2019年10月07日

【ゆうこすスゲー!】「共感SNS 丸く尖る発信で仕事を創る」

共感SNS

「共感SNS 丸く尖る発信で仕事を創る」
ゆうこす:著
幻冬舎

 

ゆうこす・・・・?

ゆうこす・・・・ゆうこす・・・・なんか聞いたことある気がするけど誰だっけ?

 

ある日、Amazonのおすすめに表示されたこの本の表紙を見て、そんなことを思っていた私ですが、本を読み終える頃には「ゆうこすSugeeeeeeee!」ってなってました!!

 

何がそんなに「Sugeeee!」なのか・・・?

 

●Sugeeeその1(メンタル力)

著者のゆうこす、こと菅本裕子さんは福岡を拠点に活動するアイドルグループHKT48の元メンバー。

 

彼女はグループを脱退後、いわれなきデマで炎上を経験しニート生活を送ることになってしまいます。そんな彼女がニート生活を送る中で自分と向き合い、セルフプロデュースを開始し、SNSを武器に成功をつかんでいくのです!

 

どん底を経験しながらも、そこでくじけずに這い上がってきたメンタル力が凄い!

 

●Sugeeeその2(SNS活用力)

今やSNSの総フォロワー数、150万人という彼女がどのようにしてツイッターやインスタグラムなどのSNSを活用していったのか、この本ではそのノウハウが惜しげもなく公開されてます。

 

ツイッター、インスタグラム、YouTube、生配信それぞれの特性を活かしたSNSの活用力が凄い!

 

●Sugeee!(地頭力)

SNSと一口にいってもツイッター、インスタグラム、YouTubeなどはそれぞれ特徴があって同じではないわけです。

 

それぞれのSNSの特徴を見極めると同時に、自分のフォロワーを最終的にファンへと育てていくためにどうすればいいのか?

 

そうした戦略を試行錯誤の中から見つけ出していった彼女の地頭力が凄い!

 

読めばきっと彼女の地頭の良さ、行動力、メンタルの強さに「ゆうこすSugeeee!」ってなると思いますよ。

 

アマゾンの内容紹介

応援される人になるのが成功の最短ルート! 失敗も成功も味わったから語れる、ファンづくりから仕事を切り拓くまでのすべて SNSでいちばん大事なことを、教えてくれる1冊

 

メンタル力・・・人生なんて3年で変わる

壁を壊す

私はアイドルを辞めた後の2015年に「ファンイベント」を行いました。 正直に言います! お金のためです! 当時Twitterのフォロワー数は2万人を超えていたし、元アイドルだし、人は集まってくれるだろうと。3000円のチケットで、100人規模のスペースを借りて。 しかし集まったのは、たったの3人。

「お金のために」開催したイベントに集まったファンが3人。これが2015年の出来事。

その後のニート生活を経て今はどうか?

2016年から自分のやりたいことを失敗と成功を繰り返しながらSNSで一人で発信を続け、2019年2月現在、SNSの総フォロワー数は150万人を超えました。

培ったソーシャルパワーのおかげで、私の人生は激変。

現在は会社を立ち上げ、インフルエンサーとしての発信はもちろん、スキンケアブランドを立ち上げたり、タレント育成や飲食店経営など様々なことに挑戦しています。年商は2億円ほどです!

ある意味「どん底」を味わった彼女がそれで終わらせず、SNSを武器に這い上がってきたメンタルの強さに「Sugeee!」って唸ってしまいました。

 

メンタルの強さといえば、彼女はアイドルグループを脱退した後、いわれなきデマで炎上を経験しているんです。

 

彼女が何かツイートするたびに心ないリプライ(返信)が返ってきていた時期があるとか。さすがに一時期は人間不信になったりもしたそうです。

 

私は経験がないのですが、炎上経験者の話などを読むと相当にキツいものがあるとか。。

 

だけど彼女はそんな炎上の経験さえも糧にしてしまっているのです。

発言をする時は、いろんな立場を想像して俯瞰する。 誰も傷つけない、誰も挑発してない。 けれど、埋もれるような内容ではなく尖っている。「丸く尖る」を意識して発信できるようになってからは、大手クライアントからもお仕事を頂けるようになりましたし、フォロワーさんが本当に温かい人ばかりになり炎上もしなくなりました。

 

ありきたりのことを呟いていれば炎上するようなこともないと思いますが、それでは誰の心にも刺さらないですよね。

 

そこで彼女が見つけ出した答えは「丸く尖る」。

 

私も一応、ツイッターとかではネガティブなことはツイートしないように心掛けているのですが、結果的に誰も傷つけない代わりに誰の心にも刺さらない、そんなありふれたことしか呟けてないなぁ、って感じです。

 

ゆうこす流SNS活用術

スマホを持つ手

ツイッター活用術

実際にその場所に行ったり、買って使ったりしてみたからこそわかる「 情報」を、自分ならではの視点を持った「 感想」と一緒に発信することで、それは見た人にとって「 メリット」のある投稿に変わるのです。

それは、 1ツイート に情報を 集約 すること! 情報と感想以外にも、関連するURLや、画像などをつけてそのツイート1つで完結させるのです。それは、見ている側への情報の拡散の負担を減らす配慮です。

 

ツイッターの特徴の一つは拡散力ですよね。

 

では、拡散されるためにはどうすればいいのか?

 

有益な情報であることは大前提ですが、それ以外に「自分ならではの視点を持った感想」と情報、感想以外の画像や関連URLを一つのツイートに集約することなどが大切なのだとか。

 

インスタグラム活用術

「タグる」とはハッシュタグで検索する、ということ。Googleで検索するのと同じように、インスタの「タグ」で検索するのです。

重要なのは「インスタ映え」だと思っている人が多いですが、実は意識すべきは「インスタ映え」よりも「タグ映え」 なのです。 タグがちゃんと付けられていない投稿は、橋のかかっていない無人島のようなもの。

インスタグラムを眺めるたびに「みんな、なんで鬼のようにたくさんのハッシュタグをつけているんだろう?」と不思議に思っていたのですが、この本を読んで合点がいきました。

 

ツイッターほどの拡散力がないインスタグラムではハッシュタグを通じて、自分の投稿を他の誰かに見つけてもらうんですね(知らなかった。。)。

 

人気のハッシュタグを見つけたうえで、写真にひと工夫するなどの「インスタ映え」を意識することが大切なのだそうです。

 

プロフィールがSNSを制す

全ての入り口はプロフィールです。 プロフィールを制する者がSNSを制する と言っても過言ではありません。

SNSでフォローするかどうかを決めるときに、たいていその人のプロフィールを見ませんか?(私は必ず見ます)

 

プロフィールで大切なのはアカウント名、プロフィールの1行目(キャッチコピーと同じ!)、アイコンなど。これを読んで、私はツイッターやブログなどアカウント取得からずっとプロフィールを放置していたなぁ〜と涙目になってしまいました。。

 

本書では他にもYouTubeや生配信をするときに気をつけるべきポイントがたくさん書かれているので、SNSをやっている人は目を通しておくのも良いかと思います。

 

本質を見極める力(地頭力)

グラフjpg

SNSで夢を実現しようと思ったら、ファンの熱量を持った応援が何よりも大事! フォロワーとファンとの一番の違いは、「熱量」です。

私が多くのSNSを使っている理由は、フォロワーを階層分けしているからです。 逆に一つのSNSだけだと、いずれかの階層の人がきっと不満に思うはずです。

ツイッター、インスタグラム、YouTube、ブログ、生配信、などさまざまなSNSを使いこなしている彼女は、自分のフォロワーを階層分けしたうえで、それぞれのSNSの特徴に合わせて情報を発信しているそうです。

具体的には・・・

  • 拡散性があるYouTubeやツイッター、インスタグラムは新規やライトファン層向け

  • 拡散性は低いけど、想いを伝えやすいブログや生配信はコアファン、マニア層向け

・・・といった具合。

 

このあたりは読んでいて、とても戦略性のようなものを感じました。

 

SNSでフォロワーを増やすには「共感できる情報の発信」と「相手へのメリット」が必要だと書かれていますが、それに加えてフォロワーを階層ごとにきめ細かく対応していくなど、分析して戦略を組み立てるなど彼女は本当に地頭力があるんだなぁ、と思いました。

 

感想に代えて・・・ペンギンオヤジがゆうこすになれないたった一つのワケ

世界といいね

この本って「羊の皮をかぶった狼」みたいな1冊だと思うんですよね。

 

元アイドルが書いた内容の薄い本かと思いきや(表紙のデザインを見てなんとなくそう思った・・・)、とんでもなく内容が濃くて、勉強させられたり刺激を受けたり「読んで良かった」と思いました。

 

この本を手に取る人って、SNSで目立ちたい!「いいね」がいっぱい欲しい!SNSを活用して仕事をしたい!そんなことを思っている人が多いかもしれませんね。

 

あまりご紹介できませんでしたが、著者が試行錯誤を繰り返しながら身につけてきたSNSの実践的なテクニックが「これでもかっ!」というくらいに詰め込まれています。

 

だけど、そういう小手先的なテクニックを真似すればだれでもSNSで有名なれるのか?

 

もちろん他にも発信者の「想い」や「熱量」、あるいは「人がら」のようなものも大切で、それについてもちゃんと本書の中で触れられています。

 

だけど、だけど、だけど、

 

SNSで(・・・に限らず何事においても)大切なこと。

 

いかに続けられるか。最後まで何があってもやり遂げられるか。継続力。

これは発信者に必要です。

しかし、発信者は孤独でもあります。

不安や悩みを誰に相談したらいいのかわからない。一人で頑張り続けるのは辛い。

 

ペンギンオヤジがゆうこすになれないたった一つのワケ、それは「継続力」これですよ!

 

私、このブログもツイッターも一応、10年選手です。

 

でも、中断していた時期が何度もあって、とてもとても継続してやり続けたというようなものではありません。

 

当然のことながら、10年やっていてもフォロワーもブログのアクセス数もさほど伸びていません。。(ダメじゃん>自分)

 


 

10年前、私がTwitterを始めた頃は嬉々としてドロリッチなう!」とかツイートしていたし、「帰宅ッター」とか「晩飯なう」というツイートがTLに流れていて、今にして思えばずいぶんと牧歌的だったように思います。

 

※「ドロリッチなう」はわかる人がわかってくれればいいです(笑)

 

その頃は新らしいオモチャが登場した!くらいにしか思っていませんでしたが、今ではSNSを活用して「夢をかなえる」「仕事を創り出す」そんなことが夢物語ではない時代になっていることを、本書を読んで改めて感じました。

 

「ネットで稼ぐ」というと、ひと昔前は「怪しい!」って感じでした。でも、今ではネットを活用して個人で稼ぐということも当たり前になりつつありますよね。

 

副業を解禁する企業が増えている現在、これからネットやSNSを活用しながら仕事をする人って増えていくんでしょうね。

 

そういうSNSを活用して仕事をしたい!っていう人にとって本書はまさにバイブル的な1冊になると思います。

 

だけど、SNSでそんなにガツガツしたくない、そういう人もいると思います。

 

だけど、ちょっとしたひと工夫で自分の発信力がアップするのだから、ゆうこすの言葉に耳を傾けてみる価値は充分あると思いますよ。

 

長々と失礼しました。。おわり。

 

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2019年09月06日

【お金・稼ぎ方】「人生100年時代の稼ぎ方」勝間和代・久保明彦・和田裕美:著

100年稼ぐ

「人生100年時代の稼ぎ方」
勝間和代・久保明彦・和田裕美:著
アチーブメント出版

 

厚労省が公表したデータによる2018年の日本人の平均寿命は男性81.25歳、女性は87.32歳で過去最高を更新し、世界でもトップクラスだとか。

 

ちなみに、2018年9月15日時点での100歳以上の人口は約7万人。 この100歳以上のご長寿さんも年々増えているそうです。

 

こうして長生きする人がどんどん増えていって、いつの頃からか「人生100年時代」なんていう言葉をよく耳にするようになりましたね。

 

まぁ、「人生100年時代」と言われている割に多くの人は80歳ちょっとで亡くなっているんですけどね。

 

・・・という揚げ足どりは横に置いといて。

 

100歳まで生きるかどうかは別として、長く生きる人が増えているのは事実。

 

長生きできるのは良いことかもしれないけど、お金のことや健康のことなど色々と心配事もありますよね。

 

「人生100年時代」と言われても、何をどーしてよいのやら?という人は是非、この本を読んでみてください。

 

勝間和代、久保明彦、和田裕美という魅力的な3人の著者が100年時代の生き方、稼ぎ方、働き方について語ってくれています。

 

 

アマゾンの内容紹介

2018年秋に開催された「エンジン01in釧路」。知の交流をテーマに、有識者200人が登壇する一大シンポジウムで最も早く完売し、超満員の聴衆を動員したのが、特別講座の『人生100年時代の稼ぎ方』。三人の著者が熱く語った、次世代でも力強く稼ぎ続けるために必要な思考と行動とは!?大人気講座の内容を大幅に加筆して、完全収録!

 

人生100年時代に「稼ぐ」よりも大切なこと

サンセットヨガ

AngelBreathさんによる写真ACからの写真

 

人生100年時代で皆さんが抱えている最も大きい不安は、お金に関することだと前述しましたが、 優先順位を上げて対策を立てるべきなのは、「健康」です。

人生100年時代に大切なことは何か?

 

金融庁が発表したレポート、いわゆる「年金2000万円問題」で世間やマスコミが大騒ぎしたのは記憶に新しいところだと思います。

 

あの騒ぎっぷりをみていると、やはり「お金の問題」を一番に心配する人が多いように思うんですよね。

 

でも、私は「優先順位を上げて対策を立てるべきなのは、「健康」です」という勝間和代さんの言葉に全面的に賛成です。

 

「お金」より「健康」です!

 

お金があっても、病気になったり足腰が弱って寝たきりになったら幸せな老後とは言えないじゃないですか?

 

健康であればお金だって稼げる!遊びにも行ける!好きなこともできる!

 

だけど、健康を害して病院を出たり入ったりを繰り返して医療費にお金が消えていく!足腰が弱って要介護状態になって好きなこともできない。。

 

どちらの未来が欲しいですか?

 

わたしが日々、徹底的に管理しているのは「睡眠」「食事」「運動」です。月並みですが、やはりこの3要素を管理すると、体調が格段に変わります。

では、健康であるために何をすればよいのか?

 

勝間さんは健康のために睡眠、食事、運動を徹底的に管理しているといいます。

 

これらの健康管理方法については勝間さんは「勝間式超コントロール思考」で突っ込んだ説明をされていて、本書ではその本のエッセンスが詰め込まれているような印象を受けました。

 

本書を読んでみて、もっと詳しく知りたいなと思った方は是非とも「勝間式超コントロール思考」の方も読んでみるとよいと思います。

 

《関連記事》

【ライフハック】「勝間式超コントロール思考」

 

お金は稼ぐもの

お札を掴む手

bBearさんによる写真ACからの写真

お金は「あればいい」というものではありません。ただひたすら持ち続けていればいいわけでもありません。 お金は、生み出すもの、つまりは稼ぐもの≠ナす。

「お金は生み出すもの、稼ぐもの」という、この和田裕美さんの言葉。とても深い!って思うんですよね。

 

だって、想像してみてください。

 

老後、少しずつ減っていく通帳の残高。2か月に一度、年金が振り込まれるとはいえ、元気駅時代の半分程度しかもらえませんから持ち出しになれば残高は減っていくのです。。

 

体は年々よわっていき、残高は減っていく。。

 

不安とか恐怖しかないじゃないですか。

 

よくお金について「ストック」と「フロー」に分けて説明している本があります。

 

「ストック」というのは預金(貯金)のことですね。どれだけ蓄えがあるかということです。

 

「フロー」は収入のことです。つまり、稼ぎのことです。

 

老後を「ストック」だけに頼って「フロー」は年金収入だけにしてしまうと、減り続ける預金残高の恐怖に付きまとわれてしまうような感じがするんです。

 

そうならないためにも、リタイアした後も稼げるようにしておくことが大事。

 

お金の心配をするなら、せっせと貯めこむことも大切かもしれないけど同時に稼ぐことも考えておかないと・・・ですね。

 

100年稼ぐためにやるべきこと

人生100年指さし

ラッキーエースさんによる写真ACからの写真

 

会社の名前を出さず、自分の名前とスキルだけで、どれだけ世の中に通用するか? そう考えたことはあるでしょうか。 全てのレッテルと所属を外したときに勝負できる。それが、「個人ブランド」です。

人生100年時代の稼ぎ方でキモになるのは会社に頼らずに稼げるか?という点だと思うのです。

 

会社勤めをしていれば、取り敢えず収入は保障されてるじゃないですか。

 

だけど、65歳で会社を離れた後で稼ごうと思った時、会社も肩書きもないわけですよ。

 

そんな状況で稼ぐためには個人のブランド、個人の実力、個人のスキルだけが頼りです。

 

定年を迎える前に、そういったことを自覚して個人で稼ぐための考え方やスキルを身につけておくのはとても大切な気がします。

 

すべてのベースとなる「4つの管理」についてぜひお伝えしたいと思います。 「健康管理」 「時間管理」 「金銭管理」 「感情管理」 この4つは、稼げる人間になるためには絶対に必要な要素

この本の中では3人の著者がそれぞれに個人の稼ぎ力を身につけるための考え方や方法などが語られています。

 

和田裕美さんは、稼げる人になるための「4つの管理」について語っていますし、本書の後半では

 

  • お金の基本ルールを知る
  • 稼げる3つの条件を知る
  • プライドよりも結果を出す行動を優先する
  • 稼ぐ環境は自ら選択する

 

など100年稼ぐためにやるべきことが12項目にわたって語られています。

 

デジタルおもてなし力

パソコン作業

photoBさんによる写真ACからの写真

最も手っ取り早くお金になるのが「メルカリ」などのフリマアプリを使って、家にある物を売ることです。何かを売ってお金を得ることも、自分でお金を生み出すことに変わりはないので、副業と考えてOKです。

「個人で稼ぐ」ときに今の時代、ネットは有効なツールだと思うんですよね。

 

ちょっと前は「ヤフオク」今なら「メルカリ」。そうしたネットのサービスを使って不要なものを売って現金化するのも「副業と考えてOK」と和田さんは言います。

 

まぁ、だからといって(度を越した)「転売ヤー」になってはいけないと思いますが。。

 

