説本とは一線を画した骨太の一冊です。

Amazonの内容紹介

日本実業界の父が、生涯を通じて貫いた経営哲学とはなにか。「利潤と道徳を調和させる」という、経済人がなすべき道を示した『論語と算盤』は、すべての日本人が帰るべき原点である。

明治期に資本主義の本質を見抜き、約四百七十社もの会社設立を成功させた彼の言葉は、指針の失われた現代にこそ響く。経営、労働、人材育成の核心をつく経営哲学は色あせず、未来を生きる知恵に満ちている。

■「義」と「利」を一致させる

だからわたしは、『論語』を商売するうえでの「バイブル」として、孔子の教えた道以外には一歩も外に出ないように努力してきた。

それによってわたしは「一個人の利益になる仕事よりも、多くの人や社会全体の利益になる仕事をすべきだ」という考え方を、事業を行ううえでの見識としてきたのだ。(P164)

京セラの創業者、稲森和夫氏が第二電電(現:KDDI)を設立する時に「動機善なりや、私心なかりしか」と繰り返し自分自身に対して問いつめたとある本に書かれていました。

創業する時って(自分は経験ありませんが)、第一に儲かるかどうかを考えるのがフツーのような気がします。

あるいは、企業経営の目的は?と訊かれたら「利潤の追求」と答える人が圧倒的に多いように思います。(まぁ、私の勝手な思い込みかもしれませんが)

確かに企業って、利益を出さないと潰れてしまいますから「儲け」は大切だと私も思います。

だけどね

それじゃ、儲かればなんでもいいのか?ってことですよね。

話しは少しそれますが・・・

以前、新卒採用の仕事をしていて面接をしている時に「なぜ、この仕事を選ぼうと思ったのですか?」っていう典型的な志望動機を尋ねる質問をすると「お客さまに喜んで貰えると嬉しいから」と答える学生さんが、けっこういました。

まぁ、就活のマニュアル本に出てくるような模範解答なわけですが、でも、そう答える学生さんの中には本当にそういう理由で志望してくる人もいるんですよ。

私、思うのですが・・・

自分がしたことで、他の人が喜んでくれたらやっぱり嬉しいじゃないですか?!

たぶん、「人に喜んでもらう」「人の役に立つ」っていうのが仕事(ビジネス)の原点だと思うんですよね。

だけど、片一方で利益を出さないと会社としては破綻してしまう。

この本のタイトル「論語と算盤」って、論語=道徳、算盤=お金勘定って読み替えると、分かりやすくなると思います。

要は、人としての正しい行いでもってビジネスをしていく、そういう渋沢栄一の仕事に対する哲学を表していると思うのです。

「欲に目がくらむ」という言葉がありますが、人ってお金が絡んでくると、つい間違った道に走ってしまうことってありますよね。

仕事でも、私生活でもお金が絡んできた時こそ、いったん立ち止まって、「人として正しい行いなのか?」ということを冷静に考えてみることが必要なんだなぁと改めて思ったのでした。

■なんのために勉強するのか?

そもそも現代の青年は、学問を修める目的を間違っている。『論語』にも、「昔の人間は、自分を向上させるために学問をした。今の人間は、名前を売るために学問をする」という嘆きが収録されている。(P193)

小さい頃、思いませんでしたか?なんで勉強しなくちゃいけないの?・・・って。(私は勉強嫌いだったので、よくそんなことを思ってました)

なぜ、勉強をするのか?という問いに対してよくある答えは、「テストで良い点を取って、良い学校に入り、一流の会社に入るため」・・・というもんじゃないですかねぇ、たぶん。。

今や一流企業に就職したからといって将来安泰!ってことはないのだけど、なぜか一生懸命に勉強することと一流の会社に入ることはセットになっているような気がする。。のです。

以前、昭和初期の頃に出版された「修身教授録」を読んだ時にも感じたことなのですが、その本の中では、学問を修めて国の発展に貢献することを勉学の目的にしているんですよ。

で、渋沢栄一も本書の中で学問を修め、自分を磨き、国を栄えさせるという志を何度も語っています。

片や、いい学校に入って、いい会社へ入る片や、この国を発展させるべく己を磨く何なんだ、この差は?!

