2016年07月20日

よその国を笑ってなんかいられない【「農協 月へ行く」筒井康隆】

農協月へ行く

「農協 月へ行く」
筒井康隆:著
角川文庫(現在品切れ、重版未定)

ふと思い出して、昔々に読んだ筒井康隆の短編集「農協 月へ行く」を
本棚から引っ張りだして読みなおしてみた。

Amazonの内容紹介

厚かましいバイタリティで外国の辞書にも載ったノーキョーさんが
月を行く。無重力の宇宙船の中でドンチャン騒ぎ、酒や芸者を
強要する土地成金ぶり。
好奇心旺盛な彼らが月面で見たのは?

かつて農協の団体旅行が「ノーキョー」と呼ばれ、海外へ出掛けていっては
傍若無人に振る舞い、世界から笑われていた・・・そんな時代があったんですよ。

この筒井康隆の短編「農協 月へ行く」はそんな恥ずかしい団体旅行の有り様を
パロディにした作品なのです。

あくまでも小説であり、フィクションなのだけど
描かれている団体旅行の様子が、さもありなんな感じなので、
オカシイやら恥ずかしいやら。。

そもそも日本には昔から「旅の恥はかき捨て」という言葉があるくらいだから、
旅先で他人の迷惑顧みず自分勝手に傍若無人に振る舞うという(とても恥ずかしい)
文化が蔓延しているのかも知れない。。

ノーキョーと呼ばれて世界から笑われていたのは、1960年代から70年代の頃だと
思うのだけど、それから十数年後のバブルに踊っていた1980年代から90年代。
その頃になると、ニューヨークやパリの有名ブランドショップに日本人が大挙して
押し掛けバッグやらスカーフやらをまとめ買いしている様が、やはりヒンシュクを
かい笑われていた。

◆◇◆◇◆◇

先月(2016年6月)、アジアで最大規模となる上海ディズニーランドが開演した。
開園日の前後はテレビのニュースやワイドショーでも大きく報じられていた。

だけど

・園内に落書きをしている人がいる
・パレードの沿道にゴミをポイ捨てする人がいる
・植え込みで子供に用を足させている親がいる
・偽物(模倣品)のキャラクターグッズが売られている
・通路上で勝手に弁当を拡げて食べている家族連れがいる

などなど、そのマナーの悪さをあげつらう報道が多かったように思う。
そして、そんなニュースを見る度に私は
「こーいうのを目くそ鼻くそを笑うって言うんだろうなぁ」と思っていた。

ついでに書けば、こういう報道によって知らず知らずのうちに
印象操作されてしまうんだろうなぁ〜、とも思った。

だって、たかが4、50年前にはノーキョーと笑われて、
2、30年前には今でいう爆買いを世界中でやっていたのは
私たち日本人ですからね。

よその国のことを笑っている場合ではない。

たぶん・・・

文化が発展していく段階で、どこの国でも同じような問題が起こり
同じような恥ずかしいことをしでかすのだと思う。

◆◇◆◇◆◇

調べてみたら、この短編集が発売されたのは1973年というから
今から40年以上前だ。
あれから40年!(←綾小路きみまろ風に)
ブラックユーモアに彩られたこの短編を読んで
素直に笑えないのは(むしろ、恥ずかしさを感じるのは)
過去の自分たちの行いを棚上げにしてよその国を笑う。
そんな今の日本の文化を恥ずかしいと思うからだ。

(おしまい)

posted by penguin-oyaji at 21:29 | Comment(0) | 読書(小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月17日

【「生きて行く私」宇野千代:著】カラスが空を翔ぶような(元祖・肉食女子の)人生


「生きて行く私」
宇野千代:著
角川文庫


宇野千代さん。お名前だけは随分と前から知っていたのだけど、
彼女の代表作の一つ「おはん」はもちろん、
彼女の作品についても何も読んだことはなかった。

ただ・・・

以前に仕事で山口県岩国へ行った時に駅の待合室に
彼女の大きな写真が飾ってあり、それで岩国が彼女の生まれ故郷だ
ということを知った。

それと、テレビで一度だけ彼女の映像を見たことがあり、
その時に、もう一つのブログにこんなエントリーをアップした。

83才のスーパー乙女! : ペンギンオヤジのDブログ

そして、そのエントリーを読んでくれたお友達が、
この本をオススメしてくれて、
(だいぶ長い間、積ん読してたのだけれど・・・)
読んでみたら、驚いたというか、とにかく面白かった!

この本は彼女の生い立ちから85歳までの人生を綴った自伝なのだけど
その生き様が破天荒というか、天衣無縫というか、
よく「事実は小説よりも奇なり」というけれど、
彼女の波瀾万丈の人生は、間違いなくそのへんのツマラナイ小説よりも
格段に面白い!

Amazonの内容紹介

明治、大正、昭和、平成と生き抜いてきた女流作家が、波乱の人生行路を
率直に綴る。山口県岩国の生家と父母の記憶から書き起こし、
小学校代用教員の時の恋と初体験、いとことのはじめての結婚、
新聞懸賞小説の入選、尾崎士郎との出会いと同棲、東郷青児、
北原武夫とつづく愛の遍歴。「スタイル」社の束の間の隆盛と倒産のように
時代の波にも揉まれながら、たゆみなく創作をつづけ、
ひたむきの前を向いて歩いてきた姿が心を打つ。

■元祖肉食系女子?吃驚仰天の愛の遍歴

この最初の夜、私には北海道で待っている悟と言う良人(おっと)の
あることを、改めて言うべきである、と思っただろうか。しかし、私は
そのことを言わなかった。
やがてのことに、私は最早や、北海道へは帰らないものだ、と言うことが、
誰の眼にも分かるような時機が来た。(P98)

宇野千代さんは生涯で4度の結婚をされているのだけど、
(恋多き女性だったんですね)
それぞれの結婚の馴れ初めがスゴいんです!

二人目の旦那さんと北海道で暮らしていた時のこと。
彼女が書いた小説が出版されるにあたり上京。
原稿料を受け取った後、なぜか東京に家を借り、
そして出版社で紹介された小説家・尾崎士郎に一目惚れをして
北海道の旦那さまを放りだして、そのまま同棲を始める・・・!

( ゜Д゜)ポカーン

さらに!!

夜が更けて、さあ寝よう、と言うときになって、「こんな蒲団しかないが」
と言って、押し入れから出してきた蒲団には、血痕がこびりついて、
がりがりになっていた。二人の男女の頸から流れ出してきた夥しい血の
かたまったものだと分かったとき、私はそれを気味が悪いと思っただろうか。
そうは思わなかった、と言ったら、人は信じるだろうか。(P124)

小説の中でガスで情死する一組の男女のことを書くために、
当時、愛人と心中未遂事件を起こしたばかりの画家・東郷青児に
(面識もないのに)こういう差し迫った時に男はどう行動するものか
教えて欲しい、って電話するんですね、宇野さんが。

で、電話じゃなんだから・・・ということで実際に会うことになり
そのまま一目惚れ!そして東郷の家に行き情死を図った血の付いた
蒲団でそのまま一緒に寝た・・・・と。

( ゜Д゜)ポカーン

いやはや、なんというか・・・

後日、テレビ番組「徹子の部屋」に宇野さんが出演された時に
「あの男とも寝た」「その人とも寝た」と話す宇野の話しに
黒柳が「あたし、あんなに、寝た寝たと、まるで昼寝でもしたように、
お話しになる方と、初めてお会いしましたわ」と言わしめたという
エピソードが残っているとか。

ある意味、とっても「業」が深い人だったんでしょうね。

■幸福のカケラ

幸福のかけらは、幾つでもある。ただ、それを見つけ出すことが
上手な人と、下手な人とがある。幸福とは、人が生きて行く力のもとに
なることだ、と私は思っているけれど、世の中には、幸福になるのが
嫌いな人がいる。不幸でないと落ち着かない人がいる。(P285)


幸福も不幸も、ひょっとしたら、その人自身が作るものではないのか。
そして、その上に、人の心に忽ち伝染するものではないのか。とすると、
自分にも他人にも、幸福だけを伝染させて、生きて行こう、と私は思う。
(P286)

この宇野さんの自伝を読んでいて、彼女は幸福というものに対する感度が
とても強く、反対に不仕合わせに対する感度がある意味とても鈍かった
のではないかと思いました。

自分がやっていた会社が倒産したりして、けっこうタイヘンな時期も
あったらしいのだけど、不思議とそういう時のエピソードを読んでいても
悲壮感みたいなものはあまり伝わって来ないんですよね。

