2009年01月13日

病床での最後の授業・・・「モリー先生との火曜日」


Book-No.103
「モリー先生との火曜日」

ミッチ・アルボム 著
別宮 貞徳 訳
NHK出版

人の生と死について書かれた本です。

先ず、この本の内容について・・・

スポーツコラムニストとして活躍していた著者のミッチ・アルボムが
偶然テレビで大学時代の恩師、モリー先生が
難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵されているのを知り、
そして16年ぶりの再会。
そしてそれから、毎週火曜日にミッチは恩師の病床を訪れ、
そこで最後の講義を受けます。
最後の授業の内容は「人生の意味について」

実話です。

ずっと読み進めていて、モリー先生の言葉に心動かされる場面も
多々あったのですが、それよりも自分の愛すべき人が難病に侵されて
それをずっと側で見守っている人の心中を想像すると
切なくなってきて、ちょっと苦しかったです。。。

死に往く当人にも、人には言えない、言葉に出来ない思いが
あると思います。
しかし、ちょっとした身の回りの世話くらいしかできずに
唯ただ見守るだけしかできない、周囲の人の悲しみを感じて、
読み終えるまでの間、胸が締め付けられました。

■生きること、死ぬこと
いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べるんだよ」(P86)

いずれ死ぬことを認めて、いつ死んでもいいように準備すること。
そのほうがずっといい。そうしてこそ、生きている間、はるかに真剣に
人生に取り組むことができる
」(P85)

確かに期限付きの命をもって生まれた訳ですから、
自分もいつかは死にます。
そして、自分の愛すべき人たちもいつかは・・・
頭では分かっているつもりですが、
実感として感じる事は、そうはありません。

誰でもいずれ死ぬことはわかっているのに、誰もそれを信じない」(P84)

私も日々の中で「死」を意識することは、殆どありません。
でも、きっと「余命三ヶ月!」と宣告されたりしてしまったら
死生観もガラリと変わるんでしょうね。

どういうふうに死にたいのか
どんな状態で、この世とお別れしたいのかを考えれば
自ずと自分の生き方も、するべき事も分かる
という事を
きっとモリー先生は言いたかったと思うんです。

有り得ない話しですが、不老長寿の命を授かったとしたら
人はどんなふうな人生を過ごすようになるんでしょうね?

いつか期限が切れるという事が分かっているからこそ、
思いっ切り生きたいと願うと思うのです。

■自分を許す
「許さなければいけないのは、人の事だけじゃない。自分もなんだ」
自分?
「そう。やらなかったことすべてについて。やるべきなのにやらなかったこと
すべてについてね。そのことをいつまでもくよくよ悔やんでも始まらないんだ
」」
(P168)

そうは言っても、100%完璧な人生なんて、きっと有り得ない。
出来なかったこと、やれなかったことを引きずって死ぬよりも
完璧でなかった自分を許す・・・
つまり、全てを受け入れるという事なんでしょうね。

うまくいったことも、失敗したことも
出来たことも、出来なかったことも
全部ひっくるめて「これが私の人生」と潔く言い切れる
そんな大きな器を持って旅立ちたいものです・・・

■人を愛すること、周囲の社会に尽くすこと
人を愛することにみずからを捧げよ、周囲の社会にみずからを捧げよ、
目的と意味を与えてくれるものを創りだすことにみずからを捧げよ
」(P130)

人に与えることで自分が元気になれるんだよ。車や家じゃない。鏡にうつる
自分の顔じゃない。自分の時間を与え、悲しい思いをしていた人たちをほほえませることが
できれば、私としてはこれ以上ないほど健康になった感じがするんだよ
」(P131)

一言で言ってしまえば、「利他の心」ということなのでしょう。

ただ、ジワジワと病魔に侵される病床の中で死と向き合いながら、
語られた言葉だからこそ、より一層この言葉の意味を重くしているような気がします。

■死で人生は終わる。つながりは終わらない
人間はお互いに愛し合えるかぎり、またその愛し合った気持ちをおぼえているかぎり、
死んでもほんとうに行ってしまうことはない。つくり出した愛はすべてそのまま残っている。
思い出はすべてそのまま残っている。死んでも生きつづけるんだ−この世にいる間に
ふれた人、育てた人すべての心の中に
」(P176)

モノより思い出」といったTVCMがありましたが、
確かに家とか車といった「モノ」が周りにどれだけあっても、
それだけでは幸せは感じられないということは、最近よく思います。

もっとも、無いと困るという「モノ」もそれなりにあるのですが・・・

この文章を読んだ時、改めて思いました。
自分がこの世から去ってしまった後、家族、友人、恋人(?)、誰か一人でもいいから
自分の事を思い出として、ひっそりと心の片隅でも覚えていて懐かしんでくれる人が
いたら、それだけでも幸せだと・・・

それと、こんな文章も思い出しました・・・

もしもあなたがこの世からいなくなっても、あなたの存在が「愛すべき人」
として誰かの心の中で生きていける、こんな贅沢な財産を残すことができる
人こそ、成功した人生を生きた人と私は思いたいのです。

(「人づきあいのレッスン」和田裕美 著)

同じですね・・・

■喪失感・・・
モリーは土曜日の朝亡くなった。」(P188)

「生」と「死」という、重くて大きいテーマの本であるだけに、正直に言うと
よく分かったような、分からないような・・・そんなちょっと消化不良の部分があるのも事実。

ただ自分が死ぬ間際に、どんな言葉を遺すことが出来るんだろうと感じました。
人の人生の価値は、死の瞬間に分かる」というような言葉をどこかで目にしましたが、
自分の人生の経験、思いなどを価値ある言葉として、親しい人の心に残すことが出来た
モリー先生の最期は、もしかしたらものすごく幸せな最期だったのかも知れません。

読者であることの気楽さなのかもしれませんが、
人がひとり死んでしまったというのに、
悲しみも喪失感も私はあまり感じることはありませんでした。

モリー先生の身体と命は消えてしまったけれど
思いとか言葉はこうして望みどおりに教え子(筆者のミッチ)が本にして
多くの人の心に届いて、今も語り継がれているのだから・・・・

最後まで、ありがとうございました。


【▼単行本】


【▼キンドル版】



タグ:自己啓発
この記事へのコメント
ペンギンオヤジさん

おはようございます。

自分もこの本読みましたが、ペンギンオヤジさんと同じく、よくわかったような、わからないような、消化不良の部分はありました。

それは今こうして元気なだけに、なかなか「死」というものを意識出来ないからだと思います。

仮に、自分の余命があと3か月だとわかっていたらもっと時間を大切に使うでしょうから。(ダラダラと昼寝をしてしまう自分はなくなることでしょう)

命には限りがあるということを、もう一度意識して日々の行動を見直してみたいと思います。

更新ありがとうございました。
Posted by kaizokuou at 2009年01月14日 07:02
kaizokuouさん、こんばんは。

この本、読まれていたんですね(さすが!です)

そうですよね。うまく理解できないと言うか、実感として
分からない部分もありますよね。

「生」と「死」って裏表の関係だと思うのですが、
私たちは人生をいつも「生」の側からしか見てませんもんね。

ただ、モリー先生が残した言葉の中にある「思いやり」「愛」
そして「社会への奉仕」といった価値観は日々の中で
自分なりに考えていきたいですよね。

いつも、ありがとうございます。
Posted by penguin-oyaji at 2009年01月14日 22:19
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