2013年03月20日

疲れたら休め「人の砂漠」

人の砂漠 (新潮文庫) 

「人の砂漠」

沢木耕太郎:著

新潮社

 

 

沢木耕太郎の初期の作品に「人の砂漠」という8篇のルポルタージュをおさめたものがあります。

 

そこに取り上げられているルポといえば、

 

餓死した老婆の話しであったり、元売春婦の養護施設の話し、それに詐欺をはたらいた老女の話しなど、どちらかと言うと陰鬱とした社会の闇や人の心の奥底を覗き見るような作品ばかり。

 

私がこの本を手にしたのは、高校生の頃だったと思う。

 

そんな陰鬱とした内容の本であったにもかかわらず、何度も繰り返し、繰り返し読んだ覚えがある。

 

何にそんなに惹き付けられたのか・・・?

 

「人の砂漠」から数年後に出版された沢木のエッセイ集

 

「路上の視野」の中におさめされている「人の砂漠の中で」と題された短いエッセイの中で沢木自身が、こんなことを書いている。 

 

ぼくは元売春婦だった者たちや、屑屋の中でも最下層に属する者たちを書いた。

日本の最辺境の島や岬についても書いた。

あるいは飢えて死んでいった老女についても書いた。

だがそれらの「物語」は、地の漂流者たちの悲惨について書こうとしたものではなかった。

もちろん告発のためでもない。

彼らの「にもかかわらず生きている!」という生命力のようなものこそ書きたかった。

 

そうなのだ!

 

「人の砂漠」を読みながらまだ十代だった私は私なりに、生きることの哀しさと力強さというものを感じとっていたのだと思う。

 

私は8篇の作品の中でも特に屑(廃品)の集荷場である仕切場に出入りする者たちのことについて書かれた「屑の世界」が好きだった。

 

仕切場には廃業者からの屑も持ち込まれるが、屑を拾い歩きながら集めて持ち込む曳子と呼ばれる個人も出入りしている。

 

言葉悪くて失礼なのだが、

 

決して裕福な生活をしているワケではない人たちだ。

 

オンボロ自転車に乗って屑を集める緑のおじさん。

 

亭主に家財道具を売られてしまうからとリヤカーに一切合切の世帯道具を載せながら屑を広い集めている一本歯のおばさん。

 

右半身不随ながら小遣い稼ぎのために屑を拾っている自転車のおじいちゃん。

 

などなど・・・

 

そんな仕切場に出入りする人たちには一つの不文律があるという。

 

それは互いの過去のことを訊かないということ。

 

経歴はおろか、年齢や出生地、名前すらも知らない場合もあるそうだ。

 

そんな仕切場の人間模様を沢木は、仕切場は「ヒト」にとっても「敗者復活戦」の場だと書いている。

 

そして私がこの「屑の世界」を読んでいて最も心惹かれるのは、最後のくだりだ。

 

新年が目前に迫った大晦日の夜のこと。

 

仕切場の親方が出入りする曳子の人たちに半年はもちそうな大きなチリ紙の束をお歳暮として渡していく。

 

たかがチリ紙だが、曳子の人たちにとっては仕切場で貰うチリ紙が唯一のお歳暮ということになるらしい。 

 

《まぁ、まぁ、すみませんね》と乳母車のおばさんは腰をかがめ、一本歯のおばさんは《チリ紙とは助かったね》と嬉しさをおしかくし、

 

・・・・(中略)・・・・

 

その対応の仕方はさまざまだったが、年に一度の、そして唯一のお歳暮に対する嬉しさは共通のようだった。

 

最後に緑のおじさんが《オセイボか、ゴーギだな》といってどこかへ去っていった。

 

(中略)

 

オセーボか、ゴーギだな、と呟いてみる。

 

何度か呟いているうちに、久しぶりに幸せな気分で年が越せそうな気がしてきた。

 

《ゴーギなこった》

 

大きな声でいってみると、不意に、どこかで耳にしたことのある文句が思い出された。

 

「疲れたら休め、彼らもそう遠くへゆくまいから」

 

そうだ、疲れたら休もう。そして仕切場の人たちのようにゆっくり歩けばいいのだ。

 

ゆっくり歩いたからといって、誰がいったい遠くへ行ってしまうというのだ。

 

《オセイボか、ゴーギなこった》

 

ぼくはもう一度、大晦日の冷たい夜に呟いていた。

 

「光あるところに陰」とはよく聞くセリフではあるが、この仕切場の人たちは世間的に見て決して「光」のあたる場所で生きているとは言いがたいと思う。

 

だが!まさに「にもかかわらず生きている!」のだ。

 

唯一のオセイボであるチリ紙の束に顔をほころばせ喜ぶ姿は、光のあたる場所で生活をしている人たちと何ら変わるところはないだろう。

 

むしろ、チリ紙の束ひとつで喜ぶなんてよほど「素直」であり、人の「情」というものが分かっているのかも知れない。

 

年を重ねると段々と、光のあたる人生ばかりではない、ということに気がつくようになる。

 

だが、光があたらないからと言って・・・いじけることなんて何一つないのだ。

 

仕切場の人たちのように素直に逞しく生きていけば良い。

 

「疲れたら休め」

 

競争や仕事に追われる日々の中で自分を見失いそうになったら、

 

素直に立ち止まって休もう。焦ることはない。。

 

「彼らもそう遠くへゆくまいから」

 

疲れて立ち止まってしまったところで、誰が遠くへ行ってしまうのだろう。

 

自分の人生は自分のもので、人と比べるものではないのだから人が遠くへ行ってしまうなんていう事はないのだ。

 

 



posted by penguin-oyaji at 21:46 | Comment(0) | ルポルタージュ・ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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