2017年02月05日

「生きるに値しない生命などない」【「ブラックジャックによろしく・4」】

ブラックジャックによろしく (4)
ブラックジャックによろしく (4)

「ブラックジャックによろしく 4」

佐藤 秀峰:著

 

 

今日はちょっと重い話しです。。。

16年7月26日、神奈川県相模原市の障がい者福祉施設で発生した殺人事件のことを覚えてらっしゃる方も多いかと思います。

 

その事件から半年が経った1月下旬。


ラジオで評論家の宮崎哲弥氏が、この事件について語られていました。

 

宮崎氏の発言の中で私の印象に残ったのが以下の2点です。

(1)「生きるに値しない命など存在しない」そう断言できるほど私たちの社会は障がい者を受入れることが出来ているか?

 

(2)およそ3年前に始まった新型出生前診断で、生まれてくる赤ちゃんに障害がある(可能性がある)と診断された妊婦さんのうち94%の人が選択的妊娠中絶をしている。

 

そして、障がい者と社会、障害を持って生まれてくる赤ちゃんとその家族について描かれた作品として是非読んで欲しいと宮崎氏が取り上げていたのが、「ブラックジャックによろしく」の4巻でした。

 

アマゾンの内容紹介

「生まれた赤ちゃんはダウン症だった・・・」

その双子は4年間不妊治療を続けた結果の、待望の我が子・・・のはずだった。
突然に障害児の親となった田辺夫婦は、我が子をこのまま死なせてくれと斉藤と指導医・高砂に乞うた。

説得できなければそれも仕方ないとする高砂に斉藤は反発する。
親が我が子の命を決定するそれは許される事なのか?
何が親を支配し、何が高砂にそう思わせる?
新生児科と日本の現実に斉藤が熱くなる!

 

※「ブラックジャックによろしく」は全巻、無料で公開されています。
こちらのページではPCでそのまま読むことも出来ます。

ブラックジャックによろしく4巻 - 漫画onWeb

 

悪意はないのです。だから差別は無くしがたい

「障害を持っている人を差別してはいけない」これって、当たり前のことだと思うのですが、本当に「当たり前」なのだろうか・・・?

 

ちょっと、個人的な昔話を。。

 

私が小学生の頃の話しです。

 

私が通っていた小学校には知的障がい者のためのクラスがあり、「ひまわり学級」と呼ばれていました。

 

その「ひまわり学級」は知的障がいをもった子供たちのためのものだと教えてくれたのは、まわりの大人たちでした。


そして、あろうことか、「悪いコトをすると、ひまわり学級に入れられちゃうよ」などということもまわりの大人に吹き込まれました。


たぶん・・・そんな話しを吹き込まれたのは私だけではなかったと思います。

 

そして、小学校6年生の夏。

 

夏休みの臨海学校で千葉県の海にみんなで行きました。


そこには、6年生のクラスと一緒にひまわり学級の同級生たちも参加していました。

 

どうして、そんなことになったのか全く記憶がないのですが、旅館の部屋で水着に着替えるときのこと。

 

ひまわり学級のK君を取り囲んで、パンツをずりおろして丸裸にしようと男の子たちがいたずら(?)、いじめ(?)を始めたのです。


もちろんK君は必死になって抵抗します。

 

だけど、それを止めようとする同級生は誰もいませんでした。

 

私はといえば、その輪からちょっと離れたところで何もせず、何も言わずにその様子をただ眺めていただけでした。

 

子供たちのちょっとしたイタズラだったのかもしれない。


そこに悪意なんてものは、たぶん無かったと思う。。

 

だけど、「悪いコトをすると、ひまわり学級に入れられちゃうよ」

 

そんな大人の言葉が知らず知らずのうちに差別するココロを子供たちの中に植え込んでいたのかもしれない、


なんだか、そんなふうに思うのです。

 

◆◇◆◇◆◇

今回、このコミックを読んで


「悪意はないのです。だから差別は無くしがたい」
「悪意はなくとも全員、共犯者だ」


そんな言葉にぶつかり、考えてしまいました。

 

人が人を差別する、


もちろん、あってはならないことだと思います。

 

だけど、その「差別するココロ」って何処からやってくるのだろう、と。

 

まわりの大人たちから知らず知らずのうちに刷り込まれてしまうもの?

 

それとも(そんなこと思いたくないけど)差別するココロって、もしかしたらDNAレベルで刷り込まれていて人が成長する過程において「理性」を身に付け、それによって押さえ込まれているのではないか・・・?とも思う。

 

妻は息子がダウン症であると分かって泣きました

もしかして、あなたは障がいのある子の親に
なりたくないだけじゃないんですか・・・?

 

ダウン症の赤ちゃんの手術に同意しようとしない父親に向かって研修医の斉藤がそう言って詰め寄る場面が描かれています。

 

冒頭でも書いたように、検査で出産前に障害がある可能性が高いと言われた妊婦さんの94%が中絶をしてしまっているらしいです。

 

中絶を決めた親御さんたちの苦悩と、心の痛みはいかばかりだろか。


それを思うとこちらの胸もとても苦しくなります。

 

そして、この本の中にも描かれていることなのですが、障がいをもって生まれてくることは不幸なのか?


幸、不幸を決めるのは子供であって、親ではない(はず)。

 

だけど父親は言います。

 

少なくとも、この社会において息子の人生は不幸です

 

我が子に障がいがあることを不幸だと思ってしまう。


その責任の一端は障がい者にとってけっして優しいとは言い切れないこの社会を形作っている私たちにもあるのではないか、ということに気付かされます。

 

◆◇◆◇◆◇

 

ラジオで宮崎氏が言っていました。

 

子供が障がいをもって生まれた親御さんや医療関係者がどれほど苦悩するのか、私たちはそれを知らなければならない。

 

そして、「障がい者なんていなくなってしまえ!」そう言って、牙をむき多くの障がい者を殺傷した犯人と戦うためには障がい者にとって優しい社会を私たちが作っているのか、それを自らに問わなければならない。

 

学校の試験問題と違って、答えなんてそう簡単に見つからないし、答えも一つじゃないかもしれない。

 

だけど、この本の最後に、一つのヒントが描かれています。

 

そして、それを読んだとき私は知らず知らずのうちに涙がこぼれてきました。

 

(おしまい)

posted by penguin-oyaji at 15:31 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする