2014年12月07日

「ワセダ三畳青春記」人生の中の「彼岸」と「此岸」あるいは青春の終わりということ

「ワセダ三畳青春記」
高野秀行:著
集英社

「彼岸」と「此岸」という言葉があります。
簡単に言えば「此岸(しがん)」というのは
今、自分たちが生きているこの世界。
そして「彼岸(ひがん)」とは、あの世のこと。

それと「彼岸」にはもう一つ、
川の向こう岸にある世界、という意味合いがある。

彼岸と此岸を分けている川といえば、
それはもう「三途の川」である。

人は死ぬと自動的に三途の川を渡って彼岸へと行ける(らしい)。

ここまでは仏教とか民間信仰の話しなのだけど、
私が思うに、私たちの人生の中でも
川を渡る瞬間ってあるんじゃないかと思うのです。

Amazonの内容紹介

畳一間、家賃月12000円。ワセダのぼろアパート野々村荘に
入居した私はケッタイ極まる住人たちと、アイドル性豊かな
大家のおばちゃんに翻弄される。
一方、私も探検部の仲間と幻覚植物の人体実験をしたり、
三味線屋台でひと儲けを企んだり。金と欲のバブル時代も、
不況と失望の九〇年代にも気づかず、能天気な日々を過ごした
バカ者たちのおかしくて、ちょっと切ない青春物語。

■人生の中の「彼岸」と「此岸」

この本は上の「内容紹介」を読んで貰えれば分かる通り、
ワセダのぼろアパート野々村荘を舞台にした
面白オカシイ青春期です。

こうしたぼろアパートを舞台にした青春期っていうのは既に
何冊も出版されていて、私の記憶の中を探ってみても
椎名誠:「哀愁の街に霧が降るのだ」
東海林さだお:「ショージくんの青春記」
などは、むかしハマって何度も読み返したりしていた。

この「ワセダ三畳青春記」もそうだけど、これらの作品って
著者が20代の頃、ぼろアパートを舞台にしておくっていた
ハチャメチャな生活を面白オカシく描いているんですよね。

だけど・・・

そのぼろアパートにずっと住みつづけていることはなく、
何かをきっかけにしてアパートを後にするワケですよ。

たいていの場合

もうオレもいい年になるし、マットウな生活をしなきゃ
という気になり、実社会へと巣立っていく。
そんな展開が多い。

◇◆◇◆◇◆

人生の中にも「彼岸」と「此岸」がある。
そんなことを書きました。

たぶん・・・

「此岸」っていうのは、こうした20代の頃にハチャメチャな
生活を送っているモラトリアムの世界で、
「彼岸」っていうのは、マットウな実社会のことを指す。

私には何かそんなふうに思えるんですよね。

そして、全員ではないかも知れないけど
多くの人が、青春時代の終わりに
ある人は意識的に、
ある人は無意識のうちに、
川を越えて「此岸」から「彼岸」へと渡っていったんじゃないかと。

この本でも前半のハチャメチャな面白オカシイ話しとは対照的に
後半というか最後の数章がとても切なく感じられるのは
そういうある種の「青春の終わり」を描いてるからだと思う。

▲この歌も「青春の終わり」を歌った名曲ですよね。

就職が決まって 髪を切ってきた時
もう若くないさと 君に言い訳したね

◇◆◇◆◇◆

書評にも感想にもなってないし、この本を読んだからといって、
コレから先の人生で大きな夢が叶ったり、
あるいはお金がウハウハ儲かるというコトもない
・・・と思う。

だけど

きっと誰もが通り過ぎたであろう『青春』というものを
今一度、手許に引き寄せて「青春のバカさ加減」と
「青春の終わりの切なさ」を思い出してもみるのも
そんなに悪いコトじゃないだろう。

 

posted by penguin-oyaji at 20:26 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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