2014年02月23日

ボクは何で本を読むのだろう?(感動の最終回?)

さて、ムダに長い超大作も今回で完結です!

最後は今まで書いたきたコトを総括してまとまるのと、私が読書について最近思っていることを駄文的にまとめてみたいと思います。

読書について知っておきたい10のこと

(1)読書では何冊読んだかではなく、何をどれだけ学んだかが大切

(2)書いてあることを表面的に理解するだけではなく、自分自身のものに

 なるくらいまで、きっちりと理解する。

  → 自分の言葉で説明できる

  → 本に書いてあることを用いて、他の事例についても説明できる

  → 自分の仕事や生き方に活かせる

(3)情報を得るだけでなく、筆者のロジックを追って読めるようになる

(4)読書によって基礎知識を身につける。そのためにも良い入門書を読む

  → 知識や考え方の偏りを防ぐために入門書などは3冊(複数)読む

(5)難解な文章も諦めずに、線を引いたり関連書を参照しながら丁寧に読む

(6)速読が出来るのは、自分に基礎知識があるから

 (基礎知識がなければ速読も出来ない)

(7)意識を高めるための本は何度も同じ本を読み、自分の心に染み込ませる

  → 意識を高めるのに向いた本:人生の深みを知っている人が書いた本

    あるいは、「論語」のように長く読み継がれてきた本。そこには時代に流されない人としての普遍的なことが書かれている

(8)小説を読むことで感性を高めたり、表現力を養ったりできる

(9)読書ノートで記憶を定着させたり、理解を深めることが出来る

  → 自分の気づきや意見などをメモするようにする

(10)良いアウトプットのためには、良質のインプットを出来るだけ多量に行う

  → 普段どのような情報に触れているかによってアウトプットの質が決まる

自分のレベルをあげるためのチャレンジ

本が売れない。特にむずかしい本でよい本がなかなか売れないというのは、日本の国にとっては、非常に残念なことだと思っています。

「「読書力」養成講座」

最近、よく思うのですが・・・

08年頃からビジネス書を中心に本を読むようになってからの6年間。

読みやすい本、分かりやすい本ばかり読んできたなぁ、と。

先日、ネットで「ビジネス書も食傷気味なんですよね〜」と書き込まれているのを見掛けたのですが、私もまったく同じ気持ちなんですよね。

これは、私自身の感性が鈍ってきたのか?

それとも、最近のビジネス書が面白くないのか?

まぁ、どちらでも良いんですけど・・・

でも!

一つだけ思うのは、分かりやすい本、読み慣れているジャンルの本ばかり読んでいても自分のレベルとか上がらないんじゃないか?と。

ドイツ観念論の主要著作というのは、一般の人がひもといた場合、

「一行も理解できない」ということがあり得るのです。

「1日で学び直す哲学」(甲田純生:著)

「一行も理解できない」!!そんな本がこの世に存在する意味があるのか?とも思ったりもするのですが(笑)、そこまで難解ではないにしろ読んでいてイマイチ理解できないコトが書かれている本にぶつかることってありますよね。

分からないから敬遠するのではなく、「分からねば 分かってみせよう ホトトギス」の精神でチャレンジすることも必要かなぁっと。

それから・・・

ご無沙汰気味だった小説も、これからはもっと読みたいなぁと思う。

歴史物とか、この年になるまで殆ど手つかずの海外文学とか。

失敗にはいろいろなパターンがありますが、成功はワンパターンです。

トルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭の「幸福な家庭はみな同じように似ているが、不幸な家庭は不幸なさまもそれぞれに違うものだ」(原卓也訳)という有名な一節と同じです。

「「読書力」養成講座」

こんなふうに小説も感性を磨くだけじゃなくて、人生について学ぶべきことがあると思うんですよね〜

それに、友達とTwitterのリプでやり取りをしていて教えられのですが、仕事に直接は役に立たなくても、「教養」って身に着けておいた方が良いんですよね〜

きっと本当は正しい読書法なんてない・・・

さて・・・

最後の最後に身も蓋もないないコトを書いて終わりたいと思います。

冴えないオッサンが、たかだか本を数冊読んだだけで「あーでもない」「こーでもない」と、エラソーに読書論みたいなものをここまで語ってきたわけですが・・・

でも!

きっと本当は正しい読書法なんて無い

と、そう思っています。

例えば、ビジネス書を読んでも仕事が出来るようになるワケじゃない、ということが一時、ネットでも話題になっていましたが、その時に私はブログでこんなコトを書きました。

例え、著者や編集者がどのような意図をもっていようが、

その本をどう読むかは、読者の自由なんだと思う。

正しい読み方なんて無い!

ビジネス書・自己啓発書を読んで、それを実践して、成長するもよし。

気分を味わうだけであっても、それもまたよし。

ビジネス書の著書が「是非、この本を読んであなたも成功して欲しい!」と思って書いた本であっても、それをどう読むかは読者の自由!

時々、人が書いた小説の書評に対して「それは、筆者の意図を理解してない!読み違えている」などと反論をしている人がいますが、それも私に言わせれば、余計なお世話。

どんなにスジが違っていても、小説を読んで、どう感じたかは個々の読者の自由でしょ。

読み違えもなにもない。

それと・・・

最初に自分で書いたことと矛盾しますが、読んだ本の内容って、覚えていないようで案外、覚えていると思うんですよ。

でも、ふだんはいわゆる無意識層に眠っているから、「忘れた」と思っているだけ。

何かの拍子に「そう言えば、あの本にこんなコトが書いてあった」と思い出すことってあるでしょ。

脳科学のことは詳しくないので、よく分からないけど、きっと、本を読んで得た知識がどんどん無意識層に蓄積されていってある臨界点を超えると、急に色々なことが繋がりだして「あぁ、そう言えば、あの本で・・・」というコトになるんじゃないでしょうか?

だから、本を読んで得たものが今すぐに活かされなくてもインプットを続けていると、ある日突然に「あぁ、そうか!」となり、仕事や自分の人生に変化を及ぼすことがあるかも知れない。

「自分で自分の方法論を早く発見しなさい」ということである。

本書を含めて、人の方法論に惑わされてはならない。

「「知」のソフトウェア」

あーだ、こーだと書いてきて、こういうコトを最後に述べるのは実に気が退けるのだが、きっと本当は正しい読書法なんて無い

読書法とか、どんな本を読むかとか、色々と試行錯誤するのもまた、読書の楽しみだと思うのです。

以上、ムダに長い超大作はこれで完結なのだ!これでいいのだ!

長々とお付き合い下さった方、本当にありがとうございました!



posted by penguin-oyaji at 20:52 | Comment(0) | 知的生産・思考力・読書術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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