2015年02月20日

【「会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから」】会社が消えても、人生は終わらない

「会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから」

大西康之:著

日経BP社

どういう経緯だったのか分からないのだけど、私が小学生の頃、我が家の家電製品はその殆どが三洋製品でよく近所の三洋ショップのおじさんが我が家にやって来たりもしていた。

しかし、ご存知のように既にSANYOというブランド商品は存在しない・・・この本は大きくは三洋電機が無くなるまでの物語と、三洋電機が消滅したその後の元・社員たちの物語の二部構成になっている。

実はこの本、昨年の夏くらいに買ったのだけど、なかなか読むことが出来なかったのだ。

というのも、

私自身も数年前に「会社が消えてなくなる」という三洋電機と同じような体験をしてきているので、この本を読んでいると、その当時のあまり思い出したくないようなことまでいちいち思い出してしまうから。。

でも、読後感としては「暗い気持ち」になるどころか、よしっ!俺も頑張らねば!と前向きな気持ちにさせられるものだった。

三洋電機という”会社”は確かに競争社会の中で消滅してしまったが、そこで働いていた元・社員たちは「敗れざる者たち」であったことがこの本の後半部分で描かれているのだけど、それが私に勇気を与えてくれたのだと思う。

Amazonの内容紹介

たとえ今の職場がなくなっても、人生が終わるわけではない。では、どこに向かって次の一歩を踏み出すか。かつて三洋電機に在籍した人々のその後の歩みは、貴重な示唆に富んでいる。重苦しいテーマを扱いながら、本書が「希望の物語」となっているのは、そこに会社を失ったビジネスパーソンの明るくたくましい生き様が垣間見えるからだ。

■それでも会社を、仕事を、愛す

トップの突拍子もない思い付きを、現場が脂汗を流して何とか形にすると、それがトップの武勇伝になる。会社の「成功物語」というのは、えてしてこんな風に作られる。(P199)

多くの「元三洋電機社員」に取材してみてわかったことがある。彼らはよく、敏のことを「あほな親父」「しょうもない親父」と罵るが、その時、たいていの人は楽しそうに笑っている。「うちの親父は、ほんまにあほで。困ったもんですわ」という時の息子の顔である。あほな親父を愛しているからだ。(中略)「井植敏は有能な経営者だったか」と問われれば答えは「否」である。だが、社員に愛され、社員の馬力を引き出したという意味では「立派な経営者」である。敏は極めて日本的な「担がれるタイプ」のトップだったのだ。(P241)

※井植敏(いうえ さとし)三洋電機株式会社の元社長、会長で 創業者、井植歳男の長男

この本の特に後半部分を読んでいると、三洋電機という会社を、そして井植敏という元経営者のことを本当に愛していたんだなぁ、と感じられる元社員が何人も登場する。

トップの経営判断のミスで会社は切り売りされ、自分たちは愛していた会社から放りだされた・・・にもかかわらずだ。

親父(社長)に恥をかかせたらいかん!そう言って孝行息子たち(社員)が一致団結して会社を支える。

まぁ今は少なくなってしまったのかも知れないけれど、これがよくある日本企業の姿だったのではないかと思う。

それだけ自分たちの親分(経営者、社長)に魅力があったということだと思うし、いわば家族にも似たような繋がりが社内にはあったということだとも思う。

詳細は省くけれど、三洋電機の経営が傾き、金融会社に切り売りされ、パナソニックという大企業に飲み込まれていくというストーリーを読んでいると、「(あほな)親父と孝行息子たち」という日本型経営がグローバリズムだとか新自由主義だとかの新しい経営に敗れ去っていく・・・そんな姿が目に見えるような印象を受けた。

そう、三洋電機という会社が特別なわけではなく、これと同じようなストーリーを辿り、憂き目を見た日本企業はあっちこっちにある筈だと思うし、今もそのストーリーは日本の何処かで展開されているのかも知れない。

社会環境が変わってしまった今、そういう新しい経営を受け入れざるを得ないのかも知れない・・・

しかし、「だけど・・・」とも思う。

三洋電機だけではない。あらゆる電機メーカーが、投資家に背中を押されて採算の悪い事業を切り捨てた。主力製品の生産拠点は続々と海外に移り、国内の雇用はどんどん減っていく。残った仕事もコスト削減のため、正社員ではなく派遣や請負の社員に任せていった。利益の多くは海外現法が稼ぐようになり、日本ではろくに税金も納めていない。経営者の顔は投資家の方ばかりを向き、雇用や納税といった企業の義務を忘れているように見えた。「わしらは投資家に魂を売っとるんと違うか」(P231)

この言葉を負け犬の遠吠えととるか?それとも、会社とは本来どんなものであるべきなのか?と問い直すか?

そして・・・

新しい社会環境の中で自分はそれでも会社を、仕事を愛せるか?

そんな問いをぶつけられたような気がする。

■逆境、苦悩、対立、修羅場

昨日まで仲間だと思っていた人々が敵に変わっていた。誰もが「パナソニックの傘下」という新しい環境で生き残るために必死で、ぎすぎすしていた。(P254)

会社がなくなる会社が買収されてしまう

買収先の会社に(運良く?)転籍できるとしても、「あぁ、そうですか」とカンタンに割り切れるわけもなく、いったい自分はどうなってしまうのか?そんな不安に苛まれ、昨日までの仲間が敵になってしまう・・・それまでの人間関係があっという間に壊れていく・・・

会社が売却される時、その内部ではある意味ドロドロの人間模様が繰り広げられているわけですよ(私も経験しました)。

この本の中でセクハラ疑惑をかけられ、会社を辞めさせられた元営業幹部のことが書かれているのだけど、本当に無念だったろうと思う。。

映画「タイタニック」をご覧になられた方は思い出して欲しいのだけど、沈没シーンでは我先にと救助船に乗り込もうとする人々の姿が描かれていましたよね。まさしく修羅場でしたね。

会社がなくなる(売られてしまう)時もあれと同じだと思うんですよ。

誰もが自分の次の居場所を確保するために必死にならざるを得ない。。だから、昨日までの仲間が敵になってしまうようなことも起こってしまう。

でも、だからと言ってそれを責めたり、嗤うことは誰にも出来ないと思うんですよね。。

もちろん!

最後まで演奏をやめなかった楽団員のような人もいると思うけど。

人事部長を務めた5年間は岡本にとって悪夢の時間だった。仕事の9割がリストラ、平たく言えば「首切り」だったからである。(中略)もちろん経営陣の指示でやったことだ。サラリーマンの岡本に逆らう術はなかった。それでも、当時の記憶は岡本の心の中で深い傷になっている。ネットの掲示板には実名で誹謗中傷を書かれた。自宅には家族に見せられないような手紙が来た。駅のホームでは背後が気になり、最前列に立てなくなった。(P258)

リストラでクビを切られる方も必死だけど、クビを切る方も必死なのだ。

実は私も数年前には、クビを切る側で仕事をしていた。もちろん、三洋電機と比べれば全然規模は違うのだけど、それでも、人の職を奪ったことに変わりはない。

だから、この元人事部長の気持ちは痛いほど分かった(ように思う)

気持ちが分かるというのは、クビを切る痛みのことだけではない。。例えば、こんなことも・・・

本社の人事部長をしている時、岡本はリストラの絵を描く傍ら、中途採用に力を注いでいた。「現実逃避ですよ。何か少しでも前向きなことをやっていないと、心のバランスが崩れてしまう。人事の人間はみんなそうでした」(P263)

そう、私も自分の会社というか事業部の売却が決まる寸前まで採用活動をしていたのだ。

当時、一緒に役員をしていた先輩からは片一方で人を切りながら、もう片一方で採用するってどう考えても矛盾してるじゃないか!と何度も指摘された。

今から思えば、その時に私が採用したせいで人生計画が狂ってしまったり、思わぬ買収劇に付き合わされてしまった人がたちが何人かでもいることに心が痛むのだけど、その当時の私はやはり元人事部長と同じ。

何か前向きなことを考えたりやったりしないことには自分自身が圧し潰されてしまいそうだったのだ。

■会社が消えても人生は終わらない

三洋電機という船から放りだされた約9万人の人々も、どこかで働いている。会社は消えても、人生は終わらない。そこから始まる新しい人生があるのだ。(P5)

「会社が消える」という絶望的な状況から立ち上がった人々の物語は、現在進行形で困難な状況と闘っているすべてのビジネスマンに勇気と希望を与えるだろう。彼らの「再生」は、かつての強さを取り戻す「復活」ではない。しかし、厳しい現実と折り合いをつけながら、彼らは「新しい人生」をつかみ取った。(P6)

最初にも書いたように、この本の後半部分では三洋電機という大型船から放りだされてしまった人たちがその後、どのような人生を送っているのかが描かれている。

読んで頂ければ分かる通り、それぞれがそれぞれに希望を持ちながら新たな一歩を踏み出している姿が描かれていて、それが読んでいて、自分も頑張ろう!と勇気を与えてくれている。

さて。

ここからは私の個人的な話を少し書いてみたいと思う。

少し前のこと。数年前まで一緒に働いていた後輩から連絡が来た。今度、昔の仲間が集まって一杯やることになったので、良かったら来ませんか?と。

正直、最初は「どのツラさげて会いに行けばいいのか?!」と思った。・・・というのも、その集まりというのは数年前に会社の事業売却によってバラバラになってしまった仲間たちの集まりであり、私はその当時の彼らの上司であり、リストラを進めた張本人だったからだ。

今さら、合わせる顔なんてない

そう思った。

そう思ったけど・・・今会っておかないともう二度と会うことはないのかも知れない。。今さら「すまなかった」もないのだろうけど、あれから数年たった彼らの姿をひと目見ておくのもかつての上司の役割なのかも知れない。。

そんな勝手な理屈をこしらえて、教えられた会場へと足を運んだ。

当日は十数名がやって来た。あの頃の笑い話や、今だから言える当時のオフレコ話しなどで大いに盛り上がった。

それぞれが、それぞれの新しい人生を歩んでいた。多少、見た目がオジさん化している人もいたけど、みんな元気にやっているようだった。

そんな姿を見て、私はほんの少しだけどこの数年間、ずっと心の片隅に会ったわだかまりみたいなものが軽くなったような気がした。

もちろん、

バラバラになった後、人には言えないような苦しい思いをした人もいたはずだし、その苦しみが今も現在進行形で続いていて会場に来られなかった人もいるのだろうと思う。

だけど

会社は消えても、人生は終わらない。

それならば、やはり何処かで過去を断ち切って前を向いて進まなければならない。

前を向いて進めば、いつか笑い合える日もやって来る。

そんなコトを思ったその日の集まりでした。

おしまい。

※相変わらず読んでくれる人のことを全く考えない長文エントリーで 失礼しました。最後まで読んでくれて、ありがとう。

タグ:経営
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2015年02月13日

【椎名誠「アイスランド 絶景と幸福の国へ」】大切なものを何処かに置き忘れ気が付くと僕は今何をしているんだろう?

 

「アイスランド 絶景と幸福の国へ」

椎名誠:著

日経ナショナルジオグラフィック社

学生の頃、重度のシーナ中毒者だった私。新刊が出ると片っ端から読みあさってました。(けっこう多作だったので、追いかけるのがタイヘンでしたけど)

でも、「アドバード」あたりを最後に椎名さんの著書を読むこともなくなって・・・と言うよりは社会人になって本自体をあまり読まなくなってしまってた。。

そして今回、数十年ぶりに椎名さんの新作を手にして読んでみたら・・・

Amazonの内容紹介

南米パタゴニアから北極圏まで、世界を旅した作家が“最後のでっかい旅"に選んだ行き先はアイスランドだった。その理由は、独特の絶景や大自然、そして、敬愛する作家ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』の舞台であると同時に、幸福度、安全度、女性の社会進出度などさまざまなランキングの上位国だから。著者が実際に見て聞いて書いた「幸せの国の現実」とあわせ、でっかい旅の総括ともいえる長い「おわりに」では、これまでに訪れた世界各国の幸せについても振りかえる。また、著者の撮り下ろしに加え、ナショジオの絶景写真を31点収録。絶景と幸福の国を写真でも楽しめます。 美しい国とは―、幸せな国とは―。いまだからこそ読みたいアイスランド紀行。

■幸せって・・・?

ぼくの今度のアイスランドの旅には、いくつかテーマを持ってきていたが、そのうちのひとつが、この国の国民の「幸福度」の現実だった。何年か前に「幸福度指数」が世界九位になったことがあるという。その実態や理由を知りたかった。(P72)

幸福とは何か?と問えば、個人の価値観が多種多様であるのと同じように幸福について人の数だけ違う答えがあるに違いない。

だけど、「幸福な国」あるいは「幸福な社会」とは何かと問えば、答えはもう少し絞られるのかも知れない。

椎名さんによれば、このアイスランドという国は

軍隊はなく、原発もない。しかし税金は高く、物価も高いが、政府によるその高い税金の還元が目で見えるかたちでなされているからなのだろう、多くの国民は、おだやかでシアワセそうな顔をしている。みんな「この国は安全で、犯罪などない」という。警察はあるが銃を保持せず、殺人事件なども殆どない。滞在中にパトカーはついに見かけなかった。(P9)

