2019年08月25日

【家族・親子関係】「ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。」幡野広志:著

ぼくたちが選べなかったこと

 

「僕たちが選べなかったことを、選びなおすために。」

幡野広志:著

ポプラ社

 

多発性骨髄腫という血液のがんで余命宣告を受けた著者が書いた本。

 

いわゆる闘病記的な内容かと思って手に取り読んでみたのだけど、実際は闘病記という範囲に収まらないもっと深い内容で色々なことを考えさせられた1冊でした。

 

病気のこと、家族のこと、死生観のことなどなど。

 

とりわけ家族・親子関係のことについては少しばかり衝撃的な言葉が並び、アマゾンのレビューを見ても、親子関係に悩んでいた人からの投稿が多い印象です。

 

色々な要素が詰まったこの本から今回は家族や親子関係について感じたことを書いてみたいと思います。

 

 

アマゾンの内容紹介

自分の人生を生きろ。写真家で猟師のぼくは、34歳の時に治らないがんの告知を受けた。後悔はない。それは、すべてを自分で選んできたからだ。家族、仕事、お金、そして生と死。選ぶことから人生は始まる。

 

そもそも家族って誰と誰のこと?

ファミリー

家族とは「親子」の単位ではじまるものではなく、「夫婦」の単位からはじまるものなのだ。同性婚を含め、自分で選んだパートナーこそが、ファミリーの最小単位なのだ。

NASA(アメリカ航空宇宙局)では宇宙飛行士をサポートするにあたり「家族」をどのように定義しているかについて本書の中で触れられています。

 

家族を「直系家族」と「拡大家族」の2つに分類していて「直系家族」の定義は以下の通り。

 

  • 宇宙飛行士の配偶者
  • 宇宙飛行士のこども
  • そのこどもの配偶者

 

つまり、「直系家族」には血の繋がりのある両親、兄弟は含まれていないのです。

 

著者は知人からこの話を聞き「家族は選ぶことができる」と考える一つのきっかけになったと書いています。

 

この定義をどう考えるか・・・?

 

思うに、NASAでは親子、兄弟という血縁関係ではなく、夫婦お互いがパートナーとして選んだ婚姻関係をファミリーの基本として考えているということではないでしょうか?

 

不勉強なので的外れな見方かもしれませんが・・・私が思うに家族を夫婦の単位で考えるのはキリスト教の影響があるような気がするし、対して日本のように親子関係に重きを置くのは儒教の考え方がベースにあるような気がします。

 

ちなみにですが、日本の民法では「親族」の範囲を以下のように定めています。

 

  • 6親等内の血族
  • 配偶者
  • 3親等内の姻族(姻族・・・配偶者の血縁者)

 

でも、「家族」を定義している法律はないとのこと。

 

《参考ページ》

親族の法的な範囲(親等)を家系図を元に説明!血族・姻族との違いも

 

民法で定める親族は遺産相続などが絡んでくることもあってか、配偶者の血縁者(3親等)より身内の血縁者(6親等)を重視している印象があります。

 

やはり、それだけ「血の繋がり」って重いんですね。

 

親子関係にまつわる生きづらさ

喧嘩

子どもは、一度でも親から理不尽な暴力を受けると、二度と親のことを好きになれないものだ。その記憶はずっと残り続けるものだ。ぼくは父親が亡くなるまで、彼のことを好きになれなかったし、いまでもその思いに変わりはない。

 

「血の繋がり」とりわけ親子関係は身近なものなので、人によってはそれを苦痛に感じている人もいるのだと思います。

 

虐待、暴力、無関心、過剰な干渉、もろもろの理由で「親を愛せない」「あいつは自分の親なんかじゃない」という人も世の中には多くいるように思います。

 

他人ならば、切って捨ててしまえばいい。だけど、血の繋がりの重さがそれを躊躇させる。

 

そして、親が病気になったり、介護が必要な状態になった時、親を愛せないこどもはどうしたらいいのでしょう?

 

でも、子どもには親の面倒をみる義務があるだなんて、育ててもらった恩を返せだなんて、おかしいですよね。わたしたちは、親の老後を世話するために生まれてきたわけじゃない。介護するために育てられたわけじゃない。親の面倒をみるのが嫌なんじゃなくって、それを恩とか義理とかの価値観で縛られるのが嫌なんです」

 

「親の老後を世話するために生まれてきたわけじゃない。介護するために育てられたわけじゃない」もっともである・・・としか言えない。

 

だけど、看病もしない、介護もしないこどもは世間から「親不孝者」というレッテルを貼られてしまうじゃないですか。

 

自分の考えと世間のギャップに生きづらさを感じている人って多いんでしょうね。

 

家族を選びなおす

Family

ぼくは 、家族もまったく同じだと思う 。少なくとも 「そこに生まれてしまった以上 、永遠に逃げられない場所 」だなんて 、ありえないと思う 。ぼくは自分の人生を自分で選んでいきたいし 、自分の居場所も 、自分の家族も 、自分の手で選んでいきたい 。それはぜったいに 、可能なことなのだ 。

 

この本を読んで家族ってなんだろう?改めてそんなことを考えてみました。

 

同居していない親は自分の家族なのか?

 

お互い結婚して自分の家族を持っている兄弟は家族なのか?

 

同居しているおじさん、おばさん、あるいは従兄弟などは家族と呼べる?

 

きっと、答えは人それぞれなんだと思う。

 

だけど、一緒に住んでいるかどうかで家族が決まるわけではないように思う。

 

突き詰めて考えれば、家族かどうかを決めるのは本人がどう思っているか?だろう。

 

たとえ一緒に住んでいても「あの人は自分の家族じゃない」と思えば、親子関係にあってもそれは家族とは呼べないのかもしれない。

 

著者は「家族とは選ぶもの」だという。

 

仮に夫婦関係がこじれたらなら離婚することで関係は解消できる。結婚も離婚も自分の意思で「選ぶ」ことができる。

 

だけど、親子、兄弟という血の繋がりは「永遠に逃げられない」。つまり自分の意思で「選べない」というふうに考えている人が多い感じがします。

 

それにもしも何かの事情で親子、兄弟の縁を断ち切ったとしても「逃げた」「断ち切った」というネガティブなイメージがついてまわるような気がしませんか?

 

「家族とは選ぶもの」という著者の言葉の裏には「永遠に逃げられない」と考えられてきた呪縛から解き放たれたい!もっと自分の意思で自由に生きたい!そんな思いがあるように私には感じられました。

 

感想

標識

家族とは、「与えられるもの」ではなく、「選ぶもの」なのだ。 もしも改善の余地がない関係だったとしたら、たとえ親子であっても、その関係を断ち切ってかまわないのだ。

 

親子の縁を切る・・・だいぶ重たい話だし、堂々と公言するには勇気がいる言葉でもあるように思います。

 

実際、著者にとって母親は尊敬できる相手ではなく、幼少期に母親に受けた仕打ちに傷ついたようなことも書かれています。

 

この本を読みながら、家族は自分の意思で選ぶことができるという著者の考えは単に親を愛することができないからなんだと思っていました。

 

しかし、「あとがき」にある次の文章を読んだ時に果たして本当にそうなのか?と自分の考えに疑問を感じたのです。

 

自分が病気であと数年しか生きられないとわかったとき 、ぼくは自分が死ぬよりも先に 、母に死んでほしいとおもった 。冷たい人間とおもわれるかもしれないが 、本音だ 。

 

いやな話はさっさとすませてしまおう 、多発性骨髄腫であると早々に告げた 。母は元看護師だ 、この病気がどういうものか知っていたのだろう 。ぼくの話を聞いた母は 、少し黙ったあとに怒りの感情をあらわにして 、席を立ち帰ってしまった 。 (中略) 病院のレストランを最後に母とは一度も会っていない 、もう二度と会うつもりはない

 

著者は骨髄腫で余命宣言を受けているのです。

 

自分の命が残り数年である時に積極的に親子関係を断ち切ろうと考えるその訳は、もしかしたら親を愛せないから・・・ではなく、親を愛しているからなのではないのか?

 

わたしにはそんなふうに思えたんですよね。

 

自分より先に親には死んでほしい。

 

もう二度と親とは会わない。

 

一見、冷たく感じられるこれらの言葉の裏には、自分が苦しんで死ぬ瞬間を母親には見せたくない、悲しませたくない・・・そんな思いが隠されているのではないか?

 

もちろん著者の真意は私には分かりません。単なる私の読み違いかもしれません。

 

だけど、「死」を前にして過去・現在を見つめ、その意味を問い直し、そして残り少ない未来を「運命」としてではなく自分の意思で生きようとしている著者の姿に私は改めて家族の意味や自分の生き方を考えさせられました。

 

何かに流されるのでなく、自分の意思でちゃんと生きているのか?と。

 

(おわり)

 

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2019年07月04日

【年金】「「年金問題」は嘘ばかり」高橋洋一:著 PHP新書

年金問題

「「年金問題」は嘘ばかり」ダマされて損をしないための必須知識
高橋洋一:著
PHP新書

今年(2019年)6月に金融庁が発表した、いわゆる「老後2000万円問題」のレポートが大きな話題になりましたね。

 

テレビを見ているとワイドショーなどはこの話題を来る日も来る日も大きく取り扱って放送してました。

 

そして遂には「年金返せ!」とデモをする人まで現れました。

 

「あなたは年金の仕組みや制度について理解していますか?」 おそらく、「よくわからない」と答える方が多いはずです。 (本書「プロローグ」より)

 

年金問題を扱っているワイドショーを見ながら、私は何だか漠然と「ちょっと違うんじゃないかな?」と違和感を抱いていました。

 

でも、自分も年金のことをちゃんと理解しているかというと実はよく分かっていないので、その違和感の正体が何であるのかを言葉にすることができませんでした。

  • 年金制度とはそもそも何であるのか?
  • 本当に年金制度は危ないのか?
  • 将来、自分はいくらくらい年金を受け取れるのか?

そういった年金の諸々のことを、これを機会にちゃんと知っておこう!と思い、この本を手に取りました。

 

読んでみると、とても分かりやすくて今まで何となくモヤモヤしていた年金のことがスッと理解できました。

 

 

アマゾンの内容紹介

多くの人は国の「年金」に不安を抱えています。「もらえなくなるのではないか」「損をするのではないか」「破綻するのではないか」・・・。

しかし、それは「誤り」だと、著者は明快に喝破します。そもそも「年金」とは「保険」であり、その性質さえ知っていれば、すべてわかるし、ダマされることはないのだ、と。

 

著者について

著者、高橋洋一氏の現在の肩書きは数量政策学者、嘉悦大学教授。

 

東大の数学科を卒業した後、大蔵省(現・財務省)に入省。年金数理・保険数理を理解していた著者は省内で「年金数理の専門家」と思われていたくらい年金制度には詳しいそうです。

 

また、毎年誕生日が近づいてくると送られてくる「ねんきん定期便」の生みの親でもあるとのこと。

 

そもそも年金制度ってどういうもの?