実はわたしも、ブログのアフィリエイト(ネット広告)で1日1万円、月 30 万円稼ぐことを目標にしています。実際には、まだ1日7000円ぐらいです。

最近はYouTuberとしても活躍されている勝間さんも本書の中ではブログで稼ぐ目標を掲げられています。

 

私のこのブログ、なんだかんだで始めてから10年以上たちますが、ゆるゆるで更新頻度もいい加減ですからアフェリエイトはほとんど発生していません。10年やって千円くらいかな?(笑)

 

でも、個人ブロガーでもちゃんと戦略を立てて、きちんと更新している人なら月に数万円くらいは稼げるようだし、中には1か月のブログ収益が100万円を超えている人もいたりします(あやかりたい!)。

 

話しを元に戻します。。

 

「ネットで稼ぐ力」についてスキルやテクニックを説いた本やネット記事はいくらでもあります。

 

でも、この本の中で和田さんが「デジタルおもてなし力」と名付けて、ネットの向こう側にいる「人」に対してどのように接するのが良いかということにも、ちゃんと書かれています。

 

ネットで稼ぐといっても、最終的にモノやスキルを買ってくれるのは「人」ですからね。 「デジタルおもてなし力」・・・忘れてはいけない大切な視点だと感じました。

 

感想(平均寿命と健康寿命)

空を見上げるシニア夫婦

akizouさんによる写真ACからの写真

 

「人生100年時代の稼ぎ方」・・・いったい何歳まで働けばいいだよ?!という声が聞こえてきそうですが。

 

この本を読んでいて私が思ったのは「人生100年時代」といわれるくらい長生きできる時代になったのだから、その変化に合わせて個人の考え方も変えていかなければいけない!ということ。

 

周りを見渡したときに、第一線を退いた後も生き生きと活躍しているシニアの方が増えているような気がします。

 

そういう人たちを見ていて思うのは、何歳になっても社会とつながって活動されている人って元気だな、ということです。

 

上の方で日本人の「平均寿命」のことを書きました。男性が81歳、女性87歳です。

 

それに対して「健康寿命」はいくつかというと、男性が72歳、女性が75歳くらいという調査結果があります。

 

「健康寿命」というのは「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」のことだそうです。つまり、何歳まで元気で生活できるかということですね。

 

私が思うに、この「健康寿命」をどれだけ伸ばせるかというのがこれからは大切じゃないかと。

 

そして、元気で健康であるためには定年後も社会とつながって活躍していることって大切なことなんじゃないかという気がするのです。

 

年金だけでは生活できないから・・・というとネガティブなイメージですが、健康で元気でいるために働くと考えれば「前向き」な気持ちになれるのではないでしょうか。

 

この本。講演会をまとめたもので、3人の著者の共著ですから、内容も薄く広くという感じがあるし、話しの方向も一直線ではなくちょっとまとまりに欠けるかなという気もします。

 

だけど、「人生100年」という変化の時代に自分はどう対応すれば良いのか?という視点で読むと色々なことを考えるきっかけになる1冊ではないかと感じました。

 

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2019年09月01日

【癌・病気】「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」幡野広志:著

ぼくたちが選べなかったこと2

「僕たちが選べなかったことを、選びなおすために。」

幡野広志:著

ポプラ社

 

「癌は自分の余命がわかるから、最期を迎えるまでに人生の整理をして親しい人とお別れができる点が良い」という人がいる。

 

確かに心筋梗塞やくも膜下出血のように突然亡くなってしまう病気と違って、癌は告知されてから最期の時を迎えるまでの間に「余命」という時間があることが多い

 

しかし、余命があるが故の苦しみや闘いもある。

 

例えば、想像を絶する身体の痛み。悪意のない人から投げつけられる言葉に傷つく心の痛み。

 

そして、安楽死を選択をするくらいの苦悩。

 

多発性骨髄腫という血液のがんで余命宣告を受けた著者が書いたこの本には、死を前にしながら「いかに自分の人生を選び取るか」ということが赤裸々に綴られている。

 

今回は現在、舌癌の闘病生活を送っている私が癌患者という視点でこの本を読んだ時に感じたことをまとめてみました。

 

 

アマゾンの内容紹介

自分の人生を生きろ。写真家で猟師のぼくは、34歳の時に治らないがんの告知を受けた。後悔はない。それは、すべてを自分で選んできたからだ。家族、仕事、お金、そして生と死。選ぶことから人生は始まる。

 

患者の傷口をえぐる善意

割れたハート

toraemonさんによる写真ACからの写真

 

今や日本人の2人に1人が生涯のうちに1度は癌になり、3人に1人は癌で死ぬといわれている。

 

ある意味、国民病といってもよいくらいだけど、癌という病気について、あるいは癌患者の心理についてよく知っている人はとても少ないように思う。

 

例えば、親や兄弟、あるいは最愛の人が癌になってしまった時にどのように接すればよいか?

 

なんとか励ましたい!力になりたい!という善意の気持ちがあったとしても、結果的に癌患者の心を傷つけるようなことをしてしまう人もいるのだ。

 

がんを公表して以来、ぼくの元には「奇跡」の情報が殺到した。 うんざりするほどたくさんの代替療法、民間療法、食事療法、健康食品、サプリメント、気功、鍼灸、マッサージ、祈祷、お守り、パワースポット、開運グッズなどの情報が寄せられた。

 

ある意味、癌患者「あるある」なのかもしれないけど、癌にかかったことが友人・知人の間に知れ渡ると「これは癌によく効くんだよ」といって、健康食品やらサプリメントなどを熱心に勧めてくれる人がどこからともなく現れる。

 

もちろん、そうした人たちに悪意がないのは分かっている。「あなたのために・・・」という善意からさまざまな情報を教えてくれているのだ。

 

しかし、善意であることが分かっているだけに始末が悪い。

 

私が舌癌になった時も数人だけだったけど、癌や抗がん剤治療に効果があると健康食品、サプリメントの情報をネット経由で届けてくれた人がいた。

 

私も最初のうちは癌治療についての知識が乏しかったこともあり、そうやって勧められたサプリのうちいくつかを試してみたりもした。

 

だけど、癌について色々な本を読んだりして勉強しているうちに段々と分かってくるんですね。

 

そういった健康食品やサプリメントに大した効果がないってことが。

 

そうなってくると、良かれと思って熱心に(そして何故か継続的に)時間をかけて書いてくれたメールが届くたびに、対応に苦慮するようになった。

 

さらに始末に悪いのは、そうした健康食品やサプリメント、代替療法などを信じて頼った結果、却って病状が悪化したり時には死に繋がってしまうことが決して少なくないのだ。

 

信じられないかもしれないが、世の中には癌になったら病院で抗がん剤などの治療は受けずに、そのまま放置せよ!と書かれた本が売られているのだ。

 

そんな情報を大切な人に知らせて、もしもそのまま死んでしまったらどう責任を取るつもりなのか・・・?

 

大切な人の力になりたいという気持ちは分かる。

 

だけど、自分が医者とかでないなら軽々しく「これが癌に効く」などと言葉に出さないで欲しいと私は思う。

 

なぐさめも応援もいらない。ただ寄り添っていて欲しい

寄り添うハート

ミスタさんによる写真ACからの写真

 

いくら力になりたいからといって、安易に不確かな情報を癌患者に送りつけるな!と書いた。

 

それならば、励ましの言葉くらいはいいだろうと思うかもしれない。

 

しかし、それもまた時に患者の心を傷つけることがあるのだ。

 

がんになって以来、ぼくは大勢の人たちからたくさんの応援や励ましを受けてきた。
「きっと治るから、元気を出して」
「奥さんやお子さんのためにもがんばって」
「弱気になっちゃだめ。気を強く持って」
「奇跡を信じて」
夜も眠れないほどの痛みに苦しんでいるとき、こんな安易なことばを投げかけられると、心底うんざりする。

 

さすがに全ての癌患者がこんなふうに思っているわけではないと思うが、ふつうなら何でもない一言が癌患者の心を傷つけることはあると思う。

 

例えば、私の場合だが知人から次のようなことを言われた時には思わずカチンときてしまった。。

 

「死ぬときは死ぬからね」

 

「死ぬまで生きてる」

 

自分が癌になっていなかったら、何も考えずにスルーしてしまうような言葉だ。

 

きっと、知人もなんで私が怒ったのか理解に苦しんだだろう。

 

軽い冗談のつもりだったり、天気の話をするくらいの感覚で、傷口をえぐってくる。

 

人にもよると思うけど、軽い冗談のような言葉に傷つく人もいるのだ。

 

それは、たぶん癌患者とそうでない人では見えている景色が違うからだと思う。

 

しかし。

 

さすがに、ここまで書くと「それじゃ、一体どうやって癌になった友人と接すればいいんだ?」と多くの人が思うだろう。

 

緩和ケアの看護師さんは、一度として「がんばって」とは言わなかった。
こちらがどれほどの痛みに耐え、恐怖に震え、孤独や絶望と闘っているかよくわかっているからだ。代わりに看護師さんは、「ぼく」の話に耳を傾けてくれた。

 

これだ。

 

よく女性が思う優しい人というのは自分の話しをじっくり聞いてくれる人だというが、まさにそれである。

 

下手ななぐさめも応援もいらない。

 

ただ、ただ、話を聞いてくれれば、それでいいのだ。

 

実際、私も入院中にはよくそんなふうに思っていた。

 

「何か困ったことがあったら、声をかけてね。話しを聞くくらいなら出来るからさ」

 

これだけで充分なのである。

 

感想(「治るがん」と「治らないがん」)

分岐点

D:5さんによる写真ACからの写真

 

癌と一口に言っても「治る癌」と「治らない癌」がある。

それぞれ境遇も悩みも違う。一括りにして語ってはいけない。

私は今のところ「治る」側にいるけど、いつ向こう側に行くか分からない不安は常に心の何処かにある。

 

これはこの本を読み終えた時に投稿した私のツイートだ。

 

私は2017年にステージ3の舌癌になりましたが、幸いにも「治る(見込みのある)癌」だった。

 

対して、この本の著者は「治らない癌」になってしまった。。

 

癌という病気でも、治る側と治らない側ではこんなにも見えてる世界が違うのか・・・

 

これがこの本を読み終えた時の私の正直な感想だ。

 

著者はあまりの痛みから自殺を考えたというし、最後には安楽死を選択するということをこの本の最後に書いている。

 

この安楽死を選択する理由も「痛みに耐えられない」「残り少ない人生に絶望した」という単純なものではないことに、私はおどろいたし最後には共感はしないけど、納得することはできた。

 

今のところ「治る側」にいる私は、自殺とか安楽死なんて一度も考えたことはないし、周囲からの励ましの言葉に対しても著者ほど拒絶感をもったこともない。むしろ、感謝したことの方が多いと思う。

 

なぜ、これほどまでに見える世界が違うのか・・・?

 

診断結果は、多発性骨髄腫。 治らないほうの、がんだ。 「・・・・難治性って、実際どれくらい生きられるんですか?」 ぼくの質問に担当医は、「個人差はあるものの、中央値は3年です」と答えた。

 

日常生活を送る中でも私たちは無数の決断や選択をしているとよく言われる。

 

朝は何を食べようか?

 

今日はどんな服を着ていこうか?

 

夜は誰と食事をしようか?

 

などなど。

 

だけど思うに、そういった決断は明日も明後日も、1年後も人生は続いているという前提があるんだと思う。

 

しかし、「余命3年」と人生を区切られたらどうだろうか?

 

少なくとも、選択するもの、決断することが違ってくるのではないかと思う。

 

たぶん、人生の時間を区切られたことで本当に自分が大切にしたいものを選び取るようになるのではないか?

 

だからこそ、治る側にいる私と治らない側にいる著者とでは見える景色が違うのだ。

 

そして思う。

 

この本が癌でない人にも広く読まれているのは、本当に大切なものを選びとって人生を送っているか?という普遍的とも言える著者からの問いかけが多くの人の心に刺さるからではないかと。

 

(おしまい)

 

《関連記事》

【家族・親子関係】「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」幡野広志:著

こちらの記事では、この本の中から親子関係や人間関係について著者がどのような考えで何を選びとったのかについてまとめてあります。

 

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2019年08月25日

【家族・親子関係】「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」幡野広志:著

ぼくたちが選べなかったこと

 

「僕たちが選べなかったことを、選びなおすために。」

幡野広志:著

ポプラ社

 

多発性骨髄腫という血液のがんで余命宣告を受けた著者が書いた本。

 

いわゆる闘病記的な内容かと思って手に取り読んでみたのだけど、実際は闘病記という範囲に収まらないもっと深い内容で色々なことを考えさせられた1冊でした。

 

病気のこと、家族のこと、死生観のことなどなど。

 

とりわけ家族・親子関係のことについては少しばかり衝撃的な言葉が並び、アマゾンのレビューを見ても、親子関係に悩んでいた人からの投稿が多い印象です。

 

色々な要素が詰まったこの本から今回は家族や親子関係について感じたことを書いてみたいと思います。

 

 

アマゾンの内容紹介

自分の人生を生きろ。写真家で猟師のぼくは、34歳の時に治らないがんの告知を受けた。後悔はない。それは、すべてを自分で選んできたからだ。家族、仕事、お金、そして生と死。選ぶことから人生は始まる。

 

そもそも家族って誰と誰のこと?

ファミリー

家族とは「親子」の単位ではじまるものではなく、「夫婦」の単位からはじまるものなのだ。同性婚を含め、自分で選んだパートナーこそが、ファミリーの最小単位なのだ。

NASA(アメリカ航空宇宙局)では宇宙飛行士をサポートするにあたり「家族」をどのように定義しているかについて本書の中で触れられています。

 

家族を「直系家族」と「拡大家族」の2つに分類していて「直系家族」の定義は以下の通り。

 

  • 宇宙飛行士の配偶者
  • 宇宙飛行士のこども
  • そのこどもの配偶者

 

つまり、「直系家族」には血の繋がりのある両親、兄弟は含まれていないのです。

 

著者は知人からこの話を聞き「家族は選ぶことができる」と考える一つのきっかけになったと書いています。

 

この定義をどう考えるか・・・?

 

思うに、NASAでは親子、兄弟という血縁関係ではなく、夫婦お互いがパートナーとして選んだ婚姻関係をファミリーの基本として考えているということではないでしょうか?

 

不勉強なので的外れな見方かもしれませんが・・・私が思うに家族を夫婦の単位で考えるのはキリスト教の影響があるような気がするし、対して日本のように親子関係に重きを置くのは儒教の考え方がベースにあるような気がします。

 

ちなみにですが、日本の民法では「親族」の範囲を以下のように定めています。

 

  • 6親等内の血族
  • 配偶者
  • 3親等内の姻族(姻族・・・配偶者の血縁者)

 

でも、「家族」を定義している法律はないとのこと。

 

《参考ページ》

親族の法的な範囲(親等)を家系図を元に説明!血族・姻族との違いも

 

民法で定める親族は遺産相続などが絡んでくることもあってか、配偶者の血縁者(3親等)より身内の血縁者(6親等)を重視している印象があります。

 

やはり、それだけ「血の繋がり」って重いんですね。

 

親子関係にまつわる生きづらさ

喧嘩

子どもは、一度でも親から理不尽な暴力を受けると、二度と親のことを好きになれないものだ。その記憶はずっと残り続けるものだ。ぼくは父親が亡くなるまで、彼のことを好きになれなかったし、いまでもその思いに変わりはない。

 

「血の繋がり」とりわけ親子関係は身近なものなので、人によってはそれを苦痛に感じている人もいるのだと思います。

 

虐待、暴力、無関心、過剰な干渉、もろもろの理由で「親を愛せない」「あいつは自分の親なんかじゃない」という人も世の中には多くいるように思います。

 

他人ならば、切って捨ててしまえばいい。だけど、血の繋がりの重さがそれを躊躇させる。

 

そして、親が病気になったり、介護が必要な状態になった時、親を愛せないこどもはどうしたらいいのでしょう?

 

でも、子どもには親の面倒をみる義務があるだなんて、育ててもらった恩を返せだなんて、おかしいですよね。わたしたちは、親の老後を世話するために生まれてきたわけじゃない。介護するために育てられたわけじゃない。親の面倒をみるのが嫌なんじゃなくって、それを恩とか義理とかの価値観で縛られるのが嫌なんです」

 

「親の老後を世話するために生まれてきたわけじゃない。介護するために育てられたわけじゃない」もっともである・・・としか言えない。

 

だけど、看病もしない、介護もしないこどもは世間から「親不孝者」というレッテルを貼られてしまうじゃないですか。

 

自分の考えと世間のギャップに生きづらさを感じている人って多いんでしょうね。

 

家族を選びなおす

Family

ぼくは 、家族もまったく同じだと思う 。少なくとも 「そこに生まれてしまった以上 、永遠に逃げられない場所 」だなんて 、ありえないと思う 。ぼくは自分の人生を自分で選んでいきたいし 、自分の居場所も 、自分の家族も 、自分の手で選んでいきたい 。それはぜったいに 、可能なことなのだ 。

 

この本を読んで家族ってなんだろう?改めてそんなことを考えてみました。

 

同居していない親は自分の家族なのか?

 

お互い結婚して自分の家族を持っている兄弟は家族なのか?

 

同居しているおじさん、おばさん、あるいは従兄弟などは家族と呼べる?

 

きっと、答えは人それぞれなんだと思う。

 

だけど、一緒に住んでいるかどうかで家族が決まるわけではないように思う。

 

突き詰めて考えれば、家族かどうかを決めるのは本人がどう思っているか?だろう。

 

たとえ一緒に住んでいても「あの人は自分の家族じゃない」と思えば、親子関係にあってもそれは家族とは呼べないのかもしれない。

 

著者は「家族とは選ぶもの」だという。

 

仮に夫婦関係がこじれたらなら離婚することで関係は解消できる。結婚も離婚も自分の意思で「選ぶ」ことができる。

 

だけど、親子、兄弟という血の繋がりは「永遠に逃げられない」。つまり自分の意思で「選べない」というふうに考えている人が多い感じがします。

 

それにもしも何かの事情で親子、兄弟の縁を断ち切ったとしても「逃げた」「断ち切った」というネガティブなイメージがついてまわるような気がしませんか?