そんな国なんだそうだ。

この本は椎名さんによるアイスランドの旅行記なので、行く先々での人々の暮らしぶりや自然の情景が綴られている。

そして、文章だけでなくナショナルジオグラフィックの美しい写真と椎名さんによるモノクロ写真が数多く収録されているので、視覚的にもアイスランドがどういうところなのかを理解し、楽しむことができるようになっている。

話しを戻すけれど・・・

この本の文章と写真で感じるアイスランドという国(社会)が果たして「幸福」なのかどうかという判断はやはり人それぞれなんだろうと思う。。

だけど、

旅っていうのは、単に行く先々の風景や人々の暮らしぶりを見て感じて楽しむだけでなく、その場所から、自分が暮らしているところを振り返って見直してみる、そんな新しい視点を手に入れる機会でもあると思うのだ。

軍隊も原発もなく、殺人を含めて犯罪が殆どなくだけど、税金や物価も高い幸福度ランキング9位のアイスランドという国を通して私たちが住む日本という国(社会)を省みた時にそこにあるのは果たして「幸福」なのか、それとも・・・

この本はそんな「幸福な国」「幸福な社会」について考えてみる良い機会を与えてくれる本だと思った。

■大切なモノを何処かに置き忘れ、気がつくと僕は今、何をしているんだろう?

子供の頃に抱いた”夢”は、愚直ながらもとにかくずっと追求していたら結構実現してしまうものなのだ、「夢」はかなうものなのだ、ということをぼくはぼんやししながらも確信したのだった(P131)

今回この本を読みながら思い出したことがある。

自分が若い頃(つまり、重度のシーナ中毒者だった頃)、椎名さんの「パタゴニア あるいは風とタンポポの物語り」という旅行記を読み、いつか自分もその地を旅してみたいものだと思った。

そして同時に、今のような人生を送っていたら、きっとほぼ間違いなく私はパタゴニアに行くことなく人生を終えてしまうだろう、と思ったのだ。

このアイスランドの旅で椎名さんは敬愛する作家、ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』の舞台となった場所に立っている。

「夢はかなうものだ」と椎名さんは書いている。だけど・・・その昔、サラリーマンをしていた椎名さんが、もしもそんまま会社勤めを続けていたら、作家になっていなかったら、果たして椎名さんの「夢」はかなっていたのだろうか?

抽象的な書き方で申し訳ないのだけど、夢をかなえるためには、その夢に近づくような人生を選択しないといけないのではないか・・・と思う。

子供の頃、あるいは青春時代に小説でもいい、映画でもいいあんなふうに生きたい!こんなことをしたい!そんな憧れの人生を夢見た経験は私だけでなく、多くの人にあるのではないかと思う。

だけど、

オトナになって、仕事をして生活に追われているうちにいつしかそんな子供の頃の夢は何処かに置き忘れてしまい夢見たのとはほど遠い人生を送ってしまっていた。。。

この本を読んで私は、そんなちょっとほろ苦い現実も一緒に突き付けられたような気がした。

大切なものを 何処かに置き忘れ気が付くと僕は今 何をしてるんだろう夜空を見上げると 多くの夢が星になり風になり 踊って見える

吉田拓郎「若い人」

◆最後に・・・

椎名さんは昔から極寒のシベリア、タクラマカン砂漠やパタゴニアなどなど辺境と言われるようなところを何度も旅してきた作家さんである。

だからというワケでもないのだろうけれど、椎名さんの本を読むと異国の地と比べて我が日本の社会がどれだけオカシなことになっているか、というようなことがよく書かれている。

若い頃、そんな椎名さんの作品を読む度にそーだ!そーだ!と激しく同意したことも数知れず。。

上の方でも書いたけど、「旅」っていうのは、異国や見知らぬ場所に立ち肌で感じるものから新しい視点を得る機会でもあると思うんですよね。

自分で実際にそんな辺境を旅する機会のなかった私にとって数多くの椎名さんの旅行記を読むことでバーチャルな世界旅行を楽しんだり、改めて日本の社会というものを考えてみる教科書でもあったのです。