年金手帳イラスト

モッファさんによるイラストACからのイラスト

 

年金は保険である

「年金は、福祉である」と思っている人はたくさんいますが、年金の本質は、「年金保険」という「保険」なのです。

ひと言でいえば、公的年金は「長く生きた人を保証する保険」です。どうやって保証するかというと、「早く死んでしまった人」の保険料を、「長生きした人」に渡して保証するのです。

この本を読んで思ったのですが、今回の「老後2000万円問題」はそもそも保険である年金を福祉と思い込んでいるところにボタンの掛け違えがあるような気がします。

 

でも!

 

そう思い込んでしまう人がいるのもムリはないとも思うんですよね。

 

年金は国民皆保険なので会社勤めをすれば「そもそも年金は・・・」という説明もなく、否応なしに給与から天引きされてしまうじゃないですか。

 

「お願い!入って!」と言って泣きついてくる保険会社勤めの友人だって一応の説明はしてくれます。

 

だけど、年金について誰かからちゃんと説明を受けた記憶ってないんですよね。。(大事なお金を取られるのに!!)

 

保険なら「老後まるっと保証して!」

「年金は保険である」そのことは分かった。保険だったら何で老後の生活をまるっと保証してくれないのか?と思わないですか?

 

これって、裏を返すと「まるっと保証」してくれるほどの保険料を支払ってますか?っていうことになるんですよね。だって、保険なんだから。

 

<保険の原理>
・保険料を多く納めた人→保証額(年金)多い
・保険料を少し納めた人→保証額(年金)少ない
・保険料を納めなかった人→保証(年金)なし(公的保険は例外あり)

この本によれば「毎月納めている保険料の二倍くらいが、将来、毎月受け取る年金額になる」そうです。

 

アバウトにいうと、厚生年金の場合は月給の約2割を保険料(ちなみに労使折半)として支払い、年金額はその倍ですから月給(生涯の平均月給)の約4割が年金の受給額になります。

 

これを前提に考えると「老後まるっと保証」してもらうためには、保険料率を上げてより多くの保険料を支払うようにすれば良いということになります。

 

もしくは猛烈に稼いで、同じ保険料率でもより多くの保険料を支払うか?

 

公的年金は、その発想からすればあくまで「年金保険」であり、「長生きするリスク」に備えるものなのです。

もちろん、退職後の生活を支える基本部分の資金になってくれることは間違いありませんが、いくらもらえるのかは開示されているわけですから、先にも書いたとおり、「この金額では生活費として足りない」と思う人は、貯蓄や民間の年金保険などで備えておけばいい、ということになります。

 

年金は本当に危ないの?

若者と高齢者

mono777さんによるイラストACからのイラスト

賦課(ふか)方式とは、現役世代から集めた保険料を老齢世代の年金給付に充てる方式です。自分が支払ったお金は今の高齢者にあげる。自分が高齢者になったときには、そのときの若い人の保険料から年金をもらう。

日本の年金制度は積み立て方式ではなく、賦課方式というやり方を採用しています。

 

これは最近よくテレビでもやっていたので、ご存知の人も多いと思います。

 

ただ、この方式だと少子・高齢化の日本では、将来の高齢者を支える若者が少なくなるので年金が破綻するのではないか?という不安が出てきます。

 

しかし、そんな日本の状況(少子・高齢化)でも年金制度は大丈夫だと著者は言います。

 

人口減少は急激に進むわけではなく、ゆっくりと進むと予測されていますから、人口減少が起こっても、給付額が大幅に減ることはありません。ゆっくり進む人口減少に合わせて、毎年少しずつ調整していけば影響は少なくて済みます。その仕組みが「マクロ経済スライド」です。

毎年5月の「こどもの日」になると、1年間に生まれた子供の数がマスコミを通じて知らされます。

 

あれを毎年ウォッチングしてると確かに少子化現象だということは分かりますが、同時にそんなに急激に減少しているわけでもないということも分かります。

 

現状の制度をきちんと運用すれば、「破綻だ」などと大げさに悲観する必要ないのです」と著者がいうように、この本を読むと制度自体が破綻することはないのではないかと思えます。

 

しかし、制度が破綻しないことと、もらえる受給が取るに足るものなのかどうかは別問題だと思うのです。

 

著者はいいます。

「年金問題の大半は、制度の問題ではなく、経済政策の問題なのです」

 

よく高齢者1人を若者何人で支えるか、という話しがありますよね。でも、その考え方は間違いで、正しくは金額で考えるべきだと主張します。

 

つまり、やせ細った人が支えるのと筋骨隆々の人が支えるのとでは話が違ってくるということです。

 

年金制度にとって一番重要なのは「金額」です。今後、人口が少しずつ減少していくと予想されている中で重要なことは、「所得を増やすこと」。経済を成長させて、所得を増やしていく。それが年金制度を安定させる一番のポイントです。

上の方で保険料を多く納めた人は保証額(年金)が多く、保険料を少し納めた人が保証額(年金)が少ない。という部分を引用しました。

 

そういう保険の仕組みからしても、現役世代の所得が増えれば、それに比例して納付される保険料が増えることになりますよね。

 

自分がもらっている月給が増えれば、将来受け取る年金も増えるわけです。

 

経済が成長しない場合は、残念ながら年金は破綻します。年金だけでなく、すべての社会保障が破綻します。

そういう意味では、年金のために国がやるべき一番重要なことは「経済政策」だということになります。

 

今、将来の社会保障財源を確保するために消費増税すると政府は言っていますが、この本を読むとそれがそれが「大嘘」で「矛盾」していることがよく分かります。

 

年金の「真実」を隠したがる人たち

国会議事堂

東京イラストレーションさんによるイラストACからのイラスト

年金が「保険」であることが広く知れわたってしまうと、困る人たちがいます。それは、財務省の官僚であり、厚労省の官僚です。

「老後2000万円問題」で年金を福祉と勘違いしている人たちがいることについて、そもそも年金が保険であるとちゃんと説明を受けたおぼえはないぞ!と書きました。

 

なぜ、年金についてちゃんと説明されないのか?

 

そこには財務省、厚労省の思惑だったり利権が絡んでいることを著者は指摘します。

 

それと、社会保障財源を消費増税に求める裏には経済界の意向が絡んでいることも分かります。

 

このあたりを読むと、何となく前から薄々気づいてはいたけど「やっぱりそうだったか!」っていう感じです。

 

まとめ

二人のシニア

しのみさんによるイラストACからのイラスト

「あなたは年金の仕組みや制度について理解していますか?」

 

本書の冒頭に書かれている著者からのこの問いかけに対して、この本を読み終えた今の私の答えは「お恥ずかしながら・・・」というものです。

 

私たちは年金の専門家ではないので、そんなに深い知識は知らなくても良いと思いますが、それでも最低限のことは知っていないと、あっという間に官僚やマスコミ、御用学者の言説に惑わされてしまう怖さも感じました。

 

「年金問題」を盲目的に怖がるのではなく、先ずは正しく理解すること。

 

その上で、老後の資金をどのように手当てするのか?ということについても書かれています。

 

「老後2000万円問題」に怯えないように、踊らされないためにもこの本を読んで良かったと思いました。

 

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2019年07月01日

【心の断捨離】「人生は引き算で豊かになる」有馬頼底:著

人生は引き算で豊かになる

「金閣寺・銀閣寺の住職が教える 人生は引き算で豊かになる」

有馬頼底:著

文響社

 

私と同じように舌癌の手術を受けたタレントの堀ちえみさんが退院後、ご自身のブログでこの本のことを書いていて、私も読んでみようと思い手に取ってみました。

 

著者は臨済宗相国寺派第七代管長であり、金閣寺・銀閣寺の住職を務める有馬頼底氏。

 

臨済宗といえば、「禅」です。

 

「禅」に傾倒していたというアップルの創業者、スティーブ・ジョブズが愛読していたという禅の本を読んだことがあるのですが、その時はイマイチとっつきにくい印象がありました。

 

でも、この本はとても分かりやすかったし共感できる言葉もたくさんありました!

 

この本では、悩みや苦しみのもとになる執着心を手放すことで心が軽くなること。

 

何か辛いことがあった時も、それにとらわれずモノの見方を変える「転ずる」力が大切だということが繰り返し述べられています。

 

今回は少し私の思い込み強めの記事ですが、よかったら読んでみてください。

 

アマゾンの内容紹介

「もっとお金がほしい」「もっと出世したい」人間は生まれがらにして「欲」を持ち続けます。しかし、その欲を追求しつづければ無間地獄にはまり、幸せが訪れることがありません。

そこで金閣寺・銀閣寺の住職であり、日本を代表する僧侶である有馬頼底が、「欲」や「執着心」を手放し心がラクになる方法を教えてくれます。

 

「足るを知る」と「向上心」

Leaf 2128642 640

あなたが本当に豊かになりたいと思うなら「もっと、もっと」と何かを積み重ねようとするのではなく、目の前のものをそのまま受けとめ、それに満足し、感謝する心を育てることです。

「もっと、もっと」という欲望にとらわれていると、苦悩が増える。それよりも今、目の前にあるものを受け入れて感謝することでラクに生きられる。

 

・・・と、そんな教えが書かれています。「足るを知る」ということですね。

 

しかし、一方でこんなことも書かれています。

安易に「頂上に到達した」と思い「ちょっと休もう」「もう、これで十分だ」などと思ってはいけない。さらに先を目指し、精進を続けなければならない、という戒めが込められた言葉です。

もう十分だと思わずに、そこからさらに努力をせよ!というわけです。

 

何だか「足るを知る」と矛盾しているような感じを受けませんか?

 

(これから書くことは、ある人の受け売りなのですが・・・)

 

「足るを知る」というのは、個人の欲望についての教えだと思うのです。

 

例えば「もっとお金が欲しい!」とか「もっと出世したい!」というような『欲望』を持つことは際限がなく、むしろ執着心というか苦しみや悩みを生み出してしまう。

 

しかし、「足るを知る」といって安易に妥協してはいけないものもあると思うのです。

 

それは例えば仕事とか学問の分野とか。

 

レストランなどに行き、とても良いサービスを受けたとしましょう。

 

でも、店側がこのサービスがベストだ!と考えてそれで満足し、改善も改良もしないとしたらどうでしょう?

 

客としては「?」マークが付きますよね。

 

学問の分野とかでもノーベル賞を取った山中伸弥教授が「これで、もういいや」と考えるでしょうか?