幸福のかけらは、幾つでもある。
ただ、それを見つけ出すことが上手な人と、下手な人とがある。

例え周りから見たら不幸のどん底のような時であっても
そこには宇野さん本人しか見えない「幸せのカケラ」があったんでしょうね。

■鴉が空を翔ぶように

私は好んで、自分の生きている生き方を「鴉が空を翔ぶように」と
形容する癖がある。鴉が空を翔んでいるのを見て吃驚仰天する人は
いない。ああ、翔んでいると思うだけである。何だ、あの鴉は翔んでいる。
何と横着な鳥だろう、と思う人もいない。ただ、翔んでいる、と思う
だけである。鴉の翔ぶのは生まれつきなのである。翔ぶのが性分なので
ある。知らぬ間に翔んでいるのである。(P357)

昔、「カラスなぜ鳴くの?カラスの勝手でしょう」という童謡の替え歌が
流行ったことあるけど(これ分かる人は私と同年代ですね・笑)、
カラスが空を翔ぶのが自然であるように、
宇野千代さんは、この本に綴られたある意味とても破天荒な人生を
生きるのが自然な姿だったんだなぁ、と思うのです。

とっても、レリゴーな人だったと思うんですよね、宇野千代さんって・・・
もしも、自分の周りに同じタイプの人がいたら
さぞや面食らうだろうと思うのだけど、

◇◆◇◆◇◆

「おもしろき こともなく世を おもしろく」
幕末の志士、高杉晋作が遺した辞世の句ですけど、
きっと宇野千代さんにとっては、生きていること自体がおもしろくて
仕方なかったんじゃないかなぁ、ってそんなふうに思うんですよ。

溢れるほどの好奇心と、どんな時であっても現実をそのまま受け入れ
人の目を気にせず、幸せのカケラを探し出すことが上手であれば、
人生はこんなにもおもしろく生きられる!
そんなことを宇野千代さんに教えて貰ったような気がします。

私は人一倍好奇心の強い人間だからである。あと四年ほど生きれば
二十一世紀になる。新しい世紀に入った世界をこの目で見たいと
思っているのである。
(中略)
私はこのごろなんだか死なないような気がしているのである。
(文庫版あとがき より)

残念ながら、この「あとがき」を書いた半年後には98歳の人生を
終えて天国へ召されてしまったのですが、
空の上から見える21世紀の世界は宇野千代さんにはどんなふうに
映っているのだろうか?

おしまい

▼Kindle版
 

タグ:宇野千代
posted by penguin-oyaji at 21:37 | Comment(0) | 読書(小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月09日

【「幕が上がる」平田オリザ:著】私たちは舞台の上でならどこまででも行ける・・・だけど、何処にもたどり着けない


「幕が上がる」
平田オリザ:著
講談社文庫

「読んでから見るか、見てから読むか?」
このコピーが分かる人、たぶん私と同世代です!(笑)

5人組アイドル、ももいろクローバーZのメンバー主演で
映画化された作品の原作小説であり、
日本を代表する劇作家、平田オリザ氏の処女小説でもあります。

私がモノノフでなかったら、もしかしたら手に取ることも
なかったかも知れない小説ですけど、
読んで良かったぁ〜!

ピュアな青春が詰まった作品です!

ちなみに、私は「見てから読みました」

Amazonの内容紹介

地方の高校演劇部を指導することになった教師が部員たちに
全国大会を意識させる。高い目標を得た部員たちは恋や勉強よりも
演劇ひとすじの日々に。演劇強豪校からの転入生に戸惑い、
一つの台詞に葛藤する役者と演出家。
彼女たちが到達した最終幕はどんな色模様になるのか。
涙と爽快感を呼ぶ青春小説の決定版!


あらすじは上記の内容紹介に書いてある通りで、
地方の弱小高校演劇部がひとりの教師との出会いをきっかけに
全国大会を目指すという割とよくありそうな青春ストーリー。

先輩から部長を引き継いだ新部長・橋さおりの独り語りで
物語は描かれていて、読み進めていくうちに一人の女子高生の
内面の変化や成長がよく伝わってきます。

最初、さおりはすごくイライラしてる感じ。
演劇部をこれからどうしていったらいいのか、それが分からない。

だけど、

「学生演劇の女王」と呼ばれた新任の美術教師、吉岡先生。
彼女が橋さおりや演劇部員たちの前に現れたことで
こんがらがっていた糸がほぐれていくように
色々なことがうまくまわり始め、
地区大会すら突破できなかった弱小演劇部が
全国大会を目指すようになる。。

■私たちは舞台の上でならどこまででも行ける

私たちは、舞台の上でなら、どこまででも行ける。どこまででも行ける
切符をもっている。私たちの頭のなかは、銀河と同じ大きさだ。
でも、私たちは、それでもやっぱり、宇宙の端にはたどり着けない。
私たちは、どこまでも、どこまでも行けるけど、宇宙の端にはたどり
着けない。
どこまでも行けるから、だから私たちは不安なんだ。(P329)

物語の中でさおりが「銀河鉄道の夜」の脚本に悩むシーンがある。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読んだことのある方なら
ピンとくるかもしれませんね。
ジョバンニが(知らずに)持っていた何処へでも行ける切符。

何処までも行ける切符を持っている。
だけど、宇宙はどんどん膨張しているから決して宇宙の果てには
たどり着くことが出来ない。

だから、何処へ行けばいいのか?
何処まで行けばいいのか分からない。
だから不安になる。

これって、青春時代の不安定な気持ちをよく表していると思うんですよね。

自分は何者にでもなれる!っていう壮大な気持ちにもなるし、
もしかしたら、自分は何者にもなれないんじゃないかって不安にもなる。

自分には無限の可能性がある。
青春時代、人はそんなふうに思うことがある。
だけど・・・
人って成長するにつれて知らず知らずのうちに可能性を
限定していくんですよね。

「限定」という言葉が悪ければ、「絞り込む」でもいい。

確かに・・・

例え何歳になっても、人は変わることができる。
だけど、「年齢」という不可逆な要素に縛られて
けっして取り返すことが出来ない「可能性」があるのも
事実じゃないですか。

『どこまでも行けるから、だから私たちは不安なんだ』
そんなふうに思えるのは、もしかしたら青春時代の特権なのかも?って
感じるのです。

■やっぱり私は、教師ではなく女優でした

本当にごめんなさい。
やっぱり私は、教師ではなく女優でした。(P279)

この弱小演劇部の青春ストーリーに厚みをもたせているのは、
やっぱりかつての学生演劇の女王、吉岡先生だと思うんですよね。

ところで!

自分が小さい頃、あるいは青春時代にどんな夢を持っていたか
覚えていますか?
そして、それは今、叶えられていますか?

上の方で、「人は知らず知らずのうちに自分の可能性を限定してく」
って書きました。
それと矛盾するかもしれないけれど、
一度あきらめた「夢」でも、それが埋み火のように心に残っていれば
やり直すことだってできる・・・
だけど・・・一度あきらめた分、犠牲にするものは多いのだけど。。
それを吉岡先生は読む人に教えてくれます。

あまり書くとネタバレになってしまうのだけど・・・

この小説って(映画でもそうだったけど)、群像劇のようだけど、
基本的には、橋さおりの成長物語だと思うんですよ。

さおりは、吉岡先生に出会ったことで成長の階段を昇り始め、
そして吉岡先生と分かれることで自立し、大きく成長する。

「守破離」という言葉がありますが、
形はさまざまだけど、師匠といえるような人と出会い、
そして、その師匠の元から旅立つことで一人前になっていく。。

旅立つ時には、痛みも感じるし、
高い壁を乗り越えることも必要だから
けっしてラクではないのだけど、
そうした「困難」こそが人を成長させていくのですよね。

※ネタバレ気にしなきゃ、もっと書きたいコトがあるのに(涙)

■どれだけ馬鹿になれたか、どれだけ一途になれたか

昨日だったかな?
SNSのタイムラインにこんな言葉が流れてきました。

青春というのは意味のあることを
成し遂げるのではない。
どれだけ馬鹿になれたか
どれだけ純粋に一途になれたかです

北方謙三(作家)

青春時代というのは、後先考えずに自分の情熱のまかせるままに、
ひたすら突っ走ることができる、そんな時代なのかも知れません。

後先考えずに・・・というのは、現実と折り合いなんかつけない!
というふうに言い換えることもできると思います。

現実と折り合いなんかつけない
だから、弱小演劇部がいきなり「行こうよ、全国!」なんて言えてしまう。

若い分、人生経験が少ないから、悩んだり、道に迷ったり
失敗したりすることもある。

だけど、

現実と折り合いなんかつけない(端から見たら)無謀とも
思えるような夢に向かって馬鹿みたいに突っ走った経験は
ナニモノにも代え難いし、人を大きく成長させるものだと思う。

若いうちから「意味のある」ことを考えて、
計算高く、小利口にふるまっていては
小さくまとまってしまうような気がするし、
何よりも人生、面白くないよね。

◆最後に・・・

感動で涙を流す

よく使われるフレーズだけど、
涙を流すといっても
堰を切ったように感情が溢れだして号泣して流す涙もあれば、

心の奥底にあった何だか柔らかいものを握りしめられて
じんわり流す涙もある。

この小説を読みながら、不覚にも(!)泣いてしまったのだけど、
それは後者の涙でした。

とっくの昔に過ぎ去ってしまって、忘れ掛けていた青春時代。
この小説を読みながら、そんな忘れ掛けていた
(今となってはちょっと気恥ずかしい)何処までも真っ直ぐだった頃の
自分に再び出会えたような気がしたのでした。

そして・・・

最後に思ったのは、橋さおりではなく、
吉岡先生は何処まで行けたのかなぁ?というのは
私が既にある程度の「オトナ」になってしまったからなのかも知れません。

映画も良かったです!お約束だと思うので一応、貼っておきますね(笑)

 

▼Kindle版

 

 

 

 

posted by penguin-oyaji at 22:57 | Comment(0) | 読書(小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月20日

心のない世界【「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」村上春樹】

 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」
村上春樹:著
新潮文庫(上・下)


20代の頃、熱心に村上春樹さんの作品を読んでいたのだけど、
「ダンス・ダンス・ダンス」を最後にまるで憑き物が落ちたかのように
手に取ることがなくなってしまった。

だから、「海辺のカフカ」も「1Q84」も最新刊の「色彩を持たない〜」も
読んでない。。

そんなワケで、久しぶりに「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を
読み返してみたのも、単なる気まぐれでしかないのだけど、
でも、やっぱりこの作品は良い!

少なくとも、初期の傑作であるのは間違いないと思う。

(注意:以下、ネタバレあります!)

Amazonの内容紹介

高い壁に囲まれ、外界との接触がまるでない街で、そこに住む
一角獣たちの頭骨から夢を読んで暮らす〈僕〉の物語、〔世界の終り〕。
老科学者により意識の核に或る思考回路を組み込まれた〈私〉が、
その回路に隠された秘密を巡って活躍する〔ハードボイルド・ワンダーランド〕。
静寂な幻想世界と波瀾万丈の冒険活劇の二つの物語が同時進行して織りなす、
村上春樹の不思議の国。

◆パラレルワールド?仮想現実?
上記のAmazonの内容紹介にもあるように、
この物語の舞台は2つ。

計算士という架空の職業で働く『私』が
自分の意識の核に埋め込まれてしまった謎を巡って、
ナニモノかに追われながらも、謎が解き明かされるまでを描いた
【ハードボイルド・ワンダーランド】と呼ばれる世界。

自分の影を持たず、心もない人たちが住む街にやって来た『僕』が
一角獣の頭骨から古い夢を読んで暮らす【世界の終わり】と呼ばれる世界。

【ハードボイルド・ワンダーランド】が現代の東京を舞台にした
冒険活劇的な物語であるのに対して、【世界の終わり】は、
何処にあるのかも分からない幻想的な街で静謐とした寓話的な物語。

このように二つの世界はまったく対照的な物語なのですが、
それが交互に描かれていて、やがて一つに結びつくというストーリー展開は、
読んでいて引き込まれてしまいます。

ネタバレですが・・・

ここは僕自身の世界なんだ。壁は僕自身を囲む壁で、川は僕自身の中を
流れる川で、煙は僕自身を焼く煙なんだ

【世界の終わり】という幻想的な世界は、
実は【ハードボイルド・ワンダーランド】の『私』が
自分の頭の中に創り出したものなのです。

つまり、現実世界の『私』と仮想世界の『僕』は同一人物というわけです。

◆心のない世界

戦いや憎しみや欲望がないということはつまりその逆のものがない
ということでもある。それは喜びであり、至福であり、愛情だ。
絶望があり幻滅があり哀しみがあればこそ、そこに喜びが生まれるんだ。
絶望のない至福なんてものはどこにもない。

現実世界の『私』が創り出した仮想現実、【世界の終わり】とは、
どういう世界かというと・・・

自身の影を切り離されてしまうことで、
記憶も心も失ってしまった人たちが住んでいる
(ただし、切り離された影が生きている間は
心は残っているし、記憶も影の中に在りつづける)

心がないから、戦いも憎しみも欲望もなく街の人々は
安穏とした日々を過ごしている

街は高い壁に囲まれていて、その街からは抜け出すことが出来ず、
何処へも行けない

・・・かなり端折ってますが、だいたいこんな感じの世界なのです。

実は・・・!

私もちょっと前までは、心のない世界というものに憧れていました。
心があるから、苦しんだり悲しんだりするわけですから
それだったら、いっそうのこと心なんて消えてしまえばいい!
なんか、そんなふうに思っていたんですよね。。

でもね。

いくら頑張っても無私にも無欲にもなれないんですよ。。
否応なく心は付いてまわってくる。

話しがそれましたが・・・

物語の最後で『僕』は自分の影だけを街から脱出させて、
自分はそのまま街に残ることを選択します。

それは、心を持ち続けたまま(影は生きているからね)、
苦しみながらも、何処にも通じてない行き場のない、
自分が創り出した街で生きていく決意をした、
ということです。

やっぱり『僕』も、無私無欲にはなれなかったんだなぁ、と。

◆自分が創り出した世界の中で生きる

僕は自分の勝手に作り出した人々や世界をあとに放りだして
行ってしまうわけにはいかないんだ。

何と言うか・・・
【世界の終わり】は現実世界の『私』が頭の中に作り出した
仮想世界だと書きましたが、
実は私たちも同じように仮想世界の中で生きているのと
同じではないかと。。

例えば・・・

私の友人のAさん。
確かに、Aさんは私が勝手に作り出したワケではありません。

だけど・・・私の知っているAさんと、
別の友人B君が知っているAさんでは、
同じAさんだけど、きっと違う人物なんですよ。

同じものを食べたり、同じ景色を見ても
人によってその印象が違うのと同じで、
付き合う人も、人によってその人物像って同じじゃないですよね。

人は自分の主観という眼鏡を通して
モノや人を見ますから、
同じ世界に生きていても、自分が見ている世界は
自分の心が作り出した世界・・・なのではないかと思うのです。

だから、この特殊でちょっと変わった【世界の終わり】は
実は誰の心の中にも多かれ少なかれ存在するんじゃないんですかね?

でも、そんな自分が作り出した世界の中で
自分だけが心をなくして、安穏と生きていくことなんて出来ない。

だったら、苦しみや哀しみから逃げ出さずに、
自分の心と向き合えよ!

・・・そんなメッセージが聞こえたような気がしたのです。

◇◆◇◆◇◆

社会学部なのに、卒論で村上春樹の文芸評論を書いて卒業した
私の友人が昔、この作品のことを「哀しい物語だね」と言っていたのを
今でも覚えています。

「なんで、そう思うの?」と私が聞くと、
「だって、現実世界から切り離されて自分の意識の中に
閉じ込められちゃうんだよ!」と。

確かに自分の意思とは関係なく、現実世界から切り離されて
おまけに過去の記憶もなくして自分の頭の中の仮想世界に
閉じ込められてしまうのは哀しいことだろう。

だけど!20年以上の月日が経ち再読してみて思うのは、

何処へも通じてない、何処へも行けない
この世の果てのような世界の終わりの街で
心を残したまま生きていく決意の方がもっと哀しいのではないかと。

哀しみも、苦しみも、争いもない代わりに
喜びや希望、愛のない世界は、
やっぱり哀しい世界なのだ。

    

タグ:村上春樹
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2013年10月26日

自分の生き方を貫く姿に心が痺れた!傑作ハードボイルド「深夜プラス1」

深夜プラス1 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 18‐1)) 

「深夜プラス1

ギャビン・ライアル:著

菊池光:訳

ハヤカワ・ミステリ文庫

 

「おら、ハードボイルドだどぉ」

・・・と言っても、クレヨンしんちゃんではない!

 

トリオ・ザ・パンチのコメディアンでもあり、

新宿ゴールデン街にその名も「深夜プラスワン」というバーを

経営していた内藤陳さんのギャグの名台詞である。

 

内藤陳 

↑このお方ね

 

その内藤さんが生前にモーレツにプッシュしていた

ハードボイルド小説の傑作がこの本。

なんたって自分の経営するバーの店名にするほど

惚れ込んでいたのだから。

 

版元・早川書房の内容紹介 

ルイス・ケインの引き受けた仕事は、男をひとり車で

リヒテンシュタインへ送り届けること、タイムリミットは

深夜プラス1。だが、フランス警察が男を追っているし、

男の敵は名うてのガンマンを差し向けてきた! 

執拗な攻撃をかいくぐり、ケインの車は闇の中を疾駆する! 

英国推理作家協会賞受賞の名作冒険小説

 

■本をエンリピする

名作だけあってネットを検索してみると、この本を一度ならず

二度、三度・・・と何度も繰り返し読んでいる人が

けっこう見受けられる。

 

よくお気に入りの音楽を何度も繰り返し聴くことを

「エンリピ」(エンドレスリピート)と言うコトがあるけど、

まさにこの本をエンリピしている人がいっぱいいるのだ。

 

この本の解説を書かれた作家の田中光二さんが、

優れたエンターテイメント作品は再読、再々読に耐えられるものである

ということを書かれている。

 

単なるストーリ展開の面白さだけを味わうなら初読だけで充分だが、

作中の随所にはられた伏線、罠、会話の妙などを味わうためには、

繰り返し読む必要がある・・・というか、

そういうストーリ展開以外のところまで実にしっかりと

描かれているからこそ再読、再々読にも耐えられるということだろう。

 

斯く言う私は・・・三度目くらいかな。それも今回は10数年ぶりだったので、

ストーリー自体も忘れてしまっていたので、

まるで初めて読むような感覚で読みました(汗)

 

■自分が自分であるために!

というわけで、超・久しぶりにこの本を読み返したわけだが、

いや〜、やっぱり痺れました!

 

ストーリ自体は上の「内容紹介」にもあるように、

主人公のルイス・ケインが一人の実業家を定刻までにリヒテンシュタインへ

送り届ける。ただし、その実業家は警察からもそして殺し屋に追われている

という設定なのでドンパチもありますが、至極単純なもの。

(まぁ、最後には「えっ?!」という展開があるのだけど)

 

で、何に痺れたかというと物語の終盤。

ケインがヨーロッパ最強のガンマンと対峙する場面があるんだけど、

そこでの彼の台詞。 

〈あるいは、自分がカントンだからか?〉

 

〈(報酬の)一万二千フランというのは計算することができる。

これでは少なすぎると言って断れば受け取らなくてすむ。

だが、カントンであるということは計算できない。

計算ずくで後へ退けない。そのために、わずか一万二千フランの

ためとはとうてい考えられないようなことをする・・・・〉

カントンというのは、主人公、ルイス・ケインの別名で、

昔、レジスタンスの地下活動をしていた頃にそう呼ばれていた。

 

ヨーロッパ最強のガンマンと戦っている時にケインが最もこだわっていたのは、

報酬金ではなく、自分がカントンであり続けること。

つまり、『自分が自分であること』だったと思うんですよ。

自分の誇りのため、と言っても良いかも知れない。

だから自らの命を懸けて戦えた。

 

ルポライター・沢木耕太郎はエッセイの中で優れたハードボイルドに

必要なものとして「魅力的な悪女の存在」と「了解し合える男の存在」という

二つの要素を挙げた。

 

確かにその通りだと思う。

 

だが!

敢えてそこにもう一つ付け加えるなら、

自分の生き方を曲げずに貫く(ある意味、不器用な)生き様

が描かれていることだろうと思う。

 

不器用な生き様・・・といえば、ケインの相棒、ハーヴェイ・ロベルも

同じように器用には生きられないナイーブな心の持ち主と言えるだろう。

 

ロベルはアル中のガンマンなのだけど、なぜ彼がアル中になったのか、

その理由が本当に泣かせる。。

ナイーブな優しい心を固い殻で包んだ・・・そんな表現が似合う男なのだ。

 

■そしてラブストーリーも・・・ 

「ほんとうはあなたと結婚して、あなたの戦争をとめてあげなければ

いけなかったんだわ」彼女は私の顔を直視した。

(中略)

自分が心にかけた唯一人の女から、他の男と結婚したのは間違いだった、

と言われるようなことはめったにないことだ。それも、今からでも遅く

ないのだ、と訴えている。

 物語の中盤に登場するジネット・マリスという女性はケインのかつての恋人。

その彼女から思いがけず飛び出た愛の言葉。

 

思春期に経験する淡い憧れのような初恋もあれば、

人生の酸いも甘いも経験した後に気付く恋もあるというわけですね。

 

あなたと一緒になってやり直したい

くぅ〜〜〜、そんなこと言われてみたいぜ!

 

【最後に】

久しぶりに「深夜プラス1」を読み返したついでに、

内藤陳さんが書かれたオモシロ本ガイド「読まずに死ねるか!」や

「読まずば二度死ね!」もパラパラと読み返してみた。

 

『コーヒー1杯のむ金があるなら本を読め!』と豪語していた内藤さんだけ

あって、本に対する愛情が溢れていたし、思わず読みたい!と思わせる

文章力はさすがだと感じた。

 

昔、ネットの書評ブログなんてなかった頃は、こういうガイド本なんかを

頼りにして本を読みあさっていたんですよね〜

 

「ジャッカルの日」

「初秋」

「長いお別れ」

どれも、内藤さんに導かれて20代の頃に読んだ冒険小説の傑作たち。

 

ビジネス書もいいけど、こういう冒険小説もやっぱりいいよなぁ〜

と改めて思いました。また読み返してみようかな。


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2013年10月15日

翌檜(あすなろ)の哀しみ【百田尚樹:「モンスター」】

モンスター (幻冬舎文庫) 

「モンスター」

百田尚樹:著

幻冬舎文庫

 

このブログで久々の「小説」記事です!

 

こちらのブログでこの本を紹介しているのを読み、

「おっ、面白そうじゃん!」と思い手にとりました。

でも、本屋さんで帯を見たら既に80万部突破のベストセラーで

映画も製作されて公開されたとか・・・

全然、知りませんでした!!(^^;;

「産業カウンセラー」を学ぶお話好き 外見ゆえのヒエラルヒー〜「モンスター」


 文庫版で487ページとけっこう分厚いのですが、

読み始めたら面白くて一気読み!

久々のジェットコースター本でした。

 

Amazonの内容紹介 

田舎町で瀟洒なレストランを経営する絶世の美女・未帆。

彼女の顔はかつて畸形的なまでに醜かった。

周囲からバケモノ扱いされる悲惨な日々。思い悩んだ末に

ある事件を起こし、町を追われた 未帆は、整形手術に目覚め、

莫大な金額をかけ完璧な美人に変身を遂げる。

そのとき亡霊のように甦ってきたのは、ひとりの男への、

狂おしいまでの情念だった。

 

■ひたすらモテない日々 

私はブスだった。

いや、ブスという言葉は軽過ぎるーーーそう、私の顔は畸形的とも

いえる醜さだった。(P37)

 物語の前半、畸形的とも言えるほどに醜く生まれてきた少女が

親や周囲の子どもたちから「ブス」「バケモノ」と呼ばれながらも

男の子に恋をして、でも結局は報われない・・・

そんな話しが続きます。 

醜い少女が愛された話はどこにもない。

美しくない女はヒロインになれないと、多くの物語は教えてくれる。

映画のヒロインは皆美人で、少女漫画のヒロインはみんな可愛い。

(中略)

私のようなブタでブスは女でもないのだ。

私には恋なんて縁のないものだと思っていた。(P52)

 自分が異性にモテないのは、外見がブスだからだ。

しかし、外見がどうであれ思春期と呼ばれる時期になると

人は恋をする。

こんなブスな自分でももしかしたら・・・!

外見よりも性格で選ぶ人だっているかも知れない。

そんな淡い期待を抱きつつも、結局は報われずに散っていく。。

 

15・16・17と私の青春、暗かった・・・

そんな人生でしたからね、私も。

読みながら、「そうそう、その気持ち分かるわぁ!」と妙に

納得しつつ共感しながら読みましたよ。

 

この本の中に「美人は得をする」みたいなことも書いてありますが、

それは男も同じこと。

 

格好よくて、スポーツもできて、頭もいい!

そういう男(私の敵じゃ!)は、早い時期から女の子にモテるから、

女性との付き合い方も磨かれていき、ますますモテるようになる

という好循環が生まれますが、私のようにモテないと、

デートするにもオドオドして女性から呆れられ、

「モテないスパイラル」からなかなか脱却できないんですよ。。

 

おっと、私のモテない自虐ネタは横に置いておかないと、

いつまでも話が進まない。。

 

■変身願望

 主人公が社会人になったある日、たまたま雑誌に掲載されていた

美容整形の広告に目がとまり、二重瞼になるための整形手術を受けます。 

ーーーあの日、私が欲しかったのはこの目だ。

ついに手に入れた。たったの八万四千円で。ずっと欲しくて永久に

手に入らないと諦めていたものは、こんなわずかな金で手に入る

ものだったのだ。なぜ誰も教えてくれなかったのだ。(P157)

 整形により美しくなる手段を知った主人公は同時に、

見た目が変わることにより周囲の反応が変わることも知ります。

物語の中で初めて街でナンパされたシーンは象徴的。

 

二重瞼になる整形を皮切りにして、鼻、口元などなど

次々に整形を繰り返していき、その度ごとに周囲の反応もどんどんと

変わっていきます。そして最後には「絶世の美女」へと

変貌を遂げるのです。

 

もちろん、整形を受けるための費用を稼ぐための生活の苦労も

描かれていて、「そこまでしても、綺麗になりたいのか?」と

思わずにはいられませんでしたが・・・

 

整形を受ける度に「美のヒエラルキー」の中での自分のポジションが

上がっていく。最下層にいた頃は「ブス」「バケモノ」と呼ばれていたのが

整形を受けて綺麗になっていくごとに街でナンパされたり、

「愛している」と囁く男性が現れたりして確実に自分のポジションが

あがっていくのを実感するわけですね。

 

整形を受けるかどうかは別として、「変身願望」を持っている人は

割と多いのではないかと思う。

 

例えば髪型を変えてみたり、女性だったらメイクを変えてみる。

眼鏡を変えてみるだけでも印象って変わる。

コスプレなんかも変身願望の表れですよね。

 

何故、人は変身してみたいと思うのか・・・?

 

理由は人それぞれだと思うけど、

私は変身することによって、今の自分とは違う人生を味わってみたい!

そんな願望が心のどこかにあるのではないかと思う。

 

もしかしたら、歩んでいたかも知れない別の人生。

 

「人は見た目が9割」とかっていう本もありますが、

外見を変えることで、周囲の人の反応も変わるというのは

やっぱり事実だと思うのです。

 

周囲の人から「ブス」「バケモノ」と言われる人生と

「綺麗だね」「素敵だ」と言われる人生。

そのどちらを選びたいですか?

 

もしも、今の自分が「人並み」「十人並み」であったとしても、

ほんの少し勇気を出して、変身することで綺麗と言われる人生を

味わうことが出来るとしたら・・・

 

主人公はある意味、病的とも言えるほど何かに憑かれたように

整形を繰り返すという極端な行動に出ますが、

多くの人が心のどこかに抱いている変身願望を描いているとも

考えられるのではないかと思うのです。

 

■翌檜(あすなろ)

 整形によって、見た目が変わり、周囲の反応も変わると

書きましたが、変わるのはそれだけではなく、

自分の心の在り方も変わっていくんですね。

 

そして・・・

 

絶世の美女へと変身できたからこそ、

「もしかしたら、今なら・・・」と断ち切った筈の昔の恋へと

向かっていき、物語は結末に向けて走り出します。

 

実は物語の中で主人公の女性は同一人物であるにもかかわらず、

田淵和子と鈴原未帆という二つの名前を持っています。

(なぜか?については読んでみて下さいね)

 

「田淵和子」が畸形的とも言われるほど醜い少女時代の名前で、

「鈴原未帆」はその醜い外見から整形を繰り返し絶世の美女へと

変身を遂げた名前、そんな感じです。

 

鈴原未帆は絶世の美女へ生まれ変わったわけですから

世の男性どもが放ってはおかない。

だけど・・・最後、田淵和子として愛されることを欲するのです。

 

それが、映画化された時のコピー

「私はバケモノ。それでも愛してくれる?」につながるのですが・・・

 


ネタバレ自重で詳しくは書きませんが、

この物語の最後をどう意味付けするかは、きっと読む人によって

違ってくるんだろうなぁ、って思います。

私はエピローグの最後の1行を読んだ時に、鳥肌が立ちましたが。

 

話が少しそれますが・・・

 

「翌檜(あすなろ)」という樹をご存知ですか?

見た目は檜(ひのき)のようなんだけど、やはり別種なので、

当然、翌檜が檜の樹になることはないんですね。

 

翌檜という名前については「明日は檜のように立派な樹になろう」

→「明日はなろう」→「あすなろ」という謂れがあり、

叶わぬ願いを表すとも言われてます。

(※さだまさしの「明日檜」はそんな歌です)

 

この物語を最後まで読み終えた時、

「これは田淵和子にとってのあすなろ物語」だと思いました。

 

整形を繰り返し、絶世の美女へと変身し、

手に入れたかったものに手を伸ばす。だけど・・・

 

翌檜がヒノキになれないように、田淵和子もまた。。

 

■最後に・・・

読みながら思ったもう一つのこと。

 

男が女心を描くのはとても難しい・・・ということです。

 

うまく言葉にできないのだけど、読んでいても主人公の心理描写に

なんだか分からない違和感を感じたんですよね。。

 

確かに女性の心理を描こうとしているんだけど、

どこか男目線というか、男が理解している女心とでもいうのでしょうか。。

それは読んでいる私が男だからなのかも知れないけど・・・

 

女心ってもっとどこか男が理解し得ないミステリアスな部分が

あると思うんだけどなぁ・・・

女性がこの物語を読むと主人公の女心はどんなふうに感じるのでしょう?

posted by penguin-oyaji at 18:18 | Comment(0) | 読書(小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月05日

命の始まりと終わり・・・・「ターミナル・エクスペリメント」


Book-No.147
「ターミナル・エクスペリメント」

ロバート・J・ソウヤー 著
内田昌之 訳
早川文庫SF



このブログにいつもコメントを下さるeries.mさんが
ブログでこの本を紹介されているのを読んで、
興味がわき、早速手にとってみました。

一応、早川SF文庫から出ていて、
ジャンルは「SF」ということになると思うのですが、
内容はSF+ミステリーって感じです。

SFというと、中には難解なものもあって、
私はどちらかというと苦手なジャンルなのですが・・・

でも、この物語は先ず舞台が近未来の2011年で、
(ちなみにこの作品の発表は1995年)
ストーリー的にも夫婦間の浮気など、
けっこう泥臭い(?)話しとかも絡んでくるし、
何よりも後半のストーリー展開が
ハラハラ、ドキドキで、一気に読ませてくれます!