北米大陸とヨーロッパ大陸(ユーラシア大陸)の中間、北極圏近くに浮かぶ島国「アイスランド」

「幸福」というテーマを持ってそのアイスランドを旅した椎名さんが出した一つの結論。それが最後の方に書かれているのだけど、読んでいて深く考えさせられるものでした。※詳細はネタバレ自重ということで・・・ 是非とも本書を手に取って読んでそして考えて貰いたいと思う。。

それから、これも既に上の方で書いたけれどこの本にはナショナルジオグラフィックの美しい写真や椎名さんが現地で撮ったモノクロの写真が数多く掲載されているので、読まずとも見るだけでもアイスランドという国を楽しめるようになっている。本屋さんで見かけたら、先ずはその写真を楽しんでみるのも良いのではないかと思うのでした。

おしまい。

posted by penguin-oyaji at 22:58 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月08日

親孝行のススメ【みうらじゅん「親孝行プレイ」】

「親孝行プレイ」

みうらじゅん:著

角川文庫

今年の年明けぐらいだったか、Facebookを眺めていたらお友達がこの本のレビューを書いていて何となく今の自分に必要な本かなぁ?と思って手にした次第。

作者はイラストレータ、漫画家などとして活躍しているみうらじゅんさん。私、実はあまり詳しいコトは知らなくて時々タモリ倶楽部に出てくる面白いロン毛のオジさんくらいに思ってました(^^;;

でも、「ゆるキャラ」って実はみうらじゅんさんが考案したネーミングだったんですね〜 (知らなかった・・・)

Amazonの内容紹介

親孝行したいとか親は大切だとか、“思っている”だけでは気持ちは相手に伝わりません。親孝行は、具体的に行動しないと意味がないのです。どうせなら徹底的に親を喜ばせてあげたい。そこで忘れてはならないのは、相手が親だからこそ「誰よりも気を遣い、誰よりもサービス精神を持ち、誰よりも接待感覚を忘れてはならない」こと。とにかく行動。初めはぎこちなくてもいいじゃないですか。著者が実際にやっている親孝行の数々。

■会社では出来るのに、なぜ家出は出来ない? 〜親コーラーになろう!〜

「親孝行とはプレイである」これがたえず親孝行と向き合い、親孝行学を探求し、親コーラー(親孝行実践者の意)として私が導きだした結論である (P5)

「親だからこそ」「子だからこそ」「親子だからこそ」誰よりも気を遣い、誰よりもサービス精神を持ち、誰よりも接待感覚を忘れてはならないのだ。そう、親を喜ばせるという行為は、もはや「心の問題」ではなく、実際にどう行動するかつまり「プレイ」の一環なのである。心に行動が伴うのではなく行動の後に心が伴うのが現代の親孝行なのだ。(P6)

職場ではフツーに出来るのに何故か家庭では出来ないコトってないですか?私はあります。例えば「掃除」とか。。

職場ではあんなに一生懸命に日々、掃除をするのに何故か自分の部屋はいつまでも散らかったまま・・・そんな感じです(^^;;

どーして、そんなことになるのか?って考えてみるとやっぱり「仕事だから」って割り切ってる部分があると思うんですよね。

仕事なら、ちょっとくらい嫌なことでも我慢して出来てしまう。

仕事での接待、あるいは上司と一緒の職場の飲み会。相手が少々嫌なヤツでも「これも仕事のうち」と割り切ってしまえば満面の笑みを浮かべて相手をすることが出来る。

それと一緒かなぁ、と。

で・・・

本書のメインテーマである「親孝行」

これもなかなか実践するのが難しい。この場合、相手が嫌なヤツというよりも「親子だから」なんとなく照れくさい。そんなふうに思ってテキトーにあしらっているうちに手遅れになってしまった。。

・・・なんて、コトにならないように親孝行を「放置プレイ」や「S○プレイ」と同じような『プレイ』と割り切って先ずは楽しみながら実践しよう!行動しよう!というのが本書の主旨なんだと思う。

つまり先の例でいえば、親を接待の相手だと思ってサービスすれば良い。そうすれば「親だから」なんていう照れなど気にならずに親孝行が出来るっていうことなんだろうと思うのです。

■年をとった親はなぜかワガママになる?

親というのはそもそも理不尽な人種なのである。登山家はそこに山があるから登り、親孝行家はそこに親がいるから親孝行をする。山に向かって「高すぎる」などと文句を言う登山家はいないわけで、親に向かって「理不尽だ」と文句を言うことほど意味のないことはないのだ。(中略)親孝行プレイは諸君が親に対して行う奉仕プレイなのだということを忘れてはならない。(P28)

何故かは知らないけれど、人は年をとると「ワガママ」になることが多いような気がする。

「ワガママ」と「理不尽」はイコールではないけれど、とても近い関係にあるような気がする。(従兄弟くらいだろうか?)

親から「ワガママ」や「理不尽」なコトを言われたら当然おもしろくない。だからキレる!私も今まで何度キレたか分からない。

しかし!

職場では上司やお客からもっと酷い理不尽でワガママな仕打ちを何度も受けてきたじゃないか!そして、その度に歯を食いしばって耐えてきたじゃないか!

そう思えば親の理不尽、ワガママなんて大したことない。

親がワガママを言ってきても職場の上司やお客に接する時みたいに明るい笑顔でその要求を受けとめれば良いのだ。

つまり、そーいうコトっすね。

■親へのプレゼントという重大問題

ここでは「父親に何をプレゼントするば喜ぶか」のテクニックを考察していく。それにはまず諸君には父親孝行プレイの基本姿勢から学んでいただきたい。それはすなわち「年をとったことを父親に実感させるな」ということだ。プレイのひとつひとつは父親にはいつまでも若い気分でいてもらうためのものでなくてはならない、というのが絶対条件なのである(P113)

プレゼントというものは、相手にとって必要なものを贈る行為ではない。そのようなものは本人が自分の意思で購入すればいいのである。プレゼントとは本人では絶対に買わないもの、しかしもらうと意外に嬉しいものをチョイスすべきなのだ。(P115)

親の誕生日や父の日、母の日に何をプレゼントすればいいのか?これは子供にとってけっこう重大な問題なのではないかと思う。

何が喜ばれるか見当もつかないまま取りあえず何かテキトーなものを選んでプレゼントする。

が・・・!

それから何年か経って、こっちがそんなものをプレゼントしたことすら忘れてしまっていても親は「これは○○の時にあんたからプレゼントして貰ったものよ」と、結構しつこく覚えていてくれたりするので、油断がならない。

この本を読んでいて「そうであった!」と膝を打ったのが、『年をとったことを喜ぶ人は(滅多に)いない』という真実なのであった。

親が年をってくると、プレゼントを選ぶ時にも何となく親の年に合わせて「渋いもの」「地味なもの」「枯れたもの」を選んでしまいがちになる。

だけど、本書によれば盆栽、モモヒキ、あんかなど年寄りが好むものを贈ってどーする?!逆に「これ、若すぎるかも?」と思うようなものをプレゼントすべし!と書かれていて、なるほど〜!と思った次第。

ちなみに・・・

先日のこと。うちの母と一緒に某ユニクロに買い物に行った時のこと。母はカーディガンが欲しかったらしくて、どの色がいいか?と訊ねられたので、私は何の躊躇もなく「赤!もしくはピンク!」と答えたのだけど、「そんな派手なのは嫌だ」と無下もなく却下されたのだった。。orz

◆最後に・・・

『親孝行とはプレイである』この一見ちょっとふざけたように思えるこのフレーズ。でも、この本の最後のページを読むとまさに名言!というふうに思えるのではないかと思う。(ネタバレ自重で引用しませんが。。)

親孝行をテーマにした著作って割と色々あると思うけど、なんとなく「涙」とか「感動」という言葉と結びついているものが多いように思うんですね。

でも、この本はむしろ逆で明るい笑いの中に感動が隠れているそんな内容だと感じました。

それと・・・

親孝行とは・・・っていう概念だけを語っているのではなくこの本では実家に帰省した時、親孝行旅行に連れ出した時、父親と一緒に寿司屋に行った時など、どのように振る舞えば良いのか図入りで解説してあるまさに実用書!

ただ、著者がみうらじゅんさん、その人なので、完全に男目線だし、ところどころにエッチな表現も出てくるし、女性が読むとまたちょっと違う読後感になるかも?

でも、一つ言えるのは一見ふざけたりネタにしか思えない話しにも端々に親を喜ばせようとするみうらじゅんさんの優しさがちゃんと隠れているということ。

もしも、この本を手にする機会があればそんな優しさに是非とも触れて欲しいと思うのです。

おしまい。

posted by penguin-oyaji at 20:48 | Comment(0) | 読書(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする