2019年06月24日

【歴史】「経済で読み解く日本史(5)大正・昭和時代」上念司:著

大正 昭和

「経済で読み解く日本史(5)大正・昭和時代」
上念司:著
飛鳥新社

「経済で読み解く日本史」もこの本が最終巻です。

 

ここではかなりのページ数を割いて、日本や世界がなぜ第二次世界大戦に突き進んでしまったのかを当時の経済背景を中心に解説されています。

 

歴史に「もしも」はありませんが、この本を読みながら「あの時、もしも」と何度も思わされました。

 

もしも、ケインズ先生の言うことを聞いていたら、ドイツはどうなったろうか?果たしてナチス政権は誕生したのか?

 

もしも、石橋湛山の言うことを聞いていたら、昭和恐慌は起きただろうか?そして、その後の日本の道はもう少し違ったモノだったのではないだろうか?

 

時に政治は間違えを犯すし、人々も誤った考え方に熱狂してしまいます。

 

しかし、一方でいつの時代にも正しい主張をする人もいるのです。

 

この本を通じて「歴史(を)学ぶ」のでなく「歴史(に)学ぶ」ことが私たちの未来にとって、とても大切であることを教えられました。

 

 

アマゾンの内容紹介

なぜ日本は大東亜戦争へと向かったのか。国民世論は長期停滞のトラウマから抜け出せないまま、間違った情報により、日米激突へのレールをまっしぐらに進んだ。すべてを失った敗戦から復活し、高度経済成長を成し遂げた日本を、再びバブル経済の暗雲が襲う。

 

デフレの要因

この「経済で読み解く日本史」を1巻から順に読んでいると、至る所にデフレの文字が出てきます。

 

デフレの原因は時代によってさまざまです。

 

室町・戦国時代→明との貿易が滞った結果、明銭(銅銭)の通貨不足によりデフレが発生

 

江戸時代→金山を掘り尽くして金が枯渇して通貨不足、加えて質素倹約令などの緊縮政策によるデフレが発生

 

そして、明治以降は当時の金本位制により通貨の発行高が限定され通貨不足によるデフレが発生

 

金本位制の何が問題なのかは、次の文章をお読みいただければ分かるかと・・・

金本位制とは、「各国通貨は必ず金(ゴールド)と交換できることが保証されているという仕組み」です。

(中略)

このシステムの最大の問題点は、金が金属であり、新たに金山が開発されない限りその量が増えないということです。

これに対して、人類の文明の発達速度は早く、より多くの富を幾何級数的に生み出していきます。

金(ゴールド)の産出量がこれに追いつかないと、人間が作る商品よりも金(ゴールド)の量が不足し、金(ゴールド)の価値のほうが高くなってしまいます。これこそがデフレです。デフレとはモノとお金のバランスがお金不足によって崩れることです。

 

「明銭(銅銭)の不足」「金山の枯渇」「金本位制」これらのデフレ要因はその当時の経済体制に問題があった・・・と解釈できますね。

 

しかし、デフレの原因はそれだけではありません。

 

間違った経済対策をおこなった結果、デフレが発生することもあります。

 

例えば、この本に出てくる井上準之助蔵相などがそうです。

 

1930年(昭和5年)に反対意見を押し切って金本位制に復帰した結果、大失敗して昭和恐慌の引き金を引いてしまいました。

 

もはや昭和恐慌は人災だったと言っても差し支えないような気がします。

 

「人災によるデフレ」最近もありましたよね。

 

2008年9月に発生したリーマンショック。この時、アメリカや欧州の中央銀行は協調して金融緩和措置をとりました。

 

しかし、日銀はこれに加わらず静観した結果、とんでもない円高になりました。

 

そのあと、派遣切りや年越し派遣村なんて騒動につながりましたよね。

 

まぁ、「あの恐慌は彼の経済政策が間違っていたからだ!」と後出しじゃんけん的に言うことは誰でもできます。

 

ただ、次の文章を読むと井上準之助蔵相に関してはとても罪深い!と思わされました。

内閣総理大臣の濱口雄幸と大蔵大臣の井上準之助は、「精算主義的な思想」にとり憑かれていたようです。

この思想は、「明日伸びんがために、今日縮むのであります」という言葉に代表されるように、「弱い企業をどんどん倒産させ、生き残った企業が日本経済を引っ張っていけばいい」という発想に基づいています。

 

そういえば「米百俵」がどうのこうのと国会で演説した総理大臣がいましたね。

この本の中で著者は「痛みに耐えるとバラ色の未来がやってくる」という人たちに対して「どの程度の痛みに何年耐えると、その何倍のメリットがあるのか」という指摘に答えられない、と批判します。

 

個人レベルで「痛みに耐えて・・・」というのは勝手ですが、国の政策としてこの手の言葉を発する以上は、具体的な数字を出さなければそれは単なる「精神論」ということですね。

 

デフレの何がいけないのか?

「デフレになるとモノが安く買えるようになるので助かるわ〜」

 

さすがに、最近はあまり耳にしなくなりましたが、ちょっと前まで日本でもこんなことを言う人がいましたよね。

 

しかし、この本を読めば分かりますが、いつの時代でも、どこの国でもデフレは「悪」です。

 

良いデフレなんてない!あるのは「悪」の一言だと思います。

 

そして、この「経済で読み解く日本史」の一貫したテーゼとして著者は言います。

「人々は経済的に困窮すると、ヤケを起こして、普段は見向きもされない過激思想に救済を求める」

「愚かな決断、判断の誤りは気の迷いから生じ、気の迷いは経済的な困窮に誘発される」

 

このことを端的に表しているのがヒットラーの台頭ではないでしょうか?

 

第一次大戦の敗戦によってドイツはボロボロになりました。

 

植民地は全部取り上げられ、領土は割譲された上に多額の賠償金を要求されたのです。

 

その結果、ハイパーインフレが起こりました。そして時を置いてドイツはデフレに陥ります(詳しい経緯は本書にてご確認ください)。

 

経済的にボロボロになったドイツ国民が支持をしたのが、ヒットラーでした。その後、どういうことが起こったかはご存知の通りです。

 

まさに経済的に困窮して過激思想に飛びついてしまった結果の悲劇ですね。。

 

経済失政と共産運動

ドイツでヒットラーが台頭してきた頃、日本もグチャグチャになっていました。

 

井上準之助蔵相の失政によって発生した「昭和恐慌」。

 

その恐慌を終息させた高橋是清蔵相は二・二六事件で暗殺されてしまいます。

 

高橋是清の後任、馬場^一蔵相はインフレを考慮せずに大量の国債を発行して軍事費につぎ込みました。

これだけ無茶なことをやってしまったため、悪性インフレの弊害が表れ、日本は経済成長しないのに物価だけが上がるという事態に陥りました。

 

第二次世界大戦前夜はこうした経済失政に加えて、「日本を滅ぼしたい人たち」による共産運動も盛んで、読んでいて本当に大変な時代だったことを痛感させられました。

 

そして、その後の日本がどうなったかはご存知の通りです。

 

まとめ(政治も経済も人々を幸せにするための道具である)

「経済で読み解く日本史」はこの第5巻の最後に昭和末期に発生したバブル景気について語ったところで終わります。

 

室町時代から昭和末期まで約650年間。

 

「経済」を軸にして日本史を振り返ってみれば、色々なことがありました。

 

そして著者はあとがきの中でこのように語ります。

日本経済の歴史を振り返るにつけ、なぜ正しい政策が実行されないのか本当にもどかしく思います。いい加減に日本人は過去の歴史に学んだ方がいい。

戦争を悪と決めつけてそこから目をそらしても何の教訓も得られません。なぜ、人々が戦争に熱狂し、対米開戦に狂喜乱舞したのか?その根本的な原因は経済失政にあります。

 

この言葉を読みながら私は一つの言葉を思い出しました。

政治も経済も人々を幸せにするための道具だ

 

これはあるお坊さんの言葉です。

 

本来は人々を幸せにするための経済が逆に人々を不幸にして国家を破壊するようなことが歴史上、何度もありました。

 

私、本音の部分では政治も経済も専門家である政治家や官僚、エコノミストがしっかりやってくれれば、一般の私たちはそれぞれ自分の生活に励めばいいと思ってます。

 

政治も経済も難しいしね。。

 

でも、ほんのちょっと経済をかじっている私にも分かるようなトンデモ理論を語る政治家や経済評論家がいるのも事実なんですよね。

 

そんな妄言を信じて、道を誤ってはいけません!

「歴史に経済というモノサシを当てはめれば今まで見えてなかったものが見えてくる」と私は本シリーズで繰り返し述べました。

読者の皆様におかれましても、今度はそのモノサシをぜひ未来にも当ててみてください。そうすることで、二度とこの国が誤った政策を選択しないようにお役立ていただければと思います。

 

「歴史(を)学ぶ」ということは、過去にフォーカスすることだと思います。

 

それに対して「歴史(に)学ぶ」というのは、未来にフォーカスすることだと思うのです。

 

この本を読んで、私たちが考えなければいけないのは「歴史(に)学ぶ」ことですよね。

 

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2019年06月20日

【歴史】「経済で読み解く日本史(4)明治時代」上念司:著

明治時代

「経済で読み解く日本史(4)明治時代」
上念司:著
飛鳥新社

「経済で読み解く日本史」の第4巻は明治時代です。

私、幕末が好きでその頃を描いた小説やドラマなどにはよく読んだり見たりしていたのですが、その後につづく明治時代はさっぱりです。

この本を読むまで有名な西南戦争のことも実はあまりよく分かっていませんでした。。

明治時代の最初は幕藩体制から近代的な中央集権国家へと変わるために多くの改革が断行されました。

しかし、その改革は多くの人々に不満をもたらし、やがて日清、日露戦争へとつながっていきます。

そういった改革はなぜおこなわれたのか?そして、なぜ日清、日露戦争へと突っ走ってしまったのか?

そういった時代の流れを当時の金本位制の話しや明治政府の経済政策などから詳細に解説されていて、読んでいて「そうだったのか!」と頷くとともに、平成、令和の日本にも通じるところがあり色々なことを考えさせられました。

アマゾンの内容紹介

人々は経済的に困窮すると、過激思想に救済を求める。金本位制は通貨供給不足になりやすいデフレレジームのため、世界経済は繰り返し恐慌に見舞われ、そのたびに過激思想が台頭した。秩禄処分への不平士族の「お金の恨み」が日本を対外戦争に駆り立て、新聞に煽られた世論は英米と離反・対決する道を選んでしまう。

廃藩置県

「廃藩置県」、学校の歴史の授業で習いましたよね。

江戸時代の「藩」を廃止して中央集権体制を目指して今も続く「府」や「県」に変えるというアレです。

今から思えば、これって明治政府による大胆なリストラでもあったんですよね。

かつての大名やその家臣たちはその後も明治政府によって給料は細々と支給されていたということは、学校の授業でも習いました。

この本を読んでいて新たに気づかされたのは、次のような視点です。

藩を廃止するということは、これまでの藩の抱えてきた様々な利権関係を全て精算することを意味します。その中には大名たちの借金も当然含まれます。

「経済で読み解く日本史」3巻の「江戸時代」の中には当時の諸大名がどれだけ多額の借金を抱えていたかが詳しく解説されていました。

明治政府は廃藩置県をおこなうに当たって「一応」この大名たちの借金も引き継ぎました。

・・・というか、大名たちに領地・領民を差し出させるために「借金も面倒みてあげますよ」というニンジンをぶら下げたというのが本当のところのようです。

莫大な大名の借金を引き継いだ明治政府でしたが、この借金をどうしたか?

これら引き継いだ債務を新政府がすべて返済したかというと、それは別問題です。

その借金の処理方法について詳しくは本書を読んでいただきたいのですが、『ほぼ踏み倒し』です。

新政府、やることがエグいです。

不平士族

さて、「借金肩代わり」というニンジンと引き換えに領地・領民を手放した大名(その後の華族)と家臣(その後の士族)たちですが、新政府からの給与(年金?)は少ないし、世間からはバッシングを受けるしで、その生活は決してラクではなかったようです。

士族たちに残された道は2つです。この運命を受け入れて、平民として新しい仕事に精を出すか、再び侍として活躍する場を求めてリスクを取るか?

佐幕派の藩出身の士族は士族は前者を選択する者が比較的多かったのに対して、官軍側の士族は後者を選ぶ者がほとんどでした。

彼等は対外戦争に活躍の場を見出そうとしたり(征韓論)、国内で反乱を起こして新政府打倒を図ろうとしたりしました。

佐賀の乱、秋月の乱、そして西南戦争と不平士族たちが反乱を起こしましたが、全て新政府によって鎮圧されてしまいました。

教科書的にはこれらの反乱の収束をもって不平士族の武力による反抗はおわった・・・とされています。

しかし、表立っての反乱は収まったかもしれませんが不平士族たちの不満は根強いものがあり、この後の日清戦争、日露戦争、そして太平洋戦争までその影響はつづいたと著者は書いています。

日本の民権派の正体は、即時征韓論や西南戦争で夢破れた不平士族です。秩禄処分からすでに20年以上も経過していたのに、金の恨みは恐ろしい!ズタズタになった武士のプライドを、戦場で活躍することで取り戻そうとしていたのでしょうか?

江戸時代だけでも260年もつづいた武士の時代。その間に身についてしまった武士のメンタリティやさまざま利権などは一朝一夕には変えられなかったということでしょう。

過激思想

経済的に困窮すると人々は普段は見向きもされない過激思想に走る

これは、「経済で読み解く日本史」全5巻を通じて繰り返し著者が書いていることです。

不平士族たちが国内で反乱を起こしたというのはご承知の通りです。

新政府はそうした士族たちの不満をガス抜きするために台湾出兵までしたということは、この本を読んで初めて知りました。

そして上の方で書いたとおり、士族の反乱は収まったかのように見えましたが、次は「自由民権運動」という政治運動に転じていきます。

「賠償金ゼロ、領土の割譲なし」という日露戦争後の講和条約(ポーツマス条約)は学校の授業でもやるのでご存知の方も多いかと。

そして、その条約の内容に不満を持った人々が日比谷焼き討ち事件を起こしたというのも教科書が教えるところです。

この条約の内容が日本に伝わると、徳富蘇峰の「国民新聞」を除くすべての新聞は一斉に批判を始めます。いや、それは批判というよりは、国民のストレス発散のための誹謗中傷でした。

こういった人々の不満を徹底的に煽ったのが新聞です。

(中略)

その煽り方は2011年頃大ブレークしたTPP亡国論と同じです。極端な被害妄想と精神論に雑な陰謀論を組み合わせたもの。正直聞くに値しない妄言でした。

日露戦争の頃は士族の不満だけでなく、一般の国民も戦費調達のための増税や政府の緊縮政策に耐えていたんですね。

それだけに「賠償金なし、領土割譲なし」の条約内容に民衆の不満が爆発したのかもしれません。

最近も新聞、テレビは一部から「マスゴミ」と呼ばれて評判があまりよくありません。

時おり、マスコミは偏向報道をしたりフェイクニュースを流すなどして人々の不満、不安を煽ります。

ここ最近の「2000万円不足の年金問題」もその一つの例かもしれません。

しかし、人々が不満、不安を持つのは今も昔も経済的な困窮、つまり「不況」が根底にあるように思います。

この本を読みながら、今の日本が日露戦争後の世の中にダブって見えました。歴史は繰り返すということでしょうか・・・

平和への道

この本を読むとポーツマス条約で賠償金を放棄するという英断を下したのは明治天皇であることが書かれています。

この明治天皇の英断を受けて著者はこのようなことを書いています。少し長いですが引用します。

天皇陛下の御英断の意味を当時の日本政府および国民はもっとよく考えておくべきでした。なぜなら、この道こそ本来日本が進むべき道だったからです。

これを現代の戦略の言葉で言うと「平和的台頭」と言います。

日本はひたすら世界に貢献し、徐々にその役割分担を広げていく。そうしているうちに、世界のさまざまな仕組みが日本無しに成り立たなくなる。この時初めて日本の覇権が確立するのです。

武力を背景に他の国々を脅すだけが覇権の道ではなく、平和貢献を通じて覇権を取るやり方もあるということですね。

でも、残念ながら日本は道を誤ってしまいました。。

後の太平洋戦争につづく諸要因はこの頃すでに萌芽があったと著者は説いています。

歴史に「If」はないとよく言われますが、「もしもあの時・・・」と書かれた文章を読みながら、先の大戦の大きな犠牲の原因はこんなところにもあったのか!ということを教えられました。

まとめ

明治時代の初期はそれまでの幕藩体制から近代的な中央集権的な国家を目指すためにさまざま改革がおこなわれました。

しかし、急激な改革はいつの時代でも、どこの国であっても必ず大きな揺り戻しが起こるというのは歴史が教えてくれるところだと思います。

明治の日本も例外ではなく、士族や農民たちの反乱が相次いだのは教科書が教えてくれているとおりです。

しかし、その背景には当時の日本(というか世界各国)が採用していた金本位制の弊害があったというのは、この本を読むまでは私もよく分かっていませんでした。

この本を読むと、金本位制はデフレを招きやすい仕組みであることが分かります。

デフレと緊縮政策による不景気がさまざまな混乱を招き、最終的には不幸な戦争によって多くの命が犠牲になってしまったのです。

令和になった日本も相変わらずデフレからの完全脱却ができずにいます。それに加えて年金やら増税やらで生活に不安をもつ人が多いように見受けられます。

著者によれば、こういう経済的な困窮や不安は人々を過激思想に駆り立てるそうです。

この本を読みながら私は何度も明治の頃と今の日本がダブって見えました。

歴史を学ぶ意味って、学校の授業のように単に出来事や年号を覚えることではないと思います。

この本の後半で展開されている日露戦争の背景などから、当時は何が問題だったのか、どこで道を誤ってしまったのか、という教訓を学び私たちの未来に生かすことが大切だと思うのです。

「歴史(を)学ぶ」のではなく、「歴史(に)学ぶ」ことが大切なんですよね。

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2019年06月17日

【歴史】「経済で読み解く日本史(3)江戸時代」上念司:著

江戸時代

「経済で読み解く日本史(3)江戸時代」

上念司:著

飛鳥新社

第1巻「室町・戦国時代」第2巻「安土桃山時代」と続いてきて、そしていよいよ第3巻は「江戸時代」です。

これまでの2冊も面白く読みましたが、江戸時代は更に超絶!面白かったです!

江戸時代以前、日本では自国で通貨を発行しておらず、もっぱら大陸との貿易で得た銅銭が流通していました。

それが江戸時代になると幕府が通貨を発行するようになり、後期には藩札という紙幣まで流通して経済体制が現代とあまり変わらなくなりました。

よって幕府が行った経済政策と景気との関係が現代に通じるものがあり、すごく納得しながら読み進めることができました。

それと、江戸時代って「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」といったテレビの時代劇でお馴染みですよね。

でも、そういった時代劇で見ていた江戸時代の大名や町人、農民の暮らしぶりが実は現実のものとはだいぶ違うようだということも、この本を読んで気づかされました。

アマゾンの内容紹介

江戸時代、経済の主導を握ったのは名もなき一般庶民だった。

江戸の経済政策が「財政規律派」と「成長重視派」に入れ替わることで起きていた好不況の波。

ビジネスチャンスを求める人々は次々とイノベーションを起こし、民需による経済発展はやがて幕藩体制を崩壊へと導く。

「貧農史観」という誤り

一般的に日本人は「貧農史観」に毒されており、江戸時代といえば重い年貢に苦しむ農民とか、代官に賄賂を贈る越後屋などの悪徳商人とか、武士も貧乏して家計簿を付けているとかそんなイメージでしかとらえていないのではないでしょうか。水戸黄門や「カムイ伝」の影響は本当に侮れません。

結論から書くと、江戸時代の農民や町人の暮らしは私たちが時代劇で目にするような貧しいものではなかった、ということです。

武士の暮らし、特に大名の懐具合が苦しいものであったというのは、どうやら本当らしいですが。。

今から30年以上前、私が受験の際に使っていた山川出版の「詳説 日本史」という教科書が今も私の手元に残っています(物持ちいいでしょ)

確かに江戸幕府が成立した最初の頃を読み返すと

「年貢は収穫の3分の1前後であったが、小作をしている百姓はさらにのこりの半分ぐらいを小作料にとられたから、生活のゆとりはほとんどなかった」(出典:「詳説 日本史」山川出版)

という記述があったり、『慶安の御触書』で農民の生活に対するこまかい規定をしたりと、当時の農民の暮らしが決してラクではなかったようなコトが書かれています。

しかし時代が100年くらい下ると

    • 新田開発で耕地面積が増大した
    • 農機具の発展で収穫量が増えた
    • 商品作物(綿、麻、茶、たばこなど)のおかげで農家は経済的にゆとりをもつようになった

などと書かれています。

教科書ではこうしたことについて、さらりと触れているだけですが、この本の著者、上念氏はこの本の中で、当時の庶民の経済活動のことを深掘りして解説されています。

読み進むにつれてジグソーパズルのピースが一つずつ繋がっていき、最後に全体像が見えて「そうだったのか!」という快感があり江戸時代の経済状況がすごく理解できました!

「水戸黄門」も「暴れん坊将軍」も所詮はフィクションであり、ドラマです。

それを踏まえて楽しめばいいのですが、ちゃんとした知識がないと妙な偏見がすり込まれてしまいますね。

江戸幕府は「中央集権」ではなかった

徳川幕藩体制において、徳川家は全国3000万石分の中央政府の役割を果たさなければならないのに、徴税権が400万石分しかなかった。

徳川家はあくまで300諸侯の筆頭でしかありませんし、江戸幕府は300諸侯が集まった「大名の連合政権」でした。

徳川家がもっていた400万石の徴税権というのは幕府の天領地からの年貢のことですね。

これまた私が時代劇を見ていて勘違いしていたコトなのですが、年貢の取り立てって幕府がやっているイメージをもっていました。

でも、幕府直轄の天領などを除いて大半は諸国の大名が取り立てというか徴税権を持っていたんですよね。

それにしても、400万石の徳川家が中央政府として全国3000万石の面倒をみていたというのも、随分とムチャな話しだなぁと思います。

ちなみに、現在の日本の国税と地方税の割合ってご存知ですか?

総務省のWEBサイトを見ると平成29年度のの税収について次のような説明があります。

国税と地方税を合わせ租税として徴収された額は99兆680億円となっており、このうち国税が60.5%、地方税が39.5%を占めています。

国税と地方税の割合「総務省」

ざっくり6対4の比率ですね。

幕府(中央政府):400万石(国税)
諸大名(地方政府):2600万石(地方税)※3000万石ー400万石

このように読み替えてみると、国と地方の関係は江戸時代と現在では随分と違うことが分かります。

こういう懐具合を知ると、時代劇などで描かれている将軍と大名の力関係というのも実際はどうだったんだろうな?と思ってしまいました。

「成長重視派」VS.「財政規律派」

家康は幕府の財源を安定させるために、先ずは全国の金山、銀山を手中に収め貨幣を鋳造、発行したそうです。

しかし、やがて金も銀も掘り尽くしてしまい5代将軍・綱吉が家督を継いだ頃には幕府の財政は相当逼迫していたらしい。

どうしたか?

そこで登場したのが、当時勘定吟味役だった荻原重秀です。(中略)重秀は「慶長小判」を改鋳して金の含有量を減らし、「元禄小判」を作ることを提案します。

この時、荻原重秀が小判の改鋳は次の通りです。

    • 2枚の慶長小判を溶かして、3枚の元禄小判を作る
    • したがって、元禄小判の金の含有率は慶長小判の2/3しかない
    • でも、慶長小判と元禄小判の交換レートは1:1にした

その結果、貨幣量が1.5倍になり、その増えた分を幕府の金庫に収めることができた・・・というわけです。

これって、学校で教わったときは貨幣の改悪と言われて、あまり良いイメージではありませんでした。

でも、この本を読むと真逆で通貨量が増えたことで元禄の好景気を呼び寄せたと解説されています。

日銀が金融緩和をしたのと同じような経済効果を生んだということですね。

興味深いのは、この後で新井白石なる人物が台頭してきて荻原重秀と真逆のことをやります。

小判3枚を溶かして2枚の小判を作り「小判の品位を元に戻した!」と胸を張るわけです。

しかし、このおかげで貨幣量が減少しデフレ基調となり景気が悪くなったようです。

著者の新井白石評が容赦ない!

白石がとらわれていた頑迷な考えを「貴穀賤金(きこくせんきん)」と言います。これは「米などの農産物は貨幣よりも貴く、お金は賤しいものだ。だから、農業以外の産業は仮の需要でありバブルである」という極めて間違った考え方です。

(中略)

白石は四書五経を丸暗記するぐらいの「秀才」でしたが、本質的にはバカだったのかもしれません。

余聞のこと

「余分」じゃないですよ。「余聞」です。

この本を読んでいて1か所、大笑いしてしまったところがありました。

日本円が数か月後に紙くずになって使えなくなると思っている人は、ほぼ100%いません。

あえて例外を言うなら、紫色の頭をした変な大学教授とか、「ハイパー・インフレがぁ〜!!」と20年間言い続けている某国会議員ぐらいではないでしょうか。」

分かる人には笑えるネタですね。

まとめ

江戸時代は読んでいて面白いエピソードや解説が多くて、とても書き切れませんね。

上の方で荻原重秀と新井白石の真逆の政策についての話しを拾い出して紹介しましたが、その後に続くのがみんな大好き!「暴れん坊将軍」こと8代将軍、徳川吉宗です。

吉宗といえば「享保の改革」で有名ですね。

でも実態といえば質素倹約、贅沢禁止の緊縮財政による財政健全化を目指すものでした。

でも、なかなか成果が上がりませんでした。それでも後年にそれなりに名を残せたのは・・・「大岡忠相のおかげじゃねぇか!」って読んでいて思いました。

江戸時代って、この吉宗のように質素倹約、贅沢禁止の緊縮財政大好きなお殿様や側近がけっこういたんですね。

令和になった今も同じように財政支出カット!増税!財政再建!を叫ぶ政治はやまほどいます。

もしかしたら「質素倹約大好き病」は私たち日本人のDNAに刻まれているんでしょうか・・・?

この他にも諸大名が借金で首が回らなくなっていく一方で、たくましく成長していく商人、庶民の姿がとても印象に残る1冊でした。

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2019年06月13日

【歴史】「経済で読み解く日本史(2) 安土桃山時代」上念司:著

安土桃山時代

「経済で読み解く日本史(2)安土桃山時代」

上念司:著

飛鳥新社

「経済で読み解く日本史」全5巻の第2巻は安土桃山時代です。

きっと日本人なら誰もが知っている織田信長、豊臣秀吉という歴史上のスーパースターが登場する時代です。

この時代を振り返るとき、信長、秀吉がいかにして天下統一を果たしたか?!という点に興味や関心が集まり、視点は内向きになりがちですよね。

でも、この本を読むと当時の日本は既にグローバル経済に密接に関わっていた(それ故に、海外の動向によって国内経済が影響を受けていた)ことや、信長も秀吉もかなり早い段階から海外を意識していたことが理解できました。

特に本書の後半で明かされる秀吉の朝鮮出兵の失敗の本質は読み応えがありました。

アマゾンの内容紹介

織田信長は日本の統治形態を変え、戦国時代と中世を終わらせた。画期的な経済政策は豊臣秀吉に受け継がれ、明の貨幣制度および国際貿易体制の大変化に日本はようやく追いつく。秀吉は天下統一の勢いのまま征明を目指すが、そこには大きな落とし穴が待っていた。

信長を「正しく」評価せよ

尾張一国を苦労して統一し、「桶狭間の戦い」で大きな賭に勝った信長は、まさに叩き上げの創業社長でした。伸び盛りの中小企業の社長はとてもシビアであり、その行動理念は時代を超えて今の会社経営や国家戦略の実現にも通用するものです。

私が信長を見るときの視点は、まさにこの”実業家”としての視点です。信長の偉大さは政治家としての手腕もさることながら、尾張下半国の代官からスタートして、天下統一の一歩手前まで行ったその経営手腕にこそ見るべきものがあります。

信長といえば、桶狭間の戦い、姉川の戦い、長篠の戦いを勝ち抜いた勇猛な武将という感じでしょうか?

私、個人的には10年以上前のNHK大河ドラマ、「秀吉」で渡哲也が演じた信長の姿が強烈に焼き付いていて、冷徹で時に残虐な人というイメージを持ち続けていました。

しかし、筆者の上念氏は「信長は『覇王』ではない!」と書き、むしろ中小企業の創業社長だと喝破してみせます。

例えば、信長が比叡山延暦寺を焼き払ったことは有名ですよね。

でも信長が宗教弾圧をしたかといえば、実はそうでもない。

この本では「信長の宗教弾圧は政治的、軍事的な理由に基づくもの」であったと解説されています。

信長にいわせれば比叡山も本願寺も「邪魔だったから叩いた!」ということなのでしょう。

面白いのは、そうやって寺社勢力を叩きながらも他方で臨済宗や日蓮宗とは良好な関係を続けていたのだとか・・・

信長の宗教弾圧は後に徳川幕府が行ったキリスト教弾圧とは性質が違うものだったようです。

まさに信長は役に立つものは何でも積極的に活用するという創業者的な柔軟性を有していたと思われます。

この本の中で著者は、世にはびこっている「スーパースター信長」ではなく、もっと等身大の信長を読者に示してくれているように感じました。

なぜ明智光秀は裏切ったのか

なぜ明智光秀が裏切ったかーについては、これまでたくさんの説が囁かれてきました。

(中略)

私は信長の行動は中小企業の創業経営者のメンタリティで理解すべきだと思っています。この説を敷衍(ふえん)して、「中小企業でバリバリ働いてきた幹部社員が、ふとオーナー経営者の気まぐれに身の危険を感じ、行動を起こす」というストーリーを考えてみましょう。

今もって本能寺の変には謎が残っていて解明されていないことも多く、ここで書かれている明智光秀の裏切りの理由についても著者の推論に過ぎないのですが、私は読んでいてい「なるほど!分かる、分かる!」と思ってしまいました。

これより前の章で「伸び盛りの中小企業の社長はとてもシビア」だと著者は書いています。

そして、次のようにも書いています。

ある程度会社が大きくなって、より多くの優秀な人材を採用できるようになったら話は変わります。会社が小さい頃には有用だった人材も用済みになるからです。

つまり、経営者的に「こいつ、使えねぇ〜」と思っていても会社が小さい時は他に人材がいないので騙しだまし使うしかない。

だけど会社が成長して優秀な人を採用できるようになると、過去の実績などおかまいなくシビアに、クビとか左遷することができるようになる、ということです。

経営者としては、それでいいかも知れませんが、リストラされる方はたまったものではありません!

つい、この前まで責任ある仕事を任せてもらえていたのに、ある日突然、手のひら返しされるわけですからね。

実は私・・・10年くらい前にこれと同じようなことをされた経験があります。。

詳しくは書きませんが、その当時、私は従業員300名くらいの中小企業でそれなりに順調に出世の階段を上がっていました。

ところが!ある日、社長がスカウトした人が入社してきて、それを境に私に対する社長の態度が一変し、左遷されました。。

一応、自分の名誉のために書き加えておくと・・・

その2年後、優秀と思ってスカウトしてきたその人物が実は私よりもポンコツだったことが露呈して、社長自ら私の左遷先にやって来て「戻ってきてくれ」と頭を下げられました。

話しを戻します。本能寺の変の話しでした。

石山戦争終結直後、尾張統一の頃から信長家臣団の重鎮が一気にリストラされたのです。

「こいつ、使えねぇ〜」と思いつつ我慢して使っていた古来からの家臣団が信長によってリストラされたのを見た明智光秀が「次は自分の番か!」と焦りまくり、謀反を起こした・・・ということも可能性としては充分にあるわけです。

真偽のほどは定かではありませんが、信長を創業経営者として捉えると、こういうシナリオもあったのかもと納得させられました。

「朝鮮出兵」失敗の本質

天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が晩年、朝鮮に出兵したということは学校の授業で習いましたよね。

なぜ、朝鮮に出兵?という疑問について学校の先生からは「更なる領地の獲得が目的だ」と教えられました。

しかし、朝鮮出兵の本当の狙いは朝鮮半島を通って明に進行することだったということをこの本で知り、ちょっとビックリしました。

実は秀吉の家臣の中にはマニラを攻撃すべし!と進言した人もいたとか!(それはそれでビックリしました!)

この当時、着々と東南アジアに進出してきていたポルトガルやスペインの脅威は信長や秀吉にも伝わっていました。

いつまでも国内で戦闘を繰り返していたら、外国から攻められてしまう!という危機感が秀吉の国内統一を急がせ、海外出兵へと向かわせていったと解説されています。

これって、250年くらい時代を下った幕末の頃の時代背景に似ていますよね。

もしかしたら、尖閣諸島を狙いに来ている中国、そしてミサイルを撃ちまくる北朝鮮、そんな周辺国の脅威に対していかに防衛するかとやっきになっている現代にも通じるところがあるのかも知れません。

ところで、なんでマニラでなく朝鮮半島?という疑問に対して著者は「プロダクトアウト」「マーケットイン」という現代のマーケティングのフレームワークを使って説明してくれています。

(詳しくは本書にてご確認を・・・)

そして、ご存知の通り秀吉の朝鮮出兵は秀吉の死というカタチで幕を下ろしました。何一つ得るものも無く・・・

秀吉の朝鮮出兵失敗の本質についても「ランドパワー」「シーパワー」という地政学のフレームワークで解説されています。

秀吉はイケイケ度が半端ではなかった。持てる力を最大限に使って、自分の代ですべてを成し遂げようとしてしまったのです。信長ですらそこまでできなかったのに・・・。

秀吉の最大のミスは、天下統一の成功モデルをそのまま海外にまで延長

しようとしたことです。「朝鮮出兵」さえやらなければ、豊臣政権の天下は揺るぎませんでした。

NHK大河ドラマ「秀吉」でも、天下人となった後の朝鮮出兵とかは殆ど触れられていないんですよね。

「晩節を汚す」という言葉がありますね。

私はこの言葉を聞くと条件反射的に、秀吉のことを思い出してしまうのです。

なぜ、秀吉は晩節を汚してしまったのか?
本来は、何をすべきだったのか?

その一つの答えが、この本の最後に綴られています。

まとめ

この本は以前に出版された「経済で読み解く豊臣秀吉」を再構成、加筆修正したものだそうです。

そして前回の記事で取り上げた「室町・戦国時代」につづく全5巻のうちの2冊目という位置づけです

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上の方であまり貨幣経済のことについては書かなかったのですが、この本の中では「経済で読み解く」というタイトル通り、当時の経済状況についてもたっぷりと書かれています。

個人的には織田信長、豊臣秀吉という日本史の2大スーパースターの行動原理を経済、あるいは経営者というモノサシをあてて読み解き、世間に流布しているのとはちょっと違う2人の人物像が描かれている点に非情に興味を引かれました。

この後は、江戸時代です。

江戸幕府が何度も財政難から倹約令を出してみたり、他方では元禄文化などの花が開くなど好景気がやって来たりした景気循環がなぜ、どのように起こったのかについてとても関心があります。

また、レビューしていきますね。

《関連記事》

・【歴史】「経済で読み解く日本史(1)室町・戦国時代」上念司:著

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2019年06月10日

【歴史】「経済で読み解く日本史(1)室町・戦国時代」上念司:著

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「経済で読み解く日本史(1)室町・戦国時代」
上念司:著
飛鳥新社(文庫版)

もともと歴史が好きで、それも世界史よりも日本史が好きでした。

でも、縄文・弥生時代から現代までを通しで勉強したのは、もうはるか昔、30年以上前のこと。

以後はテレビや小説などで断片的に日本史には触れてきましたが、そろそろもう1回、通しで日本史を勉強したいなと思っていたタイミングで文庫本5冊で中世から現代までの通史が分かるというこの本が出版されるのを知り5冊セットで買ってしまいました。

アマゾンの内容紹介

お金の流れがわかれば歴史がわかる。経済が発展すれば政治制度も変化せざるを得ない。貨幣量の変化を中世までさかのぼり、当時の景気循環を説明。室町幕府の衰退とともに、内乱と宗教戦争が頻発し、戦国時代に突入した原因はデフレ経済にあった。

○貨幣量の変化で、中世の金融政策と景気を説明する
○比叡山vs.京都五山、経済マフィア化する寺社勢力
○日明貿易の衰退が室町幕府の弱体化を招いた
○それに伴い開始された寺社勢力と武士の「仁義なき戦い」
○一向一揆、法華一揆の背後の「巨大な越後屋モデル」
○中世を発展させ終わらせた「経済的インセンティブ」

室町時代はデフレ経済だった?

どんなに強い政治権力を持つ者でも絶対に逆らえない掟があります。それが「経済の掟」です。それは、例えば「お金をたくさん刷れば必ずインフレが起こる」とか、「お金の量が減ればデフレになる」とか、「デフレになるときは自国通貨高になる」といった、とても単純なルールです。

この本のタイトルに「経済で読み解く」との文言があるとおり、冒頭で「ワルラスの法則」というモノとお金のバランスによって経済はどう動くのか、ということが説明されています。

とても分かりやすい解説です。これを読むと、室町時代の経済状況はもちろん、現代の日本経済が苦しめられてきたデフレ解決のために中央銀行である日銀の果たすべき役目というものも理解できると思います。

景気が悪いと政府の財政政策に文句を言う人がいますが(税金の無駄遣いとか)、それよりも日銀の金融政策がどうなっているのか?という点の方が大事ではないのかと思ったりします。

話が少し逸れました。。

室町時代の経済は概ねデフレ基調だったとこの本には書かれています。

なぜ、デフレだったのか?その原因は自国で通貨を発行せずに日明貿易によってもたらされる銅銭を流通させて通貨としていたことにあると説明されています。

明と貿易をして銅銭を輸入すれば、日本国内の貨幣流量は増えますね。

逆に明との貿易を止めてしまうと(4代将軍、足利義持が日明貿易を一時停止させた!)貨幣量が増えなくなります。

実体経済が成長しているのに(モノが増えているのに)、明から銅銭が入ってこなくなると貨幣不足となり経済はデフレになってしまいます。

この時代はデフレになり経済が困窮すると戦(いくさ)が始まります!

室町時代に戦乱が多かったのは(応仁の乱とかもありましたね)、こういった経済的な背景があったと著者は指摘します。

経済マフィア化する寺社勢力

寺社勢力とは単なる宗教団体ではありません。寺社は仏教留学僧が作った支那とのコネクションを生かして貿易業に精を出す巨大商社であり、広大な荘園を所有する不動産オーナーであり、土倉や酒屋といった町の金融業者に資金を供給する中央銀行でした。

この本の2/3くらいのページを割いて室町時代の寺社勢力について詳細に解説されています。

一般的には室町時代の政治権力は足利氏の室町幕府が握っていたということになるのでしょうが、この後に登場する江戸幕府と比べると政治的基盤が弱く、それ故に寺社勢力と結びついて経済的な援助などを受けていたのです。

平安時代の頃から天台宗の比叡山延暦寺、藤原氏の氏寺だった奈良の興福寺が多くの僧兵を抱えとても強い武力勢力であったことはよく知られていますね。

そういった旧勢力に対して鎌倉、室町時代に力をつけてきたのは臨済宗でした。

鎌倉五山は(鎌倉)幕府に便宜を図ってもらうことでマーケットを広げ、その見返りとしてその収益の一部をキックバックします。つまり、臨済宗などの寺社勢力と幕府の実質的な関係は「お代官様と越後屋」だったのです。

(中略)

室町幕府はプレイヤーこそ違えど、そのビジネスモデルは鎌倉幕府と変わりません。

「鎌倉幕府と鎌倉五山」から「室町幕府と京都五山」へとプレイヤーが入れ替わっただけで、越後屋モデルは引き継がれたというわけです。

この後、旧勢力の天台宗と臨済宗の経済戦争が起きたり、一向一揆や法華一揆の嵐が吹き荒れたりして、この時代の宗教は本当に物騒だったことが伝わってきます。

個人的にはこういった寺社勢力の話しにはあまり興味がないので、読んでいて退屈に感じるところもありました。

だけど、この時代の寺社勢力が経済プレイヤーとして(時に武力勢力として)いかに大きな影響力を持っていたかということはよく分かりました。

室町将軍の跡目問題と応仁の乱

障子が開け放たれたかと思うと、完全武装の武士数名が義教(よしのり)に斬りかかったのです。将軍義教はあっけなく討ち取られてしまいました。これが世に言う「嘉吉の変」です。

(中略)

1441年の嘉吉の変から義政が元服する1456年までの間、管領家と有力守護大名、将軍側近グループなどが入れ替わり立ち替わり権力を掌握する時代が続きました。

    • 6代将軍、義教・・・嘉吉の変で暗殺される
    • 7代将軍、義勝・・・9歳で将軍となるも8か月で病死
    • 8代将軍、義政・・・8歳で将軍に就任、元服後も政治に興味がなく東山文化などに傾倒し銀閣を建てたりした

本文の中ではサラッと触れられているだけですが、6代将軍、義教が暗殺された後から8代将軍までの間、室町幕府がどれだけ「ポンコツ」だったのか!!

義教が暗殺された後、2代続けて幼い子供を将軍の座につけて、義政が成人したと思ったら政治は側近たちに丸投げして東山文化に傾倒し、挙げ句の果てに「応仁の乱」です。

これは滅茶苦茶な戦争でした。寒冷化とデフレ不況の進行で、みんな頭に血が上ってわけがわからなくなっていたのかもしれません。(中略)途中から何のために戦っていたのか、目的すら見失っていた各勢力は、エネルギーを使い果たすまで戦い、最終的には戦闘は自然に集結しました。

個人的な感想ですが、この混乱の時期って平成の政治状況とも似てるなぁって思いました。

災害が多発したり、デフレ経済が進行して(放置されて)、小泉内閣の後を引き継いだ安倍、福田、麻生とほぼ1年ごとに政権が変わり、民主党政権になっても鳩山、菅、野田と短命政権が続きましたよね。

7代・義勝、8代・義政の時代は将軍ではなく側近たちが政治を執り行っていたようですが、平成の日本でも1年前後で政権を放り出す首相が続く間、代わりに官僚たちの都合で政治が左右されていたような印象があります。

結局、室町時代も平成の世もデフレという経済の停滞が政治勢力を弱めて社会を混乱させたということでしょうか?

まとめ

この「経済で読み解く日本史」は著者の上念司氏が以前に刊行された「経済で読み解く織田信長」など4冊の本を加筆再編集して文庫本全5巻で発売されたものです。 

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今回取り上げた「室町・戦国時代」から始まって「安土・桃山時代」「江戸時代」「明治時代」「大正・昭和時代」へ続く日本通史になっています。

高校時代に授業や受験勉強で日本史はそれなりに勉強してきましたが、その頃は自分に経済に関する知識は殆どなく、授業内容も歴史的な出来事をなぞる感じのものでした。

それだけに、「経済」という枠組みで日本史を捉えなおしたこの本は私にはとても新鮮に感じました。

第1巻で取り上げられた「室町・戦国時代」、幕府の力がそれほど強くなかったのも、応仁の乱をはじめ多くの戦乱が起きたのも経済というモノサシを当てはめて見てみると「なるほど!」と頷ける内容でした。

この後の展開も楽しみです。また随時、レビュー記事をあげていきますね。

《関連記事》

【歴史】「経済で読み解く日本史(2)安土桃山時代」上念司:著

【歴史】「経済で読み解く日本史(3)江戸時代」上念司:著

【歴史】「経済で読み解く日本史(4)明治時代」上念司:著

【歴史】「経済で読み解く日本史(5)大正・昭和時代」上念司:著

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2019年06月06日

【自己啓発】「置かれた場所で咲きなさい」渡辺和子:著・感想と母の介護の思い出

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「置かれた場所で咲きなさい」
渡辺和子:著
幻冬舎文庫

この本を既にお読みになった方も大勢いらっしゃると思います。

読んでなくても「置かれた場所で咲きなさい」という言葉はどこかで目にしたことがあるかもしれませんね。

私がこの本を手に取ったのは17年の晩秋の頃でした。がんの手術を受け抗がん剤治療を続けながら、母の介護に追われていたときです。

色々な意味で閉塞感を感じ、精神的にも少し疲れていました。

そんな時、病院へ行く途中でたまたま立ち寄った書店でこの本を見つけたのです。

ページをめくるたびに、一つ一つの言葉に頷き、励まされ、救われたような気持ちになったのを覚えています。

この本を語ろうとすると、どうしても母の介護のことが思い出されます。今回の記事は私の個人的な介護にまつわるエピソードが中心となっていますので、ご了承ください。


アマゾンの内容紹介

Bloom where God has planted you

置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。

咲けない時は、根を下へ下へと下ろしましょう。

どうしても咲けない時は・・・

一人の宣教師が短い英詩を手渡してくれました。

Bloom where God has planted you(神が植えたところで咲きなさい)

「咲くということは、仕方がないと諦めるのではなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです」と続いた詩は、「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです」と告げるものでした。

著者の渡辺和子さんは大学卒業後にノートルダム修道女会に入信された修道士なので、この本に出てくる言葉もキリスト教の教えが色濃く反映されているように感じました。

「置かれた場所で咲きなさい」これだけだったら、それほど私の心に刺さることはなかったと思います。

だけど、この言葉にはこんな続きがあるのです。

どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。

人生は順境ばかりではないですよね。きっと、どんな人にも大なり小なりの逆境の時ってあると思うのです。

この本を手にした時の私は「まさかの癌!」、そして「突然はじまった母の介護生活」。

来る日も来る日も抗がん剤の副作用に悩まされつつ、片時も休めない母の介護生活にほとほと疲れていました。

「咲きなさい」と言われたって、「そんなのムリ!」としか言いようのない状態だったのです。

でも、「咲けない時は根を張るのです」との言葉を読んだ時に、すっと心が晴れて救われたような気持ちになりました。

ムリして笑わなくてもいい。

ムリして前向きにならなくてもいい。

でも、逆境に腐るのではなく「次」に向けて、出来る準備はしておく。

・・・次に咲く花のために。

この言葉はその時の私に、「次」というステージがあることを思い出させてくれたのです。

「禍福はあざなえる縄のごとし」

人生、幸福と不幸はより合わせた縄のように交互にやって来ると言われてますね。

ツラい時期もいつか終わる時が来る。その時のことを思い描いて、今は深く深く根を張る時期なんだと自分に言い聞かせることが出来たのです。

不機嫌は立派な環境破壊

不機嫌は立派な環境破壊だということを、忘れないでいましょう。

仏教の言葉に「和顔施」というものがあります。

ニコニコして話しをすると、相手の気持ちも和み人のためになるという教えです。

だけど、反対に不機嫌な顔していると周りの人もあまり気分良くないですよね。

実生活でもドラマでも不機嫌な顔をしている人の周りで他の人たちがニコニコしながら談笑している場面を見たことがありません。

自分が不機嫌な顔をしていると、それは周りの人にとってはその場の環境破壊以外の何ものでもないということですね。

しかし、この本を読んでいた頃の私は自分の病気と介護のストレスでとてもニコニコしていられるような状況ではありませんでした。

そんな時に「不機嫌は環境破壊」という言葉を読み、ハッと気づいたことがありました。

「笑顔になれない」ということと「不機嫌な顔になる」は必ずしもイコールではないということに気づいたのです。

自分がストレスを抱えているからといって仏頂面をしていたら他の家族だって気持ちいいわけありません。家の中がドンドン暗くなっていきます。

例え笑えなくても、せめて仏頂面にはならないようにしよう、そう考えるようになりました。

実践するのはなかなか骨が折れましたが、それでも自分が仏頂面になっていることに気づいた時には心の中で「不機嫌は環境破壊」とつぶやいて表情をなおすよう心掛けるようにしました。

苦しいから、もうちょっと生きてみよう

「死にたいと思うほどに苦しい時、”苦しいから、もうちょっと生きてみよう”とつぶやいてください」苦しみの峠にいる時、そこからは必ず下り坂になります。そして、その頂点を通り越す時に味わった痛みが、その人を強くするのです。

自分の病気と母の介護でのストレスに苦しんでいた時、この言葉を読み今の状況が永遠に続くわけではない、ということに改めて気づかされました。

それと同時に、ある矛盾点に気づくことになりました。

自分の病気のストレスは、いつか元気になって癌を克服した時がゴールになります。

では、母の介護は・・・・?!

確かに介護はしんどかったです。だけど、母に早く死んで欲しいなんて思っているわけではありません。

以来、「いつかは終わる」そう考えることは自分の中でタブーになっていました。

でも、ある日ふと気づいたのです。

介護の終点は人の死ではなく、例えば食事の準備をするのと同じように「当たり前」の感覚で介護が出来るようになること。

介護のゴールは自分の気持ち次第で作り出すことが出来ると考えられるようになったのです。

そう気づいた時から気持ちが本当に軽くなりました。

最後に

今でもこの本を手に取ると、母と過ごした介護の日々を思い出します。

この本を読んでいなかったら、きっともっと辛い日々を過ごしてような気がしています。

それくらい、この本には救われました。

夜、母が寝付くとそのベッドの脇に座って、この本を何度も読み直し、心に残った言葉などは手書きでノートに写したりもしました。

2017 11 07 15 38 00
▲当時の写真

人生の逆境にある時、心が折れそうになった時、そんな時に是非とも手に取っていただきたい1冊です。

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大きな文字で読みやすい 置かれた場所で咲きなさい (幻冬舎単行本)

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2019年06月03日

【カーリング】「0から1をつくる」本橋麻里:著

本橋麻里

「0から1をつくる」地元で見つけた、世界での勝ち方

本橋麻里:著

講談社現代新書

「マリリン」の愛称で知られるカーリング女子の本橋麻里選手。

彼女が地元、北海道の常呂(ところ)で立ち上げた「ロコ・ソラーレ」が2018年の平昌オリンピックで銅メダルを獲得したのは記憶に新しいと思います。

この本はトリノ、バンクーバーオリンピックに出場し、その後ロコ・ソラーレを立ち上げ、平昌オリンピックで銅メダルを獲るまでの道のりを辿りながら、単なる追想録ではなくコミュニケーション、チームビルディング、リーダー論などが詰め込まれた内容になっています。

アマゾンの内容紹介

カーリング女子五輪メダリストが明かす、コミュニケーション術、組織マネジメント術、リーダー論・・・。

強いコミュニケーションをつくる

ロコ・ソラーレは「長い時間をかけてもいい。遠回りでも、強いコミュニケーションをつくって、4年に一度に振り回されないグループをつくりたい」という思いで結成されたチームです。

ロコ・ソラーレというと「もぐもぐタイム」や18年の新語・流行語大賞にもなった「そだね〜」が有名ですね。オリンピック中継では「癒やされる〜」という声がSNSに数多く投稿されていました。

しかし、このチームの魅力は「癒やし」や「かわいらしさ」だけではなく、史上初めて日本のカーリングでメダルを獲ったことで証明された勝負強さ、実力の高さにもあると思います。

そして、その強さを生み出している一つの要因が選手間のコミュニケーション力ではないかと思うのです。

それは試合中、他のチームは3番目、4番目に投げるサードとスキップの2人の選手が話し合って作戦などを決めているのに対して、ロコ・ソラーレは4人の選手が話し合っている場面がすごく多いことからも分かります。

それだけに、この本の中でもコミュニケーションについて多くのことが語られています。

本音で話すことで起こる意見のズレは、時間がかかっても最後にはポジティブな場所に着地します。

強いグループを形成するためには、崩してまた組み立てること。遠回りでも一度、ぶつかること。それを繰り返すほかないと信じました。

職場やチームなどで意見交換をするとき、大なり小なり意見がぶつかることってありますよね。

そういう時、「まぁ、まぁ、まぁ」という感じで正面衝突を避けて、無難な線に着地させたりすることってありませんか?

でも、この本橋選手の言葉を読むと、本当に強いチームを作るためにはぶつかることを恐れてはいけないし、例えぶつかったとしても最後にはポジティブな結果につながることを教えられます。

しかし、何でもぶつかればいい!というわけでもないと思うんですよね。

そもそもコミュニケーションというのは、決して一方からではなく双方からのものであるべきで、「私はこうだと思う」と言い続けるのではなく、主張したぶんだけ、相手の意見を聞くべきです。

ロコ・ソラーレでは、相手をしっかり尊重し、どんなタイミングでも、誰が何を言ってもいいようなミーティングを何度も重ねました。

こういったように、相手を尊重する、発言するだけでなく相手の話もしっかり聞く、そして何度も話し合いを重ねる、そういった信頼があって初めて本音でぶつかることが出来るのだと思います。

リーダー像

私が感情の起伏を大きく見せたら、チームみんなが動揺するかもしれない。私はみんなと同じ気持ちを共有しつつも、何があってもとにかくどっしりと構えていよう。嬉しい勝ちも、ボロ負けでも、一定でいることが私の仕事だなと五輪開幕前に決めていました。

平昌オリンピックでは本橋選手はフィフス(控え)の選手に回り、試合中はコーチボックスでチームの戦いを見守っていました。

リーダーというと、みんなの先頭に立ってグイグイと引っ張っていくイメージが強いように思いますが、本橋選手は言います。

「そうか、サポートという形でもチームを引っ張ることは可能なんだ」という一つの形を得ました。先頭に立って、仲間をぐいぐい引っ張るタイプのリーダーではなく、仲間を舞台裏でしっかり支えるタイプのリーダーです。

また、チームを鼓舞するために敢えてキツいことを言ったり怒ったりするリーダーもいますが、それに対しても「私の中では、苦しんで伸びる時代、選手を怒って伸ばす時代はもう終わり。そう考えています。」と、書かれています。

本橋選手はリーダーとしても主将としても新しいスタイルを創り出しているように感じました。

0から1をつくる

平昌オリンピックから地元、常呂町に凱旋帰国したとき吉田知那美選手が言いました。「この町、何にも無いよね」と。

北海道北見市常呂町。数多くのカーリング選手をオリンピックに送り込んだカーリングの聖地と言われる町です。

しかし、何も無いが故にチームをサポートしてくれるスポンサーも無く、有力選手は地元を離れ他の地方で選手生活を続けるしかなかったそうです。

そんな現状を変えたい!地元で愛されるチームを作りたいと考え、本橋選手はチーム青森を離れ、ロコ・ソラーレを立ち上げました。

「地方だから」という言い訳は、私の中にはありません。地方だからこそ、前向きに、どんどん進めることができる。田舎には無限の可能性がある

ゼロは最強です。アイデアと体力さえあれば、何でも生み出すことができる。

たぶん、ビジネスの世界でいえば本橋選手は「創業者タイプ」なんだと思うんです。

    • ロコ・ソラーレを立ち上げて、オリンピックで日本初のメダルを獲得するチームに押し上げる

    • 後輩育成としてセカンドチーム「ロコ・ステラ」を立ち上げ、指導にあたる

    • 「ロコ・ソラーレ」を法人名として一般社団法人化して自身は代表理事に就任

こんな具合にどんどん新しいことに挑戦し、今もその歩みを止めていません。

「メダリストなんて、1年経てばタダの人なんです」そうこの本には書かれています。

しかし、タダの人になるどころか今年(19年)5月には政府の地方創生会議のメンバーに選ばれ、さらに活躍の場を広げそうです。

創業なんて、大袈裟なことでなくてもいい。0から1を生み出す。新しいことに挑戦するバイタリティは見習いたいものです。

まとめ

カーリングは人生を豊かにするツールではあるけれど、決して私の人生のすべてではない。

メンタルの部分は、カーリングだけをやっていれば強くなるものでもなく、人生経験がどうしても必要なんだという確信は今でも私の心に強く残っています。

こう書かれているとおり、この本は主に本橋選手のカーリング経験が書かれていますが、それだけじゃない。

特に印象に残ったのは、コミュニケーション力と人間観察力です。

「今目の前にいる人は信用しない」という彼女の言葉。普通はネガティブに捉えてしまうと思いますが、これがとんでもなくポジティブ!!(その理由は本書にてご確認を・・・)

チームメイトはもちろん、周囲の人たちや取材に訪れるメディアの方々に対する観察力は「なるほど!」と唸るものがあります。

本橋選手が持っている「0から1をつくる」力は、人を観察し、コミュニケーションを取り、人と人をつなげる。そんなところに原動力があるのかもしれません。

カーリングファンならずとも、対人関係やコミュニケーションで悩んでいる方、組織のリーダーとして色々なことを考えている方には是非、一読をお勧めします。

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ロコ・ソラーレ 銅メダルへの軌跡 平昌五輪報道特集

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