 

ノーベル賞を取った後もより多くの人の役に立つようips細胞の研究を続けてますよね。

 

このように個人の欲望については「足るを知る」という気持ちで「もっと」を手放す一方で、仕事や研究などの分野では、現状に満足せずに「もっと」を追求していく。

 

そういう視点で自分が持っている「もっと」は手放すべきものなのか、追求すべきものなのかを考えてみることが大切かなと思うのです。

 

経済的合理性が全てではない

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効率化、合理化が進んだ世の中だからこそ、特に意識して、心にゆとりを持つことが大事なのだと私は思います。

私は経済的合理性や効率化が全てではないと考えています。

 

だけど、実際問題としてお金がないと生活していけません。。

 

それに世の中の多くのことは「損得勘定」で動いているのも事実だと思うのです。

 

企業もグローバルな世界での競争に必死です。

そんな時に

合理化、効率化を意識して、急いでばかりいるのではなく、ときにはゆったりと無駄な時間をたっぷりと使ってみてはどうでしょうか。

 

と言われてもねぇ・・・・と、私も最初はそう思いました。

 

だけど、そんな世の中だからこそ宗教家の出番なのかもしれません。

 

合理化の名の下にリストラにあった人、大勢いますよね。

 

何十枚、何百枚もエントリーシートを書いたのに内定がもらえなかった人、いますよね。

 

今の世の中、リストラやロスジェネ、ワーキングプアなどと呼ばれて社会からこぼれ落ちてしまう人たちがいます。

 

社会に身の置き場がないと、心が落ち込んでいきますよね。

 

自分の人格を否定された!と思う人もいるかもしれない。

 

だけど、世の中に価値のない人なんていないし、不要なものもない、と著者は語ります。

 

お釈迦様は「人も、鳥も、花も、この世に存在する生きとし生けるものすべては、ことごとくみな成仏なのだ」とおっしゃっています。それぞれ存在するに値する、十分な価値があるのだと教えているのです。

キリスト教の世界でも聖書に、「神様は人間一人ひとりが「私の目に貴い」と言った」と書かれているそうです。

 

一人の人間がこの世に誕生し、存在していること自体が奇跡であり、貴いことだと仏教もキリスト教もそう言っているわけです。

 

「そんなのきれいごとだ!」いう人もいるかも知れません。

 

だけど、まずは自分が自分を認めて肯定してあげなきゃ、何も始まらないじゃないですか。

 

自己肯定感を失ってしまったら、他人の評価に踊らされるだけです・・・と私は思っています。

 

そして、「効率化、合理化が進んだ世の中だからこそ、特に意識して、心にゆとりを持つことが大事」と著者が書くその言葉の裏には、合理化や効率化とは違う世界があるんだよ、ということを私たちに教えてくれているように思うのです。

 

AI(人工知能)と人間が仕事を奪いあう世界がやってくるそうです。

 

そんな世界で必要になるものって、心の余裕なのかもしれませんね。

 

「今日」をていねいに生きる

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何かを成すための道があるとすれば、それは今日という日をしっかりと生き、また明日という日をきちんと迎えるということにほかなりません。どこかに特別な道があるのではなく、あなたの足下にあるその道(日常)こそが、一番大事な道であり、その中に学ぶべきことが潜んでいるのではないでしょうか。

2年前(2017年)にステージ3の癌を告知されました。

 

ちゃんと手術を受けて治療すれば(その時点では)命の心配はないようでしたが、それでも「5年生存率50%」と言われました。

 

その時、とにかく1日、1日を大切にして生きていこうと思いました。

 

「1日、1日を大切に」、きっと誰もが思うことですよね。だけど、その気持ちが長続きしない。。私も同じでした。

 

最初の手術から2年、(1度、再発転移をしましたが)今のところ経過観察も順調。

 

次第に「1日、1日を大切に」という意識も薄れていってました。

 

だけど、あることがきっかけで今は再び「今日をていねいに生きる」ことにこだわるようになったのです。

 

ツイッターで癌で余命宣告を受けている人をフォローしてました。

 

その人は医者から今年の5月末まで・・・と宣告されたそうです。

 

だけど、5月末を乗り越えても元気にツイートしてました。それが6月9日を最後にもう3週間もツイートがありません。。

 

存命なのかどうか分かりません。

 

ただ、そのことが改めて私に癌という病気の怖さを教えてくれたし、「1日、1日を大切に」という意識を呼びも戻してくれました。

 

今の私にとって「1日、1日を大切に」ということは、時間を無駄に使わないということです。

 

そして、できれば行動する中で少しでも改善を繰り返して質の高い行動ができるようになることが目標です。

 

まとめ

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「禅問答」を辞書で引くと

何を言っているのか訳の分からない問答、話のかみ合わない問答のたとえにも使う (出典「明鏡国語辞典」)

と書いてあります。

 

上の方で書いたように私も「禅」に対しては何となく取っ付きにくイメージを持っていました。

 

だけど、この本では禅の教えをとても分かりやすく平易に解説してくれています。

 

しかし、分かりやすいが故に「そんなの当たり前じゃん」と思う内容が多いです。

 

この本に限らず、自己啓発系の本を読むときは「当たり前」「これは他の本にも書いてあった」という気持ちで読んでいる限り何も得られないと思います。

 

先ずは書かれている言葉を素直に受け止める。そして、一つでも二つでも実践してみて初めて自分のものになるんですよね。

 

それと・・・

 

この本を読んでいると、自分の「思い込み」「常識」「偏見」「執着心」がどれだけ自分を不自由にしているかということにも気づかされました。

「執着しないこと」、そして「転ずる力」が必要なのです。 人は、一つのことにずっと集中するから行き詰まってしまうのです。そこからいかに転ずるか、考え方をちょっと変えることが、大きなターニングポイントになります。

 

生きづらさを感じている時、逆境にある時、そこにフォーカスしてばかりだと心が疲れて荒れてきます。

 

この本に書かれているように、少し考え方や見方を変えるだけでもだいぶ気持ちがラクになるように思います。

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2019年06月24日

【歴史】「経済で読み解く日本史(5)大正・昭和時代」上念司:著

大正 昭和

「経済で読み解く日本史(5)大正・昭和時代」
上念司:著
飛鳥新社

「経済で読み解く日本史」もこの本が最終巻です。

 

ここではかなりのページ数を割いて、日本や世界がなぜ第二次世界大戦に突き進んでしまったのかを当時の経済背景を中心に解説されています。

 

歴史に「もしも」はありませんが、この本を読みながら「あの時、もしも」と何度も思わされました。

 

もしも、ケインズ先生の言うことを聞いていたら、ドイツはどうなったろうか?果たしてナチス政権は誕生したのか?

 

もしも、石橋湛山の言うことを聞いていたら、昭和恐慌は起きただろうか?そして、その後の日本の道はもう少し違ったモノだったのではないだろうか?

 

時に政治は間違えを犯すし、人々も誤った考え方に熱狂してしまいます。

 

しかし、一方でいつの時代にも正しい主張をする人もいるのです。

 

この本を通じて「歴史(を)学ぶ」のでなく「歴史(に)学ぶ」ことが私たちの未来にとって、とても大切であることを教えられました。

 

 

アマゾンの内容紹介

なぜ日本は大東亜戦争へと向かったのか。国民世論は長期停滞のトラウマから抜け出せないまま、間違った情報により、日米激突へのレールをまっしぐらに進んだ。すべてを失った敗戦から復活し、高度経済成長を成し遂げた日本を、再びバブル経済の暗雲が襲う。

 

デフレの要因

この「経済で読み解く日本史」を1巻から順に読んでいると、至る所にデフレの文字が出てきます。

 

デフレの原因は時代によってさまざまです。

 

室町・戦国時代→明との貿易が滞った結果、明銭(銅銭)の通貨不足によりデフレが発生

 

江戸時代→金山を掘り尽くして金が枯渇して通貨不足、加えて質素倹約令などの緊縮政策によるデフレが発生

 

そして、明治以降は当時の金本位制により通貨の発行高が限定され通貨不足によるデフレが発生

 

金本位制の何が問題なのかは、次の文章をお読みいただければ分かるかと・・・

金本位制とは、「各国通貨は必ず金(ゴールド)と交換できることが保証されているという仕組み」です。

(中略)

このシステムの最大の問題点は、金が金属であり、新たに金山が開発されない限りその量が増えないということです。

これに対して、人類の文明の発達速度は早く、より多くの富を幾何級数的に生み出していきます。

金(ゴールド)の産出量がこれに追いつかないと、人間が作る商品よりも金(ゴールド)の量が不足し、金(ゴールド)の価値のほうが高くなってしまいます。これこそがデフレです。デフレとはモノとお金のバランスがお金不足によって崩れることです。

 

「明銭(銅銭)の不足」「金山の枯渇」「金本位制」これらのデフレ要因はその当時の経済体制に問題があった・・・と解釈できますね。

 

しかし、デフレの原因はそれだけではありません。

 

間違った経済対策をおこなった結果、デフレが発生することもあります。

 

例えば、この本に出てくる井上準之助蔵相などがそうです。

 

1930年(昭和5年)に反対意見を押し切って金本位制に復帰した結果、大失敗して昭和恐慌の引き金を引いてしまいました。

 

もはや昭和恐慌は人災だったと言っても差し支えないような気がします。

 

「人災によるデフレ」最近もありましたよね。

 

2008年9月に発生したリーマンショック。この時、アメリカや欧州の中央銀行は協調して金融緩和措置をとりました。

 

しかし、日銀はこれに加わらず静観した結果、とんでもない円高になりました。

 

そのあと、派遣切りや年越し派遣村なんて騒動につながりましたよね。

 

まぁ、「あの恐慌は彼の経済政策が間違っていたからだ!」と後出しじゃんけん的に言うことは誰でもできます。

 

ただ、次の文章を読むと井上準之助蔵相に関してはとても罪深い!と思わされました。

内閣総理大臣の濱口雄幸と大蔵大臣の井上準之助は、「精算主義的な思想」にとり憑かれていたようです。

この思想は、「明日伸びんがために、今日縮むのであります」という言葉に代表されるように、「弱い企業をどんどん倒産させ、生き残った企業が日本経済を引っ張っていけばいい」という発想に基づいています。

 

そういえば「米百俵」がどうのこうのと国会で演説した総理大臣がいましたね。

この本の中で著者は「痛みに耐えるとバラ色の未来がやってくる」という人たちに対して「どの程度の痛みに何年耐えると、その何倍のメリットがあるのか」という指摘に答えられない、と批判します。

 

個人レベルで「痛みに耐えて・・・」というのは勝手ですが、国の政策としてこの手の言葉を発する以上は、具体的な数字を出さなければそれは単なる「精神論」ということですね。

 

デフレの何がいけないのか?

「デフレになるとモノが安く買えるようになるので助かるわ〜」

 

さすがに、最近はあまり耳にしなくなりましたが、ちょっと前まで日本でもこんなことを言う人がいましたよね。

 

しかし、この本を読めば分かりますが、いつの時代でも、どこの国でもデフレは「悪」です。

 

良いデフレなんてない!あるのは「悪」の一言だと思います。

 

そして、この「経済で読み解く日本史」の一貫したテーゼとして著者は言います。

「人々は経済的に困窮すると、ヤケを起こして、普段は見向きもされない過激思想に救済を求める」

「愚かな決断、判断の誤りは気の迷いから生じ、気の迷いは経済的な困窮に誘発される」

 

このことを端的に表しているのがヒットラーの台頭ではないでしょうか?

 

第一次大戦の敗戦によってドイツはボロボロになりました。

 

植民地は全部取り上げられ、領土は割譲された上に多額の賠償金を要求されたのです。

 

その結果、ハイパーインフレが起こりました。そして時を置いてドイツはデフレに陥ります(詳しい経緯は本書にてご確認ください)。

 

経済的にボロボロになったドイツ国民が支持をしたのが、ヒットラーでした。その後、どういうことが起こったかはご存知の通りです。

 

まさに経済的に困窮して過激思想に飛びついてしまった結果の悲劇ですね。。

 

経済失政と共産運動

ドイツでヒットラーが台頭してきた頃、日本もグチャグチャになっていました。

 

井上準之助蔵相の失政によって発生した「昭和恐慌」。

 

その恐慌を終息させた高橋是清蔵相は二・二六事件で暗殺されてしまいます。

 

高橋是清の後任、馬場^一蔵相はインフレを考慮せずに大量の国債を発行して軍事費につぎ込みました。

これだけ無茶なことをやってしまったため、悪性インフレの弊害が表れ、日本は経済成長しないのに物価だけが上がるという事態に陥りました。

 

第二次世界大戦前夜はこうした経済失政に加えて、「日本を滅ぼしたい人たち」による共産運動も盛んで、読んでいて本当に大変な時代だったことを痛感させられました。

 

そして、その後の日本がどうなったかはご存知の通りです。

 

まとめ(政治も経済も人々を幸せにするための道具である)

「経済で読み解く日本史」はこの第5巻の最後に昭和末期に発生したバブル景気について語ったところで終わります。

 

室町時代から昭和末期まで約650年間。

 

「経済」を軸にして日本史を振り返ってみれば、色々なことがありました。

 

そして著者はあとがきの中でこのように語ります。

日本経済の歴史を振り返るにつけ、なぜ正しい政策が実行されないのか本当にもどかしく思います。いい加減に日本人は過去の歴史に学んだ方がいい。

戦争を悪と決めつけてそこから目をそらしても何の教訓も得られません。なぜ、人々が戦争に熱狂し、対米開戦に狂喜乱舞したのか?その根本的な原因は経済失政にあります。

 

この言葉を読みながら私は一つの言葉を思い出しました。

政治も経済も人々を幸せにするための道具だ

 

これはあるお坊さんの言葉です。

 

本来は人々を幸せにするための経済が逆に人々を不幸にして国家を破壊するようなことが歴史上、何度もありました。

 

私、本音の部分では政治も経済も専門家である政治家や官僚、エコノミストがしっかりやってくれれば、一般の私たちはそれぞれ自分の生活に励めばいいと思ってます。

 

政治も経済も難しいしね。。

 

でも、ほんのちょっと経済をかじっている私にも分かるようなトンデモ理論を語る政治家や経済評論家がいるのも事実なんですよね。

 

そんな妄言を信じて、道を誤ってはいけません!

「歴史に経済というモノサシを当てはめれば今まで見えてなかったものが見えてくる」と私は本シリーズで繰り返し述べました。

読者の皆様におかれましても、今度はそのモノサシをぜひ未来にも当ててみてください。そうすることで、二度とこの国が誤った政策を選択しないようにお役立ていただければと思います。

 

「歴史(を)学ぶ」ということは、過去にフォーカスすることだと思います。

 

それに対して「歴史(に)学ぶ」というのは、未来にフォーカスすることだと思うのです。

 

この本を読んで、私たちが考えなければいけないのは「歴史(に)学ぶ」ことですよね。

 

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2019年06月20日

【歴史】「経済で読み解く日本史(4)明治時代」上念司:著

明治時代

「経済で読み解く日本史(4)明治時代」
上念司:著
飛鳥新社

「経済で読み解く日本史」の第4巻は明治時代です。

私、幕末が好きでその頃を描いた小説やドラマなどにはよく読んだり見たりしていたのですが、その後につづく明治時代はさっぱりです。

この本を読むまで有名な西南戦争のことも実はあまりよく分かっていませんでした。。

明治時代の最初は幕藩体制から近代的な中央集権国家へと変わるために多くの改革が断行されました。

しかし、その改革は多くの人々に不満をもたらし、やがて日清、日露戦争へとつながっていきます。

そういった改革はなぜおこなわれたのか?そして、なぜ日清、日露戦争へと突っ走ってしまったのか?

そういった時代の流れを当時の金本位制の話しや明治政府の経済政策などから詳細に解説されていて、読んでいて「そうだったのか!」と頷くとともに、平成、令和の日本にも通じるところがあり色々なことを考えさせられました。

アマゾンの内容紹介

人々は経済的に困窮すると、過激思想に救済を求める。金本位制は通貨供給不足になりやすいデフレレジームのため、世界経済は繰り返し恐慌に見舞われ、そのたびに過激思想が台頭した。秩禄処分への不平士族の「お金の恨み」が日本を対外戦争に駆り立て、新聞に煽られた世論は英米と離反・対決する道を選んでしまう。

廃藩置県

「廃藩置県」、学校の歴史の授業で習いましたよね。

江戸時代の「藩」を廃止して中央集権体制を目指して今も続く「府」や「県」に変えるというアレです。

今から思えば、これって明治政府による大胆なリストラでもあったんですよね。

かつての大名やその家臣たちはその後も明治政府によって給料は細々と支給されていたということは、学校の授業でも習いました。

この本を読んでいて新たに気づかされたのは、次のような視点です。

藩を廃止するということは、これまでの藩の抱えてきた様々な利権関係を全て精算することを意味します。その中には大名たちの借金も当然含まれます。

「経済で読み解く日本史」3巻の「江戸時代」の中には当時の諸大名がどれだけ多額の借金を抱えていたかが詳しく解説されていました。

明治政府は廃藩置県をおこなうに当たって「一応」この大名たちの借金も引き継ぎました。

・・・というか、大名たちに領地・領民を差し出させるために「借金も面倒みてあげますよ」というニンジンをぶら下げたというのが本当のところのようです。

莫大な大名の借金を引き継いだ明治政府でしたが、この借金をどうしたか?

これら引き継いだ債務を新政府がすべて返済したかというと、それは別問題です。

その借金の処理方法について詳しくは本書を読んでいただきたいのですが、『ほぼ踏み倒し』です。

新政府、やることがエグいです。

不平士族

さて、「借金肩代わり」というニンジンと引き換えに領地・領民を手放した大名(その後の華族)と家臣(その後の士族)たちですが、新政府からの給与(年金?)は少ないし、世間からはバッシングを受けるしで、その生活は決してラクではなかったようです。

士族たちに残された道は2つです。この運命を受け入れて、平民として新しい仕事に精を出すか、再び侍として活躍する場を求めてリスクを取るか?

佐幕派の藩出身の士族は士族は前者を選択する者が比較的多かったのに対して、官軍側の士族は後者を選ぶ者がほとんどでした。

彼等は対外戦争に活躍の場を見出そうとしたり(征韓論)、国内で反乱を起こして新政府打倒を図ろうとしたりしました。

佐賀の乱、秋月の乱、そして西南戦争と不平士族たちが反乱を起こしましたが、全て新政府によって鎮圧されてしまいました。

教科書的にはこれらの反乱の収束をもって不平士族の武力による反抗はおわった・・・とされています。

しかし、表立っての反乱は収まったかもしれませんが不平士族たちの不満は根強いものがあり、この後の日清戦争、日露戦争、そして太平洋戦争までその影響はつづいたと著者は書いています。

日本の民権派の正体は、即時征韓論や西南戦争で夢破れた不平士族です。秩禄処分からすでに20年以上も経過していたのに、金の恨みは恐ろしい!ズタズタになった武士のプライドを、戦場で活躍することで取り戻そうとしていたのでしょうか?

江戸時代だけでも260年もつづいた武士の時代。その間に身についてしまった武士のメンタリティやさまざま利権などは一朝一夕には変えられなかったということでしょう。

過激思想

経済的に困窮すると人々は普段は見向きもされない過激思想に走る

これは、「経済で読み解く日本史」全5巻を通じて繰り返し著者が書いていることです。

不平士族たちが国内で反乱を起こしたというのはご承知の通りです。

新政府はそうした士族たちの不満をガス抜きするために台湾出兵までしたということは、この本を読んで初めて知りました。

そして上の方で書いたとおり、士族の反乱は収まったかのように見えましたが、次は「自由民権運動」という政治運動に転じていきます。

「賠償金ゼロ、領土の割譲なし」という日露戦争後の講和条約(ポーツマス条約)は学校の授業でもやるのでご存知の方も多いかと。

そして、その条約の内容に不満を持った人々が日比谷焼き討ち事件を起こしたというのも教科書が教えるところです。

この条約の内容が日本に伝わると、徳富蘇峰の「国民新聞」を除くすべての新聞は一斉に批判を始めます。いや、それは批判というよりは、国民のストレス発散のための誹謗中傷でした。

こういった人々の不満を徹底的に煽ったのが新聞です。

(中略)

その煽り方は2011年頃大ブレークしたTPP亡国論と同じです。極端な被害妄想と精神論に雑な陰謀論を組み合わせたもの。正直聞くに値しない妄言でした。

日露戦争の頃は士族の不満だけでなく、一般の国民も戦費調達のための増税や政府の緊縮政策に耐えていたんですね。

それだけに「賠償金なし、領土割譲なし」の条約内容に民衆の不満が爆発したのかもしれません。

最近も新聞、テレビは一部から「マスゴミ」と呼ばれて評判があまりよくありません。

時おり、マスコミは偏向報道をしたりフェイクニュースを流すなどして人々の不満、不安を煽ります。

ここ最近の「2000万円不足の年金問題」もその一つの例かもしれません。

しかし、人々が不満、不安を持つのは今も昔も経済的な困窮、つまり「不況」が根底にあるように思います。

この本を読みながら、今の日本が日露戦争後の世の中にダブって見えました。歴史は繰り返すということでしょうか・・・

平和への道

この本を読むとポーツマス条約で賠償金を放棄するという英断を下したのは明治天皇であることが書かれています。

この明治天皇の英断を受けて著者はこのようなことを書いています。少し長いですが引用します。

天皇陛下の御英断の意味を当時の日本政府および国民はもっとよく考えておくべきでした。なぜなら、この道こそ本来日本が進むべき道だったからです。

これを現代の戦略の言葉で言うと「平和的台頭」と言います。

日本はひたすら世界に貢献し、徐々にその役割分担を広げていく。そうしているうちに、世界のさまざまな仕組みが日本無しに成り立たなくなる。この時初めて日本の覇権が確立するのです。