私が以前に務めていた会社の社長がよく社員を相手に「大きく考えて、大きく行動せよ」ということをよく話していました。

その言葉を聞く度に、私自身の考えのスケールの小ささを痛感していたものです・・・orz

勉強の目的一つをとっても、今は小さくまとまってしまっている人が多いのかもしれませんね。特に若い頃はもっと天下国家を論じるくらいの気概があっても良いのかも・・・そんなことを感じました。

■成功や失敗なんてカスみたいなものだ!

一時の成功や失敗は、長い人生や、価値の多い生涯における泡のようなものだ。

ところがこの泡に憧れて、目の前の成功や失敗しか論ぜられない者が多いようでは、国家の発達や成長が思いやられる。

(中略)

成功や失敗といった価値観から抜け出して、超然と自立し、正しい行為の道筋にそって行動し続けるなら、成功や失敗とはレベルの違う、価値ある生涯を送ることができる。

成功など、人として為すべきことを果たした結果生まれるカスにすぎない以上、気にする必要などまったくないのである。(P220)

いやいやいや〜、なんだか衝撃的な文章です。。!

いかにして人生の「成功」をつかみとるか?!そんな本が溢れる中で、成功や失敗なんてカスだ!・・・ですからね。。身も蓋もないじゃん!

私は最初、これが何を言わんとしているのか実は余りよく理解できなかったんですね。(今も・・・かも知れないけど)

でも、

たぶん

こんなことを言いたかったんじゃないかなぁって最近になって思うようになったのです。

「成功」とか「失敗」って、時の運に左右されることがありますよね。

頑張って努力したのに、うまくいかず失敗してしまう。反面では、たいして努力もしていないのに、スルスルと時の流れに乗って成功してしまう。

だからこそ、努力したからといって必ず報われるとは限らない。。。って戯れ言もでてくる。

だけど

お金持ちになった!有名になった!恋が成就した!「成功」も「失敗」も、ある意味「結果」じゃないですか。

たまたま成功したのかも知れないし、たまたまうまくいかなかったのかもしれない。。

そんな偶然や運に左右されるようなものに、大きな価値はない!

それよりも大切なのは、

人として正しい考えをもち、正しいことを行って自分の為すべきことをきちんとやることだ。。

そのような生き方をすることが、きまぐれな「成功」や「失敗」なんかよりも遥かに価値のあることだ・・・

たぶん、そういうことなんじゃないかなって思うのです。

◇最後に・・・

人として「正しい」考えを持つ人として「正しい」行いをする

そんなふうに書くと、「正しい」ってなんだよ!人生に於いて何が正しいかなんて人それぞれの価値観でちがうだろ?!・・・と、思われるかもしれません。

確かにその通りだと思います。

渋沢栄一にとって「正しい」の拠り所は『論語』つまり孔子の教えです。ご存知の方も多いかと思いますが、『論語』は2,500年以上も前に書かれたものです。

それが、この現代まで延々と読み継がれてきている。

歴史上の人物でも論語に影響された人って大勢いる。あの有名な徳川家康の遺訓「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」も、その殆どが論語に書かれていることがベースになっているといわれてます。

それだけ長く、多くの人に読み継がれてきたのは、「論語」には人生や生きるうえでの何か普遍的なものが書かれているから、だと思うのです。

それが正しいのか、正しくないのかはもう読み手が信じるかどうか・・・なんですけど。

ただ・・・ひとつ思うのは・・・

わたしは常に、精神の向上を、富の増大をともに進めることが必要であると信じている。人はこの点から考えて、強い信仰を持たなければならない。(P47)

渋沢栄一にとって「論語」は文字通り、より良い人生をおくるためのバイブルであり、信仰の対象だったのではないかと思うのです。

そして、「論語」の通りに考え、行動した結果、生涯に500以上の企業、団体の設立に携わり「日本の実業の父」と呼ばれるほどの偉業を成し遂げたのです。

人生を生きていくうえで、指針となるような考え方や哲学を学び実践していくことが、どれだけ大切なことなのかが分かります。

色々な本をあれこれ読むのも大切。だけど、座右の書をもち、そこから考え方、在り方を徹底的に学ぶことも大切だと思うのです。

この本は渋沢栄一が論語から何を学び、どのように考え、どのように生きてきたかを知るには、最適な一冊ではないかと思います。

長々と最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

posted by penguin-oyaji at 22:22 | Comment(0) | 自己啓発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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