■ストーリー

医学博士のホブスンは、死にかけた老女の脳波の測定中に、
人間の「魂」とおぼしき小さな電気フィールドが脳から
抜け出てゆくのを発見した。
魂の正体を探りたいホブスンは自分の脳をスキャンし、
自らの精神の複製を三通り、コンピュータの中に作りだした。
ところが現実に、この三つの複製のうちどれかの仕業としか
思えない殺人が次々に果たして犯人はどの「ホブスン」なのか?
1995年度ネビュラ賞に輝く衝撃の話題作。
(Amazonの商品紹介より転載)


■命の始まりと終わり

光のこぶは、心臓が止まった直後に、呼吸が止まったすぐあとに
肉体を離れていった。
ピーターは、まさにさがしもとめていたものを発見した。
命が尽きたという疑念の余地のない標識、患者がただの肉と化して
臓器移植の準備ができたという明白なしるし
」(P115)

魂波は妊娠九週間から十週間のあいだのどこかであらわれるのだ。
それ以前は、魂波は単に存在しない。もっと詳細な調査をおこなって、
魂波が胎児の脳の内部で発生するのか、それともーより可能性は
低いと思われるがー外部のどこかから到来するのかどうかを
確認しなければならなかった
」(P143)

改正臓器移植法が最近、話題になりましたが
そこで論議されていたものの一つが「死の定義」でしたね。

実は、もう一つ。人の命の誕生はどの時点なのか、についても
明確には定義されていないように思います。

この物語の中では、「魂波(ソウルウエーブ)」と名づけられた
電気フィールドが肉体から離れる瞬間、胎児に宿る瞬間が
命の終わりと始まり、というふうに明確になることで、
それまでの世の中の常識が次々と覆り、
その様子が文章中に何度も「ネットニュース・ダイジェスト」という形で
記されています。



今回の国会での臓器移植法改正論議などを見ていて
改めて思うのは、私たちの「死」というものは、
あくまでも「取り決め」なんだなぁ、ということです。

医学的、科学的な立場から見たときに
人の死や脳死が、どんなふうに定義されるのか
詳しくは知りませんが、少なくとも脳死を死とするかどうかは
議論や多数決で「取り決め」られることなんですよね。


この物語の中では他にも臨死体験や、妊娠中絶などの場面も
描かれていて、人の命の誕生と死ということについて
改めて考えさせられます。

■ヴァーチャル・ライフ

ピーターは魂の正体を探るために自分の脳をスキャンし、
自らの精神のシュミレーションをコンピューターの中に作り出す。
一つは死後の生をシュミレートした「スピリット」、
ふたつめは永遠の生をシュミレートした「アンブロトス」、
そして三つめはなにも手を加えない「コントロール」だ。
ところが、この三つのシュミレーションのうちどれかが殺人を犯す。
はたして犯人は誰なのか?

(P461 「解説」より抜粋)

この物語のキモは、やっぱりコレですよ!

コンピューターの仮想空間に作り出された自分の脳の分身が
現実世界での殺人を犯してしまうのです。
どうやって・・・?(それは物語を読んで楽しんでくださいね)

そして後半では、この殺人鬼と化したシミュレーション・プログラムと
現実世界の本人(ピーター)との戦いが繰り広げられるのですが、
読んでいて一気に引き込まれましたね。


本当に、面白い!



また、それとは別に、死後の生(魂)となったシュミレーションや
永遠の命を手に入れたシュミレーションが
仮想現実の中で、それぞれどのような感情、考えをもつようになるのか、
という点も、人の命、人生の本質に迫っていて、
興味深く読めると思います。

■感想とか・・・

1995年時点で描く2011年の姿って、こんなふうに
想像されていたのね、という視点で読んでも、楽しめますね。

空飛ぶ自動車とかは出てきませんが(笑)、
物語の中で描かれている2011年の世界は、
再来年に迫った今の時点と比較してみても、
世の中、まだこんなに進歩しとらんぞ!」という部分もあれば、
こんなのもう古いぜ!」という部分もあって、
そんな細かい突込みを入れつつ、読むという楽しみあります^^;;

特にコンピュータに関する記述を読むと、
完全に現実世界の方が先に進んでいて、
言い換えれば、95年時点では今の状況は想像すら出来なかった、
ということですね。

まぁ、そういう細かい話しは脇に置いといて・・・

450ページもあって、ちょっと長い物語ですが、
ぐいぐいと引き込まれて一気読みできます!

それに、物語のエンディング、「エピローグ」を読むと、
何だかちょっとほろりと優しい気持ちにもなったりして・・・

SFというジャンルはあまり気にせずに、エンターテイメント作品を
読むつもりで、物語を楽しんでみるのが良いと思います^^


最期に改めて・・・この本を紹介してくださったeries.mさん、
ありがとうございました。とても楽しめましたよ。


最期までお付き合いくださり、ありがとうございました。
posted by penguin-oyaji at 16:28 | Comment(2) | TrackBack(1) | 読書(小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月14日

孤独で寂しい人工衛星が燃え尽きるとき・・・「スプートニクの恋人」


Book-No.124
「スプートニクの恋人」

村上 春樹 著
講談社文庫

前にも少し書きましたが・・・

学生時代、書店のバイトでレジをしていると
「風の歌を聴け」や「カンガルー日和」などの
本がやたらと売れていて(特に若い女性に人気だった)
それが、村上春樹を知ったきっかけでした。

そこから私も村上春樹を読むようになり、
何だか独特の表現によって紡ぎだされる
世界観に惹かれ、
処女作の「風の歌を聴け」から
「ダンス・ダンス・ダンス」あたりまでの
作品は、ほぼ全て読みました。

卒業し、社会人になると本を読むこと自体から
離れてしまい、「ねじまき鳥」も
「海辺のカフカ」も読んでいないのですが・・・

【あらすじ】 (amazonの商品紹介より)
とても奇妙な、ミステリアスな、この世のものとは思えない、


22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。
広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。
それは行く手のかたちあるものを残らずなぎ倒し、
片端から空に巻き上げ、理不尽に引きちぎり、完膚なきまでに叩きつぶした。
そして勢いをひとつまみもゆるめることなく大洋を吹きわたり、
アンコールワットを無慈悲に崩し、
インドの森を気の毒な一群の虎ごと熱で焼きつくし、
ペルシャの砂漠の砂嵐となってどこかのエキゾチックな城塞都市を
まるごとひとつ砂に埋もれさせてしまった。みごとに記念碑的な恋だった。
恋に落ちた相手はすみれより17歳年上で、結婚していた。
更につけ加えるなら、女性だった。
それがすべてのものごとが始まった場所であり、
(ほとんど)すべてのものごとが終わった場所だった。

【感想とか】

最初に読んだときは「???」状態で
正直、何だかよくわからないなぁ、と思いました。

「あちら側」と「こちら側」というパラレルワールドや
恋人を失う「喪失感」など、村上作品によく出てくる設定は
相変わらずなのですが・・・

何の答えも与えられないまま
終盤、色々なことが次々と終わっていくのです。。
ミュウとの関係も・・・
教え子である、にんじんとの話も・・・
そして・・・すみれとの話も。

ふつう、物語の終わりには
作者の思いや主張が感じられるような
エピソードが出てきて、
読み手も「なるほど」と思いながら
幕が降りるものだと思うのですが、
そういうものが何もない。


どう解釈するかは、すべて読み手に
委ねられているような、そんな物語の終わり方

とまどったのかもしれません。


で、
もう一度、読みました。

読み返してみると、これからの物語の展開に
符合するような短い言葉やエピソードが
散りばめられていて、緻密に構成されていることに
気づきました。

消えた猫の話とか・・・
中国の門の話とか・・・

これらの短い言葉やエピソードを
本編のストーリーの流れにくっつけてみたり
関連付けてみると、少し解釈も変わってくるような
感じがします。まるで謎解き物語のようですが。

特に最後の最後に描かれる、
すみれとの話をどう読むか?
それによって、この物語の意味も
違ってくるような気がします。

どう読むか?


簡単に答えは教えてくれないし
そもそも、答えなど存在しないのかも知れませんが、
とにかく「深い」テーマがあるような気がします。



喪失感とか・・・

そして、村上春樹の作品に特徴的な恋人や親しい人を
失う「喪失感」について、こんな文章が印象的でした。

人にはそれぞれ、あるとくべつな年代にしか
手にすることのできないとくべつなものごとがある。
それはささやかな炎のようなものだ。
注意深く幸運な人はそれを大事に保ち、大きく育て、
松明としてかざして生きていくことができる。
でもひとたび失われてしまえば、その炎はもう永遠に
取り戻せない。
」(P270)

我が身を振り返ってみると、
10代から20代にかけて感じていた「情熱」というものが
それにあたるような気がします。


がむしゃらに、損得もなく、
ただひたすらに自分のやりたい事や
手にしたい事を追い求めていた日々・・・


失ってしまったことにすら気づかないまま
私は今日に至っているのですが・・・


◎孤独感とか・・・

ぼくは眼を閉じ、耳を澄ませ、地球の引力を唯ひとつの
絆として天空を通過しつづけているスプートニクの末裔たちの
ことを思った。彼らは孤独な金属の塊として、さえぎるものもない
宇宙の暗黒の中でふとめぐり会い、すれ違い、そして永遠に
別れていくのだ。かわす言葉もなく、結ぶ約束もなく
」(P273)