武力を背景に他の国々を脅すだけが覇権の道ではなく、平和貢献を通じて覇権を取るやり方もあるということですね。

でも、残念ながら日本は道を誤ってしまいました。。

後の太平洋戦争につづく諸要因はこの頃すでに萌芽があったと著者は説いています。

歴史に「If」はないとよく言われますが、「もしもあの時・・・」と書かれた文章を読みながら、先の大戦の大きな犠牲の原因はこんなところにもあったのか!ということを教えられました。

まとめ

明治時代の初期はそれまでの幕藩体制から近代的な中央集権的な国家を目指すためにさまざま改革がおこなわれました。

しかし、急激な改革はいつの時代でも、どこの国であっても必ず大きな揺り戻しが起こるというのは歴史が教えてくれるところだと思います。

明治の日本も例外ではなく、士族や農民たちの反乱が相次いだのは教科書が教えてくれているとおりです。

しかし、その背景には当時の日本(というか世界各国)が採用していた金本位制の弊害があったというのは、この本を読むまでは私もよく分かっていませんでした。

この本を読むと、金本位制はデフレを招きやすい仕組みであることが分かります。

デフレと緊縮政策による不景気がさまざまな混乱を招き、最終的には不幸な戦争によって多くの命が犠牲になってしまったのです。

令和になった日本も相変わらずデフレからの完全脱却ができずにいます。それに加えて年金やら増税やらで生活に不安をもつ人が多いように見受けられます。

著者によれば、こういう経済的な困窮や不安は人々を過激思想に駆り立てるそうです。

この本を読みながら私は何度も明治の頃と今の日本がダブって見えました。

歴史を学ぶ意味って、学校の授業のように単に出来事や年号を覚えることではないと思います。

この本の後半で展開されている日露戦争の背景などから、当時は何が問題だったのか、どこで道を誤ってしまったのか、という教訓を学び私たちの未来に生かすことが大切だと思うのです。

「歴史(を)学ぶ」のではなく、「歴史(に)学ぶ」ことが大切なんですよね。

《関連記事》

【歴史】「経済で読み解く日本史(1)室町・戦国時代」上念司:著

【歴史】「経済で読み解く日本史(2)安土桃山時代」上念司:著

・【歴史】「経済で読み解く日本史(3)江戸時代」上念司:著

【歴史】「経済で読み解く日本史(5)大正・昭和時代」上念司:著

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2019年06月17日

【歴史】「経済で読み解く日本史(3)江戸時代」上念司:著

江戸時代

「経済で読み解く日本史(3)江戸時代」

上念司:著

飛鳥新社

第1巻「室町・戦国時代」第2巻「安土桃山時代」と続いてきて、そしていよいよ第3巻は「江戸時代」です。

これまでの2冊も面白く読みましたが、江戸時代は更に超絶!面白かったです!

江戸時代以前、日本では自国で通貨を発行しておらず、もっぱら大陸との貿易で得た銅銭が流通していました。

それが江戸時代になると幕府が通貨を発行するようになり、後期には藩札という紙幣まで流通して経済体制が現代とあまり変わらなくなりました。

よって幕府が行った経済政策と景気との関係が現代に通じるものがあり、すごく納得しながら読み進めることができました。

それと、江戸時代って「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」といったテレビの時代劇でお馴染みですよね。

でも、そういった時代劇で見ていた江戸時代の大名や町人、農民の暮らしぶりが実は現実のものとはだいぶ違うようだということも、この本を読んで気づかされました。

アマゾンの内容紹介

江戸時代、経済の主導を握ったのは名もなき一般庶民だった。

江戸の経済政策が「財政規律派」と「成長重視派」に入れ替わることで起きていた好不況の波。

ビジネスチャンスを求める人々は次々とイノベーションを起こし、民需による経済発展はやがて幕藩体制を崩壊へと導く。

「貧農史観」という誤り

一般的に日本人は「貧農史観」に毒されており、江戸時代といえば重い年貢に苦しむ農民とか、代官に賄賂を贈る越後屋などの悪徳商人とか、武士も貧乏して家計簿を付けているとかそんなイメージでしかとらえていないのではないでしょうか。水戸黄門や「カムイ伝」の影響は本当に侮れません。

結論から書くと、江戸時代の農民や町人の暮らしは私たちが時代劇で目にするような貧しいものではなかった、ということです。

武士の暮らし、特に大名の懐具合が苦しいものであったというのは、どうやら本当らしいですが。。

今から30年以上前、私が受験の際に使っていた山川出版の「詳説 日本史」という教科書が今も私の手元に残っています(物持ちいいでしょ)

確かに江戸幕府が成立した最初の頃を読み返すと

「年貢は収穫の3分の1前後であったが、小作をしている百姓はさらにのこりの半分ぐらいを小作料にとられたから、生活のゆとりはほとんどなかった」(出典:「詳説 日本史」山川出版)

という記述があったり、『慶安の御触書』で農民の生活に対するこまかい規定をしたりと、当時の農民の暮らしが決してラクではなかったようなコトが書かれています。

しかし時代が100年くらい下ると

    • 新田開発で耕地面積が増大した
    • 農機具の発展で収穫量が増えた
    • 商品作物(綿、麻、茶、たばこなど)のおかげで農家は経済的にゆとりをもつようになった

などと書かれています。

教科書ではこうしたことについて、さらりと触れているだけですが、この本の著者、上念氏はこの本の中で、当時の庶民の経済活動のことを深掘りして解説されています。

読み進むにつれてジグソーパズルのピースが一つずつ繋がっていき、最後に全体像が見えて「そうだったのか!」という快感があり江戸時代の経済状況がすごく理解できました!

「水戸黄門」も「暴れん坊将軍」も所詮はフィクションであり、ドラマです。

それを踏まえて楽しめばいいのですが、ちゃんとした知識がないと妙な偏見がすり込まれてしまいますね。

江戸幕府は「中央集権」ではなかった

徳川幕藩体制において、徳川家は全国3000万石分の中央政府の役割を果たさなければならないのに、徴税権が400万石分しかなかった。

徳川家はあくまで300諸侯の筆頭でしかありませんし、江戸幕府は300諸侯が集まった「大名の連合政権」でした。

徳川家がもっていた400万石の徴税権というのは幕府の天領地からの年貢のことですね。

これまた私が時代劇を見ていて勘違いしていたコトなのですが、年貢の取り立てって幕府がやっているイメージをもっていました。

でも、幕府直轄の天領などを除いて大半は諸国の大名が取り立てというか徴税権を持っていたんですよね。

それにしても、400万石の徳川家が中央政府として全国3000万石の面倒をみていたというのも、随分とムチャな話しだなぁと思います。

ちなみに、現在の日本の国税と地方税の割合ってご存知ですか?

総務省のWEBサイトを見ると平成29年度のの税収について次のような説明があります。

国税と地方税を合わせ租税として徴収された額は99兆680億円となっており、このうち国税が60.5%、地方税が39.5%を占めています。

国税と地方税の割合「総務省」

ざっくり6対4の比率ですね。

幕府(中央政府):400万石(国税)
諸大名(地方政府):2600万石(地方税)※3000万石ー400万石

このように読み替えてみると、国と地方の関係は江戸時代と現在では随分と違うことが分かります。

こういう懐具合を知ると、時代劇などで描かれている将軍と大名の力関係というのも実際はどうだったんだろうな?と思ってしまいました。

「成長重視派」VS.「財政規律派」

家康は幕府の財源を安定させるために、先ずは全国の金山、銀山を手中に収め貨幣を鋳造、発行したそうです。

しかし、やがて金も銀も掘り尽くしてしまい5代将軍・綱吉が家督を継いだ頃には幕府の財政は相当逼迫していたらしい。

どうしたか?

そこで登場したのが、当時勘定吟味役だった荻原重秀です。(中略)重秀は「慶長小判」を改鋳して金の含有量を減らし、「元禄小判」を作ることを提案します。

この時、荻原重秀が小判の改鋳は次の通りです。

    • 2枚の慶長小判を溶かして、3枚の元禄小判を作る
    • したがって、元禄小判の金の含有率は慶長小判の2/3しかない
    • でも、慶長小判と元禄小判の交換レートは1:1にした

その結果、貨幣量が1.5倍になり、その増えた分を幕府の金庫に収めることができた・・・というわけです。

これって、学校で教わったときは貨幣の改悪と言われて、あまり良いイメージではありませんでした。

でも、この本を読むと真逆で通貨量が増えたことで元禄の好景気を呼び寄せたと解説されています。

日銀が金融緩和をしたのと同じような経済効果を生んだということですね。

興味深いのは、この後で新井白石なる人物が台頭してきて荻原重秀と真逆のことをやります。

小判3枚を溶かして2枚の小判を作り「小判の品位を元に戻した!」と胸を張るわけです。

しかし、このおかげで貨幣量が減少しデフレ基調となり景気が悪くなったようです。

著者の新井白石評が容赦ない!

白石がとらわれていた頑迷な考えを「貴穀賤金(きこくせんきん)」と言います。これは「米などの農産物は貨幣よりも貴く、お金は賤しいものだ。だから、農業以外の産業は仮の需要でありバブルである」という極めて間違った考え方です。

(中略)

白石は四書五経を丸暗記するぐらいの「秀才」でしたが、本質的にはバカだったのかもしれません。

余聞のこと

「余分」じゃないですよ。「余聞」です。

この本を読んでいて1か所、大笑いしてしまったところがありました。

日本円が数か月後に紙くずになって使えなくなると思っている人は、ほぼ100%いません。

あえて例外を言うなら、紫色の頭をした変な大学教授とか、「ハイパー・インフレがぁ〜!!」と20年間言い続けている某国会議員ぐらいではないでしょうか。」

分かる人には笑えるネタですね。

まとめ

江戸時代は読んでいて面白いエピソードや解説が多くて、とても書き切れませんね。

上の方で荻原重秀と新井白石の真逆の政策についての話しを拾い出して紹介しましたが、その後に続くのがみんな大好き!「暴れん坊将軍」こと8代将軍、徳川吉宗です。

吉宗といえば「享保の改革」で有名ですね。

でも実態といえば質素倹約、贅沢禁止の緊縮財政による財政健全化を目指すものでした。

でも、なかなか成果が上がりませんでした。それでも後年にそれなりに名を残せたのは・・・「大岡忠相のおかげじゃねぇか!」って読んでいて思いました。

江戸時代って、この吉宗のように質素倹約、贅沢禁止の緊縮財政大好きなお殿様や側近がけっこういたんですね。

令和になった今も同じように財政支出カット!増税!財政再建!を叫ぶ政治はやまほどいます。

もしかしたら「質素倹約大好き病」は私たち日本人のDNAに刻まれているんでしょうか・・・?

この他にも諸大名が借金で首が回らなくなっていく一方で、たくましく成長していく商人、庶民の姿がとても印象に残る1冊でした。

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2019年06月13日

【歴史】「経済で読み解く日本史(2) 安土桃山時代」上念司:著

安土桃山時代

「経済で読み解く日本史(2)安土桃山時代」

上念司:著

飛鳥新社

「経済で読み解く日本史」全5巻の第2巻は安土桃山時代です。

きっと日本人なら誰もが知っている織田信長、豊臣秀吉という歴史上のスーパースターが登場する時代です。

この時代を振り返るとき、信長、秀吉がいかにして天下統一を果たしたか?!という点に興味や関心が集まり、視点は内向きになりがちですよね。

でも、この本を読むと当時の日本は既にグローバル経済に密接に関わっていた(それ故に、海外の動向によって国内経済が影響を受けていた)ことや、信長も秀吉もかなり早い段階から海外を意識していたことが理解できました。

特に本書の後半で明かされる秀吉の朝鮮出兵の失敗の本質は読み応えがありました。

アマゾンの内容紹介

織田信長は日本の統治形態を変え、戦国時代と中世を終わらせた。画期的な経済政策は豊臣秀吉に受け継がれ、明の貨幣制度および国際貿易体制の大変化に日本はようやく追いつく。秀吉は天下統一の勢いのまま征明を目指すが、そこには大きな落とし穴が待っていた。

信長を「正しく」評価せよ

尾張一国を苦労して統一し、「桶狭間の戦い」で大きな賭に勝った信長は、まさに叩き上げの創業社長でした。伸び盛りの中小企業の社長はとてもシビアであり、その行動理念は時代を超えて今の会社経営や国家戦略の実現にも通用するものです。

私が信長を見るときの視点は、まさにこの”実業家”としての視点です。信長の偉大さは政治家としての手腕もさることながら、尾張下半国の代官からスタートして、天下統一の一歩手前まで行ったその経営手腕にこそ見るべきものがあります。

信長といえば、桶狭間の戦い、姉川の戦い、長篠の戦いを勝ち抜いた勇猛な武将という感じでしょうか?

私、個人的には10年以上前のNHK大河ドラマ、「秀吉」で渡哲也が演じた信長の姿が強烈に焼き付いていて、冷徹で時に残虐な人というイメージを持ち続けていました。

しかし、筆者の上念氏は「信長は『覇王』ではない!」と書き、むしろ中小企業の創業社長だと喝破してみせます。

例えば、信長が比叡山延暦寺を焼き払ったことは有名ですよね。

でも信長が宗教弾圧をしたかといえば、実はそうでもない。

この本では「信長の宗教弾圧は政治的、軍事的な理由に基づくもの」であったと解説されています。

信長にいわせれば比叡山も本願寺も「邪魔だったから叩いた!」ということなのでしょう。

面白いのは、そうやって寺社勢力を叩きながらも他方で臨済宗や日蓮宗とは良好な関係を続けていたのだとか・・・

信長の宗教弾圧は後に徳川幕府が行ったキリスト教弾圧とは性質が違うものだったようです。

まさに信長は役に立つものは何でも積極的に活用するという創業者的な柔軟性を有していたと思われます。

この本の中で著者は、世にはびこっている「スーパースター信長」ではなく、もっと等身大の信長を読者に示してくれているように感じました。

なぜ明智光秀は裏切ったのか

なぜ明智光秀が裏切ったかーについては、これまでたくさんの説が囁かれてきました。

(中略)

私は信長の行動は中小企業の創業経営者のメンタリティで理解すべきだと思っています。この説を敷衍(ふえん)して、「中小企業でバリバリ働いてきた幹部社員が、ふとオーナー経営者の気まぐれに身の危険を感じ、行動を起こす」というストーリーを考えてみましょう。

今もって本能寺の変には謎が残っていて解明されていないことも多く、ここで書かれている明智光秀の裏切りの理由についても著者の推論に過ぎないのですが、私は読んでいてい「なるほど!分かる、分かる!」と思ってしまいました。

これより前の章で「伸び盛りの中小企業の社長はとてもシビア」だと著者は書いています。

そして、次のようにも書いています。

ある程度会社が大きくなって、より多くの優秀な人材を採用できるようになったら話は変わります。会社が小さい頃には有用だった人材も用済みになるからです。

つまり、経営者的に「こいつ、使えねぇ〜」と思っていても会社が小さい時は他に人材がいないので騙しだまし使うしかない。

だけど会社が成長して優秀な人を採用できるようになると、過去の実績などおかまいなくシビアに、クビとか左遷することができるようになる、ということです。

経営者としては、それでいいかも知れませんが、リストラされる方はたまったものではありません!

つい、この前まで責任ある仕事を任せてもらえていたのに、ある日突然、手のひら返しされるわけですからね。

実は私・・・10年くらい前にこれと同じようなことをされた経験があります。。

詳しくは書きませんが、その当時、私は従業員300名くらいの中小企業でそれなりに順調に出世の階段を上がっていました。

ところが!ある日、社長がスカウトした人が入社してきて、それを境に私に対する社長の態度が一変し、左遷されました。。

一応、自分の名誉のために書き加えておくと・・・

その2年後、優秀と思ってスカウトしてきたその人物が実は私よりもポンコツだったことが露呈して、社長自ら私の左遷先にやって来て「戻ってきてくれ」と頭を下げられました。

話しを戻します。本能寺の変の話しでした。

石山戦争終結直後、尾張統一の頃から信長家臣団の重鎮が一気にリストラされたのです。

「こいつ、使えねぇ〜」と思いつつ我慢して使っていた古来からの家臣団が信長によってリストラされたのを見た明智光秀が「次は自分の番か!」と焦りまくり、謀反を起こした・・・ということも可能性としては充分にあるわけです。

真偽のほどは定かではありませんが、信長を創業経営者として捉えると、こういうシナリオもあったのかもと納得させられました。

「朝鮮出兵」失敗の本質

天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が晩年、朝鮮に出兵したということは学校の授業で習いましたよね。

なぜ、朝鮮に出兵?という疑問について学校の先生からは「更なる領地の獲得が目的だ」と教えられました。

しかし、朝鮮出兵の本当の狙いは朝鮮半島を通って明に進行することだったということをこの本で知り、ちょっとビックリしました。

実は秀吉の家臣の中にはマニラを攻撃すべし!と進言した人もいたとか!(それはそれでビックリしました!)

この当時、着々と東南アジアに進出してきていたポルトガルやスペインの脅威は信長や秀吉にも伝わっていました。

いつまでも国内で戦闘を繰り返していたら、外国から攻められてしまう!という危機感が秀吉の国内統一を急がせ、海外出兵へと向かわせていったと解説されています。

これって、250年くらい時代を下った幕末の頃の時代背景に似ていますよね。

もしかしたら、尖閣諸島を狙いに来ている中国、そしてミサイルを撃ちまくる北朝鮮、そんな周辺国の脅威に対していかに防衛するかとやっきになっている現代にも通じるところがあるのかも知れません。

ところで、なんでマニラでなく朝鮮半島?という疑問に対して著者は「プロダクトアウト」「マーケットイン」という現代のマーケティングのフレームワークを使って説明してくれています。

(詳しくは本書にてご確認を・・・)

そして、ご存知の通り秀吉の朝鮮出兵は秀吉の死というカタチで幕を下ろしました。何一つ得るものも無く・・・

秀吉の朝鮮出兵失敗の本質についても「ランドパワー」「シーパワー」という地政学のフレームワークで解説されています。

秀吉はイケイケ度が半端ではなかった。持てる力を最大限に使って、自分の代ですべてを成し遂げようとしてしまったのです。信長ですらそこまでできなかったのに・・・。

秀吉の最大のミスは、天下統一の成功モデルをそのまま海外にまで延長

しようとしたことです。「朝鮮出兵」さえやらなければ、豊臣政権の天下は揺るぎませんでした。

NHK大河ドラマ「秀吉」でも、天下人となった後の朝鮮出兵とかは殆ど触れられていないんですよね。

「晩節を汚す」という言葉がありますね。

私はこの言葉を聞くと条件反射的に、秀吉のことを思い出してしまうのです。

なぜ、秀吉は晩節を汚してしまったのか?
本来は、何をすべきだったのか?

その一つの答えが、この本の最後に綴られています。

まとめ

この本は以前に出版された「経済で読み解く豊臣秀吉」を再構成、加筆修正したものだそうです。

そして前回の記事で取り上げた「室町・戦国時代」につづく全5巻のうちの2冊目という位置づけです

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上の方であまり貨幣経済のことについては書かなかったのですが、この本の中では「経済で読み解く」というタイトル通り、当時の経済状況についてもたっぷりと書かれています。

個人的には織田信長、豊臣秀吉という日本史の2大スーパースターの行動原理を経済、あるいは経営者というモノサシをあてて読み解き、世間に流布しているのとはちょっと違う2人の人物像が描かれている点に非情に興味を引かれました。

この後は、江戸時代です。

江戸幕府が何度も財政難から倹約令を出してみたり、他方では元禄文化などの花が開くなど好景気がやって来たりした景気循環がなぜ、どのように起こったのかについてとても関心があります。

また、レビューしていきますね。

《関連記事》

・【歴史】「経済で読み解く日本史(1)室町・戦国時代」上念司:著

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2019年06月10日

【歴史】「経済で読み解く日本史(1)室町・戦国時代」上念司:著

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「経済で読み解く日本史(1)室町・戦国時代」
上念司:著
飛鳥新社(文庫版)

もともと歴史が好きで、それも世界史よりも日本史が好きでした。

でも、縄文・弥生時代から現代までを通しで勉強したのは、もうはるか昔、30年以上前のこと。

以後はテレビや小説などで断片的に日本史には触れてきましたが、そろそろもう1回、通しで日本史を勉強したいなと思っていたタイミングで文庫本5冊で中世から現代までの通史が分かるというこの本が出版されるのを知り5冊セットで買ってしまいました。

アマゾンの内容紹介

お金の流れがわかれば歴史がわかる。経済が発展すれば政治制度も変化せざるを得ない。貨幣量の変化を中世までさかのぼり、当時の景気循環を説明。室町幕府の衰退とともに、内乱と宗教戦争が頻発し、戦国時代に突入した原因はデフレ経済にあった。

○貨幣量の変化で、中世の金融政策と景気を説明する
○比叡山vs.京都五山、経済マフィア化する寺社勢力
○日明貿易の衰退が室町幕府の弱体化を招いた
○それに伴い開始された寺社勢力と武士の「仁義なき戦い」
○一向一揆、法華一揆の背後の「巨大な越後屋モデル」
○中世を発展させ終わらせた「経済的インセンティブ」

室町時代はデフレ経済だった?

どんなに強い政治権力を持つ者でも絶対に逆らえない掟があります。それが「経済の掟」です。それは、例えば「お金をたくさん刷れば必ずインフレが起こる」とか、「お金の量が減ればデフレになる」とか、「デフレになるときは自国通貨高になる」といった、とても単純なルールです。

この本のタイトルに「経済で読み解く」との文言があるとおり、冒頭で「ワルラスの法則」というモノとお金のバランスによって経済はどう動くのか、ということが説明されています。

とても分かりやすい解説です。これを読むと、室町時代の経済状況はもちろん、現代の日本経済が苦しめられてきたデフレ解決のために中央銀行である日銀の果たすべき役目というものも理解できると思います。

景気が悪いと政府の財政政策に文句を言う人がいますが(税金の無駄遣いとか)、それよりも日銀の金融政策がどうなっているのか?という点の方が大事ではないのかと思ったりします。

話が少し逸れました。。

室町時代の経済は概ねデフレ基調だったとこの本には書かれています。

なぜ、デフレだったのか?その原因は自国で通貨を発行せずに日明貿易によってもたらされる銅銭を流通させて通貨としていたことにあると説明されています。

明と貿易をして銅銭を輸入すれば、日本国内の貨幣流量は増えますね。

逆に明との貿易を止めてしまうと(4代将軍、足利義持が日明貿易を一時停止させた!)貨幣量が増えなくなります。

実体経済が成長しているのに(モノが増えているのに)、明から銅銭が入ってこなくなると貨幣不足となり経済はデフレになってしまいます。

この時代はデフレになり経済が困窮すると戦(いくさ)が始まります!

室町時代に戦乱が多かったのは(応仁の乱とかもありましたね)、こういった経済的な背景があったと著者は指摘します。

経済マフィア化する寺社勢力

寺社勢力とは単なる宗教団体ではありません。寺社は仏教留学僧が作った支那とのコネクションを生かして貿易業に精を出す巨大商社であり、広大な荘園を所有する不動産オーナーであり、土倉や酒屋といった町の金融業者に資金を供給する中央銀行でした。

この本の2/3くらいのページを割いて室町時代の寺社勢力について詳細に解説されています。

一般的には室町時代の政治権力は足利氏の室町幕府が握っていたということになるのでしょうが、この後に登場する江戸幕府と比べると政治的基盤が弱く、それ故に寺社勢力と結びついて経済的な援助などを受けていたのです。

平安時代の頃から天台宗の比叡山延暦寺、藤原氏の氏寺だった奈良の興福寺が多くの僧兵を抱えとても強い武力勢力であったことはよく知られていますね。

そういった旧勢力に対して鎌倉、室町時代に力をつけてきたのは臨済宗でした。

鎌倉五山は(鎌倉)幕府に便宜を図ってもらうことでマーケットを広げ、その見返りとしてその収益の一部をキックバックします。つまり、臨済宗などの寺社勢力と幕府の実質的な関係は「お代官様と越後屋」だったのです。

(中略)

室町幕府はプレイヤーこそ違えど、そのビジネスモデルは鎌倉幕府と変わりません。

「鎌倉幕府と鎌倉五山」から「室町幕府と京都五山」へとプレイヤーが入れ替わっただけで、越後屋モデルは引き継がれたというわけです。

この後、旧勢力の天台宗と臨済宗の経済戦争が起きたり、一向一揆や法華一揆の嵐が吹き荒れたりして、この時代の宗教は本当に物騒だったことが伝わってきます。

個人的にはこういった寺社勢力の話しにはあまり興味がないので、読んでいて退屈に感じるところもありました。

だけど、この時代の寺社勢力が経済プレイヤーとして(時に武力勢力として)いかに大きな影響力を持っていたかということはよく分かりました。

室町将軍の跡目問題と応仁の乱

障子が開け放たれたかと思うと、完全武装の武士数名が義教(よしのり)に斬りかかったのです。将軍義教はあっけなく討ち取られてしまいました。これが世に言う「嘉吉の変」です。

(中略)

1441年の嘉吉の変から義政が元服する1456年までの間、管領家と有力守護大名、将軍側近グループなどが入れ替わり立ち替わり権力を掌握する時代が続きました。

    • 6代将軍、義教・・・嘉吉の変で暗殺される
    • 7代将軍、義勝・・・9歳で将軍となるも8か月で病死
    • 8代将軍、義政・・・8歳で将軍に就任、元服後も政治に興味がなく東山文化などに傾倒し銀閣を建てたりした

本文の中ではサラッと触れられているだけですが、6代将軍、義教が暗殺された後から8代将軍までの間、室町幕府がどれだけ「ポンコツ」だったのか!!

義教が暗殺された後、2代続けて幼い子供を将軍の座につけて、義政が成人したと思ったら政治は側近たちに丸投げして東山文化に傾倒し、挙げ句の果てに「応仁の乱」です。

これは滅茶苦茶な戦争でした。寒冷化とデフレ不況の進行で、みんな頭に血が上ってわけがわからなくなっていたのかもしれません。(中略)途中から何のために戦っていたのか、目的すら見失っていた各勢力は、エネルギーを使い果たすまで戦い、最終的には戦闘は自然に集結しました。

個人的な感想ですが、この混乱の時期って平成の政治状況とも似てるなぁって思いました。

災害が多発したり、デフレ経済が進行して(放置されて)、小泉内閣の後を引き継いだ安倍、福田、麻生とほぼ1年ごとに政権が変わり、民主党政権になっても鳩山、菅、野田と短命政権が続きましたよね。

7代・義勝、8代・義政の時代は将軍ではなく側近たちが政治を執り行っていたようですが、平成の日本でも1年前後で政権を放り出す首相が続く間、代わりに官僚たちの都合で政治が左右されていたような印象があります。

結局、室町時代も平成の世もデフレという経済の停滞が政治勢力を弱めて社会を混乱させたということでしょうか?

まとめ

この「経済で読み解く日本史」は著者の上念司氏が以前に刊行された「経済で読み解く織田信長」など4冊の本を加筆再編集して文庫本全5巻で発売されたものです。 

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今回取り上げた「室町・戦国時代」から始まって「安土・桃山時代」「江戸時代」「明治時代」「大正・昭和時代」へ続く日本通史になっています。

高校時代に授業や受験勉強で日本史はそれなりに勉強してきましたが、その頃は自分に経済に関する知識は殆どなく、授業内容も歴史的な出来事をなぞる感じのものでした。

それだけに、「経済」という枠組みで日本史を捉えなおしたこの本は私にはとても新鮮に感じました。

第1巻で取り上げられた「室町・戦国時代」、幕府の力がそれほど強くなかったのも、応仁の乱をはじめ多くの戦乱が起きたのも経済というモノサシを当てはめて見てみると「なるほど!」と頷ける内容でした。

この後の展開も楽しみです。また随時、レビュー記事をあげていきますね。

《関連記事》

【歴史】「経済で読み解く日本史(2)安土桃山時代」上念司:著

【歴史】「経済で読み解く日本史(3)江戸時代」上念司:著

【歴史】「経済で読み解く日本史(4)明治時代」上念司:著

【歴史】「経済で読み解く日本史(5)大正・昭和時代」上念司:著

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2019年06月06日

【自己啓発】「置かれた場所で咲きなさい」渡辺和子:著・感想と母の介護の思い出

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「置かれた場所で咲きなさい」
渡辺和子:著
幻冬舎文庫

この本を既にお読みになった方も大勢いらっしゃると思います。

読んでなくても「置かれた場所で咲きなさい」という言葉はどこかで目にしたことがあるかもしれませんね。

私がこの本を手に取ったのは17年の晩秋の頃でした。がんの手術を受け抗がん剤治療を続けながら、母の介護に追われていたときです。

色々な意味で閉塞感を感じ、精神的にも少し疲れていました。

そんな時、病院へ行く途中でたまたま立ち寄った書店でこの本を見つけたのです。

ページをめくるたびに、一つ一つの言葉に頷き、励まされ、救われたような気持ちになったのを覚えています。

この本を語ろうとすると、どうしても母の介護のことが思い出されます。今回の記事は私の個人的な介護にまつわるエピソードが中心となっていますので、ご了承ください。


アマゾンの内容紹介

Bloom where God has planted you

置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。

咲けない時は、根を下へ下へと下ろしましょう。

どうしても咲けない時は・・・

一人の宣教師が短い英詩を手渡してくれました。

Bloom where God has planted you(神が植えたところで咲きなさい)

「咲くということは、仕方がないと諦めるのではなく、笑顔で生き、周囲の人々も幸せにすることなのです」と続いた詩は、「置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです」と告げるものでした。

著者の渡辺和子さんは大学卒業後にノートルダム修道女会に入信された修道士なので、この本に出てくる言葉もキリスト教の教えが色濃く反映されているように感じました。

「置かれた場所で咲きなさい」これだけだったら、それほど私の心に刺さることはなかったと思います。

だけど、この言葉にはこんな続きがあるのです。

どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。

人生は順境ばかりではないですよね。きっと、どんな人にも大なり小なりの逆境の時ってあると思うのです。

この本を手にした時の私は「まさかの癌!」、そして「突然はじまった母の介護生活」。

来る日も来る日も抗がん剤の副作用に悩まされつつ、片時も休めない母の介護生活にほとほと疲れていました。

「咲きなさい」と言われたって、「そんなのムリ!」としか言いようのない状態だったのです。

でも、「咲けない時は根を張るのです」との言葉を読んだ時に、すっと心が晴れて救われたような気持ちになりました。

ムリして笑わなくてもいい。

ムリして前向きにならなくてもいい。

でも、逆境に腐るのではなく「次」に向けて、出来る準備はしておく。

・・・次に咲く花のために。

この言葉はその時の私に、「次」というステージがあることを思い出させてくれたのです。

「禍福はあざなえる縄のごとし」

人生、幸福と不幸はより合わせた縄のように交互にやって来ると言われてますね。

ツラい時期もいつか終わる時が来る。その時のことを思い描いて、今は深く深く根を張る時期なんだと自分に言い聞かせることが出来たのです。

不機嫌は立派な環境破壊

不機嫌は立派な環境破壊だということを、忘れないでいましょう。

仏教の言葉に「和顔施」というものがあります。

ニコニコして話しをすると、相手の気持ちも和み人のためになるという教えです。

だけど、反対に不機嫌な顔していると周りの人もあまり気分良くないですよね。

実生活でもドラマでも不機嫌な顔をしている人の周りで他の人たちがニコニコしながら談笑している場面を見たことがありません。

自分が不機嫌な顔をしていると、それは周りの人にとってはその場の環境破壊以外の何ものでもないということですね。

しかし、この本を読んでいた頃の私は自分の病気と介護のストレスでとてもニコニコしていられるような状況ではありませんでした。

そんな時に「不機嫌は環境破壊」という言葉を読み、ハッと気づいたことがありました。

「笑顔になれない」ということと「不機嫌な顔になる」は必ずしもイコールではないということに気づいたのです。

自分がストレスを抱えているからといって仏頂面をしていたら他の家族だって気持ちいいわけありません。家の中がドンドン暗くなっていきます。

例え笑えなくても、せめて仏頂面にはならないようにしよう、そう考えるようになりました。

実践するのはなかなか骨が折れましたが、それでも自分が仏頂面になっていることに気づいた時には心の中で「不機嫌は環境破壊」とつぶやいて表情をなおすよう心掛けるようにしました。

苦しいから、もうちょっと生きてみよう

「死にたいと思うほどに苦しい時、”苦しいから、もうちょっと生きてみよう”とつぶやいてください」苦しみの峠にいる時、そこからは必ず下り坂になります。そして、その頂点を通り越す時に味わった痛みが、その人を強くするのです。

自分の病気と母の介護でのストレスに苦しんでいた時、この言葉を読み今の状況が永遠に続くわけではない、ということに改めて気づかされました。

それと同時に、ある矛盾点に気づくことになりました。

自分の病気のストレスは、いつか元気になって癌を克服した時がゴールになります。

では、母の介護は・・・・?!

確かに介護はしんどかったです。だけど、母に早く死んで欲しいなんて思っているわけではありません。

以来、「いつかは終わる」そう考えることは自分の中でタブーになっていました。

でも、ある日ふと気づいたのです。

介護の終点は人の死ではなく、例えば食事の準備をするのと同じように「当たり前」の感覚で介護が出来るようになること。

介護のゴールは自分の気持ち次第で作り出すことが出来ると考えられるようになったのです。

そう気づいた時から気持ちが本当に軽くなりました。

最後に

今でもこの本を手に取ると、母と過ごした介護の日々を思い出します。

この本を読んでいなかったら、きっともっと辛い日々を過ごしてような気がしています。

それくらい、この本には救われました。

夜、母が寝付くとそのベッドの脇に座って、この本を何度も読み直し、心に残った言葉などは手書きでノートに写したりもしました。

2017 11 07 15 38 00
▲当時の写真

人生の逆境にある時、心が折れそうになった時、そんな時に是非とも手に取っていただきたい1冊です。

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大きな文字で読みやすい 置かれた場所で咲きなさい (幻冬舎単行本)

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2019年06月03日

【カーリング】「0から1をつくる」本橋麻里:著

本橋麻里

「0から1をつくる」地元で見つけた、世界での勝ち方

本橋麻里:著

講談社現代新書

「マリリン」の愛称で知られるカーリング女子の本橋麻里選手。

彼女が地元、北海道の常呂(ところ)で立ち上げた「ロコ・ソラーレ」が2018年の平昌オリンピックで銅メダルを獲得したのは記憶に新しいと思います。

この本はトリノ、バンクーバーオリンピックに出場し、その後ロコ・ソラーレを立ち上げ、平昌オリンピックで銅メダルを獲るまでの道のりを辿りながら、単なる追想録ではなくコミュニケーション、チームビルディング、リーダー論などが詰め込まれた内容になっています。

アマゾンの内容紹介

カーリング女子五輪メダリストが明かす、コミュニケーション術、組織マネジメント術、リーダー論・・・。

強いコミュニケーションをつくる

ロコ・ソラーレは「長い時間をかけてもいい。遠回りでも、強いコミュニケーションをつくって、4年に一度に振り回されないグループをつくりたい」という思いで結成されたチームです。

ロコ・ソラーレというと「もぐもぐタイム」や18年の新語・流行語大賞にもなった「そだね〜」が有名ですね。オリンピック中継では「癒やされる〜」という声がSNSに数多く投稿されていました。

しかし、このチームの魅力は「癒やし」や「かわいらしさ」だけではなく、史上初めて日本のカーリングでメダルを獲ったことで証明された勝負強さ、実力の高さにもあると思います。

そして、その強さを生み出している一つの要因が選手間のコミュニケーション力ではないかと思うのです。

それは試合中、他のチームは3番目、4番目に投げるサードとスキップの2人の選手が話し合って作戦などを決めているのに対して、ロコ・ソラーレは4人の選手が話し合っている場面がすごく多いことからも分かります。

それだけに、この本の中でもコミュニケーションについて多くのことが語られています。

本音で話すことで起こる意見のズレは、時間がかかっても最後にはポジティブな場所に着地します。

強いグループを形成するためには、崩してまた組み立てること。遠回りでも一度、ぶつかること。それを繰り返すほかないと信じました。

職場やチームなどで意見交換をするとき、大なり小なり意見がぶつかることってありますよね。

そういう時、「まぁ、まぁ、まぁ」という感じで正面衝突を避けて、無難な線に着地させたりすることってありませんか?

でも、この本橋選手の言葉を読むと、本当に強いチームを作るためにはぶつかることを恐れてはいけないし、例えぶつかったとしても最後にはポジティブな結果につながることを教えられます。

しかし、何でもぶつかればいい!というわけでもないと思うんですよね。

そもそもコミュニケーションというのは、決して一方からではなく双方からのものであるべきで、「私はこうだと思う」と言い続けるのではなく、主張したぶんだけ、相手の意見を聞くべきです。

ロコ・ソラーレでは、相手をしっかり尊重し、どんなタイミングでも、誰が何を言ってもいいようなミーティングを何度も重ねました。

こういったように、相手を尊重する、発言するだけでなく相手の話もしっかり聞く、そして何度も話し合いを重ねる、そういった信頼があって初めて本音でぶつかることが出来るのだと思います。

リーダー像

私が感情の起伏を大きく見せたら、チームみんなが動揺するかもしれない。私はみんなと同じ気持ちを共有しつつも、何があってもとにかくどっしりと構えていよう。嬉しい勝ちも、ボロ負けでも、一定でいることが私の仕事だなと五輪開幕前に決めていました。

平昌オリンピックでは本橋選手はフィフス(控え)の選手に回り、試合中はコーチボックスでチームの戦いを見守っていました。

リーダーというと、みんなの先頭に立ってグイグイと引っ張っていくイメージが強いように思いますが、本橋選手は言います。

「そうか、サポートという形でもチームを引っ張ることは可能なんだ」という一つの形を得ました。先頭に立って、仲間をぐいぐい引っ張るタイプのリーダーではなく、仲間を舞台裏でしっかり支えるタイプのリーダーです。

また、チームを鼓舞するために敢えてキツいことを言ったり怒ったりするリーダーもいますが、それに対しても「私の中では、苦しんで伸びる時代、選手を怒って伸ばす時代はもう終わり。そう考えています。」と、書かれています。

本橋選手はリーダーとしても主将としても新しいスタイルを創り出しているように感じました。

0から1をつくる

平昌オリンピックから地元、常呂町に凱旋帰国したとき吉田知那美選手が言いました。「この町、何にも無いよね」と。

北海道北見市常呂町。数多くのカーリング選手をオリンピックに送り込んだカーリングの聖地と言われる町です。

しかし、何も無いが故にチームをサポートしてくれるスポンサーも無く、有力選手は地元を離れ他の地方で選手生活を続けるしかなかったそうです。

そんな現状を変えたい!地元で愛されるチームを作りたいと考え、本橋選手はチーム青森を離れ、ロコ・ソラーレを立ち上げました。

「地方だから」という言い訳は、私の中にはありません。地方だからこそ、前向きに、どんどん進めることができる。田舎には無限の可能性がある

ゼロは最強です。アイデアと体力さえあれば、何でも生み出すことができる。

たぶん、ビジネスの世界でいえば本橋選手は「創業者タイプ」なんだと思うんです。

    • ロコ・ソラーレを立ち上げて、オリンピックで日本初のメダルを獲得するチームに押し上げる

    • 後輩育成としてセカンドチーム「ロコ・ステラ」を立ち上げ、指導にあたる

    • 「ロコ・ソラーレ」を法人名として一般社団法人化して自身は代表理事に就任

こんな具合にどんどん新しいことに挑戦し、今もその歩みを止めていません。

「メダリストなんて、1年経てばタダの人なんです」そうこの本には書かれています。

しかし、タダの人になるどころか今年(19年)5月には政府の地方創生会議のメンバーに選ばれ、さらに活躍の場を広げそうです。

創業なんて、大袈裟なことでなくてもいい。0から1を生み出す。新しいことに挑戦するバイタリティは見習いたいものです。

まとめ

カーリングは人生を豊かにするツールではあるけれど、決して私の人生のすべてではない。

メンタルの部分は、カーリングだけをやっていれば強くなるものでもなく、人生経験がどうしても必要なんだという確信は今でも私の心に強く残っています。

こう書かれているとおり、この本は主に本橋選手のカーリング経験が書かれていますが、それだけじゃない。

特に印象に残ったのは、コミュニケーション力と人間観察力です。

「今目の前にいる人は信用しない」という彼女の言葉。普通はネガティブに捉えてしまうと思いますが、これがとんでもなくポジティブ!!(その理由は本書にてご確認を・・・)

チームメイトはもちろん、周囲の人たちや取材に訪れるメディアの方々に対する観察力は「なるほど!」と唸るものがあります。

本橋選手が持っている「0から1をつくる」力は、人を観察し、コミュニケーションを取り、人と人をつなげる。そんなところに原動力があるのかもしれません。

カーリングファンならずとも、対人関係やコミュニケーションで悩んでいる方、組織のリーダーとして色々なことを考えている方には是非、一読をお勧めします。

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ロコ・ソラーレ 銅メダルへの軌跡 平昌五輪報道特集

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