 

「家族とは選ぶもの」という著者の言葉の裏には「永遠に逃げられない」と考えられてきた呪縛から解き放たれたい!もっと自分の意思で自由に生きたい!そんな思いがあるように私には感じられました。

 

感想

標識

家族とは、「与えられるもの」ではなく、「選ぶもの」なのだ。 もしも改善の余地がない関係だったとしたら、たとえ親子であっても、その関係を断ち切ってかまわないのだ。

 

親子の縁を切る・・・だいぶ重たい話だし、堂々と公言するには勇気がいる言葉でもあるように思います。

 

実際、著者にとって母親は尊敬できる相手ではなく、幼少期に母親に受けた仕打ちに傷ついたようなことも書かれています。

 

この本を読みながら、家族は自分の意思で選ぶことができるという著者の考えは単に親を愛することができないからなんだと思っていました。

 

しかし、「あとがき」にある次の文章を読んだ時に果たして本当にそうなのか?と自分の考えに疑問を感じたのです。

 

自分が病気であと数年しか生きられないとわかったとき 、ぼくは自分が死ぬよりも先に 、母に死んでほしいとおもった 。冷たい人間とおもわれるかもしれないが 、本音だ 。

 

いやな話はさっさとすませてしまおう 、多発性骨髄腫であると早々に告げた 。母は元看護師だ 、この病気がどういうものか知っていたのだろう 。ぼくの話を聞いた母は 、少し黙ったあとに怒りの感情をあらわにして 、席を立ち帰ってしまった 。 (中略) 病院のレストランを最後に母とは一度も会っていない 、もう二度と会うつもりはない

 

著者は骨髄腫で余命宣言を受けているのです。

 

自分の命が残り数年である時に積極的に親子関係を断ち切ろうと考えるその訳は、もしかしたら親を愛せないから・・・ではなく、親を愛しているからなのではないのか?

 

わたしにはそんなふうに思えたんですよね。

 

自分より先に親には死んでほしい。

 

もう二度と親とは会わない。

 

一見、冷たく感じられるこれらの言葉の裏には、自分が苦しんで死ぬ瞬間を母親には見せたくない、悲しませたくない・・・そんな思いが隠されているのではないか?

 

もちろん著者の真意は私には分かりません。単なる私の読み違いかもしれません。

 

だけど、「死」を前にして過去・現在を見つめ、その意味を問い直し、そして残り少ない未来を「運命」としてではなく自分の意思で生きようとしている著者の姿に私は改めて家族の意味や自分の生き方を考えさせられました。

 

何かに流されるのでなく、自分の意思でちゃんと生きているのか?と。

 

(おわり)

 

《関連記事》

【癌・病気】「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」幡野広志:著

こちらの記事では現在、舌癌の闘病生活を送っている私が癌患者という視点でこの本を読んだ時に感じたことをまとめてみました。

 
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2019年07月04日

【年金】「「年金問題」は嘘ばかり」高橋洋一:著 PHP新書

年金問題

「「年金問題」は嘘ばかり」ダマされて損をしないための必須知識
高橋洋一:著
PHP新書

今年(2019年)6月に金融庁が発表した、いわゆる「老後2000万円問題」のレポートが大きな話題になりましたね。

 

テレビを見ているとワイドショーなどはこの話題を来る日も来る日も大きく取り扱って放送してました。

 

そして遂には「年金返せ!」とデモをする人まで現れました。

 

「あなたは年金の仕組みや制度について理解していますか?」 おそらく、「よくわからない」と答える方が多いはずです。 (本書「プロローグ」より)

 

年金問題を扱っているワイドショーを見ながら、私は何だか漠然と「ちょっと違うんじゃないかな?」と違和感を抱いていました。

 

でも、自分も年金のことをちゃんと理解しているかというと実はよく分かっていないので、その違和感の正体が何であるのかを言葉にすることができませんでした。

  • 年金制度とはそもそも何であるのか?
  • 本当に年金制度は危ないのか?
  • 将来、自分はいくらくらい年金を受け取れるのか?

そういった年金の諸々のことを、これを機会にちゃんと知っておこう!と思い、この本を手に取りました。

 

読んでみると、とても分かりやすくて今まで何となくモヤモヤしていた年金のことがスッと理解できました。

 

 

アマゾンの内容紹介

多くの人は国の「年金」に不安を抱えています。「もらえなくなるのではないか」「損をするのではないか」「破綻するのではないか」・・・。

しかし、それは「誤り」だと、著者は明快に喝破します。そもそも「年金」とは「保険」であり、その性質さえ知っていれば、すべてわかるし、ダマされることはないのだ、と。

 

著者について

著者、高橋洋一氏の現在の肩書きは数量政策学者、嘉悦大学教授。

 

東大の数学科を卒業した後、大蔵省(現・財務省)に入省。年金数理・保険数理を理解していた著者は省内で「年金数理の専門家」と思われていたくらい年金制度には詳しいそうです。

 

また、毎年誕生日が近づいてくると送られてくる「ねんきん定期便」の生みの親でもあるとのこと。

 

そもそも年金制度ってどういうもの?

年金手帳イラスト

モッファさんによるイラストACからのイラスト

 

年金は保険である

「年金は、福祉である」と思っている人はたくさんいますが、年金の本質は、「年金保険」という「保険」なのです。

ひと言でいえば、公的年金は「長く生きた人を保証する保険」です。どうやって保証するかというと、「早く死んでしまった人」の保険料を、「長生きした人」に渡して保証するのです。

この本を読んで思ったのですが、今回の「老後2000万円問題」はそもそも保険である年金を福祉と思い込んでいるところにボタンの掛け違えがあるような気がします。

 

でも!

 

そう思い込んでしまう人がいるのもムリはないとも思うんですよね。

 

年金は国民皆保険なので会社勤めをすれば「そもそも年金は・・・」という説明もなく、否応なしに給与から天引きされてしまうじゃないですか。

 

「お願い!入って!」と言って泣きついてくる保険会社勤めの友人だって一応の説明はしてくれます。

 

だけど、年金について誰かからちゃんと説明を受けた記憶ってないんですよね。。(大事なお金を取られるのに!!)

 

保険なら「老後まるっと保証して!」

「年金は保険である」そのことは分かった。保険だったら何で老後の生活をまるっと保証してくれないのか?と思わないですか?

 

これって、裏を返すと「まるっと保証」してくれるほどの保険料を支払ってますか?っていうことになるんですよね。だって、保険なんだから。

 

<保険の原理>
・保険料を多く納めた人→保証額(年金)多い
・保険料を少し納めた人→保証額(年金)少ない
・保険料を納めなかった人→保証(年金)なし(公的保険は例外あり)

この本によれば「毎月納めている保険料の二倍くらいが、将来、毎月受け取る年金額になる」そうです。

 

アバウトにいうと、厚生年金の場合は月給の約2割を保険料(ちなみに労使折半)として支払い、年金額はその倍ですから月給(生涯の平均月給)の約4割が年金の受給額になります。

 

これを前提に考えると「老後まるっと保証」してもらうためには、保険料率を上げてより多くの保険料を支払うようにすれば良いということになります。

 

もしくは猛烈に稼いで、同じ保険料率でもより多くの保険料を支払うか?

 

公的年金は、その発想からすればあくまで「年金保険」であり、「長生きするリスク」に備えるものなのです。

もちろん、退職後の生活を支える基本部分の資金になってくれることは間違いありませんが、いくらもらえるのかは開示されているわけですから、先にも書いたとおり、「この金額では生活費として足りない」と思う人は、貯蓄や民間の年金保険などで備えておけばいい、ということになります。

 

年金は本当に危ないの?

若者と高齢者

mono777さんによるイラストACからのイラスト

賦課(ふか)方式とは、現役世代から集めた保険料を老齢世代の年金給付に充てる方式です。自分が支払ったお金は今の高齢者にあげる。自分が高齢者になったときには、そのときの若い人の保険料から年金をもらう。

日本の年金制度は積み立て方式ではなく、賦課方式というやり方を採用しています。

 

これは最近よくテレビでもやっていたので、ご存知の人も多いと思います。

 

ただ、この方式だと少子・高齢化の日本では、将来の高齢者を支える若者が少なくなるので年金が破綻するのではないか?という不安が出てきます。

 

しかし、そんな日本の状況(少子・高齢化)でも年金制度は大丈夫だと著者は言います。

 

人口減少は急激に進むわけではなく、ゆっくりと進むと予測されていますから、人口減少が起こっても、給付額が大幅に減ることはありません。ゆっくり進む人口減少に合わせて、毎年少しずつ調整していけば影響は少なくて済みます。その仕組みが「マクロ経済スライド」です。

毎年5月の「こどもの日」になると、1年間に生まれた子供の数がマスコミを通じて知らされます。

 

あれを毎年ウォッチングしてると確かに少子化現象だということは分かりますが、同時にそんなに急激に減少しているわけでもないということも分かります。

 

現状の制度をきちんと運用すれば、「破綻だ」などと大げさに悲観する必要ないのです」と著者がいうように、この本を読むと制度自体が破綻することはないのではないかと思えます。

 

しかし、制度が破綻しないことと、もらえる受給が取るに足るものなのかどうかは別問題だと思うのです。

 

著者はいいます。

「年金問題の大半は、制度の問題ではなく、経済政策の問題なのです」

 

よく高齢者1人を若者何人で支えるか、という話しがありますよね。でも、その考え方は間違いで、正しくは金額で考えるべきだと主張します。

 

つまり、やせ細った人が支えるのと筋骨隆々の人が支えるのとでは話が違ってくるということです。

 

年金制度にとって一番重要なのは「金額」です。今後、人口が少しずつ減少していくと予想されている中で重要なことは、「所得を増やすこと」。経済を成長させて、所得を増やしていく。それが年金制度を安定させる一番のポイントです。

上の方で保険料を多く納めた人は保証額(年金)が多く、保険料を少し納めた人が保証額(年金)が少ない。という部分を引用しました。

 

そういう保険の仕組みからしても、現役世代の所得が増えれば、それに比例して納付される保険料が増えることになりますよね。

 

自分がもらっている月給が増えれば、将来受け取る年金も増えるわけです。

 

経済が成長しない場合は、残念ながら年金は破綻します。年金だけでなく、すべての社会保障が破綻します。

そういう意味では、年金のために国がやるべき一番重要なことは「経済政策」だということになります。

 

今、将来の社会保障財源を確保するために消費増税すると政府は言っていますが、この本を読むとそれがそれが「大嘘」で「矛盾」していることがよく分かります。

 

年金の「真実」を隠したがる人たち

国会議事堂

東京イラストレーションさんによるイラストACからのイラスト

年金が「保険」であることが広く知れわたってしまうと、困る人たちがいます。それは、財務省の官僚であり、厚労省の官僚です。

「老後2000万円問題」で年金を福祉と勘違いしている人たちがいることについて、そもそも年金が保険であるとちゃんと説明を受けたおぼえはないぞ!と書きました。

 

なぜ、年金についてちゃんと説明されないのか?

 

そこには財務省、厚労省の思惑だったり利権が絡んでいることを著者は指摘します。

 

それと、社会保障財源を消費増税に求める裏には経済界の意向が絡んでいることも分かります。

 

このあたりを読むと、何となく前から薄々気づいてはいたけど「やっぱりそうだったか!」っていう感じです。

 

まとめ

二人のシニア

しのみさんによるイラストACからのイラスト

「あなたは年金の仕組みや制度について理解していますか?」

 

本書の冒頭に書かれている著者からのこの問いかけに対して、この本を読み終えた今の私の答えは「お恥ずかしながら・・・」というものです。

 

私たちは年金の専門家ではないので、そんなに深い知識は知らなくても良いと思いますが、それでも最低限のことは知っていないと、あっという間に官僚やマスコミ、御用学者の言説に惑わされてしまう怖さも感じました。

 

「年金問題」を盲目的に怖がるのではなく、先ずは正しく理解すること。

 

その上で、老後の資金をどのように手当てするのか?ということについても書かれています。

 

「老後2000万円問題」に怯えないように、踊らされないためにもこの本を読んで良かったと思いました。

 

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2019年05月09日

【皇室】皇位継承問題を考える「語られなかった皇族たちの真実」竹田恒靖

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「語られなかった皇族たちの真実」

若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」

竹田恒泰:著

小学館

「平成」から「令和」への御代替わりも無事に終わりましたね。それに伴いテレビでは連日、元号や皇室についての様々な特集などが放送されていました。

その中で何かと話題に上がっていた皇位継承問題。

ご存知のように現在、皇室には上皇陛下、天皇陛下を除けば男系男子は3名しかいらっしゃいません。

そこで以前より女性宮家、女性天皇、女系天皇を認めるべきか否かという議論が何度となく繰り返されてきましたね。

今後も皇位継承問題についての議論は行われていくと思います。国会の場やマスコミで取り上げられることもあるでしょう。

この本の中には私たちが皇位継承問題について考える時に、最低限これだけは知っておきたいことが書かれているので、簡単に内容をご紹介したいと思います。

Amazonの内容紹介

曾祖母は明治天皇の第六皇女昌子内親王。祖父はスポーツの宮家として知られた竹田恒徳。祖母は三条実美の孫娘。

著者は、明治天皇の玄孫として、旧皇族・竹田家に生まれた。本書は、自らの生い立ちに始まり、祖父から教えられたこと、さらには皇室が2000年以上の長きにわたって存続してきた理由についての歴史を繙き、天皇家の血のスペアとして宮家が果たしてきた役割を浮き彫りにする。その上で、現在も引き続き話題を集める皇位継承問題について、「男系維持」を強く主張する。

■万世一系

皇位継承問題について語られる時によく「万世一系」という言葉が出てきます。あまり耳馴染みのない言葉ですね。

「万世一系」と称される皇統の継承は、男系継承にほかならず、今まで一つの例外もない。男系継承とは、皇位が代々天皇の男系の子孫に受け継がれてきたということだ。(中略)「男系の子孫」とは、「父が天皇である」「父の父が天皇である」「父の父の父が天皇である」といったように、父方を辿った場合にどこかで天皇に行き着く人のことをいう。

現在の皇室典範では天皇の皇位継承は「男系男子」と定められていますが、この本の中では「男系の子孫」によって皇統は継承されてきたと説明されています。

「男系男子」「男系の子孫」その違いは何でしょう?

答えは「男系の子孫」には女性も含まれているということです。

ご存知の方も多いと思いますが、過去に女性天皇は存在していました。

全部で8人の女帝がいて、そのうち2人は一度退位した後に再び即位したので「10代8方」と言われたりもしてます。

そして、その8人すべてが天皇の皇女などの男系女子でした。

■女性天皇と女系天皇

女性天皇と女系天皇の意味するところは全く違うものです。

過去に存在した女性天皇は全員が男系の女帝、つまり女帝の父が天皇とか女帝の父の父が天皇ということです。

具体例を書くのは畏れ多いのですが、今上天皇の皇女である愛子内親王が将来、皇位に就いたら男系の女帝ということです。

それに対して過去に存在したことがない女系天皇の意味するものは、母が天皇(父は皇族ではない)とか、母の父が天皇という場合です。

女性天皇は男性か女性かという性別を表しているものです。

対して、女系天皇は血筋を表しているもので、女性天皇の皇子(男性)が即位すれば男性の女系天皇ということになるのです。

よく例として挙げられるサザエさんで考えると次のようになります。

仮に磯野家が天皇家だとして、父・波平と母・フネにはカツオという男系男子の長男がいます。でもまだ即位するには若いので、カツオが成長するまでの間をつなぐために娘のサザエが即位したら男系の女帝。

その後、カツオに何か問題があって即位できなくなった時に母・サザエと父・マスオの子供のタラオが即位したら女系男子の天皇ということになります。

着目すべき点はサザエさんはフグ田家に嫁いでいて、その子供のタラちゃんはフグ田家の子供であり、元々の天皇家である磯野家とは別の「家」の人という点でしょうか。

また、過去に女性天皇が存在したのは先に書いたとおりです。だけど、その女性天皇は即位後に結婚したり出産した例はありません。

女帝となったのはいずれも、天皇の皇女など、男系の女子であり、女系たる女帝の子息が皇位を継いだことは一度もない。(中略)男系継承を確実にするため、女帝は生涯独身を貫くこと、そして生涯出産をしないことの不文律が存在していた。女帝が即位後に結婚した例はなく、また同じく即位後に出産した例もない(ただし、即位する前に皇后として出産した例はある)

現在、議論されている女性天皇についてこれを認めた場合に結婚、出産は認めるのか否かということも考えないといけませんね。

まぁ、今の世の風潮から考えても女性天皇に結婚するな!子供は産むな!というのはいくらなんでも・・・という気がするのですが。。

加えて女性天皇が民間から夫を迎え入れたら、その男性は皇族になるのでしょうか?(たぶん、そうなるんでしょうね)女性天皇ではなくとも女性宮家を創設した場合も同じです。

ということは、女性天皇、女性皇族の民間出身の婿を陛下、殿下と呼びようになるということです。

■皇統の危機

今も盛んに天皇の後継問題が言われていますが、この本の中では過去の皇統の危機は3度あった。そしてその度にどのようにして男系を継承してきたのかということについて書かれています。

皇室始まって以来の皇統の危機を繋いだのは継体天皇だった。(中略)継体天皇は先代の武烈天皇から見ると十親等の隔たりがあり、「祖父同士がはとこ」という関係に当たる。(中略)「祖父同士がはとこ」とはもはや他人と呼んでも差し支えないほどの遠縁である。

室町時代の皇室に二度目の皇統断絶の危機が訪れた。このときに皇統を継いだのは後花園天皇だった。後花園天皇も先代の称光天皇から八親等の遠縁に当たる。

ちなみに3度目の皇統の危機は江戸時代後期、後桃園天皇の崩御により天皇が不在となった時との説明ですが、ここでは割愛します(詳しくは本書にあたって下さい)

3度の皇統の危機を継いだのはいずれも傍系の男系男子だったようです。著者が書いているとおり、今の私たちの生活だったら八親等、十親等の親戚と言われても「あんた誰?」ってなってしまいますよね。

でも、皇室はそれほどの遠縁であっても「男系」にこだわって皇統を繋いできたことが分かります。

今、再び天皇の後継問題を考えるに際してこうした過去の事例について知っておくことも大切なことなのではないでしょうか?

■今、私たちが考えるべきこと

そもそも何故、古来から皇室は男系による皇位継承にこだわってきたのか?女性天皇の問題点は何か?そういった根源的な疑問についても著者はこの本の中で考えをまとめています。

また、男系を継承するための「側室」や「宮家」が果たしてきた役割といったことについても書かれています。

これから私たちが皇位継承問題を考えるにあたって、突き詰めて考えていくとなぜ私たちは天皇陛下を尊いと考え、尊敬するのか?という疑問にぶつかるように思います。

    • 天皇という権威に憧れるのか?
    • 国民の幸せを祈る祈祷者だから尊いのか?
    • いつも国民に寄り添って下さる優しい方だから親しみを覚えるのか?
    • それとも、日本国民の象徴として国民の範を自ら示して下さるから尊敬するのか?

答えは人それぞれだと思います。

それから、もう一点。

よく男女平等の社会になったのだから、女性天皇でも良いのではないか?という意見を時おり耳にします。

なるほど、それも一理あるかも知れません。だけど、個人的にはこの意見に対して私は反対です。

天皇を仕事あるいは役割と捉えるなら男女平等論も「あり」でしょう。

だけど、皇位継承は天皇家という「家」の問題でもあるのです。

「家」を継ぐのは誰なのか?昔ほどこだわる人が少なくなったように思いますが、今でも男性が嫁を貰い「家」を継ぐことが多いと思います。

とくに歌舞伎などの伝統芸能を代々継承してきた「家」なら男性が跡取りになりますよね。

それぞれの「家」には、伝統があり「家」としての教えや言い伝えが継承されてきていると思うのです。

神話の時代を差しい引いても1000年以上の長きに渡って伝統やしきたりを継承してきた天皇家です。男女平等の世の中だからという理由で天皇家の継承を変更してしまっても良いのでしょうか?

最後にもう一点。女性宮家創設の議論には皇位継承問題とは別に公務の分担という側面があると思うんですよね。

皇族の人数が減少する中で、これまで通り女性皇族の方々が結婚を機に皇籍を離脱していくと、そう遠くない将来には公務を担う皇族の方が殆どいなくなってしまうでしょう。

しかし、女性宮家と女系天皇は完全に分けて考えられるものなのか?

まとめ

なんだか少し政治色というか思想色が強い記事になってしまいました。女性天皇、女系天皇、女性宮家、私は別にどれも否定するものではありません。

ただ、世界最古の皇室(王室)と言われる天皇家の今後を考えるにあたっては安易な判断を下すのでなく、知っておくべき伝統や歴史があると思うんですよね。

2019年の平成最後の新年の一般参賀には15万人の人が参列したそうです。

今年の5月4日、令和に代替わりして今上陛下にとって最初の一般参賀には14万人の人が集まったとの報道がありました。

多くの国民に愛されている皇室の将来について考えるにあたって、先ずは皇室の伝統、歴史を知るための1冊としておすすめします。

【▼kindle版】

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2017年02月08日

ギャップ萌え?「狂犬」と「修道士」の間に・・・【「自省録」】

「自省録」

マルクス・アウレーリウス:著
 神谷 美恵子 :訳
岩波文庫

 

 

『ギャップ萌え』という言葉がある。

 

料理はできないし、鳥は見るのも嫌いですぐに泣く。

 

だけど、ステージで歌わせたらすごくうまくて、かっこいい!

 

そういうアイドルにおじさんはキュンキュンするのである(笑)

 

何故か知らないけど、人は「ギャップ」がある人に惹かれるものらしい。

 

「ギャップ萌え」といえば、彼の人もそうかも知れない。

 

先日、来日した新しいアメリカの国防長官、ジェームズ・マティス氏、その人である。

 

「MAD DOG(狂犬)」という異名があるかと思えば、7000冊の蔵書を持ち、生涯独身主義でテレビを持たない禁欲的な姿勢から「戦う修道士」とも言われているそうだ。

 

そのマティス氏の愛読書の一つとして、かつてのローマ皇帝、マルクス・アウレーリウスが記した「自省録」という本がテレビで紹介されていた。

 

「MAD DOG」と「戦う修道士」のギャップに惹かれて(?)取り急ぎ、Kindleでダウンロードして読んでみた。

 

一部、哲学的すぎて読んでいても、さっぱり分からないところもあった。

 

だけど、湾岸戦争、アフガニスタンやイラクの戦場にあってマティス氏の心を支えた言葉に思いを馳せて読んでみると、なるほど!とうなずけるところも多い。

 

例えば、

あたかも一万年も生きるかのように行動するな。
不可避のものが君の上にかかっている。
生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。

 

「死」と隣り合わせの戦場においては呑気に「明日・・・」などとは言ってられない。

 

「生きているうちに、許されている間に、善き人たれ」

 

そんな言葉も私たちが平和な日常の中で感じるよりも

 

真実味を帯びてマティス氏の心に何かを訴えていたのではないか。

 

事物は魂に触れることなく外側に静かに立っており、わずらわしいのはただ内心の主観からくるものにすぎないということ。

 

敵が、身方が、次々と命を失い倒れていく。

 

そんな戦場で指揮官として兵士たちを統率していくためには外部の出来事に一々、動じることなく自分の心の内を平静に保たなければならない。


そんなコトを教えてくれる言葉のように思えた。

 

◆◇◆◇◆◇

 

この「自省録」を書き記したアウレーリウスもローマ皇帝として各地の戦場を転戦して活躍した人だった。


だからこそ、軍人であったマティス氏の心にも何かしら相通じるものがあるのかもしれない。

 

ちなみに「MAD DOG」を狂犬と訳すのはあまりに直訳すぎて、本来は「勇猛果敢」と訳すのが妥当ではないか、そんなふうに指摘する声もちらほら聞こえてくる。

 

なるほど。勇猛果敢な、戦う修道士であれば、そこに「狂犬」ほどのギャップはないように思われる。


そして、素直な目で彼の人を受け止められるように思うのだが。

 

そういえば、


「あるがままの姿で物事を見よ」

 

「自省録」にもそのひと言が書かれていた。

 

(おしまい)

 

【文庫】

 

【Kindle版】

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2017年02月05日

「生きるに値しない生命などない」【「ブラックジャックによろしく・4」】

ブラックジャックによろしく (4)
ブラックジャックによろしく (4)

「ブラックジャックによろしく 4」

佐藤 秀峰:著

 

 

今日はちょっと重い話しです。。。

16年7月26日、神奈川県相模原市の障がい者福祉施設で発生した殺人事件のことを覚えてらっしゃる方も多いかと思います。

 

その事件から半年が経った1月下旬。


ラジオで評論家の宮崎哲弥氏が、この事件について語られていました。

 

宮崎氏の発言の中で私の印象に残ったのが以下の2点です。

(1)「生きるに値しない命など存在しない」そう断言できるほど私たちの社会は障がい者を受入れることが出来ているか?

 

(2)およそ3年前に始まった新型出生前診断で、生まれてくる赤ちゃんに障害がある(可能性がある)と診断された妊婦さんのうち94%の人が選択的妊娠中絶をしている。

 

そして、障がい者と社会、障害を持って生まれてくる赤ちゃんとその家族について描かれた作品として是非読んで欲しいと宮崎氏が取り上げていたのが、「ブラックジャックによろしく」の4巻でした。

 

アマゾンの内容紹介

「生まれた赤ちゃんはダウン症だった・・・」

その双子は4年間不妊治療を続けた結果の、待望の我が子・・・のはずだった。
突然に障害児の親となった田辺夫婦は、我が子をこのまま死なせてくれと斉藤と指導医・高砂に乞うた。

説得できなければそれも仕方ないとする高砂に斉藤は反発する。
親が我が子の命を決定するそれは許される事なのか?
何が親を支配し、何が高砂にそう思わせる?
新生児科と日本の現実に斉藤が熱くなる!

 

※「ブラックジャックによろしく」は全巻、無料で公開されています。
こちらのページではPCでそのまま読むことも出来ます。

ブラックジャックによろしく4巻 - 漫画onWeb

 

悪意はないのです。だから差別は無くしがたい

「障害を持っている人を差別してはいけない」これって、当たり前のことだと思うのですが、本当に「当たり前」なのだろうか・・・?

 

ちょっと、個人的な昔話を。。

 

私が小学生の頃の話しです。

 

私が通っていた小学校には知的障がい者のためのクラスがあり、「ひまわり学級」と呼ばれていました。

 

その「ひまわり学級」は知的障がいをもった子供たちのためのものだと教えてくれたのは、まわりの大人たちでした。


そして、あろうことか、「悪いコトをすると、ひまわり学級に入れられちゃうよ」などということもまわりの大人に吹き込まれました。


たぶん・・・そんな話しを吹き込まれたのは私だけではなかったと思います。

 

そして、小学校6年生の夏。

 

夏休みの臨海学校で千葉県の海にみんなで行きました。


そこには、6年生のクラスと一緒にひまわり学級の同級生たちも参加していました。

 

どうして、そんなことになったのか全く記憶がないのですが、旅館の部屋で水着に着替えるときのこと。

 

ひまわり学級のK君を取り囲んで、パンツをずりおろして丸裸にしようと男の子たちがいたずら(?)、いじめ(?)を始めたのです。


もちろんK君は必死になって抵抗します。

 

だけど、それを止めようとする同級生は誰もいませんでした。

 

私はといえば、その輪からちょっと離れたところで何もせず、何も言わずにその様子をただ眺めていただけでした。

 

子供たちのちょっとしたイタズラだったのかもしれない。


そこに悪意なんてものは、たぶん無かったと思う。。

 

だけど、「悪いコトをすると、ひまわり学級に入れられちゃうよ」

 

そんな大人の言葉が知らず知らずのうちに差別するココロを子供たちの中に植え込んでいたのかもしれない、


なんだか、そんなふうに思うのです。

 

◆◇◆◇◆◇

今回、このコミックを読んで


「悪意はないのです。だから差別は無くしがたい」
「悪意はなくとも全員、共犯者だ」


そんな言葉にぶつかり、考えてしまいました。

 

人が人を差別する、


もちろん、あってはならないことだと思います。

 

だけど、その「差別するココロ」って何処からやってくるのだろう、と。

 

まわりの大人たちから知らず知らずのうちに刷り込まれてしまうもの?

 

それとも(そんなこと思いたくないけど)差別するココロって、もしかしたらDNAレベルで刷り込まれていて人が成長する過程において「理性」を身に付け、それによって押さえ込まれているのではないか・・・?とも思う。

 

妻は息子がダウン症であると分かって泣きました

もしかして、あなたは障がいのある子の親に
なりたくないだけじゃないんですか・・・?

 

ダウン症の赤ちゃんの手術に同意しようとしない父親に向かって研修医の斉藤がそう言って詰め寄る場面が描かれています。

 

冒頭でも書いたように、検査で出産前に障害がある可能性が高いと言われた妊婦さんの94%が中絶をしてしまっているらしいです。

 

中絶を決めた親御さんたちの苦悩と、心の痛みはいかばかりだろか。


それを思うとこちらの胸もとても苦しくなります。

 

そして、この本の中にも描かれていることなのですが、障がいをもって生まれてくることは不幸なのか?


幸、不幸を決めるのは子供であって、親ではない(はず)。

 

だけど父親は言います。

 

少なくとも、この社会において息子の人生は不幸です

 

我が子に障がいがあることを不幸だと思ってしまう。


その責任の一端は障がい者にとってけっして優しいとは言い切れないこの社会を形作っている私たちにもあるのではないか、ということに気付かされます。

 

◆◇◆◇◆◇

 

ラジオで宮崎氏が言っていました。

 

子供が障がいをもって生まれた親御さんや医療関係者がどれほど苦悩するのか、私たちはそれを知らなければならない。

 

そして、「障がい者なんていなくなってしまえ!」そう言って、牙をむき多くの障がい者を殺傷した犯人と戦うためには障がい者にとって優しい社会を私たちが作っているのか、それを自らに問わなければならない。

 

学校の試験問題と違って、答えなんてそう簡単に見つからないし、答えも一つじゃないかもしれない。

 

だけど、この本の最後に、一つのヒントが描かれています。

 

そして、それを読んだとき私は知らず知らずのうちに涙がこぼれてきました。

 

(おしまい)

posted by penguin-oyaji at 15:31 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月17日

【「生きて行く私」宇野千代:著】カラスが空を翔ぶような(元祖・肉食女子の)人生

「生きて行く私」

宇野千代:著

角川文庫

 

宇野千代さん。お名前だけは随分と前から知っていたのだけど、彼女の代表作の一つ「おはん」はもちろん、彼女の作品についても何も読んだことはなかった。

 

ただ・・・

 

以前に仕事で山口県岩国へ行った時に駅の待合室に彼女の大きな写真が飾ってあり、それで岩国が彼女の生まれ故郷だということを知った。

 

それと、テレビで一度だけ彼女の映像を見たことがあり、その時に、もう一つのブログにこんなエントリーをアップした。

83才のスーパー乙女! : ペンギンオヤジのDブログ

 

そして、そのエントリーを読んでくれたお友達が、この本をオススメしてくれて、(だいぶ長い間、積ん読してたのだけれど・・・)読んでみたら、驚いたというか、とにかく面白かった!

 

この本は彼女の生い立ちから85歳までの人生を綴った自伝なのだけどその生き様が破天荒というか、天衣無縫というか、よく「事実は小説よりも奇なり」というけれど、彼女の波瀾万丈の人生は、間違いなくそのへんのツマラナイ小説よりも格段に面白い!

 

Amazonの内容紹介

明治、大正、昭和、平成と生き抜いてきた女流作家が、波乱の人生行路を率直に綴る。山口県岩国の生家と父母の記憶から書き起こし、小学校代用教員の時の恋と初体験、いとことのはじめての結婚、新聞懸賞小説の入選、尾崎士郎との出会いと同棲、東郷青児、北原武夫とつづく愛の遍歴。「スタイル」社の束の間の隆盛と倒産のように時代の波にも揉まれながら、たゆみなく創作をつづけ、ひたむきの前を向いて歩いてきた姿が心を打つ。

 

元祖肉食系女子?吃驚仰天の愛の遍歴

この最初の夜、私には北海道で待っている悟と言う良人(おっと)のあることを、改めて言うべきである、と思っただろうか。しかし、私はそのことを言わなかった。やがてのことに、私は最早や、北海道へは帰らないものだ、と言うことが、誰の眼にも分かるような時機が来た。(P98)

 

宇野千代さんは生涯で4度の結婚をされているのだけど、(恋多き女性だったんですね)それぞれの結婚の馴れ初めがスゴいんです!

 

二人目の旦那さんと北海道で暮らしていた時のこと。彼女が書いた小説が出版されるにあたり上京。原稿料を受け取った後、なぜか東京に家を借り、そして出版社で紹介された小説家・尾崎士郎に一目惚れをして北海道の旦那さまを放りだして、そのまま同棲を始める・・・!

 

( ゜Д゜)ポカーン

 

さらに!!

 

夜が更けて、さあ寝よう、と言うときになって、「こんな蒲団しかないが」と言って、押し入れから出してきた蒲団には、血痕がこびりついて、がりがりになっていた。二人の男女の頸から流れ出してきた夥しい血のかたまったものだと分かったとき、私はそれを気味が悪いと思っただろうか。そうは思わなかった、と言ったら、人は信じるだろうか。(P124)

 

小説の中でガスで情死する一組の男女のことを書くために、当時、愛人と心中未遂事件を起こしたばかりの画家・東郷青児に(面識もないのに)こういう差し迫った時に男はどう行動するものか教えて欲しい、って電話するんですね、宇野さんが。

 

で、電話じゃなんだから・・・ということで実際に会うことになりそのまま一目惚れ!そして東郷の家に行き情死を図った血の付いた蒲団でそのまま一緒に寝た・・・・と。

 

( ゜Д゜)ポカーン

 

いやはや、なんというか・・・

 

後日、テレビ番組「徹子の部屋」に宇野さんが出演された時に「あの男とも寝た」「その人とも寝た」と話す宇野の話しに黒柳が「あたし、あんなに、寝た寝たと、まるで昼寝でもしたように、お話しになる方と、初めてお会いしましたわ」と言わしめたというエピソードが残っているとか。

 

ある意味、とっても「業」が深い人だったんでしょうね。

 

幸福のカケラ

幸福のかけらは、幾つでもある。ただ、それを見つけ出すことが上手な人と、下手な人とがある。幸福とは、人が生きて行く力のもとになることだ、と私は思っているけれど、世の中には、幸福になるのが嫌いな人がいる。不幸でないと落ち着かない人がいる。(P285)

幸福も不幸も、ひょっとしたら、その人自身が作るものではないのか。そして、その上に、人の心に忽ち伝染するものではないのか。とすると、自分にも他人にも、幸福だけを伝染させて、生きて行こう、と私は思う。(P286)

 

この宇野さんの自伝を読んでいて、彼女は幸福というものに対する感度がとても強く、反対に不仕合わせに対する感度がある意味とても鈍かったのではないかと思いました。

 

自分がやっていた会社が倒産したりして、けっこうタイヘンな時期もあったらしいのだけど、不思議とそういう時のエピソードを読んでいても悲壮感みたいなものはあまり伝わって来ないんですよね。

 

幸福のかけらは、幾つでもある。ただ、それを見つけ出すことが上手な人と、下手な人とがある。

 

例え周りから見たら不幸のどん底のような時であってもそこには宇野さん本人しか見えない「幸せのカケラ」があったんでしょうね。

 

鴉が空を翔ぶように

私は好んで、自分の生きている生き方を「鴉が空を翔ぶように」と形容する癖がある。鴉が空を翔んでいるのを見て吃驚仰天する人はいない。ああ、翔んでいると思うだけである。何だ、あの鴉は翔んでいる。何と横着な鳥だろう、と思う人もいない。ただ、翔んでいる、と思うだけである。鴉の翔ぶのは生まれつきなのである。翔ぶのが性分なのである。知らぬ間に翔んでいるのである。(P357)

 

昔、「カラスなぜ鳴くの?カラスの勝手でしょう」という童謡の替え歌が流行ったことあるけど(これ分かる人は私と同年代ですね・笑)、カラスが空を翔ぶのが自然であるように、宇野千代さんは、この本に綴られたある意味とても破天荒な人生を生きるのが自然な姿だったんだなぁ、と思うのです。

 

とっても、レリゴーな人だったと思うんですよね、宇野千代さんって・・・もしも、自分の周りに同じタイプの人がいたらさぞや面食らうだろうと思うのだけど、

 

◇◆◇◆◇◆

 

「おもしろき こともなく世を おもしろく」幕末の志士、高杉晋作が遺した辞世の句ですけど、きっと宇野千代さんにとっては、生きていること自体がおもしろくて仕方なかったんじゃないかなぁ、ってそんなふうに思うんですよ。

 

溢れるほどの好奇心と、どんな時であっても現実をそのまま受け入れ人の目を気にせず、幸せのカケラを探し出すことが上手であれば、人生はこんなにもおもしろく生きられる!そんなことを宇野千代さんに教えて貰ったような気がします。

 

私は人一倍好奇心の強い人間だからである。あと四年ほど生きれば二十一世紀になる。新しい世紀に入った世界をこの目で見たいと思っているのである。(中略)私はこのごろなんだか死なないような気がしているのである。(文庫版あとがき より)

 

残念ながら、この「あとがき」を書いた半年後には98歳の人生を終えて天国へ召されてしまったのですが、空の上から見える21世紀の世界は宇野千代さんにはどんなふうに映っているのだろうか?

