2015年02月20日

【「会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから」】会社が消えても、人生は終わらない

「会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから」

大西康之:著

日経BP社

どういう経緯だったのか分からないのだけど、私が小学生の頃、我が家の家電製品はその殆どが三洋製品でよく近所の三洋ショップのおじさんが我が家にやって来たりもしていた。

しかし、ご存知のように既にSANYOというブランド商品は存在しない・・・この本は大きくは三洋電機が無くなるまでの物語と、三洋電機が消滅したその後の元・社員たちの物語の二部構成になっている。

実はこの本、昨年の夏くらいに買ったのだけど、なかなか読むことが出来なかったのだ。

というのも、

私自身も数年前に「会社が消えてなくなる」という三洋電機と同じような体験をしてきているので、この本を読んでいると、その当時のあまり思い出したくないようなことまでいちいち思い出してしまうから。。

でも、読後感としては「暗い気持ち」になるどころか、よしっ!俺も頑張らねば!と前向きな気持ちにさせられるものだった。

三洋電機という”会社”は確かに競争社会の中で消滅してしまったが、そこで働いていた元・社員たちは「敗れざる者たち」であったことがこの本の後半部分で描かれているのだけど、それが私に勇気を与えてくれたのだと思う。

Amazonの内容紹介

たとえ今の職場がなくなっても、人生が終わるわけではない。では、どこに向かって次の一歩を踏み出すか。かつて三洋電機に在籍した人々のその後の歩みは、貴重な示唆に富んでいる。重苦しいテーマを扱いながら、本書が「希望の物語」となっているのは、そこに会社を失ったビジネスパーソンの明るくたくましい生き様が垣間見えるからだ。

■それでも会社を、仕事を、愛す

トップの突拍子もない思い付きを、現場が脂汗を流して何とか形にすると、それがトップの武勇伝になる。会社の「成功物語」というのは、えてしてこんな風に作られる。(P199)

多くの「元三洋電機社員」に取材してみてわかったことがある。彼らはよく、敏のことを「あほな親父」「しょうもない親父」と罵るが、その時、たいていの人は楽しそうに笑っている。「うちの親父は、ほんまにあほで。困ったもんですわ」という時の息子の顔である。あほな親父を愛しているからだ。(中略)「井植敏は有能な経営者だったか」と問われれば答えは「否」である。だが、社員に愛され、社員の馬力を引き出したという意味では「立派な経営者」である。敏は極めて日本的な「担がれるタイプ」のトップだったのだ。(P241)

※井植敏(いうえ さとし)三洋電機株式会社の元社長、会長で 創業者、井植歳男の長男

この本の特に後半部分を読んでいると、三洋電機という会社を、そして井植敏という元経営者のことを本当に愛していたんだなぁ、と感じられる元社員が何人も登場する。

トップの経営判断のミスで会社は切り売りされ、自分たちは愛していた会社から放りだされた・・・にもかかわらずだ。

親父(社長)に恥をかかせたらいかん!そう言って孝行息子たち(社員)が一致団結して会社を支える。

まぁ今は少なくなってしまったのかも知れないけれど、これがよくある日本企業の姿だったのではないかと思う。

それだけ自分たちの親分(経営者、社長)に魅力があったということだと思うし、いわば家族にも似たような繋がりが社内にはあったということだとも思う。

詳細は省くけれど、三洋電機の経営が傾き、金融会社に切り売りされ、パナソニックという大企業に飲み込まれていくというストーリーを読んでいると、「(あほな)親父と孝行息子たち」という日本型経営がグローバリズムだとか新自由主義だとかの新しい経営に敗れ去っていく・・・そんな姿が目に見えるような印象を受けた。

そう、三洋電機という会社が特別なわけではなく、これと同じようなストーリーを辿り、憂き目を見た日本企業はあっちこっちにある筈だと思うし、今もそのストーリーは日本の何処かで展開されているのかも知れない。

社会環境が変わってしまった今、そういう新しい経営を受け入れざるを得ないのかも知れない・・・

しかし、「だけど・・・」とも思う。

三洋電機だけではない。あらゆる電機メーカーが、投資家に背中を押されて採算の悪い事業を切り捨てた。主力製品の生産拠点は続々と海外に移り、国内の雇用はどんどん減っていく。残った仕事もコスト削減のため、正社員ではなく派遣や請負の社員に任せていった。利益の多くは海外現法が稼ぐようになり、日本ではろくに税金も納めていない。経営者の顔は投資家の方ばかりを向き、雇用や納税といった企業の義務を忘れているように見えた。「わしらは投資家に魂を売っとるんと違うか」(P231)

この言葉を負け犬の遠吠えととるか?それとも、会社とは本来どんなものであるべきなのか?と問い直すか?

そして・・・

新しい社会環境の中で自分はそれでも会社を、仕事を愛せるか?

そんな問いをぶつけられたような気がする。

■逆境、苦悩、対立、修羅場

昨日まで仲間だと思っていた人々が敵に変わっていた。誰もが「パナソニックの傘下」という新しい環境で生き残るために必死で、ぎすぎすしていた。(P254)

会社がなくなる会社が買収されてしまう

買収先の会社に(運良く?)転籍できるとしても、「あぁ、そうですか」とカンタンに割り切れるわけもなく、いったい自分はどうなってしまうのか?そんな不安に苛まれ、昨日までの仲間が敵になってしまう・・・それまでの人間関係があっという間に壊れていく・・・

会社が売却される時、その内部ではある意味ドロドロの人間模様が繰り広げられているわけですよ(私も経験しました)。

この本の中でセクハラ疑惑をかけられ、会社を辞めさせられた元営業幹部のことが書かれているのだけど、本当に無念だったろうと思う。。

映画「タイタニック」をご覧になられた方は思い出して欲しいのだけど、沈没シーンでは我先にと救助船に乗り込もうとする人々の姿が描かれていましたよね。まさしく修羅場でしたね。

会社がなくなる(売られてしまう)時もあれと同じだと思うんですよ。

誰もが自分の次の居場所を確保するために必死にならざるを得ない。。だから、昨日までの仲間が敵になってしまうようなことも起こってしまう。

でも、だからと言ってそれを責めたり、嗤うことは誰にも出来ないと思うんですよね。。

もちろん!

最後まで演奏をやめなかった楽団員のような人もいると思うけど。

人事部長を務めた5年間は岡本にとって悪夢の時間だった。仕事の9割がリストラ、平たく言えば「首切り」だったからである。(中略)もちろん経営陣の指示でやったことだ。サラリーマンの岡本に逆らう術はなかった。それでも、当時の記憶は岡本の心の中で深い傷になっている。ネットの掲示板には実名で誹謗中傷を書かれた。自宅には家族に見せられないような手紙が来た。駅のホームでは背後が気になり、最前列に立てなくなった。(P258)

リストラでクビを切られる方も必死だけど、クビを切る方も必死なのだ。

実は私も数年前には、クビを切る側で仕事をしていた。もちろん、三洋電機と比べれば全然規模は違うのだけど、それでも、人の職を奪ったことに変わりはない。

だから、この元人事部長の気持ちは痛いほど分かった(ように思う)

気持ちが分かるというのは、クビを切る痛みのことだけではない。。例えば、こんなことも・・・

本社の人事部長をしている時、岡本はリストラの絵を描く傍ら、中途採用に力を注いでいた。「現実逃避ですよ。何か少しでも前向きなことをやっていないと、心のバランスが崩れてしまう。人事の人間はみんなそうでした」(P263)

そう、私も自分の会社というか事業部の売却が決まる寸前まで採用活動をしていたのだ。

当時、一緒に役員をしていた先輩からは片一方で人を切りながら、もう片一方で採用するってどう考えても矛盾してるじゃないか!と何度も指摘された。

今から思えば、その時に私が採用したせいで人生計画が狂ってしまったり、思わぬ買収劇に付き合わされてしまった人がたちが何人かでもいることに心が痛むのだけど、その当時の私はやはり元人事部長と同じ。

何か前向きなことを考えたりやったりしないことには自分自身が圧し潰されてしまいそうだったのだ。

■会社が消えても人生は終わらない

三洋電機という船から放りだされた約9万人の人々も、どこかで働いている。会社は消えても、人生は終わらない。そこから始まる新しい人生があるのだ。(P5)

「会社が消える」という絶望的な状況から立ち上がった人々の物語は、現在進行形で困難な状況と闘っているすべてのビジネスマンに勇気と希望を与えるだろう。彼らの「再生」は、かつての強さを取り戻す「復活」ではない。しかし、厳しい現実と折り合いをつけながら、彼らは「新しい人生」をつかみ取った。(P6)

最初にも書いたように、この本の後半部分では三洋電機という大型船から放りだされてしまった人たちがその後、どのような人生を送っているのかが描かれている。

読んで頂ければ分かる通り、それぞれがそれぞれに希望を持ちながら新たな一歩を踏み出している姿が描かれていて、それが読んでいて、自分も頑張ろう!と勇気を与えてくれている。

さて。

ここからは私の個人的な話を少し書いてみたいと思う。

少し前のこと。数年前まで一緒に働いていた後輩から連絡が来た。今度、昔の仲間が集まって一杯やることになったので、良かったら来ませんか?と。

正直、最初は「どのツラさげて会いに行けばいいのか?!」と思った。・・・というのも、その集まりというのは数年前に会社の事業売却によってバラバラになってしまった仲間たちの集まりであり、私はその当時の彼らの上司であり、リストラを進めた張本人だったからだ。

今さら、合わせる顔なんてない

そう思った。

そう思ったけど・・・今会っておかないともう二度と会うことはないのかも知れない。。今さら「すまなかった」もないのだろうけど、あれから数年たった彼らの姿をひと目見ておくのもかつての上司の役割なのかも知れない。。

そんな勝手な理屈をこしらえて、教えられた会場へと足を運んだ。

当日は十数名がやって来た。あの頃の笑い話や、今だから言える当時のオフレコ話しなどで大いに盛り上がった。

それぞれが、それぞれの新しい人生を歩んでいた。多少、見た目がオジさん化している人もいたけど、みんな元気にやっているようだった。

そんな姿を見て、私はほんの少しだけどこの数年間、ずっと心の片隅に会ったわだかまりみたいなものが軽くなったような気がした。

もちろん、

バラバラになった後、人には言えないような苦しい思いをした人もいたはずだし、その苦しみが今も現在進行形で続いていて会場に来られなかった人もいるのだろうと思う。

だけど

会社は消えても、人生は終わらない。

それならば、やはり何処かで過去を断ち切って前を向いて進まなければならない。

前を向いて進めば、いつか笑い合える日もやって来る。

そんなコトを思ったその日の集まりでした。

おしまい。

※相変わらず読んでくれる人のことを全く考えない長文エントリーで 失礼しました。最後まで読んでくれて、ありがとう。



タグ:経営
posted by penguin-oyaji at 23:17 | Comment(0) | ビジネス書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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