2008年12月30日

パパよくがんばったね・・・「なぜ君は絶望と闘えたのか」


Book-No.93
「なぜ君は絶望と闘えたのか」
本村洋の3300日

門田 隆将 著
新潮社

内容は光市母子殺害事件で愛する妻子を殺された本村洋さんが
死刑判決を「勝ち取る」までのノンフィクションです。

裁判が行われる度ごとにマスコミにも取り上げられ、記者会見で
発言する本村さんの姿を私もテレビで何度か見た事はありました。
特に広島高裁での差戻裁判が行われた時に、
死刑反対論者の安田弁護士が付き、
「ドラえもん」だとか、「魔界転生」など荒唐無稽と思えるような
証言が飛び出してきた時には、憤りすら感じながらニュースを見ていました。

この本を読み終えて感じた事なのですが、
本村さんが10年近い歳月を掛けて闘っていた相手は、
加害者の少年Fではなく、日本の司法制度そのもの、であったように思います。

■日本の司法制度の壁と変革
裁判が始まって遺影を持っていったら、荷物として預けさせられました。
二人に法廷を見せてあげることもできない。法廷では、僕たち遺族には
傍聴席さえ用意してもらえない
」(P107)

最初は、傍聴席にも遺族は満足に入れなくて、意見も言えませんでした。
いろいろ悔しい思いをしました。刑事司法制度がもっと被害者寄りに
変わらなければいけないと思っています
」(P176)

そして、出した判決は、個別の事情には何の関係もない、過去の判例に
縛られた単なる「相場主義」に基づいたものだった。
裁判官は被害者の味方ではない。むしろ敵だ。裁判の結果に加害者では
なく、被害者の側が泣く。それが日本の裁判だと、本村はこの時、思い
知ったのである
」(P131)

遺影の入廷、傍聴席の確保、被害者側の意見陳述・・・・
今では「当たり前」と思っているような事が、光市母子殺害事件が発生した
1999年当時では、被害者側の気持ちは汲み取られることなく、
一切許されていなかったのです。
それでも、被害者側が納得できる判決が出されるなら、
まだ報われもするのでしょうが・・・個別の事情は考慮されることのない
前例主義」「相場主義」にのかった判決が言い渡されるのでは、
被害者は泣くに泣けなかったと思います。

加えてこの本村さんの事件の犯人は、事件当時は18歳の少年。
「少年法」によって守られ、保護されてしまうというような状況な訳です。

いくら本村さんが人を殺めた者は自らの命でそれを償って欲しい
訴えたところで、厚い司法の壁に跳ね返されてしまうのです。

正直、私自身は不満タラタラですが、この本を読んで
裁判員制度」という制度が必要とされるほど、
この国の司法が国民感情とはかけ離れた孤立した世界の話である事が
よく理解できました。

しかし、それでも本村さんや犯罪被害者遺族の方々が声を上げたことで
厚い司法の壁も徐々に変革されてきているようです。

先ず小渕首相。
「無辜(むこ)の被害者への法律的な救済が、このままでいいのか。
本村さんの気持ちに政治家として応えなければならない」
記者団に囲まれた小渕恵三総理が、突然、本村の名前を挙げて犯罪被害者
問題に言及したのは、判決が出たその日のことである
」(P143)

続いて小泉首相。
小泉も光市母子殺害事件のことは知っている。家族を惨殺された
哀しみのどん底から這い上がってきたこの青年の話に小泉は
熱心に耳を傾けた
」(P176)

世の中に背を向け、自分たちだけの世界に閉じこもっていれば
よかった司法の世界が、犯罪被害者たちの血を吐くような叫びによって
徐々に変わらざるを得なくなってきたことを、本村は肌で感じていた
」(P176)

比べるレベルが違うとは思うのですが・・・・
相撲協会絡みの一連の不祥事とその対応の様子を見ていて思うのですが、
結局、硬直した組織は自らの改革能力って無いんですね、きっと
司法制度(法曹界)も、結局は政治(立法府)の外圧を以ってして
ようやく犯罪被害者に考慮した、ある意味当たり前のことができるように
なってきたのですから。

■支える人々
事件直後、本村さんが思い余って会社に辞表を提出した時の
上司(日高氏)の言葉。
君は、この職場にいる限り、私の部下だ。その間は、私は君を守ることが
できる。裁判は、いつか終わる。一生かかるわけじゃない。その先を
どうやって生きていくんだ。君が辞めた瞬間から、私は君を守れなくなる

(P92)

「犯罪被害者の会」発足のきっかけとなた会合の場でのこと。
おかしいのは法律だ。この国の制度が間違っている。それを変えなければ
ならない。
法律の専門家である岡村が、そう言い切ったのである。本村に新たな
希望が湧いてきたのは、この岡村の言葉を聞いた時からだった
」(P108)

東京へ向かう全日空機の機内でのこと。
「山口の事件のご遺族の方ですよね」
座席に座っていた本村に、スチュワーデスが飲み物のサービスをしながら
声をかけてきたのである。
(中略)
「お昼、テレビを見ました。これはこの飛行機に乗っているスチュワーデス
全員の気持ちです。こんなものしかありませんけど・・・・。これはお守りです。
がんばってください」
(中略)
自分を支持してくれる人もいる。それは本村に、ささやかだが、しっかりと
勇気を与えてくれる出来事だった
」(P138)

自分の最愛の妻と娘を惨殺され、それだけでも辛いのに
加えて前述した司法制度との戦い。
普通だったら、心が折れてとても闘えない・・・
闘えないどころか、生きているのさえ辛い状況だったと思うのです。

事実、本村さんも自殺を考えて遺書まで用意したと、本書の中では
綴られています。

しかし、身近な会社の上司、法律の専門家、そして市井の人々からの応援
そうした人の心が、どれだけ本村さんの支えになったことか・・・

こうした人の心に支えられている中で、本村さんはやがて
「闘う意味」を見出していきます。

■闘う意味
私は、事件直後に一つの選択をしました。
”一切社会に対し発言せず、このまま事件が風化し、人知れず裁判が
終結するのを静観するべきか、積極的に社会に対し被害者としての立場で
発言を行い、事件が社会の目に晒されることで、司法制度や犯罪被害者の
置かれる状況の問題点を見出してもらうべきか”
そして、私は後者を選択しました。(中略)それこそが家族の命を無駄にしない
ことに繋がると思ったからです
」(P216)

私の立場で軽々しく、こんな事を書いて良いのか分かりませんが、
人は絶望の淵に立った時に、自分の一人のために頑張ることは出来ないが、
他の誰かのためになら、頑張ることが出来る。
例えその誰かは、既にこの世に居ない人であっても・・・
そう思ったのです。
前にもこのブログで同じ言葉を書いた事がありますが、
本村さんも、やはり自分個人の憎しみの感情だけだったら、
最後まで闘えていなかったのではないかと・・・

「パパ、よくがんばったね」
天国で二人に会った時、そう言ってもらうことができればと思って、
本村は九年間、闘ってきたのである
」(P229)

■主文。被告人を死刑に処す
本村は、死刑制度というのは、人の生命を尊いと思っているからこそ
存在している制度と思っている。残虐な犯罪を人の生命で償うというのは
生命を尊いと考えていなければ出てくるものではないからだ
」(P237)

死刑制度そのものについて「是」か「非」かと問われたら、
正直、今の私には答えられません。

でも、この本を読み終えて死刑判決が下されたのは
非常に正しい判断だったのではないかと感じました。

正しい・・・というのは、ちょっと違うかな?
本村さんが10年近い歳月を掛けて
何度も何度も厚い司法の壁に跳ね返されて
それでも、訴えてきた事に対して
日本の司法が、きちんと考えて判断を下した事が
何よりも良かった

そんなふうに感じたのです。

そして、この話しがフィクションだったら・・・
もっと違う読後感もあったかなと。

非常に重いテーマ、事件を扱った内容ですが、
これまで、時折ニュースで見るだけだった本村洋さんが
どんな思いで、闘ってきたのかをよく知ることが出来ました。

前回の「奇跡のリンゴ」とは全くシチュエーションは違いますが、
苦しい時間を乗り越えて、遂には思いを遂げる、そんな部分では
根っこは同じかなとも思います。

何だか、うまくまとまりませんが、この辺で。

(謝辞)
「奇跡のリンゴ」と、この「なぜ君は絶望と闘えたのか」の2冊は
「話し方教室」で一緒にレッスンを受けた参加者のお一人から
「お薦め本」という事で教えてもらい、手にすることが出来ました。
2冊とも、本当に感動しました。
教えてくださったOさん、ありがとうございました。

(残り7冊、タイムリミットまで約43時間

すみません、いったんこの辺で寝ます・・・zzz

【▼文庫本】



この記事へのコメント
まったく
Posted by 怖いですね at 2008年12月30日 18:00
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