 

おしまい

 

【▼文庫本】

【▼キンドル版】

タグ:宇野千代
posted by penguin-oyaji at 21:37 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月19日

【「保護者の心をつかむ「言葉」のルール」栗田正行】先生だけが読むのはもったいない!

 

「保護者の心をつかむ「言葉」のルール」

栗田正行:著

東洋館出版社

この本は一般のビジネスパーソン向けの本ではなく、学校の先生に向けて書かれたものです。でも、「私、先生じゃないから関係ないけんね」とスルーにはあまりに勿体ない!私も先生じゃありませんけど、この本を読んでいくつもの気付きがありました!

Amazonの内容紹介

本書は、保護者との関係を築く鍵となる「PARENTSの法則」、保護者をファンにする話し方、保護者が思わず読みたくなる書き方など、「言葉」にまつわる技術が満載! また、保護者会、三者面談などの機会における「記憶に残る場のつくり方」についても余すことなく紹介。これを読めば絶対に保護者から信頼される!

この本は著者のマロン先生こと栗田正行氏からプレゼントしていただきました。ありがとうございます m(_ _)m

■保護者は遠距離恋愛の恋人

保護者は遠距離恋愛の恋人と同じです。(中略)年に数回しかない保護者と対面するシーンにおいて、私たち先生は記憶に残る「場」を提供すべきだというのが私の考えです(P114)

この本を学校の先生じゃなくても参考になる!って上の方で書きましたが、例えばこの「保護者は遠距離恋愛の恋人」という文章。

私はこれを読みながら『保護者』を「取引先様」または「お客さま」って置き換えて読んだのです。

ビジネスパーソンとして仕事をしている中で、年に数回しかお会いしない方っていますよね?そういう人とお会いする時って、今までどれくらい気を遣ってお迎えしていたかなぁ?って、すごく反省させられたんですね、私。

たぶん・・・それなりには気を遣ってはいたと思うのですが、『記憶に残る』ようなことまでは考えていなかったのではないかと。。

話しが少しそれますが・・・

「人の振り見て、我が振り直せ」っていう言葉があるじゃないですか。

私が思うに、人間って自分のことよりも他人の言動の方が色々なことに気づくんじゃないかって、思うんですよ。(自分がやっていることって、案外と人からどう見られているか気づかない)

この本を読んでいて私が一番感じたのは、自分とは全く縁が無い世界の話しだからこそ、気づくことが多い!ってことなんですよ。

先生向けの本なのだけれども、だからこそ客観的に見たり考えたりできる!書かれている内容を自分に引き寄せて読むことで、多くの気付きを得ることができたんです。

今まで自分とは直接関係ないから・・・という理由で異業種、異業界の本って殆どスルーしてましたけど、この本を読んで、違う世界の本を読むことも勉強になるなぁって改めて思いました。

■「考えること」と「書くこと」

「アナログで思考を引き出す、まとめる」という作業をしてからパソコン(デジタル)で書くと、スピードも内容も格段に向上します。これは手を動かし、実際に紙に書く方が考えやすいことをある本で学んだことがきっかけです。(中略)ある意味、パソコンに入力、つまり書くのは作業です。ですから「考えること」(思考)と「書くこと」(作業)は分けるというのが私なりの考え方です。

学校の先生も「学級通信」とかで「書く」という仕事があることからこの本の中でも、いわゆる「書く技術」みたいなことが書かれています。一般的な(という言い方でいいのかな?)ビジネスパーソンも「企画書」や「報告書」を書くことがあると思うので、そういう面でも役に立つかなぁ、と。

私が一番、「そうや!」って思ったのが上の引用部分。「考えること」(思考)と「書くこと」(作業)は分ける!というやり方です。

私もちょうどこの本を読むのと前後して、ブログを書く前にノートに手書きで骨子というか、書きたい内容を手書きで書くようにしたんですね。

手書きで自分の思考を書き出す効果というのは、けっこう、色々な本で触れられていたりはするのですが、実際に自分でやってみると、その破壊力は凄まじいです!

文字を綴りながら、あれこれ書いていると「おぉ〜!自分はこんなことを考えていたんだ!天才じゃなかろうか?!」という場面が何度も起こるのです!(私が天才かどうかはともかく・・・というか天才じゃないけどね)

これってたぶん・・・実際に手を動かして紙に字を書くことで脳が刺激されているんじゃないかって(勝手に)思ってます。

「考えること」(思考)と「書くこと」(作業)は分ける

これって、マジでおすすめですよ。

■苦手な相手は・・・

いつだって苦手な相手は、自分がこれから成長するために欠かせないものを運んできてくれるということです。神様の悪戯としか思えないかもしれませんが、これは紛れもない事実です。(中略)「この方は、今の自分に足りないものを教えてくれているのだ」と思えば、苦手なのではなく、まだ対処したことがないだけど思えます。(P171)

先生と保護者というと、最近よく耳にする「モンスターペアレント」とかを思い浮かべてしまいます。

けれど、この本の中でマロン先生は「モンスターペアレントはいない」と繰り返し書かれています。

最初は「またまた、そんなキレイゴトを」って思うかもしれませんが、この本を読んでいると、「モンスターペアレントはいない」という言葉の真意が分かってくるのです。

私の場合だと、小売りの店頭やホテルフロントや飲食店で仕事をしている時に何度か、いわゆる「クレーマー」というようなお客さまと遭遇してしまった経験があります。

中には最初から「クレーム」をつけること、そして何かオイシイ思いをしようと企んでいる正真正銘のクレーマーもいましたが、でも、大半は相手の真意をつかまないまま、お店の都合で対処してしまってクレーマー「化」させてしまっていることが殆どのような気がします。

また、そういうクレーム絡みじゃないにしても、仕事や日常の人づきあいの中で、何となく苦手!っていう人はいたりしますよね。

私なんて基本的に「ヘタレ」なので、苦手な人からは逃げる!避ける!というのを自分の行動方針にしてます!(苦笑)

でも、仕事の場に於いては「あの人はちょっと苦手だから・・・」なんて言ってられないじゃないですか。

その時に、どう考えるか?

いつだって苦手な相手は、自分がこれから成長するために欠かせないものを運んできてくれる

よく言われることではありますが・・・どんな相手、それが苦手な相手であっても学ぶべきところはあるワケで、そこで逃げたり、避けたりせずに学ぶことができれば自分の成長の機会にもなる・・・ということですよね。

結局、人は人によって磨かれるのかもしれませんね。

心に留め置きたいと思いました。

◇最後に・・・

この本の著者、マロン先生こと、栗田正行氏はビジネス書もたくさん読まれているし、ビジネスパーソン向けの講演会やセミナーなどへも参加されているそう。

で、そこで学んだことを教育の現場に応用してきちんと成果をあげられているんですね。

本を読んだら、読みっぱなし。講演会で話しを聞いて感動しても、それで終わり。

まぁ、割とよくある話しで、私は確実にこのパターン!(^^;;

だから、この本を読みながら、なるほど、こうやって現場で実践してるんだ!とか、この法則は、こうやって使うのねとか、随分と勉強させてもらいました。

一部で「意識高い系」とかって揶揄されたりもしてますが、ビジネス書を読んだり、セミナーに参加して一生懸命に勉強するけど勉強すること自体が目的化してしまって、実際の仕事の場で、きちんと成果に結びつけている人って(たぶん)そんなに多くはない・・・って思うんですね。

学んだら、実践しないと意味がない!

あっちこっちで言われていることですけれど、この本の内容から、改めてその大切なことを教えられたような気がしました。

おしまい。

posted by penguin-oyaji at 22:45 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月13日

【椎名誠「アイスランド 絶景と幸福の国へ」】大切なものを何処かに置き忘れ気が付くと僕は今何をしているんだろう?

 

「アイスランド 絶景と幸福の国へ」

椎名誠:著

日経ナショナルジオグラフィック社

学生の頃、重度のシーナ中毒者だった私。新刊が出ると片っ端から読みあさってました。(けっこう多作だったので、追いかけるのがタイヘンでしたけど)

でも、「アドバード」あたりを最後に椎名さんの著書を読むこともなくなって・・・と言うよりは社会人になって本自体をあまり読まなくなってしまってた。。

そして今回、数十年ぶりに椎名さんの新作を手にして読んでみたら・・・

Amazonの内容紹介

南米パタゴニアから北極圏まで、世界を旅した作家が“最後のでっかい旅"に選んだ行き先はアイスランドだった。その理由は、独特の絶景や大自然、そして、敬愛する作家ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』の舞台であると同時に、幸福度、安全度、女性の社会進出度などさまざまなランキングの上位国だから。著者が実際に見て聞いて書いた「幸せの国の現実」とあわせ、でっかい旅の総括ともいえる長い「おわりに」では、これまでに訪れた世界各国の幸せについても振りかえる。また、著者の撮り下ろしに加え、ナショジオの絶景写真を31点収録。絶景と幸福の国を写真でも楽しめます。 美しい国とは―、幸せな国とは―。いまだからこそ読みたいアイスランド紀行。

■幸せって・・・?

ぼくの今度のアイスランドの旅には、いくつかテーマを持ってきていたが、そのうちのひとつが、この国の国民の「幸福度」の現実だった。何年か前に「幸福度指数」が世界九位になったことがあるという。その実態や理由を知りたかった。(P72)

幸福とは何か?と問えば、個人の価値観が多種多様であるのと同じように幸福について人の数だけ違う答えがあるに違いない。

だけど、「幸福な国」あるいは「幸福な社会」とは何かと問えば、答えはもう少し絞られるのかも知れない。

椎名さんによれば、このアイスランドという国は

軍隊はなく、原発もない。しかし税金は高く、物価も高いが、政府によるその高い税金の還元が目で見えるかたちでなされているからなのだろう、多くの国民は、おだやかでシアワセそうな顔をしている。みんな「この国は安全で、犯罪などない」という。警察はあるが銃を保持せず、殺人事件なども殆どない。滞在中にパトカーはついに見かけなかった。(P9)

そんな国なんだそうだ。

この本は椎名さんによるアイスランドの旅行記なので、行く先々での人々の暮らしぶりや自然の情景が綴られている。

そして、文章だけでなくナショナルジオグラフィックの美しい写真と椎名さんによるモノクロ写真が数多く収録されているので、視覚的にもアイスランドがどういうところなのかを理解し、楽しむことができるようになっている。

話しを戻すけれど・・・

この本の文章と写真で感じるアイスランドという国(社会)が果たして「幸福」なのかどうかという判断はやはり人それぞれなんだろうと思う。。

だけど、

旅っていうのは、単に行く先々の風景や人々の暮らしぶりを見て感じて楽しむだけでなく、その場所から、自分が暮らしているところを振り返って見直してみる、そんな新しい視点を手に入れる機会でもあると思うのだ。

軍隊も原発もなく、殺人を含めて犯罪が殆どなくだけど、税金や物価も高い幸福度ランキング9位のアイスランドという国を通して私たちが住む日本という国(社会)を省みた時にそこにあるのは果たして「幸福」なのか、それとも・・・

この本はそんな「幸福な国」「幸福な社会」について考えてみる良い機会を与えてくれる本だと思った。

■大切なモノを何処かに置き忘れ、気がつくと僕は今、何をしているんだろう?

子供の頃に抱いた”夢”は、愚直ながらもとにかくずっと追求していたら結構実現してしまうものなのだ、「夢」はかなうものなのだ、ということをぼくはぼんやししながらも確信したのだった(P131)

今回この本を読みながら思い出したことがある。

自分が若い頃(つまり、重度のシーナ中毒者だった頃)、椎名さんの「パタゴニア あるいは風とタンポポの物語り」という旅行記を読み、いつか自分もその地を旅してみたいものだと思った。

そして同時に、今のような人生を送っていたら、きっとほぼ間違いなく私はパタゴニアに行くことなく人生を終えてしまうだろう、と思ったのだ。

このアイスランドの旅で椎名さんは敬愛する作家、ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』の舞台となった場所に立っている。

「夢はかなうものだ」と椎名さんは書いている。だけど・・・その昔、サラリーマンをしていた椎名さんが、もしもそんまま会社勤めを続けていたら、作家になっていなかったら、果たして椎名さんの「夢」はかなっていたのだろうか?

抽象的な書き方で申し訳ないのだけど、夢をかなえるためには、その夢に近づくような人生を選択しないといけないのではないか・・・と思う。

子供の頃、あるいは青春時代に小説でもいい、映画でもいいあんなふうに生きたい!こんなことをしたい!そんな憧れの人生を夢見た経験は私だけでなく、多くの人にあるのではないかと思う。

だけど、

オトナになって、仕事をして生活に追われているうちにいつしかそんな子供の頃の夢は何処かに置き忘れてしまい夢見たのとはほど遠い人生を送ってしまっていた。。。

この本を読んで私は、そんなちょっとほろ苦い現実も一緒に突き付けられたような気がした。

大切なものを 何処かに置き忘れ気が付くと僕は今 何をしてるんだろう夜空を見上げると 多くの夢が星になり風になり 踊って見える

吉田拓郎「若い人」

◆最後に・・・

椎名さんは昔から極寒のシベリア、タクラマカン砂漠やパタゴニアなどなど辺境と言われるようなところを何度も旅してきた作家さんである。

だからというワケでもないのだろうけれど、椎名さんの本を読むと異国の地と比べて我が日本の社会がどれだけオカシなことになっているか、というようなことがよく書かれている。

若い頃、そんな椎名さんの作品を読む度にそーだ!そーだ!と激しく同意したことも数知れず。。

上の方でも書いたけど、「旅」っていうのは、異国や見知らぬ場所に立ち肌で感じるものから新しい視点を得る機会でもあると思うんですよね。

自分で実際にそんな辺境を旅する機会のなかった私にとって数多くの椎名さんの旅行記を読むことでバーチャルな世界旅行を楽しんだり、改めて日本の社会というものを考えてみる教科書でもあったのです。

北米大陸とヨーロッパ大陸(ユーラシア大陸)の中間、北極圏近くに浮かぶ島国「アイスランド」

「幸福」というテーマを持ってそのアイスランドを旅した椎名さんが出した一つの結論。それが最後の方に書かれているのだけど、読んでいて深く考えさせられるものでした。※詳細はネタバレ自重ということで・・・ 是非とも本書を手に取って読んでそして考えて貰いたいと思う。。

それから、これも既に上の方で書いたけれどこの本にはナショナルジオグラフィックの美しい写真や椎名さんが現地で撮ったモノクロの写真が数多く掲載されているので、読まずとも見るだけでもアイスランドという国を楽しめるようになっている。本屋さんで見かけたら、先ずはその写真を楽しんでみるのも良いのではないかと思うのでした。

おしまい。

posted by penguin-oyaji at 22:58 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月08日

親孝行のススメ【みうらじゅん「親孝行プレイ」】

「親孝行プレイ」

みうらじゅん:著

角川文庫

今年の年明けぐらいだったか、Facebookを眺めていたらお友達がこの本のレビューを書いていて何となく今の自分に必要な本かなぁ?と思って手にした次第。

作者はイラストレータ、漫画家などとして活躍しているみうらじゅんさん。私、実はあまり詳しいコトは知らなくて時々タモリ倶楽部に出てくる面白いロン毛のオジさんくらいに思ってました(^^;;

でも、「ゆるキャラ」って実はみうらじゅんさんが考案したネーミングだったんですね〜 (知らなかった・・・)

Amazonの内容紹介

親孝行したいとか親は大切だとか、“思っている”だけでは気持ちは相手に伝わりません。親孝行は、具体的に行動しないと意味がないのです。どうせなら徹底的に親を喜ばせてあげたい。そこで忘れてはならないのは、相手が親だからこそ「誰よりも気を遣い、誰よりもサービス精神を持ち、誰よりも接待感覚を忘れてはならない」こと。とにかく行動。初めはぎこちなくてもいいじゃないですか。著者が実際にやっている親孝行の数々。

■会社では出来るのに、なぜ家出は出来ない? 〜親コーラーになろう!〜

「親孝行とはプレイである」これがたえず親孝行と向き合い、親孝行学を探求し、親コーラー(親孝行実践者の意)として私が導きだした結論である (P5)

「親だからこそ」「子だからこそ」「親子だからこそ」誰よりも気を遣い、誰よりもサービス精神を持ち、誰よりも接待感覚を忘れてはならないのだ。そう、親を喜ばせるという行為は、もはや「心の問題」ではなく、実際にどう行動するかつまり「プレイ」の一環なのである。心に行動が伴うのではなく行動の後に心が伴うのが現代の親孝行なのだ。(P6)

職場ではフツーに出来るのに何故か家庭では出来ないコトってないですか?私はあります。例えば「掃除」とか。。

職場ではあんなに一生懸命に日々、掃除をするのに何故か自分の部屋はいつまでも散らかったまま・・・そんな感じです(^^;;

どーして、そんなことになるのか?って考えてみるとやっぱり「仕事だから」って割り切ってる部分があると思うんですよね。

仕事なら、ちょっとくらい嫌なことでも我慢して出来てしまう。

仕事での接待、あるいは上司と一緒の職場の飲み会。相手が少々嫌なヤツでも「これも仕事のうち」と割り切ってしまえば満面の笑みを浮かべて相手をすることが出来る。

それと一緒かなぁ、と。

で・・・

本書のメインテーマである「親孝行」

これもなかなか実践するのが難しい。この場合、相手が嫌なヤツというよりも「親子だから」なんとなく照れくさい。そんなふうに思ってテキトーにあしらっているうちに手遅れになってしまった。。

・・・なんて、コトにならないように親孝行を「放置プレイ」や「S○プレイ」と同じような『プレイ』と割り切って先ずは楽しみながら実践しよう!行動しよう!というのが本書の主旨なんだと思う。

つまり先の例でいえば、親を接待の相手だと思ってサービスすれば良い。そうすれば「親だから」なんていう照れなど気にならずに親孝行が出来るっていうことなんだろうと思うのです。

■年をとった親はなぜかワガママになる?

親というのはそもそも理不尽な人種なのである。登山家はそこに山があるから登り、親孝行家はそこに親がいるから親孝行をする。山に向かって「高すぎる」などと文句を言う登山家はいないわけで、親に向かって「理不尽だ」と文句を言うことほど意味のないことはないのだ。(中略)親孝行プレイは諸君が親に対して行う奉仕プレイなのだということを忘れてはならない。(P28)

何故かは知らないけれど、人は年をとると「ワガママ」になることが多いような気がする。

「ワガママ」と「理不尽」はイコールではないけれど、とても近い関係にあるような気がする。(従兄弟くらいだろうか?)

親から「ワガママ」や「理不尽」なコトを言われたら当然おもしろくない。だからキレる!私も今まで何度キレたか分からない。

しかし!

職場では上司やお客からもっと酷い理不尽でワガママな仕打ちを何度も受けてきたじゃないか!そして、その度に歯を食いしばって耐えてきたじゃないか!

そう思えば親の理不尽、ワガママなんて大したことない。

親がワガママを言ってきても職場の上司やお客に接する時みたいに明るい笑顔でその要求を受けとめれば良いのだ。

つまり、そーいうコトっすね。

■親へのプレゼントという重大問題

ここでは「父親に何をプレゼントするば喜ぶか」のテクニックを考察していく。それにはまず諸君には父親孝行プレイの基本姿勢から学んでいただきたい。それはすなわち「年をとったことを父親に実感させるな」ということだ。プレイのひとつひとつは父親にはいつまでも若い気分でいてもらうためのものでなくてはならない、というのが絶対条件なのである(P113)

プレゼントというものは、相手にとって必要なものを贈る行為ではない。そのようなものは本人が自分の意思で購入すればいいのである。プレゼントとは本人では絶対に買わないもの、しかしもらうと意外に嬉しいものをチョイスすべきなのだ。(P115)

親の誕生日や父の日、母の日に何をプレゼントすればいいのか?これは子供にとってけっこう重大な問題なのではないかと思う。

何が喜ばれるか見当もつかないまま取りあえず何かテキトーなものを選んでプレゼントする。

が・・・!

それから何年か経って、こっちがそんなものをプレゼントしたことすら忘れてしまっていても親は「これは○○の時にあんたからプレゼントして貰ったものよ」と、結構しつこく覚えていてくれたりするので、油断がならない。

この本を読んでいて「そうであった!」と膝を打ったのが、『年をとったことを喜ぶ人は(滅多に)いない』という真実なのであった。

親が年をってくると、プレゼントを選ぶ時にも何となく親の年に合わせて「渋いもの」「地味なもの」「枯れたもの」を選んでしまいがちになる。

だけど、本書によれば盆栽、モモヒキ、あんかなど年寄りが好むものを贈ってどーする?!逆に「これ、若すぎるかも?」と思うようなものをプレゼントすべし!と書かれていて、なるほど〜!と思った次第。

ちなみに・・・

先日のこと。うちの母と一緒に某ユニクロに買い物に行った時のこと。母はカーディガンが欲しかったらしくて、どの色がいいか?と訊ねられたので、私は何の躊躇もなく「赤!もしくはピンク!」と答えたのだけど、「そんな派手なのは嫌だ」と無下もなく却下されたのだった。。orz

◆最後に・・・

『親孝行とはプレイである』この一見ちょっとふざけたように思えるこのフレーズ。でも、この本の最後のページを読むとまさに名言!というふうに思えるのではないかと思う。(ネタバレ自重で引用しませんが。。)

親孝行をテーマにした著作って割と色々あると思うけど、なんとなく「涙」とか「感動」という言葉と結びついているものが多いように思うんですね。

でも、この本はむしろ逆で明るい笑いの中に感動が隠れているそんな内容だと感じました。

それと・・・

親孝行とは・・・っていう概念だけを語っているのではなくこの本では実家に帰省した時、親孝行旅行に連れ出した時、父親と一緒に寿司屋に行った時など、どのように振る舞えば良いのか図入りで解説してあるまさに実用書!

ただ、著者がみうらじゅんさん、その人なので、完全に男目線だし、ところどころにエッチな表現も出てくるし、女性が読むとまたちょっと違う読後感になるかも?

でも、一つ言えるのは一見ふざけたりネタにしか思えない話しにも端々に親を喜ばせようとするみうらじゅんさんの優しさがちゃんと隠れているということ。

もしも、この本を手にする機会があればそんな優しさに是非とも触れて欲しいと思うのです。

おしまい。

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2014年12月07日

「ワセダ三畳青春記」人生の中の「彼岸」と「此岸」あるいは青春の終わりということ

「ワセダ三畳青春記」

高野秀行:著

集英社

「彼岸」と「此岸」という言葉があります。簡単に言えば「此岸(しがん)」というのは今、自分たちが生きているこの世界。そして「彼岸(ひがん)」とは、あの世のこと。

それと「彼岸」にはもう一つ、川の向こう岸にある世界、という意味合いがある。

彼岸と此岸を分けている川といえば、それはもう「三途の川」である。

人は死ぬと自動的に三途の川を渡って彼岸へと行ける(らしい)。

ここまでは仏教とか民間信仰の話しなのだけど、私が思うに、私たちの人生の中でも川を渡る瞬間ってあるんじゃないかと思うのです。

Amazonの内容紹介

畳一間、家賃月12000円。ワセダのぼろアパート野々村荘に入居した私はケッタイ極まる住人たちと、アイドル性豊かな大家のおばちゃんに翻弄される。一方、私も探検部の仲間と幻覚植物の人体実験をしたり、三味線屋台でひと儲けを企んだり。金と欲のバブル時代も、不況と失望の九〇年代にも気づかず、能天気な日々を過ごしたバカ者たちのおかしくて、ちょっと切ない青春物語。

■人生の中の「彼岸」と「此岸」

この本は上の「内容紹介」を読んで貰えれば分かる通り、ワセダのぼろアパート野々村荘を舞台にした面白オカシイ青春期です。

こうしたぼろアパートを舞台にした青春期っていうのは既に何冊も出版されていて、私の記憶の中を探ってみても椎名誠:「哀愁の街に霧が降るのだ」東海林さだお:「ショージくんの青春記」などは、むかしハマって何度も読み返したりしていた。

この「ワセダ三畳青春記」もそうだけど、これらの作品って著者が20代の頃、ぼろアパートを舞台にしておくっていたハチャメチャな生活を面白オカシく描いているんですよね。

だけど・・・

そのぼろアパートにずっと住みつづけていることはなく、何かをきっかけにしてアパートを後にするワケですよ。

たいていの場合

もうオレもいい年になるし、マットウな生活をしなきゃという気になり、実社会へと巣立っていく。そんな展開が多い。

◇◆◇◆◇◆

人生の中にも「彼岸」と「此岸」がある。そんなことを書きました。

たぶん・・・

「此岸」っていうのは、こうした20代の頃にハチャメチャな生活を送っているモラトリアムの世界で、「彼岸」っていうのは、マットウな実社会のことを指す。

私には何かそんなふうに思えるんですよね。

そして、全員ではないかも知れないけど多くの人が、青春時代の終わりにある人は意識的に、ある人は無意識のうちに、川を越えて「此岸」から「彼岸」へと渡っていったんじゃないかと。

この本でも前半のハチャメチャな面白オカシイ話しとは対照的に後半というか最後の数章がとても切なく感じられるのはそういうある種の「青春の終わり」を描いてるからだと思う。

◇◆◇◆◇◆

書評にも感想にもなってないし、この本を読んだからといって、コレから先の人生で大きな夢が叶ったり、あるいはお金がウハウハ儲かるというコトもない・・・と思う。

だけど

きっと誰もが通り過ぎたであろう『青春』というものを今一度、手許に引き寄せて「青春のバカさ加減」と「青春の終わりの切なさ」を思い出してもみるのもそんなに悪いコトじゃないだろう。

タグ:高野秀行
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2014年09月10日

【民話】笠地蔵 おばあさんの「ネ申」対応にスゲー感動した!

笠地蔵

【民話】笠地蔵

数日前にイラスト付きでSNSにも書いてアップしたのだけど、

今更ながら民話の「笠地蔵」に感動しました!

なぜ今、笠地蔵なのかというと・・・

気持ちがすごくイラついていた時に、突然なんの脈絡もなく

頭の中に「笠地蔵」ってワードが浮かんできたんですよ。

まぁ、お話し自体は昔から知っているのだけど、

ちょっと気になったので、ネットで検索して改めて読んで

みたんですね。

そしたら、ものスゲー感動したんですよ!

■この昔話のあらすじ(知ってると思うけど・・・)

・おじいさんとおばあさんは正月を迎えるのに、おモチも

 買えないような貧しい暮らしをしていた

・おじいさんは自分で編んだ笠を売って、おモチを買おうと

 思い町へ出掛けていった

・だけど・・・笠は一つも売れなかった

・帰り路、おじいさんは吹雪の中で七体のお地蔵さまを見つけた

・吹雪の中で寒かろう、とおじいさんは売れ残りの笠を

 お地蔵さまにかぶせてあげた

・家に帰ってきて、そのことを話すとおばあさんは

 「まぁ、それは善いことをしましたね。おモチがなくても

  年は越せますよ」

 と、ニコニコしながら言った

・その夜、寝ていると家の外で何か重たいものが落ちるような

 音がした

・外を見てみると、米俵、野菜、魚、小判などの財宝が山と積まれ

 お地蔵さまたちが帰っていく姿が見えた

・そのおかげで、おじいさんとおばあさんは良い正月を迎えられた

□感想

たぶん、この話しってフツーは「善いことをすれば報われる」みたいな

教訓と一緒に語られると思うんですね。

でも、今回改めてこの昔話を読んで気付いたんですけど、

このおばあさんってスゴくないですか?!

たぶん・・・おじいさんは売れ残った笠をそのまま家に持ち帰るよりも

お地蔵さまにプレゼントしてあげた方がいいだろう、と素直に思ったか、

もしくは!単にヤケになっていたのかも知れないわけですよ。

でも、おばあさんは家でおじいさんがお正月のおモチを買って帰ってくるのを

楽しみにしていたと思うんです。

なのに!

おじいさんは手ぶらで帰ってきた!

フツーなら、ここで夫婦喧嘩が勃発してもおかしくないわけで・・・

それなのに、おばあさんはガッカリしたり、おじいさんを怒ったり

責めたりすることもなく、

『それは善いことをしましたね』とニコニコしながら言ったんですよ!

すごくないですか?

まさに「ネ申」対応じゃないですか!

おじいさんの気持ちに寄り添う、共感力

今のままでもいいじゃない、という現状肯定力

全てを許す包容力、心の広さ

もう、素晴らしすぎます!

思うんですけど・・・

物語の最後、お地蔵さまたちが二人にプレゼントを持ってきて

そのおかげで、良い正月を迎えられた・・・っていうのは

割とどーでもよくて・・・

『それは善いことをしましたね』とニコニコしながらおばあさんが

言った瞬間に、この二人はとてつもない心の平安を感じていたと

思うんですよね。

そして、もしかしたら

このおばあさんの「ネ申」対応こそが、お地蔵さんたちが二人に

贈った宝物だったのではないかって。

・・・なんだか、ちょっとあれだけど

そんなふうに思ったら、自分が感じていたイライラもスウッと消えて

気持ちがずいぶんとラクになったんですよ。

◇おバカさん

遠藤周作さんの小説に「おバカさん」っていうのがあるんですけど、

その主人公は臆病でお人好しで、妙な行動で珍事件を巻き起こしたり

するんだけど、なぜか周りの人の心を明るく温かくするんですね。

笠地蔵の話しをあれこれ考えていたら、その「おバカさん」のことも

思い出して、このおじいさんも、おばあさんも「おバカさん」なのかもなぁ?

って思ったんです。

「損」か「得」か、

「善」か「悪」か、

とか色々な判断基準があると思うのだけど、

おバカさんって、そういう判断基準ではなくて、

もっと純粋な気持ちで余計な計算なんかしないで、

行動するんですよ。

だから、時にはその行動が滑稽に見えたりもするから

周りからは「あついバカだなぁ」って笑われることもあるんだけど、

でも、それは本当に馬鹿にしているんじゃなくて

愛すべき「おバカさん」なんですよね。

吹雪の中のお地蔵さまに笠をかぶせてあげたおじいさん、
手ぶらで帰ってきたおじいさんに優しい言葉をかけたおばあさん、
やっぱり、この二人も

とびっきりの愛すべき「おバカさん」だと思ったのでした。 

やっぱり昔から伝わるお話しって、色々と人生の含蓄があるんですね〜

タグ:民話
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2014年09月04日

美文字に憧れて・・・「悪筆セラピー 字が変わると人生も変わる」

悪筆セラピー

「悪筆セラピー 字が変わると人生も変わる」

高宮暉峰:著

幻冬舎

万年筆にハマって以来、ひたすら上手な字が書けるようになりたい!と、願って止まない私ですが、そんな時に手に取った一冊です。

普通、書店の実用書コーナーに行くとペン字だとか美文字練習帳みたいな書き方練習帳はよく売っていますけど、(実際、私も買いました。。)この本はそういう練習帳ではありません!そもそも副題が「字が変わると人生も変わる」ですからね〜

どちらかというと、デジタル全盛の今、手書きで文字を書く意味や、なぜ字が上手に書けるようになると人生が変わるのか?という心構え的な話しから始まり、書く時の姿勢、そしてもちろん書き方のコツなど手で文字を書くこと全般について言及している一冊です。

本格手にペン字を練習してみよう!・・・と、そこまでは思わないけど、でも上手な字が書けるようになりたい、そんな人にピッタリな一冊ではないかと思われます。

Amazonの内容紹介

ペン字練習帳で「技」をいくら磨いても、字は絶対うまくなりません。それ以前に大事な秘訣がじつはあるのです。それは「心」と「体」を整えること。書道の世界では当然のこのコツが、字の上達はもちろん、人生でいい運をつかむといったことにまで、面白いほど影響してくるのです。自信のない字と自分にさよなら。

■字を書くことの原点は「伝えたい」という気持ち

字を書くことの原点は「伝えたい」という気持ちです。「字を書く=誰かにこの想いを伝えたい」ということなのです。

私たちが文字を手書きにする理由、それは、書き手の感情や心理を伝えられるからです。(中略)手書きの文字は、否応なしに書き手の心情を表します。そして、それを受け取った読み手も、直感的にそれを察するものなのです。

以前、和田裕美さんの本を読んでいたら「あなたが話す言葉や声は、話す相手の人のためのもの」みたいなコトが書いてあって、なるほど〜!とボロボロと目からウロコが落ちたことがあるのですが、「字を書くことの原点は伝えたい気持ち」というのも、それと同じくらいに、私にとっては目ウロコでした。

結局、誰かに何かを伝えるための手段として、話し言葉だったり書き言葉があるワケですから、それは全て相手のためのもの、ということですよね。

だからこそ、クセ字や(自己流に)崩した字などを書いて独りよがりになってはいけない、ということも素直に納得できます。

伝える相手にちゃんと届くように、最低限、丁寧に読みやすい字を書かないと、手書きの意味がありませんよね。(大いに反省!)

心がない字はただの作業。手書きの意味がありません。

■初めて書いたラブレターを思い出せ!

丁寧に、ゆっくり、相手のことを想いながら字を書く。まずそれができれば、第一段階はクリアです。

字を書くことの原点は・・・という話しに通じるのですが、初めて好きな人にラブレターを書いた時のことを覚えてますか?

最近では、メールとかケータイで告白しちゃうからそもそもラブレターなんて書いたことない!っていう(若い)人もいっぱいいるかもですが、オジさんの頃はそういう便利なものがなかったので、一生懸命に手紙を書いたものです(遠い目)

あるいは、ラブレターは照れくさくて書けなかったけど、年賀状なら書いたことある!っていう人もいるでしょう。

小中学生が好きな人に出す年賀状って、究極のツンデレだと思うんですよね(ちょっと違うかな?)

だって、表面上は単なる年賀状。味も素っ気もない定型文を書くワケですが、でもその実、内心では少しでも良い印象を持って貰おうと、スゲー丁寧に書くじゃないですか?!(笑)※少なくとも私はそうでした ^^;;

えっと、なんの話しだったっけ?そうだ、そうだ!

要は手書きで字を書こうとする時に大切なのはあの初めてのラブレターを書く時のような、相手を想い、少しでも自分の想いが届くように丁寧に書くこと、それが一番大事なんですよね。

■字を上達させるコツは、「心」「技」「体」

字を上達させるコツがあるのです。それは「心・技・体」の三点を常に意識する、ということです。難しいことではありません。でも、このことを知っているのといないのでは、字の上達に差が出るのはもちろん、人生でいい運をつかむといったことにまで本当に差が出てくるのです。

字を上手に書くためには、どのようにして書けばいいのか?というテクニックみたいなものが、どーしても優先してしまうと想うのですが、著者は、やみくもに練習をしてテクニックだけを身につけても決して字は上手にならない、と言います。

「心」というのは、いつでも心を乱さず字を書ける精神力「技」は、一定以上のレベルで字を書く技術を身につける「体」は、イメージ通りの字が書けるように筆記用具を動かす身体能力や 書く時の姿勢のこと

これが、著者がこの本に書いている「心・技・体」の概略です。

ここから先は私の体験談みたいなものですが・・・

この本を読んでから、字を書く時には先ず深呼吸をしたりして心を落ち着かせる。そして、この本に書いてある正しい姿勢を保って字を書く。つまり「心」と「体」の二点を意識するだけでも書く字が変わってくるのを感じました。

そう、多少技術が未熟であっても心と体を意識するだけでも自分の書く字が変わるのです!美文字になるかどうかは微妙ですけど、少なくとも汚文字、悪筆からは脱することができると思います!

まぁ、裏を返せば普段どんだけテキトーに字を書いてんだ!って話しですが(汗)

■いい線を書けることが、綺麗な字の条件

きれいな字の基本は、「いい線」が書けるかどうかにかかっています。きちんとまっすぐに引かれた「いい線」で書かれた文字は、とても清々しく、見る人にとってもさわやかな、よい気持ちのするものです。

自分が書いた文字を見返しながら、何て素晴らしく惚れ惚れするくらいに字が乱れているんだろう・・・とよく溜め息をつきます。

なんで、こんなに字が下手なのか?!まぁ、形が整っていない!というのが一番の理由だと思っているのですが、それと同じくらいに、線がダメなんですよね。

真っ直ぐ縦に書かなければいけない線が、右や左に傾いていたり横棒が変に右肩上がりになっていたり・・・それが全体の印象をとても悪くしていると思うのですよ。全体的に字がガタガタしている感じになるのです。。

著者は、まっすぐきれいな線が書けるようになると字がとても綺麗になる、と言います。

じゃあ、どうやったら真っ直ぐな綺麗な線が書けるようになるのか、身体の何処の部分を意識したら良いのか?!その辺は、是非ともこの本を読んで確認してみて下さい(ネタバレ自重)

■なぜ、今、手書き文字なのか?(まとめに代えて)

デジタル全盛の昨今、手書きで字を書くなんて、ちょっとしたメモを書く時だけであとは全部パソコンのキーボードやスマホで入力!なんていう人が多いと思います。実際、私だって万年筆にハマるまでは日常の中で手で文字を書くなんて殆どしてなかったですからね。

でも、今はとにかくヒマさえあれば万年筆で字を書いてばかりいます。

それで、思うんですよ。やっぱり手書きがいいなぁ〜って。

なぜ、手書きがいいと思うのか?理由は二つあります。

一つ目は「心が落ち着く」からです。

この本の中で、書いている時の自分の感情がそのまま文字に表れるという一文があるのですが、私はその逆も真なりだと思うのです。手書きで文字を書くことで自分の心が落ち着いてくるのを感じるのです。

それは、文字を書くことに集中するので、それ以外の感情がどこかに消えてしまうからだと思うんですよね。

「写経」ってあるじゃないですか?やったことあります?

別に信心があるわけではなく、ただ単に字を書きたい!という理由で何度か万年筆で般若心経を書き写したことがあるんですよ。

丁寧に書くとだいたい40分前後かかります。でも、その書いている間はひたすら書く文字に集中しているので、(意味はさっぱり理解していないんですけどね・・・)書き終わる頃には、かなり心が穏やか、というか落ち着いた気分になるのです。

まぁ、別に般若心経を書き写せ!ということではなく、自分の好きな歌のフレーズ(歌詞)でもいいと思うし、お気に入りの本のフレーズでもいいと思うんですよ。

なんか、書くことに集中していると心が落ち着いてくることが実感できるのではないかと。

そして二つ目の理由。それは、自分の心との対話ができる、ということでしょうか。

自分が頭の中で考えていることを、紙に書きだせ!というのは、思考術や自己啓発本の定番テクニックですが、それをパソコンやタブレットじゃなくて敢えて、手で書いてみて下さい。

文字にして書き出すために、自分の心とお話ししますよね。それがいいんです!

頭のいい人だと、手書きでは思考のスピードに追いつかない!っていう人もいるかと思います。

でも、自分の心と話すときくらい、そんなに急がなくてもいいじゃないですか。

じっくりと自分の心に向き合いながら、想いを文字にして書いてみると、思わぬ自分を発見することだってあると思いますよ。

posted by penguin-oyaji at 22:17 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月25日

【リベラルアーツ】「おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?」池上 彰:著

 おとなの教養―私たちはどこから来て、どこへ行くのか? (NHK出版新書 431)

「おとなの教養 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?」

池上 彰:著

NHK出版新書

最近、めっきりビジネス書を読まなくなりました。

読まなくなった理由はいくつかあるのだけど、自分がここ数年、読む本といえばビジネス書ばかりでものすごく偏っていたんですよね。

だから、今は小説を読んだり、何をトチ狂ったか哲学書なんかも読んだりしてます。

何と言うか・・・ビジネス書の話ししか出来ないというのも、なんかやっぱり寂しいじゃないですか。。

それに、いい年こいてモノを知らないというのは恥ずかしい。

いわゆる「教養」というのをちゃんと身に付けたいと思うんですよ。

そんなコトを思っていた時に出会ったのが、この本。

Amazonの内容紹介 

現代の教養とは「自分を知ること」です。

いま、学ぶべき教養とは何か? 現代人必須の7科目とは、「宗教」「宇宙」「人類の旅路」「人間と病気」「経済学」「歴史」「日本と日本人」。

この7つを貫くのは、「自分がどういう存在なのか」を考えようとする問題意識だ。

7科目のエッセンスを講義形式で明快に説く決定版。

現代人の「生きる力」=教養の本質が一気に身につく! 

■リベラルアーツってなに? 

リベラルアーツの「リベラル(liberal)」は自由、「アーツ(arts)」は技術、学問、芸術を意味します。だからリベラルアーツの意味は『人を自由にする学問』ということです。

こういう教養を身につけていれば、人間はさまざまな偏見からあるいは束縛から逃れ、自由は発想や思考を展開していくことができる。

最近ちょくちょく「リベラルアーツ」という言葉を耳にしたりしていたのだけで、お恥ずかしながらそれが何なのかを知りませんでした(恥)

で、調べてみたらヨーロッパの大学で学問の基本とされた七科目のことらしいです。

具体的には、文法、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽の計7科目。

この序章では著者の池上さんが、リベラルアーツのことや、そもそも何故、教養が必要なのかということについて書かれています。

教養人=(単なる)物知り・・・・じゃないんですよね。

よく女性相手にあーだ、こーだとウンチクを垂れているおっさんがいるじゃないですか。

ああいう人は、確かに物知りかも知れないけど、教養人って感じはしないですよね。

■魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える 

すぐに役に立つことは、世の中に出て、すぐに役に立たなくなる。

すぐには役に立たないことが、実は長い目で見ると、役に立つ。

(中略)

「すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる」。

だから本当の教養というのは、すぐには役に立たないかも知れないけど、長い人生を生きていく上で、自分を支える基盤になるのです。その基盤がしっかりしていれば、世の中の動きが速くてもブレることなく自分の頭で物事を深く考えることができるようになるわけです。

この部分を読みながら、思い出した言葉があります。

以前にビジネス書作家の和田裕美さんの講演会を聞きに行った時に和田さんが、こんなコトを話されていました。

3日で咲いた花が3日で枯れてしまうこともあれば、

10年掛けて咲いた花が、10年間ずっと咲き続けることもある。

この時、和田さんはビジネス書などを読んですぐに結果を欲しがる人が多いけど、もっと上辺の知識だけを詰め込むのではなく、もっと自分の根っこになる部分を育てた方が良いのではないか、

そんな話しの流れの中で、上記の言葉を話されていました。

自分の根っこを育てるのに必要なものの一つが教養なのかもしれませんね。

そして私、自分のバカな頭をフル回転させながら教養とはなんぞや?ということを自分なりに考えてみたんですよ。

上の方でウンチクを垂れているオッサンの話しを書きましたよね。

あれが何で「単なる物知り」にしか見えないのか?

なぜ、教養のある人と思えないのか?

たぶんですね、ああいうウンチクおじさんは、どこかで誰かに聞いた話しや何かで読んだ話しを単純に「受け売り」しているだけだと思うんですよ。

右で聞いた話しを、左へ受け流しているだけで、自分の考えや見解、意見というものが無い!

または、あったとしても非常に薄っぺらい!

だから、単なる「物知り」で止まってしまっているように感じちゃうんですよ。

少し話しがそれますが・・・中国の古典の中の話しで「魚を与えるのではなく魚の釣り方を教えなさい」・・・っていうのがありますよね。

魚を与えればその日の飢えはしのげるが、魚の釣り方を教えれば、一生の食を満たすことが出来る。

・・・そんな意味です。

教養を身につけるというのは、つまり魚の釣り方を覚えるのと同じじゃないかっていう気がします。

覚えた知識や技術を使って、自分が生きていく力に変えるということです。

そのためには、単に知識を覚えるだけでなくそれを使って自分の頭で考えて判断して、行動できるようにならなければならない。

良く言われる「知識」を使って「智恵」を生み出せるようになることが大切なんだと思うのです。

■自分自身を知る 

「自分自身を知る」ことこそが現代の教養だろうと私は思います。

どこから来て、どこへ行こうとしているのか。この場合の「自分」とは、文字通りの自分のことでもあるし、日本人あるいは人類のことでもあります。

この本の中で池上さんは「私たちはどこから来て、どこへ行くのか?」という問いを立て、自分を知ることが現代の教養だと位置づけています。

そして、その問いを解くために現代のリベラルアーツとして「宗教」「宇宙」「人類の旅路」「人間と病気」「経済学」「歴史」「日本と日本人」という、7つのテーマを設定して、それについて解説されています。

自分自身を知る・・・そのためには、教養を「学ぶ」というスタンスではなく、もっと自分に引きつけて考えながら理解することが必要ですよね。

先日、ある哲学書(といっても入門書)を読んでいたら、こんなコトが書かれていました。

哲学者が何と言ったかを覚えることよりも、

何故その哲学者が、そういう考えに至ったのかの思考のプロセスを

学んで欲しい。

教養を「学ぶ」ということも、これと同じだと思うんですよね。

例えば、この本の中でダーウィンの進化論の話しが出てくるのですが、進化論で語られていることは自分とはどういう関係があるのか、その上で、人類(生物)の進化の中で自分はどういう位置付けになるのか?

そんなコトを考えながら読むと、池上さんがこの本で読者に問うている「自分自身を知る」ということが、つまりどういうコトなのかがよく分かるようになると思うのです。

そして、あぁ教養を身につけるというのは、こういうコトなのかと体感できると思います。

◇まとめ

今回抜き書きしたのは全て「序章」からです。

その後に本編として、宗教史や宇宙の話し、歴史の話しなどが書かれているのですが、私にとっては「序章」で書かれている教養とは何か?という部分がものすごく腹落ちして、なんというか、ちょっと勇気をもらったような感じです。

もちろん、本編の方も安心の池上クオリティーです(分かりやすい!)

「宗教」「宇宙」「人類の旅路」・・・・それぞれ深みはあまりありませんが、ひとつのきっかけ、入門書として読むには充分な内容だと思います。

posted by penguin-oyaji at 22:22 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月12日

【読み比べ】思考の入口について(最終回)

あなたを天才にするスマートノート

「あなたを天才にする スマートノート」

岡田斗司夫:著

文藝春秋

ゼロ秒思考  頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング

「ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング」

赤羽雄二:著

ダイヤモンド社 

さて、さて、「前編」「後編」でも書き切れず、ついに3回目です。今回こそは「最終回」となりますよーに!

過去2回のエントリーでは、面白いことを自分の頭で考えられるようになるためには、先ずは自分の感じたこと、閃いたことをとにかく紙に書きだせ!・・・というようなことを書いてきました。

では、なんで「考える」ために「書く」ことが必要なのか・・・?

◆考える→書く→話す

昔、新人研修を担当していた時のこと。

「考える」→「書く」→「話す」という話しをよくしていました。

どーいうことかというと。。

普段の日常会話のほとんどは、頭に浮かんだことをそのまま口に出して話していますよね。

つまり、「考える」→「話す」です。

でも、これだと話し手によってうまく話しが整理されないままに言葉に出してしまうことになります。

そのため話しがあっちこっちに飛んでしまい、聞いている方は「何が言いたいんだろう?」と思ってしまうことも少なくないような気がします。

昔、お世話になった上司がまさに!そういう人でした。

朝礼で訓話を話すのを聞いていると、Aの話しをしていたかと思うと、脈絡なくBの話しが始まり、そのうちCに話題が移って、またAに戻る。

で、最終的に何が言いたかったのか全く分からず!!

おまけに、話しが長いんですよね〜

だから、話しを聞いているのがツラくて、ツラくて(^^;

でも!

「考える」と「話す」の間に「書く」というワンクッションを挟むことで、

  • 自分の思考や感情が整理できる
  • 問題や論点を客観的に捉えることが出来るようになる
  • 頭の中のジャグリング(堂々巡り)が解消される

このような効果があり、結果として分かりやすく話すことができますよ、ということを新人研修で話していたのです。

つまり!

「書く」ということは、自分の感じたことや考えを人に伝えるためには、必須のワンステップというコトです。

◆言語化をめぐる冒険

思考と言語の関係について、強く意識してもらいたい。

「思考は言葉によってなされる」ということ。

そして「感情も言葉にできる」ということだ。そのうえで、頭に浮かぶイメージ、感覚を言葉にしてみよう。

「ゼロ秒思考」

まず「感じる」、次に「感じた理由を考える。私たちは感じているだけで実は考えていない場合が多い。考えを言語化していません。

そのためにも自分の感覚や感情を日本語にする訓練をしてみてください。

「スマートノート」

よく私もこのブログなどで「うまく言葉にできないのだけど・・・」と書いたりもしますが、自分の思いをうまく言葉にのせられないというコトはきっと誰にでもあるのではないかと。

言葉にできない、というのは、好きな人に対する自分の思いを言葉にして、その人に伝えたい。

でも、何といったらいいのか分からない。

・・・それと似てる感じでしょうか。

それでも!

自分の感情、思い、考えを人に伝えるためには何とかして「言葉」にしないといけない。

好きな人に対する言いようのない切ない思いを抱えながらも「好きです!」と言い切る。

それがつまり、言語化だと思うんですよね〜(違うかな?)

えっと・・・告白の話しではなく思考の話しでしたね。。

「思考は言葉によってなされる」という言葉を引用しましたが、まさにその通りだと思うんですよ。

考えるためには言葉を使わなきゃいけない。

でも、頭の中にあるあいだは言葉にならないモヤモヤした気分や感情のままであることが多い。

だから「書く」ことによって強制的に言葉にする。

そうやって言語化することが、考えることの第一歩だと思うのです。

つまり、言語化こそが思考の入口だということです。

◆思考は肉体訓練である

イメージや感覚を言葉にしようとする回数を重ねていくと、それほど抵抗なく形にできるようになる。

言葉にすることへの躊躇がなくなってくる。すっと書けるようになる。

「ゼロ秒思考」

論理を身につけたり、論理的に話したり考えたりするのに「入門書を読む」ほど的外れなことはない。

論理は肉体訓練です。スポーツと同じ。

(中略)

毎日、書く。

これ以上の論理入門はありません。

「スマートノート」

「思考」というと何やら知的な雰囲気が漂ってきますなぁ。

でも、思考というのは頭の中だけで完結するものではなく、結局は、ペンを握って紙に書く、あるいはキーボードを叩いて、文字を入力する。

そういう筋肉を動かす作業が必要であり、それを何回も何回も繰り返すことが必要!ということですよね。

ワタクシゴトですが、このブログ。

何だかんだで6年くらい続けていますが、最初、勢いだけでブログを開設してしまったものの、何をどうやって書いたら分からないし、言葉にするのもしどろもどろでした。

まぁ、しどろもどろというのは今も変わりませんが・・・

それでも最初の頃に比べれば、だいぶ書くことに慣れてきたかと。

(慣れ過ぎて、ムダな長文ブログを連発してますが・・・)

そういう意味ではブログは言語化のための良い練習だと思うし、あるいは、ブログでなくても日記や読書ノートなどを書くことも思考の肉体訓練になりますよね。

とにかく、書く!

・・・本当にそう思うなら、もっとブログの更新を増やせ!

というツッコミは要りません!(キリッ!

◆まとめ

「ゼロ秒思考」と「スマートノート」

方向性も書いている内容も違う本ですが、少なくとも「思考の入口」について書かれているコトは面白いくらいに同じことが書かれています。

つまり、頭の中を紙に書きだし言語化すること。

そして、それを何度も何度も繰り返すことで、だんだんと言語化がスムーズにできるようになるというコト。

まぁ、その後どうやって思考を進めるかというと深掘りしたり、他のことと関連付けをしてみたりすることが必要なのですが、そのコトについては長くなるので、今回はスルーということで。

ただね。一つだけ思うんですよ。

自分で考えたつもりでも、実は常識にのっかったものだったり、何処かの誰かの言ったことをなぞっていることが多いのじゃないかと。

なぜか・・・?

それは多分、心のどこかで「正解」を求めているから。。

取りあえず、こう言っておけばOK

こう書いておけば文句もあるまい。

もっとイヤらしいシタゴコロがあると、こういう言葉を使えば、共感して貰えるのではないかとか。

他の人は分からないけど、少なくとも自分に限って言えば、そんなふうに無意識のうちに安全圏に逃げ込んでいたんじゃないか?って思うんですよね〜

「思考の入口」ということで、あれこれ(ムダに長く)書いてきましたが、ある意味では、そういう安全圏に逃げ込まない勇気を持つことも

入口において必要なことではないかと思う次第。

最後に、そんな自分に自戒を込めてこの言葉を引用して終わりたいと思います。

考える、ということは「間違っててもかまわないから、自分なりの結論を持つ」ということです。

間違うことを恐れて、頭のいい人の意見ばかり聞いては、

頭は良くなりません。

「スマートノート」

ペンギンオヤジのB読書!: 思考の入口(前編)

◆どうやって考えたらいいの?

◆脳は勝手に考える

◆思考のジャグリング

ペンギンオヤジのB読書!: 思考の入口(後編)

◆とにかく書き出せ!

◆どうやって頭の中の全てを記録するか?

 (1)常にメモできるものを携帯せよ!

 (2)迷わずに書く

 (3)カッコウつけずに書く

タグ:岡田斗司夫
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2014年03月07日

【読み比べ】思考の入口について(後編)

あなたを天才にするスマートノート
「あなたを天才にするスマートノート」
岡田斗司夫:著
文藝春秋

ゼロ秒思考  頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング
「ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング」
赤羽雄二:著
ダイヤモンド社

さて、「前編」からのつづきです。

前回は・・・

・どうしたらちゃんと自分の頭で面白いことが考えられるようになるのか?

・人は考えているのではなく、感じているだけのことが多い

・そもそも深く考える方法が分かっていない

・しかし、脳は[勝手に]いろいろなコトを感じたり考えている

・その結果、頭の中で思考がジャグリングしてワケが分からなくなる

・だったら、感じたり考えていることを紙に書きだせばいいじゃん!

と、こんなようなことを書きました。

とにかく書き出せ!

考えてること全て書き留めたい

「スマートノート・電子版プラス」

そこで、お勧めなのは考えをすべて書き留めることだ。

考えのステップ、頭に浮かんだことを書き留めると、

堂々巡りがほぼなくなる。

「ゼロ秒思考」

「前編」でも書いたけど、人って割と絶えず色々なコトを感じたり、考えたりしていると思うんですよね。

まぁ、たいていは取るに足らないどーでもいいコトが多いのだけど、でも時々、自分でも「はっ!」とするような良いコトを思いついたりもする。

・・・でも、そういうアイデアや閃きって泡みたいなもので、浮かんできても、すぐにはじけて消えてしまうんですよね。。

おまけに、後から思い出そうとしても「さて、何だったっけ?」となることが多いのだ。

で、どーするかというと2冊の中で共通して書かれいるのは『考えていることを全て書き留めよ!』という点。

いやいや、これってハードル高いですよね〜

どうやって頭の中の全てを記録するか?

古来、三上(馬上、枕上、厠上)は文章を書くとき、アイデアを練る時としてよいと言われているが、まさにそのとおりなのだ。

「ゼロ秒思考」

この『三上』の話しはけっこう色々な本に書かれているので、ご存知の方も多いかと。

要は思いつき、アイデアがうまれやすい場所として次の3箇所を挙げているのです。

(ちなみに、宗の時代の学者、欧陽修が言ったといわれてます)

・馬上→馬の背の上、つまり乗り物に乗っている時

・枕上(ちんじょう)→枕に頭を乗せている時、つまり寝ている時

・厠上(しじょう)→厠、つまりトイレに入っている時

1)常にメモできるものを携帯せよ!

トイレや寝ている時に浮かんでくるアイデアや閃きを書き留めるためには、やはりメモ帳を常に肌身離さず持ち歩け!ってことになると思うのですが・・・

手許にメモがなければ、最近ではスマートフォンのボイスレコーダー・アプリを使って、直接、声で録音してしまうという手もありますね。

ちなみに私はiPhoneのメモ帳アプリ・Evernoteに記録するようにしてます。

・・・が!

考えていることや思い付きをメモするのに「壁」となるのは、メモ帳を持ち歩く、というような道具の問題ではなく、むしろ次のような心理的な問題の方が大きいのではないかと思うのです。

(2)迷わずに書く

メモには具体的に何を書くのか。

思いついたこと、気になること、疑問点、次にやるべきこと、自分の成長課題、腹が立って許せないことなど、頭に浮かんだことは何でも書く。頭に浮かんだそのまま、フレーズを書き留める。

「ゼロ秒思考」

前に脳は自分の意思とは関係なく[勝手に]色々なコトを考える。と書きました。

だから「あ〜腹へった〜」とか、「眠いなぁ〜、少しサボっちゃおうかなぁ」などと、まぁ、割とどーでもいいコトも考えるわけで、

だから、いくら心で思ったこと全部を書き留めろ!と言ったってこんなコトまでメモする必要ないよなぁ〜って思いますよね。

確かに!私もメモする必要ないじゃん!って思ってました。

だけどね・・・

これはメモしなくてもいいや

こんなことメモするのはバカらしい

そんなふうに流し続けていると、「おっ!これは!」という閃きが浮かんできても、「メモするの後でいいや」とか、「わ、わ、いいこと思いついたけどどーすればいいんだ!(汗)」なんてコトになってしまうのではないかと思うようになったんですよ。

たぶん・・・ですけど、メモって「習慣」だと思うんですよね。

よく「メモ魔」と言われるような人っているじゃないですか。

何でもかんでもメモしちゃう人。

そういう人って、何か気付いたり、思いついたらメモをするという習慣が身に付いていると思うんです。

「習慣」を身に付けるには・・・そうです。

ひたすら反復するしかないですよね。

だから最初のうちは、メモをする、しないという判断を入れずに、とにかく思いついたら何でもメモする!って決めてしまった方が良いのではないかと。

それでも、こんなのメモするに値しない!って思うならツイッターでつぶやいちゃえば良いんですよ(笑)

3)カッコウつけずに書く

書き留める際に言葉を選ぼうとしすぎると、思考が止まってしまう。

それよりは、浮かんだ言葉をあまり深く考えず、次々に書き留めていくほうがずっといい。

「ゼロ秒思考」

メモやノートを書く時に、誰に見せるわけでもないのに、なぜか言葉を選んで、カッコウつけようとしたりしてませんか?

私はかなりカッコウつけてます (^^;

つーか、頭が固いんでしょうね、きっと。>私

「Aさんは、●●すべきである」なんて書いてしまうのですが、頭の中に浮かんだ時には、「Aさんが、やりゃいいんだよ!」とかって思っているわけです。

だったら、そのまま「やりゃいいんだよ!」って書けばいいし、それに、そういう言葉で残しておいた方が、後で見返した時にその時の自分の感情まで再現できるような気がします。

◇◆◇◆◇◆◇◆

また、ムダに長い長編になってきましたね・・・(汗)

本当は今回の「後編」できれいにまとまる筈だったんですけどね〜

おかしいなぁ〜

でも!

「グラスの底に顔があってもいいじゃないか!」と言ったのは岡本太郎氏ですが、

「後編」の後に最終回があってもいいじゃないか!と思うわけですよ。

・・・というわけで、まだまだ続くのじゃ!

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2014年03月06日

【読み比べ】思考の入口について(前編)

Don't think ,Feel !(考えるな、感じろ!)
と、言ったのはブルース・リーだったか。。

映画とかを観ていないので、この言葉がどういうシーンで使われ、真意は何なのか?とか知らないのだけど、先日、久しぶりに読み返した本の中にこんなコトが書いてあった。

私たちは感じているだけで、実は考えていない場合が多い

「あなたを天才にするスマートノート」(岡田斗司夫:著)

考えているのではなく、感じているだけ・・・
なんか、そうかもなぁ〜と妙に共感してしまいました。

自分が以前に書いたブログを読み返すと、
(1)本に書いてあるコトに対して、ただ反射的に思ったことを書いている
(2)何処かの誰かが書いたり言ったりした借りモノの言葉で書いている
   →つまり、自分の言葉で書いていない!
・・・なんか、そんな記事が多いんですよね〜

そして致命的なのが、(3)正しいコトを書いてまとめてる。。
正しいコトというのはですね、
・前向きに元気に生きる
・人には優しく親切にする
・目標を持って生きる
・ご飯は残さない(←ちょっと違うか。。)
こういう当たり前のことですね。

同じく岡田斗司夫さんの「スマートノート」の中にこんな言葉が!

人は面白くなければ、正しい意見でも聞いてくれないのです。

そうなのだ!
フツーの人(つまり、私)が当たり前のことを言ったり書いたりしても「だからどうした?」ってなるのがオチ。。

では、どうしたらちゃんと自分の頭で面白いことが
考えられるようになるのか?!
以下の2冊の中からその答えを探って、まとめてみました。
(長い長い前フリじゃ!)

あなたを天才にするスマートノート
「あなたを天才にするスマートノート」
岡田斗司夫:著
文藝春秋

ゼロ秒思考  頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング

「ゼロ秒思考 頭がよくなる世界一シンプルなトレーニング」
赤羽雄二:著
ダイヤモンド社

◆どうやって考えたらいいの?

そもそも、大半の人は、どうすれば「深く考える」ことが
できるのかがよくわかっていない。

「0秒思考」

よく職場で先輩や上司から「もっと、よく考えろ」とかって言われたりしませんか?
私はよく言われました。

「もっとよく考えろ!」「深く考えろ!」とか言われたって、どうしたらいいのさ!(逆ギレ)という人が大半というのは納得。

だって書店に行くと、「論理思考の技術」とか「アイデアはこうやって出せ!」みたいな思考術の本がそれこそ山のように売られているのが何よりの証拠かと(笑)

◆脳は勝手に考える
瞑想の経験がある人は分かると思うのですが、目を閉じている時に頭の中で何も考えない・・・ということになっていますが、実際はさまざまな雑念が湧いてきます。

「考えない!考えない!」と思えば思うほど、心配事であったり、何かのアイデアだったり、時にはネガティブな感情だったり・・・
そういう雑念が次から次へと浮かんでくるんですよね。

私、思うのですが・・・

人の脳って自分の意思とは関係なく色々なコトを勝手に考えたりするんですよね。
脳が暴走するというか。。

「深く考える」方法は分からないにしても、少なくとも脳は勝手に色々なコトを考えだしているのではないか?ということです。

◆思考のジャグリング

「沈思黙考」という言葉があるが、ひたすら考えを巡らせ、ああでもないこうでもないと考えるだけで思考が進むことはあまりない。多くの場合、時間の浪費になる。

「ゼロ秒思考」

人間の悩みの最大ポイントは「同じ悩みをぐるぐる繰り返す」ことです。この繰り返し、つまりジャグリングさえやめれば実はかなり楽になります。

「スマートノート」

ジャグリングって、これのことです。

ジャグリング
大道芸人さんがモノをぐるぐるまわす芸のこと。

私が思うに・・・

人の脳は[勝手に]次から次へと考えを巡らせるから、放っておくと頭の中が色々な考えでジャグリング状態になってしまうのではないかと。

で・・・

ジャグリングを繰り返しているうちに自分でも何がなんだか分からなくなってきて、「もう考えるの止めた!」ってなるんですよね〜

じゃぁ、どーするか?

そうです!正解です!

とにかく頭の中を紙に書きだせ!
ということになるんですね。

でも、その話しは次回「後編」につづくのだ!

タグ:岡田斗司夫
posted by penguin-oyaji at 22:26 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月14日

ビジネスマンが学校の先生から学ぶべき大切なこと『わかる「板書」伝わる「話し方」』

わかる「板書」 伝わる「話し方」 

『わかる「板書」伝わる「話し方」』

栗田正行:著

東洋館出版社

現役高校教師にしてビジネス書作家、栗田先生の待望の新刊です!

 

この本は学校の先生やあるいは学習塾の講師など教育の現場に携わっている先生向けに授業をするうえでの必須スキル、「板書」と「話し方」についてまとめられている本です。

 

な〜んだ、それじゃわしは先生じゃなかけん、関係ないたいね〜(何故か博多弁!)と思うのは早計!

 

ビジネスの現場でも充分に役立つスキルそして考え方が書かれてますよ!

 

Amazonの内容紹介 

先生のための教育実用書は数多くありますが、本書は「先生のための

ビジネス書」として、生まれました。

著者が独自に編み出した「板書」で大切な「CHALK(チョーク)の法則」

や、わかりやすい「話し方」のエッセンスを図書館のお話会や

セミナー講師などから、より実践的にまとめています。

子どもたちの心をつかむ授業を行うための1冊!

なお、この本は著者である栗田先生から頂戴しました。

 

ありがとうございました!

 

素晴らしき板書テクニック

【矢印だけでも4つの効果がある】

(1)時間の関係を表す

(2)因果関係を表す

(3)順序関係を表す

(4)位置関係を表す

ここで重要なのは、たくさんの言葉で説明しなければならない内容を

視覚に訴えて、ひと目で見せることなのです。(P22) 

【箇条書きを活用する】

「KISSの原則」というものがあります。

これは、「Keep It Short & Simple」の頭文字を取ったもので、

とにかく「短く」「単純に」まとめることがわかりやすくするための

原則であるというものです。

ですから、授業においても短く単純にまとめられる箇条書きは

活用すべきなのです(P33)

【「見出し」という名のフックをかける】

私が考える「見出し」としては、次の三種類があります。

1・・・学習内容、学習している箇所を提示する役割をもつもの

2・・・学習内容の重要度を表すもの

3・・・学習内容の理解を補填するもの

(中略)

チェックポイントを書く一番の目的は、授業内容にいかに付加価値を

つけるかということに尽きます。(P47)

学校で授業を受ける時に「板書」って大切だと思うんですよね〜

 

私が小学校高学年の時の担任、M先生はとても板書がうまかった!

 

上に本書に書かれている板書スキルをいくつか書き出しましたが、M先生はまさに、そのスキルを実践されていたと思うのです。

 

箇条書き、キーワードを矢印で結んだりしながら「流れ」や因果関係を図解してその中で重要なポイントは何なのかを板書で示してくれていたのです。

 

手前味噌な話しですが・・・

 

私はそのM先生の板書のおかげで、物事をビジュアルで理解するというクセがつきました。

 

それは中学、高校・・・そして社会人になっても忘れることはなく、いまだに、何か企画書などを考えたり書いたりする時には、頭の中で先ず最初に絵というかチャートを思い描くんですよ。

 

言い換えれば、私の思考のクセはM先生の板書によって形づくられたのです。

 

それくらい、板書って生徒さんに影響を与えるものだと思うのです。

 

そんなわけで、いまだにM先生の板書テクニックの呪縛(?)から逃れられない私は会社で会議のファシリをやったりする時にはホワイボードなしではうまく進行できないくらい!なのです。

 

実際、この本の中でも赤・青・黒のホワイトボードマーカーの色をどのように使い分けると良いかという実践的な解説とかも書かれています。

 

ビジネス現場でも使いたい!伝えるテクニック

私がこのように発問回数を多く設ける理由は次の三つです。

・発問に答えることで、授業に参加している気持ちになる

・授業に対する緊張感を維持させる

・「発問」→「答える」というサイクルによってコミュニケーションになる

(P146)

「発問」というのは、授業中に先生が生徒を指して質問するというアレです(笑)

 

「指されたらどーしよう?!」と焦りまくっていた学生時代の思い出がww

 

前職で学生さん相手に会社説明会をやる時や、研修の講師などをしていた時に私もけっこう聞き手の皆さんに質問してたなぁ〜とちょっと懐かしく思い出しながら読みました。

 

もっとも私の場合は場当たり的にやっていたのに対して、この本では発問することによる効果や、「間違っても良いんだよ」という場の雰囲気づくりなどが詳しく書かれていて、今さらながら「お〜、そうかそうか!」と頷いてしまいました(って、遅過ぎ!)

 

私は保護者に電話するときには、少し高めの明るい声で話すように

しています。(もちろん、話す内容にもよりますが)。電話の場合は、

対面で話すよりも声で与える印象が強いため、低い声だと暗い印象を

与えてしまうこともあるためです。(P125)

 

こういう電話で話す時のトーンって、案外と教えられていないことが多いような気がします。

 

「電話では機械を通す分、普通の話し声よりも低くなってしまうから、いつもより少し声のトーンを上げて話すと良い」ということを私が知ったのは、社会人を10年以上も経験してからでした。

 

(ちなみに和田裕美さんの「人に好かれる話し方教室」で教えて貰いました)

 

「オノマトペ」とは擬音語、擬態語、擬声語の総称です。

(中略)

「チャッチャッと片付けよう」

「パクパク食べよう」

「問題をドンドンやってみよう」

この「オノマトペ」はメールでいえば、絵文字や顔文字のようなもの。

なんだか分からないけど伝わるのです。(P160)

 

よくTwitterを眺めてると時々、絶妙なオノマトペ使いがいたりして、その度に「面白いなぁ」って思うんですよね。

 

この本にも書かれていますが、有名なのが巨人の長嶋監督が打撃テクニックをコーチする時に「ビューと振ってバーンと打つ」という指導方法。

 

ビューとかバーンじゃ分からん!という声もあるかと思いますが、私は個人的に、こういうオノマトペってうまく使えば、人にものを伝えるのにとても有効なテクニックじゃないかなぁって思うのです。

 

例えば・・・

 

「積極的に攻める」

 

「がしがし攻める」

 

何となく後者の方が迫力が伝わるんじゃないかなぁって思うのですが、いかがでしょうか?

 

行間から伝わる大切なこと

私は教育者でもないし、学校の先生でもないので、こういう先生向けの実用書を読んだのはこの本が初めてでした。

 

他の教育書にどういうコトが書かれているのか知らないのですが、少なくともこの本は実用テクニックとか教育のためのスキルだけが書かれている底の浅い本ではないと感じました。 

 

「黄色は一番目立つ色なので、授業で重要な部分に使う」ということを

あからじめ説明することが大切なのです。これは、子どもに「言わなく

てもわかる」ではなく、「言っておくからこそわかる」ことです。

(P43)

教育というと、つい「上から」になったり、教える側の先生(講師)が主体となった考えや行動になりがちだったりする場合もあると思うのですが、本当は教えられる側(生徒さん)がちゃんと理解することが一番大切なんですよね。

 

だから、そのためには生徒目線に立って、どういう点に気を遣う必要があるのか、この本に書かれているテクニック、スキルは全てその目線で書かれています。

 

でも、だからと言って最近、流行の友だちみたいな先生になれ!というワケではない。 

 

私の場合、子どもが「先生、宿題忘れた〜」と言ってきたら、言葉遣いが

悪いことを厳しく諭すのではなく、「『先生、宿題忘れました』だよね」と

伝えて、言い直させるようにしています。(P106)

 

ちゃんとスジを通すべきところは、スジを通す!

 

こういうちょっとしたコトを叱る(怒るではない)オトナが少なくなってきた今だからこそ、こういう指導も大切なんでしょうね。

 

○○○

 

「行間を読む」という言い方がありますね。

 

言葉としては書かれていないけど、言外に込めた作者の思いを読み取る、という意味ですが、栗田先生の文章は「行間から優しい愛が感じられる」文章だと私は思うのです。

 

その行間に込められた優しさは栗田先生の処女作のこちらを読んだ時にも感じたものでした。

 

仕事も家事も育児もうまくいく!  「働くパパ」の時間術 

ペンギンオヤジのB読書!: 仕事も家庭も将来への自己投資も全てをあきらめない!「働くパパ」の時間術

私は栗田先生の授業を受けたことも見たこともありませんが、この本を読むと、きっと、とても丁寧で優しく分かりやすい授業をしている栗田先生の姿が目に浮かんできます。

 

その優しさは上の方でも書いた通り、一本スジを通しながらも、生徒さんへの気遣いとか心配り、そして何よりも以下の言葉に込められた栗田先生の信念があればこそ、優しさだと思うのです。 

 

あなたが変われば授業が変わる。授業が変われば子どもが変わる。

この言葉を本気で信じているからこそ、この本が誕生したのです。(P171)

 

ビジネスマンであれば、栗田先生のこの言葉を「私が変われば後輩(部下)が変わる。後輩が変われば会社の未来が変わる。」こんなふうに言い換えても良いかもしれませんね。

 

学校であれ会社であれ、人を教え育てるというコトは、未来を創ることに通じると、私は思うのです。

 

「餅は餅屋」という言葉がありますが、教育の現場には人を教え育てるために長年、先人たちが遺してくれた多くのものが蓄積されていると思うのです。

 

最近は「即戦力!即戦力!」とまるで人を育成することを放棄するかのような風潮がなきにしもあらずですが、それでもビジネスの現場に於いて人を教え育てるコトは大切なことだと思うのです。

 

そんな育成の場面において、ビジネスマンが我流で教え育てようとするのではなく、学校教育の現場から学ぶべき大切なことがある!

 

ということを教えてくれた一冊でした。

 

【2013/10/24追記】

こちらの本のAmazonレビューも書きました。

もし、よかったらお読みくださいませ。

Amazon.co.jp: わかる「板書」 伝わる「話し方」の penguinoyajiさんのレビュー

 

posted by penguin-oyaji at 19:17 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする