2013年09月17日

2020年・東京オリンピックが生み出す「希望」とは

7年後の2010年、オリンピックが東京で開催されることが決まり、

色々なところで

・希望がもてた

・希望を届けられた

などと「希望」という文字を見聞きしますね。

 

そんな中、ネットでこんなコラムを読み

ちょっと考えさせられました。

「希望を持てた?」 五輪開催に浮かれる人に感じた“距離”:日経ビジネスオンライン

要旨をざっくりまとめると、こんな感じ。

 

・オリンピック開催に伴い聞かれる「希望」という言葉に違和感を感じる

・その違和感は、オリンピック開催=明るい未来がやって来ると単純には

 考えられないから。

・そもそも「希望」とは何か?誰かが届けてくれるものなのか?

・佐藤真海選手が教えてくれた本当の希望の意味

・希望とはしんどい中にあるもので、浮かれた中にあるものではない。

 

■希望は誰かが与えてくれるものなのか?

「この国には何でもある。希望だけがない」という有名な村上龍氏の言葉が

あるけど、希望が見いだせないということは、明るい未来が描けない

ということと同じ意味ですよね、きっと。

 

では、なぜ希望が見いだせないのか?

「希望がない」と天を仰ぎ、「今の社会には希望を持てない」とか、

「希望のない時代」などと悲劇のヒロインになった自分に酔いしれ、

どこまでも周りのせいにしてきた。

あたかも、希望は誰かが与えてくれるものと言わんばかりだ。

 

コラムの筆者、河合薫さんは「希望」について、このように書かれてます。

 

確かに「社会」というものに対峙するには個人の力はあまりに非力だ。

だから、自ずと「誰かが」と考えてしまうのもある意味では

仕方の無いことかと・・・

 

話しが少しそれるけど・・・

勝間和代さんがアメリカのヒーローは、スーパーマンのように市民が

変身して活躍するのに、日本のヒーローは遠山の金さん、暴れん坊将軍、

水戸黄門のように「お上」任せのものが多いと語っていました。

 

社会を変えるのは自分ではない、お上という第三者・・・

そんなふうに考える人が多いというコトでしょうか。。

社会を変えてくれる英雄の登場を皆んなで待っているようなものかもね。

 

■希望って「夢を見る力」だと思う

コラムの中ではオリンピック招致のプレゼンに登壇された

佐藤真海選手について書かれています。 

佐藤真海さんのプレゼンに、多くの人たちが感動したのはなぜか?

 

それは彼女が足を失い、故郷が津波の被害に遭いながらも、

笑顔でいるからではない。どんなに苦しい状況の中でも、

足を止めることなく前を向いて歩き続け、再び足が止まりそうになっても、

「ありのまま」を否定しないで、ちゃんと受け止め、

前を向いて歩き続けるのをやめなかった勇気に、

心を揺さぶれたんじゃないだろうか。

 

そう言えば、テレビ番組の中で佐藤選手のお父さまがインタビューに

こたえて語っていた言葉がとても印象的でした。

 

99.9%の絶望があるけど、対極に光を、希望をね、0.1%持っていた

 

私の個人的な考えですが・・・

希望という言葉には多分に「夢を見る力」という意味が

含まれているように思うのです。

 

病気で右足を失い、故郷が津波に襲われて・・・

確かに普通だったら絶望してしまうような状況。

でも、そんな中にあっても明日を信じて希望を抱くには

夢を見る力が必要なんだと思う。例えそれが0.1%の希望であっても。

 

そしてそこに「力」という言葉がくっ付いているからには、

自ら動き、他のものを動かすことができる能力も必要なのだ。

 

ここで私が改めて、あーだ、こーだと言う必要もないのだが、

佐藤選手は夢を夢として終わらせるのではなく、

努力を重ね、少しずつでも前に進んでいったんですよね。

そこには「社会が」とか「周りが」というような甘えは無かった筈。

 

そんな佐藤選手の姿から、筆者・河合薫さんは希望について

このように書かれています。 

そう。希望は自分で、手に入れるもの。

とてつもなく厳しいかもしれないし、想像もしないような試練に

遭遇することもある。それでも踏ん張って前を見る。

止まりそうな足を、わずか1ミリでもいいから、前に踏み出し続ける。

その勇気と謙虚な気持ちを持つことが、希望をもたらす。

無限大の可能性の中に、希望は存在するのだ。

 

■それでも、オリンピックは希望だと思う

前回(昭和39年)の東京オリンピックの時、私は生後20日目くらい

だったので、何も覚えてはいないのだが・・・

東海道新幹線や東京モノレールが開業し、首都高速が整備され

東京の街並も大きく変わったのだと思う。

 

そして2020年に向けて、やはり東京、あるいは日本各地で

数々のインフラ整備が行われ、また街並も生まれ変わるだろう。

その過程で雇用が生まれ、経済も少しは活性化すると思う。。

 

長らく閉塞感に包まれていた日本にとって、

オリンピックはやはり明るい未来なのだと思う。

 

だが!

 

祭りはやがて終わる。

希望が与えられるものだと思っている限り、

祭りが終わればその希望とやらも、何処かへ消え去り

残るのは祭りの後のさびしさだけなのかも知れない。

 

「パラリンピックで世界のトップ選手を間近で見て、

その輝いている姿に圧倒されました。

『この人たちのように、私も義足のことをちゃんと受け止めて、

限界をつくらずに前へ進む人生にしたい』と思ったんです。

日本に帰国後、それまでの自分とは気持ちの部分で

まったく違っていました」

 佐藤真海選手がアテネでのパラリンピックに出場した際に

世界のトップアスリートの輝きによって、

自らの気持ちと未来を変えていったように、、

 

東京オリンピックに集うアスリートたちの輝きを感じて

未来を変えようと、自ら希望を生み出し前に進もうとする人が

現れることこそが、東京のオリンピックが生み出す本当の希望なのではないか

と、このコラムを読みながら思ったのでした。

タグ:河合薫
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posted by penguin-oyaji at 18:30 | Comment(0) | ネット記事・コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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