2013年03月17日

和田裕美さんのブログを読んで思ったこと

少し前の話しになってしまうのだけど、和田裕美さんが書かれたブログ記事のことがものスゴく心に引っ掛かった。

 

辛くて耐えきれないなら無理に「よかった」を探さないでいい。|和田裕美公式ブログ

 

そのブログにはこんなコトが書かれていたのだ。 

どうしても「よかった」が探せないときが

 やっぱりあるんです。

 

 「ご飯食べることができるだけでも奇跡」って

 コメントにはあったけれど

どんなに辛いことがあったか

 わからないけれど

 

無理に「よかった」探さないでいいです。

 

実は昨年末くらいから私の中で、陽転思考について何だかちょっとしたザラツキ感があったのだけど、「無理に「よかった」探さないでいいです」という言葉を読んで、そのザラツキに対する一つの答えを貰ったような気がした。

 

何かツラい事、苦しい事があった時に「陽転できない!」「気持ちの切り替えがうまくできない!」自分がそんなふうになってしまった時、それでも!「よかった」を探さないといけないのか?

 

そんなに直ぐに気持ちの切り替えってできるものなの?

 

そんな疑問が繰り返し、繰り返し私の頭の中をよぎっていたのだ。

 

長い人生の中では、雨ばかりではなく時には槍や鉄砲が降り掛かってくることだってあるだろう。

 

雨であれば、やがて乾いて元に戻るだろう。

 

でも、槍や鉄砲で受けた傷は、残念ながらそう簡単に癒えてはくれない。

 

それなのに!

 

傷が癒えないうちから「よかった!」と言って歩き出したらどうなるのか?

 

悲しみも痛みもまっすぐに受けとめる

 

久しぶりに和田さんの「営業のビタミン プラス・アルファ」を読み返したら、こんな言葉にぶつかった。 

 

落ち込んだ時は、部屋を暗くして悲しい音楽をかけて、お酒でもあおりながら、しくしくと泣いてみます。

 

人が見るとかなり暗いです。泣けば泣くほど涙が出てきます。

ばかばかしく思えるまで、暗くて落ち込んだ自分を堪能してみるのです。

 

泣いても、ちっとも解決しないと自分で気がつくまでです。

 

(中略)

 

無理に落ち込まないように明るくふるまうことはありません。

余計につらいです。

 

ひとりでじっくり感じるのです。

「私は今、徹底的にうちのめされて木っ端微塵だ」と。

そのほうが楽なはずです。

 

「営業のビタミン プラス・アルファ」和田裕美:著より抜粋

 

最初に読んだ時はそんなに気にもならなかったけど、今なら分かる!

 

どんなダメージを受けたかにもよるのだろうけど、このプロセスをすっ飛ばして、陽転してはいけないのだ。

 

本当はツラいことや、悲しいことになんか触れずに「よかった!」と気持ちを切り替えて先に進んでしまった方がラクに決まっている(と思う)。

 

でも、どんな悲しみや痛みであってもそれをまっすぐにきちんと受けとめて消化してやらないと、次、また同じような出来事が起った時により以上に大きな痛みとなって蘇ってくるのではなかろうか。

 

少なくとも私は、そうだった。。。

 

そして、もしも受けとめることすら出来ないような痛みならブログで和田さんも書かれているように、時間が解決してくれるのを待つしかないのかもしれない。

 

自分のために動けないなら、大切な誰かのために

辛いのは嫌なのに

その「事実」にばかり意識が向くだけです。

 

だから、それはもう

置いておいて

 

他に感謝できること、

ちょっとでも「ありがとう」って言えること

他のところにないですか?

 

意識を「心地よい」ことに

向けてください。

 

和田裕美さんブログより抜粋

 

どうにもこうにも動けなくなってしまった時、どうしても頑張れない!と思ってしまった時、そんな時、私はいつもこの言葉を思い出すようにしている。

 

人は自分自身のために頑張れなくても、

誰か大切な人のためなら頑張ることができる!

 

感謝することができる人がいる

「ありがとう」って言える人がいる

・・・ということは、少なくとも自分を支えてくれている誰か大切な人がいる、ということですよね。

 

ツラくて耐えられない時でも、ふと大切な人の顔を思い浮かべた時、「こんなところで、くたばっている場合ではない!」と自然とそんなふうに思えた。

 

人によって傷ついても、最後に救ってくれるのは、やはり人なのだ。

 

「よかった」が見つけられなくてもいい、

 

でも、自分の大切な人の顔は忘れずに思い出して!

 

例え、その思いが一方的なものであったとしても・・・だ。

 

つまり、そういうことだと思う。

 

最後に・・・

自分の恥をさらすようで、書くのも気が引けるのだが・・・

 

昨年の秋以来、色々なことが重なってしまい、「次へ」の一歩を踏み出すことさえできずにただ、立ち尽くすばかりで、いたずらに時間だけが過ぎ去っていってしまった。

 

何でこんなに痛みを感じるのか?

 

何でこんなに心が重いのか?

 

その答えがずっと分からないままだったのだけど、和田さんのブログを読んで、色々と考えを巡らせていたら何だか一つの答えが見つかったように思えた。

 

過去にあった出来事について、その時は自分なりに「よかった」を探しだして、その都度、気持ちを切り替えてきた「つもり」だった。

 

でも、心の底の方では、ちっとも「よかった」なんて思っていなかったり、

あるいは、「よかった」以上に重い心の痛みがまだ残っていたのだ・・・と、思う。

 

中途半端な、上辺だけの「よかった」でごまかしてはいけなかったのだ。

 

変な虚勢は捨てて、自分の弱さは「弱さ」として、きちんと認める。

(何処かにまだ変なプライドみたいなものが残っていたことに気付いた)

 

そして、痛みや悲しみは忘れようとするのではなく、自分が納得するまで、落ちるところまで落ちることで「ケリ」をつける!

 

そうでなければ、棚上げして時間が解決してくれるのを待つか、落ちるか?、待つか?、どっちにするかのか決める。

 

「今は」陽転できなくてもいい!

 

でも、自分の大切な人の顔を思い浮かべて、最後の力を振り絞る!

 

何だか・・・そんなふうに自分の気持ちを整理したら少し明るくなったような気がしてきた。

 

今までに和田さんの「陽転思考」には何度も救われてきたし、だから、それを否定する気は全然ない。

 

でも、どうしても気持ちが晴れない。「よかった」と思えない、そんな人も、そんな時も、きっとあるだろうと思う。

 

そんな何処かの誰かが、もしかしたらこのブログを読んでくれて、ほんの少しでも何かを考えるヒントにでもなってくれればいい、と思う。

 



タグ:和田裕美
posted by penguin-oyaji at 20:12 | Comment(0) | 読書(和田裕美) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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