なぜ、この物語のタイトルが人工衛星の名前なのか、
そして、すみれの恋の相手が17歳も年上の女性なのか

物語の中で何度か、人工衛星の話が象徴的に語られるのですが、
そこから感じられるのは、やはり・・・
どうしようもなく運命的な「孤独」ということ。


一人でいるときに「孤独」を感じるのではなく、
むしろ大勢の中にいるときや、
好きな人といるときに「孤独」を感じることが多いような気がします。



村上春樹の作品で、私にとっては象徴的だった
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を
読み返したくなるような、そんな作品でした。

読んでない人にとっては「?」な事ばかり
書いてしまいましたが、
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

タグ:村上春樹
posted by penguin-oyaji at 02:48 | Comment(4) | TrackBack(0) | 読書(小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月05日

現実と仮想現実の間で・・・・「クラインの壺」


Book-No,118
「クラインの壺」

岡嶋二人 著
講談社文庫

T社長の言ったとおり、『クラインの壺』は、
見事に私のツボにはまりました。
その日の夜は眠るのも惜しんで読みふけりました。
ページを操るほどにもっともっと先を読みたくなって、
なんともレベルが低いのですが、
そのとき私は、はじめて小説を一日で
読み終えることができたのです

(「人に好かれる話し方」和田裕美・著 P128より抜粋)

《参考図書》

え〜と、例によって和田裕美さんご推薦の本なのですが・・・
(最近、このパターン多いっすね)

昨夜、寝る前に寝床で読み始めたら、
本当にとまらなくなってしまい
文庫本470ページ、一気読みしてしまいました。。

【あらすじ】(amazonの商品紹介より)
200万円でゲームブックの原作を、
謎の企業イプシロン・プロジェクトに売却した上杉彰彦。
その原作をもとにしたヴァーチャルリアリティ・システム
『クライン2』の制作に関わることに。
美少女・梨紗と、ゲーマーとして仮想現実の世界に入り込む。

【感想とか】

ネタバレ自重で詳しいストーリーとかは
もちろん書けないのですが、
現実と仮想現実の間を行ったり来たりしているうちに
最後は、おぉ〜そうきたか!という感じですね。
・・・って、これじゃ読んでない人には
何がなんだか分からないですよね(汗)

個人的には、こうした「仮想現実」の話って結構好きです。

最初にその面白さに目覚めたのは、
鈴木光司さんの作品
「リング」「らせん」「ループ」を読んだ時でした。

あの貞子が(!)、最後はこういう世界観に結びつくのね・・・
妙に感動した思い出があります。

《参考図書》
 
 
 
 
 


で、

この「クラインの壺」も読みながら・・・

今は、仮想世界の話。

ここからは現実世界の話。

と、ストーリーを追いながら自分の頭の中で
どちら側の世界の話なのかを意識しながら
読み進めていたのですが、
何だかゴチャゴチャになってきてたころで、
どんでん返し!さらにドン!です。

とくにですね〜
どんでん返し!」のところで話しが終わっていたら
まぁ、単に面白い作品の一言で
終わってしまうと思うのですが、

さらにドン!」でこの作品に厚みが出ているように
感じました。何と言うか・・・恐かったですね。

相変わらず筆力が無く、訳の分からん書き方になってしまい
申し訳ない!

ただ、既に多くの方がブログなどのレビューで書かれていますが、
こういう仮想現実の話を読むと、
今の自分は、本当に自分なのか?
自分が生きているこの空間は、現実のものなのか?」と
自問したい衝動に駆られてしまいます。

時々、こんな妙な想像をしてしまうことがあるんです。
自分はグレートサムシングが創り出した
巧妙な仮想現実の中で幻を見せられて
生きているのではないか・・・?と

でも、私の頼りない頭では、そーいう難しい問題は
解決できないので、最後の最後は
我思う、ゆえに我あり」(by デカルト)
この一言で全てを片付けてしまうのですが(笑)

そんな私の戯言はともかく
「クラインの壺」、読まれた方も多いかもしれませんが、
未読の方は是非!お薦めです。

(重要な注意)
面白さのあまり、とまらなくなって寝不足になることが
あるかも知れませんので、ご注意を!

ゴールデンウイークも残り少なくなってきましたね。
楽しまれていますか?
今日も、ありがとうございました。

posted by penguin-oyaji at 14:53 | Comment(4) | TrackBack(1) | 読書(小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月21日

「話し方教室」で出会った、ばななの涙

 

Book-No.111
「キッチン」

吉本 ばなな 著
角川文庫

和田式「人に好かれる話し方教室」アドバンスコースの2回目の
授業を受けてきました(もう2週間も前ですが・・・)

その日、「小説の行間からイメージする力を付ける!」という
レッスンがありました。

「話し方教室」なのに、小説・・・???
と思われた方は、先ずは「和田裕美の人に好かれる話し方」を
読んでみてください。

ボキャブラリーはあるけど使い方が下手な人とか、表現が下手な人に、
私も小説やエッセイを読んでみることをすすめています

(「和田裕美の人に好かれる話し方」だいわ文庫 P133より抜粋)
《参考図書》

各自が持ってきたお気に入りの小説の中から
「景色」「人」「状況」の各テーマごとに、
自分のお気に入りのセンテンスを抜き出して発表し合いました。

私が持っていったのは、「1973年のピンボール」(村上春樹・著)

学生時代の一時期、村上春樹さんの作品を熱心に読んでいたのです。
処女作の「風邪の歌を聴け」から「ダンス・ダンス・ダンス」くらいまでの作品は
殆ど読んだと思います。
その後、私が本を読むこと自体から遠ざかってしまったので、
最近の作品は何も読んでいないのですが・・・・

レッスン終了後・・・
先生からの提案もあり、隣に座っていたSさんと
持ち寄った本の交換(貸し借り)をしました。

Sさんが持ってきていたのが、
「キッチン」と「白河夜船」(共に、吉本ばなな著)でした。

Sさんが言うには・・・
「キッチン」に納められている短編の「ムーンライト・シャドウ」が良いとのこと。

■ムーンライト・シャドウ
(あらすじ)
事故で恋人を亡くしてしまった主人公の女性、さつきが
苦しみながらも、最後は不思議な体験を通して再び生きる勇気を手にする
・・・というのがザックリした粗筋です。
文庫で50ページくらいの短編なので、すぐに読めてしまうのですが、
物語としては「読ませてくれます」

前半では主人公のさつきが突然、恋人(等)を失ってしまった喪失感が
描かれています。

夜眠ることがなによりこわかった。というよりは、目覚める時のショックが
ものすごかった。はっと目覚めて自分の本当にいる所がわかる時の
深い闇におびえた。私はいつも等に関係のある夢を見た
」(P152)

私も若かりし頃、人並みに失恋をしたときには
よく夜、眠っている時にうなされたなぁ・・・(遠い目)

そして物語の後半・・・読んでいて涙がこぼれました。
(割と涙腺が弱いほうなので、すぐに泣くのですが・・・)

不思議な体験を通して、さつきはまた生きる力を取り戻します。

私はもうここにはいられない。刻々と足を進める。それは止めることのできない
時間の流れだから、仕方ない。私は行きます
」(P199)

最後の一行には・・・・泣かされます(涙)

■再生の物語
読み終わってから、何となく映画「黄泉がえり」を思い出しました。
(観ました・・・?)

 

「黄泉がえり」も、この「ムーンライト・シャドウ」も
大切な人と死に別れてしまった人が、不思議な経験を通じて
再びまた生きる勇気を取り戻すという点では似ているかな・・・と。

大切な人を失った後も、
その人が居なくなってしまった世界の中で、
残された者は生きていかなければならない・・・

以前と同じ気持ちで生きていけないとしたら
新たな自分に再生して生きていくのだと思いました。

大切な人が死んだ時、
残された者は心のどこかで、生まれ変わるのかも知れませんね。

そんな事を、感じました。
今日もまた、ありがとうございました。
posted by penguin-oyaji at 22:50 | Comment(6) | TrackBack(0) | 読書(小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月09日

ハードボイルドじゃん!・・・「西の魔女が死んだ」

 

Book-No,109
「西の魔女が死んだ」

梨木 香歩 著
新潮文庫

さ、今日も先週読んだ『小説』の中の一冊です。

「西の魔女が死んだ」・・・私は全然知らなかったのですが、
amazonのレビューがものすごくいっぱい付いていたり、
映画にもなったりしていて、
けっこう有名な作品なのですね。

知ってた・・・?

《あらすじ》
ある事が原因で、学校へ行かなくなってしまった主人公の少女、まいが
(西の魔女と呼ばれている)お婆ちゃんのところへ預けられ、
そこで魔女としての修行をするという、そんなファンタジーっぽい内容です。

■ハードボイルドじゃん!!
上でファンタジーとか書いておきながら
実はこの作品を読みながら、私は「ハードボイルじゃん!」って思いました。

この作品を読んで、「ハードボイルド」なんていうふうに思うヤツも
珍しいと思いますが・・・(汗)

ある事がきっかけで心に傷を負った少女、まいに対して
おばあちゃんは、こんなことを話して聞かせます。

「おばあちゃんはまたにやりとして、
「でも、精神さえ鍛えれば大丈夫」
「どうやって鍛えるの?」
まいは畳みかけるように熱心に訊いた。
「そうね。まず、早寝早起き。食事をしっかりとり、よく運動し、規則正しい
生活をする」」
(P69)

「本当に、大丈夫。悪魔を防ぐためにも、魔女になるためにも、
いちばん大切なのは、意志の力。自分で決める力、自分で決めたことを
やり遂げる力です。その力が強くなれば、悪魔もそう簡単にはとりつき
ませんよ」
(P70)

生きていくうえで、心の「根っこ」になるような大切な考え方、生き方
おばあちゃんは、まいに伝えたかったのでしょうね。

そして更に「考え方」だけでなく、

「「これ、すごいね、おばあちゃん」
まいは、目を丸くさせながら立ち上がって、おばあちゃんの方へ歩いた。
「ジャムをつくるんです。さぁ、がんばって摘んでしまいましょう」」
(P41)

野いちごを摘んで、ジャムの作り方を教えたり

「「まいはこの草の名前を知っていますか?」
と言って、小屋の前に堂々と根を張っている一株の草を指した。
「わかんない。何て名前?」
「クサノオウといいます。いかにも草らしい草でしょう?けれど猛毒です。
気をつけなければなりませんよ」」
(P88)

植物の名前を教えたりして
人生を豊かに生きていくのに必要な知識や技も
まいに教えていきます。

少女が大人に成長するのに大切なことを一つ、ひとつ
おばあちゃんが孫のまいに教えていく。
そして、まいの傷ついた心も少しずつ癒えて、自信を取り戻していきます。

ロバート・B・パーカーが書いた
「初秋」というハードボイルドの傑作があります。
その作品の中では、探偵スペンサーが心を閉ざした少年に
男としての生き方、それに家の建て方やジョギング、料理などを教え込み
少年を自立させていく姿が描かれています。

一人の大人が、子どもへ大切なことを伝えて自立させていくという点では
「初秋」もこの「西の魔女が死んだ」もまったく同じテーマで描かれて
いるのですよね。
だから、ハードボイルドじゃん!なんて思ったのですが・・・

それに・・・
「「まいっ」
おばあちゃんは短く叫んでまいの頬を打った」(P170)
このへんも、ちょっとハードボイルドっぽいし・・・(笑)
《参考図書》

■語り伝えるべきことは・・・

残念ながら、私には子どもはいませんが、(嫁もいない!)
もしも、男の子なり女の子がいたら
どんな言葉で、何を伝えていたのかな?
読みながらふと、そんな事を思ってしまいました。

それと併せて、
小学生だか中学生だった頃に父親に叱られた時の事を思い出しました。
私の父親は普段は無口で、私が悪いことをしたら、
口より先にビンタが飛んでくるようなタイプでした。
しかし、その日は珍しく「そこに座れ」と言って、私を前に
人に優しく、自分に厳しく生きろ!」というような事を
顔を真っ赤にしながら話してくれたのです。

とにかく体で教え込むというのが教育方針だったような感じでしたが、
私が少しは成長して、ビンタではなく言葉で大切なことを
教えてくれたのだと思うのです。

自分の子供や、若い世代に自分が何を語り、何を伝えるべきなのか
そんなことを感じさせてくれる作品でした。

■ラスト3ページ

やはり、何だかんだ言ってもこの作品のキモはラスト3ページだと思います。
思わずジーンとして熱いものが込み上げてきました。。

ネタバレ自粛で、詳しい事は書きませんが、
未読の方は是非ぜひ、お薦めです。

 
今日も、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
posted by penguin-oyaji at 21:58 | Comment(10) | TrackBack(0) | 読書(小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月08日

密室のドタバタ劇・・・「悪夢のエレベーター」

 

Book-No.108
「悪夢のエレベーター」

木下 半太 著
幻冬舎文庫

久しぶりに『小説』を読んだ。

昨年は140冊も本を読んだが、その殆どはビジネス書で
たまに手にしていたのが、ノンフイクションかエッセイ。

前に『小説』を読んだのが、
いつで、何であったのかも思い出せないくらいだから
本当に久しぶり。。

学生時代、立派な活字中毒者だった頃は
遠藤周作、井上靖、井上ひさし、夏目漱石などの正統派から
村上春樹、筒井康孝、司馬遼太郎、
海外ではロバート・B・パーカーやレイモンドチャンドラーなどの
ハードボイルドあたりを読み漁っていたんですけどねぇ。

ところで、長らく小説から遠ざかっていた私が
再び読んでみようと思ったきっかけは・・・

「(前略)ね、和田さん、ビジネス書と並行して小説も読んだほうがいいよ」
「へっ?小説ですか?」
「うん、小説。ビジネス書は平らで表現が少ない。だって要点がまとめて
書かれているし、それが読む側の利点だしね。
だけど小説はね、感情表現や景色の描写が細かいし、読んだ人それぞれが
各自のイメージをつくって読むことができる。これがまぁ、面白いんだよ。
言葉にもっと表現力を身につけたかったら、和田さん、ね、小説読みなさいよ、
小説ね」
(「人に好かれる話し方」 だいわ文庫 和田裕美 著、P131 より抜粋)

昨年、和田さんのこの本を読んでから、
小説も読もう!」と思いつつ、
結局はビジネス書ばかり読み続けてしまい、
なかなか小説を手に取る事はなかった!

そんな折り、「話し方教室」の2回目のレッスンでは
好きな小説を1冊もってきてください
と言われて、ようやく重い腰を上げて
久々に書店の小説の棚に向かったのでした。

さて、いくら学生時代に小説を読み漁っていたとは言え
既に20年も前の話。
何を読んだらよいのか皆目、見当もつかない!
そんな私が、最近何かと頼りにしているのが、コチラのページ
今回はその中から選んでみました。

■密室のドタバタ劇
《あらすじ》
後頭部の強烈な痛みで目を覚ますと、緊急停止したエレベーターに、
ヤクザ、オカマ、自殺願望の女と閉じ込められていた。
浮気相手の部屋から出てきたばかりなのに大ピンチ!?
しかも、三人には犯罪歴があることまで発覚。
精神的に追い詰められた密室で、ついに事件が起こる。
意外な黒幕は誰だ?
笑いと恐怖に満ちた傑作コメディサスペンス。
(amazonの商品説明より転記)

要はエレベーターという密室の中で展開されるドタバタ劇。

作者の木下半太さんは、この作品が処女作という事で
情景描写や人物描写というような点では、読んでいてやや物足りない気もしたが、
それ以上にストーリー展開が面白くて、一気に引き込まれてしまいました。

エライ先生がこの本を読んだら、眉をひそめてしまうかも知れないけど
私としては、こういうのももちろんアリ!

読んでいる途中で・・・
そんなアホな?!
なんやねん、それ?!
と意味もなく関西弁で突っ込みをいれたくなり、
そして、最後には「そうきたか!」と思いつつ
ちょっと背筋がゾクゾクするような意外な結末が・・・!!

後半になると、笑ってばかりもいられないようなシーンも出てくるが、
それでも、追い詰められてしまった時の人の心理や行動は
こうも愚かで浅はかで、滑稽なのかと思わされてしまいます。

本当は、もうちょっと書きたい事もあるのですが、
何せ「ストーリー命!」といった内容ですので、
ネタバレ完全自粛、ということにさせて頂きたいと思います(笑)

上の方で書いたように、ちょっと荒削りという印象は拭えませんが、
「感動」とか「学び」というよりは、
ただ作者が展開するストーリーに身を任せて、楽しんでしまうのが
この本の一番正しい読み方であるように思います。

久しぶりに小説を読んでみて、
こーいう楽しさも良いよねぇ〜」と
読書の面白さ、楽しさというものを
思い出させてくれた作品でした。

posted by penguin-oyaji at 23:27 | Comment(4) | TrackBack(0) | 読書(小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする