2014年03月15日

【自己啓発】「人生計画の立て方」本多静六:著・・・余生の「余」とは

人生計画の立て方 (実業之日本社文庫) 

「人生計画の立て方」

本多静六:著

実業之日本社

今年はいわゆる自己啓発本を買って読むのはもうやめようと思っていたんですよね〜

大筋においてどの本も書いてあるコトは似たり寄ったりだし、そもそも私のようにいつまで経っても玄関で履物を揃えられなかったり、部屋の掃除もまともにやらないような、そんな人間が自己啓発本を読んでも意味が無いというか・・・

それよりも今まで読んだ本を再読したり、本に書いてあるコトを一つでも二つでも実行できるようにした方が良いんじゃないかって、そんなふうに思っていたんです。

・・・が!

ある日、Kindleの日替わりセールでこの本が「99円」で売られているのを見て、ついポチッとしてしまったのです。。(Kindleって怖い!)

でも、この本は読んで大正解でした!

著者の本多静六氏は東京の日比谷公園や福岡の大濠公園などなどそれこそ日本全国の多くの公園を手掛け、「公園の父」と呼ばれる林学博士にして、造園家として活躍された方だそうです。

そして、この本が最初に刊行されたのは昭和27年(1952年)というから、今から60年以上も前の本なんですね。

確かに、一部の内容は今の時代にはそぐわないのではないか?と思われるようなところもありますが、人生に於ける大切なことについて書かれている内容は60年の時を経ても色褪せず、光り輝くものがあるように感じました。

Amazonの内容紹介

設計図なくしては、いかに老練な建築家も立派な家造りができないと同様に、まず「人生計画」を樹てることなくして、完全な意義ある人生を築き上げることは難しい―偉大な先人が後世に生きる私たちに贈った処世訓。

◆余生の「余」って・・・?

七十歳で一応任務をつとめ果たしたように考えるのは僭越でもあり、また軽率でもある。まさしく人生への冒涜である。ああ、われ大いに誤りての感が、ここでむくむくと沸き起こったのである。

人生は、生ある限り、これすべて、向上への過程でなくてはならない。社会奉仕への努力でなくてはならない。もし老人のゆえをもって、安穏怠情な生活を送ろうとするならば、それは取りも直さず人生の退歩を意味するものでなければならない。

「余生」っていう言葉があるじゃないですか。辞書によると次のように書いてあります。

盛りの時期を過ぎた残りの生涯。残された人生。(デジタル大辞泉)

サラリーマンなら60歳とか65歳で定年を迎えた、その後の人生、まぁ、そんな意味合いで使われる言葉ですよね。

ただ・・・余生の「余」ってなんだろう?って最近すごく思うんですよ。

仮に80歳までの人生だったとして、65歳からは15年の「余生」があるわけですよね。

働き盛りと言われる35歳から50歳までも15年。

同じ人生の15年なのに、「余」りの人生って何かおかしくない?っていうふうに思っていたんですよ、最近なんとなく・・・

そんな私のモヤモヤした思いに、一つの答えをくれたのが、この本だったというワケです。

著者が最初に立てた人生計画では70歳を過ぎたら、いわゆる隠居生活を送ることになっていて、実際、静岡県の伊東に隠遁して自給自足の生活をされていたのですが、そこで、自分に対してこんな問いをたてるんです。

「ただ老人たるのゆえをもって、世間にかまわず自分だけが安楽生活を営むことがゆるされるかどうか」

で・・・

再び120歳までの人生計画を立てなおすんですよ!

人生の後半に於いてもなお、目標を掲げ努力を絶やさないようにした著者の姿に私はなんか「グサっ!」と刺さるものを感じました。

そして、この本を読んで改めて余生の「余」について考えてみたんですね、私。

たぶん・・・人が亡くなった時に「あの人の余生は・・・」と語られるべきもので、自分が生きている間に「私の余生は・・・」と自らが語るべき言葉ではないのではないかと・・・そんなふうに思うんですよね。

『人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、何事かをなすにはあまりにも短い』

「山月記」を書いた中島敦さんの言葉ですが、何事かをなそうと思う人にとっては、きっと「余生」なんていうものは無いのだろうと思うのです。

◆本当に恐れなければいけないもの

百二十を目標に樹てた人生計画は、百二十まで生きなければ未完成というものではない。八十でも九十でも、いや六十、七十までしか生きないのでも、立派にこれを生かし遺憾なく充実を期することができる。いつどこで打ち切りになっても悔いるものがない。人生即努力、努力即幸福、これは人寿の長短にかかわりなく絶対だ。

「いつどこで打ち切りになっても悔いるものがない」これを読んだ時に、松下幸之助さんのこの言葉を思い出しました。

「死ぬことよりも、死の準備がないことを恐れたほうがいい」

死の準備というのは、毎日を一生懸命に精一杯に生きる、ということなのでしょうが、その前提として自分の人生の目標があった方が良いと思うんですよね。

いつもこのブログを読んで下さっている友人がよくブログやツイッターに「毎日を笑顔で幸せに」って書き込んでいるのですが、それも人生の計画であり、目標だよなぁ〜って思うんです。

そう。「人生計画」なんて堅苦しく考えるが苦手なら自分はどう生きたいのか?それだけでも決めておけば日々の行動は、自分が望む方向へと進んで行くような気がするんですよ。

それと・・・

「いつどこで打ち切りになっても悔いるものがない」この言葉は、人生は目標達成ではなく、そこに至るプロセスこそが大切だということを教えてくれているように思うのです。

どんなに精緻な計画を立てても、夢や目標が大きければ大きいほどそれが達成できるかどうかは人力が及ばない「運」に左右されてしまうことがある。

けれど、目標や夢に向かって日々の努力を精一杯に積んでいけば、「いつどこで打ち切りになっても悔いる」ことなく、旅立っていける。そんなことを著者は私たちに伝えてくれたのではないかと感じました。

◆◇◆◇◆◇

いや〜、本当はもっとたくさん書きたいコトがあるのですが、調子に乗って書いているとまたムダに長い超大作になってしまいそうなので、このへんで。。(^^;;

本の中には、学校選びとか結婚とかについても書かれているのですが、私としては、やはり年老いた後の生き方について書かれているところが妙に心に刺さりまくりました。

それは・・・もう私がオヤジで若くないからなのかもしれんが、これを読んで下さっている若い世代に一言申し述べておく。

老後なんて、まだまだ先のコトと思っているかも知れんがあっちゅーまだからね!(ヒヒヒ)

〆の言葉がこれかい?!と思われるかも知れないが、これでいいのだ!

posted by penguin-oyaji at 23:05 | Comment(0) | 自己啓発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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